ベルセルクのルカさん 作:あとば
「ふっ──!」
ハピネス村へ続く道の途中、移動の休憩がてら木刀を振る。
力が、まるで足りないのだ。
アリスやグランベリアに勝つ未来が全く見えない。もっと焦らなければならない。
いつ四天王クラスと会敵するかもわからない。時間を無駄にする余裕は全くない。
そのまま体を動かしていると、かなり暑くなって来た。日差しに陰りの一つもない真昼間というのも大きい。
気分転換に、上の服を脱いで剣を振ることにした。
(しかし、どうするか。このままだらだら鍛錬しても、イリアスヴィルの時と変わらない)
アリスとグランベリアとの戦いで、少しは感覚が研ぎ澄まされた気がするが、勝ち目は見えない。
(今のままじゃ、各種族のクイーンクラスにも勝てない)
このペースでは駄目だ。いつそれらと戦うことになるかもわからない。今すぐに強くなりたい。
(劇的な変化が、欲しい──)
「いつまで鍛錬するつもりだ……飯はまだか」
そんな思いは露知らずの、道連れの声が耳に入る。
木陰で休憩するアリスが、俯きながら呟いた。さっきからずっと腹の虫が鳴っている。
(……少し休憩するか。馬鹿らしくなって来た)
しょっちゅう腹の虫が鳴っていて非常に不機嫌な様子だ。そして情けない。こんな奴が俺より強いのだから、笑えない話だ。
「飯はさっき食べただろ……あと悪いが、金欠だからもうないぞ」
「……貧乏人め。残念だ」
そう言い残して、アリスはさらに目に見えてずーんと落ち込んだ。
その姿を見て、俺は複雑な感情を抱いた。
(俺の方が残念だ)
この旅が貧乏なのは、アリスという妖魔が原因だからだ。
当初は一人で旅する予定だった。が、何か変な奴に取りつかれてしまった。二人分の宿代など用意していない。食費もこいつが大飯ぐらいなせいで大幅に狂っている。
そう考えると、どの口が文句を言っているのかと苛立ってきた。文句の一つでもぶつけてやろう。
そう思って奴の方を見ると──予想外なことが起きていた。
「……どうした?」
アリスも、何故か俺を見ていた。
「……!?」
そして何故か驚いている。何に驚いているのだろう。俺の後ろに怪物でも出たのだろうか。
互いに沈黙する。
風で草木が揺れる音が響く。風が肌に触れた。少し肌寒くなってきた。上の服を着ていないから当然か。太陽も雲で陰った。
雲が太陽から離れた後、アリスがおずおずと尋ねた。
「……貴様、その傷……なんだ?」
その言葉で、アリスの考えが理解できた。
不用意に服を脱いでいた。そういえばこれは俺にとっては当たり前でも、アリスにとってはそうではない。
この傷たちは──普通ではない。
俺の体に刻まれた、大小、無数にあるもの。やけど跡だったり、切り傷だったり、打撲痕──。確かにアリスが痛々しそうな目で俺を見るくらいには、ひどい傷だ。
「……色々あった時の傷だ。折檻とか、戦いとか」
イリアスヴィルでは色々やったのだ。洗礼を受けに来た奴に喧嘩を吹っ掛けたり、イリアス神殿にいた司祭へ報復したり、村人から受けた屈辱を返却して回ったり……色々やった。
「違う。それらではない。その……一番大きな……」
一味違うものがある。背中の一番大きく、目立つ傷。大きな爪で引っかかれたような、三本の傷跡。
「これは……まあ、小さい時に、嵌められて、村の大人から、やられた……」
「……そうか」
そう言うとアリスは辛気臭い顔をした。
俺はその顔を見てすぐに、失敗したなと悟る。同情されそうだ。
「……貴様は」
同情は上の立場の者が下の立場の者にする行為だ。だから嫌だ。アリスが対等でないのは──
「やはりちょっとおかしいな」
「……は?」
予想外だった。アリスは普通に引いていた。
「いや普通は幼少にそんな怪我してたら死ぬだろう。一生のトラウマだろう。そんなことをしてくる人間たちに、立ち向かおうなど考えんだろう」
この妖魔は……。
「少なくとも余は、そんなことはできん……だから、少し引くが、すごいと思う」
……ものすごく、変な奴だ。
「何だ鳩が豆鉄砲を食ったような顔して」
「……いや、同情してくるかと思った。辛気臭いことを語ったから」
「まあ……貴様そういうの嫌いそうだから……」
そう言ってアリスは、鼻を高くして続けた。
「余も一応、貴様を理解しようとしているということだな」
扱いにくい爆弾みたいな人間だし貴様、とぼそっとアリスはつけ足した。
「……同情して欲しかったか?」
「……いや、要らない」
そこで、会話は終わった。
俺はまた剣を振り始め、アリスはまた木陰で休んでいる。
結局、文句を言うのはやめてやることにした。
*
それから少し経って、俺とアリスは歩き始める。できれば日が落ちる前にはハピネス村に着いておきたかった。
ずっと歩き続け、ハピネス村までもう少しという所でアリスが問うた。
「ところで、何故ハピネス村という名前になったのか、知っているか?」
さすがに知っている。
「頭がハッピーだから……あと、ハーピーが近くに住んでる──ていうか、人間と共存中らしいから、だな」
「その通りだ。愚問だったな……そういえば貴様、ここらはよく──ん?」
アリスは急に立ち止まり、首を傾げた。何か気になる点があるようだ。
「……貴様、共存しているといったか?」
「いった」
一時期噂になっていた。イリアス神殿の神官たちが怒り心頭だったのを思い出す。
「あそこは数年前、男が異様に少ない村だった。近くに住んでるハーピーが男を攫いまくってたから」
それのせいで労働力が減り、ハピネス蜜の供給が乏しくなったとイリアスベルクのおかみがぼやいていた。
「で、なんやかんやあって俺に解決してくれと依頼が来た」
「貴様が一枚噛んでいるのか……」
「……ほんの少しな。で、とりあえずハーピー叩きのめして、色々あった後解決して、共存してる……っぽい」
「ものすごくふわふわしているが……まあ、いい」
事細かに語るのは時間がかかるので省略した。詳細は宿を借りれた時、村民か村長にでも聞けばいいのだ。
「そうか、共存、か……できるもの、なのだろうか」
「……?」
人と魔物の共存のことを言っているのだろうか。
変なことを気にする。そんなことを考える奴は初めて見た。
もしかしたら、こいつにとって人間と魔物──この二者の共存というのは、結構な重要事項なのかもしれない。
「まあ……できる奴もいれば、できない奴もいる……これが全てだろ」
「……そうなのだろうな」
当たり障りのないことを言って、そこからは無言で進む。道中は一本道で考える必要がなく楽だった。
ただ魔物と出くわした。しかし向こうが俺を知っていたので事なきを得た。ハチの魔物だったのでハチミツを分けてもらった。
料理に使おうと思ったが、アリスの空腹が限界になったようなので、仕方がないからあげてしまった。
そして夕日が沈みかけた頃、ハピネス村にたどり着いた。
*
到着してすぐ目に入った光景は、ハーピーと人間が共に農作業をしている姿だった。他にも人間の子どもと遊ぶハーピーの子どもの姿が、ちらほら見られる。
俺は思わずクイーンハーピーの手腕に感心する。産めよ増やせよの方針と言っていたが、計画通りのようだ。ハーピーと人間のつがいというのも大きいだろう。魔物は子作りに積極的らしいし。
「……まさか、本当に共存しているとは」
十数秒ほど無言で立ち尽くしていたアリスが、最初に放った言葉はこれだった。半信半疑だったようだ。
「あら、旅の人……って、まさか……!?」
すると、農作業をしていた一人の中年女性に見つかった。
「たまたま立ち寄ってみたが、うまくやってるみたいだな」
「あんたのおかげだよ……とりあえず、村長宅へ……今女王様がいらっしゃるから」
「村長もいるな? 宿を借りたい。できれば
多分問題ないよ、と言われると、少し不安だが着いて行く。珍しい客に、村人とハーピーの視線が集まっているのを感じた。だが両者の視線は対照的だった。
村人は若干の怒りの念。
ハーピーからは恐れの念。
……居心地が悪い。
「何をやらかしたのだろうと思っていたが……結構なことをしたらしいな」
「俺がしょっちゅう問題を起こしている様な言い草だな。頼まれたから解決してやっただけだよ」
アリスと小声で会話する。俺はただハーピーを叩きのめしただけだ……まあその後色々言ってしまったけど。
そして案内されるがまま、村の奥の階段を登った先にある大きな家に入る。
「む……?」
「まあ、これは珍しい……」
そこにはよぼよぼの村長と、柔和な雰囲気を纏うクイーンハーピーがいた。
「急で悪いんだが、宿と食料に困った。良ければ恵んで欲しい」
「……まあ、それくらいはいいじゃろう。許可する」
「ええ。恩もありますし、何なら私の集落でも構わないのですが……失礼、まさか……」
クイーンハーピーは、アリスの方へ双眼を向けた。
「まさかとは思いますが、あなたは──」
「旅のグルメだ。それ以上でも以下でもない」
同族にも正体を明かすつもりはないらしい。ていうかまたそれか。いい加減思うのだが、グルメではなくフードファイターだろう。グルメを名乗るなら、もう少し食欲を抑えて欲しいものだ……しかし何故あんなに食べるのだろう。
「……わかりました。では宿へ案内しましょう」
「待て。余はいくつか、貴様らに聞きたいことがある」
クイーンハーピーが小間使いらしきハーピーを呼んだ所で、アリスが割り込んだ。
共存について聞きたいことがあるのだろう。俺は別に関係ないだろうから出て行こうとした所、アリスに睨まれた。
「……」
ここにいろ、とのことだ。首をすくめた。
そして俺たちは立ち話もなんだからと奥へ通され、縦に長い机を椅子が挟むようにして置かれている広間に入った。会議室のようだ。四人全員が席に着くとアリスは口を開く。
「さて、一体なぜ、この村はこうもうまく共存できている? 人間は貴様らハーピーを恐れ、嫌っていないのか?」
「……ええ、意外と、うまくやれています。当初、人間は魔物を恐れ嫌う……だから話など通じないと強硬手段に及びましたが、今では仲の良いものです」
そう言う女王は俺の方を向いてほほ笑んだ。俺はげんなりする。
「……まあいい、次だ。貴様らは人間を攫ったと聞いた。そして、そこにいるドアホが問題解決したようだが、事の顛末を教えてもらおうか。詳しくな」
アリスがドアホという奴を指差していった。ドアホという名前の人間がこの場にいるらしい。
「あの日のことじゃな。それを語るならば、おぬしが適任じゃろう……」
村長が俺を指名した。はあ? と顔を向ける。
「……」
「儂も女王も詳しくは知らんのじゃ」
不満顔で村長を睨みつけたが、どうしても俺に語らせたいらしい。女王も同じ考えのようで微笑まれた。
「……まあ、いい。宿と飯を恵んでくれるなら」
そういって窓の外を一瞥して、語り出す。
「あれは、夜更けのことだった」
*
その日の夜、俺はイリアスベルクの女将から受けた依頼を果たしに、ハーピーの集落に向かっていた。
依頼内容はハーピーに攫われた男たちの安否確認、可能であれば奪還。
決行日は雨がひどい日を選んだ。開始時刻は、午前二時だった。雨と闇に紛れるつもりだった。とある情報屋からハーピーの集落の情報を仕入れていたから、準備は万全だった。
集落に着いた。大きな木の上に家が何件も建っていた。ツリーハウス型の集落だ。
ハーピーの見張りはいた。集落の上方から見下ろしている見張りだ。雨避けを被って物見から下を見下ろしていた。
俺は容易に侵入できた。雨と闇に紛れていたし、松明も機能していなかった。
ここまでは予定通りだ。
後は音を極力立てないよう家や木々の陰を移動し、観察しながら上へ向かう。梯子がないから大変だった。
一先ず男の安否を確認しなければならない。家を片っ端から覗き見ることにした。ここでも移動にかなり苦労した。
……今では人間がよく立ち入るから梯子の数が増えた? それは良かったな。
で、とりあえず適当な家の前までいって、俺は窓から中の様子をうかがった。
中には、裸の男が一人と、ハーピーが数人、寝転がっていた。男を注視すると、胸が上がったり下がったりしていたから、呼吸はできていると判断できた。とりあえず生きてはいる。
他にもいくつか寝室を覗き見て、男は全員生存していると判断した。攫われた男の数と寝室にいた男の数が一致するまで数えるのは面倒くさかったからやっていないが……まあその頃には察した。
漠然とだがハーピーの目的が見えた。そして多分話し合いで解決できるだろうと思って、引き返そうとした所で──見つかった。
あれは、すずめの魔物だった気がする。偶然、多分用でも足しに家から出て来たんだろう。俺は戦うか迷ったが逃げることを選択した。
が、その選択は失敗だった。その魔物──スズメ娘? は、俺の存在を集落に知らせようと歌い出したからだ。雨音がひどくうるさいというのに、その歌声は集落中に響いた。多分あれは、襲撃を知らせる歌とか、そんなのだろう。
あれを聞いた途端、眠っていたはずのハーピーも、俺の存在に気づいていなかった護衛のハーピーも、そして女王も──全員目が覚めた。
一斉に家から飛び出てきて、夜空がさらに黒くなった。
一瞬だが、雨が降らなくなったんだ。そして上を見たら、夕暮れ時の
で、そこからはさすがに戦う覚悟を決めて、戦い出した。ここでも天候が幸いした。
基本的にハーピーは高所から槍で攻撃する戦法を取る。しかしその日は雨と強風でバランスが取りにくい。槍を持つとバランスを崩してぶつかった時に危険だったんだろう。だから武器の類は持っていなかった。
とにかく、ハーピーは集団で俺を押さえつける方針で動いていた。だから対処も攻撃もやりやすかった。槍を持たれると間合いで負けるから厄介になる。
ハーピーとの戦闘だから、必然的に高所で戦った。そしたらいつの間にか地上何十メートルの大木の頂上に上がっていた。
どうやって上がったのか? 飛んでたハーピーを踏み台にしながら何とか。たくさんいたからな。
で、俺は何とか一人を除いてハーピーを全員倒した。
最後に残った一人はもちろん、クイーンハーピーだ。一番高い所で、一番強い者と雌雄を決する──物語的だ。クイーンハーピーはさすがに部下を全員のされて、やる気になったようだった。
その証拠に──槍を持っていた。
家屋の頂上の棟板金の上に立ち、剣と槍を交える。稲妻が逆光となって見えた、ハーピーという種族全員を背負う女王の顔は、今思い返しても武者震いが起こる。女王というのは皆そんな顔なのかと思った。
さて、結果から言う。俺は勝った。
でもあれは正直、もろもろが圧倒的にこちらへ有利に働いていた。
まず女王は寝起きだった。天候条件もハーピーに不利なもの。反対に俺は十分寝て来たからコンディションも万全だった。
確かに勝てる場を整えるのは大事だし、俺もあえて悪天候の日に決行したが、俺と女王がニュートラルな状況で戦えば、勝ち目がなかっただろう。だから勝利は誇れなかった。
それに、最後の最後で完全に運の神が俺に味方してしまった。それが俺は許せない。
雷が落ちたんだ。
ちょうど雨で足が滑りかけた一瞬の隙を突いて、女王が止めを刺そうと槍を構えた瞬間だった。
……最後まで聞け。話を遮るなアリス。鬱陶しい。
雷が、俺たちの体を貫いた。
まあ俺も実際、雷の衝撃が体を駆け巡ったとき、死んだと思った。
が、俺は生きていたし、継戦可能だった。反対に女王はほとんど死に体になった。
そのせいで、俺は普通に勝ってしまった。
俺が雷を耐えられた理由だが、結構な前に、頻繁に俺の体をめがけて雷が落ちて来た時期があった。頻度は週に数度、それが一年くらい続いたから、多分それで耐性がついたんだろう。
そんな経験して何故生きてるのか? 意地だ。絶対に死んでやらないと思ったからだ。
しかし、気に食わないことに戦況は、落雷前は俺が不利だった。女王の槍さばきは圧倒的だったし、そもそも俺の攻撃はほとんど当たらなかった。
あのまま戦っていたら、敗けていた。
だがまあ、そんなに嬉しくないが、とにかく制圧は完了した。
その後、ハーピーを全員縛った。これがすごい面倒くさかった。で、村の女連中呼んで、男を救出しようとしたら──。
また厄介なことになった。男連中が騒ぎだしたんだ。
……ここからは代わる? じゃあ頼んだ女王。俺は疲れたから鍛錬してくる。空き家があったな、あそこを借りる。夕飯はアリスに合わせて食べるから、話が終わったら呼んでくれ。
……もういる必要ないだろ。聞いても俺が恥ずかしくなるだけだ。
とにかく、早めに終わらせろ。そんな話は。
*
数年前──。
「ちょ、ちょっと待て!」
「みんなを解放してくれぇ!」
とりあえずハーピーを全員叩き伏せ、縛り上げた。俺には敵わないとわかったのか、気絶から目覚めた者たちも抵抗は少なかった。
そしてハピネス村の女を呼び、ハーピーの処遇を決めさせようとした、その時だった。
攫われていた男連中がハーピーの寝床からぞろぞろとやってきた。
ざっと見て二十数名はいた。数字は前後するかもしれない。とりあえず、見た目からして元気なようだ。
「良かった……大丈夫そうで……」
村の女たちがそれぞれ縁のある者にかけより、心配そうな顔で話し始める。
「あれは……マルク!? マルクかい、大丈夫!? 怪我は!?」
「あ、あはは……久しぶり、母さん。その、紹介するよ。そこにいるのが娘のピッピと──」
「その、言い難いことだが、お前の義母さんになる……」
「いや、そんな急なこと言われても──」
聞く所によると、村の男どもはみんな揃ってハーピーと婚姻を結んでいた。子どもを作っている者もいた。後は、以前に派遣した戦士もハーピーと家族になっていたらしい。
「そう、ハーピーと我らは、もう家族なのじゃ……」
「お、お前さんも無事じゃったか……」
全員が唖然とする中で、村長が出て来た。村長は代理として動いていた妻に一言二言かけると──
「家族で争い、傷つけ合うなど……そんな愚かなことが他にあろうか……」
「その通り。母さんもハーピーもみんな、家族だ!」
そうだそうだと、ぞろぞろといる男連中は同調した。勝手に縄をほどいてハーピーを解放する者まで現れた。勝手に解いたその男は、俺を恨みがましく睨んで来た。
「我々も、ただ黙って種が消えるのを見過ごす訳にもいかなかったのです。だから、男を攫うという強硬手段に……」
解放されたクイーンハーピーが言った。魔物への憎しみが高まっている世の中で、人間と話し合った所でどうせ聞いてくれないと思ったから、交渉もせず攫ったらしい。
そのまま”何故か”村の連中とハーピーは円満に解決しようとしていた所だった。
不意に、余計な一言が口から飛び出した。
「本当にハピネスな奴らだな」
あれだけ降っていた雨はいつの間にか止んでいて、空は朝日で若干白み始めていた。何だか神秘的な光景だった。いろいろ解決したハッピーエンドに相応しい光景──だから何だと、口が勝手に動いてしまった。
俺の声は村人の喧騒をかき分けてよく通った。
視線が集中した。どういう意味だと睨む視線もちらほらあった。
「そのままだよ。お前らの頭は心底ハピネスだと、そういったんだ」
するといよいよ、明確に怒りを示す者が多々現れる。皮肉と理解できる程度には頭ハッピーではないようだ。若い村人は特に血気盛んに吠えた。
「何だと……撤回して、謝罪しろ!」
「断る。頭お花畑の奴らに謝罪したって無駄だ」
そう言って、自分でも馬鹿らしいなと思った。放っておけばそれで終わり、円満に終わって、ある程度の金貰って、大団円──いや、ハッピーエンドではないな。
何にせよ、独走を始めた口は止まりそうになかった。
「自分の都合を押し付けるだけの奴らに、謝る口は持ち合わせてない」
「……どういう意味だよ」
怒気は全く隠せていない村人数名だが、体裁だけは冷静にして問う。今にも殴って来そうだ。
「お前らは、自分が被害者だとでも思っているのか?」
村人が浮かべたものは疑問の表情だった。さすがに突拍子もない問いだったかと、続けて言った。
「……お前らは、村に残された女性たちに心配されていた。攫われたせいで迷惑もかかってたんだぞ。そんな中で、自分たちは何食わぬ顔で結婚して、おまけに子どもまで拵えてる。なのに何で、第一声が謝罪じゃないんだ?」
先ほどはちらほらバツが悪そうな顔をしている者もいたが、村の女たちへの謝罪の声はほとんど聞こえなかった。
「それは、ハーピーに攫われたのは俺たちだから──」
「それでも第一声は、心配かけてごめん、だろう」
言葉を遮って睨む。個人的に論外な返答だった。本気で言っているのだろうか? こいつらにとっての家族とは、一体なんだろうか。
「もちろんハーピーが主な原因というのはわかる。でもそれと謝罪がないことは無関係だ。お前ら男連中は、心配を裏切っただろう。女連中が長い間苦しむ中、ハーピーと仲良くしていたんだろ」
「……っ」
さすがに自分たちが消えた後の村の状態を何一つ想像しなかったことはないだろう。
男手が消える。それが農作業で生計を立てるこの村にとって致命的だと察するのは、子どもでもできることだ。
「それに対して、何故謝罪の一つすらないんだ。まさかとは思うが、ハーピーが全て悪いから、ハーピーにだけ謝らせればいいなんて考えてないだろうな?」
縄から解放されたハーピーの幾人かが、男連中につぶらな目を向けた。男たちは動揺しているのか目を逸らした。図星ということはさすがにないと思うが、果たしてどうだろう。
少し矛先を変えてみるかと、女連中に目を向けた。
「そもそも、女連中ももっと怒るべきだろ。絶縁ものだ、こんな仕打ち……まあお前らも全て他人任せの、嫌な奴らだが」
「……」
そう言うと村の女連中は目を合わせようともせず、俯いた。
とある蛇魔の情報屋によると、女連中は村に立ち寄った戦士に男の救出を丸投げしていたらしい。そして帰って来なかったらそれで終わり。助けにもいかない。弱者なのはわかるが、さすがに酷すぎるだろう。
「だんまりか。どいつもこいつも……本当に気に食わない」
誰一人現実と向き合おうともせず、いつまでも他人任せで、時には無理やり自分の都合を押し付けて、臭い物に蓋だけして終わり。そんな生き方が、精神性がやはり──
「俺はそんな生き方に対して、ハピネスだといったんだ。けじめの一つつけようともせず、なあなあに終わらせようとする。ハーピーが近くに住んでるからハピネスじゃないってこと。見聞が広まったよ。ありがとう」
そう言い放つと、数秒の沈黙があった後に、一部の村人たちが奮い立った。
「それでも、それでも俺たちは、家族だ! そもそも、誰だよお前は! よそ者に文句を言われる筋合いはない!」
「そうだ! 家族じゃない奴は早く消えろ!」
「そうよ! 無関係の癖に、勝手なことばかりいわないで!」
怒号が飛び交う。今にも飛びかかられそうだが、後手でも十分対処できるだろう。それよりも、耳につっかえたとある言葉の方が、大事だ。
「……はは」
思わず吹き出しそうになって、慌てながら手で抑える。しかし堪えきれなかった。呆れを通り越すと、笑いになる。
「お前らが家族? 寝言は寝てから言ってくれ。それは本物の家族に対する侮辱だ」
「何だと……!」
いちいち叫ぶなうるさい、と思ったとき、ふと気づく。
俺の周りには人がいない。だが向こうには住人とハーピーたちがいる。あからさまな対立構造となっていた。
「じゃあ聞く。ハーピーが俺と戦っている間、お前らは何をしていたんだ? 何で戦いが終わった後に、焦りながら出て来た?」
俺は笑いながら言った。こんな状況はいつも通りだ。
「そ、それは……じっとしててと──」
「もう一度聞く。家族が戦っている間、何をしていた?」
男連中とハーピーが家族だというなら、見て見ぬふりなんてありえない。家族が次から次へと倒されていく中、助けようと動かないなんてありえない。そんなのは家族じゃない。
「家族というのは、互いが互いを思いあって、慈しみ合うものだ。少なくとも俺はそう記憶してる」
その記憶の正しさや間違いかなんて、議論するまでもない。俺の中の暖かい記憶がその証拠だ。これだけは譲らないものだ。何が何でも、誰であっても、否定させないものだ。
だから俺は、確信を持ってこいつらを否定できる。
「お前たちは、家族じゃないよ」
そこまで話して理解した。こいつらを気に食わないのは、結局これが全てだったのだ。
誰も何も言わなくなった。何を思っているのかはわからない。沈黙する大人たちの最悪の雰囲気が漂うこの集落に、場違いな鳥のさえずりだけが、響いていた。
もう、すっかり朝だ。
俺は、色々疲れてため息をついた。寝てないし、戦ったし、疲れた。
「あー……悪い。最初から俺は、お前ら男連中を解放するまでの契約。お前らのその後なんて、死ぬほどどうでもいい。そんなこと気にする余裕があるなら、マンドラゴラでも引っこ抜いてた方が有意義だ」
そう、俺はもっと強くならなければならない。クイーンハーピーにも負けかけた。あれは運のせいで勝ってしまった、苦い勝利だ。こんな所で無駄な時間を過ごす暇はない。
「だからまあ、悪い。いろいろと邪魔して。依頼の報酬は、いつでもいいよ」
そう言い残して、そそくさと集落から離れたのだった。
*
村長宅──。
「……以上が、あの時あの場であったことです」
クイーンハーピーが事の顛末を言い終えた。
「……なんというか……あの男らしいな」
腕を組んだアリスがそう呟く。現時点でアリスがルカに抱いている印象は、優しいが色々面倒くさい奴、というものだったが、まさしく印象通りだった。
「……あの男によって、一度ハピネス村は瓦解しかけた。ルカの放った言葉は劇薬じゃ。せっかく改善されようとしたハーピーと儂らの関係も、また元通りになる所じゃったし」
「だが実際の所は、関係は改善され共存しているな」
村長が愚痴るように呟いた後すぐ、アリスが言った。アリスが見たハピネス村は軋轢も見えない、共存の理想に近い村だった。
「……あの後、全員で話し合ったのじゃ。不都合な面にも目を向け、逃げない。これからは誰にも文句をいわせない家族になる──そう決意したのじゃよ、我々は」
村長はそう断言した。なるほど、意外と人とは変われるものだなとアリスは感心した。
「……まあ、あの会議は、ハピネス村の女性たちが愚痴をいっていただけでしたけどね。話し合いというには……」
「……まあ、儂らも反省したし……ハーピーちゃんたちも許してくれたし……細かいことはいいじゃろ。わっはっは」
やはり変わらないなと肩を落とした。
しかし「じゃが」と村長は勝気に笑って言葉を続ける。
「ルカが気づいておるかはわからんが、ルカの言葉全てが正しいと認め、受け入れた訳ではないぞ。確かに家族として不誠実な面もあった。それは認める」
村長は目に力を込めながら強く言った。
「でも……そんな駄目な面を許容するのもまた、家族であり、ハピネス村の良い所じゃと、儂は思うとる」
アリスは呆れたように突っ込む。
「……自分でいうのか」
「それも含めて楽観的なのが儂らじゃ」
そう言った村長に、クイーンハーピーがほほ笑んだ。村民がこういう気質だからこそ、共存は成り立っているのかもしれないとアリスは納得する。
ルカが冗談交じりに言っていた「頭ハッピーだからハピネス村」という言葉も、あながち間違いではないのかもしれない、とアリスは共感した。
「……一応ですが、この話には続きがあります……聞きますか?」
アリスは態度には見せなかったが、ちょっとげんなりした。さすがに長すぎる。道中ハチミツを舐めたがお腹が空いて力が出ない。
「あの男の話ですが……」
「聞きたい」
アリスは食いついた。予感がする。重要な情報だ。女王は急に態度を変えたアリスに驚きつつ、こほん、と咳払いして話始める。
「あの後、落ち込む村人たちをハーピーが慰めている間、私は立ち去った彼の後を追い、聞きました。私たちに何かいうことはないのか、と」
目を伏せ、クイーンハーピーは言葉を続ける。アリスには過去を悔いている様子に見えた。
確かに、ルカは村人には散々言ったが、ハーピー達に触れなかったようだ。
それには確かに違和感がある。ハーピー達は問題の元凶で、エンリカで見せた──理不尽に対する憤り。あれを見せてもいいはずだ。
「実際私たちも、罪悪感はありました。いくら種を守るためとはいえ、やり方は強引だった。その負い目はありました。でも彼は、矛先を私たちに向けなかった。その理由を聞きにいったのです」
アリスは真剣な表情をして考える。村人たちは醜悪だとアリスも思うが、それでも元凶はハーピーたちだ。いったい、何故だろう──?
「ルカが……貴様らハーピーの事情を理解していた……?」
イリアス教の教えで魔物は不浄な者と人間は考えている。だから話すのは無駄だと女王は判断し、強硬手段に出たと、アリスは予想した。
つまり魔物のせいではなくて、イリアス教──イリアスのせいと考えることもできる。ルカもそう考えたとしたら、ハーピーに矛先を向けないのは納得できた。
女王は微笑んでアリスを見た。正解だったようだ。
「部分的に、そうです。彼は、いいました──
『確かに事の発端はお前らだろう。でも、元凶は違う。元凶は人間のくだらない偏見、馬鹿みたいなイリアスの教えだ。お前らが強引な手段に出たのも、種の存続が厳しくなるほど数が減ったのも、大本は魔物を差別し、忌み嫌う思想のせいだ。そこは理解している。
それに……何より、お前らは”人”だった。まあハーピーは発情期の獣みたいな奴らばかりだが……でも、ぞんざいに扱ってもいいだろう男たちを愛して、今だってあんな村人たちを慰めているだろう。そんな奴らに、湧く怒りなんてない』
──と」
部分的に削った所もありますが、ニュアンスは変わっていませんとクイーンは付け加えた。
だがそんなことより、アリスの気になった部分は──
「人……だと?」
「……はい。確かに、私たちは人だと。彼にとって、基準はわかりませんが”人”であれば種族等の隔たりなど、どうでもいいようですね」
人。人間という意味合いではないだろう。どういう基準でルカが”人”と”それ以外”の判断をしているかわからないが、これは大きな情報だ。
──ルカは、魔物を人として扱う場合がある。
では、盗賊団は? 道中の魔物は? 自分は? 何を基準としているのだろうか?
アリスは、ルカと猛烈に会話をしたくなった。色々と聞きたい、知りたいが溢れて止まらない。
「……礼をいう。長く質問して悪かった」
「いえ。”旅のグルメ様”でしたら、いつでも歓迎いたします」
アリスはジト目で女王を見た。クイーンハーピーはにこりと笑い返す。直接会って話すなどの面識はなかったが、さすがにクイーンクラスになれば魔王だとわかるようだ。
「村長。貴様にも礼をいう。それで、ルカはどこにいる?」
空き家にいると言っていたが、アリスは場所を知らない。
「たぶん東の奥の家じゃろう。あそこは空き家じゃ。ここを出て右手に、片側の屋根が剝がれているから一目でわかるはずじゃ」
アリスは、感謝するとだけ言って、すぐに家を出た。
もう外は真っ暗だった。家々にはランプの灯がついていて、窓からは家族が団らんする様子が見える。ハーピーの影が特徴的で印象に残る。
また、夜の静けさのせいだろうか。この村は何だかとても賑やかで、好ましく感じた。
(……私情だな。余の望みが、希望するものがこの村そのものだから、そう感じただけなのだろう)
思考を切って、アリスは言われた通り右手に向かう。遠くに見える空き家は灯りがついていない。その家だけがぽつりと空いた穴のように、目立って見えた。
何かを振り回す音がしていた。
ルカは家の外に出て、相も変わらず素振りをしているようだ。木刀が空気を切り裂く音と、闇の中で影が躍動する様子が遠目からでもわかった。よくもまあ飽きずに振るものだ。
それを見てふと思う。
ルカは何故強さを求めるのだろう。
(結局……知らないことばかりだ)
ルカが何故、ああなったのか。目的はいったい何なのか。何故イリアスを嫌悪するのか。何故、ハーピーたちを人と言ったのか。
断片的な情報から憶測をつなぎ合わせて結論を導くことはできるが、ルカの口から聞き出すことをアリスは求めていた。結局本人の口から聞かなければ、推測の域は出ない。
それにしても不思議だった。つい先日会ったばかりの人間に、どうしてこんな質問をするのか。自分は過去の過ちすら無視して、人間を支配する覚悟を決めようと思っていたはずだ──。
きっと、ルカの態度のせいだろう。変にこちらを期待させて来るのだ。
(もしかしたら──人間と魔物の共存に、協力してくれるかもしれない……と)
そんな期待を自分に抱かせて来る、面倒くさい人間がルカだった。
(イリアスに対するスタンスとか、盗賊団とか……全部、余の知らない、珍しい人間だから)
だから希望を、忘れようとした後悔を、思い出させて来る──人間と魔物の共存という苦難の道を。
(……もしも、この男が余と同じように、人魔の共存を望んでいたら、余は今と全く違う態度だっただろうな……)
青臭い思想を抱くなと否定したと思うし、馬鹿にしたくなる。自分ができないと思っていることをやろうとする人間というのは、癪に触るものだ。
あと、ルカがこれっぽちも素直じゃないから、この男を反面教師にして自分が素直になっているという面は、案外否定できないかもしれない。
とにもかくにも、聞いてみようとルカに近づいた。
「熱心だな、ルカ」
「……いきなり何だよ。びっくりした」
ルカは驚いた様子を見せて、振り返った。
「話は終わったか。なら、飯をもらいに行こう……毒が入ってないといいが」
「その前に聞きたいことがある」
飯より話を優先するアリスに驚いたのか、意外な顔をしたルカだったが、すぐに顔を戻すと、何だと聞き返した。
アリスは、一呼吸置いて、問う。
「人間と魔物は、共存できると思うか?」
イリアスベルクに行く前に聞いたことよりも、ずっと強い問いだった。
ルカは、アリスと目を合わせて、少し逸らして、また向き合って、言う。
「できるとも、できないともいわない」
「……?」
少し、予想外だった。無論「共存はできる」などという言葉は聞けないだろうと思っていた。魔物は敵だという男だ。
だからきっと「不可能だろう」や「無理だ」と、否定的な言葉を言うと思っていた。
そしてそう断言してくれれば、今度こそ諦められると思った。
「お前の思う共存は……ハピネス村みたいな感じか?」
「……概ね、その通りだ。それで、なぜそう思う?」
なぜ、できるともできないとも言わないという、中立的な立場を取るのか。ルカは煮え切らない態度を嫌うはずだった。だから今の態度には違和感があった。
「……現実を知ってしまったから」
「現実……?」
「……子どもの頃、悪い大人に連れられてな。人間と魔物の、醜悪で、劣悪な因縁……まあ、一言じゃいえないが、とにかくひどいものだった。それらが今でも頭から離れない」
抽象的な物言いだったが、おそらく魔物と人間の対立が起こしたものを見たのだろう。それが何を生むかは、アリスも容易に想像できる。
それを見たせいで、ルカは人間と魔物の共存に微妙な立場を取っているようだ。
だが──とアリスが反論しようとした所で、ルカがすぐ口を開いた。
「もちろん、ハピネス村の事例も現実の一つだ。きっと世界にはこの村以外にも、共存してる所はあると思う。だからこそ、今はどちらともいえないんだ」
そう、アリスも言おうとした。
共存はハピネス村だけではない。セントラ大陸のグランドノアなどは、人間と多種の魔物が共に暮らしていると聞く。基本的に北に行けば行くほど、人と魔物の距離は近くなる。滅ぼされた最北端のレミナなどは人魔共存を相当にうまくやっていたと聞く。
「だが……それは非常に少数な例だ。ほとんどの人間と魔物は相容れない」
「……? ……だから、今日いったな。できる奴と、できない奴がいる。それが全てだ」
「一部の魔物と、一部の人間の共存ならば為せるということか?」
「まあそうだな。ただ人間は男限定で、イリアスへの信仰が薄い奴のみだろう。魔物と女の相性は最悪と聞いたことがある」
「……そうか。そうだな、うん……」
人間の女と魔物で男を取り合いすると、やはり魔物の方が強いのだろう。だから人間の女と魔物は仲が悪い。
「もういいだろう。腹が減ったよ」
そこで会話は終わる。そんな雰囲気になった。当たり障りのない会話だった。アリスは、なんとなくだが……満足、できた気がした。
ルカもそれを感じたのか、腹をさすりながら村長宅の方へと歩き出す。たぶん料理が用意されている頃合いのはずだ。
ルカがアリスの横を通り過ぎる。優しい風が、アリスの髪を揺らした。
──これでは変わらない。
唐突に激情があふれ出した。このまま終わる訳にはいかないと、感情が背中を押した。後悔が止まることを許さなかった。
「ルカ」
まだ腹八分目──満足できていない。ここで、終わるのは違う。それは逃げだ。向き合っていない。
(もう、目を背けるのは終わりにする。でも一人で向き合える気もしない。だから、同じ思いを抱く者が、心のどこかで欲しかった)
でも期待して、それが無駄になるのは苦しい。だから決定的な問いは避けて来た。
(だが、今度は向き合える。逃げることの方が今は嫌だ)
アリスは今、やっと決心できた。
「……もう一つだけ、聞きたい」
「……腹が減ったんだが」
ルカは止まり、振り返って面倒くさそうな表情を見せたが、その場に留まった。答える気は一応あるらしい。良かったと思う。アリスにとっては、とてもとても重要な質問だった。
共存について、ルカの返答は現実的なものだった。だろうな、と納得できるものだった。だがアリスが本当に聞きたかったのは、論理ではないのだ。そんなのは少し考えればわかることだ。
本当に聞きたかったこと。それは──
「貴様は、共存を望ましいことだと思うか? ……貴様個人の感情を、余は聞きたい。わかるな?」
この心底面倒くさい男の、感情。この男の本心だ。
怜悧な論理や、凍てつく事実を度外視した、熱を持った感情論を聞きたかった。
どうしても知りたい。ルカというイリアスを嫌いな人間が、魔物を助けることもできる人間が、魔物を人といえる価値観を持つ人間が、共存についてどう“思う”のか。
その問い次第で、これからが変わると確信できる。
「……」
ルカは、天を一瞥してから、何でもなさそうな声の調子でさらっと言った。
「……イリアスが死ぬほど嫌がりそうだから、別にいいんじゃないか」
「──っ」
声にならない声が出た。
「……」
そうか、そうなのかと、アリスは俯いて考えを巡らせようとするが、意に反して滞る。不思議な感覚に満たされて言葉が出てこない。
まあ今はいい、と顔を上げて、目の前の男の顔を見たら、アリスは何故か笑みがこぼれてしまった。
「? ……変なやつ」
気にしない。ルカは理解できないものを見つめる目をしているが、そんなのは些末な事だ。
そんなことよりもずっと大事な喜びに、アリスは満ちていた。
(一緒に、歩いて行けるかもしれない)
そんな、今まで通りのこと。
でも、何より大事なことだった。
聞きたいこと、知りたいことがわかった。だからか、途端に腹の虫が鳴り始める。
「よし、早く行くぞ。余は腹が減りすぎて、貴様を食べてしまいたくなる」
「俺が死ぬから気をつけろ」
アリスは待ちきれないのか、ルカの先を行く。ルカがアリスの後をついて行く。
次第に追いついて、ルカはアリスに並んだ。二人とも腹の虫が鳴っている。
「ハピネス村の料理はどんなものだろうか。貴様は知っているか?」
「さあ、俺も食べたことない。とりあえず鳥の肉は絶対出ないだろうな…………あ、悪い。空き家に荷物を置いたんだが、一つ忘れ物をした」
「む、早くしろ。余が待ちきれなくなっても知らんぞ」
ルカはアリスから離れる。アリスは立ち止まって、早くしろと尻尾の先をそわそわしながら、待っている。
しかし中々戻ってこない。アリスは先に行こうか悩んだが、機嫌もいいし、空き家まで行ってのぞき込んだ。
「遅い……何をしている?」
「ああ、悪いな。何でもないよ。指輪が壊れかかっていたから、鍛錬する前に外しておいただけだ」
ルカはそう言うと立ち上がった。そして指輪を左手の親指に嵌めた。
いつもつけている、何の変哲もない指輪だ。母の形見の指輪だと言っていたが、何の効力も感じない。どこにでもあるような指輪だった。
「行こう」
ルカはそう言うと、空き家から出てアリスと共に、また歩み始めた。
二人はまた、他愛もない話をして、時々冗談を言い合って、進んでいく。
そしてふと会話の中、アリスはルカの手を盗み見た。
「……?」
その指輪には──ひびが入っていた。