ベルセルクのルカさん   作:あとば

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第13話『昔々』

 いくつかの野営を経て、ナタリアポートにたどり着いた。セントラ大陸に到着して初めての港町である。

 

 入ってみると、やはり景色に衝撃を受ける。

 イリアスポートとは違い、旅人に溢れて活気のある町。だが特筆すべきはそこではない。もっと珍しいものが多々いる。

 

「……何というか……すごいなあ……」

 

 隣を歩く見習い勇者も同じことを思っているようだ。初めて見る光景すぎて、うまくこの景色を表現できる言葉が見つからないのだろう。

 

「……まあ、な。人魚(マーメイド)がここまで人間と馴染んでるとは思わなかった」

 

 この町は、マーメイドと人間が共存していた。

 それは言い換えれば、魔物と人間が共存しているということ。こんな光景を見るのはハピネス村以来だ。

 

 街並みに彼女たちは溶け込んでいる。道行く人々、住人たちが何も気にしていない。これが常であるということ。

 

 驚きながら歩いていると、路上で何かを売っている人魚が目に入った。

 服がボロボロなのが目につくが、視線を下に動かすともっと衝撃的なものが置いてあった。

 

「ヒトデ……?」

 

 焼いてあるヒトデをじっと見る。図鑑で絵を見た覚えがある。でも食用とは書いてなかった。これを買う物好きは果たしているだろうか。

 

「わあ、美味しそうですね! 買います!」

 

 いた。見習い勇者だ。

 

「え……えっ、買うの!? 物好きもいるのね……」

「売る側のお前がいうのか」

 

 マーメイドの服がボロボロなのは、たぶん商売が全く儲かっていないからだろう。焼きヒトデは相当な数余っている。さすがに魔物差別ではないだろう。売り物を間違えているだけだ。

 

「二つください! ……どうぞ、ルカさん!」

「ああ、うん……」

 

 まあ、一応もらっておこう。何かに使える可能性はある。下剤とか。

 

「……」

 

 見習い勇者は楽しそうに隣を歩いている。並ぶ商店を見てころころと表情を変えていた。鮮魚店を見て目を輝かせ、青物屋を見て顔を濁らせる。また、イリアス信者だと思うが、マーメイドを見ても嫌悪感を抱いているようには見えない。

 

 アリスと違って、自分の中に入って来る感覚はない。質問はうざいが、船上で雑に返事をしたらしゅんとなって聞いてこなくなった。

 

 なんだかんだ無害な奴だ。

 

(しかし……なんだ? この違和感は)

 

 筆舌では語れない、言語化できない、妙な違和感がある。これはアリスの時はなかったものだ。

 

(……どうでもいいか、別に)

 

 アリスと見習い勇者は同じだ。その内遠ざけるだけ。だからこいつが何であろうと、俺には全く関係のない話だ。

 

 町の景色にも見飽きてきて、そろそろ食料を買って、港を出るかと思ったとき、一人のマーメイドが近づいて来た。薄紫の髪に、濃紫の尻尾の人魚だった。

 

「あの、すいません……ちょっとよろしいですか……?」

 

「はい! なんでしょう!」

 

 見習い勇者はすかさず答える。しかし人魚の目線はこちらを向いている。

 

「あの、そちらの方に……」

「あ……すいません!」

 

 どうやら、俺に用があるらしい。頼み事だとしたら、どう考えても見習い勇者の方に頼んだ方がいいと思うが。まあ野蛮なことなら話も変わるか。

 

「その雰囲気からして、ただ者ではないとお見受けしたのですが……一つ頼み事があるのです。どうかお話を聞いていただけないでしょうか……?」

 

 どうしようか、内容と報酬次第だな。そう思った、その瞬間──。

 

 熱波とともに爆音が町に轟いた!

 

「き──うわっ! 爆発!?」

「あの建物は……!?た、たいへん!」

 

「……!」

 

 町の広場にあった建物が、町を揺らす爆発音と共に崩壊した。黒煙が上がっている。一気に煙臭さが漂って来て、鼻を強く刺激した。

 マーメイドは慌てて建物へ向かう。見習い勇者もマーメイドを追って救助しに行った。

 

 俺は、それどころではない。心臓がばくばくと高鳴って、動けなかった。代わりに眼球がぐるぐると群衆の中を探っていた。

 

(まさか──いや、そんなことある訳ない……!)

 

 この広い世界で、ゴルドポートならばまだしも、あいつと偶然遭遇するなど、あり得るのか?

 

「いったいなんだ!?」

 

「あの建物……人魚の学校じゃないの! いったいなんで……!」

 

 人魚の学校──という情報を聞いて、ますます疑念が確信へと変わっていく。

 もしも、もしもあいつの仕業ならば、必ず現場にいるはずだ。あいつは絶対にそうする。

 

 爆心地へ近づいていく。マーメイドが水の魔術を使って消火活動を行っていた。

 俺は人魚の学校周辺にたむろする野次馬を見渡した。恰好は昔と変わっているかもしれない。犯罪者だ。同じ姿でいるとは思えない。だから恰好ではなく、顔を注視していく。

 

「……!」

 

 そして、いて欲しくない人物は俺をあざ笑うかのように、群衆に紛れて立っていた。

 

 明らかに浮いている、あそこだけ、あいつがいる所だけが色づいていて、その他がモノクロになったかのように、鮮明な姿が映った。

 

 無視は可能だった。向こうは俺に気づいていない。でもそれでも、俺は群衆をかき分け、そいつの元へ向かった。

 

 そいつは、立ち去ろうとしている。

 

 崩壊した人魚の学校を確認して、もう満足したのだろうか。相変わらず最低な趣味だ。

 

 行かせてやるものかと、俺は叫んだ。

 

「待て──ラザロ!」

 

 背を向けて町の外へ向かっていたその男は、俺の声でぴたりと立ち止まり、振り返った。

 

「ああ……?」

 

 数メートル離れて、ラザロは立っている。群衆は既に倒壊した建物の方へ過ぎ去って、邪魔者はいない。俺とラザロが、住人たちとは違う世界を生きているかのように、二人きりだった。

 

「おーおー……これはこれは”三代目殿”じゃねえか……。へえ、ずいぶん大きくなったなあ……」

 

「……黙れ」

 

 ぼさぼさの髪に、整えられていない髭、旅で汚れているのかくすんだ冒険者の服、姿は昔と変わっているが、その顔──本質は何も変わっていない。

 

 人を小ばかにしたような、卑しい面だ。

 

「俺の爆弾は役立ってるか? 昔教えたろ。ラザロ特製、小型爆弾だよ」

 

 無視する。割と使っているが、言われた通り答えて話の主導権を握られると厄介だ。

 

「なぜ……ここに来た。マーメイドは、悪事を働いていたのか?」

 

「別にそういう訳でもないだろうな。ただまあ、魔姦の禁を犯しているし、単純に不愉快だ。仕方ねえよ」

 

 相も変わらず最低な奴だ。軽薄さが風体からも伺える。

 

「で、どうよ。元気か? まあ見りゃわかるが」

 

「当然だ。お前は元気なさそうだが、酒とタバコのやり過ぎじゃないのか。それとも歳か?」

 

 軽く煽る。しかしラザロは、はっと笑って、意に介さない様子だった。

 

「それでいつ来るよ、ウチに。イリアスクロイツ団長には、いつなる?」

 

「ならない。他にやるべきことがある」

 

 魔王殺しといったら、ラザロを増長させるだろう。イリアスクロイツが魔王軍にちょっかいを出したという情報は聞いたことがないが、同じ目的があると思われたくない。

 

「ほーん、そうか。向いてると思うがなあ……だって」

 

 幽鬼のようにラザロは、そこを指差す。

 

「お前、助けねえじゃん。魔物」

 

 ラザロが指差した先には、破壊された、マーメイドと人間が通っていたであろう学校がある。

 

「猪みてえに突っ込んで来やがって。俺の顔見れたのがそんな嬉しかったかガキが」

 

「……!」

 

「人間の居場所だったら、迷わず助けに行ってそうだよなあてめえ。根底じゃあ、お前も魔物を差別してんじゃねえのか」

 

 それは違うと断言できる。たとえ人間の居場所であっても、俺はラザロを追った──だがそれは、ますますこの男の口に餌を与えることになりそうで言えない。

 

「向いてるぜやっぱ。俺と一緒に、爆弾ぶっ放そう」

 

「……誰がお前なんかと火遊びするか」

 

 ラザロは俺の言葉を無視して続ける。

 

「親父の遺志を継ぐんだよ。団長になれば、お前が倒したい魔物だけ倒せばいい。俺は口出しなんかしねえから」

 

「……! あんな奴は親父じゃ──」

 

 ようやく強く言い返す言葉が見つかった。しかしラザロは、既に逃走用意を完了していた。

 

「ま、考えとけ……よっと」

 

 ラザロは地面に煙玉を投げつける。また騒ぎが起こった。民衆がもう一度爆発が起きたかと慌てふためく。

 

(……くそったれだ)

 

 その中で俺は悪態をついた。

 

 ラザロにまんまと好き放題されて、散々痛い所を突かれて、何も言い返せなかった──くそったれという以外の形容ができない。

 

(何も、変わってないのか、俺は。あの時や、ゴルドポートの時と……いや──そんなはずはない)

 

 今日はただ、久しぶりの奴に会って動揺しただけだ。次会った時は、いつも通りに反論できる。

 

(……今は、まだ俺があいつをどう思ってるか、判断できてないだけだ)

 

 白と黒。それが自分の中でつけ切れていない。だから対応が曖昧になる。そこを付けこまれた。

 

(……ああしかし、いやな奴を思い返した)

 

 血筋上の父親──マルケルス。

 

 イリアスクロイツ初代団長の男。母さんと愛し合って、俺を作った野郎。でも俺たちよりも、自分の目的を優先した外道。

 

 何より奴の故郷は、イリアスヴィル。

 

(だから、俺たちはイリアスヴィルへ行ったのに)

 

 でも待っていたのが、あんなものだった。あんな所なら、別の村に移住していた方がきっと、まだましだった。

 

(あんな奴は、親父じゃない)

 

 毎度のように思う。何度でも思う。面と向かって会う機会などないとわかるが、会ったら絶対に言い放ってやりたい言葉。

 

「つくづく、死んで当然だ」

 

 

 魔王城──。

 

「……魔王様は?」

 

 仕事を終え、帰還したグランベリアは、広間にいたたまもに尋ねた。

 

 魔物を虐げる組織の一員を斬った帰りだった。イリアスクロイツとかいう団体だ。

 

「ご苦労様じゃ。魔王様は……数時間前に城を出た。そろそろ帰ると思うが……」

 

「……そうか」

 

 先日まで放蕩していた自身の主、魔王が帰って来たというのは聞いていた。だから彼女は挨拶しようと思ったが、タイミングが悪かったようだ。

 

「アルマエルマは? まだイリアスポートか」

 

 降って湧いた疑問をぶつける。長い間そこで任務を果たしていることは知っているが、そろそろ帰って来る予定だった。

 

「うむ。あやつももうすぐ──」

 

「ただいま~。ルカちゃんにボロボロにされて帰ってきました~」

 

 二人の静かな会話で作られた場に、どこか場違いな声が響く。

 

 腕を組んで、騒がしさの原因に目をやったグランベリアは、苦々しい顔をした。

 

 アルマエルマのマントが破れている。その下には赤黒い傷ができていた。

 

「てへっ、負けちゃった」

 

 グランベリアはアルマエルマを睨む。あまりふざけすぎるなと目で言った。

 

「てへっ、ではないわ、全く……」

 

 たまもはなんとも言えない微妙な表情をしている。

 

「……と、いうのは冗談で、一応仕事はしたわよ。波に呑まれて船は沈んだし、普通の人間なら死んでるでしょ」

 

(普通、ならばな)

 

 たまもはそう呟きたくなるのを抑えて、アルマエルマに別のことを尋ねる。

 

「そうか、なら良いが……ところで、ルカに何か違和感はあったか? 唐突に強くなったり、残酷な顔付きになったり……」

 

「うーん、そうね……まず、去勢してるの? ってくらい誘惑は効果なかったし……あと人間じゃないのかも。魔剣士みたいな攻撃してきたし」

 

「……わかった」

 

 果たして、どうなのだろう。自身の危惧する変化は見られないようだ。まだ安定していると見ていいのか、しかし、あの時感じた気配は、確かに──。

 

「まあ、大丈夫よ。たまもちゃん。あの子はたぶん、そんなに危険じゃないわ」

 

「……根拠は?」

 

「ないわ。完璧に勘」

 

 たまもは、眉間にしわを寄せた。アルマエルマは、んべっと舌を出した。

 

 人の気も知らないで、とたまもはため息。アルマエルマはどこ吹く風で、雨と海水でベタベタするなあと、嫌そうな顔だった。

 

「……」

 

 その二人を無視して、歩き出す一人がいた。

 

「……あら、どこに行くの?」

 

 グランベリアが、唐突にマントを翻し、歩き出した。広間を出ていくようだ。

 

「決まっている。ルカの強さを確かめに行くのだ」

 

 振り返ることはしない。意味がないからだ。腹が決まっているから、何を言われても止まらない。

 

「ああいう手合いは、一度の敗北と、一度の勝利で恐ろしいほど育つ」

 

 男子三日合わざれば刮目してみよ、という奴じゃなと、たまもが思った。

 

「……いちおう、波に呑まれたっていったと思うけど?」

 

 アルマエルマが問うた。グランベリアの物言いは、明らかにルカが生きていると確信しているものだった。

 

「そんなくだらん死に方をする男ではない」

 

 グランベリアは即答した。

 

「……へえ、ずいぶん信──」

 

 アルマエルマが言いかけたとき──魔力の塊が城を叩いた。

 

 びりびりと震えてしまうような、並の魔物ならこれを感じただけで気絶してしまうような、恐ろしい魔力。

 

 こんな魔力を持つ妖魔など、現在()の世界で一人だけだ。

 

「待て、グランベリア」

 

 後ろから四天王たちにとって、少し懐かしい声が響く。自分たちが忠誠を誓った、王の声だった。四天王たちは振り返ってすぐに膝をついた。

 

 玉座。見慣れた影があった。

 

 いつの間にか──魔王アリスはとぐろを巻いて座っていた。

 

 凛とした目つきの、魔王だった。

 

「余も、行こう」

 

 魔王が四天王たちの間を通り過ぎる。

 

 たまもは見た。その双眼に迷いはない。立ち姿にブレはない。一本の筋が、頭から背中を通って尻尾の先まで通っているように、まっすぐな様子だった。

 

「……御意。では、お供します」

 

 アリスが進み出すと、グランベリアは少し後ろからついて行く。おそらく、ルカの次の目的地であろう──サン・イリアに向かうのだ。

 

 二人が広間を後にする。

 

 それから少し経って、アルマエルマとたまもは顔を見合わせる。

 

「ねえねえ……魔王様って……」

「なんじゃ?」

 

 アルマエルマは子どものようにそわそわした顔をしている。反対にたまもの表情は苦々しい。

 

「もしかして、ルカちゃんのことを……」

 

 唐突に、まさか、と予感した疑問だった。魔王が再びルカの元に行く理由がアルマエルマにとってそれくらいしか浮かばなかった。

 

「…………ないじゃろ、さすがに」

 

 たまもは眉間にしわを寄せた。そうでないことを望んでいるようだ。

 

「……じゃが、色んな意味で、放っておくと危なっかしい男とは思っておるかもしれん。自分がいないと駄目な男に惹かれるのは、女の性という見方もある」

 

「じゃあ止めなくていいの? 親代わりだったんでしょ」

 

 アルマエルマはたまもがルカを危険視していることを知っている。

 

「……もう大人じゃ。それに、ウチは少し過保護過ぎた。自分で考えて、自分で決める力を養ってもらわんと困る」

 

 最近は良い兆候だ。内務はたまもと狐族で何とかなるし、魔王様には中ではなく、外での経験を積んでもらう必要がある。城の中で育てたことを間違いだと思っていないが、外と内の良い塩梅があっただろうとは思っている。

 

「そ。まあ……結局は、なるようにしかならない、ってやつかしら」

 

「そういうことじゃな」

 

 そこで会話は終わった。

 たまもは内務が溜まっているようで、広間を後にした。アルマエルマは一人になる。

 

 たまもがこれから行うのは、おおかた、魔物からの人間に対する苦情の対処だろう。

 最近の人間はどうにも攻撃的、排他的だ。魔物を集団で追い込み、住んでいた土地を奪ったりする輩がいると、いちおうクイーンである自分の耳にも届いたことはある。

 

 人間と見た目が似ているサキュバスですら差別を受けるのだから、他の人外に近い魔物の状況は、本当に厳しいのだろう。

 

 最近の世界は、やはり何だか、仄暗い。

 

 それでも──明日は明日の風が吹く。

 

 ならばせめて、全てのしがらみを吹き飛ばすような、自由へ導く突風が、あの二人には吹いたらいいな。

 

 そんなことを思って、アルマエルマはくすりと笑い、ひらりと広間から姿を消した。

 

 そこには、もう誰もいない。

 

 

 話は、アリスとグランベリアが魔王城を発つ、その数時間前に戻る。

 

 魔王城──。

 

「……」

 

 アリスは、自室でベッドに寝転がり、ルカについて考えていた。尻尾の先が不規則にゆらめている。考え事をしている際はこうなってしまう。貧乏ゆすりに似ているかもしれない。

 

 アリスという妖魔は、特段情に厚い訳ではない。むしろ冷徹な方である。一度愛想を尽かせばそれで基本的に終わりだ。

 

 だから先ほどまで、ルカのことなど頭になかった。とりあえず眠って、食べて、風呂に入って一息ついた。しかし風呂に備え付けられた鏡を見て──ふとした瞬間にルカのことを思い出した。

 

 鼻筋に残っている、傷のせいだった。

 

 そしてまず、ルカを思い出して、ほんの少し悲しくなった。怒りは意外と湧かなかった。嫌悪感を向けられたら、魔王といえど何だか悲しい。傷つく。

 

 その後に、なんで拒絶されたのだろうと悩んだ。風呂には一時間くらい入っていた。

 

 で、自室に入る。ベッドでだらだら考え、そして、なんやかんやで諦めた。

 

(もういい。意味がわからん。あの男を搾り殺して忘れてやろう)

 

 なげやりになった。魔王城にやってきたら容赦なく殺ってやろうと思う。あの男の顔を見るとあの時吐かれた台詞を思い出す。

 

『俺はお前のことが嫌いだ』

『お前の理想を押し付けるな』

 

「……」

 

 また枕に顔をうずめた。

 

 そのまま、数分枕に顔を押し付けて、眼だけ枕から離して、口元だけうずめて、ぽつりと言った。

 

「……少し、調べてみるか」

 

 くぐもった声だった。

 

 あの場でルカに押し切られたのは、言い返すための情報がアリスに足りなかったからだ。それは知能の問題ではなくて、知識の問題だった。

 

 つまりルカのことを知らな過ぎた。あの場での口喧嘩の敗因がもしあるならば、知識不足。必要以上に動揺してしまったのもそれが原因。

 

 ルカについて結局、アリスはほとんど知らない。知らないことを知ろうとする欲求は人並み以上にある方だった。

 

 でも何より、ルカを調べてみようと思った一番の理由。

 

(あの男のことを考えるとむかむかする! 一度殴らないと気が済まん!)

 

 怒りである。魔王たる自分をぞんざいに扱うあの男を許してはならないと憤った。

 

 ならばまずは言葉の戦いだ。口喧嘩で負けたのが魔王として苛立つ。来たる魔王城での決戦を想定する。

 

 まず訪れたルカを、口論で倒す。

 その後武力でも倒して、性的にも倒して、完膚なきまでに殺しつくす。

 

 そんなことを腹に決めたアリスは、そういう訳でたまもに溜まった執務を押し付けて魔王城を出た。

 

 そしてイリアスヴィル周辺に、アリスは転移する。上級の妖魔が使える転移魔法だった。

 

 まず森の中、とある場所に体を運ぶ。うっそうと茂る木々の、葉っぱが風でざわざわ騒いでいた。

 

 アリスは人里が近いから人間形態となって、歩く。自ずと足はその場所へ向かっていた。

 

「……まだ時は経っていないというのに、久しいな……」

 

 ルカと、初めて会った場所。跡がまだ残っている。不自然に折れた枝が真上にあるし、ここだけぽっかりと日が照っているし、地面にクレーターができている。

 

 風が銀髪を揺らす。懐かしさが去来した。

 

 会った、というには少し表現が甘いかもしれない。鮮烈な出会いだった。何もかもが唐突だった。雷がずどんと落ちたような衝撃──ルカと会ったときは、そんな感じ。

 

 あの時は今以上に人間を知らなかった。あんな人間がいると思わなかった。

 

 アリスは立ち止まって、数分その場の空気を吸うと、真の目的地へと向かい出した。

 

 現在の目的は、ルカについて知ることだ。

 

 だからこそルカの故郷──イリアスヴィルへ。

 

「……」

 

 少しの間歩いて、イリアスヴィルに到着する。門番がいるが、アリスを見て目を丸くしただけで通した。意外と緩い。まあイリアス神殿があるから、巡礼者だと思われているのかもしれない。ぎょっとしたのは自身の恰好が裸に近いからだろう。人間はこの程度の露出でも気にする。

 

 時刻は正午を過ぎたくらい。村人たちの大半は昼飯を取っているのか、畑に人はまばらだ。かかしが風に吹かれて、寂しげに揺れていた。

 

 記憶を頼りに、村を進んでいく。道中、初めて見る人間だからか、村人から怪訝な目を向けられたが、気にしない。村人の方も声はかけてこなかった。そんなものだろうが、どこか排他的な印象を抱いた。

 

「……妙に、懐かしいな」

 

 そして、一度来ただけなのでやや時間を要したが、その場所へたどり着いた。

 

 ルカの家だ。村の隅っこにあった。隣家は歩けばすぐにあるが、どこか疎外感のある場所だった。

 

 鍵はかかっていない。ドアは開く。屋内に入った。埃や蜘蛛の巣はない。掃除は丁寧にしてあったようだ。机には、あの時出された湯呑が放置されていた。

 

 家具は必要最低限なものだった。ベッドと机、タンスくらい。食器の類は雑に竈近くの机に置かれていた。

 

 タンスには本が詰め込まれていて、どれも背がぼろぼろだ。置かれているのは……狩猟術。簡易治療知識。六輪書。武器図鑑。生物大図鑑。カレー大百科。勇者と魔王……などなどである。当然の如くイリアス関連の本はない。

 

 ざっと家具を観察し終えて、アリスは思う。

 

(ルカらしいな……必要最低限なものだけだ)

 

 ある意味で生活感のある家だ。ルカの生活スタイルが見えて来る。必要なこと以外はしないストイックな人間、という印象と相違しない。

 

 一見貴重品もない。だから鍵もかかっていなかったのだろう。

 

 また日記や記録書もない。あればルカに近づく手がかりになったかもしれないだけに、残念だった。

 

(まああったとしても、さすがに勝手に見るのも違うか)

 

 そそくさと家を出た。さてこれからどうしよう。

 

 まあ、適当な家に入って、住人を魔眼で服従させてルカについて尋ねればいいだろう、と考えた。あの男のことを知らない村人がいるとは思えない。

 

 そういう訳でアリスは、近所の家屋、そのドア前に立ち様子を伺った。中に人の気配がする。おそらく一人だ。アリスはノックをして、返事があったからドアを開けた。

 

「はいはい、なんだい……あんた誰? 見たことないけど……」

 

 中年の女性だった。昼ご飯を食べていたようだ。背後に見える食卓の上には、食事がある。黒パンにジャムらしきものを塗っていた。また、おそらくはジャガイモのスープもついている。アリスは腹が減って来た。

 

「ちょ、勝手に入んないで──」

 

 押し入ったアリスは服従の魔眼を放った!

 

「余に、従え」

 

 間髪入れず魔眼を放った。余計な問答を避けるためである。

 

 女は虚ろな目になった。問題なく成功した。魔眼はやはり便利だった。

 

 とりあえず名前を尋ねると、ベティと名乗った。知らない名前だ。ルカの口からは聞いていない。

 

「ルカについて……そうだな、奴の過去の話を、知っている限り話せ」

 

 ベティは抑揚のない声で語り出した。

 

「あたしは、新参ですが……一度だけ、村の集会で何があったのか聞いたことが……」

 

 さてどんな過去が知れるだろう──アリスはどこか、変に興奮、ちょっと悪い事をしている気分でワクワクしながら、ベティの言葉を待った。

 

 ベティは、語る。

 

 ルカの幼少期。母親と共に村へやってきたこと。母親と二人で暮らしていたが、母親が肺病にかかったこと。二人が、ひどい迫害を受けていたこと。

 

 軽い無視や、陰口に始まり──暴力。家に石を投げ入れたり、ルカを足蹴にしたり、母親へ水をかけたり……あとは割愛する。

 

 迫害の詳細をベティは知っていた。魔眼で服従した人間は命令に逆らえない。知能は関係なく、記憶のタンスから強制的に深層の記憶まで引き出される。だから村人から聞いたという迫害も、詳細にアリスに伝えられた。

 

 そして、話は核心にせまる。ルカが犯罪をして(・・・・・)まで母親を救おうとしたが、叶わず助けられなかったこと。

 

 その後に──罰が刻まれたこと。

 

「……やめろ」

 

 ベティの語りを一度止めさせた。

 

 アリスは、苦々しく顔を歪めた。

 

 魔物のコミュニティでも、こういった胸糞の悪い話は度々聞く。閉鎖的な空間にいる生命は間違った方向へ進む場合が多い。水槽に入れた魚たちが、一匹の魚をいじめ始めるように、狭い世界で変化が少ないと、残虐性が増す傾向がある。

 

 しかしこの事例は度を越えているだろう。何か作為的な力が働いたのではないかと疑うほどだ。

 

 迫害され、母の治療の邪魔をされ、貰って来た薬も奪われ、あまつさえ“罰”を刻まれた。

 

(あんな性格になる訳だ。むしろ、あれでも“まし“な方なのではないか?)

 

 他人を思いやる心は捨てていないし。“まとも“ではなくとも、まだ”まし“ではある。アリスはそう思った。

 

 しかし、気になる点がいくつかある。

 

 まずルカが、当時の道具屋店主の某から薬を奪って母に与えた、とベティは言った。

 

 これはルカの言い分と食い違う。ルカはエンリカ村長との会話の際に、彼女から薬を貰ったと明言していた。村長もそれを否定していない。ベティの言い分が矛盾している。

 

 とりあえず矛盾をついてみるかと、アリスは質問することにした。

 

「ルカは本当に薬を盗んだのか?」

 

「……盗んで、いません」

 

 やはりか──となると、濡れ衣を着せられたということになる。

 

 しかしおかしい。ベティが何故それを知る?

 

 村人から聞いた話を語っているはず。

 だが、村人はルカが盗んだと思っていないとおかしい。罰まで刻んだのだ。盗んでいないと知っていたのに罰を与えたのか? だとしたら本当に頭のおかしい集落だ。

 

 そんな疑問が生じたとき、ベティが、ひとりでに語り出した。

 

「ルカは、盗んでなかったよ」

 

「何……?」

 

 勝手に語り出した。服従の魔眼は効いているはずだが、何故だろう。語り口調も、どこか独白に近い。操る対象の意志が強いとバグる時もあるが……まあ好きにしゃべらせてみよう、とアリスは止めなかった。

 

「あの道具屋の店主が、飲んだくれて声高に語ってたんだ。『エルフの秘薬なんて入手できる伝手はない、第一そんなもんは市場に出回らない。欲しかったから、ルカから奪ったんだ』。確かに、この耳で聞いた」

 

「……」

 

 ルカがああなった原因の根本を見た気がした。やはり周囲の人間──世界が原因だったのだ。

 

 それにしても、ルカの過去は伝聞しただけでも、重たい話だ。アリスの気分も少し落ち込んでいる。

 

 しかし光明はあった。

 

 一つの確信を得た。ルカがああいう人間になったのは、外的要因だった。ルカ自身がそういう人間ではなかった。母親の為に、子どもながら村の外まで薬を取りに行くなど、生半可な覚悟ではできない。やはり根本は優しい人間なのだ。

 

「次だ。ルカのその後について、話せ」

 

 ここからの話も重要だろう。アリスは丁寧に耳を傾ける。

 

「ルカの母が亡くなって、一年の後に、私は村に移住しました……」

 

 貴様は迫害されなかったのか、と聞こうか迷ったが、やめた。されなかったからこの村に居続けているのだろうと納得した。

 

「……ルカは、孤立していました……でも、それだけなら……まだ良かった。孤立ならまだ……でもあの子の場合、村全てが敵だった。迫害は終わるどころか、反発し続けたから、もっと激しくなった……」

 

「……」

 

 具体的な話を語らせようかと迷ったが、口は動かなかった。非常に胸糞の悪そうな話が飛んできそうだと察した。

 

「そしてそんな中、とある男がやって来て、ルカと親しくなった……。ラザロという、イリアスクロイツの、二代目団長……」

 

「イリアスクロイツ?」

 

 初耳の組織の名前だ。とりあえずイリアスに関する組織ではあるだろうが……。

 

「魔物を排斥する組織です……ラザロは、その首領……魔物嫌いが多いこの村でも、彼らの思想に共感する人はいません……」

 

 かなり過激な組織のようだ。そんな組織は初耳だった。自分の世間知らずを恥じる。それと同時に、たまもはこういった情報を教えてくれれば良かったのにと残念がった。

 

 さて、ラザロとはどういう人物だろう。ルカの口から聞いたことのない名前だった。

 

「そんな男が何故、ルカの元へ来たのだ?」

 

「急な里帰りだとしか……」

 

 ベティも詳しくは知らないのだろう。しかし里帰り。故郷だったということか。つながりが全くない訳ではないのかもしれない。

 

 ──この時のアリスは知る由もないことだが、明確なつながりはあった。

 ラザロは初代団長のマルケルスの親友であり、マルケルスはイリアスヴィル出身。

 そしてルカの、父親である。

 

「それで、ラザロが来てどう変化したのだ?」

 

「……ラザロが来てすぐに、事件が起こりました……ルカを最も中心的に迫害した人物──道具屋の店主が殺された……」

 

「……!」

 

 ルカから薬を奪った男だ。当然ルカも怨んでいただろうし、おそらくはこれが、ルカが犯した殺人。ルカがエンリカで言っていたものだろう。

 

「誰が、殺したのだ?」

 

 アリスは真相を求め尋ねた。おそらくは予想通りの答えが返って来る。

 

 しかし、答えは予想外のものだった。

 

「ラザロ、です。殺した後すぐに村から去り、まだ捕まっていません……」

 

「なに?」

 

 それはおかしい。どう考えてもその殺しはルカのものだろう。道具屋はルカにとって最も憎らしい人間のはずだ。ルカがそれ以外に手を下すことは考えづらい。

 

「ルカが誰かを殺したという話は?」

 

「まったく聞いたことが……」

 

 ……確かに、冷静に考えると納得できる部分はある、とアリスは思った。さすがに殺しは公になったのに、村で自由に過ごせるというのは妙だ。殺人罪は相当重いだろう。盗みだけでもむごい罰が刻まれたのだ。

 

「……」

 

 だがわからない。何故、ラザロがルカの怨敵を殺すことになった?

 

「他に、ラザロ関連で不可解な点はないか?」

 

「……ルカが数か月、イリアスヴィルから離れて失踪した時期が……ありました。それもラザロが関係しているかも……」

 

(そういえば……)

 

 ルカがハピネス村で『悪い大人に連れられて現実を見た』と言っていたことを思い出す。あの悪い大人というのは、ラザロのことだったのかもしれない。

 

 そしてラザロが魔物を排斥する組織の首領だったということは、そこで嫌気が指すほど残酷な現実を見せられた。だから共存に懐疑的だった。少なくともそれが理由のひとつではあるのだろう。

 

「……その後のルカは?」

 

「……帰って来たルカは……明確に変わりました……イリアス様を嫌うと……公言するように……」

 

(ここだろうな。イリアスと何かあったタイミングは)

 

 そこであったことが原因でルカは、イリアスを憎むようになったのだろう。

 

「あと……雷を日に数度落とされたり……」

 

「……はあ? なんでそれで生きているのだ、あの男は」

 

 わかりませんとベティは虚ろな目で返すだけだ。ここまでちょっと同情していたのに、いきなりファンタジーになった。

 

 いや、とアリスは気づいた。

 

 ハピネス村で語っていたか。クイーンハーピーと戦ったときの話だ。雷が落ちてルカは平気だったが、女王は相当ダメージを受けた。あの勝利はこの経験の差だったのだろう。

 

 そこからもアリスは話を聞いてみたが、入って来る情報はルカが強くなって誰も勝てなくなったとか、村を出て魔物を倒すようになったとか、既に聞いた話だった。

 

 昼飯のスープはすっかり冷めている。もう新たな情報を得れることはなさそうだ。アリスは服従の魔眼を解いた。

 

 ベティの目に光が宿る。魔法は解け、はっとして部屋を見渡し、アリスを見て仰天すると後ずさって尻もちをついた。

 

「邪魔をした。ではな」

 

 ベティを見下して、アリスは踵を返した。

 アリスは、胸糞の悪い話が多かったせいか、機嫌が悪そうだった。

 

「ねえ、あんた……」

 

 呼び止められる。不機嫌な顔で、アリスは振り返った。

 ベティの顔には──深い深い後悔が、刻まれていた。頭を抱えて、汗をだらだらと流して、唸っている。服従の魔眼の副作用だろう。長いことやり過ぎるとこうなる時もある。

 

「あんたが、ルカの何かはわからないけど、あの子に、あたしは何もできなかった……」

 

 アリスは、どうしてだろうか。ベティを自分に重ねた。

 

「……謝りたかった、あたしは見てることしか──」

 

「自分でいえ。余の知ったことではない」

 

 今、この女がどう思っていようが、過去は変わらない。人は過去には決して戻れない。アリスも戻りたい過去が存在する。だからこそ、後悔の質が似ていたからこそ、この女と自分を、少しだけ重ねてしまった。

 

 でも、決定的に違う部分がある。

 

 未来ならば、きっと変え得る。アリスはそれだけ信じていた。

 

 家の外へ出る。別の住人にも聞こうか迷ったが、イリアスヴィルは居心地が悪いから、さっさと次に向かうことにした。

 

 次に向かったのは──。

 

「ルカについて知りたい?」

 

 イリアスベルクの、サザーランドのおかみの元へ向かった。ルカのことをよく知っている人物だというのは、この前泊まったときに知っている。過去は知らないだろうが、日常ならばイリアスヴィルの住人よりも詳しいのではないだろうか。

 

「そうだ。例えば、特徴とか……まあ何でもいい」

 

 とりあえずルカについてならば何でもいい。アリスがルカと一緒に過ごした時間はひと月にも満たないのだ。観察はしていたが、結局ルカを見ていなかった。ルカを目的のための理想に当てはめていただけだった。

 

 だからとにかく、何でもいいから知りたい。

 

「そうだね……とりあえず、誰かを殺すことをすごく恐れていた気がする……かな。……ルカに昔、ハピネス村の問題の解決を頼んだんだけど……」

 

「それは余も聞いたことがある。ハーピーのあれこれだろう。確か、おかみに尻をはたかれて行かされたといっていたが……」

 

 具体的年数は知らないが、数年前の話だった。

 おかみからすればずっと昔の思い出なのか、懐かしそうに、ロビーの机に肘をついてもたれて、そんなこともあったねと、苦笑う。

 

「で、その時、散々聞いてきたんだよ。必死な顔して、殺しはしなくていいのか、って」

 

「……」

 

 この情報は、少し意外だ。確かに殺しを忌避する姿勢は見せていた。それを知っていたからこそ七尾戦で見せたルカの姿が衝撃だった。

 

 でも人前でそれほど大きく殺しを忌避する姿勢を見せていた。そこまでするほどのタブーだったのだ。これはかなり重要な情報だ。そんな男が魔王を殺すという目的を抱くことの不自然さが、浮き彫りになる。

 

「まあ実際、ルカによると倒すだけでは終わらなかったみたいだけどね……」

 

 女将は呟いた。

 

 そう。ただ倒しただけでは終わらなかったらしい。思えばあの時クイーンハーピーから語られた事実も、ルカという人間を理解するには必要不可欠な事項かもしれない。

 

 ルカは家族について、どこか思うところがあるようだった。おそらくは、母のことで。

 

(助けられなかった母……本当に妙なところで、共通するものだ……)

 

「他にも何回か退治の依頼したんだけど……その時も毎回、同じように聞いてきたよ。

まあそういう訳で、あの子は表面的に取り繕ってるだけで、性根は優しい子だよ」

 

 女将はどこか懐かしそうに語った。

 

(殺しを、徹底的に避ける……)

 

 ならばやはり七尾を殺そうとしたことはおかしい。それに、魔王殺しが目的というのもあり得ない。本気で魔王殺しが目的ならば、あの男の真面目さを思うと、予行練習としての殺しくらいやるだろう。

 

 やはり、そういうことなのだ。冷酷とはかけ離れている人間だ。

 

 もう聞ける情報はなさそうだ。アリスはまた礼を言って、サザーランドを後にした。

 

 町を歩き、適当にパンを買い込んで、広場のベンチに座り食べながら考える。ジャムを塗った黒パンだ。値段は非常に安価だった。

 

 ベンチから見える噴水には、イリアス像の跡地が見える。ルカに破壊されたイリアス像は布がかけられていた。まだ復旧はされていないようだ。意外と熱心な信仰者は減っているのかもしれない。

 

(さて、これからどうするか。他にルカと親しくしていた人間は……あ)

 

 咀嚼しながら誰かいなかったかと思って、思い出した。

 その者と自分は顔を合わしていないから不安だが、まあ話ができないなら魔眼かければいいかと思って、アリスは一応、話だけ聞きに行く。

 

 がらんがらんと、ベルのついたドアを開けた。その室内からは、武器屋らしい鉄の匂いがした。店内に賑わいはない。武器屋だしそんなものだろうと思って、アリスは座って新聞を読む店主の方を見た。

 

「いらっしゃい。何をお求めで?」

 

 武器屋の店主。ルカがエンリカの服や木刀などを買っていた。あの時会話を盗聴していたので、ルカとかなり打ち解けている人間だと知っている。

 

「ルカについてだ」

 

 何をお求めで、と言われたら、そう返すしかない。

 

「ルカについて? そりゃ値が張るな」

 

 店主は特に不思議そうな顔をするとか、訝しむとかもなく、平然と受け入れた。

 

(……値が張るのか)

 

 まああの男の情報だから、何か口止めをルカからされているのかもしれない。

 

「そうか、いくらだ?」

「……いや、さすがに冗談だ。悪い。何を聞きたい?」

 

 ……こういう所でも世間知らずが出るのかもしれない。アリスは気をつけよと思った。

 

「ルカといつ、どうやって出会った?」

 

 とりあえず聞きたいのはそれだった。この男とルカは結構親密な会話をしていた。おそらく長い付き合いのようだ。尋ねる価値はあるだろう。

 

 店主は天井を見上げて頭を掻いて、思い出すのに苦心しているようだった。しかしすぐに明快な顔になって、語り出した。

 

「確か……傷だらけの子どもの時のルカが、武器をくれって、尋ねてきたのが最初だ。十年くらい前だな」

 

 これはおそらく母が死に、罰を与えられ、迫害が苛烈になった時期だろう。

 

「それで武器を与えたのが始まりか」

 

「まあな。だが子どもだし、さすがに刃物は与えなかった。だから木刀だ。……正直木刀なんて折れにくいひのきの棒だからな」

 

 明確な殺傷目的の武器じゃないならいいだろと思った、と店主は付け加えた。

 

「わざわざ店に来た子どもに売らないなんていうのも、かわいそうだったしなあ……」

 

「……なるほどな。それから、ずっと木刀か」

 

 ルカが木刀を使い続けるのは、殺さぬためと、使い慣れているからと聞いていた。確かに子どものころから使い続けたならば変えたくもないだろう。

 

「そうだな……ああでも、真剣をくれと頼まれた時があったな。それも誰かを殺しそうな顔して」

 

「……! 売ったのか」

 

 もしもそうだとしたら、アリスは店主を軽蔑する。物売りとしては当然のことだろうが、大人として子どもに真剣を売るのは許されないだろう。

 

「いいや、売らねえよ。売る度胸がなかったし……まあ、剣は人殺しとか魔物殺しの道具だ。そう使われてナンボだぜ?」

 

 でも、と店主は言葉をつないだ。

 

「あいつ、勇者にならなきゃって、いったからな……」

 

「……ルカが?」

 

 武器屋の店主は頷いた。

 

「だから猶更売れる訳ないだろって突っぱねたよ……ほら、やっぱ、明らかに殺意満々の奴って勇者じゃないだろ? あとその時も子どもだったし」

 

 店主は何か言っているが、アリスの思考には届かなかった。それよりも重大なことに関心があった。

 

(子どもの時は、ルカも普通の子どもだったのだろうな……)

 

 でもそれが何らかの原因で壊されて、今のルカになった。不思議なくらいに虚しくなった。ルカの歴史を知って、あの男に共感しているせいだろうと思う。

 

「で、あいつ元気してるか?」

 

 店主はアリスが固まっているから、適当に言葉を投げかけてみた。

 

「超元気だ。この傷もルカがつけた」

「はあ? なにやってんだあのアホ」

「そうだろうドアホなのだあの男は」

 

 アリスはちょっとこの男と打ち解けた。ルカがこの店を利用していたのもわかる気がする。なんというのだろう……親方って感じだ。話しやすい。

 

 アリスは礼を言って別れた。

 

 そして、最後に向かったのが──

 

 

「……ルカについて?」

「うむ」

 

 エンリカ。

 

 アリスは、ここへ最後に訪れた。

 

 ラミアの──プチだったか。ルカといまさら名前を教え合うという妙なシチュエーションが印象的だったから覚えている。

 

 プチは家屋の中で裁縫をしていた。家には二段ベッドが二つある。元盗賊団用に家が一つあてがわれたようだった。段が下の方が大きい。たぶん尻尾の有無の差だろう。

 

 ちなみに、ミカエラという村長に自分の存在がばれると厄介な気がするから、こっそりと来た。家屋の侵入も窓からだ。プチにはぎょっとされた。

 

「とりあえず、なぜルカが貴様らの元によく来たのか、知らないか?」

 

「あー……なんだっけ……」

 

 先が鋭利ではない裁縫の棒針を唇下のくぼみに当てながら、プチは唸った。

 

「あ、そうだ。ちょっと待ってて」

 

 そう言ってプチは作業を中断し外へ行った。すぐに戻って来る。隣に見知った顔を連れて帰って来た。

 

「あ、グルメのおねーさんなのだ! いらっしゃいなのだ!」

 

「……貴様なんかキャラ違くないか?」

 

 ドラゴンのパピ──この前はつんつんしているクールな印象を受けたが、今は元気溌剌な子どものように見える。

 

「ああ、パピは、ルカが来たときだけあんな感じになるから……なめられないためだっけ?」

「うが」

 

 パピはにこやかな顔で返事した。かなりキャラを作り込んでいたようだ。アリスはパピの笑顔を今初めて見た。

 

「で、なんでルカってアジトに来るようになったか、だっけ」

「ああ、そうだが……知っているか?」

 

「あたしが来いっていったからなのだ」

 

 ルカしか知らないのではないかと不安に思ったが、パピは平然と言った。

 

「でも、あいつが……」

 

 一年と、少し前──。

 

 

『うう……』

 

『……四天王を名乗る癖に弱すぎるだろ。そんな強さで人間を襲うな。ふざけてるのか』

 

『おまえが、人間のくせに、強いだけのだ……』

 

『黙れ。最近暇なんだ、少しは強くなってくれ。そうだな……じゃあ約束だ。俺に戦闘で勝ったら、“なんでも一ついうことを聞いてやる”』

 

『……!!』

 

『少しはやる気になったか?』

 

 

「──で、ひと月に一回は来いっていったのだ。それが一年くらい前なのだ」

 

(なるほどな……まあ、あの男が自分から行くとは思えん)

 

 何となくイメージできた。誘われて戦って行く内に、徐々に情が湧いて来たという感じなのだろう。

 

 そう納得していると、唐突に、ドアがばかーんと開いた。

 

「ばびゅーん! プチ、配達終わったよ!」

「我は薬草摘みが終わって暇だから休憩に来たのだ!」

 

 入って来たのは、ゴブリンの……ゴブと、ヴァンパイアの……ヴァニラだ。

 

「あれ? グルメのおねーさんどうしたの?」

「おお、懐かしいのだ」

 

 まだそんなに経っていないと思うが、子どもと大人では体感的な時間が違うのだろう。

 

「そういえば、ルカはどうしたのだ?」

 

「……」

 

 パピが不思議そうに尋ねた。アリスは何だか答えづらく感じた。今の自分の立場は、男に捨てられたのに未練たらしくそれを引きずる女に近い気がしたのだ。

 

 だから返答に困っていると、ゴブは衝撃的な言葉を放った。

 

「ルカから消えろっていわれた?」

 

「! なぜ……そう思う?」

 

「いや、ルカってさ、踏み込まれるの大嫌いだから……」

 

 ゴブがそう言うと、元盗賊団たちが全員同意して頷き始めた。

 

「私たちもさ、ルカとちょっとは仲良くなろうかなーって遊びに誘ったりしたけどさ」

「『断る』とか『嫌だ』とかで全部断られたぞ!」

「そういえば盗んだ花火でドンパチやろうみたいなのに誘ったけど来なかったのだ……」

 

 それぞれが残念そうに言った。

 

「でもだからこそね、あの時は嬉しかったな」

 

 プチが微笑みながら言った。

 

「私たちって、結局あいつにとって何? って思ってたから、仲良くなりたいけど……名前で呼ばなかったり、精液搾ってやる! ばっかり思ってたの」

 

 そういえば途中まで名前を呼び合っていなかった。そういう事情があったのかとアリスは納得した。

 

「だけどルカは、ちゃんとあたし達のことを考えてくれてたから」

 

 プチは頬を赤らめて恋する乙女のように語った。

 

「だから、やっぱり──って、何でもない……! 」

 

 言いかけてプチは焦ったように止まった。

 

「……」

 

 アリスは、口をあんぐり開けて沈黙した。

 

 あの男……見た目は無駄に整っているし、普通に女誑しのドアホじゃないか? と思って言葉が出なくなったのだ。

 

 盗賊団も似たようなものだった。

 

(えっ、まさか、プチも……)

(なんか、あれ、プチって……へえ、意外だなあ)

(……なんかむずむずするのだ)

 

 それぞれ気づきを何となくだが抱いていた。

 

「ち、ちがっ、いや……えーと……」

 

 そんな空気に耐えきれなくなったのか、プチは焦ったように口を回し始めた。

 

「……べ、べつに好きとかそんなんじゃないからね──ヴァニラと違って!」

「うわー!? お前何いってるのだ!」

 

 急に銃口を向けられて目を丸くして叫んでいる。誤魔化そうとして適当な奴に押し付けた!

 

「ちちちち、違うのだ! ただ血が美味そうだなと思って……!」

 

 あたふたと手を動かしている。ラミアの口を塞ごうと手を伸ばしたようだが明らかに手遅れた。

 

「……」

「はあ……」

 

 パピが恥ずかしそうに顔を赤らめ、ゴブがため息をついた。

 

 わちゃわちゃとし始めた。気づけば話が明後日の方向へ行っている。子どもの恋バナを聞いても特はないだろう。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「……で、ルカはどこなのだ? 次いつ来るとかいっていたか?」

 

 パピがこの空気に耐えられなくなり、アリスに聞いた。雰囲気を無理やり切った。

 

「……? 聞いていないのか?」

 

「なにをなのだ?」

 

 ルカはもう旅立ち、おそらくイリアス大陸を出ている、とアリスは告げた。

 

「はあ──!?」

「何それ! 聞いてないんだけど! 一言もいわれてないよね!?」

「意味わかんねーなのだ!」

「……やっぱ頭がおかしいのかなあ、ルカって」

 

 元盗賊団が口々に文句を言い出した。

 

 旅に出るからイリアス大陸も出ていく、ということを伝えていなかったらしい。

 そう言えばエンリカの別れ際でも、ルカは『じゃあな』くらいしか言っていなかった。

 

「……おねーさん。あいつ、ぶん殴っていいと思うぞ」

「干からびる寸前まで搾って持ってきてよ。残り物でいいから」

「会いに行くのか? あたしも連れてけ。殴るのだ」

「思いっきり頭叩けば少しはましになるかもね」

 

「ああ、うん……」

 

 なんかルカの評価が元盗賊団の中ですごく下がったみたいだ。まあルカが悪いだろう。特にフォローはしないことにした。

 

「……とにかく、一度会って話してみればいいと思うぞ」

 

「といってもな……」

 

 ヴァニラがおずおずと勧めるものの、自分から会いに行くのは渋った。

 

 拒絶されているし、自分のことが嫌いとルカは言ったのだ。さすがに今すぐに会いに行くというのは、気が進まない。

 

「……たぶん、大丈夫だぞ」

 

 アリスが悩んでいると、パピが言った。平然としていた。明確な根拠がある物言いのようだ。

 

 何故だ、と目で問う。

 パピは眉一つ動かさずに、口を開いた。

 

「だってルカ、お姉さんと一緒にいるのは──」

 

 

 アリスは、いずこの平原で風を受けて、ぼうっと草木の匂いを感じていた。

 

 今日得た情報について考えているのだ。今日はなんだかんだ言って収穫が大きかった。ある程度は満足している。

 

 秘宝の洞窟で、ルカは自身に対して散々なことを言った。あの時は反論ができなかった。情報も足りてなかったし、動揺もあった。

 

 でも今ならば、言い返せる。今日得た情報はそれだけの価値があった。

 

 しかし何かが、足りない。

 

 そう思って今日を思い返した時、ふと、アリスは気づいた。

 

 結局──何故ルカは、イリアスを憎む?

 

 ルカの特異な点の一つ。イリアスを嫌悪する思想。これは、何故できた?

 

 ベティからも、おかみからも、武器屋の店主からも、盗賊団からも──誰一人として、この疑問を解消できる答えを示した者はいない。無論ルカ自身からでさえも。

 

 今気づいた疑問だから、彼女たちに問えなかった。だがこの答えを知る者はきっとルカ一人な気がする。

 

(ルカと母が迫害される……母が死ぬ、罪を着せられる……ラザロやって来て、殺人……この“後“というのは、わかる)

 

 ベティも言っていた。ラザロに連れられて帰って来た……この前後で何かがあった。これは確定だろう。

 

 では何があって、イリアスを憎むのか?

 

 迫害から助けてくれなかったから、それだけでイリアスを憎んだというのはあり得ない。二人は過去に絶対会っているのだ。そうでなければルカの強固な憎しみの理由がつかない。さすがに面と向かって話したことのない神をあれだけ憎めるというのは、あり得ないだろう。

 

 答えは、分からない。確定はできない。でも一つだけ最悪な想像が頭に浮かんでいる。

 

 明らかに過剰な罪。イリアスヴィルの迫害。ルカが受けて来た苦難。

 

 どこか、作為を感じる。まさかと思う。本当にそんなことがあり得るかと常識が疑問を消そうとする。しかしそれでも消せず、思わずにいられない疑念。

 

 ──イリアスが、全部仕組んだのではないか?

 

「……やはり、行かねばならない」

 

 どこへ──ルカの所へ。

 

 このままでは終われない。このもやもやを解消しなければ、必ず後悔する。そんな予感がした。

 

 風を受けて、白銀の髪がたなびいた。夕日に反射して、素直に橙に染まっていた。

 

 でも何で、たった一人のあんな男に、自身は執着するのだろう。

 

「……」

 

 ──少なくとも、恋とか、愛じゃない。

 

 プチラミアを思い返しながら、結論づけた。

 

 恋などしたことはないが、わかる。自身がルカに対して向けるものは、ものすごく打算的なものだ。

 

 結局のところ自分は『目的に使えそうだから』とか『自分の最終目標を果たせる可能性がある男だから』で、利用しようとしているだけだ。その期待がまだ完全に死んだ訳ではないだけだ。

 

 ルカがそれを知ったら、また怒りそうだなとアリスは苦笑した。

 

 だから、打算的な感情。盗賊団みたいなピュアな感情ではない。

 

(でもそんなこと知った事か。だから何だ)

 

 この傷の代金を払わせねばならない。一生かかっても払いきれないくらいの傷だ。顔だし。少しの打算くらい向こうが多めに見ろという話だ。

 

 その他色々な鬱憤晴らし。あの男がどれだけ嫌がろうが、ずけずけと踏み込んで、あるがままに振る舞ってやる。初めて会ったときは出来ていただろう。あんな感じで良かったのだ、たぶん。

 

 無論拒絶はされるだろう。ルカは自分を嫌いといった。ルカの目的の魔王殺しにとっても、自分と一緒にいる時間を嫌という心理は理解できる。

 

 それも含めて、知ったことか。

 

 それこそが魔王である。先代たちも今の自分を誇らしく見ているだろう。やっと遠慮を止めたかと思っただろう。

 

 そして、ルカにずけずけと踏み込んだ後は、何の遠慮も引け目もなく、自分の“目的”を語ろう。

 

 始めからこうすれば良かった話なのだ。嘘とか、冗談とか、取り繕い。そんなもの全部かなぐり捨てれば良かった。

 

 でもそれが中々できないから、自分たちは一度仲を違えた。

 

 もちろん誰も彼もが本音しか話さなければきっと世界は争いまみれだ。自分たちも初めから本音をぶつけ合ったら、喧嘩じゃ済まなかっただろう。

 

 ただ嘘はやっぱり、問題を先送りするだけだ。いつか問題とは向き合わねばならない。ならば今すぐに、ど直球でぶつかりに行けば、後々で面倒な諍いなど起こらない。

 

「……」

 

 まあとにかく、色々と思うところはあるが、会いに行く理由の最上のものは一つだけ。

 

 ──ぶん殴ってやる、ぜったい。

 

 アリスは肩をぐるぐると回し準備運動をして、ふんすと気合を入れた後、転移魔法で魔王城へと戻っていった。

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