ベルセルクのルカさん   作:あとば

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第17話『根源/殺人』

 雨が降っていた。

 

 俺は、その雨音に紛れて、拳ほどの岩を思い切り、奴の後頭部に叩きつけた。

 

 倒れる。奴の手に持っていた瓶が、転がる。

 

 背後からの奇襲。おそらくは気絶していた。

 

 奴──道具屋の、店主。俺から薬を奪った男。

 

 そこで俺はやっと、イリアスに祈ることをやめて──自分の力で解決することを覚えた。

 

 夜になりかけのイリアスヴィル。騒ぎには敏感だった。だから俺は、すぐさま、その瓶を拾い上げた。ラベルを確認することはなかった。急いでいたせい、だった。

 

 俺は、家へと走った。

 

 母さんは重い病気だ。自分のことはできる日もあったが、元気がないとずっと寝たきり。少なくとも一日は家を空けていた。急がなければならなかった。

 

 俺の手にした薬──エルフの秘薬を、飲ませるために。

 

 エルフの秘薬。話を聞く限りでは万病に効く薬だ。

 

 家の前にたどり着く。扉をすぐさま開けた。

 

 母さんは生きていた。ベッドの上で眠っていた。

 

 俺は急いで、薬を飲ませる。部屋が暗く、この時もまた、薬瓶は見えなかったし、見なかった。

 

 会話もなく、飲ませた。母はつらそうな表情で眠っていた。

 

 しかしいくら待っても、一向に回復はしない。

 

 表情は変わらず、息はますます苦しそうになって──そこで、母は目覚めた。

 

 俺は焦ったように病状の確認をした。薬が効いていないのはおかしかった。エルフの秘薬の効果はミカエラさんに聞いていた。治せるはずだと確信していた。

 

 だから尋ねた──病気は治ったか。

 

 母は、それに答えなかった。

 

 そこで気づいた。

 

 母は、最後の力を振り絞って、俺を待っていた。

 

 呆然とする。遅かったのか。薬が嘘だったのか。病気が未知のもので効かなかったのか。数々の疑問がいっぱいに膨れ上がる。

 

 母さんは、呆然とする俺の頬を撫でた。そこで母さんに眼をやった。

 

 そして最後に、遺言を残した。

 

『誰も恨まず、立派な勇者になりなさい』

 

 それだけ、だった。

 

 いやそれ以外にも何か言葉を残していたのかもしれない。でも、今俺が詳細に思い出せる母の言葉は、それだけだ。

 

 ぱたりと頬に触れた手が、ベッドに落ちる。

 

 母は、死んだ。

 

 俺はその時泣けなかった。泣けばそれが、母の死が現実になる気がして、夢だと思いたいから、俺は温もりを感じていたいと、母の手を握った。

 

 母の手は、冷たかった。

 

 ……そして。

 

 ここから、始まる。

 

 俺の始まりは、俺の今を形作ってる、一番大きな要素は、きっと、ここだった。

 

 ここで味わった辛酸が、あまりに辛くて苦くて痛いから、だから……俺は、こんな奴なんだと思う。

 

 もっと勇者的な奴で、もっと真面な思考回路で、もっと純粋な人間で、もっと……色んな意味で、ましだった。

 

 例えば……一人称も昔は『僕』だった。

 

 ……想像できない? そうだろうな。俺だってもう、俺に慣れ過ぎて、僕という一人称は使いづらい。

 

 話を戻そう。

 

 何があったのか、端的にいう。

 

 母さんに飲ませた薬──これを、俺が道具屋から盗んだことにされた。

 

 証拠はあった。薬瓶だ。あれを、道具屋が自分のものだと主張して、そして俺が殴った傷も……奪った証拠になった。

 

 俺は……そこで。

 

 ……ハピネス村の直前だったと思う。背中の傷を見ただろう。

 

 あれが、この時のものだよ。

 

 ……理由なんて正直、向こうはどうでも良かったんだと、思う。

 

 村社会なんてものは、明確なルールはないよ。ただ皆が、その結果に納得していれば、良い。コロコロ変わるんだ。

 

 だから、俺たちは外で、村人たちに囲まれて。

 

 俺は盗みの罪で、傷を背中に。

 

 ──そして母は、燃やされた。

 

 俺が、薬を盗んだことになったから。その罪が、母にも向けられた。

 

 あり得ない──? いいや、違う。あり得たんだ。あの村にまともな裁判や、冷静な大人があると思うな。今は落ち着いているが、上の人間には絶対に逆らえない、そういう造りになってるんだ。

 

 罪って誰が決めていると思う。

 

 答えは簡単だ。その場のノリだ。あの村は、声のでかい老人が全部決めている終わってる村だった。そんなくだらないもので、迫害も、罪も罰も、全部決められるんだ。

 

 わかるか──そんなので、母は二度、死んだんだ。

 

 死体を焼かれるということは、イリアス教では、二回殺されたようなものなんだよ。

 

 俺はそれが許せなかった。だからそんな理不尽が、心底大嫌いになった。

 

 そして、何よりの理不尽は。

 

 俺たちにそれをした。

 

 見ていた奴らは、まだ、のうのうと生きている。

 

 償う気などさらさらなく、日々を送っている。

 

 俺はきっと、そんなどうしようもない理不尽が、死ぬほど嫌いで、見逃したら憤死してしまうから、だから──ここだった。

 

 当時の俺は、ここだったんだ。

 

 母が二度死に、罰も刻まれた後、村人たちは各々の家に帰って行ったよ。

 

 治療? 施される訳ないだろう。俺はよそ者なんだから、野垂れ死にはむしろ、奴らが望んでたことだった。ああでも、家にだけは、投げ込んでくれたかな。

 

 そして。

 

 気絶していた俺は、目覚めた。

 

 まず背中の痛みを──違った。そんなものはどうでも良かった。

 

 まず遺灰を、胸に抱いた。

 

 雑に床に撒かれた灰は、未だ熱かった。でも暖かかった。

 

 何より、別の熱さを感じた。

 

 何度でも言おう。ここが、俺の始まりだった。

 

 怒りという──万力の力を生む感情があると知った、最初の日だった。

 

 

 雨が、ごうごうと降り続けている。

 

 とりあえず、全部話せと言われたが、本当に全部話す訳にもいかないから、母さんが死ぬまでのことを話した。

 

「……何か、疑問はあるか」

 

 しかしこれから、次何を話せばいいかわからなくなる。こんな事を誰かに話したのは初めてだし、話の切り方が全然わからない。だからとりあえずアリスに話を振った。

 

「……山ほどある。まず、傷は? 背中の大きな傷、それからどうしたのだ」

 

「ああ……それは単純だな。瞑想だよ」

 

 イリアスベルクで見せただろ、というと、アリスははっとした表情になった。思い出したようだ。

 

「偶然気持ちを落ち着かせようと目を閉じた時、瞑想の形を取った。それで治った。単純だろ」

 

「……それがそもそも意味がわからないのだが、まあ、いいだろう」

 

 しぶしぶだが納得したようだ。なら良かった。俺も正直、よくわからない力だから説明ができない。俺にとっては当たり前の技能なのだ。

 

「では……それから、村人からの迫害は続いたのか」

 

 おずおずと、アリスは聞いた。何を躊躇する必要があるかわからないが、平然と答える。

 

「続いた」

 

「……」

 

「まあ、普通の感じだよ。難癖つけられて折檻とか、朝のイリアスへの礼拝とかで背中蹴られたりとか、村の子どもに近づくなとか」

 

 あと相変わらず村人扱いされないから食料とか自分で調達しないといけなかったとか、と付け加える。

 

「……なんで、そうなる。よそ者というだけで?」

 

「そこはまあ、俺も一々抵抗したりとか、事情はあるけど……一言でいえば、そうなるな」

 

 淡々と答えると、アリスは何か怖いものを見るような表情で、また尋ねて来る。

 

「本当に……生きて行けたのか? 当時は十にも満たない子どもだったのだろう。そんな環境で、なぜ死ななかったのだ……?」

 

「さあ……まあ、絶対死んでやるかと思ったからだろう。体を動かすための燃料は山ほどあったし……」

 

 当時は食料調達がやはり一番大変だった。村の外で獣を狩ると言っても、村に近すぎると村人から文句を言われるし、遠くに行くと魔物と出くわすし、そもそも野生動物の狩り方なんて知らないしで、八方塞がりだった。

 

「まあいいだろう。今生きてるんだし。それに村での暮らしなんて大した問題じゃない。次の疑問は?」

 

「…………わかった。では、イリアスは当時信仰してたのか?」

 

 一瞬眉間にしわを寄せたアリスだったが、すぐに冷静になって、別の疑問をぶつけて来る。

 

「まあ……信仰はしていた、だろう。でも事あるごとに祈るとか、そういうのはどうせ助けないから無駄だと思って、やめてたな」

 

「……憎んではいないのだな」

 

「さすがにな。母さんを救わなかった、それだけで神を憎むほど、自分勝手な奴じゃないさ」

 

 俺もそこまで行き過ぎた馬鹿ではないのだ。それに、誰かを憎むなんていうのは、当時の自分には絶対にできないだろう。できて現状に怒りを燃やすくらいだった。

 

「俺には、遺言もあったから」

 

「……誰も恨まず、勇者になれ、か」

 

 アリスはそう呟くと、首と体を少しだけこちらへ向けて、言う。

 

「……貴様の母を侮辱する意図はない。それだけ、理解しろ」

 

 返事をする前にアリスは言葉を続ける。

 

「──貴様の母上は何を考えていたのだ?」

 

「……何って?」

 

 質問の意図がわからない。遺言の内容についてだろうが、どれもそのままの意味だろう。

 

「いや、だって貴様の境遇は……誰かを憎まないと耐えられないだろう。勇者になれは良いとして、誰も恨まずなど……正気ではない」

 

 ああなるほどと、納得したと俺は思わず笑った。確かにその通りだ。

 

「ああでも……自身の死後貴様がどんな目に遭ったか知らないのか……いやでも、あの道具屋を恨むななんて……」

 

「アリス。いいよ。お前のいう通りだ」

 

「……なら」

 

「ああ、誰も恨まず──無理だよ。無理、だった」

 

 当時の俺はそれを確かに守っていた。守ろうとしていた。でもそれは内心の憎しみを無理やり殺すことで、表面化させていなかっただけ。

 

「それでも途中までは守れていたんだ。前にいったか? 苦しさを小事と思えるくらい、大事なことがあったと」

 

 俺にとってのそれこそが、遺言だったのだ。

 

 それを守らないなんて、守ろうとしないなんて、あり得ない。家族ならばあらゆる限りの手を尽くして守ろうと動くだろう。

 

 俺は絶対に誰も恨まないと誓っていたし、必ず勇者になるんだと心を燃やしていた。

 

「だから、憎しみは殺せたよ……途中までは」

 

「……殺人、までか」

 

 よく知ってるなと、諦観の笑みがこぼれた。かなり丁寧に調べたらしい。

 

「ああ、それと、勇者になれの方は……理想の姿はあったが、すぐに実行できるほどの強さがなかった。だからとりあえず鍛錬をしていたよ」

 

「例えばどんな?」

 

「村に来た戦士に戦い挑んだりとか、村の外で魔物と戦ったりとか」

 

「それは覚えてるぞ。前にいっていたな、そうか……」

 

 俺も前に言った気がしていた。多分最初の野営だろう。

 

「いや、でも……今貴様は、勇者にはなれないのだろう」

 

「そうだな。だから当時の理由だ。今の鍛錬をする理由は全く異なるものになった。お前も知ってる通りだ」

 

 魔王を殺し──そして。

 

「……もういいか、質問は」

 

「……うむ。とりあえず、今は」

 

 大体の疑問は解消されただろうと思って尋ねると、含みのある言い方で返された。

 

「わかった。で、母さんが死んでからしばらくは、特に何事もなく、普通に鍛錬して寝てを繰り返す日々が続いた」

 

「……」

 

「でも、十を超えて何年か経った後……ラザロという男が、俺のところへやって来た」

 

 名前を言ったが、どうだろう。知っているだろうか。四大国全てで指名手配を喰らっているし、悪名は結構な高さだと思うが、こいつは世間知らずな所があるし知らないか──

 

「……イリアスクロイツの」

 

「……そうだ。まあそこそこ有名な奴だ。知ってるか」

 

 意外と知っていた。まあ、魔物を排斥する団体の団長だ。魔王として耳に入る時もあるのだろう。

 

「でも何故、そんな男が貴様の元に?」

 

「それは……俺がそこの初代団長の息子だからだな」

 

 どうやって俺の情報を入手したかはわからないが、奴はある日、平然と俺の家に侵入していた。

 

「……それだけで?」

 

「決して薄いつながりではないだろ。実際あいつも俺を次の団長に据えようという目的があったみたいだし」

 

 そう言ったものの、実際の腹の内はわからない。奴のいうこと話すことは全く信用できない。

 

「まあ、俺も正直わからない所が多い。でも一つ言えるのは……」

 

 ──奴こそが、俺が今こうなっている原因の、最たるものの一つということ。

 

 

「誰だ、お前」

 

 自宅へ帰って来たばかりのお前は、目の前にいる男を睨みつけて問うた。

 

「……はっ」

 

 その男には清潔感がなかった。旅人のように見える。手入れされていない髪やひげが目立っていた。赤いマントや黒いグローブからは年季を感じた。

 

「何笑ってる。消えろ」

 

 椅子に腰かけながら卑しく笑うその男に、お前は反感を抱いた。村での自身の状況を知り、からかいに来たくだらない趣味の大人かと思った。

 

 何より、この家はお前にとって聖域だ。我が物顔して居座る男を許容できない。

 

「おいおい、かわいくねえガキだな。おうちに知らねえおじさんが来てんだ。もっとガキらしい反応をして──うおっ」

 

「忠告は二度しない」

 

 お前は修行帰りだった。木刀を、椅子に座るその男の脳天めがけて、思い切り振り下ろした。

 

 初撃は掠っただけ。躱された。返す刃でもう一度──

 

「ああ、危ねえな!」

 

「──!」

 

 男は長い脚を伸ばしてお前の鼻づらを蹴り飛ばした。着座したままだ。お前は吹き飛び、ドアに背中をぶつけた。埃が部屋に舞った。

 

「まあ落ち着けよ。痛み分けにしようぜ」

 

 木刀の切っ先が男に触れていた。それによって頬に小さな切り傷ができて、血がじわじわと漏れ出ていた。

 

 お前は壁を使ってずずずと立ち上がり血をぺっと吐き出す。しかし勝てないことを悟ったのか、その顔には若干の恐怖が滲んでいる。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「しかし、せっかくお前の親父さんの親友が来てやったのに、ひでえ態度だな」

 

 男はにやりと笑った。

 

「なあ、ルカ」

 

 ──思考が巡る。

 自分の名前を知っていて、そして親父の、イリアスクロイツ団長の、親友。

 

「……!」

 

 いつかの日に見た新聞に、その男の特徴が載っていたことを、お前は思い出す。

 

「イリアスクロイツ! 親友──ラザロ!」

 

「まあそういう訳だ。少し話そうや」

 

 お前はとっさに木刀を構え直す。何をしに来たかわからない。しかし間違いなく厄介な男だと、雰囲気から想像できた。

 

「それで、お前さんなんでこんなボロ屋に住んでんだ? 母親は? それか保護者は?」

 

「……死んだ。ボロ屋なのは村人のせいだ」

 

 ときどきお前がいない時間を見計らい、村人たちが遊びで家を荒らして回るのだ。窓や床板には多々損傷している箇所が見られる。

 

「そうか。そりゃ災難だな」

 

「……」

 

 ラザロは特に同情もすることなく、そんなもんかという態度で、感情を全く動かさなかった。

 

「お前、何を目指してるんだ」

 

「勇者」

 

 遺言に従っている。子ども心で語るような、夢や希望などは一切込めていない、現実に即した勇者を既に目指していた。

 

 返事するとラザロは黙った。何か思案しているようだった。会話が止む。

 

「……へえ、そうか。どんな勇者を目指してるんだ」

 

「……?」

 

「ほら、あるだろ。お姫様と結婚するとか、竜を退治するとか……魔王、殺すとか」

 

 ステレオタイプな勇者像をラザロは次々と挙げていく。しかしどれも当時のお前の、夢と現実双方の勇者像、どちらにも全く当てはまらない。

 

「……お前に、いう必要、ない」

 

「あっそ。つまらねえ」

 

 お前は、いい加減に会話がいやになって、尋ねた。

 

「……本当に、何の用だ。お前らは魔物を攻撃するのが、仕事なんだろ」

 

 イリアスクロイツの所業はときどき耳にする。魔物の集落を攻撃したり、時には人間と共に暮らす魔物と人間も同時に攻撃したりすると聞いていた。

 

「またそりゃ歪曲されてんな……まあ、いい」

 

「……?」

 

 お前は妙に含みのあるラザロの物言いを訝しんだが、無視をした。そんなことよりも早く出ていかせることが重要だった。

 

「何の用か……か。まー、そうだな……」

 

 ラザロは頭をぼりぼりと掻きながら、恥ずかしそうに立ち上がる。

 

「親友の子どもに、少し会いたいと思ったのさ。それだけだ」

 

 そう言って、ラザロは出ていった。 

 

 それから、ラザロは少しの間村に滞在した。ここはラザロの故郷らしく、昔の友人が空き家を貸し出してくれたという。ラザロは昼間っから酒を飲み、村の大人たちと夜にまた飲み、瞬く間に村に溶け込んだ。

 

 イリアスヴィルは敬虔な信者が多く住むが、それに辟易する者は決して少なくない。また真面目な者でも、ラザロは言葉巧みに誘って、すぐに打ち解けた。

 

 時折お前の家にもやってきた。お前は嫌な顔をしつつも、決して心から嫌がっている訳ではなかった。

 

 ラザロは、お前に同情しなかったからだ。同情は、上位の者が下位の者へする行為だ。見下されているからそんなことが起きると考え、一刻でも早く下位の立場を脱しようとしていた。

 

 だがラザロは、お前と対等に接する。

 

「よう、ルカ。酒飲むか?」

 

「……飲む訳ないだろ」

 

 だから、ほんの少しでも心を開いてしまった。

 

 ある時は、ラザロは酒を飲みながらお前にちょっかいをかけに行く。

 

「しっかし、てめえの親父に似てるとこは髪とか顔の形くらいしかねえな。なんだその口調に目つきは」

 

「うるさい。しょうがないだろ……というかマルケルスと似なくて結構だ。あんな家族よりも自分のことを優先するような奴……」

 

 またある時は──。

 

「いいか。爆弾を作る上で一番大事なのは分量だ。分量を間違えれば爆発がでかすぎて下手すりゃ自分も巻き添えをくらう」

 

「……こんなもの教えるなよ。使う機会あるのか?」

 

「微量の火薬に調整すれば戦闘で目くらましに使える。音も煙も多少出るから、びびらすにゃ最適だ」

 

 さらにある時は──。

 

「不意打ちしろ不意打ち。負けりゃ死ぬんだ。使えるものは全て使え。卑怯者! なんて文句は、負けた奴からしかでやしねえんだぜ」

 

「……親父もこんな戦い方だったのか?」

 

「なわけねえだろ。俺も旅してた頃は正統派に戦ってたさ」

 

「なら……」

 

「お前は一人で行くんだろ? なら俺たちよりもずっと苦しい戦いになる」

 

 ラザロは旅をしていた頃の話をよくしていた。四人組の話だった──勇者に、僧侶に、魔法使い。そして戦士。

 

「第一、狡い手に対応できない相手が悪いのさ。相手の立場で考え、嫌なことをやり続けろ」

 

 そうやって時には話し相手に、先生に、師匠になったラザロは、村に滞在を始めてから二月ほど経って、お前にあることを尋ねた。

 

「……なあ、ルカ」

 

「お前の母さんは、なかなかひどい目にあって死んだらしいが──おっと、からかう目的じゃねえよ」

 

「……母さんのことに、触れるな」

 

 それはお前にとっての逆鱗だった。

 

 刺激されればどんな相手だろうと噛みつく。お前は料理している最中に聞かれたので、包丁を投げた。包丁はラザロの顔の横を通り過ぎ、壁にすこんと刺さった。

 

「ああ、それでだな……復讐したい、とは思わないのか?」

 

「それはできない。母さんの遺言があるから。そんなことをすれば、俺は勇者になれない」

 

 恨みは、毎日伸びている。

 

 当時は雑草のように根強く、頑強に伸び続けた。それを摘み取る日々だった。

 

 迫害も続いている。時に──難癖をつけられて折檻されることもある。その度に恨みは大きくなる。

 

 それでも。

 

「俺は、この村の誰一人として、恨んじゃいけない」

 

 遺言があった。だからお前は全身全霊で憎しみを殺す日々を送っていた。

 

「へえ、そうか。奴も、か?」

 

「……誰のことだ」

 

「決まってるだろ──ああ、名前知らねえか? 道具屋の店主だよ」

 

 どくんと、お前の心臓がはねた。

 

「あいつ、随分と楽しそうだぜ。お前は傷だらけで、毎日喘いでるってのに」

 

 それは、お前も知っている。

 

 母が死んでから、奴は村で一番大きな家に住み、一番の大金持ちになった。

 

 奴に侮辱されたこともある。折檻されたこともある。奴の現状と、自身の現状を比較して、果てしない虚しさを覚えたこともある。

 

「……だから、なんだ。俺にはもう、関係ない」

 

 それでも遺言は絶対だ。内心にまた芽生えた憎しみをひた隠して、お前は言った。

 

「そうかい……親の未練を晴らすのも、子の役目だと俺は思うがね……」

 

 ラザロが心底残念そうに言う。いい加減に鬱陶しくなった。

 

 だからこれ以上そこに触れるなと、お前は話し続けるラザロを睨んだ。包丁は二本ある。やろうと思えば急所は外すが、ラザロのどこかに当てることはできる。

 

「おっと。別にお前の自由さ。俺はどっちでもいい」

 

 目線で察したラザロは壁に刺さった包丁を抜くと、お前に向けて放り投げた。くるくると回転しながら飛んで来るそれをお前はキャッチする。

 

「全て自由だ。お前を嵌めたとかいう奴に復讐せず、のうのうと子ども拵えて、ぶくぶく太ってるそいつを生かすのも」

 

 ──母親の仇を取るのも。

 

 ラザロは背を向けてお前の家から出ていく。しかし去り際に、こう言った。

 

「ただ、ルカ。お前が少しでもあの男──道具屋の店主に恨みを、憎いという気持ちを持っているのなら」

 

 普段の軽々とした声とは違う。重く響く、冷たい声だった。

 

「今日の晩、奴の住居の近くで待て」

 

 重々しく、扉が閉められた。

 

「……」

 

 お前は、受け取った包丁の、その光る腹に映った、自分の顔を見た。

 

 

 ──その日の晩。

 

 お前は、奴の住居近くに赴いた。黒いぼろきれをかぶって、見つからないようにかがんでいる。夜に村人に見つかると泥棒しようとしていると思われて折檻されたことがあった。

 

 道具屋の住居の窓のすぐ下で、お前は何が始まるのかわからぬまま、ただ息を殺していた。窓から中を覗くとラザロと道具屋が談笑する姿が見えた。

 

 お前には、その気──復讐する気があるかと問われれば、ない。ないが好奇心があった。ラザロは、自身に一体何を見せようとしているのか。見るべきでないと何となく予想はついたが、抗えなかった。

 

 そして、夜更けになり──。

 

 静かさをリンチするような騒ぎが始まった。ラザロは道具屋と二人きりで飲んでいた。

 酔い始めたのだ。だから声が自然と大きくなり、窓越しでは聞きづらい声だった二人の会話が、詳細にわかるようになった。

 

 初めはくだらない話ばかりだったが、途中からお前に対する話題に変わる。ラザロが誘導し始めた。

 

「しっかし、あんたも悪い奴だなあ! ルカの薬を盗んだのはあんたの癖に、罪をあいつに擦り付けたんだろう? まーひでえ!」

 

「ハハハ、アンタほどじゃあないさ」

 

 ずきりと背中に痛みが走った。思い出さないようにしているトラウマと共に、背中の傷が疼いた。

 

「第一あいつには何をしたっていい。奴は今でも部外者だ。みんな見て見ぬフリをする。していいことに、なっている」

 

 お前のことだ。その通りだった。誰も助けてくれない。

 

 露骨な悪意が押し寄せて来た。ラザロは性格の悪い奴だと、お前は口だけで笑った。あまりにも露骨過ぎて、殴る気すらも起こらない。

 

 この程度で復讐したいと思う訳ない──。

 

 そんな呆れが、お前の中に出来た。怒りとは、憎しみとは程遠い感情だ。

 

 しかしお前は一応、冷めながら会話に耳を傾ける。

 

「ただまあ、殺しちゃ駄目だがね」

 

「そりゃまた何故だい? あんなイかれた奴は邪魔だろう?」

 

「まあなんていうか……殺すとさすがに厄介なのさ。殺人はさすがにイリアス神殿の兵士が動く。それにあんなガキでも殺すと祟られそうだからね」

 

 お前はそれを聞いて笑った。目論見通りだ。

 

 “殺したら祟られそう“というのは、自身を少なからず恐れているからこその言葉。身を守る強さを得ている証拠だ。

 

 苦痛の日々が無意味ではないことで、少なからずの喜びが胸に染みた。

 

「だが……確かに邪魔ではあるな。礼拝の時に奴の背を見ると、蹴り飛ばしたくなる」

 

 この時はまだイリアスを信仰していた。故に朝の礼拝など、村人との接点は現在よりも多くあった。

 

「でもまあ、あいつのおかげで俺の人生が最高だから……許してやるかな、少しの鬱陶しさぐらいは」

 

 何故か上から目線の物言いだった。苛立ってきて、お前は帰る間際に窓でも割ってやろうかと思ったが、また折檻の理由になりそうだったから抑えた。

 

「ははっ。わりい奴だなホント。後悔なんざ全くなさそうな人生で、羨ましいもんだ」

 

 カーテンに隠れて、影だけで動くラザロが、酒瓶をグラスにも注がずに直接飲んだ。

 

 そこで、ふと会話は不自然に止まった。

 

「後悔か……いや、そうでもないな」

 

 順風満帆な人生ではあるんだ、でも、と道具屋は続けた。

 

「エルフの秘薬って知ってるか?」

 

 耳が、ぴくりと動いた。

 

「いいや。初めて聞いたよ。それがどうしたんだ?」

 

 知っている。お前がエンリカで、貰ったものだ。エルフが多く住む村だったから、だから偶然もらえた。

 

「いや、まあそれを偶然、入手する機会があってな」

 

 ──どういう、ことだろう。新しく見つかったということなのだろうか。でも伝説と銘打たれるほど珍しいはず。ただの商人に入手する手段があるのか。

 

 少なくとも、お前が母に飲ませた薬のことではないはずだ。あれは確かに飲ませた。そして効かなかった。だから、母は死んだのだ。

 

「結構前だが……まあいいか。ここだけの話な……」

 

 ラザロは黙した。お前も変わらず黙す。何故か、最高に嫌な予感を覚えていた。

 

「ルカから奪ったんだ」

 

 ──え。

 

「村の外でルカは入手したらしく、家に帰る途中だったんだろうな。それを奪ってやった」

 

「……へえ。奪い返されなかったのか?」

 

 そう。奪われた。だから奪い返した。そして、母さんに飲ませた、はずだ。

 

「一回はな。だが、偶然、ラッキーがあった。あいつ間違えたんだよ、持っていくものな」

 

 ──は。

 

「あの時気絶して、転んだんだ。その時に多分、あいつが勝手に勘違いして、俺の鞄に入ってた瓶と秘薬を間違えたんだ」

 

「……お前がわざとすり替えた訳じゃねえの?」

 

「ああ。俺が手に持って、倒された時に落とした瓶。確かに秘薬を持ってかれた──はずなんだが」

 

 ──理解できない理解できない、理解できない。

 

「ま、あいつどう見てもバカだしな。勝手に勘違いして、俺の鞄から盗ってったんだろ」

 

 ──本当に、その通りじゃないか。

 

「……で、あいつの母は死んだ訳か」

 

「おいおい、悪いこというなよ。あいつ確か俺の薬欲しがってたし、きっと満足だよ」

 

 ──なんて、俺は馬鹿なんだろう。

 

「それで、何を後悔してるんだ? あいつに気絶させられたことか?」

 

 お前の動揺が、少しだけ収まる。過呼吸になって、自分の心臓が自分のものではないと誤認するほど、違和感を伴った跳ね方をしていた。

 

「ああ。確かに。あの野郎石で俺を殴りやがってよ。でもま、そんなのは大した問題じゃない。あれの数百倍は折檻で殴ってるしな」

 

 そうだった。この男は、折檻にいたく積極的だった。

 

「エルフの秘薬──あれは貴族にいい値で売れた……んだが」

 

 一瞬だけ、後悔がお前たちに向けたものであることを、お前は期待した。

 

「正直、もうちょっとふっかけても良かったと思ってるんだ何でも治せる薬だぜ? まあ一生、贅沢しなけりゃ食ってける金は貰ったけどさあ……」

 

 金──お前は明日を生きるか死ぬかだというのに。

 

「大儲けもしてる。ウチを懇意にしてくれてるんだ。娘も、イリアスベルクの学校に通えてる」

 

 家族──お前は失った。

 

「あとカミさんも娘について行ったのが幸いさ。備え付けの息子的にはね」

「コレか?」

「それだ」

 

 お前に──この会話の意味は理解できなかったが、とにかく自身の不幸で、この男が幸福になったということだけ、理解した。

 

「なるほどな! そりゃ本当にルカ様様だなあ!」

 

 ラザロが大きな声で叫んだ。笑い混じりだった。

 

「……!」

 

 立ち上がる。これ以上は聞いていられない。

 

 しがらみの全てがどうでも良くなるような話だ。

 

 お前は軽い報復は行う。しょっちゅう村の子どもと殴り合いになる。大人ともする。喧嘩は全て向こうから買っている。

 

 だがそれらは、怒りだ。憎しみではない。

 

 怒りと憎しみ。真っ赤な激情を怒りと呼んで、どす黒い殺意を、憎しみと呼ぶ。

 

 この時お前の脳を支配したのは、憎しみ、だった。

 

「……っ!!」

 

 これだけは──これだけは駄目だ。別格だ。

 

 だって、ならば、言う通りならば、母が死んだのは──!

 

 窓をたたき割って今すぐにでも殴り込みをと、お前は窓から中を睨む。

 

 カーテンには隙間があって、中の様子が克明に映った。

 

「……」

 

 ──来るな。

 

 ラザロが、言葉にせずとも雰囲気で、お前にその意思を告げた。

 見たこともないような冷たい目をしていた。お前の方に眼だけやって、そう告げたのだ。

 

「……!」

 

 お前は思わずしゃがんだ。気を削がれた。平生のだらしないラザロとは違い、大人の殺気を放つ裏社会に生きる者の、底知れぬ内側を見たような気分になった。

 

 お前はこういう部分で、まだ(よわい)十を超えた程度の、子どもだった。

 

 道具屋の店主は、それからも言葉を語る。語り続ける。きっと胸糞悪い話だったのだろう。

 

 でもまるで頭に入らない。ただ、道具屋のせいで母が死んだという事実だけ、頭に残って、反響を続けていた。

 

「ああそうだ。そんな事よりも本当だな。あんたのとこの団体が、ウチの商品を大量に買ってくれるってのは」

 

「ああもちろん。嘘はいわねえよ。薬草とか大量にいるんだわ。ま、今夜はとことんのもうや。ルカに乾杯といこう」

 

「そりゃいい。乾杯!」

 

 それから、終わるまで。

 

 お前は、うずくまって、ひたすらじっとした。

 

 情けなくて、むなしくて、気づけば、じわりと涙が溢れていた。

 

 酒が入った二人はその後にも何か言っていたようだが、お前は、自分の中に渦巻く“これまでにないもの”を抑えるのに、精いっぱいだった。

 

 深夜になった。

 

 ラザロが、しっかりした足取りで家から出て来る。酔っぱらっていない。

 

 そしてラザロはお前のいた方へ足を運ぶ。

 

 お前は窓枠の下で体育座りをして、虚ろな目で、月下の村を眺めていた。

 

 畑に実った野菜や、害鳥を牽制するカカシ、風で散っていく煙突から出る煙、ときおり耳に入る家族の物音。

 

 それら全てが、今のお前にとって憎しみの対象だった。無理やりに何かを憎まなければ余りにもつらすぎて自分の中で抑えている激情があふれ出して、理性が消えてしまいそうだった。

 

「…………」

 

「……よう、大丈夫か」

 

 ラザロはルカに近寄ると、手を差し伸べた。ルカはそれを手に取らず、顔をラザロに向けて問う。

 

「……お前」

 

 何かを望むような目だった。

 

「何がしたいんだ」

 

 ラザロに、問う。ついさっきまでその気はなかったというのに──すっかり、お前はその気になっていた。

 

「別に」

 

 でもお前は、自分から遺言を、理性を捨てることはできない。

 

「お前の自由だ」

 

 だから。

 

「ただ、何かするってんなら、協力はしてやるぜ?」

 

 ラザロに。

 

「だって、あんなクズを、悪党を殺すってのは──」

 

 その一言を。

 

勇者(正義)、だよな」

 

 正義(勇者)という大義名分を、望んだ。

 

 お前は立ち上がった。ラザロの手を取って。

 

 ここからは、落ちるばかりだ。

 

 

 イリアスベルク。

 

 お前は、嫌いじゃない店主がいる武器屋に、足を運んだ。

 

「おう、ルカ。注文は?」

 

 木刀を売ってくれた武器屋の店主だった。他の武器屋はルカが子どもであるだけで相手にしなかったが、この男だけは売ってくれた。

 

 だから、今回もこの男を頼った。

 

「殺しやすい、剣を」

 

 武器に囲まれた室内が、さらに剣呑な雰囲気へと変わった。

 店主の顔付きもどこか神妙になった。目の前の知り合いの変化に戸惑いつつも、店主は大人としての対応をしようと心掛けて、口を開く。

 

「何のために、要るんだ」

 

「勇者になるため」

 

 お前はすんなりとその言葉が出た。でも感覚的なものではなくて、思考の末のものだった。

 

「……私怨で殺したら勇者じゃないぜ」

 

 店主は、お前が勇者になりたいことを知っている。初対面のときに、言ったのだ。勇者になりたいから剣をくれと。

 

「そんなのじゃ、ない」

 

 何故ならば──正義、であるからだ。

 

 お前は、自分に言い聞かせていた。あんな非道な男を生かしておく訳にはいかないと、あの悪党を殺すことは正義であると、本気で信じ込もうとしていた。

 

 沈黙が十数秒続いて、お前は店を出ていった。

 

「……おい、ルカ! 待て!」

 

 店主が自分に売らないことを察したのだ。

 

 店を出て、イリアスベルクの雑踏に紛れた。店主がルカの名を呼ぶ声がするが、無視をして帰路につく。

 

 歩きながら、思った。

 

 店主が、自分に鉄の剣を売らないことは、なんとなくわかっていた気がした。元々お前が鉄の剣を希望して店を初めて訪れた時も、頑なに木刀しか売らなかった。

 

 なら何故、わかっていたのに、お前はこの店へ足を運んだのだろう。

 

「……はは」

 

 それをお前は、知りたいと思わなかった。

 

 

 馬車が一台、闇を駆けていた。

 

 中に荷物はぎっしりだ。とある商談のために、道具屋の店主は真夜中、馬車を走らせていた。

 

「ふう……今夜は冷えるな……」

 

 馬鞭を手に束ねてから、器用にきゅぽんと瓶の栓を開け、ウイスキーを口に含んだ。

 

「しかしラザロの奴……こんな所まで来いとは、一体何の用だ」

 

 道具屋がいるのは、イリアスヴィルから遠く離れた、タラスの丘という地だった。イリアスヴィルを出て北に向かい、橋を渡って西に進むと見えて来る。

 

 魔物はいるが、ここに生息する魔物は、こちらが刺激しない限り安全。しかしそれでも魔物がいるというだけで嫌悪感が生まれた。

 

 確かにラザロの事情は知っている。犯罪者だ。実際表立って自身の商品を売れる訳ではないから、どうにかばれないように取引する必要はあったが、ここまでしなくとも良いだろう。

 

 ただ文句は言えない。この先お得意様になるかもしれないのだ。下手に強気になってもメリットはない。顧客の満足度を高めることを男は優先した。

 

 そして、タラスの丘のちょうど中ほどまで進んだ時だった。そこは両側が大岩で挟まれていて、その間を馬車で通り抜けねば、所定の場に着けないという部分だった。

 

「いくらウチの商品を相場の倍の値で買うったって──」

 

 爆音と共に声が途切れた。

 土と石と砂が瞬時に飛び散り、馬の血霧が地面に潤いを与えた。彼は馬車から放り出され、慣性に従ってゴロゴロと転がり、地べたに這いつくばった。

 

「な……何なんだ、一体……」

 

 衝撃で頭が全くまわらない。上か下かもわからない。とにかく楽な姿勢を取ろうと、こっちが仰向けだろうとごりと転がる。

 

 うめいた。背中の骨が折れたかひび割れたようだ。痛みから目を思い切りつぶった。

 

「いっ……なんだこの針は……!」

 

 さらなる痛み──といっても事故の痛みに比べれば大したものではない。

 ただ徐々に痺れていくような感覚があった。

 太ももに刺さった太い針のせいだ。蜂のものに見えた。

 

 そこで道具屋の店主は、近くにいる者の気配に気づいた。暗闇だったが向こうが灯りを持っていた。それでその者の正体がわかる。

 

「……っ! ルカ! おいクソガキ! 早くこの針を抜け!」

 

 お前が、いた。

 

 手にはランタンを持ち、フードを深くかぶっている。彼はお前に命令するが、動く気配はない。

 

「またこの前みたくぶん殴られてえのか! 早くしろ!」

 

 急かすが体は動かない。舌打ちをした。頭に冴えは戻りつつあるが、体の痺れがひどくなって来た。麻痺毒か何かなのだろう。しかし痺れのおかげで痛みが和らいでいた。それで道具屋は少しだけ、安堵した。

 

 しかし道具屋は、すぐに顔を青くした。

 

 そこでようやく、お前の手に握られていた、あるものに気が付いたのだ。

 

「お、おい……何だよ、その剣……」

 

 お前は、明らかに殺傷能力を持つであろう、長剣を握りしめていた。それも既に、鞘から刀身が抜き出ている。

 

「あっ!」

 

 また気づく。お前から少し離れたところに、知人がいるとわかった。今日予定していた取引相手のラザロだった。

 

「おい、ラザロ! 助けてくれ──こいつ、俺を……」

 

 雰囲気で察した。目の前の存在は、自身に殺意を抱いている。

 

「ルカ。殺るならとっととしろ。夜中ではあるが……人が来ない保証はねえからな」

 

 しかし、道具屋の懇願をまるでなかったことのようにして、ラザロはルカを急かす。そこでやっと、ルカとラザロは共犯だったのだと気づいた。

 

「て、てめえらグルか──お、おいルカ。お前にやったことなら全て謝る。稼いだ金も全て返すよ。だから許してくれ。本当に申し訳ない。そうだ! エルフの秘薬も返そう! 実はまだ売ってなくてな! あれがあれば巨万の富が手に入るぞ! あと、あとそうだ!」

 

 謝らなければ助からない。だからかひどく早口だった。プライドも恥も捨て去り命乞いをする。必死で謝罪をする。嘘もついて助かろうと、そうしなければ終わると頼み込む。

 

「……」

 

 だがそれら全てが、お前にとっては逆効果だった。

 

 必死に頭を働かせる道具屋の店主は、そこで思いついたのだろう。道具屋は会心の一手だと確信していたのだろう。

 

 だがそれはお前の殺意を──崖から蹴り飛ばすような言葉だった。

 

「母親もやろう! 極力似ている女を買ってや──ぎっ゛!」

「死ね」

 

 お前は剣を振り下ろした。硬いものと硬いものがぶつかり合う鈍い音が数度なって、すぐに水気の混じった粘着質な音が鳴り始める。

 

「お前のせいだ」

 

 馬乗りになって振り下ろし続ける。思い返すのは、恨みを噛み殺し続けた日々だった。この男が何もしなければ、苦しくはあったかもしれなくとも、地獄ではない日常が生きていたかもしれない。

 何より母さんが生きていたかもしれないのだ。

 

「お前の せいだ」

 

 剣を振り下ろすのをやめない。既にうめき声すら上げなくなった男に対して攻撃を続ける。腕が疲れてもペースは落とさない。手の豆が潰れても止めない。

 

「お前の、せいだ」

 

 いつしか、口元は歪んでいた。

 

 お前は、もう──峰打ちはいいだろうと握りを変える。刃を用いて、斬り付けて殺す。

 

 そして剣の腹を首元に押し付ける。前に押しても横に引いてもこの男は死ぬ。

 

「……!」

 

 だが、そこで手が止まった。

 

 血に濡れた、形見の指輪が、目に入った。

 

 母の遺言──理性が、お前に戻る。

 

 はっとして、手を止めた。眼に正気が宿る。やり過ぎだった。もう十分のはずだ。

 

 肩でルカは息をした。精神をごっそり持っていかれた。

 

「……おいおい、ルカ」

 

 終わったかと、近づいたラザロが、男の現状をランタンで確認する。そして、どうしたんだと卑しい笑みを浮かべて、お前に問いかけた。

 

「なんで、峰打ちで終わらせてるんだ?」

 

 道具屋は、顔を血で真っ赤に染め、ひゅうひゅうと風切り音のような呼吸をしているが、生きている。治療すれば顔は戻らずとも、生きていける。

 

「まあひどい面だが……」

 

 全然大丈夫そうだな、とラザロはランタンで顔を照らしながら言った。

 

「まだ生きてるぜ?」

 

 その通りだった。適切な処置を施せば、死亡リスクは極めて低下するだろう。

 

「……駄目だ。殺せない」

 

 お前は、結局刃を用いなかった。

 

「正義じゃ、ないよ。ダメだ、ごまかせない」

 

 剣を、地に突き刺した。

 

「こんなの、復讐だ。俺は正義感で、こんな悪党を殺さなくちゃで、動いてない」

 

 はねた血が、手と顔に、不快な汚れを作っている。

 

「憎しみで、剣を振ってたんだ」

 

 気づいた。お前は途中から、悪を倒すためではなくて、自分の積もりに積もった恨みを解消するために、剣を振っていた。

 

「いいじゃねえか。結果的には正義だ。どこに問題がある」

 

「あるよ。それをしたら、完全に遺言を破ってしまうから……だから、殺せない」

 

 それに加えて、お前を止めたのは──。

 

『私怨で殺したら、勇者じゃないよ』

 

 武器屋の店主の言葉がよみがえった。

 

 お前は理解していた。

 

 だからここで殺せば、二つの遺言を同時に破ることになる。

 

 誰も恨まずと、勇者になれの、この二つを。

 

 でもそういうけれど、一つはもう破ってしまったようなものだった。お前は確かにこの男を憎んでいて、恨んでいる。殺してやりたいと思っている。

 

 でもまだ、今ならば間に合う。

 

 お前は、踏みとどまっている。決定的な、取返しのつかない間違いを犯していない。まだやり直すことができるはずだった。

 

 ──でも。

 

「……なあルカ。お前のそれは、勇者の行いじゃあないぜ」

 

 この場にいたのは、お前だけではない。

 

「お前にとっての、勇者はなんだ。今なら、答えてくれるか?」

 

「……誰かの日常を、守る人のことだ」

 

 お前が誰かによって破壊されたから。だから現実的に考えた時の、勇者像をそれに定めた。

 

「そうか──そうか」

 

 納得したような落ち着いた声色、わかってくれたのだろうとお前はラザロの方を見て──

 

「なら──なおさらだろうが!」

 

 ラザロが、耳をつんざくような怒声を上げた。

 

「な……」

 

 きん、と鼓膜が震えている。ラザロは鬼の形相だった。これまでに見たことのない、真面目な顔だった。

 

「怒れ、ルカ。こいつはな、お前の全てを奪ったクソ野郎だ。この前散々わかっただろう? あれがこいつの本性なんだ。こいつは、一つの良い所もねえ、悪党なんだ」

 

 道具屋の家での、ラザロとの会話だ。お前もそれはわかっていた。

 

「でも、俺は……恨みでしか、殺せない……」

 

「こんな悪を放置したらまた誰かが食い物にされて、不幸が増え続けるんだ。その結果は、お前の理想通りじゃないだろう」

 

 それはわかっている。その可能性はある。でもそれを、お前は復讐の言い訳としか思えない。心根が正義でない以上、勇者になれなくなると思っていた。

 

「悪に、誰かの日常を、壊させていいのか──いやいいはずがねえ。お前みたいな子どもが、こいつのせいで増えるかもしれないんだぞ!」

 

「──! でも、俺は、そいつを、正義じゃ……」

 

「ここで殺さずこいつのせいで苦しむ奴が出来たら、お前は、勇者じゃねえ! 勇者になれねえだろう!」

 

「……! でも……」

 

 ラザロは、一つ見落としていた。

 

「それでも……もう、わからない、選べないよ」

 

 それでもお前は、殺すという選択を選べない。

 

 お前は結局、齢十を少し超えた程度の、子どもだった。その判断を自分でするには、重ねた経験が圧倒的に足りていなかった。

 

「……しょうがねえな」

 

 ラザロが、呆れたようにため息をつく。

 

「まさか、こんな勇者意識の欠片もない奴だとはな。見損なったぜ、ルカ」

 

「……何とでも、いえよ。俺には、ここが限界だ」

 

 ラザロを見上げるお前の顔には、疲れが見えた。

 

「……はあ」

 

 ラザロは再度ため息をつくと、呼吸をひゅうひゅうと弱々しく行う道具屋に近づく。

 

 そして──。

 

「こいつを、口の中に放り込む」

 

 懐から何かを取り出し、お前に見せた。

 

「な……!」

 

 それは導火線付きの爆弾だった。ラザロはすぐにマッチを取り出す。導火線にマッチを近づける。

 

「すると、こいつの顔は爆散する。さっきの地雷とほとんど同じ威力だ。家族親類に見せらんねえくらいに、ひでえ死に様になるだろう」

 

「そんな……」

 

「ルカ。そうさせたくないなら、ひと思いに殺してやれ。その剣で心臓を貫け」

 

 お前の脳裏に浮かんだのは──

 

「何でだよ! 別に、お前がそんなやる必要なんて……!」

 

 何故ラザロがそんなことをする必要があるのかだった。これはお前の復讐で、ラザロはあくまで善意の、手伝いでしかない。

 

「お前がやらねえなら俺がやる! 俺もこのクズを許さねえ!」

 

 ラザロは今にも火をつけそうな形相で言い放つ。

 

「俺の正義が、いってんだよ。こいつを殺さなければ──誰かが不幸になる!」

 

 ──正義。

 

「俺はそれを許さねえ。理不尽を許さねえ。あんなこと、絶対に他の誰かに味合わせたくねえ」

 

 その言葉は、ラザロの普段とは異なる、本心の言葉に聞こえた。

 

「お前だって、そうだろう!」

 

「──っ」

 

 だからお前は思わず歯を食いしばった。

 

「じゃなきゃ勇者なんかじゃねえよ! ここでこいつを見逃す奴が、勇者になれる訳ねえだろ!」

 

 迷っている暇がなかった。

 

「時間がねえから早く決めろルカ!」

 

 マッチを導火線に近づけていく。

 

「お前が殺るか、俺が殺るかだ! さあ、どっちを──」

 

「俺が殺す!」

 

 お前は剣を手に取った。

 

「俺が殺すよ、殺す、殺すから……」

 

 道具屋を見下す。まだ生きている。さっきと同じように呼吸している。

 

「だから、勇者に……なるよ」

 

 剣を両手で握った。騎乗するように乗る。

 

 上から楔のように心臓に打ち込むつもりだった。それがせめて苦しまない死に方だろうと思った。

 

「そうだ。それでいい。しっかり握れ。決して、緩めるな」

 

 後ろからラザロが、剣を握るお前の手に、自身の手を重ねた。そして強く握った。

 

「落ち着いて、よく、狙え」

 

 ラザロはお前をなだめるように言って、離れる。さっきの剣幕はどこかへ消散してしまったようだった。

 

「大丈夫。俺が保障する。この行いは正義だ。それに他ならないんだ。他の誰がそれを否定しても、俺だけは、それを認めてやる」

 

 お前は──。

 

「……ごめん、なさい」

 

 剣に、力を込めた。

 

 ずぐっ、と肉体に侵入した剣は、深く刺さっていく。刃先がどろりとしたものに挟まれる感覚がした。

 

 切っ先は、心臓を裂いた。

 

 店主はびくりと振動して、血を口から吐いたが、すぐに何もかも止まった。

 

 死んだ。

 

 剣を手放した。刺さった剣は十字架のように立っている。

 

 お前は尻もちをついて、呼吸を荒げた。鼓動の音が今になってひどくうるさく聞こえた。血管を破りそうなほどに高まっている。

 

 殺した。その実感が、何よりも鮮明に襲い来る。

 

「よくやった。後始末は俺がやっておく。お前は帰って、もう眠れ」

 

 ラザロに肩を叩かれて少し正気に戻る。しかし思考は回らない。言われるがままに、何も考えず帰路へと着いた。

 

 しかし、ふと振り返った。

 

 理由はわからない。気になること、違和感を抱く余裕はなかった。だから本当に、なんとなくだった。

 

「……」

 

 ランタンに照らされたラザロの口元は──笑っているように見えた。

 

 お前は、ひどい悪寒を覚えた。

 

 

 その日は一睡もできず、布団にくるまって泣いた。

 

 果たしたはずの復讐。晴れたはずの心。断ち切ったはずの悔い。成れたと言い聞かせる勇者。

 

 それらが、ぐちゃぐちゃに混ざり合って一つの塊となって、お前を見つめて、言っていた。

 

 ──お前は、間違えた。




ルカさんの年齢は、公式では未発表というか明かされない感じなのでアレですが、たぶん十五歳以上のはずなので、過去編のルカさんの年齢推移は、ルシフィナ病死が5~7歳くらいのときで、五年くらい経ってラザロ来訪時に10~12くらい、で原作開始時に15~17、というイメージです。wikiの年表から大体このくらいだろうと出した数字なので公式設定ではないですが、参考程度に。
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