ベルセルクのルカさん 作:あとば
「……!!」
見慣れぬ天井が視界に映り、飛び起きた。
「もぐもぐ、む……起きたか。貴様、丸一日眠っていたぞ」
視界の端に見たことのある妖魔が映っている。アリスがだんごを頬張っている姿があった。起きてすぐになんて様を見せて来るのだと、文句を言いたいが……。
「痛いな……どこだよ、ここ……」
「サザーランドという旅館だ。貴様が眠った後、住人たちが出てきてな。町を救った英雄だと思われたようだ。無料で泊まれる上に、あまあまだんごもサービスしてもらった」
ああなるほどと納得する。勘違いされたらしい。
しかし酷い痛みが体を蝕んでいる。体を起こすのもきつい。ベッドへ逆戻りした。
ぼふりと背中を受け止められて、天井をもう一度見てみる。そういわれると、模様が確かにサザーランドだ。貝殻をイメージした模様が天井にあしらわれている。おかみと俺が知り合いだから、とりあえずここに運び込まれたのだろう。
それよりも、思い出した──!
「グランベリア……! あいつ……!」
「まだいうか貴様……寝言でもうるさかったのだぞ……」
激痛を無視して体を起こした。
グランベリア。奴もまた、いつが必ず倒す。
悔しさを忘れないうちに鍛錬をしたい所だが、この体では大分厳しいだろう。腕にはギプスが巻かれており、瞼が腫れて視界も半分しかない。
そして、そうだ。とりあえず目先の問題を解決する必要がある。
アリスを睨む。アリスはきっ、と見返してきた。
「……何で助けた」
「……野営の、飯の礼だ。それだけ……だ」
ほんの少し間をおいて返答が来る。そんなことの為にあの戦いを邪魔したのかと舌打ちした。
「……愛想尽かしたんじゃないのか。そんな礼、気にしなければよかった」
鼻で笑いながら告げた。
「別に、ただ……もう少しだけ期待しようと思った」
「何の」
「……まだ、それをいう義理がない」
「ああ、そうか」
意趣返しのつもりか答える気はないらしい。俺も適当に流す。
まあ実際、期待の内容など知りたくない。
そもそも期待されるというのは面倒だ。勝手に期待されて、勝手に失望されるというのはよくある。それを避けようとして、無理して誰かの期待に応えようと自分を捻じ曲げるなんて、俺は嫌だ、そんなのは。
さて、まあ面倒くさい奴がいつも通り面倒くさいということがわかった。それはまあいい。どちらかと言えば消えて欲しいが、元々どっちでも構わない。
で、次だ。次の問題は……。
「よし、怪我を何とかするか……得意じゃないが……」
「何とかするだと? どう安く見積もっても、全治一か月はかかるだろう。敗戦後で悔しいのはわかるが、焦っても怪我の治りが悪くなるだけだ。今は休んでおけ……って、何をするつもりだ?」
ベッドの上で座禅を組んで、目を閉じた。あちこちにまかれた包帯とギプスが邪魔だが、とにかく目を閉じれば瞑想はできる。心も今は落ち着いている方だ。
まずは特にひどい腕から──。
そのまま数分ほど、怪我がひどい箇所から順に瞑想を続ける。折れた右腕に、腫れた瞼に、内出血に……痛む箇所を意識して治癒を続ける。
するとほどなく痛みが消え、怪我が完治した!
「よしうまくいった」
「はあ……!?」
ベッドから降りて石膏のギプスを膝で破壊し、折れた腕をぐるぐると回す。問題ない。
瞼も開け、瞬きを何度か行う。支障ない。視界は良好だ。急速で治したから若干の疲れはあるものの、鍛錬する程度の気力は残っている。
あと大事なのは栄養補給だ。おかみを呼んで何か食べ物を持ってきてもらおう。
「おい貴様、見せてみろ!」
アリスは俺の体をまじまじと見つめて言った。
「本当に治っている……何それ、こわっ……」
「……お前ら魔物も治癒の魔法とか使えるだろ。それと似たような感じじゃないのか?」
「魔法は魔法だ。そんな訳わからん力とは違う。大半の人間には魔法を使える力など備わっていないし……」
アリスは目に見えて距離を取って来た。そこまで引くことだろうか。
「堕天使エリゴーラは瞑想で傷を癒したという逸話があるが……貴様は堕天使なのか?」
「そんな質問を受けたのは人生で初めてだ。もちろん根っこからの純血で人間だよ。父親は馬鹿みたいに死んだ。母親は、病気で死んだ。もし母が天使なら、病気で死ぬなんてありえないだろう」
天使は外傷で死なない限りほとんど永遠に生きることができる存在だった……気がする。多分病気にもかからないものだろう。
俺がそういうと、アリスはどこか沈痛な面持ちをした。
「……貴様、母親は亡くなったのか?」
「ずっと前に……病気で。なにか問題あるか?」
そういう訳ではないが、とアリスは口ごもった。
「……?」
まあ、とにかく怪我は治った。次は食事だ。
ベルを鳴らすと、数分後に何も頼んでいないのに食事を持ってきた女将が現れた。アリスは人間の姿に変わった。
「……気が利くな」
「もう長い付き合いだからねえ……どうせ怪我治して、食事を欲しがってる頃だと思ったよ」
しみじみと昔を思い出すようにいう女将は、お茶とあまあまだんごを差しだしてきた。これを断ると非常に厄介な怒り方をするので、しぶしぶと受け取る。
この女将と最初に出会ったのは数年前。魔物に襲われていた所を助けたのが始まりだ。そこからただで旅館に泊めてくれるようになり、よく利用していた。
「しかしルカ……あんたが部屋に女の子を連れ込むなんて……」
「ぶっ」
口に含んだお茶を思わず噴き出した。アリスのことを言ったのだろうが、勘違いも甚だしい。
「思い違いだ、おかみ。余とルカはそういう関係ではない」
「あら、そうなのかい? 遂にルカにもそういう人が出来たのかと……」
「出ていけくそおかみ」
手振りでしっしとやった。
アリスと恋仲になるなど、頼まれてもごめんだ。こんな奴は嫌いだし、おまけに現状俺より強いのだ。
ふと想像してみると、俺が尻に敷かれる姿しか浮かんでこず、身震いした。
「そうだ、ルカ。改めてお礼をするよ。町を救ってくれて、ありがとう」
部屋から出ていくところで立ち止まり、おかみが改まって言う。こうして面と向かってお礼をいわれた経験が乏しいから、返答に少し困る。
「……別に、いい。俺がやりたいから、戦った。この町を守ろうなんて、思ってない」
そう、俺はあの戦いでは、一から十まで、最初から最後まで、誰かの為に戦っていない。俺が戦って勝ちたかったから、やっただけ。
そんな感情を抱くのは勇者の仕事だ。俺にはその資格がないのだから、それを持つ必要がない。
俺はただ、自分のためだけに戦ったのだ。
「それでも、だよ。結果的にあんたはこの町を救ったんだ。お礼をいわない住人なんていないさ。だからあんたにお礼をいう住人がいても、邪険に扱っちゃだめだよ」
めんどくさいな、そう呟くと、そういうものさ、と返ってきた。
「じゃ、食べ終えたら食器は部屋の外に置いといて。明日は早く立つだろうし、修行しようなんて考えず、早く寝な」
「……努力はするよ」
そしておかみはようやく部屋から出て行った。無駄に付き合いが長いせいで、俺の考えなど全て見透かされているようだ。もっとわかりづらい奴になろうと決心した。
ああ、だがしかし……嫌な情報が入った。
「……あいつと戦った戦績をどこぞの誰かに押し付けて、知らん顔したいな……」
覇気のない声色で呟いた。
いるだろうたぶん、そういう知名度だけを欲している中身のない奴。一応、不本意だがグランベリアを追い払ったという結果に終わったのだから、評判としては悪くないはずだ。
(まあ、それでもイリアスヴィルのルカの名前を欲している奴なんていないか……)
あと俺も自分の名前は大事にしているし。やはり譲りづらい。
「……賞賛ぐらい、素直に受け取ればいいだろう」
「嫌だ。俺は勇者じゃない。賞賛だとか、感謝されるだとかは、勇者が受けるべきなんだ」
めんどくさ、とアリスが呟いたが、お前も大概だと返す。俺の食事にさっきから野獣のような目を向けているのに気づいている。
そしてアリスを警戒しつつ、時に牽制しながら、食事を胃に放り込んだ。
食べ終えた後は外に出て、今日の戦いを振り返りながら訓練をした。
帰った頃には、アリスは既に眠っているのか部屋にいなかった。二部屋用意してもらったのだろう。寝込みを襲われて精を奪われる心配はなさそうだ。
俺もすぐにベッドに入り、泥のように眠った。
*
早朝、ロビー。
受付の前に立つと、おかみが笑顔を振りまいた。
アリスが寝ぼけ眼をこすって欠伸をしている。時計が南を指して小一時間経ったくらいだ。そこまで早朝ではないと思うが、どうしたのだろう。それになぜか、軽い傷が出来ている気がする。
「おはよう。ゆうべはお楽しみだったね」
「……? 別に普通だ」
鍛錬して寝ただけ。いつも通り。ああでも負けたから熱が入ったな。そういう意味では楽しかったかもしれない。
「……朴念仁だね」
ま、いいや別に、とおかみは呟いた。よくわからない。
とにかく、観光目的でもないし、長居はしたくないので、チェックアウトは朝いちばんに済ますことにした。
「おかみ。料金はいくらだ」
「ただでいいよ。あんたらから料金なんて取らないさ」
「そうはいかない。ここに泊まりに来るのも、最後になるかもしれない。当分はここらから離れるつもりだ」
帰らない旅になるかもしれないのに、最後の最後まで世話になれない。これまでも二束三文で泊まらせてもらっていた。おかみは恩返しというが、そろそろ返す恩も尽きた頃のはずだ。
「いいから」
「そういわれても──」
「じゃあ480万ゴールド。耳を揃えて払いな」
「……」
沈黙した。そういえばここは高級旅館だった。
だんまりしていると、おかみがため息をついて、
「人の好意は素直に受け取りなよ。あんたはそういう素直じゃない所でいつか損をするよ」
説教を始めそうな雰囲気になる。ここは早いうちに引くのが得策だ。
「わかったよ。受け取る。ただにしてくれ」
「それでいいよ」
値切られたどころか、無料にされて笑う宿主を初めて見た。
仕方ないから、また会おう、とだけいって、おかみと別れた。イリアスヴィルの奴らよりも、ずっと関わりが深かったおかみだ。お世辞でもこのくらいは言わなければならない。
旅館を出る直前、外套のフードを深くかぶり、顔がわからないようにした。これで関わりの深い者でなければ俺がルカだとわからない。それにわかった所で話しかけてくる奴もいないだろう。
アリスはようやく目が覚めたのか、いつも通りきりっとした表情になってついて来ている。
西通りを抜けた先にある広場では、朝市が開かれていた。
人々が行き交うバザーがある。イリアス像の置いてある噴水を中心として、ぐるっと囲むように人々が各々の店を出していた。生鮮食品はもちろん、服や土産まで色々取り扱う店がある。あんなことが昨日あっても、影響はあまりない。そういうものだろう。
「これから食料を買い込んで、武器屋に行く。着いて来るのか?」
「うむ。武器屋までは」
端的に会話を済ませ、売店を回り、食材の買い出しを手早く終える。アリスは時々物欲しそうに売店に近づき、値が付けられなさそうな骨董品と食べ物を物々交換していた。
バザーを抜けて脇で少し休憩する。早朝でも人は大量だった。
「余は広場のベンチにいる」
アリスは紙袋いっぱいに詰まった食料を抱えて、パンを咥えながら器用に言った。
買った食料の量を見て、俺はどん引きしながらアリスから離れた。
そして喧騒から離れた武器屋に入る。路地裏にある隠れた武器屋だ。喧騒が遠くに聞こえると、この場所の静寂が際立つ。それが妙な特別感を生んでいた。
補充しておきたい防具がある。もともと長年使い込んでいたというのと、グランベリアとの闘いでボロボロになってしまったのだ。
がらんと、扉を開いた。
「エンリカの服をくれ」
「らっしゃい──おお……ルカじゃないか。エンリカの服だな。ちょうど在庫が余ってるぜ」
いい商品なんだが、定期的に買うのはお前ぐらいだなあ、と顔見知りの武器屋の店主はぼやいた。
エンリカの服とは、隠れ里エンリカが生産している軽装のことだ。一見するとただの地味な服だが、その強度は折り紙つきである。グランベリアの炎を浴びても燃えなかったし、多少の刃くらいなら刺さらない。
「剣はいつも通りいらないな?」
「ああ。木刀で十分だよ」
思えばこの店長とも長く付き合っている。木刀は自作品だが、その作り方を教えてくれたのはこの男だ。付き合いは何年になるだろう。十年には満たないはずだが……。
支払いを終えて、エンリカの服をバッグにしまった。現在スペアを合わせて四枚は同じ服を持っているので、もしまた破れても安心だろう。
「前々からいっていたが、当分はこっちに帰らない。世話になった」
「おう、そうか。もうそんな歳か。お得意様が無くなっちまうな」
……この武器屋大丈夫だろうか。立地も悪いし、いよいよ潰れるのかもしれない。
「ま、頑張ってこいよ。影ながら応援するぜ」
「……ああ、じゃあな」
そう言って別れる。淡白だ。でもこのくらいがちょうどいい。
武器屋から出た。買い出しはこれで十分だ。後は広場に向かって、この町をさっさと出る。
そう思ったとき──とある魔物が行く手を塞いで来た!
「……何の用だ、アミラ」
こんな街中で、しかも俺に用がある魔物など、一体しかいない。
残念なラミアが現れた!
現れたのは、文字通り半人半妖の魔物。下半身と胸辺りまでは人間の体なのだが、首と顔は蛇という妖魔だ。おまけになぜかいつも尻を突き出して、股の間から顔を出すという、意味不明なポーズを取っている。
正直、非常に不気味なデザインだ。
だというのにこの町の人々に受け入れられるのは、その剽軽な性格のせいか、憎みきれないフォルムのせいか。
「……もうすぐここを発つのでしょう? 最後に、ダーリンに頼み事をと思ったの……」
「ダーリンいうなよ。寒気がする」
こいつとの縁は……何で始まったのかもわからない。いつの間にか知り合いになっていた。有能だが、正直切りたい縁だ。だが無駄に縁が太いのかなかなか切れず、ずるずると仲が続いている。
だからどうせ旅に出ても会うだろう。追って来るという確信がある。
「それに最後でもないだろう。お前とはなんか、非常に嫌だが、腐れ縁というか、絶対にまた会うような気がする」
「え……! 今のはプ──」
「斬るか。さすがに死ねば切れる縁だろうし」
「冗談、軽口だから! ていうかまだ何もいってない! 無実! 冤罪!」
木刀を構えると、目にも止まらぬ速さで土下座してきた。さすがに本気で斬る気はないため、すぐにしまう。
「で、依頼は? 殺し以外なら、やる気になれば戦ってやる」
「さすがはダーリン。それで依頼なんだけど、最近、ここらで暴れている盗賊団を退治して欲しいの」
(ここらで暴れる、盗賊団……?)
正直思い当たる奴らしかいないのだが、もう少し話を聞いてみよう。
「そこには何でも、ヴァンパイアやドラゴンが所属しているとか……あなたにとっては、良い案件じゃない?」
退治と言っても、動けなくする程度でいいわとアミラは付け加えた。
「……依頼主は?」
「イリアスベルク郊外の貴族よ。この間その盗賊団に宝を盗まれてご立腹みたい」
なんか、きな臭い。漠然とした悪意のようなものを感じる。言葉に出来ないが、貴族には良い思い出がない。そのせいで嫌な予感を感じているだけだろうか?
「……もし、俺が断ったらどうする?」
とりあえず乗り気じゃない雰囲気を見せる。
アミラは、意外! といった表情を見せて、間をおいて答えた。
「予想外だけど、そうね。そのときは腕利きの勇者や戦士に、正式な依頼を入れることになると思うわ……」
「じゃあやるよ。盗賊団の本拠地はイリナ山地の洞窟だな? 適当に懲らしめる。あと、盗まれた宝も無視でいいか?」
だとしたら即決だ。さすがに他の奴に任せる訳にも行かない。
「ええ、それで問題ないわ……何? 知り合い?」
「そんなところだな」
最後に会うかと思っていたが、手間が省けた。ちょうどいい。
「ああ、そうだ。相手が相手だ。失敗するかもしれない。ペナルティを勝手に付けて来るような依頼主だったら気をつけろよ」
「ええ、もちろん。気遣ってくれてありがと、ダーリン」
昔そういう依頼主がいたのだ。アミラが受けた依頼を失敗して、何か恨まれて捕まってた。そしてそれを俺が助けるというすごく面倒くさい事になったから、一応言った。
「さて、じゃあもう行く。これが今生の別れになるといいな」
絶対また会いましょうダーリン、とか聞こえたが無視だ無視。あんなのを真面目に相手していたらストレスで胃が消し飛んでしまう。
真面目に情報屋をやっているだけなら邪険にすることもないが、つくづく残念な奴だなと思った。あのノリが合わない。
広場に行くと、ベンチに座りパンを頬いっぱいに詰めたアリスを発見した。アリスも俺を発見したからか、咀嚼しきれていないであろうパンを一気に飲み込んだ。詰まらないのかこいつ──いちおう蛇だからか。
得心しているとアリスに変な目で見られた。急いでいるしさっさと情報を伝える。
「アリス、次の目的地が決まった」
「しばし待て、余は、食事中だ」
「それ全部食べ終わるまで待て、とかいったら置いていくぞ」
アリスはかなり食べ物を買ったようで、紙袋がぎゅうぎゅうになるほど肉やパンが詰め込まれている。どう見ても一食で食べる量ではない。
「問題ない。余の腹なら十分もかからず、この量を完食できる」
「その腹のどこに入るんだよ……」
昨日俺の瞑想にドン引きしたくせに、アリス自身も似たような異常が可能だった。どこのフードファイターだ。これがまさに自分のことは棚に上げてだ。
置いていく訳にもいかず、同行者だと思われたくないため、少し離れた別のベンチに座って食事が終わるのを待つことにした。
特にやることもないので、フードの影から町の流れを観察する。昨日あんなことがあったというのに、もう商人や旅人は元気に通行していた。
会話する主婦や旅人に耳を傾けると、聞きたくないこっぱずかしい内容が語られていたので慌てて耳を塞いだ。
しかし、気になる会話がいくつかある。
「やっぱり魔物は恐ろしい」
「一人の勇者をあんなぼろぼろにするまで痛め付ける必要なかった。ひどい」
「殺される前に殺すべきじゃないか?」
「この前も向かいのイルヴァさんの息子が魔物に攫われて、無言の帰宅をしたって……」
徐々に、魔物嫌悪の風潮がこの街で胎動していた。
だろうなと思う。ただでさえイリアス大陸は名前の通り、イリアス信仰が強いのだ。魔物に対する恐怖、嫌悪感は相当にある。
そこに今回、四天王グランベリアの襲撃。嫌な風潮が増幅しない訳がない。
ふと、隣の妖魔を見てみる。
「……」
アリスは険しい顔をしてパンをかじっていた。
やはり思うところはあるようだ。どこ吹く風ではない。
そのまま、アリスが食べ終わるのを待ちながらぼけっとしていると、びたりと、勇者もどきらしき者と目が合った。
互いに硬直した後、その者はつかつかとこちらへ歩いてくる。嫌な予感がして、逃げ出そうかと迷ったが、少し判断するのが遅かった。一応フードを先ほどより深くかぶる。
「あの……昨日、戦ってた、ルカ、さんですよね。少し話してもいいですか?」
「人違いだ。あっち行け」
しっしと手振りで伝える。フードの陰から顔を見てみる。
(……誰だ? 頬に湿布を貼っている。たぶん昨日、広場で倒れていた内の一人か)
それはわかるのだが、顔を覚えていない。そもそも名前もわからない。
そいつは、ちらちらとアリスを見た。同行者の存在を気にしているようだ。同行者じゃないから気にしなくて……いや、やっぱ話したくないから気にしろ。
「
「あ、ありがとうございます……? では、少しだけ」
「…………」
アリスがたぶん勝手に許可したので、その湿布を貼った奴は俺の隣に座ってきた。恨みがましい目線をアリスに向けた。
「あの、それで質問があって……いいですか?」
おずおずと聞いて来る。何だかなよなよした奴だ。赤いバンダナを額に巻いていて、鎧を着こんでいる。髪は茶髪だ。けっこう長い。顔は……何だか見覚えがある。
「……あ、昨日の奴」
「そうです! 昨日の奴です!」
ようやく思い出した。昨日俺の戦いを邪魔したから殴った奴だ。だから湿布をしていたらしい。
そう思い返すと、結構いろいろ言ったし、殴った。悪いことをしたし少しくらいは相手をするかと「答えられる範囲なら」と言った。
*
アリスは、焼かれた肉が挟まれているパンを咀嚼しながら、いい機会だと思った。
(結局、この男が何なのかよくわからない。この機会に観察しよう)
ルカという男を今日観察してわかったことに、意外に人付き合いがあるという新事実がある。女将に、武器屋の店主。たとえ二人だとしても、孤独に生きていたのかと思っていたから驚きだった。
ちなみに武器屋の店主との会話はひっそり魔術で盗聴していた。ただ店主との会話が終わった時点で盗聴は切った。そのため、アミラとの会話をアリスは聞いていない。
「あの……昨日は、ありがとうございました。グランベリアを追い払ってくれて。その、ボクはあなたに、あの時、憧れてしま──」
「やめろ。寒気がする。早く本題に入れ」
ルカはにべもなく話をぶつ切りし、早く質問をしろと急かした。
鬼だ。アリスは思った。この男に話しかけるのは色んな理由で結構勇気がいるだろうに。それに加えて昨日殴られているのだ。他にも……色々と大変だろうに。
「あ、う……」
当然、見習い勇者は萎縮している。ルカは会話が下手らしい。相手を萎縮させた所で会話は長引くだけだ。緊張も緩和も、し過ぎはよくないのだ。
「……ところで、何で俺の名前を知ってる」
「あ、ええと、おかみさんに……でも昔ちょっと噂で……」
さすがに話が全く進まなそうだからか、ルカは少し誘導した。
(なるほど、怪我が治っていることに突っ込まないのは、たぶんそれも含めておかみに聞いたからだろう)
アリスはそう納得した。
しかし噂というのはなんだろう。昔何かやらかして名前が売れたとかだろうか。ルカならあり得そうだ。
緊張が少しは解けたのか見習い勇者は、
「あの、何で、そんなに強いんですか?」
と、聞いた。何の捻りもない愚直過ぎる質問だが、アリスも気になる質問だった。
ルカの目的にも関連するかもしれない。ちょっと期待して耳を傾けてみる。
「……そうだな」
ルカは少し考える必要があるのか、ぼうっとして虚空を見つめた。そしてある一点を睨んで、人類皆の共通項をいうような口調で、
「イリアスが気に食わないからだよ」
と、淡々と答えた。
「えっ……ええっ!?」
そんなこと言っていいのかと見習い勇者は驚愕した。アリスはパンが変な所に入りかけた。
(この男、誰彼構わずイリアス嫌いを宣言するのか)
自身が魔物だったから、イリアス信仰はしていないと踏んでの告白だった、訳ではないらしい。
アリスは不思議に思う。イリアスを信仰するというのは、無論地域差もあるだろうが、全世界に住む人間がやっていること。
だというのにこの男はそれを“やってない”すら飛び越えて“気に食わない”とまで言うのだ。意味が分からない。雷くらい落ちてそうだが。
「あの……つかぬことをお聞きしますが……洗礼は」
「受けていない」
見習い勇者は、やっぱりそうなのかとどこか納得した様子を見せた。が、またすぐに頭を悩ました様子で、
「あの、それで、それは……強さにどういう風につながるんですか?」
(そうだ。どういう風につながるのだそれは)
ルカは即答する。
「一ミクロンたりともイリアスを信仰していない俺が、お前ら──
(なんだそれは! それだけで強くなれるか!)
アリスは思い切りつっこんだ。
そして、思っていた以上にしっかり、この男はイリアスが嫌いなのだなと認識した。強さを求める理由がそれ一つではないのだろうが、理由の一つにはなっている。しかし、なぜそこまで憎んでいるのだろうか。
「じゃあ、あの、次の質問なんですけど……」
結構物怖じしない奴だなとルカとアリスは思った。
「勇者って、なんだと思いますか」
ルカは、少し間をおいて答えた。
「わからない。俺も、まだ探してる途中だ」
「でも、昨日は、勇者が救いを求めてはならないって……」
新米勇者は記憶を頭から引き出すように言葉を紡いだ。
確かにそうだとアリスは思う。あれは生半可な覚悟の人間が言える台詞ではない。
(いや、だが確かに勇者が目指すべき心構えを説いていたようには聞こえなかった。勇者は最後に死ぬものではないだろう。死に向かって戦うものではない)
それに──。
(……狂戦士)
あの場で、誰かがいった言葉だ。声の出所はあの場だった。だが誰がいったかまではわからない。女の声ではあったが……思ったことをつい口に出してしまったという雰囲気の口調ではなかった。明確な意思があったようにも聞こえた。
「そうだな。でもそんなのは大前提だよ。誰だって、わかっているはずなんだ」
思考が離れすぎた。アリスは他事を考えるのはよして、またルカと見習い勇者の話に耳を傾ける。
「……なんで、ですか?」
首をかしげて聞き返した。アリスも少し訝しむ。はたして大前提──だろうか?
救いを求めてはならない。
英雄と呼ばれるような勇者や戦士なら、それを大前提とするのはわかる。彼らは自分が絶対に世界を救うという強固な意志を持っているだろう。英雄願望がある。だから他者に救いを求めず、自分が救うのだと動く。
だが一介の勇者にそれを求めるのは、少し酷ではないだろうか。
「勇者に、なりたいと思ってるんだろ」
「……? はい」
「じゃあ何で、誰かに救いを求めるような真似をするんだ」
見習い勇者はぽかんとしている。何を言っているのか理解できていない様子だった。
ルカはそれを見てため息をつき、
「……お前らが救いを求めたら、誰がこいつらを救うんだ」
呆れたようにそう言って、ルカは指差した。
その先にあったのは、噴水のイリアス像──ではない。
人だ。
馬車に乗って交易品を運ぶ商人や、何気ない会話をする主婦、広場の小さなスペースでボール遊びをする子どもたち──そんな、日常だった。
つまり、勇者が救うもの、守るべきものは、これだと言っている。
「救いを求める側は、民衆とか、子どもだ。お前たちは救う側。なのにイリアスや、歴戦の勇者とかいう誰かに助けを求める。はっきりいって馬鹿だ」
「……う、はい」
「お前が何をしたいか知らないが、勇者を名乗るならば、大前提、これだけは果たせ。でなければ、それがなければ、勇者を名乗るのはハインリヒに失礼だ」
まあ尤も、こんな大前提を守れない奴が多すぎるが。そう言ってルカはため息をついた。
「……!」
見習い勇者は目を輝かせた。
「……!」
アリスは、驚いていた。
そもそも、勇者の存在意義は──魔王を倒す、殺すことである。
イリアスが魔王、ひいては魔物という存在を嫌悪しているのは知っている。だから勇者は存在するのだ。五百年前の
でも、ルカはそう考えていない。
勇者は、日常を守らなければならない。
そして日常を過ごす者たちは、いざという時救いを求める存在になる。
そんな“いざ“に、勇者が救いを求めたら、誰が日常を守る?
だからこそ、ルカは昨日グランベリアにあれだけ打たれて燃やされても、立ち上がれたのだなと理解した。
(……しかし)
勇者じゃない勇者じゃない、と言い張る癖に、しっかりとした勇者像を持っている。そしてそれを当然という。大前提という。
(……逆になぜ、勇者じゃないといい張るのだろうか)
もうルカの内面は勇者といっていいのではないだろうか? ……まあ、外見とか口調は、たぶん勇者的ではないだろうが。
少し会話が止まる。見習い勇者はルカの言葉を咀嚼している最中のようだ。
ただルカは、早く会話を終わらせたいのか、見習い勇者を待たずに話を再開した。
「……俺は、勇者が何なのか。結局、わからないままだ。だから大前提くらいしか知らない。でも、お前が勇者になるためにやるべきことは、知ってるよ」
ルカは見習い勇者の眼を見て言った。彼はごくりと唾を呑んで、次の言葉を待たずに、待ちきれないといった様子で聞いた。
「教えてください」
「俺に憧れないことだ」
ルカは、水面に顔を覗かせればすぐに顔が映ることと、同じくらいの速さと勘違いするほど、迅速に答えた。またアリスは嚥下が驚きで変なタイミングになって、喉にパンが詰まりかけた。
「えっと、その、あんでですか?」
見習い勇者はあまりに唐突だったからか、“な”を“あ”と言い間違えた。
「間違えたから。決定的に。絶望的なまでに」
だから、勇者と全く対極の所に、俺はいる──。
ルカは目を下に向けて言った。尋常でない暗澹たる雰囲気を纏ったように見えた。
「何を、どう間違えたんですか」
「ああ、そもそもそんな奴に、こんな話を聞くこと自体、間違ってるか。忘れた方がいいぞ、今の会話」
ルカは答えなかった。突き放すような口調だった。
「そんな──でも、それでも、僕はあなたの信念に……」
見習い勇者は、もはや意固地になって憧れにしがみついている。
「……仕方ないな」
ルカは目を閉じて、ため息をついた。そしてアリスを見た。食べ終えているのを確認したようだった。
おもむろに、ルカは立ち上がった。
「お前が憧れている奴は」
つかつかと歩き出す。歩むたびに速度が上がり、駆け足になり、走り出す。目的地は広場中央の噴水のようだ。
いや違う。ルカは木刀をいつの間にか抜いている。
それを片手で、担ぐように構えている。
目的は噴水まで行くことではない──噴水の上に乗る“あれ”の破壊だ。
「やめ──」
アリスは思わず声を出した。それをやればただでは済まないと知っている。
アリスはイリアス五戒の存在を知らない。だとしても、そうだとしても、実際に対峙した身だ。何をするのか、どういう存在なのかくらいは知っている。ルカを容易く殺せることを、知っている。
「こういうことを平気にできる奴だ」
だが、止まらなかった。ルカはとっくの昔に飛んでいる。腕を振り終えている。
喧騒を──“日常”を切り裂いたのは、斜め上からの振り下ろしを受けて半分になったそれが、地面に落ちて砕けた音だった。
イリアス像は、破壊された。
それはつまりは──五戒で最も重い罪『神に剣を向けるな』を、破ったことと、同じ。
「やめとけ。本当にな」
人々が悲鳴を上げ、戒めの怒号を放つ直前。非日常に、普通でない状況に突入する、その刹那の間隙に──ルカはそう言い放った。
ルカはイリアス像と共に、日常を破壊した。
それは明確な、勇者ではないことの証明だった。
*
「このドアホ!」
アリスはイリアスベルクを脱出してすぐ、ルカの頭を引っぱたいた。
魔物の姿に戻っている。膂力も人間の姿のものではない。結構強めにぶっ叩いた。
「なんだ! ……そんな怒るほどのことでもないだろ。お前もあいつ嫌いだろうに」
「そうだが! でも貴様あんなことをすれば、イリアスの天罰が今にも落ち…………ない?」
空を見ても曇ることはない。何一つの陰りもない空が稜線の先まで広がっている。雷とは無縁の空だ。
ルカがイリアス像を破壊してもう数分は経っている。ルカには何の魔術的な防護もない。天罰を下そうと思えばいつでもできる。
だがそれが起こらない。落とさない理由がないにも関わらず。そうだろう。イリアス像を破壊した者を生かすなど、イリアスの権威にとって何のメリットもない。だから許されている──いや、見放されている? だとしてもそれは罰を与えない理由にはならない。
というかそもそも、何故イリアスを憎むと公言する人間が、まだ生かされている?
こんな状況に至るような、ルカという人間はなんだ?
「……いや、まさか……?」
「?」
ルカを見る。ルカは叩かれた所をさすりながら、歩き出そうとしていた。早くしろおいていくぞと目で言っている。
考えをまとめる。そんなまさかと思う考え。
(イリアスは、奴は人間からは善の神と見做されているが、普通に腹黒い神だ。一度会えばわかった。あれは、悪だ。だからルカが許される訳がない。そんな寛容さは絶対にない)
だがルカに天罰を下さない。これは、イリアスがルカを特別視している証明になる。そして、そうせざるを得ないほど、奴にとってルカは重要存在なのだ。
まさかとは思う。そうなった原因──
(たぶん二人は、過去に会っている……!)
今日の観察で、周りがイリアスを信仰しているから天邪鬼的にイリアスを嫌いと言っている、そんな可能性は潰えた。
ルカは明確な恨みを、イリアスは“何か”を、それぞれに対して向けている。
昨晩問うた。なぜイリアスを憎むのか。
『なぜ、イリアスを憎む?』
『……くそ野郎だからだ』
ルカはそう返答した。
考えてみれば、その物言いなら過去に会ったと見るのが自然で道理だ。
「しかし寛容な神様だな」
そんなアリスの考えをどうでもいいと言わんばかりに、ルカはありがたそうに手と手を合わせて拝んだ。明らかな挑発だが、雷は落ちない。
「そんな訳が──いや実際そうなのか……? わからん……」
もしかしたらその可能性もある。実際天罰はまだ下っていないのだ。本当に寛容で、慈愛に満ちた神──いやそれはない。だとしたら魔物全てを忌み嫌う訳がない。
わかった、と思ってもすぐにわからなくなる。底が見えない闇を抱える谷底をアリスは想像した。本当にめんどくさいなこの男と、思わず睨んだ。
だが、アリスは決意を固めた。
もはや意地だ。あの見習い勇者のような意固地だ。アリスは決定的な断絶を確信するまでは、この男について行こうと決心した。
「ところで次の目的地は……?」
「知り合いの魔物の盗賊団の様子を見に行く」
「……!?」
つくづく、わからない。魔物は敵ではなかったのか?
わからないことばかりだ。嫌になりそうだった。
思わず、立ち止まる。ルカはアリスを無視して、どんどん先へ行ってしまう。
(……嫌な奴め。少しは気にかけるくらいしろ)
そんな悪態をつく──でも。
イリアスを全く信仰していない人間がいるとは、夢にも思わなかった。
全人類が信仰しているものだと思っていて、だから、全ての人類が魔物を嫌いだと考えていた。イリアス自身が魔物を排斥する考えを持っているから、世界はそうなのだと納得しようとしていた。
だから魔王として、人間と戦うか、共存の道を選ぶかで……前者に傾きかけていた。
でも、心残りをやっと断ち切れそうだったのに……もしかしたら、万が一の可能性でも──
「おい、置いてくぞ」
(……この男が、人間と魔物の架け橋になるかもしれない)
また落ち着いたら、魔物をどう思うか聞いてみようと思って、アリスは後を追った。