ベルセルクのルカさん   作:あとば

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第4話『狂』

 魔王軍。

 

 魔物のみで構成される組織であり、人間に多くの被害を出している。

 

 具体的には、剣を持つ資格すらない勇者を潰したり、清涼な河川を汚した人間たちを全員溶かしたり、秘密裏に海路を嵐で封鎖するなど……人間から見ると、散々な悪行だ。

 

 本拠地は、北の果ての魔王城。禍々しい外見に、おどろおどろしい内装だろうと人間に噂される。

 

 組織のトップは、魔王。

 

 現在が十六代目であり、今代は穏健派。五百年前の八代目のころには、人間へ余りに多くの被害を与えたために勇者ハインリヒによって討伐もされた。現在の十六代目魔王の姿形を見た者は、魔物の中ですら数少ない。

 

 さて今回、イリアスベルクを襲ったのは、その魔王軍の最高戦力の『四天王』の一人だった。

 四天王は魔王直属の幹部である。それぞれが四元素の扱いを得意とする。その中で『火』を得意とするグランベリアは魔王に次ぐ実力者だ。

 

 今回彼女が襲撃した訳は、多くの勇者が駐在するからである。勇者の中に魔物へ無用な危害を加える者が多々いると報告があったのだ。そしてこの街を陥落させた後は──勇者を生み出し続けるイリアス神殿を潰す。そのためにグランベリアはやって来たのだ。

 

 グランベリアは魔物の最高戦力。人間に敗けるはずがない。彼女がこの街を襲った時点で、“どうしようもない”ことは確定していた。天災のようなものだった。

 

 それを誰よりも理解していたから、その者を遠くから眺めて、彼女は呟いた。

 

「わかっていたはずだろう」

 

 また鈍い音が、鳴った。

 

 

 沈みかけの太陽は、その半身を世界に残している。

 

 橙に染まった群衆は広場にて、遠くからその様子を眺むる。町人は時折目を背ける。一度打ち倒された勇者たち、戦士等は目を背けることなく見続ける。

 

 彼女は、冷ややかにそれらを見ていた。

 

 戦いが始まり、戦いと呼べなくなるまで、それほど時は要さなかった。

 

 また、鈍い音がして、その者が打ちのめされて地面を転がる。血反吐を地面に吐き出す。だが立ち上がり、また立ち向かう。

 

 彼女はそんな存在を──アリスはルカを、魔王は勇者を見ていた。

 

 魔王。

 

 アリス──アリスフィーズ・フェイタルベルン、現在の魔王だ。十六世である。

 

 彼女は神イリアスを殴りにいったが目的は果たせず、魔王城のあるヘルゴンド大陸から遠く離れたイリアス大陸まで吹き飛ばされた。そこでルカと偶然出会い、そして興味を持った。だが失望して道を別れ、その後イリアスベルクに留まっていた。

 

 妖魔の姿で町に入ればまずいとわかっていたため、人間に化けている。特徴的な尻尾や青い肌の痕跡はない。

 

 群衆に混ざると見づらい。だから町で一番高い屋敷の屋根に乗り、妖魔の視力でもってそれを眺めている。

 

 アリスの現在の状況は、偶然の産物だった。

 穏健派をやめて、人間を力で支配するという覚悟を決めて、でも最後に、あまあま団子だけ食べて魔王城へ帰ろうとした。

 

 その折に、騒ぎが起こった。

 

 グランベリアの襲来だ。そんな指示を出した覚えはないが、どう動くかは基本的に四天王に任せている。

 

 タイミングはベスト。あまあま団子は旅館で買い終えている。騒ぎを眺めつつ、甘味を楽しみつつ、どう人間を支配するかを考えるのも悪くない。だから魔王アリスは帰宅を一時中止した。

 

 だが、戦いともいえぬ、勇者もどきと四天王の戦いを見て思った。

 

(人間とはなんと脆弱だろう)

 

 最近まで城の外を知らなかった。本と親代わりの存在から得た知識しかなかった。

 

 それでも知っていたこと。人間は、弱い。

 人間が魔剣士に挑み、倒れる。何重も束になっても決して敵わない。あまりにも差がひどい。いくらグランベリアが上澄み中の上澄みだとしても、ここまで相手にならないとは思いもよらなかった。

 

(あの勇者たちは、思った以上の手練れだったのか……)

 

 他ごとを考え始めた。そろそろ飽きたし退屈だなと、アリスは高台から眺める余興に思わず欠伸した。

 

 そんなときに、ルカはやって来た。

 

 ルカ。昨日出会った男。

 

 ひどく好戦的で、後先を考えないタイプなのだろう。そして、強い。

 

 実力の話ではない。人間レベルではトップクラスというのは間違いないが、妖魔を含めればそこそこ。だからそういう強さではない。

 

 決して折れない強さ。それがあの男にあった。

 

 野営で少しだけ聞いた。ルカがどういう風に生きて来たのか。どういう考え方をするのか。

 

 ひどい生き方だった。何を目的とすればルカのようになるのか全く想像できない。どれだけ強い思いがあればルカのような修羅になれるだろうか。そして人をそこまでさせる経験など存在するのか。

 

(……だが、あの男が特別製だっただけなのだろうな)

 

 だって、人間は弱い。

 

 今回もそうだ。勇者たちは一度倒されたら諦めて、祈るばかり。死にもの狂いでこの窮地を切り抜けようとする者はルカ一人だけ。逆境に余りにも弱い種族だ。

 

 だからきっと、ルカが強すぎただけだ。アリスは考えを修正する。あれが人間のスタンダードではない、絶対に。どう考えても、あれはおかしい。やばい人間だ。

 

(だが、行動も性格も難ばかりでも、少なくとも悪ではない。そう思った)

 

 そうだ。だから興味を持った。期待をしたのだ。悪ではないこの男は、何よりイリアスを忌み嫌うとまでいったこの男は、魔物のことを、どう考えているのか。

 

 答えは、期待通りではなかった。

 

 魔物を敵と言った。それが全てだ。

 

 だからやはり、あり得ない。“どちらか”で揺れていて、あり得ないに傾いた。

 

 だが、とアリスは思う。

 

 自分にも非があったかもしれない。ルカにそう言わせた原因が自分にもあったかもしれない。魔物を敵だと言ったときのルカは平生ではなかった気もする。

 

(平常なら、もしかしたら)

 

 結局アリスはまだ揺れていた。まだ期待を捨てていなかった。

 

 故にアリスは、まだイリアスベルクに滞在していて、かつルカを見ていたのだった。

 

(しかし……)

 

 鈍い音がまた鳴った。ルカが腹を打たれて地面に転がった。

 

 数えて十度。ルカが地面に倒れ伏した回数だ。

 

 夕焼けが肌の上に流れる血液を、淡い橙色へ変えている。滴って落ちた血が石畳にしみ込まずとどまっている。骨もいくつか折れているだろう。

 

 もはや群衆たちのルカを見る顔に、希望はない。絶望一色。魔物に支配されることを恐れて嘆き悲しむ者ばかりだった。

 

「……」

 

 それでも、ルカは立つ。

 

 何故立ち上がるのか理解ができない。勝てないことはわかっていたはずだ。何もかもが違う。筋力も、技術も、武器も、種族も──何もかも全て、ルカはグランベリアに劣る。

 

 もう群衆からの応援はない。希望もない。戦う意味がない。負ければ苦しみから解放されるだろう。

 

 どういう理由で動いているか、わからない。

 

 だが思えば、出会った時もそうだった。ルカは初めから無謀に挑戦していた。自分に臆することなく挑むなど無謀であり、それは勇気ではなく蛮勇だ。

 

(なぜ立ち向かう。なぜ立ち上がる。どういう理由で、動いている?)

 

 わからない。ルカという人間の何もかも全てが理解できない。

 

 何故イリアスを憎んでいるのだろう。何故強さを求めるのだろう。何故人を寄りつけないように振る舞うのだろう。何故勝てない勝負に挑むのだろう。何故敗北が確定していても立ち上がれるのだろう。

 

「……もう少しだけ、様子見するか」

 

 そう言って、アリスは膝を組んで肘をついた。

 

 退屈は、いつの間にか失せていた。

 

 

 腹に鉄塊がぶつかり、吹き飛んで、地面に転がる。

 

 転がり続けて仰向けになった。ぼやけた視界が明瞭になると、空が目に入る。青くも、黒くもない空だ。

 

 よろよろと、無様に立ち上がろうとすると、体がいい加減にしろと拒否した。膝をつき──

 

「──!」

 

 四つん這いになって吐いた血が、地面にたまった。血だまりに顔が映る。ひたすらに情けない、負け犬の顔だった。

 

 負け犬。

 

「……」

 

 そう思って、同じ負け犬の方に目を向ける。既に負けたもの達の方へ、目だけ向けた。

 

 彼らは、祈っていた。剣を地面に置き悲痛な顔で祈っていた。広場の隅でガタガタ震えて祈っていた。必死にイリアスに思いを届けようと祈っていた。

 

 口角が自然と上がった。俺はまだ大丈夫らしい。そう、まだ戦う気はある。敗けじゃない。

 

「祈る気は──一切起こっていない」

 

 誰にも聞こえない声量で呟き、鼻と口を腕で拭うと、木刀を支えにして立ち上がった。体の方も一度怒ったからか、愛想を尽かす期間に入ったようだ。当分は怒られないだろう。

 

 しかし、うぷっ、とまた血の味が口いっぱいに広がった。これはさっきの血反吐の残りみたいなものだ。

 

「……立ち上がるのならば、斬る」

 

 相対する敵、魔王軍四天王グランベリアは、冷酷に言い放つ。

 

 戦士としてのグランベリアではなく、四天王としてのグランベリアは、まさに、本当に格が違う。

 

 手加減されていた──それに気づかなかったと、奴を睨むと共に自分を恨む。

 何をあんな狭い村でいい気になって、自分は強いと錯覚していたのだろうか。渡る世間は強者ばかりだ。

 

 まさか旅に出て一日と少しで、二回も弱さを実感させられることになるとは、思いもよらなかった。

 

 それにグランベリアは本気どころか、今でさえまだ手加減している。グランベリアの攻撃は全て峰打ちだ。刃は向けられていない。だから俺はまだ、死んでいないのだ。

 

「……」

 

 夕日によって赤く染まったグランベリアは、逆光で、どこか神々しい雰囲気すらも纏っていた。巨剣に纏った炎が、夕暮れの寂しい風で、旗のように揺らめいている。

 

 きっと、奴は強さの極致にいる。そんな敵に、怒り、嫉妬──何よりも、尊敬を抱いた。

 

 既に数度立ち向かい、その度に斬られ、吹き飛ばされ……を繰り返していた。

 右手はまともに剣を振れない。おそらく折れている。左目は顔面に受けた攻撃で見えない。失明はしていないと思うが、瞼が開かない。

 

「……行くぞ」

「……来い」

 

 再び、グランベリアへ向かった。もう打開策はない。死体のようにゆらゆらと近づき、ただ振っただけの“こうげき”。そんなものが通用するはずもなく──。

 

 巨剣の振り下ろしで、一瞬にして地面に叩きつけられた。何とか木刀で受けたが、地面にクレーターが出来て、瓦礫が爆ぜる。

 意識が飛びそうになるのを、意地と根性と、その他もろもろナニカで押さえつけた。

 

「……まだ、剣は手放さないのか」

 

 立ち上がろうとすると、グランベリアは冷たく言い放った。さっと血の気が引く。声が頭上からした。早く離れなければ──いや剣を振らなければ──。

 

 木刀。握りしめ存在を確認する。いつもより軽く感じた。既に、そうだ、折れていたのだ。スペアと取り替えないとだめだ。ああ違う、そんなことは今どうでもいい。

 

 とにかく、戦わなければ──駄目だ。

 

「それを持つならば、私は貴様をまだ、勇者と見做す。いいのだな……?」

 

 ──勇者、俺が? と違和感を認識する前に、世界が目まぐるしく回転した。

 

 蹴り飛ばされたのだ。

 やはり竜人の膂力は、俺なんかとは比べ物にならないなあと、素直に感嘆してしまう。

 

 これまで感じたことのない速度で吹き飛び、視界に映る群衆や家々が波線を何重にも重ねたような姿になって、地面と体が摩擦し数度回転して、止まった。

 

 うめく。体に力を入れるが──。

 

「う……あ……」

 

 もう、血を吐く気力すらない。立ち上がるなんて不可能だ。ましてや戦うなど、どう足掻いても無理だ。無理が過ぎる。

 

(……もういいか)

 

 思わず、そんな言葉が頭をよぎった。

 

 俺は頑張っただろう。できる限りは尽くした。が、不可能だった。どうせ死ぬとわかっていたのだし、にも関わらず戦ったのだから、よくやった方だ。

 

 というか何でこんな辺境の地にあんなのが来ているのだ。アリスもそうだ、もっと旅が進んでから来るべきだろう。空気読めよ。

 

 冗談じみた文句を考え始めている。これは駄目だな。直感した。(いか)るとか無理だ。

 

 俺は諦めている。

 

 このまま、目を閉じて寝てしまおう。きっと何とかなるだろう。

 

(多分だけど、グランベリアの目的はイリアス神殿なのだ。あそこで勇者と名乗る者たちが量産されている。イリアスに嫌がらせするならグランベリアをあそこに向かわせるのが手っ取り早い。たぶんこの町は大丈夫だろう)

 

 何なら案内でもしてやろうかと思う。洗礼の儀を行う場所とか、イリアス関連の宝物庫とかなら案内できる。

 

 そう、別に俺がやる必要はないのだ。グランベリアとの戦い然り、イリアスに嫌がらせする然り。俺以外が、いつかきっとやってくれる。

 

 そう、誰かが。

 

 誰かがきっと、いつか果たす。

 

 根拠などない。ただ何となくそう思う。楽観的だ。さっきの祈ってる勇者もどき達は、こんな気分だったらしい。案外悪くないものだ。

 

(ていうか、そりゃそうだ、誰かに任せるのは楽にきまってる)

 

 でも、俺はそれでいいのか。それは捨てたんじゃなかったか。どうしてもやらなくてならないことがあっただろうに。

 

 額から垂れた血液が、目に入ってしみた。痛みと共にこみあげて来る熱さは、なぜか自分を虚しくさせた。力を抜けさせるものだった。

 

 だから、ゆっくりと目を閉じた。多分もう目覚めない。戦士として、目覚めることができない。

 

 そして意識が暗転するのを──

 

「もうやめてくれ……彼を救ってやってくれ……」

「イリアス様、誰か、助けてください……」

 

 瞼が、思わず開いた。

 

 

「終わりか……」

 

 グランベリアは、相対する勇者がついに倒れ、剣を手放したのを確認すると、ため息をついた。

 

「勇者ルカ……命は取らん。腕を磨き、また挑むがいい」

 

 彼女がこの町を襲い思ったのは、まず失望だった。実力のない戦士に、勇気はあるが弱い勇者、逃げ出す論外など、やはり人間などこんなものかと思っていた。

 

 もともとこの町に来たのも、剣を持つに値しない者ばかりの勇者を生み出し続けるイリアス神殿を潰すためで、初めからこの町にいる者には期待はしていなかったのだ。勇者を名乗る連中は魔物を傷つけるし、最悪の場合殺す輩だ。

 

 だが戦士──もとい勇者ルカ。彼は強かった。期待以上、そう言わざるを得なかった。

 

(まさかこの辺境の地でそんな危険の芽が出るなど考えもしなかった……)

 

 もう負けることがわかっていても立ち上がり、幾度も自分に挑む彼を見て、これが真の勇者かと思わされた。間違いなく脅威になる。

 

 だというのに、あの男を殺さないのは何故だろうと、グランベリアは思う。

 

 魔王軍四天王として戦い、叩き伏せたはずだ。殺すべきだと頭で理解している。でも殺さず捨て置くのは、何故だ?

 

(いや、知れたことだな)

 

 自身の強情だ。強者と戦いたい。四天王としては殺す判断をせねばならない。でも四天王である以前にグランベリアであるから、殺さない。

 

 それにあの男は勇者を名乗る連中のように、魔物を無暗に傷つけないだろう。故に問題はない。魔物を勇者から守るために抑止力としてここに来たのだ。

 

 そして最後に、絶対の理由。

 

(私があの男に負けることは、ない)

 

 絶対の自信に裏付けられた、圧倒的強者の余裕こそが、生かす理由だった。

 

 何にせよ。もう戦いは終わった。

 

 だが、一つ疑問に残ることがあった。

 

(この男は、なぜ自身のことを勇者だと名乗らなかったのだろう)

 

 確かに戦士ルカと名乗っていた。おそらくは言い間違いか、自己肯定感が低く自身を勇者と認めていないのだろうと、グランベリアは推察した。

 

 勇者であることに疑いはなかった。

 勇者でなければ、なぜあそこまでして戦うのか。勝てない勝負に挑むのか。つじつまが合わない。

 

(加えて、あの強さ。いくら勇者でも何故あそこまで打たれて立てる)

 

 勇者とは──

 

(いや、今は……職務を果たそう)

 

 思考を切って、グランベリアは辺りを一瞥する。帰ってからやれば良いことだった。

 

 もう戦える者、戦う意志のあるものは、いない。ルカに畏敬の念を込めて見つめる者と、ただひたすらに、神イリアスに祈る者、それだけしかこの広場にはいない。

 

 観衆はいつの間にか、戦いを直視できなくなったのか、既に街を出たのか減っていた。

 

 制圧完了。グランベリアはそう判断した。

 

「……さて、この町は魔族の手に落ちた。ここを拠点に、イリアス神殿へ──!」

 

 敵の気配が、終わったはずの戦場に生じた。これは──

 

「……」

 

 幽鬼のように、勇者ルカが立ち上がっていた。

 

 

 ああ、目が覚めた。立ち上がれた。

 

 理由は──怒りだ。

 

 勇者もどき達が祈っていたおかげだ。俺も彼らと同じに成りかけていたが、だからこそ彼らの姿を見て思えたのだ。

 

(絶対に、ああはなってたまるか)

 

 今だけイリアスに感謝だ。あんな弱い人たちを生み出してくれて、ありがとう。おかげで俺は強くあれる。

 

 さて、敵に対処しなければならない。

 

 グランベリアが目を見開いて見つめてくる。話しかけて来そうだった。

 

「……なぜ、立つ? 無謀だ。その行いには意味がない。勇者としての姿なら十分に見せたはずだ。これ以上は──戦いではない」

「黙れ。五月蠅い」

 

「……!」

 

 グランベリアは有無を言わさぬ口調に絶句したのか、黙った。ざまあみろ。

 

(それより剣を持ってないな。どこにある?)

 

 振り返ると、根本から折れて焦げた木刀が、すぐに見つかった。中折れして持ち手は使えないが、それより上は問題ない。持ち手を千切ると、少し短い木刀になった。

 

 数回振り回して特に問題ないことを確認すると、振り返る。すると勇者もどき達が俺を見ていた。こいつらのせいで道が塞がっている。

 

 周りを見た。少し前まであった観衆はほとんど消えている。勝ち目がないとわかって、逃げる準備でも始めたのだろう。戦士たちは十数名だ。俺を囲むように立っていた。

 

 無視してまた立ち向かおうとして──何か、言葉を発してきた。

 

「あの、もう、やめた方がいいんじゃ……ないかな」

 

「……」

 

 一人の戦士がそう言うと、周囲の者たちは、賛同するかのように吠え始めた。

 

 もう十分だよ──よく頑張った──君は英雄だ──イリアス様も見ているだろう──すごいよ──君は紛れもなく勇者だ──もう戦わなくていいよ──いつかきっと勝てるよ──。

 

 いちいち反応していたらきりがない。そう思って無視して前に出ようとすると──

 

「待つんだ!」

 

 だが、その中の一人。名も知らない、見習いの戦士か何か。鎧を着こんでいる。赤いバンダナを巻いていた。髪は長く、茶髪だ。

 

 そいつは言葉だけではなく、俺の行く手を遮ってまで、行かせまいとした。

 

「もう君は戦えない。ボクが代わりに、あいつと戦う──! 大丈夫だ、君のおかげで、大分回復した!」

 

 アホ面の勇者もどきを、睨みつける。特に何も感想はない、ああそうか程度。別にお前が行こうが行かまいが、俺は勝手に向かうだけだ。

 

 しかし横に逸れて進もうとするのを、そいつはまた遮った。

 

「……それにここまで時間を稼いだんだ。騒ぎは町の外にも伝わったはず。ボクがもし負けても、きっとこの町に別の勇者が来て、誰かがあいつを──」

「黙れ」

 

 言葉を遮って、根本から折れた木刀で殴った。その勇者見習いは、よくわからない叫び声をあげながら倒れた。

 視線が集中するのがわかる。咎めるように睨まれているのも、わかる。

 

 俺はただ、それらを睨み返した。

 

「な、なにを……」

 

 唖然とした様子で、殴られたそいつは俺を見上げる。

 こいつらにむしゃくしゃしてしょうがないから、文句を一つ、言うことにした。

 

 呆れ、それと同じくらいに湧き上がる──怒り。

 

「お前らは、勇者”もどき”だ」

 

 腹の底から声を出した。静かに、広場全体に響かせるように言葉を喉から放った。

 

「いつまでも祈っている者、まだ戦えるのに逃げた者、誰かが助けてくれると、まだ勘違いしている者──」

 

 図星を突かれた何人かの肩がびくりと揺れた。

 

「お前ら全員。今後一切、勇者と名乗るな」

 

 そう言って負け犬どもをざっと見渡す。グランベリアの熱波を何度もくらったせいか、喉が乾燥しているようでまた血が噴き出してきた。

 

「な、何でだよ……!」

「そうだ! 俺たちは戦ったぞ!」

「何の権利があってそんなことをいうんだ!!」

 

 口々に批判が飛び交う。喉から噴き出した血を飲み込んで、

 

「じゃあ何で今傍観してるんだ」

 

 批判の嵐の中で呟いた。よく通った。

 

「口ばかり動かさず、戦えよ。敵に突っ込んでいけよ。何でそんなに吠える元気が残っているのに、五体が十分に生きているのに、祈る余裕はあるくせに、戦わないんだ」

 

 敵ならあそこにいるだろうと、剣で奴を指す。変わらず腕を組んで待ち構えている。強者の佇まいだ。

 返答はない。もう少し言葉を続ける。

 

「ここでお前たちが負けたら全て終わりだ。この町は終わる。ついでにイリアス神殿も終わる。瀬戸際なんだよ、今。骨が灰のように粉砕されるまで、血が全部蒸発するまで、戦え」

 

 そういうと、明らかに目が変わる。おぞましい何かを見る目だ。だが俺は何も間違っていないと、言葉を続ける。

 

「お前らは、一度はあいつと戦った。でも何で目覚めたその瞬間に、もう一度戦わないんだ。わざわざ生かしてくれているのに。動ける程度に回復しているのに」

 

 誰か答えろと目で告げた。するとさっき邪魔してきた者がしぼり出すように返答する。

 

「それは……ボクらが、弱いからです。弱いから、君みたいに強くないから、だから──」

 

「それで待つのか? 誰かの救いを」

 

 嘲笑を零しながら言った。

 

「お前らは一体、何に期待しているんだ。歴戦の勇者とかいう誰かか? それともイリアス? イリアスなら、なぜ奴はこの町を助けない?」

 

「そ、それはイリアス様がボクらに困難を与えてくださっているからで──」

 

「それでこの町が占拠されたら、人が死んだら、元も子もないだろう」

 

 何が困難、何が“与えてくださっている”だ。それで死者が出れば、イリアス様の罰が下ったとでも言うのか。困難を乗り越えられなかった自分たちのせいとでも言うのか。

 

 もしあいつがあえて困難を与えているとしたら、そんなのただの理不尽で、悪意に満ちた行動だ。

 

 つくづく俺はお前が大嫌いだ。天を睨みつけた。

 

 加えて、こいつらもまた、腹立たしい。

 

「なんで今まさに勇者になれるのに、動かないんだ」

「……?」

 

 返事はない。思わず漏れただけだった。それでいい。返事がない方がいい。

 

 さて、いい加減に戦いを再開せねばならない。だから、最後にこれだけ言うことにした。

 

「いいか。黙って戦え。吐くまで戦え。嫌というほど戦え。何が何でも戦え。死ぬつもりで戦え。むしろ死のうと思って戦え。馬鹿みたいに戦え。知恵を捨てて戦え。馬車馬のように戦え。機械のように戦え。たとえ死んでも戦え──」

 

 言葉を続ける。最早こいつらに向けた言葉ではない。自分に向けた言葉だ。そして最後に、信条──これだけはしないと誓ったこと。

 

「勇者が、救いを求めるな」

 

 勇者もどき達を見渡す。眼が変わった。得体の知れない何かを見る目に変わった。これでいいなと笑って、前へ出る。地面を這うような靴音が、静寂を一層強めた。

 

「……そんなの、勇者じゃないよ」

 

 誰かがぽつりと呟いた。

 

 背中でそれを受け止める。

 反論などする気も起きない。その通りだ。俺は狂ってるし、俺は勇者ではない。そう、冷静になって考えると、そんな戦闘狂が勇者であってたまるか。じゃあ何だよ、と自問自答する。答えはでないが、まあいいや……だ。

 

 もう俺を止める者はいなかった。周りは、いつも通りの畏怖の目だ。

 囲いを抜けて、息を少し整えると、俺はグランベリアにゆっくりと近づいて、言った。

 

「待たせた」

 

 それだけ言って、片手で剣を構える。折れた木刀に、折れた片腕。不格好だが構わない。もう勝つとか敗けるとかの次元は通り越している。

 

「……」

 

 グランベリアは、何も答えない。それどころか、剣すら構えもしない。

 何を考えているのだと問おうとしたとき、奴が口を開いた。

 

「貴様は…………なんだ?」

 

「……」

 

「戦士と名乗った貴様を、戦いの中で私は、勇者だと感じた。だが、今の貴様は……」

 

 返事は、できない。

 

 俺も俺が何かわからない。もうわからないのだ。ただ勇者ではない。それだけは断言する。だから戦士と言った。戦い続けるから、戦士と名乗った。

 

 言葉に迷う。結局返事はできない。だから行動で答えようと、剣を肩に担ごうとした時。

 

 まだ残っていた群衆の中の、誰か一人が呟いた。

 

 それは、閑静な森の中、ぽつんとたたずむ静寂の泉に、石を一擲投げ込んだ──そんなときの音のように、劇的なものだった。

 

 

「狂戦士……」

 

 

 狂、戦士。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 きょうせんし。

 その言葉が、単語が鼓膜を突き破って、俺の脳みそを犯したとき、俺はそれを排除、排斥しようとするでもなく、ただそこにあるものとして受け取った。

 

 俺はそれを受け入れた。“そうなってもいいな“と、不思議と納得する自分がいた。

 

 でも“まだ”違う。俺はそれというにはあまりに弱く、あまりに大したことがない。だから、だが。

 

「……さっきの質問だが、答えられない」

 

 そう言った。

 何者か、という問いに対する答え。もう答えることができる。答えられないという、答えだ。

 

「俺はまだ、何者でもないから、だから、ルカ。ただのルカだ」

 

 しんと、辺りは静まり返った。

 

 そろそろ、終わろう。そう思って、息を大きく吸って、思い切り踏み込んで、グランベリアへと──

 

「もうやめろ。それ以上やれば、死ぬぞ」

 

 死ぬ気を察知したのか再び剣を構え直したグランベリアと、駆け出そうとした俺の前に、一人の女が立ちふさがった。思わず動きがびたりと止まる。

 

「な、貴方は……」

「……お前、いたのか……アリス」

 

 この戦場に割り込みを入れたのは、アリスだった。

 驚き、片膝をついたグランベリアの方へ、アリスは向く。

 

 アリスは妖魔の姿をしていない。人間の姿をしている。そんな術もあったのか。

 

 いや何よりも、その光景は驚きだった。人間の姿の話じゃない。何故グランベリアがアリスに片膝をつく? こいつは、アリスは何者だ。グランベリアは四天王だろう。それより、上?

 

「いったい誰が命令して、このような真似をした? グランベリア……」

 

 アリスは強大な気迫をその身に纏いながら、グランベリアを圧する。冷や汗をかいたグランベリアは、両目を伏せて話し始めた。

 

「私の独断でございます。イリアス神殿を墜とし、勇者どもを一掃しようと──」

「そうか、要らん。今すぐ退け」

 

 グランベリアに命令できる、そんなの──いや、それより俺は、グランベリアに立ち向かわなければならない。

 

「おいアリス。今すぐどけ。そいつは俺が倒す」

 

「この期に及んで、何をいっているのだ、貴様は……」

 

 切っ先を突き付けて睨むと、呆れた目でアリスはこちらを見た。

 

「……折れた腕、木刀。瞼が腫れて見えない片目。貧血で立っているのもやっと。そんな男が、一体どうやって戦う?」

 

「普通に戦うんだよ、死んでも。両腕が折れても、歯で剣を持てばいい。両目がつぶれても、まだ五感は四つも残っている。血が全部失われようが──」

「もういい、休め」

 

 アリスはそういうと、麻痺の邪眼を発動した!

 

「な……!」

 

 マンドラゴラで麻痺耐性をつけたはずが、ベストコンディションでないせいか、アリスの魔眼で雷に打たれたような衝撃が走る。思わず構えを保てずに、両膝を突いてしまう。

 

「人間だと普通は意識を保てないのだが……まあ、いい。じっとしていろ」

「ふざけるなよ。俺はまだ戦える──早くこの術を解け……!」

 

 そう叫んだが、アリスは無視してグランベリアへ向き直った。

 

「とにかく余は退けといっている。二度いわせるな」

「……御意」

 

 グランベリアは若干不服そうだが、命令に従うようだ。逃げるなと言いたいが、この体では負け犬の遠吠えにしかならない気がしてならない。

 

 それでも何か言わなければ気が済まない。転移魔法のような何かで去ろうとするグランベリアに──

 

「次は必ず、俺が勝つ……忘れるな……! 次は、絶対に──!」

 

「……次まで、血の気の多すぎる貴様が生きていればな。いつでも再戦は受けよう」

 

 そういい残すと、グランベリアは転移し、消えた。

 その顔には、笑みが浮かんでいた。

 

「くそ……ふざけるな……ああアリスッ、お前は──!」

「うるさい」

 

 アリスは睡眠の邪眼を放った!

 

 戦いを邪魔したアリスに文句を言おうとしたが、また魔眼を浴びる。

 

 すると抗いがたい眠気に襲われる。三日三晩一睡もできず動き続けたときのような眠気だ。すぐに視界がぐにゃりと歪んだ。溢れ出ていた感情が吹き飛ぶ。

 

 文句を言う暇もなく、ばたんと、うつぶせに崩れ落ちた。

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