「どこにでもいるつまらない女」と言われたので、誰も辿り着けない場所に行く面白い女になってみた   作:富士伸太

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裏スライム山でトレーニングしよう 2

 

 

 

 スライム温泉はスライムみたいにどろっとしたお湯の温泉というわけではなく、裏スライム山に一番近い宿というだけの話だ。

 

 タタラ山の火守城のようなひなびた雰囲気とはまた違って、新品の檜のお風呂だ。

 見た目も香りも清らかで居心地が良い。

 

 しかしニッコウキスゲは肉体労働してるはずなのに肌が綺麗でびっくりした。

 

 ツキノワは男湯でお風呂を入りながら花見酒を楽しんでいた。

 どうやら他の男性客と意気投合したようで、おごってもらったらしい。オラオラ系イケメンなのに中身は気遣い力の強いコミュ強だからこれもびっくりする。

 

 カピバラも最初はツキノワに対してオドオドしていたが、今や普通に打ち解けてタメ口で冗談を交わし合う仲になっている。

 

「運動した後の食事は格別」

 

「あんた、よくそんなに胃に入るわね……」

 

 カピバラが不思議そうにこっちを見る。

 そっちだってたくさん食べてるくせに驚かないでほしい。

 

 ところで、今日の食事のメインは山菜キノコ汁である。

 パッと見は質素な料理ではあるが、野鳥の肉が入っていて意外に豪勢だ。

 

 大麦、雑穀、お米を炊いたご飯は野趣に溢れすぎているが、塩っ気と鳥の旨味の効いた汁と一緒に食べるとこれまた美味い。

 

 また珍しいことに、お漬物のポジションにあるのはウズラの玉子であった。ゆで卵のピクルスってチーズのような質感と旨味があって美味しいんだよね……ついつい食べ過ぎちゃう。

 

「ふう。ごちそうさまでした」

 

 私が一番おかわりしたが、他の人もそんなに変わらない。ていうかカピバラもしっかりおかわりして、ニッコウキスゲやツキノワよりもたくさん食べている。

 

「若ぇな……羨ましい」

 

「ほんとだよ」

 

 むしろこっちとしては肌とスタイルを維持してるニッコウキスゲがおかしいのだが。

 だがそれを言っても始まらない。

 大人の魅力の秘訣を聞き出すのはまた後だ。

 

「じゃ、靴とか荷物とか見せて」

 

 カピバラの仕事は走ることではなく、ここからが本番である。

 

 登山とトレイルランニングは、求められる所持品が大きく異なる。

 靴も、ザックも、そしてウェアも微妙に違ってくる。

 ポールとかは専用でなくても問題ないけど。

 

「試作4号はどうだった?」

 

 それはカピバラたちが作っているトレイルランニングシューズのことだ。

 足首を覆わないローカットで、靴底がいかついランニングシューズといった形をしている。

 

「少しだけ硬いかな。駆け上がりながら曲がるときにちょっと痛い。試作3号は柔らかすぎたから、この中間くらいがベスト」

 

「じゃあ、スライムのミッドソールの厚みを変えてるのを履いてみて。ソールのラグ……地面に食いつくブツブツの大きさはどう?」

 

「グッジョブ」

 

「問題ないってことね。二人は?」

 

「あたしもオコジョと同じかな。もうちょっと柔らかいほうがいい」

 

「俺はこのくらいが丁度いいけどな。ふにゃふにゃしすぎるほうが違和感がある」

 

 ニッコウキスゲとツキノワが、それぞれ答えた。

 

「トレランシューズも完成に近いかしらね……微調整でなんとなる範囲よ。靴以外はどう?」

 

 その次に見せたのは、ザックだ。

 今までの登山用ザックとは違ってかなり小さい。

 トレランザックとかキリアンザックとか呼ばれたりする。

 

 タタラ山に使った登山用ザックは30リットル。

 サイクロプス峠でポータレッジやら何やらを入れてたザックは80リットル。

 

 だが今回作ったトレランザックは、たったの6リットルである。

 

 というかザックにさえ見えない。

 背面収納付きの、ポケットがたくさんあるベストと言っても差し支えないだろう。

 

 胸ポケットには水筒を二本差すことができて、その他、行動食や虫に刺されたときの薬なども入っている。背面にはレインウェアやビバーク用の布、非常食、助けを呼ぶためのホイッスルや地図などが収納されていて、非常事態に備えている。

 

 ここが地球であれば、アルミ蒸着のツェルトやエマージェンシーシート、スマホや保険証、ヘッドライト、モバイルバッテリーなども追加されるだろう。

 

 ただし行動食や非常食の量は絞っている。

 また簡易祭壇も持ってきていない。

 宿を出発するときに使うだけで、基本ここに置いて行っている。

 

 これだけ軽いのには理由がある。

 

 重くしたら走れないという問題もあるし、悠長に炊事などしていられないという都合もあるが、登山よりトレイルランニングの方が遥かに早く終わるからでもある。

 

 山に長時間滞在することはそれだけでリスクがある。天候の悪化、野生動物との遭遇、栄養不足や栄養の偏り、その他、様々な危険に直面する確率は上がり、持っていくべきものは増える。

 

 そのリスクを下げる確実な方法はバカみたいに簡単な話で、さっさと登ってさっさと下山することであり、そのためにはさっさと下山できないハードな山を避けることだ。

 

 もっともトレイルランニングは、「走る」という根源的なリスクがある。怪我や体調管理は入念にしなければいけない。他人の登山を邪魔しないような配慮も、普通の登山より倍以上は必要だ。

 

「ザックは軽くていい感じ。ただ肩ベルトのところがちょっと汗で蒸れるかな」

 

 ちなみにトレラン用ザックはジョギングでもめっちゃ便利。

 ダイエットや趣味レベルで走ってる人にも一つ持っておくのをおすすめします。

 

 特に、初めて走るランニングコースとか、水、携行食、地図、スマホ、お財布などを携帯しようとすると案外ポーチとかでは容量不足になるけど、ザックがあれば何とかなるし荷物の揺れも少ない。

 

 こういうのって上級者ランナー向けだよなぁって思ってる人は多いけど全然そんなことはない。むしろ初心者にこそ機材の恩恵が感じられると思う。

 

 あと、基本的に登山用ザックより安いです。

 

「あー、蒸れは確かにあるわね……」

 

「ただ、走る上でそこまで不快ってわけじゃない。どっちかというとウェアの方が問題かな。ちょっと暑い……」

 

「確かに登ってる最中は暑いのよね……でも下りは寒いのよ」

 

「うん。標高の低いスタート地点とか、登ってる途中は暑いけど、峠にいくと4度くらい下がるし風も出てくる。汗が冷えて寒い」

 

 トレイルランニングにおいては当然、汗の問題が出てくる。

 普通の登山においても無視できないが、走る方が発汗量は多い。

 また体の発熱量も大きいので、普通の登山ほど着込む必要は無い。

 

 だが着込む必要が無いからといって、低体温症に注意しなくてよい理由にはならない。

 標高の高いところに一気に上がってそこから風が汗を冷やす。

 汗、雨の水、風によって一気に体温が奪われてしまえば夏でも低体温症になりうる。

 暑すぎず、寒すぎないという適切なポイントを見極める必要がある。

 

「でもこのインナー、優秀だよ? 山を走るってもっとひどいもんだと思ってたけど、けっこう快適でびっくりしてるんだけど」

 

 ニッコウキスゲは、カピバラの用意したインナーの恩恵をしみじみと感じている。

 

 幸いだったのは、この世界においてウールの選択肢が多いことだ。

 地球の登山におけるインナーやベースレイヤーで使われる最高級品は、化学繊維ではなく天然繊維であるメリノウールだ。

 

 メリノ種と呼ばれる、顔がシュッとしててイケメン感のある羊から取れる羊毛のことである。ラッキーなことにこの世界にもメリノ種っぽい羊がいて衣類として愛用されている。

 

 その理由は、高い保温性と吸水性があるためだ。汗が流れてもすぐに生地が吸い取ってくれるので、他の生地より汗冷えしにくい。自然素材の中では速乾性も高く、吸い取った汗は乾くし匂い移りも少ない。

 

 ただ、速乾性に優れるといっても天然繊維の中だけの話で、化学繊維ほどの速乾性はない。メリノウールのインナーは真夏でも涼しく着られる類のものではあるが、汗をかきやすい人は化学繊維の方がよいというシチュエーションもある。

 

 でも、メリノウールは一回試してみてほしいところだ。メリノウールのタイツとトレッキングパンツで雪の上にそのままぺたんと座っても、「あれ? 冷たくないな?」ってなったときはちょっと感動した。

 

 あとメリノウールの靴下も最高だ。

 

 一足三千円オーバーという靴下界における覇者だが、その価格に見合った性能があると思う。インナーや手や足と言った末端部は、防寒具において軽視されがちだが、そこをちゃんと温かくすることは上着にこだわる以上の効果が発揮することがある。寒さにお悩みの人はメリノウールを買えとは言わないが一度ちょっとこだわってみてほしい。

 

 ただ、十代後半の私の肉体は、代謝がかなり激しい。10キロ以上走ったときの汗は前世の頃の私より激しいので、極薄素材にする必要がある。

 

 陸上選手みたいな化学繊維のスポーツ用ウェアやインナーがあればベストだったのだが。

 

「ウールのインナーは確かに優秀だけど、できるならウェアはもっと充実させたい。例のアレ、完成しそうなら嬉しいんだけど……とりあえずはこれで」

 

「例のアレ、マジで着るの? アレってクライミングギアと別方向で意味わかんないんだけど……」

 

 カピバラが赤面して顔を伏せた。

 

 カピバラにはウールのインナーの他に、もう一つ特殊な下着を作ってもらっている。

 

 別にいかがわしいものではない。純粋に機能性を追求したら一般人目線で変なものになっただけだ。ただ、実現できるかどうか怪しいので期待していない。

 

「マジで着る。アレを着ると世界が変わる」

 

「とりあえず大叔父様の知り合いの錬金術師に頼むことにはなったけど、期待はしないでよね……」

 

 カピバラが「期待するな」って言ってるときは、ちょっとくらいの可能性がある。

 大いに期待させてもらおう。

 

「何かわからんが、今以上の服がほしいってすげえな……。オコジョってときどき、天井知らずにワガママになるよな……」

 

 ツキノワがちょっと引きながらツッコミを入れた。

 

「そーよ、そーなのよこいつ! オコジョは『このへんでいいか』って満足しないのよ!」

 

「お嬢様の苦労がすごくわかったわ……。それに付いていける時点で凄いんだけど」

 

 そしてツキノワの言葉にカピバラがうんうんと頷き、ニッコウキスゲが苦笑する。

 まったくワガママとは失礼な。

 

「だ、だって、カピバラは作れるし! 作った方が安全かつ確実に攻略できるし!」

 

「そーだけどもうちょっと普段から感謝しろって言ってるの!」

 

「プリンあげる」

 

「プリンでごまかすな! もらうけど……」

 

 いやほんと、感謝してもしきれない。

 靴のために一緒にトレイルランしてくれる靴職人なんて世の中そうはいない。

 

「あなたたちはどう? 不満とか思ったことはない? オコジョみたいになれとは言わないけど、こういうときに遠慮して黙っていられても困るわ。思ったことを率直に言ってくれるのは助かるの」

 

「そうそう。言うべきことは遠慮なく言うのがオコジョ隊の方針」

 

「インナーの話とか男の俺が聞いてもなぁ……。むしろ今だけ退席して酒呑みに行きたいくらいなんだが」

 

「ダメ。ちゃんとした打ち合わせ」

 

「わかってるさ……あ、一つ思ったことはある。もうちょっと食べやすいメシって何かないか?」

 

「あー」

 

 トレイルランニングにおける行動食は、スポーツ用のエナジージェルが多い。

 

 人間は動いているとカロリーを消費するが、食事を消化するのにだってカロリーを使う。動いているときに食事は適さないし、仮に補給するとしたら消化が良いものがよい。

 

 登山ならば、よっこらせと腰を落ち着けて食事をすればよいが、今回はトレイルランだし、悠長に食事をしていたらスライムが寄ってくる。

 

「3時間くらいでしょ。食べなくてもなんとかなるんじゃないの?」

 

「走り切るだけならなんとかなるとは思うが、聖者オリーブの初回記録を抜くとなると失敗もできんだろ。万全を期すべきだ」

 

「それなら荷は軽い方がいいんじゃない? 食べることにこだわってお腹痛くしても本末転倒だしさ」

 

「食料の重さなんて大したもんじゃないだろ。だが確かに気にしすぎても問題か……」

 

 ニッコウキスゲの言い分も正しい。

 走ってる最中に固形食はつらい。

 せめてロードバイクだったら下ってるときに食べるくらいはできるのだが。

 あるいは吸うタイプのゼリーとかがあれば……。

 

 いや、作れるんじゃないか、これ。

 

「食べるんじゃなくて吸って飲み込むタイプの食事ならどうかな」

 

「吸って飲む? くたくたに煮たお粥みたいなの?」

 

「いや、ゼラチンで固めたゼリーとかお菓子みたいなのを緩めに作る。砂糖とか蜂蜜とか糖分を多めにして、エネルギーだけを補給する」

 

「……なるほど。ちょっと作ってみるか」

 

 ツキノワが意外なことを言い出した。

 

「え、できるの?」

 

「料理人の真似事くらいしたこともあるしな。任せろ」

 

 そういえばツキノワの過去はあまり聞いたことがない。

 ツキノワは根っからの冒険者と思っていたがそういうこともなさそうだ。

 意外に謎めいてるな。

 

「他には何か問題ある?」

 

「あんたのコンディションの問題。面倒事は他のメンバーに任せて、しっかり食べてしっかり寝な」

 

 ニッコウキスゲが受験生のお母さんみたいなことを言い出した。

 ありがとうママ。

 

 

 

 

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