「どこにでもいるつまらない女」と言われたので、誰も辿り着けない場所に行く面白い女になってみた 作:富士伸太
熱スライム峠を下り切ったあたりで人影が見えた。
ただの通行人であれば良かったが、その人はへたり込んでいる。
確実にトラブルの匂いだ。
「……まずい、誰か倒れてる」
ローブにステッキという巡礼者らしい姿の少女だ。
病人か怪我人のどちらかだろう。
もしかしてこちらを妨害するための仕込みかと訝しんだが、そうでもなさそうだ。
少女は自分の足を庇っていて、どうみても演技ではない。
本気で痛がっている。
「見たことある……てか、巡礼者だ。名前は確か、ピレーネって言ったかな」
「ちょっと勘弁してよ……どーする?」
どうしよう。
まずは現状確認。
周囲にスライムはいない。
丁度、熱スライムと大スライムのテリトリーの狭間で、魔物の数は減っているようだ。
とはいえ油断はできない。
ここで悠長に立ち止まっていたらスライムは確実にやってくる。
即座に判断を下さなければならない……というか、考えるまでもなく決まっている。
悔しいが、ここは諦めどころだ。
「……怪我の状態が悪いときは、攻略を諦めて救助を優先。怪我したのは足だけ? 頭は打ってない?」
「う、うん。足だけ」
「本当に? 指何本?」
脳しんとうを起こしていないか聞いてみる。
流石に医療従事者とかではないので生兵法だが、頭の怪我が無いかだけは入念に確認した。
「いいのかい? これだけ準備に費やしたのに。攻略してから助けに来るって手もあるよ」
ニッコウキスゲが私に念を押すように確認した。
一方で、怪我をした少女はびくっと震えた。置いていかれる気配を察したのだろう。
九死に一生を得て見捨てられるのはつらかろう。
「それは思ったけど……放置はまずい」
ここは街道ではなく人通りは少ない。
私たち以外の誰かが都合良く助けてくれる保証などない。
なにより、彼女を放置したらスライムが寄ってたかってくるだろう。
一番怖いのは低体温症だ。
湿ったスライムにまとわりつかれて濡れまくって、その体に暴風が当たったら、夏でも極寒の地獄となりうる。
「そうだね。ごめん、野暮な質問だった」
「遭難者がいて、自分にしか救助できないなら、潔く諦める。人命救助の成功は登頂よりも価値がある。いや、まあ、悔しいことは悔しいけど、再チャレンジなんて幾らでもできる」
「……待った。ダメだ。チャレンジは続行だ」
ツキノワが意外なことを言い出した。
まさか見捨てるというのか……と思ったが、ツキノワの顔は真剣だ。
野心に滾った顔ではない。
「ピレーネ、お前、今、自分の魔力を把握できるか?」
「わかんない。で、でも、けっこう弱ってる……かも……」
巡礼者の少女が、おっかなびっくりに答える。
「……普通のスライムはともかく、大スライムに押しつぶされたら窒息で死ぬぞ。怪我や体力不足で魔力が弱ってたら払いのけるのも一苦労だ。それにスライムはゼリー状の体だから、何十匹と覆いかぶさってきたら、払いのけようとしても物理的に無理かもしれん」
ツキノワの残酷な指摘に、少女の顔が青ざめる。
だが少女はそれをごまかすように笑って反論した。
「え、いやいや、まさかぁ。スライムなんてすぐ倒せるじゃん。そりゃ足が痛くて動けないけど、私だってスライムに負けるほど弱くはないし」
「そうだ。だがスライムの死体が積み重なったらどうなる?」
ツキノワの懸念は私の考えているものより一歩先に行っている。
今のこの子の状況、思っていたよりヤバい。
本当に死んじゃうかも。
「……それは、まあ、ちょっと苦労するかもしれないけど」
「大スライムは普通のスライムの5倍くらいの大きさのものもいるぞ。そいつが顔の上にのっかってみろ。倒しても死体がどいてくれなきゃ意味がないんだ。底なし沼に沈むのと似たような状況になる。言っている意味がわかるな?」
スライムは弱いが、その体の性質は厄介だ。
ゼリーやわらび餅のようなもので、ぷるぷるとした体は袋などに入れないと持ち運びにくい。大量のスライムにまとわりつかれると身動きが取れなくなる恐れがある。
「ここに来るまでスライムは倒してきたか?」
「う、ううん。私も、その、真似して走ってみようかなって思って……だから、大スライム峠の方から追いかけてくるかも」
「つまり、前からも後ろからもスライムに追いかけられてるってわけだな。まずいぞ」
少しずつ、少しずつ、少女は自分の状況を自覚していく。
想像以上に自分自身の命が危ういということに。
「やっ、やだぁ……! スライム山で死ぬなんて末代までの恥よ……! やだやだ、こんなところで死にたくない……!」
「落ち着いて。あなたを生かすための作戦を考えてる。そうでしょ、ツキノワ?」
「もちろんだ」
ツキノワがしっかりと頷く。
「……今まで俺たちはスライムから逃げ続けて走ってきた。俺たちは追いつかれてもスライムを倒しちまえば問題ないかもしれないが、スライムの群れにこいつが飲み込まれたら死ぬこともありえる。それは何としても避けなきゃいけねえ」
ツキノワが、つとめて冷静に指摘する。
だがツキノワ自身が焦らないよう自分を制御しているのがわかる。
自分も、おちゃらけた魔物と心のどこかで侮っていた。
この場所、この瞬間が、私たちの核心部だ。
「スライムを魔法で一掃するとか、できる?」
ニッコウキスゲをちらりと見る。
だがニッコウキスゲは、開き直ったような笑みを浮かべた。
「14キロくらい爆走してる体力で広範囲をぶっ飛ばす魔法を撃ったら、あたしが倒れる。スライムの総数がどれだけいるかわからないから、今すぐやるのはおすすめはしない」
「ごめん。やめとこう」
「謝らなくていいよ。最後の手段としては有効だからね。ここぞってタイミングなら迷わないよ」
人間の体の内に秘めた魔力は、体力と密接な関係にある。
ここまで走り切ってガス欠寸前の人間を酷使するのが間違いだった。
「最後はニッコウキスゲ頼みだな。だから、それまでは俺がこいつを背負って走る。お前らはとにかく先を目指して無殺生攻略を成功させるんだ。スライムが消えれば何も怖いことはなくなる」
「ツキノワ」
「リーダー。俺にやらせてくれ。ここは俺に任せて、お前らは先を急ぐ。どうだ?」
ツキノワの提案に、ニッコウキスゲが尊敬の眼差しをする。
こいつやるじゃないかという誇らしさを私も感じる。
「却下」
だけどダメです。
「えっ」
「な、なんでだよ!」
ニッコウキスゲとツキノワが驚いて私の顔を見た。
いい提案だと私も思うけど反論もある。
「怪我人と救助者のペアが孤立する状態はよくない。その状態で走って転倒でもして二重遭難することだってありえる」
「その前にお前らが攻略してくれたらいいんだよ! 道は整備されてる! 難しいことじゃねえ!」
「そもそも山を走るということが大きなリスクってことはいつも心に留めておいて。簡単な山だからこそ本格的に難しい山と同じ心構えが必要。ここがタタラ山だったら同じようにする?」
ツキノワの表情に、明らかな迷いが浮かび上がった。
「そっ……それはそうだけどよぉ! だったらどうする!? もうすぐスライムに追いつかれるぞ! 間抜けな足音が聞こえるだろ!」
「……トレッキングポールとレインウェアを出して。担架を作ってみんなでこの子を運ぶ。もちろん、スライムに追いつかれないように」
えっ、という声がピレーネから漏れた。
「い、いいってば! そんなに真面目にやることないよ……! あ、そうだ、その杖貸してよ! ダメならそのへんに落ちてる木の棒を拾ってきてくれるだけでもいいから、それなら私一人でなんとか歩けるから……! お礼はなんでもする!」
「あなたの意見は聞いてない。あなたが考えるべきは自分の命のことと、パニックになってる自分を落ち着かせること。深呼吸100回して」
「え」
ピレーネは私の圧に負けて、やむなく深呼吸を始めた。よし。
怪我人に弱気になられては困るしパニックになっても困る。
「で、担架は……そうそう。レインパンツにポールを通しておく。あとシートもかぶせて紐で結んでおこう。あと、もう使わない荷物は全部ここに置いてく」
トレッキングポールの使い道は色々ある。
レインウェアやザックを繋いで担架にして怪我人を搬送することもできる。
また、登山テントや、ツェルトという緊急テントを使う場合でも、ポールを使う前提のものもけっこうありふれている。
ただ、軽さや持ち運びやすさを重視している以上、どうしても強度が犠牲になる。
しかも本来想定していない使い方で酷使するわけで、これが終わったら捨てるしかないかも。
ポールを作ってくれたクライドおじいさんに内心でわびつつ、担架の組み立てを終えた。
「オコジョ、ロープワークやたら上手いね……
「ふふん。レスキューするにもクライミングするにもロープワークは基本」
そうこうするうちに、ぽよんぽよんと間の抜けた音がどんどん近付いてきた。
スライムの足音だ。
いや、足がないから足音とは言えないかもしれないが。
「担架の接続ヨシ! 怪我人の呼吸と意識ヨシ!」
「ここでもヨシってやんのかよ! わかった、準備ヨシ!」
こうして私たちは駆けだした。
すべてを成功させるための道を。