────ケヒッ
意識が覚醒する。
胸痛と頭痛と吐き気と倦怠感と眩暈を抑えながら、起き上がる。こんなにも朝というのは重々しいモノだっただろうか。いつもは早起きは得意な方だし、実は士郎よりもショートスリーパーな体質だったりするんだけども。
ここは.....自室か。どうも瞼が重たく、頭が冴えない。まるで強力な懐中電灯で眼を照らされているかのように、何度もまばたきをしてしまう。それに、どれだけ寝汗をかいたのか。身体中が、油でも被ったかのようにギトギトする。
「ん.....あれっ」
俺の布団で、誰かが寝ている。成程、いくら冬場でも誰かとくっついて寝れば汗もかく。しかし、一体誰なのだろうか。もう一度辺りを見回すが、やはり俺の部屋だ。勝手に入ってきて布団にまで潜り込むような人間が、この屋敷にいただろうか?
布団の上から、ゆさゆさと中にいる人を揺さぶる。応答はない。それに、人にしてはソレは軽すぎる感触だ。少し揺さぶっただけで、中にあるソレはゴロリと一回転。そのまま転がって、布団の外に飛び出ていった。
────理解できないモノが、目に映る。
「..........は?」
それは、人間のパーツだった。その切断面は綺麗なもので、まるでギロチンで斬り落とされたかのように直線になっている。そこから外気に触れてデロリと肉が零れ、中からドクドクと血が溢れ出している。
布団の中に視線をやる。
そこには、何年も見続けて、会い続けて、見慣れた筈の
紫色の、髪の毛の束が、
「あ、ああ、あは、ぁあ、はぁ.....」
口から嗚咽が漏れる。脳が理解を拒む。
そうだ。こんな事は有り得ない。有っていい筈がない。
有ったとしても、俺のせいじゃない。俺がやる筈がない。
自分をギリギリで保ちながら、廊下を出る。
これ以上、この空間にはいられない。
ここにいたら、もう駄目になる。
こんな現実を直視してしまえば、俺はもう。
「.......ああ、ぁ、あぁ?」
あれは、俺か?
まるで、合わせ鏡で自分の背中を見ているようだ。
俺と全く同じ後姿をした男が、廊下にいる。
両手を真っ赤なナニカで濡らし、散歩でもするように地獄を歩いている。
止めなきゃ、と自然に思う。
理屈も理論も抜きにして、すとんとそう思う。
走って、ヤツの足跡を辿って追っかける。
それでも、全く追いつく気配が無い。
後ろから重力にでも引っ張られるかのように、全く前に進まない。
「.......あぁぁぁ!!」
「やっほー、悠仁!どうしたの?」
緊張感に見合わない声が廊下に響く。
藤ねえの声だ。藤ねえが、前から近づいてきている。
ダメだ、逃げろ、と口にしようにも、喉が動かない。
まるで毒蛇に嚙まれたかのように、声帯が麻痺している。
必死にもがくが、それも無駄だ。藤ねえは俺を見ていない。
目の前にいるアイツを、俺だと勘違いして。
藤ねえは無防備に、いつもの笑顔を絶やすことなく近づいてくる。
「.....止せ、やめろ、やめてくれ」
「そんな怖い顔してどうしたの?全然似合ってないよ?」
藤ねえが、アイツの顔を覗き込む。
それと同時に、後ろから分かるくらいにアイツの顔が歪んだ。
笑ってやがる。口角を上げて、アイツはこの上なく笑ってやがる。
「────────ケヒッ」
「止まれ、とまれよ、とまって、止まれって言ってんだろ!!」
瞬間。藤ねえは、藤ねえじゃなくなった。
何も見えていない。何も見たくなどない。
視線を下げれど、廊下は朱墨汁を水道で流したように赤く染まっていく。
視線を上げると、天井に肉の欠片がへばりついてるのが見える。
どれだけ見たくなくても、どの方向にも藤ねえがいる。
いや、違う。これは藤ねえじゃない。
もう
ああ、合点がいった。
これのせいで、きっと
壊れそうな意識を保ちながら、ヤツを追いかける。
フラフラとした足取りで、楽し気に街を行くヤツを見据えて歩く。
復讐心も義心も空っぽで、自分でも何がしたいのか分からない。
アイツを殺す理由が、喪失感に覆い尽くされて行方不明になっている。
「......あ、あ」
校門を跨ぎ、校庭の中に入っていく。
ここは良く知るところだ。二年間も通ったんだから。
しかし、いつもとは違う。いつもはこんなんじゃない。
ゴウゴウと炎が壁面を這い、いつかのような景色が目に映る。
まるで巨大なキャンプファイヤーだ。
燃え上がる学校は、まるで炎で出来た壁のよう。
日常の象徴が、いとも容易く崩れ、焼けていく。
黒煙も出さず不可解に燃えるソレは、もはや一種の芸術だった。
人間の本能を恐怖させる無機物は、これ以上に存在しえないだろう。
「────はは、は」
いつの間にか、俺は笑っていた。
そうだ、笑わなければやっていられない。
こんなのが、現実であるはずがない。
必死に笑いながら、拳を振り上げてアイツの背を追った。
「あは、あひっ、あは、あははっ」
そうだ。ここまでされて壊れないはずがない。
こんな事があって、壊れていない方がおかしいのだ。
まだマトモでいるなんて、イカれている。
正気のまま狂気的に、殺意に牽引されるように走る。
死ね、とも殺してやる、とも声にならない。
もう、それを伝えてやれるほどの心の余裕が無い。
ただ、心の中に思ったことだけが、口を突いて出る。
「オマエは、何なんだ」
「────────」
「答えろ、オマエは。お前は、何なんだ!!!」
絶叫する。両目は見開かれ、今にも眼球が零れそうだ。
あんまりにも声を出したので、腹の底から身体が震える。
ここまでやって、初めて声が届いたのか。
俺の目の前のヤツは、ようやく俺の方を向いた。
「────────」
「────────」
息を飲んだ。それは、どうしようもなく俺だった。
同じ後姿なら、前だって同じ筈だ。それは予想できた事だった。
虎杖悠仁と全く同じ部品で、ソイツの身体は作られている事など。
そこまではいい。そこまでは想定内なのだ。
だが顔が違う。まるで、全然違う。
頬骨と顎を通ったソレは、入れ墨なのか、それとも呪印なのか。
眼の下には小さな複眼が有り、まるで新種の昆虫のよう。
そして何より、俺とヤツの差を決定づけていたのは。
アイツは、この状況の中でも、
演劇でも見ているかのような、下種な笑いを浮かべている事だった。
「────────ケヒッ」
乾いた嘲笑が、ヤツの口から漏れる。
ヤツの方から、俺の方へと歩いてくる。
塩をかけられた蛭でも眺めるような、汚物を見る目を携えて。
そして、
俺の拳が届くようになった寸前に、
「──────
理解できない事を、口にしていた。
「すく、な────?」
「オマエがいるから、人が死ぬんだよ」
脳が処理の限界を迎える。
ヒューズが落ちたかのように意識も消し飛ぶ。
最後に見た光景は、
あの日のように焼けていく空と、それを嗤う俺の顔で────
「...........虎杖君」
遠坂の声だ。
身体の自由が戻る。どうやら、長い夢を見ていたらしい。いや、現実世界じゃそう長くはない。目を開けると、そこが遠坂の部屋だってのが分かった。きっと前に意識を失った時から、数分も経っていないのだろう。
敷かれたばかりの、ふかふかとしたカーペットの上で俺は倒れている。まるで、神に許しを請う罪人のように。処刑台に手と頭を固定された、中世の死刑囚のように。無防備な姿を、遠坂に見せている。
そして、神の宣告のように。上から声が投げられた。
「今のあなたは、どっち?」
「.....とお、さか?」
ああ、そうか。遠坂は気づいていたんだ。
俺の中にサーヴァントがいて、聖杯戦争から降りられない事を。元々俺は相容れる筈のない、彼女の敵だという事を。そして今、そのサーヴァントを抑えられなくなってるのを見られた。
今まではお情けで組んでくれてたのに、それを台無しにしたんだ。
「.....
だから、俺は用済み。明確に敵になったのだから。
赤い魔力の矢が、俺の額の上に固定される。
ダメだ、頭は再生できない。魔力は腹で練るが、再生の設計図は脳に有る。
そこを一撃で壊されたのなら、いくらなんでも即死は免れない。
「.....答えなさい。貴方は、誰?」
これは、きっと介錯だ。
のらりくらりと生きていた俺への、送り火なのだ。
だから、選ばなくてはいけない。
ここで死んで、楽になるか。
自分の中の存在に対峙し、現実を生きていくか。
生きるからには、責任を果たさなければならない。
俺は、罪人だ。幸せを求めてはいけない。
俺は、恨まれるべき存在だ。でも恨む人はもういない。
だから、俺は俺を恨まなければならない。
それを、俺はどこまで突き通せるのだろう。
俺は────────
やっと地獄の波が乗ってきた。
俺は────
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化け物だ
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罪人だ