「どこにでもいるつまらない女」と言われたので、誰も辿り着けない場所に行く面白い女になってみた   作:富士伸太

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裏スライム山を駆け抜けよう 3

 

 

 

 緩い下り坂を降りていく。

 

 稜線に出たので、木々の密度が減って風通しが良い。

 

 ていうか良すぎる。

 びゅうびゅうと吹く風は汗を乾かす。

 汗冷えと表現しているものはつまり気化熱の仕組みだ。

 蒸発や乾燥によって水分が飛んでいく瞬間、熱が奪われる。

 

 ちょっとした豆知識だが、濡らしたキッチンペーパーを缶ビールに巻き付け、乾燥した冷蔵庫の中に置いたり扇風機の前に置いておけばすぐに冷える。私たちは今、冷やされている缶ビールと同じだ。暑さという敵は、寒さという敵へと姿を変えてしまった。

 

 試走のときはこのあたりで一時休憩して、そしてうっかりスライムを倒しちゃったりしていた。

 

 だが今回は失敗できない。

 そのための装備も準備万端だ。

 

「背中がすっごい楽! オコジョ、これちょうだいよ!」

 

 ドライレイヤーの効果が如実に出ている。

 ザックと背中の間の蒸れが抑えられて不快感が少ない。

 下りの爽快な道の楽しさを存分に味わえる。

 

 だがこの本当の効果は、不快感の減少ではない。肌と密着したドライレイヤーの汗を上に着ている服に移すことで、肌の熱が奪われないようにすることだ。

 

「あげる! ていうか、返されても困る!」

 

「これさー、売ろうよ! 絶対売れる! 可愛いデザインのも増やして!」

 

「コルベットじいさんが怒る!」

 

「いいじゃん、やっちゃおうよ!」

 

 走り出して30分ほど経ち、走っている状態に心身ともに順応している。

 個人的には一番楽しいタイミングであり、一番危険なタイミングでもある。

 この快楽に流されたまま走り続ければハンガーノックを起こす。

 登りほどではないが、下りもまた平地より消費カロリーが大きいのだ。

 普通の登山であっても、下山中に無自覚にカロリー切れを起こして動けなくなるということは案外ある。

 

「ニッコウキスゲ、ツキノワ! そろそろジェル飲もう!」

 

「うん!」

 

「あいよ!」

 

 普通のランニングやハーフマラソンであれば、30分後に補給というのはちょっと早い。

 

 だが、ここを下りきった後はまた登りになる。心肺に負担が掛かるタイミングで固形食やジェルを食べるのは常人には難しい。鍛えに鍛え上げたアスリートにならできるかもしれないが推奨はしない。

 

 だから胃を動かせるうちに補給しておく。この後の展開でスライムに囲まれて休憩するタイミングを逸したとしても、なんとかカロリーは保持できる。

 

 普段は酸味のあるエナジージェルとかそんなに好きじゃないんだけど、ここまで体力を消費しているとびっくりするほど美味しい。

 

「オコジョ、ポール持ってるから飲んで」

 

「ありがと」

 

 トレッキングポールの欠点は、ごくシンプルに両手が塞がることだ。

 

 ただそれだけだと思われるが、ザックを降ろしたり汗を拭いたりする程度のことで思わぬロスが発生するし、思わぬロスは不注意や油断を招く。足元の段差に気付かず転倒したり、今ならスライムに襲われたり。

 

 だからごくシンプルに、補給したりレインウェアを羽織ったりするときは仲間に持ってもらう。

 

「くだりはリズムが大事。ペースを上げすぎず、逆に抑えようとしてブレーキを掛けすぎず、最適なペースを作る」

 

「わかってる、わかってる」

 

 またトレッキングポールも一歩ごとに突くのではなく、二歩ごとに突くようなリズムを刻んでもいい。登りと比べて自然とピッチが早くなるため足と同様にポールを動かすと疲労がたまるし、一歩ごとにブレーキを掛けすぎるとこれも消耗に繋がる。

 

「悪くないペースだと思うが、天気がいい。熱スライムも活性が上がってるぜ」

 

「だね」

 

 熱スライムは鉄騎スライムよりも動きが少しばかり機敏だ。

 そして彼らは日当たりのよい場所にも出てくる。

 ぽよんぽよんと可愛い動きをしているが、彼らが群れとなって追いすがってくるのはちょっとした恐怖だ。

 

 後ろをチラチラ見ながら走っているうちに、下り坂が終わって上り坂へと入ろうとしている。

 傾斜のゆるい登りだが油断はできない。

 それに走るリズム、道のリズムが変わる瞬間は転倒リスクが高まる。

 特に体重の重い人は要注意だ。

 

「ツキノワ! 大丈夫!?」

 

「キッツいわ! だがまだまだ大丈夫だ!」

 

 声にはまだ余裕がある。

 ニッコウキスゲはもっと元気そうだ。

 私はそこそこキツい。

 ゴールの見えない中盤の坂道は流石に心折れそうになる。

 

「オコジョ! 踏ん張りどころだよ!」

 

「うん!」

 

 ニッコウキスゲが励ます。

 何気ない言葉のやり取りが救いになる。

 

「……ところで、妨害はあると思う?」

 

「物理的な罠とかはないと思う。ありえるとしたら……魔物のなすりつけか?」

 

 と、ツキノワが言った。

 

「なすりつけ?」

 

「言葉通りだよ。魔物から逃げるときとか、通りすがりの冒険者になすりつけて自分だけ身の安全を確保するのさ。ま、ここでスライムに負けることはありえねえから、俺たちにスライムを倒させるって感じになるだろうが」

 

「……うーん」

 

 そこまで有効だろうか。

 

 一度や二度の失敗くらい、観客にとってはちょっとしたスパイスでもある。それに、なすりつけをした冒険者が大きく非難されるだろうし、偶然を装ったところで針のむしろだ。

 

「あるいはもっとシンプルに、事故を装ってぶつかってくるとかな」

 

「……それは怖いね。誰かにぶつかるとしたら、走ってるこちら側が悪い」

 

 こっちが注意しても当たり屋行為やあおり運転的な行為をされる可能性がある。

 となれば確実にこっちのイメージダウンだ。

 巡礼神子となるには大きな障害となるだろう。

 

「動物がいるよ、気をつけて!」

 

 ニッコウキスゲが声を上げた。

 

 視線の先ではまたタヌキとスライムが喧嘩している。だが疾駆する私たちを見て二匹とも飛び退いてくれた。邪魔してごめんね。あと喧嘩はほどほどに。

 

「もうちょっとで峠のピークだ、がんばれよ!」

 

 ツキノワが励ましの声を上げる。

 そしてその言葉通り、木々が減ってきて峠の頂上が見えた。

 

「来たぞ!」

 

「おお、本当に来た!」

 

 鉄騎スライム峠と同じように、熱スライム峠でも歓声が上がった。

 流石に中間地点でここに来るだけでも大変なので人数は小さいが、その分、熱量がある。

 ていうか見物のためにここまで来てくれるだけでも凄いしありがたい。

 箱根駅伝かな。

 

「水は大丈夫かい!」

 

「きのこ汁もあるよ!」

 

 峠の茶屋の夫婦がアグレッシヴに食事を勧めていく。

 

「ごめんきのこ汁は無理! 水だけください!」

 

「あいよっ!」

 

 ありがたく補給させてもらう。

 ミネラル豊富な天然水のさわやかな喉越しが体に染み渡っていく。

 

 

 

 

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