ベルセルクのルカさん 作:あとば
更新再開はまだまだかかりそうなのですが、とりあえず直近の修正だけは何とか……といった感じです。更新する意志はありますので、もうしばらくお持ちください。
2026/4/5
一年ほどこの小説と向き合ったのですが……本当に申し訳ないですが、続きを書けそうにないです……。一応色々修正と追加をした部分がありますので、良かったら見てください。
「それから、は……とりあえず、交易船に乗り込んで、イリアスヴィルに戻った」
ここからは別に良いだろうと省いた。何もなかった訳ではないが、話す必要のあることはないはずだ。
「で、数年経って、ある程度力をつけて、お前に会って……旅を、始めた」
この数年にも色々あるが、これも別に特に話す価値はないだろうと省く。アリスも知っていることが大半だ。
「……一旦、終わりだ」
何か文句はあるかと、目で訴える。
「……結局、貴様の目的はなんだったのだ?」
「あの母子に対する償い、だよ。その究極的な目的の中で、イリアスを憎むとか、魔王殺しとか、冷酷とか、色んなしがらみを混ぜて、果たそうとした」
「では……なんで余を殺すと決めた? イリアスの望み通りに動くことになるのだろう?」
それはお前にとって最も避けるべき事のはずだと、暗に意味が込められた言葉だった。
「だから、だ。望み通りだからこそ、魔王を殺させたいと思っている奴の目的に乗った」
「……?」
「目論見通りに殺せば、奴は俺の前に現れる。そう思った。今でも……思うよ」
洗礼という機会もあったが、洗礼の時までに奴を実力で殺せる力が身についているとは思えなかった。それ以外では何をしても降臨などしないことは検証済みだ。
「まあ確証はない。でも……現れると思わないか? イリアスならば」
「……満面の笑みで、現れそうだな」
「だろう? 相変わらずのうすら寒い笑みを浮かべて、馬車にひかれたカエルみたいな額当てと、趣味の悪い赤い宝石を額からぶら下げ、長くうざったい金髪を揺らしながら──降臨するだろう」
「……」
思った以上に罵倒の言葉が出て来てしまって、アリスをドン引きさせてしまった。俺は口が滑ったと謝って、続きを言う。
「そこで、決戦するつもりだった」
「……」
できる限り苦しむという、償いの道の最果て。そこを魔王城で、奴と殺し合って終わるというもので、完遂しようとした。
でも意味はそれだけじゃない。
「そして、魔王殺しにはもう一つ意味がある──神としての、イリアスを殺す」
「……? 今のと、さっきの、何が違う?」
違いは明確だ。さっきのはあくまで、生き物としてのイリアスを殺すという話だ。
「ところで……俺のサンイリア襲撃の話は、どうなってる?」
「ああ、それなら……」
説明に必要になるので、そういえばと思い出したついでに尋ねた。
アリスはどこに隠していたのか、新聞を取り出して俺に見せた。
見出しには『”背教者”ルカ サンイリアを襲撃』と大きく書いてあった。俺の画像付きだ。絵を描かれている。ルカという人物がどういう者なのか、背丈や髪色なども詳細に記述されているようだった。
「良し、計画通りだ。これで……世界に知られただろう。俺が反イリアスだということ。イリアス教に背を向けていると」
「これで俺は、イリアスの加護を何一つ受けていない人間と、世界に認知された」
「──そういうことか。つまり貴様は、あの女神を生物として殺すことではなく……神という立場を、殺す気か」
そのつもりだった、と俺は返す。
「イリアスの加護を受けた勇者が、魔王を殺す──世界で求められているストーリーはそれだ」
子どもでも知っている。絵本の中のハインリヒは、確かにそんな勇者だから。イリアス信仰に篤い勇者だから。
「じゃあ勇者でも何でもない、加護どころか雷を落とされているような俺が、魔王を殺せば?」
「いくら世界が奴に洗脳されているといっても、少しの人々くらいは気づくだろう──神は死んだ、って」
そう言って、死んだはいい過ぎか、と笑ってごまかした。疑念を抱くくらいが関の山だろう。
「しかし希望的観測が過ぎるだろう。与える影響など、たかが知れている。そんなことのために……貴様は命をかけたのか?」
「まさか。勝算は十分にあったさ。ただでさえイリアス信仰は、年々勢いを落としている。イリアスベルクの若者とかは、礼拝をさぼる奴も少なくない」
「そんな中で俺が魔王を殺せば、ますますイリアスを、神の力を信じる奴は減って、自分の力を信じるはずだ」
「だが……人に期待をし過ぎだろう」
「それは否定できないな。実際人間にそれができないから、神に頼る現状がある」
「でも、海に一石を投じること。この影響がいつか、大きな津波になって、返って来る──俺はそれを信じた」
「……結局、希望的観測か。でもまあ、今更だな」
どうせもう無理だと悟っているのだ。だからこそ、この話をしたら意味がなくなる計画を、アリスに話しているのだから。
「……俺の話は、これで、終わり」
そう言うと、どっと疲れが押し寄せた。
こんな事を話したのは初めてだ。その疲れと、内省の疲れだろう。
自身の過去を再生することは内省に近いものがあった。現実を見つめることで、できる事とできない事が自分の中で明確に分けられた気がする。
中々悪くない経験だった。聞き手も嫌いじゃない奴で助かったなと、アリスを見る。
「……うむ。中々、いろいろ、衝撃的、だった」
アリスは、たどたどしく感想を述べた。
「でも、今の目的は……いってよかったのか? いえばさすがのイリアスも……」
「お前がいうのか。俺にはもう誰も殺せないというのを、証明したのはお前だろうに」
うっとアリスは痛い所を突かれた時の声を出した。
そう、結局俺の計画は魔王殺しが大前提にあった。でもその魔王と仲良く……そこそこ話せる間柄になってしまった。その時点で失敗しているのだ。
「……で、文句があるんだろ。勿体ぶらずさっさといってくれ。焦らされるのは嫌だよ」
以前も似たようなことをアリスへ言った気がするなと、思い返しながら返事を待つ。
「わかった……なら、いわせてもらう」
アリスは覚悟を決めたのか、いつものような力強い眼で、その言葉を言い放った。
「貴様は、狂っている」
*
「なんだ、今更そんなことか」
と、笑った。
その反応が余にとっては予想外で、思わず余もぽかんとして言う。
「……否定も、怒りもせんのか」
「狂わなければ平常心を保てなかったんだから、仕方ないだろう」
「……」
その言葉を聞いて余は思わざるを得なかった。
この男は、本当に──。
「ああ、そうだな、確かに貴様は狂っている」
でもそんな事は今は良い。それよりも思うべきことが多々あるのだ。
「だろう? 本当に今更──」
「そしてそんな貴様が作った目的もまた狂っている」
今度は明確な驚きがあった。一番自信のあるものが、目的だったのだろう。
でもそれは一瞬ですぐにルカは破顔一笑し、
「……そんなまさか」
そう述べた。自身の目的に対して随分な自信があるようだった。
「ならいわせてもらう。まず、貴様の目的は複雑だが、一言でいえば『償うために、苦しむ』なのだろう?」
ルカは頷いた。
「そしてこれを実行するために、副次的な目的が多々ある。余を殺すこととか、神を殺すとか、冷酷になることなど……」
これは先ほどルカ自身が言っていたことだ。念のために再確認したが、ルカは肯定も否定もしない。問題ないということだと思い、言葉を続ける。
「余は、これら全てがおかしいと思う」
「……わからないな」
ルカは首を傾げて、本気で余の理解を得られなかったことを、悩ましく感じているようだった。
「いっただろう。俺にとってつらい道を歩むのが償いだ。償いの対象がいないのだから、俺自身で罰を設定するしかなかった」
そこはわかる。問題はその後だ。
「そして、俺にとって最もつらいのは、冷酷になって敵を殺す道だ。それが一番つらい。だから償いに──」
「それが、おかしいのだ」
そう、どうして気づかないのだろう。あまりに単純なことだ。
「なんで貴様は、死なせてしまったことの償いを、誰かを死なせることで行おうとする」
「……」
ルカは、こいつは何を言っているのか、といった顔をした。
「……!」
だがそれは一瞬だった。本当のアホではなくて助かった。間違いに気づく力は十分にある。
「わかるだろう。貴様は
──言いかけて気づく。ルカ本人はおそらく気づいていないが、なるほど確かに、これは最高に苦しい道だろうと。
「そんなの、血で血を洗う行為だ。いつまで経っても罪など償えるはずがない。罪を重ねているのだから」
だがそれは伏せた。この気づきは、誰も気づかないままにするのが正しい。
「おかしい、だろう。そんなのが償いであるはずない」
ルカは黙っている。何を思っているかわからないが、余は反論しないなら話しやすいと思って言葉を続ける。
「加えて……冷酷になることを、苦しむためといった。だが冷酷になって魔王を殺すのは、貴様にとって楽な道ではないのか?」
「……」
「冷酷であることは他者の感情の機微に疎くなることだと思っているだろう。だとしたら、冷酷というのは、殺す時楽になる状態のはず。苦しむことと相反するだろう」
「……」
「おまけに貴様自身が全くそんな姿に成れていない。まだイリアスを殺すことの方が可能性に富んでいるくらい、不可能だ。貴様が冷酷になるなど──」
そこで余は、言葉を止めた。
ルカの表情を見て、止めてしまった。
「……その、通りだな」
ルカは──悲しみや虚しさを隠すような、笑みを浮かべていた。そんな表情は、初めて見た。
過去を語らせる中でも、今までどんな時でもある程度の強さ、気高さを失わなかったルカが、本当に初めて、弱くなった瞬間を目にした。
「お前の、いう、通りだ」
かみしめるように、一言一言がゆっくりだった。
「ははは……そうか、本当に、その通りだ」
「……本気で、それに気づいていなかったのか?」
償いの道のはずが、罪を重ねる道だということ。
ルカは答えなかった。余は、その時点で肯定と断じて、思わずこんな言葉が出た。
先ほど抱いたものだった。今、告げるべきだと思った。
それはおそらく、ルカにとっての地雷であると予感していた言葉であり、行為で、感情だったから。
「……同情、するよ」
「──やめろ」
一瞬で強さが戻る。ルカは余を思い切り睨みつけた。数刻前の殴り合いの最中でも見せなかったような、怒りの顔だった。
それでも、言葉を止めるつもりはない。
「……いいや、する」
「やめろっつってんだろ」
ルカが口調を荒げる。
ここまで荒げたことも記憶にない。母親の教育が良かったのだろう。
「されるのは、嫌いか」
「ああ嫌いだね。同情なんて、見下されてるのと変わらない」
──ああそうか、この男は、そんな風にしか考えられないのだな。
「そもそもされるほどのことじゃない。俺のことを少し知ったからといって、調子に乗──なっ」
「黙れ。黙って、聞け、動くな」
だからそこで余は、思わず服従の魔眼を放った。そうでもしなければ遮られてしまう。
命令は黙れと、聞け、動くな。
ルカはそれらを禁じられたが、破ろうと全身に力を込めているようだった。
いつ破られるかわからない。すぐに話し出す。
「余は、貴様を憐れむ。そうせざるを得ない」
本音だ。魔王として冷徹にと思うが、そう思わざるを得ない話だった。
「貴様の生は……あらん限りの最悪で埋め尽くされている」
ルカの表情に後悔が見えた。
「周りの大人は皆鬼畜で、唯一信用した大人にも裏切られて、あまつさえ神すら、貴様の敵だ」
「狂わない方がおかしい。いや貴様は、狂い過ぎたのだ。狂い過ぎてそれが一周して、だからどこか普通に見える。でも本質はあまりに捩れた、狂った人間」
──それが、貴様だ。
「だからあんな本末転倒な目的を立ててしまう。それに気づかないで、硬すぎる意志で実行しようとしてしまう」
「そんな人間に、同情するなだと? されるほどのことじゃないだと?」
その言葉がますます余の同情を誘う。本当にこの男はなんでこうなってしまったんだろうと、虚しさを抱かずには居られなくする。
「──貴様は、本当に可哀そうな人間だ」
今となっては、ルカの強さが、弱さに映る。
強くならざるを得なかったから、強くなった。
それ以外の選択肢がなかったのだ。だから適応した。狂うことで、弱い自分を消して強い自分で上書きをした。
それは強さと言えるのか。環境に適応──自分を変える必要があった。変えざるを得ないということは、自分を弱さを認めて、強くなろうと決心したということ。
それは強さと言えるのか。ましてその強さが、聞いただけでぞっとするような環境で培われたもの。
思う。この男は、弱いままの方が、強かったのではないかと。
だから今ルカに同情せざるを得なかった。
もしも、母が死ぬことやイリアスに目をかけられたこと、それらを変えられなかったとしても。
この男の周りが、もう少しだけ優しければ、きっとこうはならなかった。
それが本当に虚しくて、悲しいから。
「……」
余は魔眼を解いた。もう言うべきことはない。後は、ルカの反応次第だ。
ルカは崩れ落ちて、尻もちをつく。そして余を睨んだ。
この同情が、ルカに届いたかはわからない。この男は変わらないという諦観がある。
それでも、噛み締めて欲しいと思った。
要らないものと捨てるかもしれない──でもいつか役立つかもしれない。
そんな、貴様に同情した者がここにいるから、貴様は決して一人ではないのだという、思いを噛み締めて欲しいと、思った。
ルカは黙っている。同情されたことはなかったのだろう。衝撃だったはずだ。強いと信じているのだから、可哀そうだなどと思われたこと、言われたこともなかったはずだ。
しかし埒が明かない。だから一声かけることにした。
「貴様は、いったな。貴様の強さの源は、捨てること。信仰を捨てたことから、全てが始まったと」
「……そうだ……そうだ!」
そう言うとルカは水を得た魚のように、強さを取り戻した。
「俺は捨てれば……俺は冷酷になって、殺せる。七尾もお前も四天王も全員、殺せる、はず、だったのに」
しかし尻すぼみだ。そこに追撃するようで悪いが、こう言った。
「……余は、それにも違和感を抱いた」
「また──何を?」
「……貴様の根源は、捨てることとは真逆ではないのか。つまり諦めぬこと。それが力の源ではないのか」
これは捨てることと真逆だろう。捨てるというのは、諦めとも言いかえれるだろうし。
「……なんで、そう思う」
ルカはすぐに否定しなかった。代わりに理由を聞いて来た。
「……なんで、か」
そう問われてすぐに思い浮かぶものはない。当たり前のようにこの男の強さは、諦めが悪いことだと思っていた。
ではなんで、そう思ったのか──それを考えればすぐに答えは出た。
「イリアスベルクで、グランベリアとの戦いの最後、余は貴様を止めたな」
「……あれか、魔眼の」
そう、言っても止まらないから魔眼で無理やり止めた。
「あれはああでもしないと、貴様死ぬまで諦めないだろうと思ったから。比喩ではなくて、本当に死ぬまで戦うと……心配してしまったから」
「……」
ルカは黙った。余も黙る。何だかこっぱずかしいことを言ってしまった気がした。
「……少し、話は変わるが、これから貴様はどうするつもりだ?」
だから話を変える。聞こうと思っていたことだった。
「……さあ、どう、するんだろうな?」
他人事だ。つまりわからないということだ。ならばちょうどいいだろうと、余は柄にもなく先達として道を示してやるかと思い立った。
「……もう一度いう。貴様の根源は、強さの源は諦めぬことだ。それが貴様の力に成っている」
ルカは否定しない。ある程度正しいと認めてくれているようだった。
「ならば──貴様が、決して捨てきれなかったものこそ、それが今の貴様に、最も必要なものだよ。進むべき道を示すはずだよ」
ルカの中で象徴的なものであるはずだ。必ずルカは気づくだろう。
「諦めないという貴様の本質の、最たるものだから」
最もルカの中で、それは存在感を放って、光り輝いているはずだから。気づかないはずがないのだ。
「……」
「わからないか?」
だがルカは気づかないのか、認めたくないのか、黙っている。
その予想の当たり外れはおいておいて、余にそれの検討はついていた。仕方ないからヒントを出すことにする。
「捨てたと思っても、失くしたと思っても、ずっと貴様の傍にあったものがあるだろう」
ルカは、やっと気づいたようだった。
「──遺言」
*
「おそらくはそうだ」
ルカは余りの衝撃だったのか、呆然自失と、未だ降る雨の中で、俯いている。
「余も、貴様と同じだから、わかる」
ルカの過去を聞いてやっとわかったことがある。
この男と余は似ている。
母を殺され、憎しみで人を殺して、それでも母から与えられた”もの”を抱えて、生きている。似ている。だから見放せないのかもしれない。
ああだが、たった一つ違う点がある。
余には、たまもがいた。頼りになる人がいた。
でもルカは全部失った。全部自分で考えて、動かざるを得なかった。余と違って、本当にやるべきことに気づくことは難しかっただろう。
「──つまり、お前は」
ルカはやっと思考が戻ったようだった。余の言わんとするところを理解し切るまで、時間を要したようだ。
余の言わんとした事の、その意味。余だって理解している。それがルカにとって禁忌であるとも知っている。
「俺に今さら、遺言を守れと、いいたいのか。遺言を守ることを──諦めるなと」
「……その通りだ」
「お前の耳は腐ったのか」
ひどい言い草だ。だがそう思うのも無理はない。散々ルカが言っていたことを、無視している。
「いったはずだ。俺は遺言を全部殺した。これは諦めないとか、そんな次元の話じゃないもう俺の中で──死んでるんだ」
「ならば何故、一言一句覚えている」
「……!」
ルカの中の禁忌。逆鱗。触れられたくない部分。
だから何だ。魔王だ余は。そんなの知るかと踏みにじって、無理やりにでも気づかせてやる。
「何年も前の母の最期の言葉を、なぜ記憶する。死んでいるのだろう。覚える価値などないはずだ」
なのに覚えている。それは──
「教えてやろうか、貴様の本音が、遺言を守りたいといっているからだ」
「……っ!」
「ルカ。もう狂う必要などない。貴様はただそれを果たすために生きろ」
「貴様はもう、自分の思いに従えばいいよ」
そう言うものの、ルカがこの程度の言葉で納得するはずもない。
ひどく頑固で、面倒くさくて、複雑なのがこの男だ。もうそんなのは旅で散々知っている。
だから──
「お前に俺の何がわか──」
「わかると、いっているだろう!」
この男は、殴られないとわからない。
「──っ!?」
痛みで以って、無理やりでも教えてやらねばわからないのだ。そういう男なのだ。
激昂、憤怒、憎悪に駆られた人間の脳みそを叩き直すには、結局のところ言葉ではなく殴るしかない。
「もう一度いうぞ。余は貴様のことがわかる」
近づきながら言う。ルカはふらふらとしているが、目に闘志が宿っている。
そう、わかる。わからないはずがない。だって──
「余は母の死から始まった!」
思い切り、殴り飛ばす。
「それが今の余を形作っている。その経験が、今の余の目的になっている」
みぞおちに沈んだ拳は、少し浅かった。ルカをその場に踏みとどまらせて──無言で、反撃される。
その拳は余の腹に沈み込む。確かな痛みを与えて、隙が出来る。そこでまたもう一度、今度は鳩尾を殴られた。
それが、痛みがあることが少しだけ感慨深くて、でも、漏れる息とともに言葉を吐き出した。
「母の死が、余を動かす力になっている。無謀に挑戦しようという、勇気をくれる」
またルカが追撃する。このまま攻められれば押し倒されて負けるかもしれない、右の頬を殴り飛ばす、そして追撃に──尻尾で鼻づらを蹴り飛ばす。
「貴様も、同じだろう!」
そう──そのはずだ。
「貴様がイリアスへ挑むという無謀を抱いた、その動機になった怒りは、母を殺した同然のイリアスに対する、怒りだったはずだ!」
だって余も同じだから。だからわかる。母が死んで、間違えて、そこから立ち上がって見えたのは、すべきことと思ったのは、ひどく単純なものだったから。
「ルカ。貴様は、色々あり過ぎて見失っているのだ。一度冷静になれ」
だから諭すように言う。ルカは言い返す言葉を見失っているのか、返事は何もない。
しかし思うところはあったのだろう。それか散々余に殴られて、言いくるめられて、苛立っていたのだろう。
先ほどの蹴りで吹き飛ばされたルカは、無言で立ち上がる。
「……」
そして言葉の代わりに、拳を構えた。
「──そうだな。貴様はそういう人間だ」
一瞬の間の内に、ルカは駆け出して余に近づいている。
そう、もういい加減にわかっている。この男は言葉なんかでは止まらないし、変わらない。
「一度本気で、全力で、思い切り殴られねば、決してわかるまい」
ストレートに突き出された拳をかがんで避けて、肉薄する。既に拳は作って、腰も捻っていた。
「これで認めろ、ルカ」
拳には──あらん限りの
「貴様は、遺言を取り戻すべきだ!」
だから、闇の力をこれでもかと込めた拳は──ルカの顎に着弾して、弾けた。
ずざんと、泥の大地をルカは跳ねて、転がった。ルカはぴくりとも動かない。
そこへ近づいて、見下ろす。
殴り飛ばした顎、口を切ったのか血を流して、虚ろな目で空を見上げて、ルカは言葉を零し出す。
「俺は……償うために、苦しまないと、いけないんだ……」
脳が揺れているのか、寝言のようにルカは言った。
「そんな……俺が、望んでることを、する訳には……いかないよ……」
──こうでもしないと、ここまでしないと本音を零さない。本当に面倒くさい。
「……ならイリアスを恨むことなど忘れれば良かった。望んで貴様は、イリアスを憎んだのだろう」
そう、そもそもこの男の論理など最初から破綻している。
望みは償うこと。そのために苦しんで生きると言った。
でも、望んでいる償いをすれば、それは望みを行っていることになる。
「償いというのは加害者が罪を軽くするためのものだ。罪が軽くなれば苦しみは収まるだろう。ならば苦しみたいという目的とすら、合致していない」
ややこしい話だが、やはり苦しむこととは真逆のはずだ、償いなど。
「だから貴様が本気で償いたいならば、何もせず、蹲って生きていれば良かったのだ」
「──そんなことできる訳ないだろう」
「はは、それみたことか。それが貴様の正体だ」
「貴様は怒りで動いている。イリアスへの怒りでな。それを償いなどといって誤魔化すな」
「というか、貴様が本気で償いたいならば、素直に勇者と呼ばれればいい話だろう」
「……なにを、いってる?」
「殺した、傷つけた人の数よりもずっと多くの人を、勇者になって救えば良かった。償いなど、それで十分だろう」
「俺は、あの二人に──」
「その二人は死んでいる。貴様がどれだけ苦しもうと何の意味もない」
「ああそもそも、ラザロにそそのかされて殺しているのだし、貴様が気に病む必要性はないのではないか?」
「ならばやはり、勇者になれば良かっただろう。人を助けて、勇者と呼ばれるようになれば良かった。まだイリアスに仇名すとかいう道より、ましなはずだ」
「そんな称号の勇者に、意味なんてない。俺は、俺自身が俺を勇者だと認めなければ、嫌だ」
「ほうそうか。では貴様にとっての勇者とはなんだ?」
「誰かの日常を理不尽から守る──」
「ならばもう勇者だろう。貴様も認められるはずだ」
「だって貴様は、イリアスベルクで、グランベリアからあの町の人々を守っただろう」
「──今のは、少し、違う。間違え、ではないけど……あくまで、その、現実的な話だ」
ものすごくしどろもどろだ。
ルカはひどく頭を悩ませているようだった。
「ほう。ならば現実的ではない、別の勇者の在り方が貴様の中にあるのか。ぜひとも聞かせて欲しいものだ」
「それは……」
「答えられないようだな。ああそうか。ということはやはり、先ほどの貴様の勇者像が──」
「──泣いてる子どもを助けれたら、勇者だっ」
「そうっ、だからっ、俺はこれっぽちも……」
「……秘宝の洞窟、妖狐」
ルカはあっ、と言った。
「ほう、そうだったのか。へえ、そうか…………」
「あはははっ、貴様が、まさかそんな夢を持っているなんて、思いもよらなかった」
「人は見かけによらんと、そういうことか。ああ、だとしたら盗賊団を助けたのも……」
「うるさい、もう聞かない、耳閉じる俺は」
色々と言ってみると、ルカは耳が痛い話なのか立ち上がって、背を向けて離れた。
一気に雰囲気が柔らかくなってしまったと、余は思わず笑いどころではないのに、笑ってしまう。
「どこへ行くのだ」
「お前から離れる」
ずいずいと近づいて問いかけると、こちらに一目も向けずにルカは廃村を出て行こうとする。
「待て、もう少し話そう。大体荷物とかどうするのだ。そっちにはないぞ」
「ああ知ってるよ。今思い出した」
「はははっ、貴様は意外と面白みのある人間だな。そんなばればれの嘘を……」
いい加減鬱陶しく感じたのだろう。ルカはその場にかがんで、何かを掴み、余に向かって投げて来る。
「ああもう、邪魔くさいな──このっ」
「ぶっ」
それは足元の泥だった──いやそれより、顔に。
「……」
……この男、女の顔に普通に攻撃を加えて来るの、いい加減にどうかしているのではないだろうか。
さすがに余もいじり過ぎたかと反省しようかと思ったが、やめた。
「貴様がやったのだからな!」
「べっ」
余も思い切り投げつける。それはルカの顔を思い切り汚した。
それに口の中に泥が入り込んだようで、ものすごく苦い顔をしている。ぺっぺっと吐き出している。
その様子を見て、ふっと笑みがこぼれた。
ルカは余のその笑みを見て、眉間にしわを寄せながら睨んだ。負けじと余も睨み返す。
にらみ合いが続く。
そこからは──言うまでもないだろう。
*
「……馬鹿じゃないのか、俺たちは。何やってんだ」
「……何をやっているのだろうな」
泥だらけの二人は寝そべって自嘲気味に笑った。
雨がしとしと降っている中。ここはかつて畑だったのだろう。濃い土色が体を汚している。
泥を掛け合い、それがヒートアップしてもつれ合いに発展して、いつしか、地面に寝ころんでいた。
互いに互いの頭部を殴り過ぎて頭がおかしくなったのかもしれない──ルカはそんなことを思って、ため息をついて。
──ああ本当に頭がおかしかった。俺のさっきの色々全部はなんだろう本当に、忘れたい。
静かに、悶えた。
アリスも頭が冷えたのか、ぼうっと空を眺めて、雨に打たれいる。でも彼女はルカほど後悔はないようだった。からかう側に回っていたから、当然、だが。
──余、本当に魔王だろうか。何をやっているのだろう。魔王らしい厳格な姿とか、欠片もなかった。
別の所で、後悔していた。
そのまま仰向けのルカたちは、空を仰ぐ。
雨はまだ降っている。じとじととした、とてもではないが実りの、潤いの雨とは言い難い雨だ。嫌がらせにような雨だった。
沈黙。どこか、心地がいい。だからだろう、アリスはふと、思いついたように語り出した。
「考えてみれば……余はこうして泥だらけになったことは、今まで一度もない」
「……綺麗に、育てられたんだな」
ルカは特に驚かない。魔王だから当然だろうし、あれだけ強いのだから泥だらけになる機会はないだろう。
「うむ。最近まで城の外には全然出られなかった」
「へえ、どうだ。泥だらけの気分は。最悪だろ」
「そうだな。最悪だ」
軽い会話だった。刺々しさは微塵もない。
「土の匂いは嫌いじゃない、でも、濃すぎると食傷気味だ……おまけに背中辺りがむずむずするから、虫でもついているかもしれない」
そういいながらアリスは背中と大地を擦った。べちゃべちゃの泥が背中でこすれて、ますます気持ち悪くなったのか、苦い顔をした。
「それに、初めてだらけで……それが貴様だから、きっと余計な苦労をたくさんしたと、思う」
「……」
「貴様は……顔に泥を当てて来る癖に、当てられたら怒りそうで、それを心配しても、嫌われそうだから」
「……それは、最悪だな」
そんな奴とした泥遊びは、最高につまらないだろう──ルカがそう思ったとき。
「でも、楽しかった」
アリスは、全く反対のことを言った。
「貴様は……どうだった?」
驚きの最中問われる。そのせいかもしれない。もしくは先ほどまでの、変なノリが続いていたのか。
ルカは思わず、素直に言葉を紡ぎ出した。
「……村では、こんなこと、やった記憶はない」
「……だろうな」
「同世代と交流した覚えもない。こういう……子供の遊びも、したことはない。憧れたこともない」
それをする子どもを見たことはあった。だが特に羨ましいなどとは思っていない。
「そんなことやる暇も、相手もなかった。むしろ泥遊びをする奴なんて、楽しめる奴なんて、馬鹿だけだなんて、嘲った」
「……今は、どうだ?」
「……まあ、やってみたら、悪くない。そう思った」
──この言葉を聞きたかったのかもしれないと、アリスは妙な感慨に満たされた。
そこから黙る。だが妙な音が二人から漏れていた。
「……」
「……」
それは──笑いをこらえる時の、くぐもった鼻息に近い音だった。
「くくっ……」
「ははは……」
我慢が、決壊する。
そこで堰を切ったように──二人は笑いだす。
小さな、息を漏らしただけのような笑いは次第に、雨音にも負けないような大きな笑い声に変わって、村に響いている。
それは自嘲だったし、苦笑いだったし、照れ笑いだったし、呆れ笑いだったし、思い出し笑いでもあって──心底の笑い合いだった。
散々に吐露し合って、今日だけで一生分の会話をしたのではないかと思うほど重ねて、それでやっと、分かり合えた気がした。
喧嘩が、終わった気がした。
この笑い合いだけで、今日の会話の何よりも多くを、分かり合えたという気がした。
「……」
「……」
そして二人は、雨が止むように次第に、沈黙した。
だがその沈黙に刺々しさはない。冷たさもない。気まずさもない。二人の沈黙は、物言わぬ精巧な石造のように、綺麗だった。
何の会話もない二人。だが何か、どこか、これまでと違うと二人は思っている。
だからルカは、アリスへ一つ、尋ねた。
「……結局、お前の目的はなんだ」
*
「俺はお前のことを全然知らないままだ。なんで、俺に変な期待をしてるんだ、ずっと」
思えば出会った頃から、ずっとそうだった。この妖魔は何故か知らないが、変な期待を俺に向けているのだ。
「余の目的は……人間と魔物の共存だ」
「……無謀だな」
さっき言ってた無謀は、これか。
「余も、そう思う」
「ならなんで目的に据えてる」
「貴様とならできるかもと思った、から」
「あり得ないな。俺をなんだと思ってる」
「……一言では、いえんな 貴様は複雑すぎる」
そうだろうかと自問する。そんな複雑と形容するほどの人間だろうか。
「でも、イリアスが嫌いで、魔物に偏見ないから、そんな人間知らないから、期待したんだと思う」
「……ずいぶん口が軽いな。いいのか、目的とか、そんな簡単にいっても」
「余も……本当はこんな素直じゃないのだけどな。貴様がイリアス信仰していて、魔物と人間の共存を夢見てる勇者だったら……こんな事は絶対にいわん」
「はは。そんな奴存在する訳ないだろ」
いたとしたらよっぽど、捩れた奴なんだろう。どんな家に生まれればそう成れるのか想像もつかない。
「そういえば……なんで貴様は、ハピネス村の一件で魔物を人を言ったのだ?
「……通りすがりの淫魔がいってた、から?」
「……そうか。受け売りだったのだな」
「そうだよ。失望してくれたか?」
「そうでもない。それよりもその淫魔に会ってみたかった。余にはない視点を授けてくれそうだ」
「やめておけよ。あんな適当な──」
『適当にやればいいんじゃない?』
そう言いかけて、忘れていたアドバイスが、耳に木霊した。
適当に、やる。
「……そんな訳あるか」
「……?」
そんな冗談みたいな姿勢が、正しい訳ない。
『なんで一度切りの人生で、そんな大真面目に生きようとするの? 楽して、だらだら生きないと損じゃん』
そう思っても、再度木霊する、あの淫魔の言葉。
──俺はいつだって、大真面目だ。
これは間違ってないだろう。真面目、真剣だから努力できた。死ぬ気で日々を過ごせていた。頑張って来れたんだ。
『君はガキの癖に力入れ過ぎなんだよ。もっと生き物なんていうのは、適当でいいんだよ』
でも、だから間違えるのかもしれない。
真剣だから間違えることもある。適当だから間違えることもある。どちらの可能性も、俺は孕んでる。
でも時として、どちらかに偏ることは明らかな間違い招く。細い道を歩く時、右や左のどちらかに寄り過ぎたから、落ちてしまうだろう。バランスを取る必要があるだろう。
つまりは、俺が間違えたのは、真剣に傾倒し過ぎたから?
真剣と適当を半々くらいに合わせるのが、ちょうど良かったんじゃないか?
「……」
愕然としてしまう気づきだ。
否定したい気づき──だが事実俺は、間違った目的を抱き、間違った道を歩いていたと既に隣の妖魔から気づかされている。
思わず目を閉じて笑う。虚しさと呆れが同居した笑いだった。そして、そんな時でもあんな適当な言葉はまた、俺の頭に響いている。
『明日の歩き方も忘れるくらい、力抜いて、寝ころんだら──そしたら』
見えて来るものは、きっとある。
俺は、目を開いて空を見上げた。
「……」
見えたのは、雨を含んだ、曇り空。あの時と大して変わらない。
でも、その見え方は異なった──薄く青を孕んだ、雨雲。灰色ばかりじゃない。
快晴を感じさせる、水色が見えている。いつか晴れることを、予感させる雲だった。
だからその空には、確かな希望が宿っている。
「……はあ」
俺は笑い混じりにため息をついた。全く以って、あの通りすがりの淫魔のいう通りになってしまった。
わかったよ。
わかった。
ああ、いいだろう。
どの道、間違えたのだ。いい機会なのだ。
「ル、ルカ?」
心配そうに声をかけるアリスに、今は答えないで、決して届かないメッセージを彼女へ送る。
通りすがりの、名も知らない、淫魔へ。
あなたの生き方が正解とは思わない。俺は適当に生きて、適当に死ぬなんてごめんだ。
あなたと全くの逆。真剣に生きて、真剣に死んでやる。それは変わらない。
そもそも適当なんて、真剣に生きることから逃げただけだ。真剣がつらいから、適当という楽な道を選んだだけだ。
それに適当にやったせいであなたは死んだようなものだろう。魔物は人だなんて言わなければ、雷を落とされなかったはずだ。
あなたは、もっと考えてものを言うべきだった。
それでも、だ。
俺が見習うべき要素が、あなたには確かにあったのだと思う。事実俺は真剣に生きた結果、色々なものを間違えてしまった。
そしてあなたも、適当に生きた結果、死んだ。適当もまた間違いなんだろう。
つまり俺たちは、どっちかに偏るべきじゃなかった。真剣さと、適当さを。この二つを併せ持つような、そんな人を理想とすべきだった。
「急にどうしたのだ……? 黙ったりため息ついたり……?」
──だから少しだけ。一度だけ、あなたの生き方を真似してみるよ。そしたらきっと、丁度いい。
「ルカ? だいじょう──」
「やーめた」
アリスが、ぽかんとした顔で、こちらを見ている。
「やめたやめた。意気消沈は、やめた」
体が急に軽くなった。
「さっきまでの俺は、馬鹿だな。捨てるだなんだいってた俺も、アホだ」
考えてみれば、捨てるなんてことが俺の根源なはずないな。
そもそも捨てるっていうのは、アリスの言う通りただの諦めだ。
信仰を捨てて強くなった──それは信仰を諦めただけだ。イリアスが何もしないから、止めただけ。捨てるという行為自体に、強さが関係してる訳じゃなかった。
イリアスヴィルで散々迫害されても、薬を奪われても、村人から折檻を受けても、冗談じゃなく百回連続で負けても、イリアスから雷落とされようとも。
俺は、折れなかったはずだ。
捨てなかったのだ。怒りも、憎しみも、無謀な目的だって、俺は本気で挑戦してた。
だからここまで来れたのに。それを忘れるなんて、捨てるという真逆のものを強さの源と思い込むなんて、本当に愚か者だ。
逆だった。
捨てないことこそが、守り抜くことこそが、俺の始まりだったろうに。
それはつまり──諦めないことが、俺の根源。
「アリス。俺は、勇者を目指すなんていうのは、少なくとも口にすることはできない」
「でも、お前のいう通りだ」
「遺言は、守りたいと思ってる」
「まあ……今は、どっちも無理だけど。イリアスを憎む気持ちも、勇者になれないと思う気持ちも、大事だ」
「それでも」
「俺の一番は、母さんのために、だよ」
「だから……まあ一言でいう──諦めない」
勇者にはなれない。これは言うまでもない。
そして、誰も恨まず。
無理だ。今は絶対に。
俺はイリアスを心底嫌悪している。こればかりは今すぐに捨てることなど、絶対できるはずがない。
だから。
どちらも、諦めない。遺言もイリアスへの憎しみも、この相反する二つをどちらも抱える。抱えて生きる。
苦しいだろう。それでいい。反発する両者を合わせて生きる、最高に大変だ──だから償いになる。
結局俺は苦しみ続ける。償いも諦めてなどいない。
「……それでいい。やっと貴様っぽくなった」
「先達としては、それが一番だ」
……アリスも、色々あったのだろう、母親関連で。
「で」
しかしそれを尋ねようとは、思わなかった。もうアリスは、自分の立場を固めているように見えた。アリスが俺にしてくれたような、口出しも手伝いも要らないのだろう。
「今の俺には、明確な目的はない。一つあるとしたら……償うために、苦しむということ」
アリスの痛い指摘は喰らっているが、これは変えられない。
「でもイリアスを殺すという無謀。冷酷になって苦しむこと。それらは不可能だと知った。だから、別のものを見つける必要がある」
ならば俺にできる、せめてものことは──
「するよ。してやる。共存の協力」
「……! 真か?」
アリスは急に起き上がってこちらの顔を覗き込んだ。目を輝かせている。
「人間と魔物の共存。考えてみれば最高の嫌がらせだ」
それを達成できた時の、イリアスの苦々しい表情がありありと浮かんで来る。なぜ今までそれを思いつかなかったかと思うほど、最高の敵対活動だ。
「当面はそれを目標にして、旅をするよ」
などと言うが、人間と魔物の共存を達成するために歩むべき道のりのイメージは想像できない。色々とアリスと話す必要はあるだろう。
「じゃあ余も何か貴様を手伝う」
「いや、いらない。共通の目的へ向かって進むだけだ」
「それだと余が納得いかないのだ……貴様ばかりに手伝ってもらう心象になるから」
頑固な奴だなと思う。だから俺も、ここまで話してしまった。
「じゃあ、個人の目的をそれぞれ作ろう。それを互いに協力し合う。これなら良いだろう」
共通の目的にはどちらも協力し合って、個々人の目的にはそれぞれが協力し合うということか。本末転倒ではないかと思うが、まあ、いいかと思った。
「……」
俺も手伝ってもらいたいことがある。先ほどあれだけ強さを剥がされたのだ。取り繕うのは億劫だった。
「……強くなりたい」
結局、弱いままだから。アリスもグランベリアもイリアスも、あまりにも遠い。悔しさがあるから、強くなりたいと思う。
それに目的のためにも強さはあった方がいいだろう。共存ということはクイーン等と少なからず話すことになるだろうし。
「うむ。余、魔王だからな。色々教えてやるぞ」
「それで、お前は?」
そう問うて、俺は少し後悔した。
だってアリスは妖魔だし、人間の精とか要求するんだろう。軽々しい誘いに乗ってしまったかもしれない。
「……そう、だな。うーむ……」
……まあ、仕方ないか。でも何をどうやって人間から精を取る──
「……美味しい物たくさんたべたい」
腹の虫を鳴かせながらアリスは言った。
「……はっ」
──なんてふざけた奴だろう。思わず笑う。さっきまでとの温度差で、苛立つ自分もいたり……いや、さっきもこんなものだったな。
この妖魔は空気を読んでこの発言をしたのか。ただただ天然で、人間の精を求める妖魔としての本性を忘れたのか。
ああ、つくづくわからない。本当に何がしたいのだろうか、この妖魔は。俺に何をさせたいというのだろう。
でもそれをわからなくていいと思える、俺もいた。
だから思わず笑みを零して、言う。
「それは、気楽でいいな」
*
雲に光が当たっていて、薄く空の青を感じさせるように、透けていた。
雨は、もうすぐ止むのだろう。
「あ、そうだった、忘れるところだった……」
「どうした?」
いざ出発しようとした所で、俺は思い出す。危なかった。慌てて鞄を漁り、それを取り出した。
「形見の指輪だよ。外したままだった。一旦外してたが、これも守らないと」
一応母の言いつけだ。もう破っているが、これ以上破りたくないという思いがある。
そう言うとアリスは、指輪をまじまじと見つめる。そしてうーむと唸った。
「……よくよく見ると、念がこもっているな。といっても、特殊な効果が宿っているようには見えん……何だ、それは?」
「さあ? 別に、普通の指輪だろう」
そう言って指にはめた。いつもの感覚になる。しっくり来る。
「…………! 指輪をつけた途端貴様……いや……何でもない」
「?」
アリスは何かに気づいたようだが……まあいいだろう。金輪際外すことはない。外した時の自分なんて、もう死ぬまで関係ないのだ。
「次の目的地はどうする?」
「そうだな……とりあえず、一つやりたいことがあるから、サンイリアだ」
アリスは露骨に嫌そうな顔をした。やはりイリアスの力を感じる場所は嫌いなようだ。
「まあ、わかった。余もちょうど貴様に教えてやりたいことがあるし……サンイリアは何が美味いだろうか……」
「観光している余裕はたぶんないぞ」
ちょっと会うべき人間に会って、すぐに去る。よほどの面倒ごとが起こらない限りはすぐに脱出する予定だ。
そして、次の方針を固めた所で──
「おお、雨が上がった」
雨が上がって、曇りなき空が広がっていく──訳じゃない。
雨がやんで、ほんの少し光が差しただけだ。雲もまだまだ空に多い。青空はまだ見えない。
「……やっと、晴れたな」
それでも、この晴れとも言えない晴れは。
「晴れはいいな、やはり。じめじめは余は嫌いだ」
中途半端で、何も変わっていないような晴れは。
「俺も、晴れは好きだ」
留めておきたいと思える、晴れだった。
そして少しの間止まった体は、足は、自然とまた動く。俺たちは次へと足を進める。
風が吹いている。
ずっと止まっていたような感覚がして、その停滞感のせいだろう。夏の日に思い切りの涼し気な風が吹いたような心地よさが、どこか愛おしい。
俺は、この道を正解だと思って歩くだろう。
でも歩き続ける限り間違えるだろう。しかし俺は、もう二度と間違えないつもりで足を踏み出す。
人生というのはきっと、それの繰り返しだ。だから歩むことを恐れず進む。
間違えるだろうという諦観の中に、決して諦めないという覚悟がある。そんな矛盾を愛して、笑って行こう。
二度と間違えない。笑いながら、それでも真面目に、言い放ってやろう。
そして俺たちはやっと、再び歩き出せたのだった。