「どこにでもいるつまらない女」と言われたので、誰も辿り着けない場所に行く面白い女になってみた   作:富士伸太

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タタラ山に登って温泉付き山小屋に泊まろう 5

 

 

 

「ちょっと! どこが楽勝なのよ!」

 

 荒い息を吐きながら、マーガレットの文句が響き渡る。

 

「楽勝と言ったのはあなた」

「わたしはね! 道なら楽勝って言ったのよ! これ、道じゃないわよ! 崖って言うのよ!」

「崖というほど急じゃない。斜度は30度くらい。多分」

 

 などとマーガレットを煽りつつも、30度というのは実際に歩いてみると想像以上にキツい。

 自転車レースで言うところの激坂を超えている。

 しかも、山頂に近付けば近づくほどもっと急になっていく。

 

「そんなの嘘よ……絶対45度とかあるでしょ……」

「残念ながら、それはない」

「あるって! それに足元も悪いし!」

「そこはごめん。地図見てガレ場と思ったけど、ザレ場だった」

 

 ザレ場とは、たくさんの小石が広がっている場所だ。

 ガレ場よりも足を取られて転倒しやすい。

 また、今回私たちは登山靴のおかげでなんともないが、くるぶしが出ているスニーカーなどを履いていると小石が入り込んできて痛いし不愉快だ。登山靴を作ってくれたマーガレットには本当に感謝している。

 

 だがマーガレットはそれどころじゃないようだ。

 年頃の女の子がしてはいけない表情でぜいぜいはぁはぁと荒い息を吐いている。

 

「大丈夫。もうちょっと」

「わたしわかった。あんたの『もうちょっと』は信用できない」

 

 マーガレットもわかってしまったようだ。

 

 関西人の「行けたら行く」と、山人(やまんちゅ)の「あとちょっと」は信用できないということに。

 

 いや、本当にあとちょっとなのだ。

 でも「あとちょっと」と言うポイントが一番キツい場所なので「嘘でしょ!」と思われてしまう。

 私もこれを言われて嘘吐くなって思ったけど、気付いたら言う側になっていた。

 

 さらに悪いことに、風が強くなり霧も出てきた。

 暴風というほどではないが、歩きにくさを感じるくらいには強い。

 声も、相手に伝わるように意図的に張り上げなければいけない。

 

「マーガレット! 歩き方を変えよう」

 

「歩き方って、何するのよ……。手をついて猫みたいに登るの?」

 

「もっと傾斜のキツい山ならそれが正解」

 

「本気で答えないでよ」

 

「ジグザグに歩こう。坂に対して直進するからつらく感じる」

 

 坂をまっすぐ登らずに斜めに進めば、体感としての斜度は低くなる。

 足を大きく上げることなく、一歩一歩、転倒のリスクを下げて歩くことができる。

 日本の峠道がうねうねしてるのも、斜度を抑えるためだ。

 

 ただしデメリットもある。

 ジグザグに歩く分だけ歩行距離は長くなる。

 

「う、うーん……そっちの方が安全そうね」

 

 マーガレットはすぐにメリットとデメリットに気付いて悩んだ。

 

 だが最終的に同意した。転倒を怖がりながら歩くよりも、安全に行った方が最終的な体力の消耗は防げると思ったのだろう。

 

「トレッキングポールに頼りすぎない。坂道だと頼りたくなるのもわかるけど」

 

「体重を預けすぎると転ぶってことでしょ。わかってる」

 

「正解」

 

 水を一口飲み、深く息をすって、大きく吐く。

 

 5分歩いては、1分休む。

 

 4分歩いては、1分休む。

 

 10歩進むごとに息を整える。

 

「がんばれ、マーガレット」

 

「うん」

 

 私は転生前の記憶を取り戻すと同時に、なぜか体力や身体能力が上がった。

 体が記憶に追いつこうとしているんだと思う。

 だがそれでも私の全盛期にはまだまだ遠い。

 

 つまり、私もちょっとキツい。

 

 マーガレットにもザックを持たせているが、重いものは基本的に私のザックに入れている。

 非常食など多めに持ってきており、実質二人分の荷物が私の背中にある。

 それでもマーガレットを導かなければという義務感が私の足を動かし、私の頭を冷静にさせる。

 

「マーガレット、背中を丸めすぎない」

 

「わかった」

 

 マーガレットは息も絶え絶えといった様子だ。

 それでも足を止めはしない。

 意地と根性で歩いている。

 

「マーガレット。大きめの石がある。避けて」

 

「わかってるって」

 

 この世界の人間は、けっこう体力がある。

 

 だが不思議と、自分が虚弱だと思っている人が多い。自宅から駅まで10~20分を歩き、地下深くまで上り下りして電車に乗り、更に会社や学校まで10~20分を歩いて通勤通学する都会人のように。

 

 マーガレットはその典型だ。常日頃の送り迎えは馬車。綺麗な装いをして、庶民から羨ましがられる生活をしているが、それでもやらなければならない労役や仕事は多い。

 

 その中でもっとも大変なのは社交だ。

 

 エスカレーターのない広い宮殿を移動して挨拶を交わし、ダンスを披露する。そして騎士団長である父親が出席する式典は長時間に及び、苦しい表情を浮かべることは許されない。

 

 普通の来賓よりも休憩できる時間は遥かに少ないのに、苦しい顔をひた隠しにしなければいけない。「自分は恵まれていて、守られている側なのだから」という自認が自信を削り取る。

 

 マーガレットのような貴族令嬢の人生の中で、自由は少ない。

 

 仮に自由が与えられるとしても、それはたまたま親の意向やご機嫌と合致しているときだけで、そうでなければ許されることはとても少ない。

 

 彼女がその不自由さに絶望しても、「これは庇護の代償である」と自分を説得しながら長い人生を生きることだろう。

 

 没落したがゆえに自由を得られた私は、例外中の例外だ。

 

「マーガレット。靴職人のおじいさん、いい人だと思う」

 

「うるさい! 大叔父様が優しいなんて、わかってるわよ!」

 

 マーガレットの大声が、私たち以外だれもいない山肌に響く。

 

「親戚なんだ。……でも、騎士じゃなくて、職人なの?」

 

「あの人は、お祖父様の弟で……。戦うのは苦手で……物を作る方が好きで……。一族の仕事を優先したり、一族の女に技術を教えるのを条件に……家を出て、靴職人になったの」

 

「そっか」

 

「でも、ただ技術を教えるだけじゃなくて……子供の頃からわたしや妹の面倒を見てくれて……」

 

 そこでマーガレットの言葉が止まった。

 すぅ、はぁと、大きな呼吸をしている。次なる言葉を吐き出すために。

 そして息が整ったところで、振り向かずに叫んだ。

 

「……っていうか、なんでこんなこと話さなきゃいけないのよ!」

 

「マーガレットの口から聞きたいと思った。深い理由はない」

 

「あんた、わたしのなんなのよ! 詫びをしろっていうならするわよ! それとも、こんなイザコザがあったのに大好きな友達だとでも言うつもり!? それとも大叔父様みたいに何かお小言でも言ってくれるっていうの!?」

 

「マーガレット。私はあなたに怒ってる。そういうところ嫌いだなって思った」

 

「そりゃそ-でしょうね! どーぞ、お嫌いになってくださるかしら!」

 

「勘違いしないで。ケヴィンの話じゃない。あなたは靴を作ってくれた。だからそんな過去のことなんてどうでもいい。忘れた」

 

「……え?」

 

「あなたが、あなたを尊重する人の言葉を軽んじているから。あなたを軽んじてる人を怖がって、優しい人の言葉を拒否するから。それが許せなくてここまで来た。友達と思ってなかったらこんなところまで来てない」

 

 マーガレットから、文句が来ない。

 私は、ただ黙々と歩く背中に呼びかける。

 

「あなたがいないとき、靴職人のおじいさんのところに行った。靴の設計のことで相談するつもりだった」

 

「……わたしが窓口なんだから勝手なことしないでよ……。あんたはわたしに依頼したんでしょ」

 

 マーガレットが私を非難する。

 だがそこに先ほどの怒声の勢いはなかった。

 

「おじいさんは、あなたのことで私に謝ってきた。びっくりするぐらい丁寧に」

 

「……なんでよ……バカね……。わたしが悪いのよ……大叔父様は関係ないじゃない」

 

「私の目から見て、あなたの親がやるべきことをやったのは靴職人のおじいさんだった。そんな人が、あなたのためにこの靴を作った」

 

「だから……そんなの、わかってるわよ……。感謝しきれないくらい感謝してるに決まってるじゃない……!」

 

 この先の長い人生、不自由さを嘆いたとき、どうか思い出してほしい。

 一歩を踏み出せばどこへだって行けるということを。

 その一歩を守ってくれる人がいるということを。

 

「マーガレット、マーガレット!」

 

「わたしも、あなたのこと、なんかもう友達だって思ってるわよ……嫌いじゃないわよ……!」

 

「マーガレット、ありがとう。でもそうじゃなくて」

 

「待って……山頂についたら到着したら話はいくらでも聞くから……。ちょっと深呼吸する……」

 

「もう、ついたよ」

 

「へ?」

 

 山頂が近くなると傾斜がキツくなり、転倒しやすくなる。

 背中が丸まって、顔を上げる余裕もなくなり、足元ばかりを見て、前を見ようとしなくなる。

 すると、ひどく馬鹿げたことが起こる。

 

 山頂に到着したのに、言われるまで気付かないのだ。

 

「あっ……ああっ……!」

 

 私たちの眼前には、大きな大きなすり鉢状の大きな穴がある。

 この山の火口だ。

 

 火口の周囲には空があり、自分たちの足元より低い場所に、ちらほらと雲がいくつか漂っている。

 

 そして頭の真上にも小さな雲があった。

 いや、正確には頭上にあったというより、頭上へ移動したのだ。

 私たちが山頂方向に歩いてるときの霧こそがこの雲であり、雲が去ったことで青空が見えている。

 

「あ、そっか……今……私たち……雲の中に入ってたってこと?」

 

「うん。よくある」

 

「よくあるんだ」

 

「すごい」

 

「うん、すごい」

 

 マーガレットが笑った。

 

 誰に憚ることもない大声で、自由に。

 

「やったぁー! あーっはっはっはっは! ここまで来たんだ! 来ちゃったんだ!」

 

「ほら、楽勝だった」

 

「死ぬほど大変だったわよ!」

 

「楽勝と言ったのはあなた」

 

「そんな過去の話、忘れたわ!」

 

 恥ずかしがるマーガレットが妙に面白く、私も笑った。

 

 しばらく、私たちの笑い声が山頂に響き渡った。

 

 

 

 

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