「どこにでもいるつまらない女」と言われたので、誰も辿り着けない場所に行く面白い女になってみた   作:富士伸太

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サイクロプス峠からの凱旋 5

 

 

 

 ウェブビレイヤーと夢幻の短剣があると、ちょっといけないことができる。

 

 大邸宅の塀を乗り越えるとか。

 

 見回りの人間がいる場所を通り抜けるとか。

 

 屋敷の壁をよじ登って、目的の部屋の窓ガラスの前に辿り着くとか。

 

 夢幻の短剣は、現金を盗むような行動を取ったり人を斬り付けると警告が出て隠れるどころか逆に発光して目立ってしまうが、逆に言えば「ただ隠れて移動するだけ」であれば問題なく効果を発揮する。

 

 効果時間は短いが、永続的に姿を隠す必要はない。要所要所で、他人の視界を通り過ぎるタイミングで起動させればよい。気分はスパイアクションの主人公だ。

 

 で、そんなスニーキングミッションの舞台はというと、ガルデナス家の邸宅である。

 

 もちろん、カピバラに会いに来た。

 なんとなく、むしょうに会いたくなった。

 普通に正門から行ってもこの時間なら追い返されるし迷惑になるだろう。

 だからといってこんなアーバンクライミングをしてよいかというとよくないのだが。

 

 カピバラの部屋がどこにあるのかは以前ちらっと聞いている。

 確か、西側の端っこだったっけ……って思ったら、まだ起きていて本を読んでいる。

 カーテンも閉めていないので、何をしているのか外から丸わかりだ。

 

 遊びに行っても問題ない。ヨシ!

 

「カピバラ、ちょっとちょっと」

 

 コンコンと、窓ガラスを小さくノックする。

 カピバラは、気のせいかと思ったのかきょろきょろと部屋の周囲を見回す。

 気のせいと思って座った。

 仕方なくもう一度ノックする。

 あれぇ? みたいな表情でまた周囲を見渡し、ふと窓に目をやってようやく私に気付いた。

 

「やほ」

 

「……ぇあ?」

 

 変な声がカピバラの口から漏れ出た。

 

「来ちゃった」

 

「ばっ、バカ! オコジョ! 何やってんのよ! 落ちたらどーすんの!」

 

「カピバラ、声が大きい」

 

「あっ」

 

 カピバラが思わず口を塞いだ。

 そして無言で私を部屋の中に招き入れ、バタンと窓を閉じ、ジャジャっとカーテンを閉める。

 

「お姉様、どうかしましたー?」

 

 すると、部屋をノックして誰かが声を掛けてきた。

 カピバラの妹とかだろうか。

 

「な、なんでもないわ!」

 

 動揺してうわずった声でカピバラが答えた。

 焦ってますと言ってるようなものだ。

 

「なんかオコジョがどうとか言ってましたけど、動物でも紛れ込んだのですか?」

 

「そ、そうよ! オコジョかハクビシンだったかしらね!? ちゃんと追っ払ったわ!」

 

「ネズミかハクビシンでしょ……オコジョなんているわけないじゃないですか」

 

「そ、そそ、それもそうね! あは、あははは!」

 

「なんでもいいですけど、お母様のインコが襲われないよう気をつけてくださいまし」

 

 ふぁーあと、眠そうなあくびをしながら妹ちゃんらしき人物はカピバラの部屋の前から去って行く。危機は去った。よかった。

 

「よかったよかったみたいな顔してるんじゃないわよ……!」

 

「ご、ごめん」

 

 左右のほっぺを引っ張られる。

 いや、流石にこれは私が悪かった。

 聖地を攻略して冒険者たちに大絶賛されたテンションのまま、ちょっとした暴挙をやらかしてしまった。

 

「で、どうしたのよ一体……」

 

「生きて帰ってきた。だから、自慢話をしてあげようと思って」

 

「普通の時間に、普通に遊びに来なさいよ……」

 

 はぁ、と呆れながらカピバラは私を椅子に座るよう促した。

 

「で……怪我はない?」

 

「ない」

 

「ほんと? 痛いの我慢とかしてない? ……って、あんた、めちゃめちゃ手が荒れてるじゃないの。クライミングした後、クリームも何も塗ってないでしょ。もうちょっと気を遣いなさいよまったく」

 

 ボルダリングやクライミングをすると、驚くほど手が荒れる。

 いやもう、これでもかってくらい荒れまくる。

 当たり前と言えば当たり前だが、手を乾燥させるチョークを塗りたくって、更にざらついた岩に指を引っかけて渾身の力を込めるのだから、荒れないはずがない。ボルダリング選手はもはや指の指紋が消えて、スマホの指紋認証が使えないのが悩みだったりする。

 

 だとしても、カピバラは私の手を見ただけで私が何をやってきたのかを悟った。

 その鋭さが今は心地よい。

 

「……ありがと」

 

 カピバラがむんずと私の手を取り、クリームを塗る。

 別にそのくらい自分でやるからいいのにと思ったが、流れに身を任せた。

 

「手荒れ用のクリームなんて日焼け止めより遥かに安いわよ」

 

「クリームだけじゃない」

 

「常日頃の感謝を思うなら普段からもっと殊勝にしてよね」

 

「善処する」

 

「しない人のセリフよ、それは。……で、どうだった?」

 

 カピバラの顔には、好奇心が隠し切れていない。

 今日が終わってしまう前に、その顔が見たかった。

 

「最高だった。煩雑なロープワークを省略できるから、50メートルの岩壁を一気に登れるし色々とギアも持ち込める。ポータレッジの寝心地もばっちり。他にも色々あってさ……」

 

 私は、ウェブビレイヤーやポータレッジの性能を褒め称えた。

 本当にあれは素晴らしいものだった。

 カピバラには感謝してもしきれない。

 

 また、夢幻の短剣も素晴らしいものだ。

 魔石を取り外してレインウェアやザックに取り付けたり、自分なりにカスタマイズすればきっと色んなことができると話す。

 

 増えた仲間も信頼できる人たちだ。

 早くカピバラに引き合わせたい。

 そうだ、彼らの靴も作ろう。

 山歩きをする人間ならすぐにカピバラの靴の価値はわかる。

 

 他にも話したいことが山ほどある。

 

 あるはずなのに。

 

 途中で何も言えなくなった。

 

「オコジョ。手、震えてるわ」

 

「風邪引いたかな」

 

「ばか。そうじゃないわよ」

 

 カピバラが私の手をぎゅっと握りしめた。

 

「サイクロプスなんて恐ろしい魔物を見て、怖くないはずがないじゃない」

 

 カピバラの言葉で思い出した。

 雷鳴のごときサイクロプスの咆吼が、今も体の奥底を震わせていることに。

 いつまでもいつまでも微細な振動を続ける音叉のように、骨が、神経が、心が恐怖によって長く長く震えている。

 美しい光景と達成感で塗りつぶしていたけれど、カピバラの前に来てようやくそれを自覚した。

 

 怖かった。

 本当は、ちょっとだけ……いや、とてもとても、怖かった。

 

「……だって」

 

「だっても何もないわよ。怖いものは怖いに決まってるでしょ」

 

「だって、リーダーだった。仲間が着いてきてくれたから、怖くて逃げたいとか、言えなかったし、言わなくて済んだ」

 

「そういうことこそ言わなきゃダメじゃない。言いにくいことをズケズケ言うのがあんたのいいところじゃないの」

 

「うん」

 

 カピバラが両手で私の手を握る。

 じんわりと暖かい温もりが、私の震えを鎮めていく。

 指が音叉や弦に触れて音が途切れるように、恐怖の反響がぴたりと止む。

 

「カピバラ。魔物は怖い。山も怖い」

 

「うん」

 

「だけど、美しかったよ。山も、聖地の祈りの光も」

 

「うん」

 

「それをあなたに伝えたかった。あと、ちゃんと無事に帰ってきた」

 

「当たり前よ。これからもそうしなさい」

 

「そうする……」

 

 震えが静まった体は、休息を欲していた。

 緊張が切れて脱力した私の体は、もはや立つどころか椅子に座っていることさえ困難だった。

 

「え? ちょ、ちょっと、ここで寝ないでよ……!」

 

「ごめん、もう無理。やっぱりテン泊とかポータレッジ泊は完全に休まらない」

 

「いやそれはわかるけど! あーもう……! いびきかかないでよね、バレたら面倒なんだから……!」

 

「善処するぅ……」

 

 気付けば私はカピバラのベッドの半分を占領することになった。

 自分が無意識に移動したのかと思いきや、カピバラが寝かせてくれたようだ。

 

 眠りが訪れる。

 もしかしたら、両親が生きていた頃以来かもしれない、あるがままの無のごとき深い深い眠り。

 

 こうして私の初めての大冒険は、友達のベッドで終わりを迎えたのだった。 

 

 

 

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