ベルセルクのルカさん   作:あとば

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第16話『対話』

「何でお前がここにいるんだ……アリス!」

 

 ルカは、その人物──アリスを見て数秒、黙したが、よろけながら叫んだ。

 

「……少し見ない内に、変わったな、ルカ。そしてまた負けたか。無様だな」

 

「お前……!」

 

 ルカはアリスに斬りかかろうとするが、その前に正気に戻る。現在自分が追われていたことを思い出した。兵士たちの足音と声が迫って来ている。

 

 おそらくルカとグランベリアの戦いが終わったことを音で感じたためだろう。先ほどまでこの場にあった剣気、熱気は、一介の兵士では近づけぬものだった。

 

「まあいい。場所を変えよう」

 

「なっ……!」

 

 アリスもそれに気づいたようで、冷静に魔眼を放った。ルカは抵抗しようとするが、傷つき疲れ果てた体では抗いきれず──

 

「くそ……」

 

 結果ルカの意識は徐々に飛んでいき、糸が切れたように眠りについた。どさりと前に倒れうつぶせになった。

 

 アリスはルカの服の襟をつかみ、転移魔法を使った。一瞬で二人の姿が消える。

 

 兵士がその場に駆けつけた時には、既にもぬけの殻だった。

 

 

 ここは……どこだ?

 

「……」

 

 ルカは目が覚めてすぐにベッドから体を起こし、状況を確認した。

 

 すぐ目に入った天井には穴が空いている。起き上がって見た壁や床は所々抜けていて、腐った板には虫が這っていた。家具も大体痛んでいる。

 

「起きたか」

 

 ばっと振り返る。

 背後には、アリスがとぐろを巻いて佇んでいた。魔物の姿だ。そこまで広くない家屋だからか尻尾が少し窮屈そうにしている。

 

「……っ! ここはどこだ!」

 

 ルカはベッドから即座に出て、アリスから距離を取った。

 

「サンイリアから離れた、名も知らん廃村だ。丁度良い家屋が残っていたから借りている」

 

 アリスが言った。どうりで異常なほど家も家具も傷んでいる。

 

 ルカは納得した──それと同時に思い出した。

 

「……はあ」

 

 また、グランベリアに負けた。

 

 相手は世界最強の剣士だ、魔王軍四天王だ、俺は人間だ──数々の言い訳がルカの頭に浮かんできたが、それらを全て否定する。慰めの言葉など必要なかった。

 

 それを許せば自分は終わりだとわかっていた。だからこそ今は、再戦に向けて怒りを燃やすべき時だと、落ち込むべきでないと思う。二度も敗北しているにも関わらず、命を拾えている。この幸運に感謝して修行をさらに積むべきだ。

 

 しかしその前に、自身の目の前にいるこの魔王をどうにかしなければならなかった。

 

「で? 何の用だ。手当の礼くらいは必要ならいうが」

 

 包帯は一応巻かれていた。それだけでなく傷に痛みを感じない。治っていると見た。おそらくはアリスの力だろうとルカは思う。まだ瞑想は行っていない。

 

 しかし、折れた骨や歯も治っている様だった。相変わらず規格外の力を持っていると、ルカは舌打ちをした。

 

「余は……貴様ともう一度話がしたかった。だから──」

 

「ああそうか。じゃあ表に出ろ」

 

 ベッドの隅の壁に置かれた荷物から、替えの木刀を掴み、握った。握力は問題ないようだ。剣を振って後遺症などがないことを確認すると、ルカは切っ先をアリスに向ける。

 

「次お前と話をする時は、魔王城で相対した時だと決めていた」

 

 つまり戦えと言っている。アリスもそれを察したようで、やれやれと、とぐろを解いた。

 

「戦いながらではまともに話せんだろう」

 

「こちらはそもそも、お前とまともに話す気がない」

 

 呆れるアリスを無視して、ルカは先に家屋を出た。外は雨がぱらぱらと降っていた。曇り空だ。雷が鳴る気配はまだないが、雲は分厚い。その内ごろごろと唸り出すかもしれない。

 

 続いてアリスも外に出る。家屋が暗かったからわからなかったが、鼻筋にはルカが付けた傷跡がくっきり残っていた。

 

 広がる景色は、廃屋が点々としている、いかにもな廃村だった。遠くの小川近くに水車の残骸らしきものが見える。どこか雰囲気的にイリアスヴィルを想起させる。案山子(かかし)や畑の痕跡が残っている。

 

 ルカは家屋から離れて、二十数歩。邪魔な木や廃屋がない少しは開けた場所。そこで歩みを止めた。そしてアリスに背を向けたまま話し出す。

 

「アリス──いや、魔王。お前は一体何がしたいんだ?」

 

 雨音が少し強まった。これから戦いが始まることを暗示するように。

 

「秘宝の洞窟で話しただろう。俺の意志は伝えたはずだ。目的も明かした」

 

 ルカはまだ背を向けている。アリスも黙っている。

 

「俺は、お前を殺──がっ!!」

 

 言いかけた所で、ルカの背中に思い切り衝撃が走った。

 

 吹き飛ばされ、廃屋に背中からぶつかって、壁を貫通して廃屋の中まで転がる。家具が散乱し、食器が落ちて割れた。

 

 何が起こったか判断するその前に、反射的に起き上がり家屋を飛び出す。アリスは平然と腕組みし、ルカを睨んでいた。

 

 不意打ち──ルカは舌打ちする。どこか油断していた。敵という認識が足りていなかったと、内省する。

 

「……そういう対話を望んだのは、貴様の方だろう」

 

「ああそうだった。悪かった。アリスと話す時みたいに、気を抜いてたよ──魔王!」

 

 アリスに返事すると、ルカはすぐさま臨戦態勢を作った。

 

「で、お前はなんでここにいる。まさかあれだけいっても、まだわからないのか」

 

「……秘宝の洞窟で、貴様の目的が魔王殺しだとわかった」

 

「そうだな、だから拒絶した!」

 

 ルカは瞬時に近づき、思い切り剣を叩きつける。狙いはアリスの機動力の元となっている尻尾だ。だがアリスは瞬時に体を捻って尻尾を振り回した。

 

「絆されるのは、御免なんだ!」

 

 ルカはぎりぎりで距離を取り回避。鼻先を尻尾の先がかすめた。

 

 躱しながら攻撃をする。喉をめがけた突きだった。

 

 しかしアリスは突きを受け止め、ドロップキックの要領で尻尾の先端を突き出した。それを食らい、ルカの動きが止まるが、一瞬だった。

 

「何より、俺はお前が嫌──」

 

 ひるまず攻勢に出ようとするルカを、アリスは──

 

「貴様は、大嘘つきだ」

 

 思い切り、嘲った。

 

 ルカの足が一瞬止まる。が、すぐに突撃する。何を根拠に言っているかルカにはわからないが、このまま素直に話させるのはつまらないし苛立つことだった。

 

「何が、どこで、どこら辺が、大噓つきなんだ!」

 

「貴様がどうやって人を殺すというのだ。木刀などという、命を取らぬための武器を使っている貴様が」

 

 ルカの攻撃が止まる。

 

「前にいったはずだ。それは俺の──」

 

「木刀の攻撃力はひのきの棒とほぼ同じだ。金属の剣とは比べ物にならない。敗北することよりもポリシーが大事か? 先のグランベリアとの戦いで真剣を使っていれば、少なくとも善戦はできたはずだ」

 

 ルカが反論を考える隙に、アリスは攻撃を用意していた。

 

「“ブレイズ”」

 

(──炎! だがあいつ(グランベリア)より弱い!)

 

 剣風で逸らす。だがその隙に、炎に隠れて近づいたアリスが拳を振り上げていた。

 

「っ!」

 

 剣の腹で受けた。折れていないが木刀にひびが入る。

 アリスが拳に纏っていた、闇が残留している。剣がずしりと重たくなった。七尾の陰陽術のような妙な術を付与していたようだ。

 

「ルカ。貴様は……甘い上に、優しいよ。まるで冷酷などではない。貴様と知り合い、関わった者と話したが……貴様は、真逆の人間だ」

 

 まあもちろん、主に内面的な話であって、貴様の外面はアレだが、とアリスは付け加えた。

 

「……何? 俺と関わった者、だと?」

 

 聞き捨てならない言葉があった。ルカは思わず確認する。

 

「貴様と別れた少し後、余は貴様と親交のあった者と話をした。貴様は無駄に口論が強い奴だ。情報が少なければ不利になるだろうと踏んだ」

 

 だからそんなにも自信満々なのかと腑に落ちる。事前準備が十全なのだ。これは面倒なことになったと、ルカはアリスを睨みつけた。

 

「その過程で、貴様の過去も少しは知った──まあそれは後でいい。とにかく、貴様が余を殺すことなど不可能だ」

 

 根拠のありそうな物言いだった。実際に、それをアリスは用意している。

 少し体を張ることで、危険も相当に犯す賭けだが、勝算は大いにあった。

 

「サザーランドの女将がいっていたぞ。依頼するとき、殺しの内容が入っていないか念入りに気にしたと」

 

「……無用な殺しはしないだけだ。必要な殺しならば、できる」

 

 ルカは安堵した。その程度ならば反論できる。

 実際、それは事実だ。無用な殺しはやはり、現在のルカにはできない。しかし過去に必要な殺しは行えた。

 

「エンリカで聞いてたんだろう。俺は人を殺した。殺せるんだよ。どうしても殺さなければならない奴はな」

 

 それがあるから、ルカは自信満々に言った。

 

 例えば魔王城。その場で戦い、勝利したならばとルカは想像する。自身の剣は確かにアリスを貫くことができた。イメージはできた。ならば行える。

 

「ほう、そうか」

 

 しかしアリスは小馬鹿にしたように笑うと、

 

「ならば今、余を殺すといい」

 

「は?」

 

 ほら、とアリスは何かを投げた。それはルカの足元に突き刺さった。

 

 それを手に取る。それは、竜の牙のように鋭利なナイフだった。持ち手にはいかにも魔物の短剣らしい、禍々しい装飾が施されているが、それでいて握る分には邪魔がない。

 

 ルカはナイフとアリスを交互に見やる。このナイフならば、アリスの皮膚も筋肉も血管も骨も、全て貫き心臓を刺せるだろう。木刀とは訳が違う。明確な殺傷能力を持っている、武器だった。

 

 だが、ナイフを持ったままルカは放心した。前に出て突き刺すことも、押し倒して自重で刺すこともしない。

 

 アリスが体を近づけて来る。まっすぐな眼でルカを見つめる。

 

「どうした? 当然、余は無抵抗を約束するが……魔王を殺す機会など、二度と訪れんぞ」

 

 それでもルカはナイフを振るうための力を入れようとすらしない。何かに怯える姿とも取れる放心状態は、アリスがルカに触れたことで終わる。

 

「……!」

 

 はっ、としてナイフを振り上げた。

 

 しかし、ナイフは宙でぴたりと制止した。

 

「いくじなし」

 

 アリスが妖艶に呟いた。ルカの額には脂汗が浮き出ていた。

 

 ナイフを持つルカの手を、アリスが包む。そして腕ごと動かし、首元にナイフの腹をくっつけた。ちょうど大きな血管が走る位置だった。

 

「少し力を入れて引けば、貴様の目的は完遂するぞ? 魔王を殺したいのだろう?」

 

「……やめろ」

 

「全く、情けなさにも限度がある。仕方ない……余が、後押ししてやろう」

 

 アリスはぐっと力を込めて、ナイフを引き始めた。

 

「やめろ! 何考えてるんだ、馬鹿野郎!」

 

 慌てて突き飛ばす。ナイフが手から離れ、また地面に突き刺さった。

 

 本物のナイフだった。実際にアリスの首元には、赤色の線が走っている。もう少し力を入れていたら、魔王といえど、失血死していたかもしれない。

 

「まあ、そういう訳で貴様の目的は嘘だと断言できる」

 

 突き飛ばされた肩をアリスが手で払いながら言った。

 

「万が一貴様の中の目的が、実力で殺すだったとしても、余が死ぬとなってここまで動揺する貴様には、何があっても余を殺せるとは思えん」

 

 だからこそ、とアリスは言葉を繋げる。

 

「やはり、あの場で貴様がいった“目的”は、真っ赤な嘘だ」

 

 魔王殺し。そんなものは不可能だと、アリスはルカに事実を突きつけた。

 

 ルカは言い返すことができず、鬱陶しそうに頭をがりがりと掻いた。雨で濡れた髪から水滴が散る。そうしながら、アリスを苦々しく睨んだ。

 

「ルカ。貴様は、何を目指している?」

 

「魔王を殺すという、達成不可能な目的の果てに、何を求めている」

 

「なぜ、冷酷であるという、不可能な理想を抱いている」

 

「そうだ、昔は勇者になろうとしていたらしいな。武器屋の店主がいっていたぞ」

 

「人を殺したから、勇者を目指せなくなったのか?」

 

 アリスはルカに近づいた。ルカの間合いに入っている。

 

「……いい加減に」

 

「どうして大事に思っているはずの盗賊団に、冷たい態度を取っていた?」

 

 さらにアリスが近寄る。ルカは剣を振り上げた。

 

「踏み込んで、来るな!」

 

 追い払うように振った剣は腰が入っていなかった。アリスに容易く軌道を逸らされ、さらに肉薄される。

 

「くッ──っ!」

 

 尻尾の間合いに入ったルカは焦りながら逃げることに注力した。

 

「逃げるな」

 

 でもアリスは、逃げようとしたルカの髪を掴んで頭突きをした。額と額がぶつかり合う。

 

「貴様も甘いが、余も甘かった。安易に踏み込みすぎないよう、気を遣っていた」

 

 ルカの日々の態度がそうさせた。

 

 あれはルカの術中なのだろう、踏み込ませないための。

 盗賊団もまんまとそれに引っかかって、踏み込めなかった。だから仲が悪くもないのに、名前を呼べないという妙な関係になっていたのだ。

 

 しかしふと、思ったのだ。自分は、余というのは、そんなことを気にするべきか? と。

 

 違う。

 

「余は魔王だ。求めるものは、奪って行く」

 

「……っ!」

 

 今だけは、五百年前の黒のアリスのように、暴虐に。

 

「貴様の事情など一切関係なく、無遠慮に、粗雑に、思い切り踏み込んでやろう」

 

「……っ! この、いい加減に離せ!」

 

 ルカが思い切り木刀を振る。アリスは髪から手を離した。ルカは攻めずに一度引く。

 

 だがアリスは再度距離を詰めた。それを見て、ルカはいい加減にしろと本気で苛立った。

 

「今からお前を──殺してやる」

 

 ルカは、青筋を浮かべながら異の構えを作った。

 

「やってみろ、道化」

 

 アリスは、ルカの滑稽さをあざ笑うように、腕を組んで攻撃を待った。

 

(──! 証明してやる。俺は目的のためならば、償うためならば、誰であろうと殺せる!)

 

 この間合いで放ったことはなかったが、そんなことを気にする余裕はなかった。

 

 杖のように剣で体を支え、空を斬る──

 

「閃殺!」

 

 位置が、逆転する。

 

 ルカに手ごたえはない。それはいつも通り。空を斬ったように感じる。だから斬ったと確信して、振り返る。

 

「なっ……」

 

 アリスは、容易に見切って躱していた。

 

 ルカは攻めを止めない。これがダメなら別の技を初めから使うと決めていた。

 

「くっ──魔天回帰!」

 

 アリスは腕で受けて、流し込まれる魔力を逆に流して相殺した。

 

「九重の、羅刹っ!」

 

 出鼻をくじかれた。連撃になる前に技が死んだ。

 

「明けの──ぐっ!」

 

 技の発動以前に尻尾で体を弾かれて吹き飛んだ。

 

「いい加減にしたらどうだ」

 

(通じない……全部……!)

 

 いつの間にか廃村の奥まで来ていて、むき出しの崖が近い。山を背にした村だった。

 

 アリスは拳を突き出す。ルカは木刀で弾こうと受けの姿勢を取る。

 

「無駄だ」

 

 拳が木刀に直撃する。根本から折れた。圧倒的な力の差だった。ルカは折れた方の木刀を空中で掴むと、二本をクロスして、次の攻撃を防御しようとする。

 

「──っ!?」

 

 だがルカの背中が壁に激突した。衝撃で一瞬思考が止まる。背後を確認していなかったのだ。まずい、と言うように、雨と冷や汗が混ざったものがルカの額から垂れた。

 

 アリスは、さらに距離を詰めた。

 

「どけ! 消えろ!」

 

 ルカはアリスを滅多打ちにする。

 

 しかしルカの悪寒とは裏腹に、アリスは攻撃をしなかった。拳も振り上げず、佇んでいる。

 

 その顔には、痛がる様子もない。怒る様子もない。

 

 どこか優し気に、目を細めてルカを見つめるだけだった。

 

 そのせいか、ルカの剣の勢いは徐々に落ちていった。敵が何もしないせいだ。戦いとはコミュニケーションの側面がある。どちらかが何もしないと、成立できない。

 

「……くそっ」

 

 攻撃を、止めざるを得なかった。

 

 いくら打ち込んでもアリスは微動だにしない。壁に追い詰められたルカから離れようともしないし、追撃しようともしなかった。

 

 ルカが、木刀を下ろした。ダメージが通る様子もなかった。無意味だと悟った。

 

 二人は沈黙する。雨の音だけが響いていた。

 

 見つめ合った。双方、互いが互いを見ていた。

 

 そしてアリスが口を開く。

 きっ、と睨むように、どこか恥ずかしがるように、ルカを再度見た。

 

「今から、思ってるこというから、黙って聞け」

 

 アリスは、沈黙をやめた。

 

「貴様は、愚か者だ」

 

 ルカは何も返さない。

 

「貴様を大事に思う者を大事にしないし」

 

 ──盗賊団を邪険に扱っていた。おかみや武器屋の親方も雑に扱っていた。

 

「言葉足らずで人をしょっちゅう勘違いさせるし」

 

 ──自身も勘違いした。魔物は敵とか、他にも細々としたものを。

 

「普通に余の顔に傷つけてきたし」

 

 ──青黒い傷だ。前から見ればひし形に近く、横から見ると三角形。

 

「世間一般から見れば異常者だ」

 

 ──サンイリア襲撃とか。頭のおかしな人間としか思われないだろうに。

 

「でも」

 

 アリスは逃げ場を失ったルカに、散々な文句をぶつけたけれど、まだ攻撃しない代わりに、母が子に諭すような声色で話しかける。

 

「余は、貴様のこと嫌いじゃない」

 

 そう言って、アリスは拳をルカにとんと当てた。

 

 拳が、ルカの胸に触れた。

 

 攻撃ではなかった。

 

 当たったとて、だから何だという無意味の拳。誰も殺せない、誰も倒せない、誰も傷つけられない、拳と形容することすら憚られる、握っただけの手。

 

「……」

 

 手がルカの胸板から離れた。

 

 そして重力に引っ張られたように、途端にアリスはしゅんとなって、眼に動揺が現れた。

 

「などと……こっぱずかしいことを、いってみたが」

 

 魔王らしい姿から一変、らしくない姿になった。

 

「さっきの言葉は、本心だ。でも、余は正直、打算でここに来た。貴様を自分の理想に当て嵌めようとしている。自分の目的のために、利用しようと思っている。今も……それは変わらない」

 

 ルカに秘宝の洞窟で言われたことを思い返した。

 

『お前の理想を、俺に押し付けるな』

 

 だが今も理想に当てはめている。人間と魔物の架け橋になってくれると期待している。それはルカにとって嫌なこと何だろうと思って、アリスは罪悪感から正直に言った。

 

 結局、アリスは魔王には成り切れない。冷徹とも言えない。黒のアリスのようには決してなれない。

 

 だからこそ、打算だけではなかった。本心の言葉が、そこにあった。

 

「……!」

 

 ルカは、ひたすら衝撃的だった。

 

 この妖魔は、自分にそれだけのことを言うために、ここまで来て、わざわざ戦って、雨に打たれて、恥ずかしいことを言い放ったという事実に、驚愕した。

 

 意味がわからない。理解できない。

 

 自分にそこまでする者が、そこまでして踏み込もうとする者が初めてだった。

 

 加えて、あれだけ拒絶して、あんな目的も言って、あまつさえ『お前のことが嫌い』とすら、言い放った。

 

 そんな奴の所に、なぜ再び来るのか──いくらアリスの目的とやらに利用するためとか、嫌いじゃないとか、だとしても、おかしいはずだ。

 

 ぐちゃぐちゃ、だった。

 

 グランベリアに負け、アリスにもわからされて、自分の根源が揺らぎつつある所に、これだ。

 

 だから、もう何をどうすればいいか、見失って、次第に意地を張るのが馬鹿らしくなって、俯いた。そして誰にもわからないくらいに小さく、笑った。自嘲だった。

 

 そして、もういいかなんて、緩いことを思う。思ってしまう。何を言ってもどうせ、こいつは諦めないと、そう思ってしまった。

 

 もう意地を張っても、全部はがされて、無駄になるだけという諦観が根付いていた。

 

 ──だからもう、いいか。

 

 雨が、降っている。

 

 曇り空はまだ続いていて、いつしかぽつぽつではなくて、ざあざあ降り出すまでになった。

 

 水滴がすぐさま体を濡らす。額に落ちる。鼻に落ちる。頬に落ちた。

 

 ルカは、岩壁に背中をこすり付けながら、ずずずと下がって、尻もちをついた。

 

 そして眼を閉じた。何かを思い返すようなしぐさに見えた。

 

「……お前は、馬鹿だな、ほんとに」

 

 アリスは何も返さない。

 

「変な勘違いは終わりにしろ。お前は頭悪くないだろうに、そういう所で馬鹿だ」

 

 ──魔物だからなのか。何故かいつまでも勘違いを止めない。俺がどんな風に映っているのかわからない。

 

「飯も食い過ぎだ。金もなくなる。二人分の旅費はないから、安宿に泊まるしかないんだ」

 

 ──当初はちょっと良い宿に泊まるつもりだった。でも急に二人になったから、計画は壊れた。

 

「踏み込んで来るな。そんな奴いなかったから、どう扱えばいいのかわからない」

 

 ──独りだった。剣呑でいれば、遠ざければ大半が近寄らなかった。それでいつも終わりだった。

 

「対等じゃない。変に下に見て、口出しするな。俺は俺でいいんだ」

 

 ──邪魔くさいのだ。俺は俺で勝手にやるから、放っておけばいいのに。

 

「でも」

 

 そう言って、長く時間を空けて、前髪の先にたまった雨粒がぽつりと垂れるように、ルカは言った。

 

「俺も、お前のこと嫌いじゃなかったよ」

 

 ──これだけは、絶対に言いたくなかったのに。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 独りも、根源も、自身の全部を否定してしまう、言葉だから。

 

 何よりも。

 

『俺の目的は、魔王を殺すことだ』

 

 これを完全否定してしまうから。認めた時点で、これをできなくなってしまうから。

 

 ルカは、手で髪をくしゃりとやって、俯いた。

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 ……何か、言ったらどうだ。

 

 …………悪かったよ、秘宝の洞窟のこと。

 

 うむ。まあ、余は寛大だ。許してやらんことも、まあ条件付きではなくもないぞ。

 

 ……嫌いじゃないよ、別に。お前のこと。

 

 そうだろうな。正直、唐突過ぎて悲しいとかよりも、疑問の方が強かった。

 

 そう、だったか。そんな違和感を抱くほど、いきなりだったか。

 

 ……ところで、どこら辺が嫌いじゃないのだ。

 

 そうだな……お前は、俺に変な同情とかしないし、割と一緒にいるっていうのは、気楽かもしれないと思ってた。

 

 ……分かりづらっ。そんな様子全くなかっただろう。

 

 そうでもない……女将やプチラミアは、気づいてたのかもな。それに、お前だってどこら辺がそうなんだ。どこら辺が嫌いじゃないんだ。

 

 ……それは、まあ、割と余と貴様は、対等だなって思ってたから。

 

 ……どこら辺が?

 

 余にとってはそうだった! ……とにかく、知っての通り、余は魔王だ。対等に話せる、貴様みたいな人間はおらん。だから、割と旅は楽しかった。飯も美味いし。

 

 ……最後のが全てだろ。

 

 うるさい……あ、そういえばドラゴンパピー……パピには、貴様のことばれていたようだぞ。

 

 なんていってた?

 

 余と一緒にいるのを嫌じゃないと思ってる、と。

 

 ……根拠を聞いたか?

 

 勘だと、半分は。

 

 ……まあ、いやでもエンリカ辺りでは普通に、早く消えてくれないかと思ってたよ。

 

 パピは、貴様が本気で嫌った者とは口も聞かないし完全に無視するとも言っていたが。もっと露骨に、それこそ、イリアスへ向ける時のように。

 

 ……まあ、とにかく、俺はだから、あれ以上情が移るのが嫌で、離れたいと思った。

 

 ということは、エンリカ頃には、既に気づいていたのか……。

 

 ああ、なんとなく。魔王を殺せなくなってしまうと。あれ以上絆されたくなかった。

 

 ……そうか。

 

 ……それに、捨てなきゃって、思った。

 

 ……?

 

 俺は昔、イリアスへの信仰心を捨てて強くなれたんだ。だから、何かを捨てるっていう行為が、俺の強さの根源だと思った。

 

 ……わからんな。いまいち、想像できない。

 

 具体的には、祈ることをやめたんだ。祈ることは他力本願的で、思考放棄で、ただの諦めと知った。

 

 他力を捨てれば、自ずと自力になると?

 

 そんな感じだ。捨てたら、自分の力でなんとかしようって、自然となるだろ。そしたら、人間は強くなるよ、やっぱり。

 

 ……まあ、いやでも、わからんな。共感できないというか、違和感がある。

 

 どこが。

 

 捨てるという、スタンスだ。何か貴様は矛盾している気がするのだ。

 

 人間なんて矛盾だらけだよ。

 

 思考放棄だな。貴様らしくもない。

 

 ……そうでもない、面倒くさくなったら、割と、考えることなんて止めてるよ。

 

 ……ルカ。貴様のことを、昔のことを、教えて欲しい。

 

 ……なんで?

 

 知りたいと思うから、知れば、何かできるかもしれないから。

 

 あんまり話したくない……ていうか、どこまで知ってるんだ。少しは聞いて回ったらしいが。

 

 ああ、まあ大体は知っているが……細かい部分は知らない。それに伝聞、だから。やはり貴様の口から聞きたい。

 

 やっぱりやだよ。恥ずかしいし……嫌な思い出ばかりだ。

 

 ……貴様、余に敗けたのだぞ。

 

 そう、だな。

 

 本来なら即、精を搾っても──

 

 話すよ。

 

 初めからそうしろ。

 

 でも、何を。

 

 そうだな……貴様の、半生に……イリアスをなんで嫌うとか、なんで魔王を殺すのかとか。

 

 …………。

 

 いや、全部だ。

 

 は?

 

 貴様の全部を教えて欲しい。

 

 ……長いよ。

 

 どれだけ長かろうと構わない。ああ、だが二つだけまず教えて欲しい。

 

 ……。

 

 なんで余を殺す目的を作った? ああでも、聞きたいのはその意味ではなくて、動機の方だ。

 

 ……償いだ。

 

 そうか……そう、だったのか。

 

 ……もう一つは?

 

 なんで、冷酷でありたいと思ったのか。

 

 ……二つ、ある。一つは、目的のために、そうならないと駄目だったから。

 

 もう、一つは。

 

 ……そっちの方が、つらいから。

 

 ……。

 

 ……。

 

 ……寒くはないか?

 

 別に。この程度なら何ともない。

 

 ……雨宿りを、しよう。

 

 嫌だよ。

 

 雨が降ってると、聞こえづらい。

 

 声を張ってやるから。

 

 実は余は寒い。

 

 服着ろよ。

 

 ……雨に打たれたいのか?

 

 そうかもな。

 

 何故。

 

 雨に打たれるくらいが丁度いい、泥だらけの話だ。

 

 

 どうして俺は、こんなことをこの妖魔に、話そうとしているのか──。

 

 何を、どこから語るか考えながらルカは、ふと我に返った。

 

 隣には、何の目的があるのかわからない妖魔がいて、真剣な顔つきで、自身の昔話を待ってくれている。

 

 その姿は、とても魔王とは思えないものだった。

 

 崖にもたれて、雨に打たれて、戦いの影響で泥だらけになりながら、でも傷だらけではない──それは苛立つことで、だがそれより申し訳なさを強く思う。

 

 顔には、ルカのつけた傷があった。

 

 ならば語る理由は──傷の償い。

 

 こんなもので償えるとは思わないが、できる限りのことはするかと心に誓って、ルカは話し出す。

 

 雨が、草に落ちてはしずくが流れて、落ちては流れてを、繰り返している。

 

 風が木の葉を散らし、屋根を揺るがす。ルカはその音に負けぬように、声を張って、語り出す。

 

 記憶は過去を語る。

 

 楽しかった日々があったこと。それが病魔によって破壊されたこと。誰からも助けられなかったこと。自分で何とかしようと動いたこと。動いた結果、動かなかった方がまだましな結果になったかもしれないこと。

 

 長く話す。時間は気にしなかった。時折思い出したかのように、ぽつりぽつりと関係ないことも話す。順序立てて話したいと言ったのに無様なもので、子どもが作ったケーキのように、ぐちゃぐちゃな話になった。

 

 目を閉じて、夢を再生するような語り。記憶と現実がルカの中で曖昧になっていく。

 

 いつしか、ルカは瞼の裏に、当時を鮮明に映していた。

 

 そこには“お前”が──昔の、ルカがいた。

 

 そして雨がざあざあと降り出した頃、話は、ルカの根源まで、たどり着いた──。

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