ベルセルクのルカさん 作:あとば
「……負けた、か」
アリスは、どこか物憂げな表情で呟いた。
秘宝の洞窟の中でも、ひときわ大きな広間。もはや必然的に始まった、ルカと七尾の戦いの決着が、たった今ついたのだ。
勝ったのは──七尾だった。
決まり手は魔眼だ。卑怯、ではない。普通にルカが油断しただけ。七尾の魔眼には避ける猶予があった。魔術系は苦手なのだろう。
なのに、避けられなかった。野営で気をつけろと言ったのに。
(……ドアホめ)
ルカは敗けてしまった。もう手は出せない。ルカをどうするかは七尾次第なのだ。魔物は力が全ての世界だから。
(それでも奪いに行くことは……いや、許されんな)
魔王として、一人の人間に固執することは許されない。自由な魔物であったらできたかもしれない。だがアリスは魔王だ。魔王という立場が、自分のものでもない男に固執することを認可しないのだ。
そう納得するが、アリスは虚しくなった。
(……余が、あの男に期待していたからだろうな)
七尾がどうするかなんてわかりきっている。魔物にとっての男は、基本的に例外なく性の対象だ。
七尾がうつ伏せに倒れ伏す、ルカに手を伸ばす──
「……!」
「あ、が……」
何が起こったのか。アリスにも一瞬、わからなかった。
ルカが、瞬時に目覚めて七尾を攻撃した。
「……」
既に立ち上がり、そして無感情に、呆然と七尾を見ている。
「な、なぜ……! 眠っているはず……」
そうだ。ルカは睡眠の魔眼を受けて眠った。あれの耐性はないはずだ。魔眼は使用者によって威力が変動するが、七尾は妖魔の中でも上位の強さ。一瞬で深い眠りに落ちたはずだ。
ルカは問いに答えない。呆然自失に、七尾を見ている。そのまま動かない──いや。
「!?」
自身の顔面に思い切り、拳を叩きつけた。
七尾が冷や汗を垂らして驚いている。ここまで来ると、アリスにも全くわからない。ルカは何をしようとしているのだろう。
鼻血がだらだらと垂れて、ルカはようやく目が覚めたといった感じだった。辺りを見渡して、納得した様子を見せた。
瞬きを繰り返し、眼の焦点を合わせたのか、七尾とルカは再び向き合う。
「──」
「──!」
そしてぼそりと、ルカが呟いた。おそらくその声を耳にしたのは七尾だけだっただろう。何を言ったかアリスにも聞こえなかった。
それを皮切りに再び戦闘が始まる。しかし戦闘の様相は、先ほどとはまるで異なっていた。
「くっ──がっ……!」
「どうした。得意の陰陽術は使わないのか? 無駄に大きな肢体は何をさぼっている?」
圧倒的に、七尾が劣勢だった。
木刀。死なせぬための武器だった。“斬れぬ剣“という矛盾を抱えていたはずだ。
だが今、ルカは斬っている。
木刀で、七尾の肌を切り裂いている。ルカの攻撃は、七尾の体を赤く染めている。
ルカが七尾の脛をしたたかに打った。苦悶の声を上げる七尾へ、さらなる追撃を加えようと、ルカは大きな“溜め“を作る。
それは真っ当な剣技とは思えない、乱撃の型だ。アリスはそこで確信した。
(明らかに、さっきまでの動きと……)
「“九重の羅刹“」
──違い過ぎる。
九連撃を受けた七尾は白目を剥く。決着の刻は近いだろう。だがまだ、七尾の眼から闘志の炎は消えていない。
アリスは記憶を辿りながら考える。
(何なのだその技は……これまで使っていないはずだ。急造? それにしては完成されている……)
本当にわからない。
睡眠の魔眼がきっかけだと思うが、自身がイリアスベルクで使ったときにはこうならなかった。どういう理屈の覚醒かまるで見当がつかない。
ルカがまた攻めを業火のように苛烈にする。反撃を一切させないような、密度の高い連撃。並みの戦士ならば反撃など不可能だ。
しかし七尾も百戦錬磨。押されたら押し返す。負けん気は有り余る。冷静な面を貼り付けたその下には、獣としての本性が鋭利な牙を剥いている。
「くっ……! 調子に──」
七尾が尻尾で剣戟を弾いた。弾力のある尻尾全てを総動員して受けたのだ。次の攻撃が来る前に七尾は飛び上がる。
「乗るな! 人間!」
反撃。七尾が宙で前転し、踵で思い切りルカの額を蹴りつける。
衝撃波が起こった。大地の力が込められた、鉄をも砕く渾身のかかと落としだった。それが脳天めがけてぶつかったのだ。
ルカの足元が砕けた。どろりと額から血が流れる。
明らかに致死の攻撃だった。先ほどまでのルカなら、確実に死んでいただろう。
だがルカは、何事もなかったかのように顔を上げる。
(本当に……何があった?)
「その程度か?」
そして、笑っていた。
仕返しのように木刀を横薙ぎし、七尾の頭の側面を打った。七尾の眼が白黒する。
ルカの眼は、狂気的に青く輝いていた。
*
一体、何が起こっているというのか──。
七尾は、相対するこの男を先刻まで侮っていた。
最初、戦いが始まる前。降参の打診をしたのは、逃亡を許容したためだ。妖狐を救ってもらったようだし、男を狩る目的でここに来ていない。目的はあくまで海神の鈴。男が逃げ出したなら見逃すつもりだった。
生殺与奪の権を自分が握っていると思ったからこその打診だった。
戦いが始まっても、七尾の中には“まあ勝てるだろう”という安心があった。
所詮は人間。膂力は魔物に大きく劣る。
加えて、陰陽術は初見。対処されるはずがないと思ってしまった。そんな油断も、七尾の反省点だ。自分に勝てるはずないと思って、結果追い詰められた。
だから最終手段の、魔眼を使った。生物としての生き残りをかけた戦いには勝利しただろう。でも戦士としては負けていたのだ。
しかし、勝ちは勝ち。敗北者の男を凌辱するため、拘束して住居に持ち帰ろうとした。狩りで来た訳ではないが、上玉の男を見逃すほど堅物ではなかった。
(だというのに……!)
「あ、ぐ、うっ……!」
ルカは次々に追撃を加えていく。木刀で七尾の顔を薙ぎ、腕を砕き、容赦なく切り裂く。青あざと鮮血が七尾の体には混在していた。
振り終えた木刀の残身。体の動き。終えた攻撃の次を既に宙で作り上げている。矢継ぎ早の連撃は、止まる気配を知らない。
『重荷は、捨て去ったから、覚悟しろ』
ああ、だから──そんなに軽々としているのか。
さっき囁かれた忠告。その意味を七尾は理解した。
七尾の戦意は喪失しかけている。しかし相手が、ルカが倒れることを許さなかった。膝をつこうとしても顎を蹴られ、無理やりに立たされる。倒れそうになっても逆方向へ攻撃されて、重心が戻される。激痛も気つけになっていた。
冷酷。この男は、冷酷そのものだ。
気絶は許されない。七尾はふらふらと、何とか立っている。足が四本、四足歩行であるためか、倒れづらかった。
「くっ……はぁ……はぁ……」
「そう。それでいい。戦うんだ」
酷薄な笑みを浮かべたルカがそう言う。七尾はそれを聞いて歯をぎりっと噛み締めた。すぐに構える──しかし追撃されない。ルカは自身と距離を取った。
「最大火力を、ぶっ放せ」
そう言って、ルカは構えを基本的な正眼から、異様なものに変形させた。
体を捻り、半身になる。そして切っ先を地につけた。杖のように見えるが、体重は一切乗せていない。
何より異なのは、持ち手が逆手であることだ。何をするかわからない、不可思議な構えだった。そもそも構えといえるのだろうか?
だがあの持ち手で、強く打てるはずもない。
(……最後の、攻防だ)
七尾は直感した。
陰陽術は使えない。札もないから威力は十全でない。そんなものを使ったとしても対処されるのは目に見えている。もっとも手数の多い狐嵐を容易く対処されたのだ。
ならば、陰陽術が駄目ならば自身が最も秀でるもので勝負するしかない。ライバルである八尾よりも勝ると断言できる──自身の身体能力。
速度と、力で押しつぶす。
「……人間」
ざわざわと尻尾が揺らめいた。髪が逆立つ。歯をぎしりと噛み締める。
四本の脚に、思い切り力を加える。人間よりも明確に優れる脚力を、全力で解放する。
照準は、敵のど真ん中。杖のように構える木刀も、それを持つ腕も、さらに奥の腹も、全て打ち抜く弾丸と化して、ひたすらに体当たりする。
「これが、私の最大です──」
──爆発的解放。
踏み込んだ足元が砕け散る。表面の土が背後の壁にべしゃりと張り付く。石礫が蹴り出されて壁に突き刺さる。粉塵が七尾の足元で舞う。
つまるところは体当たり。だがそれだけ、ただそれだけ、たかがそれだけが──今日の七尾の最大火力。
四足獣の全力の突進は人間の全力疾走より遥かに速い。加えて七尾は狐族の上位三番目である。人間からすれば消えたと同時に突進されたと変わらないような、理解を外れた速度になる。
何よりも七尾の渾身。油断は消え、過ちを認め、冷徹に敵を仕留める獣の、最後の歯牙。人間に対処できるはずがない。
直撃の寸前、七尾は思った。
──今度は、あなたが私を舐めたな。
今にも当たる。ただのぶち当たり。ルカはまだ異の構えを解かない。
そして、木刀が七尾に触れた瞬間──両者の位置が、入れ替わった。
「……」
七尾の憶測は正しい。尋常の人間がこれを喰らえばミンチになって死ぬ。
だが、ルカは尋常の人間ではなかった。
「“
外套がはらりと背中に戻った。上へ向いていた尻尾がくたりと垂れた。
慣性がなくなって、七尾は静止した。
互いに、後目で見合う。しかし表情はまるで異なった。
「馬鹿な……」
噴き出した鮮血が、七尾の顔を濡らした。
ルカは──七尾の突進を一太刀で切り裂いた。
異様な構えから繰り出されたのは、理外の斬撃だった。七尾の突進に合わせて、置くように斬った。右わき腹から左の鎖骨まで、赤い亀裂が走っている。
七尾は体が崩れ落ちる間、積み上げて来た経験が崩壊する音を聞いた。この人間に何ができるのか、まるでわからなくなった。自分の常識がまるで通用しない。
切り上げられ宙へ上がっていた、半月状の血が地面へびしゃりと打ち付けられる。
七尾は、すでに倒れ伏していた。
「……七尾。生きているか?」
ゆらりと歩きながら、ルカは近づく。手には血に染まった木刀を持っている。
ぴくりと七尾が虫のように動いた。
「……ああ、よし。良かったよ」
見下し、ルカは安堵の表情を浮かべた。
「始まりは、丁寧にやりたかった」
すっと、木刀を上げる。右手は柄を。左手は添えるように柄の背面を。
木刀を、その切っ先を、七尾の喉に向け合わせた。
喉を潰せば、魔物がいくら頑丈であっても死ぬだろう。ルカはそう考えていた。だからつまりは──殺す気。
「じゃあな」
そのまま、切っ先を、微塵の躊躇もなしに突き落とす──。
鈍い音がなった。
「……!」
ルカは驚愕した。七尾を殺したから──ではない。
直前に飛び込んで来た、影が、あったのだ。
「……うっ」
「────おまえ」
妖狐。二尾。戦いをずっと見ていたのだ。
七尾をかばって、覆いかぶさった。
突きを受けた肩からは血液が流れた。苦悶の表情を浮かべている。
妖狐はルカを仰ぎ見た。表情に敵意はない。慄きだけがあった。
そして、恐る恐る、口を開いた。
「やめてください……お願いします」
涙が目じりに浮いていた。
「大事な人なの……死んで欲しくない、人なの……」
口元は震えていた。
「甘いこといってるって、わかってるけど……お願い、します」
頭を、下げた。首を垂れた。
「殺さないで……」
消え入るような、淡い声だった。
「……」
ルカは──
*
心の臓の鼓動が、どくんと、まるで自分の心臓じゃないみたいに、高鳴っている。
今日、散々食らった攻撃の中、何よりも重たい、激痛。
今すぐにでも正当化しなければ、死ぬと、思った。
──いや冷静になればあの妖狐が間違ってるなんてわかってる。ガキのお遊びじゃないんだ、殺し殺されるなんて想定されるべきで、大切な人を失うことなんて想定しておくべきで、でも、あいつは子どもだ、だから、そんなのむごいって、思う、思ってしまう。
俺は別に間違ってなんかないはずだ、敵を殺そうとするなんて、戦いの場だ。当たり前だ。
全部捨てたのだろう、重荷は。しがらみは。制約なんて何もない。軽くなった、はずだろう。
殺すことが正常ではできない。だから冷酷になる。冷酷になって、殺せば今よりもっとつらくなれると、信じたはずだろう。
なのに、なんで、なんであんな妖狐の顔を見ただけで──。
『お父さんっ……』
あれを、思い出すんだ。
何故だ? わからない。どうしてだ。
何が正しい。何が間違いだ。確かに強くなっただろう。捨てることは、俺の強さに直結するはずだ。この道は、この道だけは、間違っていたなんて、言わせない。
だってそうだろう。イリアスへの信仰を捨てた──あの瞬間に、俺は強さを得たんだ。
でも。
「……もう、わからないな」
笑った。
殺すべきだって、わかるのに。目的のために、償いのために、行わなければ駄目なのに。
それでも、妖狐を蹴り飛ばして、無理やりに七尾へとどめをさすなんて……できない。
「……あ、そうか」
捨てるべきものを、その順序を、間違えたんだな。
“これ“を捨てるにはまだ、早かっただけだ。そう、最初のうちからラスボスに挑むなんて馬鹿らしいだろう?
まずは何でもない奴から、捨てよう。段階を踏んで、最後には、俺が絶対に捨てなければならないものを、捨てるんだ。そしたら冷酷になれる。なる。求めてるものに、なれる。
じゃあ何を捨てようか。
一瞬で、答えは出た。
“あいつ“だ。
俺の甘さの、最たるもの。そもそも気づいているのに、見て見ぬふりをした時点で、おかしいんだ。あいつは今すぐにでも切除すべき癌だった。
「……ふう」
ため息をついた。肺にたまった空気を吐き出した。やっと落ち着いてきたのだ。
辺りを見回す。目線が低い。いつの間にか尻もちをついていた。情けない姿だ。まあでも、木刀は手放していない。よくやってる方か。
立ち上がった。頭がずきりと痛んだ。七尾のかかと落としはさすがに死ぬと思ったな。だが耐久力もある程度向上しているようだ。やはり捨てるのは正しい。変な技もいくつか頭に浮かんでいるのだ。今後使って行こう、妙に馴染むし。
歩き出す。瞑想での回復は後だ。適当に放り投げてあった荷物を拾い上げる。そして、小部屋の出口へと向かう。
「……っ」
妖狐が俺を見る。その顔には恐れがあった。
でも、恐れ慄く妖狐──されど七尾を守り続ける。
そんな健気な強さの横を、俺は通り過ぎた。
「ごめんな」
「えっ……」
すれ違い様、それだけ、口から漏れ出た。
そんな迷い事を言い残して、小部屋から出た。また左右に道が分かれている。
今の、最後の言葉は、なんだったのか。罪悪感という何の肥やしにもならない、くだらない感情だろうか? 行動が伴わなければ、何の意味もないというのに。
「……ああ、そうだ、指輪……」
布でくるんで鞄に入れた。ちゃんとある。七尾戦の前に外していた。変わりはないはずだが、念のため確認を──!
「……なんだよ、嫌みかよ」
バッグから取り出して、中身を確認した。外して、布で丁寧にくるんだはずの、形見の指輪。壊れたら嫌だから、外しておいたのに。
その指輪のヒビは、なぜだろう。
いっそう、ひどくなっていた。
*
ルカは壁にもたれて、虚空を見つめていた。
既に傷を治し終わったようだ。瞑想による治癒は戦闘中使えないが、戦闘が終われば使える。残すのは乾いた血の跡のみだ。
でもまだルカは座っている。休憩ではないのだろう。何かを、待っているのかもしれない。
ひたすらにぼうっと、数メートル向こうの、反対の壁を眺めている。
すると何かを引きずるような音が近づいて来た。しかしルカは無視をして、目線は変わらない。
「ルカ……貴様……」
アリスだった。
怒気を全く隠さずに、闇から姿を現した。
「……なぜだ? なぜ、殺そうとした?」
ルカは黙る。何も答えない。アリスを一瞥すらしない。座り込んで、虚空を見つめるばかりだ。しかし木刀を持っている。いつでも手放さないものだった。
「貴様は……人を殺したことを悔いていたのだろう。殺したくないといっていたはずだ」
アリスはルカに迫った。距離はルカの間合いに入る。
「答えろ、ルカ……! なぜ──」
音は、なかった。
それほどに速く、ルカは木刀を振っていた。
「──っっ!」
ぽたりと、赤が地面に染みた。
アリスの鼻筋には──筆で線を入れたような、傷が横に刻まれていた。
アリスでさえ、避けれなかった。そして何よりダメージが通った。
「消えろ」
ルカは、ゆらりと立ち上がった。
アリスは手を傷口に当て、言葉をいくつか呟いた。魔術的な措置を施して血を止めたのだろう。そして冷静を取り繕った顔で、ルカに問う。
「……理由が、わからない」
「……それが必要か? その傷、残るだろう」
びっ、と切っ先についた血を飛ばしながら、ルカは木刀をアリスへ向けた。示す先にはアリスの鼻筋、傷跡がある。
「それでも、余は寛大だから許してやる──百回は殴った後に」
アリスは拳を作った。
魔王として、本気でルカを殴るつもりだ。既に両の拳には黒より黒い闇が宿っている。その闇が作り出す重さに、砕けないものはないだろう。
「もう一度いうぞ。消えろ、今すぐ」
しかしルカは戦う気がないのか、剣を構えることはしない。
「だから、何故──」
「俺はお前のことが嫌いだ」
理由なんて、それ以外いらないだろう。
ルカはそう続けた。
「……!」
怒りと悲しみが半々だった。
(もういい、とりあえず殴る。そして魔法で氷漬けにでもすればいつものルカに戻るだろう。多分戦闘後で気が妙に立っているのだ)
アリスは自分に言い聞かせ、拳を作った──しかしルカに戦う意志はないのか、木刀を構えていない。
「ああ待てよ。もう少しだけ、話をしよう。戦いならばこの先否が応でもする羽目になる」
だからこれが最後の問答かもな、とルカはどこか寂しげに言った。
「……なら、問う。なんでいきなり余を拒絶するのだ」
アリスは拳を一度下ろした。少しだけ冷静になった。
「そうだな……冷酷であるため、だ」
──冷酷。たびたび、ルカが口にしていた。目標のような姿、だろうか。
「……貴様は、ふざけているのか?」
アリスは当然それに疑念を抱いた。ルカの態度は全く冷酷ではない。むしろ真逆だ。冷酷な者は善意では誰も助けないし、敵対する者を容赦なく殺すだろう。
「お前は……気づいていたな。確かに俺は冷酷じゃなかったよ。なり切れなかったんだ」
「だから、余を拒絶して、それになるというのか? なんのために?」
「強くあるため。重荷は全部、捨てないといけないからな」
アリスにはルカの言い分が理解できない。
冷酷であることが、捨てることが、なぜ強さにつながるのか。いやそれよりも──。
「だから余も捨てると──何様のつもりだ!」
自身を物扱いするルカが気に食わない。
「何様でもないさ。ただのルカ。いつだって変わらない」
口調を荒げたアリスとは対照的だった。ルカは落ち着いた物言いだった。
何となくアリスは察する。ルカは、もう覚悟を決めてしまったのではないかと。
感覚的なものだが、熱を持つ覚悟ではない。冷めた覚悟をルカから感じる。熱を持った覚悟は焼き入れ直後の鉄のように変わりやすい──でも冷めた覚悟は、冷えた鉄のように固い。
アリスもルカの冷たさに当てられ、少しだけ冷静になった。少しずつ質問する。
「……冷酷になって、どうするのだ」
ルカは間髪入れずに答えた。
「敵を殺す。七尾は殺しそびれたが……まあ、段階を踏まないとな」
アリスは。
「貴様が……殺すのか?」
ぐらりと、脳が揺れる感覚を覚えた。
「そうだ。目的もそれだし……ある程度は、慣れる必要がある」
ルカが返事した。だがアリスはそれを
(ルカが殺す? 何故だ。この男は殺しを嫌悪していたはずだ)
ルカのイメージと違う。自分が観察して、確かにこういう人間なのだと思ったルカは、殺人を悔いていたはずだ。それに目の前で死なれるのはごめんだと──。
「違う。貴様にそんなことできない、できるはずない。貴様は……」
認めたくなかった。
七尾へ向けた殺意が、突発的な殺しの衝動ではなかったということ、勢いの産物ではなかったということを、認識したくないと思った。
「アリス」
心中を見透かしたようにルカは、微笑んでから口を開いた。
「お前の理想を、俺に押し付けるな」
「……!!」
ルカが微笑みを見せた──それよりも、嫌な言葉。冷たい言葉。痛い言葉。
理想の、押し付け。
アリスは自身のルカに向けている感情が、そうなっていることを否定できなかった。
どころか図星だった。これまで、出会ってから今日までで知ったルカという人間は、アリスの”目的”にとって、相当に合致する人間だった。
しかし理想の押し付け──無理に理想に当てはめようとしていた? こうあって欲しいが、先行していた?
(実際の、本当のルカを、余は見ようとしていたのか……? 事あるごとに、都合の良い人間だと思って、良い様に解釈していなかったか……?)
アリスは閉口している。何も言えない。
「……最後に、告げるよ」
ルカは、アリスの返答がいつまで待っても帰って来ないことを察したのか、続けて言葉を紡いだ。
「俺の目的。知りたいんだろう。餞別ってやつだ。くれてやる」
旅を思い返すように、ルカは目を閉じた。
「俺はお前に、義理を感じていた」
本音か冗談か、ルカ自身にもわからなかった。
だがこれまで関わって来た他者の中で、アリスは屈指にルカの中に入り込んだ者だった。ルカを知ろうとした者だった。ルカもそれは認めていた。
「俺の目的は──」
アリスは、慌てて何とか止めようと口を動かす。知りたかったことでも、それは今ではなかった。それに知ったら取り返しがつかなくなる気がした。だから言葉を──
「待て……! 余は──」
「魔王を、殺すことだ」
ぶつりと、何かが切れた音がした。
「それが俺の、この旅における目標だ」
音のない洞窟で、アリスは耳鳴りを起こした。ぐらぐらと視界が揺れる。
「なあ──魔王。だから、今すぐ消えろ」
──殺害対象と旅をするなんて、ふざけた話だから。
(……いつから、気づいていたのだろう──いや、それはどうでもいい)
ルカの目的。魔王殺し。
(考えてみれば、納得がいく。全てが、つながる)
アリスは、ルカの目的はイリアスを倒すことと予想した。しかしそれは抽象的が過ぎる。どうやってイリアスを倒すのか、道筋に全く光は差さない。
(でも魔王を殺すことならば、どうだ)
イリアスを倒すという目的よりも、ずっとずっと成功する確率は上がる。だってイリアスは魔王である自身でさえ敵わないと悟った敵なのだ。
加えて人間は、魔王を殺す物語を童話とするくらいだ。多くの人間がそれを目的とする勇者を目指すくらい、ありふれた目標なのだ。
それに初めからルカは言っていた。
魔物は敵だ、と。
それに今日も。四天王と戦うのは遅いか早いかの違いでしかないと言っていた。
まるで戦うことが確定しているような口ぶり。それも、因縁のあるグランベリアに対してではなく、何の関わりもないたまもに対する言葉。
納得するだけの材料は、揃っている。
黙る、沈黙を続けるアリスに向けて、ルカは最後に言い放った。
「俺はお前といるのが、ずっと嫌だったよ。魔王」
断絶。
つながりが、断ち切れた。最早アリスの言葉は届かない。アリスと呼ぶことさえしない。
ルカは踵を返した。背を向けて歩いて行く。奥へ向かうつもりだ。海神の鈴を取りに行くのだ。
何か言葉をかけるべきかと口が勝手に開く。でも水槽の魚のように、開いて、閉じてを繰り返すばかりだ。冷や汗が頬を伝った。体が焦燥で沸騰するのを感じた。
手を伸ばして引き留めようとするが、動かない。
頭が真っ白で、言いたいこと、言わねばならないことは多々あるのに、口から何も出てこない。
「……ルカ」
やっと、ルカが過ぎ去った後に、口だけが動いた。
この時アリスが感じたのは、怒りでも悲しみでも虚しさでもない。
終始あったのは『どうして?』という疑問だった。
*
アリスと離別した。
しかし、特に何の感慨もない。イリアスベルクに着く前に別れた時は歓喜したが、今は、何も感じなかった。
ふと振り返った。追って来ない。ならばもういい。次会う時は、決戦の時だ。
罠が壊されている部屋を何個か通り抜け、毛色の違う扉がある部屋にたどり着いた。
大きい扉だ。施錠はされていないが、どうせここが宝物庫だろう。さっさと目的のものを回収するか。まあどうせ先に行った何者かがいるだろうが。
ため息をついて宝物庫を開けようと手をかけた途端、扉が音を立てて開き始めた。
後退すると、ひょこりと、中から一匹の妖狐が出て来る。
「……お前が、たまもか……」
出て来たのは、さっきの妖狐とほとんど変わらない大きさの妖狐だった。しかし決定的に違う部分がある。
「……? そうじゃが、お主は……?」
尻尾が、九本ある。つまるところこいつは、全ての妖狐の中で最も強い存在な訳だ。果たして七尾にも苦戦する俺が、勝てるかどうか──。
たまもは怪訝な表情で、俺を見る。
「とりあえず、聞くとしよう。お主、魔王様──アリス様と旅をしておったそうじゃが……その当人は?」
たまもは眉間にしわを寄せて言った。
質問されたが、知らない。どうでもいい。それよりもこいつが俺とアリスの関係を知っていることに驚く。
「さあ。魔王城にでも帰ったんじゃないか?」
適当な憶測をぶつけて、問答は終わる。たまもから放たれる気配が、それを告げていた。
「お主……」
たまもは、扇で口元を隠し、俺を睨んだ。
「問答は終わりだ。海神の鈴。お前が持ってるんだろ?」
切っ先を向けて、背の低いたまもを見下しながら言った。
「
たまもの気配はグランベリアのそれと大差がない。やはり四天王クラスの敵のようだ。
全く、今日だけで何回死を覚悟しなければならないのか。旅に出てまだそう月日は経っていないというのに、強敵と邂逅し過ぎじゃないだろうか?
「置いていくか──それとも戦うか。どっちでも構わない」
ああ嬉しいね、最高だ。イリアスヴィルにいた頃よりも、ずっとやりがいがある。
「……何をそんなに生き急いでおるのか……まあ、良い」
たまもの放つ重々しい気配が、いっそう強くなる。殺気の重みだけで言えばグランベリアよりも上だ。
「──死にたいならば、殺してやろう。”四天王”たまもとして、な」
確かな実力に裏付けされた──いや、殺してきた数によるものか、この殺気の重みはミカエラさん並だ。
「はは……」
でも、笑う。そんな殺気を前にしても、俺は何の恐怖も抱いていない。
(同格、だからだ)
もちろん経験も、実力も、殺気も、全て俺が劣っている。それでも俺とたまもは、同格だった。
理由など知らない。論理も糞もない。全てが劣っている癖に同格だと、俺が勝手に思っている──いや、この戦いで同格に”なれる”と、確信しているのだ。
それだけだ。何の根拠もない自信。それさえあれば、俺は戦える──勝てる。
「……? ……ふむ」
たまもは目を細めて、俺をまじまじ見たかと思うと──。
「うむ。やっぱり戦いはやめじゃ。七尾たちが心配じゃし」
「──は?」
たまもは扇をぱちんとたたむ。纏っていた剣呑な気配は薄れ、ぱっと顔が明るくなる。
「そう憤るな、若いの。わかっておる……ほれ、鈴じゃ。持っていけ。魔王様の見聞を広めてもらった、礼とでも思ってくれればよい」
放り投げられた鈴ががしゃんと鳴って、地面に転がる。俺は唖然として、それを見た。確かに、海神の鈴のようだ。本物だ。力を持った遺物の気配がある。
「……ああ、最後に一ついっておこう」
たまもは転移魔法を唱えたのか、体が消えかけている。そこでようやく今の状況に気づいた──逃げられる。
慌てて木刀で突きを放つが──
「ふざけるなッ! 待て、逃げるな!」
「お主、そのままいくと、必ず後悔することになるぞ──では、さらばじゃ」
肉を貫く手ごたえはない。空気を裂いて、勢いのまま突き出された木刀が扉に突き刺さっただけだった。
「……」
相手に、されなかった。
数秒放心して、その事実を、認識する。
今戻って七尾たちの元に向かえば──駄目だ。転移の魔法がある。すぐに回収して、魔王城にでも戻っただろう。追いつけない──くそっ。
「────ッ!!」
怒号が洞窟に響く。木刀でとりあえず目の前にあった扉を破壊する。何度も攻撃を加える。扉はぐにゃぐにゃに曲がって、機能しなくなった。
暴れまわった衝撃で揺れた鈴の、その小さな音色は、二度目の怒号でかき消された。
*
魔王城。
がらんとした広間に、三人の魔物が転送されてきた。たまもと、ボロボロの七尾に、肩に傷を負った二尾だ。二尾は痛みを和らげるためか、眠らされているようだ。
すぐにたまもが魔法で怪我人を浮かし、医務室へと運ぶ。
ベッドが何台も連なっており、包帯や薬瓶など各種医療器具が多々ある。魔法で治すこともできるが、基本的に自然治癒の方がいい。回復魔法は使い過ぎると体をむしばむ。どうしても戦わなければならない時以外は使わない方がいい。
「……ふう。ひどい傷じゃのう……まったく……」
たまもは背負った七尾をベッドの上に降ろすと、眠る二尾を別のベッドに移す。
とりあえず、両者とも死の危険がない事に、たまもは安堵した。
七尾の怪我は、魔王がルカの元へ向かう前に簡易的な治療を施していたようだった。それがなかったら危なかったかもしれない。
「たまも様……申し訳ございません……」
たまもは七尾の治療を開始する。七尾は痛みのせいか敗北のせいか、顔をゆがめた。
「よい。今は休め」
ぽんぽんと尻尾で七尾を撫でる。七尾は安心したのか、少しだけ苦痛が和らいだように見えた。
「む、そういえば二尾の方は、傷が肩以外にほとんどないの。あの男に攻撃されなかったのか?」
眠る妖狐二尾を見て、たまもは驚きながら言った。
「その……なんといえばいいのか──」
七尾はたまもに説明する。といっても、自分も実際にその状況を見た訳ではない。あくまで想像に過ぎないが──。
「二尾を守ってもらった、じゃと……? 不思議な奴じゃの……」
たまもは目を丸くして驚いた。尤もな疑問だと、七尾は思う。
「……あの男は、急に変わったんです。変わる前も人間にしては強すぎましたが……途中から、悪魔のように強く、冷酷に……」
不思議だった。一体、眠りから覚めるまでのあの一瞬で、何があの男に起こったのか。いずれにせよいい変化ではないだろうと七尾は思う。
「……」
たまもは腕を組んで悩んだ。まさかという疑念は、さっき向き合った時に感じたが……果たして、どうだろうか。
「……とりあえず、そこにいる方に聞くとするかの」
するとたまもは、影が濃く、暗澹たる闇となっていた隅へと体を向けた。
「……」
少しの間が空いて、魔王──アリスが体を出した。闇に紛れていたようだ。七尾は全く気配を感じなかったからか目を見開いた。
魔王アリスは、ひどく不機嫌そうな表情でたまもを睨む。
「……何だ、たまも。余は虫の居所が悪い。その狐たちも目に入れたくない」
「まあまあ……」
ずいぶんと魔王は機嫌が悪そうにしている。あの男から離れる前に何か言われたのかもしれない。一先ずたまもはアリスをなだめた。
「第一聞きたいことなら余の方が先だ。何故ルカと戦わなかった?」
金色の瞳をぎらりと輝かせて、たまもに問うた。
「確かに得体の知れない雰囲気を纏っていた。だが万が一にも負けはないだろう。瞬殺することも容易だったはずだ」
たまもは四天王。比べてルカは、確かに弱くはないが、まだそのレベルではない。勝負の世界で大番狂わせが起こり得るタイミングというのは、ある程度まで実力が近いときだけ。
圧倒的な差がある二者が戦った時、万が一は億が一にもなるし、兆が一にもなる。
納得のいく説明をしてもらおうかと、アリスはたまもを睨みつけた。
「……単純じゃ。一つは七尾たちが心配じゃった。次に──あのまま戦えば、ルカの潜在能力が開花してしまうと思った。あれは強敵との戦いの中で成長する、非常に厄介なタイプじゃからの」
たまもは平然と答えた。
時々いるのだ。こちら側からすれば戦いたくない特徴の敵。戦いの中で成長して強くなってしまう敵。ルカはそのタイプだ。経験上ああいう敵と戦ってもこちらに良いことはない。
「もちろん潜在能力が覚醒したとて、ウチは万が一にも負けん。じゃが一の負けを引き起こす可能性が、あの男にはあった」
たまもはそう言うが、裏の理由がある。
(それに……懐かしい匂いがしたしの。殺戮だけを好んだ異常者──奴に似た雰囲気があった。言動はまだまだかけ離れておるが……)
もう千年も前──いた。決してライバルなどとは呼べないが、同じ絶対的な強者として幾度もしのぎを削りあった、そんな怪物。それと似た匂いがする。
それと完全に同じになれば、いよいよ厄介だ。だから今回は退いた。
「……だが、何もさせずに殺せたはずだ。成長させる前に倒せば──」
「ならなぜ魔王様が、そうしなかった?」
魔王の実力は四天王を上回る。ルカを殺せないはずがない。
「……」
問われたアリスは、何も答えなかった。ただ目を閉じた。
「まあ、そう心配せずとも……次に戦うとしたらアルマエルマじゃ……あやつならうまく肩透かしできるじゃろう」
「それは……まあ、そうだな」
そう思ったからこそ、たまもは海神の鈴を容易く譲ったのだ。
二人はあのクイーンサキュバスのことを思い浮かべた。普通の男にとっては間違いなく天敵のはずだ。
そう──普通の、男ならば。
両者の頭に同じ考えが生じていた。果たしてルカは、普通か?
たまもは、何かよくわからない理由で簡単に対処されないかと、今になって不安になった。
アリスは、もはや不安が確信に変わっていた。絶対にアルマエルマでは止めきれないと思った。
でもそれを少しだけ安堵する自分がいる。それに気づいて、またむすっとした。
アリスは、もうあの男の事は忘れようと努めている。しかし、意に反して傷が疼いて、手で触れた。
「……魔王様、その傷は?」
たまもが今になって気づいた。
鼻筋へ横にぴっと入った、傷。もう治っている。紫がかった青が濃くなっている部分だ。
「……旅で負った。これに関しては、触れるな」
「……」
たまもは察する。あの男に負わされたのだろう。まあ当人が良いというなら、ルカを普通に全殺しにして許してやろう、と思った。
本人も傷を気にしている訳ではないようだ。気にしているのは、ルカと離別したことの方らしい。
「それより、余は疲れたから、少し寝る……おやすみ」
アリスは部屋から出ていった。
やはり結構あの男のことを引きずっている。食欲よりも睡眠欲が勝っているのだ。これはまずいなと、たまもは思った。
「……満漢全席でも作ってやるかの」
たまもは、アリスが子どもの頃から支えている従者だ。こういう時にどうすればいいか知っている。
半日ほど寝た後に、冗談みたいな量を食うのだ。それがないと機嫌がすこぶる悪くなる。
七尾はいつの間にか寝ている。容体は安定しているし、万が一何かあったら二尾が気づくだろうと、たまもはアリスを追うように、部屋から出た。
そして、駆け足で調理場へ向かうのだった。