「どこにでもいるつまらない女」と言われたので、誰も辿り着けない場所に行く面白い女になってみた   作:富士伸太

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シュガートライデントを登ろう 1

 

 

 

 土地には境界線という不可視のものがある。

 

 それらすべて人が作り上げたものだ。国境であり、土地所有の境界であり、「ここからは俺たちの領土だぜ」と示すものである。

 

 いや、線という概念自体が人工のものと言えるだろう。色と色の境目や細長い見た目のものを勝手に人間が「線」と認識しているだけで、自然界に線そのものは存在しない。森や山に住む獣もナワバリを主張することはあるが、二次元的な線の意識はあまりないだろう。それらは匂いや音、樹木などを利用した、立体的で有機的なものだ。

 

 では精霊はどうなのだろうか。

 

 大地の精霊も獣のような感覚で自分の住む領域を把握している。あるいは山や土地そのものが精霊であるので、人間も獣も、彼らの体の上を散策しているようなものだ……という説もある。

 

 だがシュガートライデントの邪精霊の土地の感覚は、もしかしたら人間に近いのかもしれない。

 

「すげえ……境界線がはっきり見える」

 

 馬車から景色を眺めるツキノワの言葉に、皆が頷いた。

 今の時期は夏真っ盛り。

 だというのに、道の途中で唐突に夏が終わるポイントがある。

 その境界線の内側は、まさしく銀世界だ。

 

「ここから先がシュガートライデント。極光峰、氷菓峰、凍刃峰の三座からなる、冬の精霊が支配する神秘の山々。かつて堕天のアローグスもここで修行を積み、飛翔魔法に開眼したと言われている」

「なるほどな。親族と言えども厳しく審査するわけだ」

 

 ツキノワが緊張の面持ちで私の話を聞いていた。

 伯父様の審査は実際厳しかった。そこそこ余裕を取っていたが、それでも「もう少し時間の余裕を取りなさい」という指摘を食らってしまっている。ただ、装備についてはむしろお褒めの言葉を頂いていた。えへん。

 

「ちなみに境界線のすぐ近くは観光スポット。ほら、あっちの森の方だと子供たちが雪合戦したりそり遊びしてる。大人は斜面でスキーしてる」

 

 私が指を指した方向には、ログハウスと森、そして遊んでいる観光客がいた。

 

 今年も賑わっているようで何よりだ。昔、疫病が流行ったり飢饉が起きたりして家というか領地まるごと大ピンチに陥ってしまったが、伯母様の発案で観光資源を有効活用しようということになった。今ではそこそこの稼ぎが出ているらしい。

 

 とはいえ外貨を獲得できたとしても土地が痩せていて税収は少なく、全体としてそこまで裕福ではない。もうちょっとで貧乏貴族脱出っていうところだろうか。

 

「……一気に牧歌的になったな」

「ちょっと楽しそう」

 

 ツキノワとカピバラから緊張がほどけ、面白そうに観光客を眺めている。

 だがニッコウキスゲは少々複雑な表情をしたままだ。

 

「ニッコウキスゲは雪、嫌い?」

「見る分には嫌いじゃないけど怖い思い出もあるんだよね……。仕事で雪洞を作らされたり、食べ物の確保で死にそうになったり。倒れたやつも悲惨な目に遭ってたし」

 

 ニッコウキスゲが無意識に鼻を手で抑えた。

 鼻や頬、手足の指先などの末端部位は凍傷でやられやすい。

 そうなった人間を見てきたのだろう。

 

「うっ、それはキツそう……」

 

 騎士として戦争に行ったこともあるニッコウキスゲの言葉は重い。

 私などよりも遥かに雪や寒さの恐ろしさを知っている。

 

「でもそういうのって装備とか食料とか、あるいは計画とか、計画が失敗したときのプランBとか、ないない尽くしだからって理由が大きいのさ。今回は準備万端だし、何より雪崩が起きないからよかったよ」

 

 ここ、シュガートライデントが雪山初心者向けの山である理由はいくつかある。

 聖地であるために土地が安定しているためだ。

 その安定とは落石が減るだけではない。

 雪崩も減ることを意味する。

 

 もとより斜面の角度が緩やかで雪崩が起きにくい地形であるために、雪崩リスクはほぼゼロだと言ってもよいだろう。

 

「そうだね。だからここでの注意はまずは寒さに耐えること。それと、暑さにも機を払うこと」

「……暑さ?」

 

 ニッコウキスゲが、不思議そうに尋ねた。

 

「うん。まあ、歩いていればわかる。ログハウスのあたりに馬をつなげる(うまや)がある。あそこで着替えたり準備をしよう」

「ちょっとオコジョ、教えてよ」

「秘密」

「いや秘密にするところじゃないでしょ!」

 

 ニッコウキスゲの文句を背中に受けながら、私たちは砂糖菓子のような真っ白い世界へと入っていく。

 

 

 

 

 

 

 私たちはログハウスで荷を降ろして冬用の装備に着替え、共用のテーブルの一つに陣取った。

 

 上着は、裏スライム山を走ったときに着たドライレイヤーを着て、その上にウールのシャツ。

 更にその上に起毛の上着。

 そして最後に冬用のジャケットだ。

 地球で言うところのハードシェルというものに寄せて作ってもらった。

 

 素材としてはレインジャケットとあまり変わらないが、より頑丈に作られている。

 また、体温調節がしやすいように脇の下などにチャックがついていて、外部に湿気を逃がす機構が取り付けられている。

 

 下半身も上半身と同様に重ね着だ。ウールタイツの上にロングパンツ、そしてハードシェルのロングパンツという三つを重ね着している。

 

 他にもヘルメットや、マフラーのように首を覆うネックゲイター、ゴーグル、洋風かんじきのスノーシューなどなど、他にも色々と冬用装備を持ってきているが、もっとも重要なのはクライドおじいさんとコルベット伯爵が作った冬用登山靴だろう。

 

 他の観光客から、「なんか凄そうな服着てるな」とちらちら見られてる。

 ふふふ、プロ仕様です。

 

「靴はかなりがっしりしてるね。分厚い感じ?」

「そう。保温材として熱スライムを利用している」

 

 熱スライムは熱を溜め込んで逃がさないという性質がある。

 炎天下でひなたぼっこしている熱スライムにうっかり指を入れると火傷する、なんてことがある。

 その性質を、登山靴の保温材として使ったのだ。

 氷点下を下回る気温の中で雪の上を歩き続けるには、こうした寒冷地用の靴がなければ厳しい。

 

「あと、いつも使ってる登山靴よりも高さがあるのかな?」

 

「うん。更にここにゲイターを巻いて靴の中に雪が入らないようにする。靴の中に雪が入るのはダメ」

 

「なるほどね」

 

 ゲイターは、足首から膝下までを保護する防水性のカバーのことだ。

 雨の日やぬかるみを歩くときもけっこう便利です。

 

「ザックよし。中身よし。ポールよし。それとスノーシューは、外に出たら付けよう。あとは山行計画の最終確認」

 

「って言ってもシンプルなもんだけどな。まず一番近場の山頂、氷菓峰をピストンする。山頂まで2時間半、戻ってくるのに1時間半の4時間ってところか」

 

 ツキノワが地図を見ながら言った。

 

「うん。氷菓峰は大した標高じゃないし斜度も緩い。簡単なところで装備の最終確認を兼ねて登る。途中、他の峰にいく分岐点のところに避難小屋があるから、疲れたときや何かあったときはそこで休憩」

 

「雪山だから心配してたけど、氷菓峰は何とかなりそうね。問題は他の峰だけど……」

 

 カピバラが、安心半分、不安半分といった調子で話した。

 

「峰から峰に行くのが近道。でも稜線歩きは聖地と言えどもちょっと怖いかな。ここは氷菓峰の山頂から他の峰に繋がるルートを確認しながら再検討しよう。あと雪崩が本当に起きないかの試験とかもしておきたいし」

 

「オコジョもニッコウキスゲも、そこにこだわるよな。重要だってのはわかるんだが、聖地だから起きねえさ。数百年の間、一回も起きたことはないんだろ?」

 

「ただ、邪精霊がどういう悪さをするかわからないし、警戒しておくのは正解さ」

 

「うーむ、それもそうか」

 

 ツキノワはそう言いつつも、ちょっと納得いっていないところがありそうだ。

 あえて頑張って反論するほどでもないと言うだけで。

 

「万が一が怖いってのもあるけど、天魔峰を想定しておきたいって理由もあるかな」

 

 私がそう言うと、皆の表情に緊張が走った。

 

 ここは、最終目標のための前哨戦なのだ。

 

「あ、でも雪山を歩くのは普通に楽しいから、そこは楽しもう。慣れてきたらスキーもやろう」

「締まらないこと言うわね、まったく」

「そのくらいが丁度良い。大自然を楽しんでいこう」

 

 カピバラが呆れながらも笑った。

 ニッコウキスゲもツキノワも、グッジョブとばかりに親指を立てる。

 

 こうして私たちは、初めての雪山登山を開始した。

 

 

 

 

 

 

 雪の上を歩くのは、怖いが楽しい。

 

 ふかふかとした新雪の上をスノーシューで歩くのは普通の登山では味わえない感覚がある。

 同時に、感触以外にも意外な感覚に襲われる。

 

「なあオコジョ、ちょっと素人質問していいか?」

「それ上級者が言う質問だと思うけど、どうぞツキノワ」

「なんつーか……意外に、暑くねえ?」

 

 ツキノワが汗を拭きながら言った。

 

 そう。快晴の日の雪山は案外暑いのだ。

 

 

 

 

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