ベルセルクのルカさん   作:あとば

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第14話『サン・イリア』

 潮の匂いは遠に消え去った。

 

 遠い右手に深い森林のある道を、俺は歩く。波線のような稜線の少し手前に、サンイリア城と、その城下町がぼんやりと見え始めていた。

 

 ナタリアポートから歩いて一日、思いの外サンイリアは近かった。

 

 凸凹している丘を上に下にと歩き続ける。見習い勇者が後ろに一応着いて来ていた。

 

 魔物とはまだ出くわしていない。しかし旅の中で洗礼を受けていない俺が、魔物と出くわさないことの方が珍しい──そう思ったとき。

 

 道の隅から一体の魔物が飛び出して来た。

 

「あら、今どき洗礼を受けていない旅人が……一人。不用心ね」

 

 ラミアが現れた!

 

 珍しく人間っぽい服を着る魔物だ。例によって上だけ見れば姿はほとんど同じだが、下は、魔王と同じような蛇の姿だった。

 

 さてどうするかと、背にかけている木刀を取り出しかけて、止まった。

 

 現時点の俺とこの魔物の間には、明らかな実力差がある。下手をすれば殺しかね──いや、殺すのは別にいい。

 

「る、ルカさん……この人ラミアですよ……! 逃げた方がいいんじゃ……」 

 

 だが、まだ、できない。できるイメージが湧かない。冷酷になり切れていない。

 

「……そうだな、めんどうくさい。行くぞ」

 

 だから今は、そう言って見逃そうとするが、やはりラミアは行く手を阻んでくる。

 

「茶髪の方はまあいいけど……そっちを逃がすと思ってるの?」

 

 避けようと道をずれて通り過ぎようとしたが、ずいっと尾を用いた、ゆったりな動作で通せんぼされた。本気の移動ではないのかもしれないが、鈍重に映る。

 

「……やめておけ」

 

 最初で最後の忠告を入れる。冷静に考えてみれば、野良の魔物が今更相手になるはずもない。イリアス大陸の魔物よりは強いが、七尾など最上位に比べれば脅威は感じない。

 

 しかしラミアはじりじりと距離を詰めて来る。見習い勇者が剣を向けて立ち向かおうとしたが、睨みつけられて小さく悲鳴を上げた。

 

 俺はため息を一つついて、前に出た。

 

 腰をかがめ、居合の形をつくる。あえてゆっくりと動作して、隙を大きく作った。

 

 そして、それに引っかかったラミアが、尾の先で体を跳ねさせ、とびかかって来る。

 

「……」

 

 かっ、と飛び掛かるラミアの顎に剣を合わせた。

 

 ラミアの眼があらぬ方向を向いて、白目になる。

 徐々に体も前方に重心が傾いていって、数秒かかってばたりと倒れた。

 

 気絶した。

 

「……行くぞ」

「は、はい……」

 

 木刀を腰に佩き、ラミアに一瞥もくれず歩き去る。

 

 もう相手にならない。以前の俺ならば少しは手間取ったかもしれないが、今ならば即勝できる。

 

 そこからは魔物もおらず、ひたすらに歩き続けた。

 

 膝程度の高さの草原に囲まれ、意図的に開かれた細長い道に従って歩く。馬車が通れる程度の幅があった。それと時々現れる看板に従って歩き続ける。

 

 ここまでサンイリアに近づくと、巡礼者らしき人々の姿がまばらに見える。道の先にも老人の夫婦がゆったりとした速度で杖を突きながら歩いていた。

 

 また、団体の巡礼者なのか、数十人が一塊になって列を成し歩いていた。がやがやと話しながら歩いている。

 

 そして集団とほとんど同じタイミングで、俺と見習い勇者はサンイリアの城門にたどり着いた。

 

 さすがに四大国の一つなだけはあって、これまで見たことのある門の中でも一番に大きかった。ちょうど門からは行商人の馬車が列を成して出て来る所だ。

 

 馬車が通った後の土埃が晴れると、門番と思わしき兵士が門の両脇に立っているのが見えた。

 

「……」

 

 団体の巡礼者に紛れ、軽い会釈だけ済まして門を通り過ぎる。ちらりと流し目で左の衛兵を見た。目が合う。

 

 しかし目が合っただけで、言葉は特に交わされなかった。

 

 意外すぎるほどにすんなり入れた。

 

(てっきりここで捕らえられると思ったが、情報がまた来てないのか? ……いやそれはないだろう)

 

 イリアスポートの宣戦布告から数日は経つ。歩きの俺よりも伝書鳩の通達が遅いというのはない。

 

(となると、あえて見過ごされたか……まあ、俺の目的が曖昧だから、一先ず様子見するんだろう。たぶん監視の兵士が……もう着いてるか)

 

 まあ、いつでも来てくれて構わないと、そう思って俺は城下町の観察をする。

 

 城下町の大きさは、やはりイリアスベルクよりも大きい。しかし活気に関してはサンイリアはやや劣っている。まあそれもそのはずで、ここは行商がそれほど盛んではないからだ。

 

 人は確かに行きかっている。町も活気がない訳ではない。しかしそこに生きる人々からは、イリアスベルクのような雑味を感じない。どこか気品があるのだ。

 

 サンイリアはイリアス信徒の総本山。町は賑やかよりも厳かを好んでいた。

 

「あの……これからどうされるんですか?」

 

「……とりあえず、城へ行く。そこで女神の宝剣でも見るかな」

 

 上の空で返事をする。嘘は言っていない。

 逃走経路の確認をしながらだから適当だ。やはり都なだけあって建物が多いから、隠れる場所は十分にありそうだった。

 

「お前は?」

「あ、ボクも、とりあえずお城に行きます。法王様が道を示してくださるみたいで……」

 

 それは俺も聞いている。

 でも時間がかかるらしい。だからこそ今回、イリアスポートで宣戦布告をした訳だが、ちゃんと届いているだろうか。少し不安だ。町を歩いた感じ、兵士の数はそこまで増やしているように見えない。

 

 まあ最悪強硬に乗り込んでしまえばいいか。そう思ってそのまま観察を続けながら歩いた。

 

 そして王城前に着く。

 城の前には人の出入りが激しかった。おそらく、道を示してもらうために来た勇者を名乗る人々だろう。

 

「知り合いは……いないか……。まあみんなイリアスポートで足止めされてるのかな……」

 

「そうだろうな。アルマエルマがまだ邪魔を続けるかどうか知らないが、往来船の再開には時間がかかるだろうし」

 

 だからこいつらはセントラ大陸出身だろう。見た感じイリアス大陸の連中よりは強そうだし。

 

 列っぽい状態になっていたため、最後尾に並ぶ。列の先頭では金髪の兵士が受付を行っている。

 

「……あの、ここを出たら、どこに行くんですか」

 

「まあ……サバサだろう。その途中でどこかの村にも寄るだろうけど」

 

 並んでいる間、適当に話した。

 最終目的地は魔王城だから、四大国を順に巡っていけば自ずと近づく。

 

「その、よ、よかったらなんですけど」

 

 もうすぐ番が来る。その直前くらいで、見習い勇者は意を決したように言った。

 

「いっ、一緒に旅とか、どうですか」

「断る」

 

 がーん、と落ち込む見習い勇者を無視して、法王との面会希望の受付をしている兵士の前に立った。

 

 その金髪の兵士は、俺の顔を見て、開口一番に呟いた。

 

「正気か?」

 

 その男は厳しい顔をしてそう言った。俺もまさか正気を疑われると思わなかったので、難しい顔になった。

 

「イリアスポートの件は伝わっている。そして、あなたは既に包囲されている」

 

 ……ああ、確かに。ぞろぞろと兵士が城から出て来た。それに、既に周りに敵意を持った者が多々いる。

 

「それがわからないはずはないだろう。なぜ真正面から来た?」

 

 気づけば、囲まれて槍を向けられていた。

 

 どうやら列を作っていた勇者を名乗る者の中にも兵士が紛れていたらしい。統一された鎧を纏い槍を俺に向けている者の中に、勇者っぽい恰好がいる。

 

「別に。とりあえず法王に会えればいいなと思っただけだよ」

 

 手をあげて、降伏の意を示す。すぐに捕縛された。

 

「……まあ、いい。話は城で聞く」

 

 そう言って、金髪の兵士は城へ入っていく。俺も後ろにいた兵士に押されて体が前に出た。

 

「えっ、あの、えっ」

 

 見習い勇者も、訳がわからないといった顔で捕縛されて着いて来ている。仲間だと思われたらしい。だからやめとけと言ったのに。

 

「……」

 

 入城直前、俺は、空を見上げた。

 

 分厚く大きい雲が空を遮っていた。この雲は、かなり面倒そうな雲だ。おそらく一度振り出せば一日二日は止まらないだろう。

 

 曇天も雨天も好きじゃない。やはり天気は晴れが好きだ。

 

 俺はどんよりとした空気を吐き出して、城の中へと入っていった。

 

 きっといつも通り、一抹の後悔が残るのだろう。だが後悔のない選択などないのだと、下を向くのは一瞬にした。

 

 ──今から俺は、イリアス教に本気で喧嘩を売るのだ。

 

 

 階段を上がった後、絵画が飾られた廊下を歩くと、大きな扉の前に立たされた。

 

 ヨハネがノックして、中から返事がある。そして金色の装飾が施された扉を開けられる。

 

 するとまず、色とりどりのステンドグラスが目に入った。光が幾重にも屈折して、虹に近い色を作り出している。

 

 それは扉から十数メートルは離れているが、圧倒的な存在感を放っていた。

 

 まずヨハネが室内に入る。その後に兵士が数名入り、俺と見習い勇者もそれに続いて、広々とした法王の間には十数名が入った。

 

 俺は中の人物には目もくれず、ステンドグラスを眺め続けた。するとある絵が形作られているとわかった。イリアスが邪神を倒した時の、過去の戦争の絵だった。

 

 そんな不愉快な芸術をバックに、玉座から老人が立ち上がった。年は六十代から七十代に見える。間違いなく初老は迎えているだろうが、その立ち振る舞いに老人らしさは感じない。

 

 さすがに雰囲気がある。ただの老人ではないとすぐにわかった。

 

 しかしそれよりも、別の場所に安置されているある(・・)ものに、俺は目が奪われた。

 

「あれが……」

 

 ──女神の宝剣か。

 

「あ、あれが法王様……」

 

 まあ……今はいい。しかしさすがは、法王。見習い勇者もわかるようだ。

 

 一つの宗教をまとめる長として、必要な威厳を持っている。柔和な表情からは読み取りづらいが、数多くの困難を乗り越えた経験が、その威厳を作り出しているのだ。それなのに決して顔がいかつい訳でも、体躯が優れている訳ではない。

 

 ずいぶん厄介そうだ。溜息をつくと、槍の柄で脛を叩かれる。

 

「いっ……」

 

「王の御前だぞ! 姿勢を正し、ひざまずけ!」

 

 ……なんだか横柄な態度に無性に腹が立ったので、反抗してみることにした。

 

「そっちこそ声張り上げて怒鳴るなよ。うるさいな」

 

「何?」

 

「この場所は声がよく響く。お前のせいで荘厳の雰囲気が台無しだ。第一、王様の前で暴力ふるうような奴が礼儀を語るな。ああ悪い、頭悪そうだが、理解できるか?」

 

 そこまでつらつらと言葉を並べて、気づいた。

 

 俺は今、結構気が立っている。

 

 普段ならば無視するか少し言い返して終わるが、滅茶苦茶に言ってしまった。

 

「……貴様、立場をわかっているのか?」

 

 青筋を浮かべた兵士は、そう言ってもう一度槍の柄で叩こうと、いや殴ろうとしてくるが──

 

「やめなさい」

 

 ぴたりと止まる。激昂していた兵士は、王の一言で止めさせられた。

 

「も、申し訳ありません……ですがこの男は──」

 

「彼の捕縛を解きなさい」

 

 兵士たちにどよめきが生じる。

 

「なっ……いけません、法王様! この男は危険です!」

 

 ヨハネが慌てて法王を説得しようとするが、法王はヨハネをじっと見て、静かに語り出した。

 

「事前にいっただろう。私は、彼と対等に話がしたいのだ」

 

「しかし……」

 

「今すぐ捕縛を解きなさい。何度もいわねばわからないかね?」

 

 有無を言わさぬ、重苦しい声が響いた。怒鳴り声とは異なる威圧感があった。

 

「ただ、一ついいか。そこの勇者は……?」

 

 法王は見習い勇者のことを尋ねたのだろう。法王の視線の先を辿ると、見習い勇者がおどおどしていた。

 

「おい」

 

 さすがにこのまま流されていると、冗談抜きでこいつも牢屋行きだろう。何考えてるのかわからないが、一応(さと)すかと小さく語り掛ける。

 

「お前は別にこれに関係ないんだから、さっさと……」

 

 適当に言い逃れでもしろ、と言う前に──

 

「ぼ、ボクはルカさんの仲間です!」

 

 見習い勇者はそう言った。

 

「……? まあ、君についてはまた後で詳しく話を聞くとして……」

 

 法王もよくわからないらしい。良かった。俺もこの男が何なのかわからない。

 

「では、彼の捕縛を解きなさい、ヨハネ」

 

「……はっ」

 

 そして兵士が近づいて来る。本気で縄を解くらしい。これも意味が解らない。

 

「……頭は、大丈夫なのか?」

 

 縄を解かれながら、思わず口にした言葉だった。

 思い切りヨハネと近くの衛兵に睨まれるが、純粋な心配から出た言葉だ。悪びれもせず法王の返事を待つ。

 

 俺が何をしたか──してきたか、報告が入っているはずだ。わざわざ教会で『イリアスヴィルのルカ』と名乗ったのだ。あの村でどういう風に過ごして来たか、調べていないはずはない。

 

 危険だと察知できるはずだ。だというのに、わざわざ捕らえた俺を解く。理解が全くできない。そもそも対等も糞も、俺は一応平民で、向こうは法王。立場でいえば天と地くらいは離れている。

 

 すると、俺の疑問は無視して、法王は話し始めた。

 

「まずは、直近のものから聞こうと思う。何故君はあんな事件を起こした?」

 

「……イリアスが嫌いだから。死ぬほどに」

 

 答えるまでもない答えだ。イリアスポートの教会から特に何も盗んでいなかったり、過去にもいろいろやっている当たりで、察しがつかないものだろうか。

 

「……そうか」

 

「……怒らないのか?」

 

「人の考え方は、人それぞれ。信仰もまた然りだ。何よりそれを強制するなど、イリアス様はお喜びにならないだろう」

 

 それはない。絶対にそれはない。

 

「しかしそれは私個人としてだ。法王としては、君の考えは許容の範囲外だ。あまりに不敬が過ぎる。そしてそんな発言を日常的にイリアスヴィルで行っていたなど、明らかに異常だ」

 

「それはどうも。お褒めに預かり至極光栄。法王様にも理解しがたい人間になれて、僕は幸せものです」

 

「貴様……」

 

 へらへらと舐めた口調で返答すると、兵士たちが後ろで槍を構えた。殺気がびしびし飛んで来る。

 

 しかしこれだけふざけたことを言っても、法王は怒りを表情に出さない。よほど心が広いのか? それとも、怒りという感情を忘れてしまったのだろうか?

 

 じゃあ、思い出させてやろう──そろそろやるかと思って体に力を込めると、法王の目線が別の方へ向いた。

 

「ヨハネ。少しだけ兵士と……そこの勇者を連れて部屋から出るのだ。内密な話がある」

 

「…………………何かあれば、すぐにお呼びください」

 

 ヨハネは言っても聞かないということを理解しているようで、しぶしぶ納得したようだ。見習い勇者を連れて下がる。見習い勇者は何が起こっているのかよくわからないといった顔をしていた。本当に何故仲間だといったのだろうか。

 

 部屋から俺と法王以外の人間が出ると、少し間をおいて法王が話し出した。

 

「私は、次第によっては今回の件を不問にしようと考えている」

 

「は?」

 

 それは、本当に意味がわからない。

 

 今すぐにでも牢屋にぶち込んで裁判なしで死刑くらっても全然おかしくないはずだが……もう少し話を聞いてみる。何だか嫌な波動(・・)がした。

 

「さて、では何故、不問にするかもしれないかだが……実はな、私の夢枕に、イリアス様が降臨されたのだ」

 

「……」

 

 ああ、なるほど。なんとなくだが、この理解不能な状況を、理解し始める。

 

「イリアス様は、こうおっしゃられた。

 

『先日、ルカという人物が起こした事件は、場合によっては(・・・・・・・)不問としなさい。彼は魔王を打ち滅ぼす人間です』

 

……と、そういう訳だ」

 

「…………」

 

 ふつふつと怒りが巻き起こる。空を見上げようと首を起こすが空はない。代わりにステンドグラスに描かれたイリアスを睨む。

 

「だからこそ、君と話がしたかった。私個人、君が起こした事件の報告を聞いた時点で話をしようと思っていたが……ますます興味が湧いたのだ」

 

 法王は完全に自分の世界に入っている。俺の状態など気にもしていない、という訳ではないらしく、こちらを見た。単純に鈍いだけのようだ。

 

「何故君が魔王を滅ぼす存在なのか。何故信徒でない君にイリアス様がわざわざ目をかけているのか。何故君がこのような人間になったのか」

 

 老人が子どものように純粋な目をしている。

 

「私はイリアス教のトップとして、知らねばならない。故に私は今日、君を呼んだ」

 

「……で、場合によっては不問というのは?」

 

 早く話せと目線で訴える。法王は俺が苛立っているのを察したのか、少し慌てて返答する。

 

「条件のことだ。まず一つ。君がイリアス様に心から詫びること。君がイリアス五戒を今後絶対遵守すること。最後に、君があの場(・・・)の発言を、撤回すること。この三つだ」

 

 ……やっぱりか。どうせそんな所だろうと思っていた。

 

「…………なあ、なんで、イリアスが信徒でもない俺を助けるために、あんたの夢枕に立ったか。教えてやろうか」

 

「それは是非もない。いったい、な──」

 

「──舐めてるんだよ、俺のことを。地べたを這いずるミミズ程度にしか思ってないんだ。あの女神は」

 

 法王が目を大きく見開き、明らかな敵意をむき出しにした俺を見つめた。

 

「ああ、一応その馬鹿みたいな条件について返事しておく。わかるだろうと思うが圧倒的にNOだ」

 

「……そうか。それは、残念だ……ヨハネ!」

 

「はっ!」

 

 扉の前で待機していたのだろう。ぞろぞろと一度退出した兵士が入って来た。そして俺を囲む。

 

 兵士を一人一人確認する。俺の荷物を持っている奴は……後方にいる。まあ問題なく奪い返せるだろう。また見習い勇者も、最後尾で現場がどうなっているのか背伸びして確認しようとしていた。

 

「残念だが……君の事情は牢屋で聞かせてもらう。さあ、捕らえろ」

 

 命令されると兵士たちは俺の手を縄で縛った。そして俺は牢屋へと引っ張られるその瞬間、語り出した。

 

「待てよ。もう少し話を聞いていけ」

 

「……君の、話を?」

 

「ああ。別に抵抗なんてしない。縛られたし、丸腰だ。この人数差で勝てるとは思わない。牢屋で話すよりはこっちがいいから、ここで話させて欲しいんだ。頼むよ」

 

 少し不思議そうな顔をしたが、法王は兵士に槍を下ろせと命ずる。聞き分けがよくてかなり助かる。

 

「さて、さっきもいった通り俺は、イリアスを信仰していないどころか、嫌いだ。憎んでいる。そもそも神なんて存在すら、いらないと思っているくらいには憎悪している」

 

「なぜ、そう思うのかね?」

 

 さすがにここまで言うと法王も明確に怒っていると表情からも声からもわかる。

 

「神様──イリアス様は、素晴らしい御方だ。時には心のよりどころとして、我らに安心をもたらしてくださった。時には祈ることで、人々は団結できた。何よりイリアス様は、いつも我らを見守り、必ず救って──」

 

「もういい、もうやめろうんざりだ」

 

 これ以上そんな言葉を聞いていると耳が腐る。途中で声を張り上げて遮った。

 

「当然だが、俺の主張とは真っ向から反する。俺が思うにそういう象徴としての神が許されるのは、神が現実に存在しない場合だけだ」

 

 この世は広い。これまでに数々の宗教が生まれ、消えている。だがイリアス教はその中でも一番の歴史と勢力を持っており、何より特異だ。

 

 それは、イリアスという神が世界に存在しているという、絶対的な違いによるもの。過去に存在した他の宗教でも神はいるが、それらは今現在、人間のような実体を持っていないのだ。

 

 だが──

 

「イリアスは、確かに存在している。実体を持っているんだ。あんたの夢枕に立ったイリアスも、あれは奴が確かに語り掛けているものだし、洗礼でもイリアスは降臨する」

 

 だからこそ、俺はただ祈られて人々の安心を与えるだけの神としてイリアスが存在するのが気に食わない。

 

「ところで少し聞くが……イリアスは、俺たちが弱っているとき何をしてくれたというんだ?」

 

「……イリアス様が、明確な個人や団体を救われたという記録は残っているが?」

 

「そうじゃない、俺たちだ。今この世に生きている奴を、イリアスは一人でも救ったのか?」

 

 どうせ洗礼だけやって救った気になっているのだろう。奴が姿を現すのなんて、その時くらいだろうし。

 

「奴は全知全能、完全無欠、誰も彼もが口を揃えていうだろう。そう信じているだろう。皆そういう癖に、俺自身はもちろん、救われたという奴を見たことがない」

 

「……それは、君が寡聞なだけだろう。直近の有名な例を挙げるならば、ヨハネス暦1425年にイリアス様はラダイト川が洪水を起こした際に降臨され、見事それを治めなさった。これには生きた証人が数多く存在している」

 

 …………あ、そうなのか。普通に知らなかった。

 

 今がヨハネス暦……1455年だった。三十年前だ。生きている奴はいくらでもいる。

 

「そもそも、君の意見はおかしい。信仰を何か、融通の聞く便利なものと勘違いしていないかね?」

 

「……どういう意味だ」

 

「信仰とは、祈りそのものだ。祈るという行為こそに、意味がある。先ほどもいったように、イリアス様は存在してくださるだけで心の拠り所となってくださる。救われたか否かというのは、あくまでイリアス様の御心次第なのだ」

 

「……俺は、それが気に食わないんだよ。ああ、だが確かに俺の知識不足だった。まさかあの女神が人を救っていたとは思わなかった。そこは謝罪する」

 

 だが──と、間髪入れずに言葉を続ける。

 

「俺の母さんは救われなかった。それが全てなんだよ。祈りにこそ意味があるだとか、心の拠り所になるだとか、そんな食えないパンの話は机の上でやってくれ。俺が信仰に求めていたのは、救いという結果だけだ」

 

 絵に描いたパンという綺麗事なんて何の役にも立たないのだ。実際腹は全く満ちない。

 

「事実を見れば、俺の母さんは救われなかった。でも奴は昔に人を救ってる。それはつまり、救う奴を選別してるってことだろ? もしくは、全知全能なんて嘘っぱちかだ」

 

 これは事実だ。イリアスは全知全能などと言っている癖に、救えない奴がいる──だったら良いが、意図して救わない奴がいるのだ。それが心底嫌いだ。

 

 少し会話が止む。すると名も知らない兵士の一人がここぞとばかりに口を挟んできた。

 

「……貴様の事情はわからないが、それは、お前の祈りが足りなかったから――」

 

「へえ、そうか。じゃあ俺が祈った、三日三晩じゃ足りなかったか。そうかそうか。じゃあ死ぬまで祈れば良かったな。骨と皮になるまで祈れば良かったよ」

 

 勢いに任せて言いくるめると、兵士は気圧されたようだった。俺は追撃する。こういう割り込んで来る奴は邪魔だから徹底的に潰す。

 

「しかしさすがにイリアス教の総本山の兵士がいうことは他とは違う。じゃあところであんたは、イリアスにどこまで祈ったんだ?」

 

「……どういう意味だ?」

 

「祈りが足りなかったというんだ。どこまで祈れば良かったのかわかるんだろ? どれだけを奴に捧げ、何を救ってもらった? いってみろ」

 

「……」

 

「何だいえないのか。じゃああんたも同じか、イリアスに尽くしたが何も返して貰ってない訳か。イリアスという神は、随分とケチ臭い奴だな本当に」

 

 兵士は睨むだけで何も言ってこない。もう無視して、法王の方を向いた。

 

「……君の主張はわかった。だが、ならば人々に平等な機会が与えられている、洗礼はどう捉えている? 洗礼によって救われた人々は数多くいるはずだが……」

 

「それは間接的が過ぎる。さっきも言ったように、求めているのは食えるパン。わかりやすい結果だ。そんな魔物に襲われにくくなる程度の洗礼では、救いにはならない」

 

 そう、洗礼の効果は襲われにくくなる程度のものだ。洗礼程度で魔物に襲われることを完全に防止できる訳ではない。第一洗礼は機会を逃せば二度と受けられない。ますますケチ臭い。

 

「……何度も言うように、その考え自体が間違っている。祈りに対する報いが必ずあるとは限らない。イリアス様の御心は誰にもわからぬ。それでも、イリアス様は私たちのことを思ってくれている。その御心の現れが、洗礼の際イリアス様が降臨してくださるという事実なのだ」

 

 まあ、確かに万人が洗礼を受けに行くだけで、万人に神の姿を見せてくれるというのは破格なのかもしれない。

 

「君の考えには共感できる部分も確かにあるが、やはり間違っていると断言しよう。信仰に、祈りに見返りを求めるべきではない」

 

 確かな断言だった。強固な意志を見せつけるような、これまでにない強い口調だった。

 

「そもそも救いが当然であるというのが、君の態度にあると思う。それは救われる側の姿勢として、私個人の立場を度外視していうならば、間違った態度だ」

 

 表情は変わらない。だが声色から確かな怒りが感じられた。

 

「救いは、奇跡に他ならない」

 

 当然で、あるはずがない──。

 

「……」

 

 俺は、下を向いた。

 

「……ああ、そうか。なら、それでいい。実際俺も、ただ祈りの見返りがないだけならば、そう、思ってただろうしな」

 

 ここで反論は諦めた。さすがに法王を言い負かすなんて無理だ。というか俺の論理の方が弱い。冷静さも途中で失っていた。ダメだな、やっぱり熱くなっては。

 

 だから反省の意を込めて、下を向いた。

 

「……なら」

 

 でも、反省の意だけじゃない。

 

「俺が何で、祈りに対する対価があると考えているか、教えるよ」

 

 笑みを隠すために、俺は下を向いた。

 

「それは興味深い。ぜひとも、教えて欲しい」

「イリアス神殿」

 

 小さなどよめき中に拍手を落とした時のように、場が静まり返った。

 

「イリアス神殿の神官に、そういう風に教わった」

 

 これは、多分爆弾だ。

 

「……なんと」

 

 さすがに驚いたのだろう。法王と全く逆のことを言う神官がいたという事実を突きつけたのだ。

 

 これで法王は俺を簡単に否定できなくなった。だってサンイリアの直属の神官からの教えだ。それが法王と矛盾しているのだ。

 

「祈れば、必ずイリアス様は救ってくださる。それが神官の口癖だったかな」

 

 俺が病床に付す母さんを助けてくれと頼みに行っても、ただ祈れというだけだった。僧侶による治療も可能だったはずなのに。

 

「俺はその当時子どもだった。馬鹿みたいに全てを信じてた。だが神官は嘘つきだし、イリアスの救いも何もなかった。母さんは死んだ。祈りは、一切届かなかった」

 

「だが、それならば何故君はイリアス様を嫌悪するのだ? 神官が嘯いたことが原因で、イリアス様は何も──」

 

「そうだな。その通りなら、俺も……そういうこともあるで、済まそうと思ってたよ」

 

 遮って言った。

 そう、それだけなら、イリアス教やイリアス自体を憎むなんて馬鹿な真似はしない。

 

「でも、それだけじゃなかった。よくある不幸な話ではなかった。絶対的に信じていた存在から、取返しのつかない裏切りを受けたから──」

 

 口にしたって信じないから言わないが、奴の方が、俺を決定的に裏切ったから──

 

「だから、俺は今日、この場であんたと話してる」

 

 実際の所数多くの偶然が重なって、この対話が実現したのだが……まあ細かいことは良い。

 

「わかれ。俺にとって、神はもう死んだんだ」

 

 祈りを捧げる存在としても、心の拠り所としても、祈りの見返りを求める都合の良い存在としても、もうイリアスは死んでいる。

 

 あの場(・・・)にて、神としての奴はもう死んだのだ。

 

「なんていっても……まあ、わかると思って、話してないけどさ、俺も」

 

 特に返事がないから、諦めたように笑って言った。

 

「どうせお前らは神の奴隷だ。何をいっても主人に逆らうなんて出来はしない」

 

 だから俺は、それを壊すために、これから目的を果たすのだ。

 

「何でわざわざ教会襲撃したかも答えるよ。イリアスへの嫌がらせもあるが、何よりあんた達に少しでも俺をわかってもらおうと思ったんだ。馬鹿みたいな行動したら、話聞いてくれないかなって、思ったから」

 

 なんか子どもみたいなこと言ったなと内心で自嘲する。構ってもらいたい子どもみたいだ、本当に。

 

「──そして」

 

 何よりも、ここに来た一番の理由。

 

「ここで、宣言するためだ」

 

 ぶちぶちと、縄を引きちぎる。

 

「世界に伝えろ。俺はイリアスを、世界で一番、嫌ってる」

 

 そう告げると、高く飛んだ。

 

 俺は兵士たちも、法王も飛び越え、それがある場所へ着地と同時に駆け出す。

 

 慌てて兵士たちが声を張り上げ止めろと叫ぶ。

 

 もう何もかも遅いと、俺は台座のそれ(・・)を引き抜き床に放り投げた。からんからんと金属でできたそれが鳴る。

 

 察した兵士が叫んだ。法王が目を丸くした。

 

 俺は、ずっと沈黙していたそれ──女神の宝剣に、思い切り踵を振り下ろす。

 

「重ねていうよ」

 

 女神の宝剣は容易く真っ二つに割れる。

 

「俺は、イリアス教の敵だ」

 

 怒号が、王の間に響き渡った。

 

 

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