「どこにでもいるつまらない女」と言われたので、誰も辿り着けない場所に行く面白い女になってみた   作:富士伸太

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雪崩対策を覚えよう

 

 

 

 登山者の朝は早い。

 ていうか早すぎる。

 

「朝四時半、ってところかな」

「やっぱ寒いね……火を入れとこっか」

 

 早朝に起き出して、同じく目を覚ましたニッコウキスゲと共に外の様子を伺う。

 

 そこにあったのは、耳が痛くなるほどにしんと静まり返った雪山の景色だ。

 

 雪は細やかな音を吸収する一方で、光を反射する。夜は星空の灯りを照り返し、早朝はわずかな太陽光だけで山の全貌や細やかな地形の姿を晒す。無音でありながら無明とは正反対の、摩訶不思議な世界だ。

 

「ふぁーあ、ねむ……」

 

 カピバラがシュラフからもぞもぞと身を捩りながら起きる。

 寝てる間に済ませようかと思ったが、起こしてしまったようだ。

 

「ごめん。起こした?」

「別にいいわよ。朝ご飯も食べたかったし、見送りくらいするわ……ふぁーあ」

 

 会話を察してツキノワも目を覚ましたが、「もうちょっと寝ようぜ」と二度寝しそうになった。

 

「こら、起きろってば」

「わかったわかった。冗談だよ。朝飯にしようぜ」

 

 四人とも目を覚ましたところで再び暖炉に火を入れ、温かい粥を食べることにした。

 粥はお米と雑穀を合わせ、塩やスパイスで味を調えたシンプルなものだ。

 ちょっと寂しい食事に見えるが栄養価はしっかり摂れている。たぶん。

 

「上の方ではスノーシューからアイゼンに履き替えたほうがよいかも。あと、今のところ無風だけど、風が出てきたら顔をちゃんと守って素肌を出さない。無自覚に凍傷とかありえるし」

 

 皆も普通に食べながら私の話に頷いてくれる。

 不味くはなさそうだ。よかった。

 

「とりあえず、今日は山頂のアタックだけだね?」

「うん。氷菓峰から他のピークの様子を観察して、今日はそれでおしまい。もし全然異常がなかったらカピバラも行ってみる?」

「うーん、見てみたいといえば見てみたいけど……面倒くさい。時間と相談かしらね」

 

 カピバラが半分乗り気、半分おっくうといった表情を浮かべた。

 

「だね。無理せず、状況判断しながらやろう」

「そういえば、その重そうな荷物ももってくわけ?」

「重そうな荷物?」

「スコップとプローブとかいう棒よ。聖地だし、流石に雪崩は流石に起きないんじゃないの」

 

 雪山の装備としていろんなものを用意したが、カピバラが「もってくの面倒くさい」と思っているものがスコップだ。あるいはスノーショベルとも呼ばれる。

 

 さらに雪崩対策の道具として、プローブと呼ばれる伸縮機能のついた細長い棒と、所有者同士の位置を把握するビーコンという電子機器が加わる。

 

 流石にビーコンの説明はしなかった。この世界にないし。その代わりに私は「精霊様に頼んで大まかな位置を把握して、プローブを雪の中につっこんで確かめて、スコップで掘り出す」という魔法を組み合わせた対策を考え、話していた。

 

「……小屋を出て稜線に出るまでの道、急斜面の横をすり抜ける形になるからちょっと怖い。雪崩が起きやすそうな雰囲気」

「雰囲気でわかるもんなの?」

「一応、雪崩が起きやすい地形とか、雪崩が起きる角度っていうのがある」

「へぇー」

 

 雪崩は、斜度が30度から45度の範囲で発生しやすい。

 特に38度から40度の間の角度だともっとも危険と言われている。

 他にも、硬い圧雪の上に軽い雪が乗っかっている「弱層」の有無、気温、風の強さなど様々な要素があるが、まず見るべきは斜度だ。

 

 そしてもし雪崩事故が起きたときは、スコップとプローブの出番だ。

 十五分以内に埋没者を救助できたならば生存の可能性は大きく上がる。

 

 ……と、雪崩対策について色々と説明すると、カピバラが妙にいぶかしげな目で私を見ていた。

 

「ん? なんか疑問ある?」

「あるっていうか……前からずっと思ってたんだけど……あんたの知識って堕天のアローグスからもらっただけじゃ説明つかなくない?」

 

 ぎくっ。

 

「それはあたしも思った」

「俺としてはツッコミ入れて良いところなのか迷ってた」

 

 ぎくぎくっ。

 

「あんたの実家に色々と秘密が伝わってるんじゃないの? アローグス様の記録だけじゃなくて、今までの歴代の巡礼者や登山者の秘密とか」

「家族の人も妙に山に慣れてる雰囲気があったしね」

「俺たちより巡礼してそうなベテランの空気感がある」

 

 あ、そっちか。

 確かに登山者の秘密を持っているのは事実ではあるが、そっちじゃない。

 ただ、本当のことを話しても信じてもらうのが難しいものではあるんだよね……。

 どう説明したものやら。

 そもそも説明すべきなのかどうなのか。

 

「……ごめん。ちょっと説明が難しい」

 

 私は、重大な秘密を持ったまま色々と付き合わせることに申し訳無さを感じ始めていた。

 

 冒険者に守られて山に登るということは、命を預け、そして預かることに等しい。

 もちろん冒険者と巡礼者の関係だからといって何もかも打ち明ける必要はないしニッコウキスゲやツキノワ、そしてカピバラも、私に話していない何らかの秘密はあるだろう。

 

 だがこれは、巡礼そのものに関わる秘密でもある。

 話すべきとも思うし、変に混乱させるべきではないと思う。

 

「あ、聞きたいとかじゃないわよ、あんたはあんたなりに守らなきゃいけないものだろうし。でもあんた、何かの拍子にポロっとバラしそうだから怖いわよ」

「わかる」

「オコジョ、脇が甘いよな」

「あ、甘くないし。パーフェクトだし」

 

 反論しながら、私は思った。

 どうするべきか、という考えはちょっとズレている。

 

 一番大事なのは、私が秘密にしたいか、打ち明けたいか、そのどちらかだ。

 

 話すことは恐ろしく、話さないことも恐ろしい。

 話したいとも思うし、話したくないとも思う。

 

「……ぶっちゃけ、絶対に秘密にしなきゃいけないわけじゃない」

「そうなの?」

「うん。だからいずれ、みんなには聞いてほしい」

 

 私がカピバラの問いかけに頷くと、皆、どこか満足そうな顔を浮かべた。

 

「でもまずは、今日の目標を着実に達成しよう。みんな、ご安全に」

「あんたその挨拶好きよね。ご安全に」

 

 こうして一日が始まった。

 

 

 山小屋のすぐ近くから、落ち着いた足取りで歩いていく三人の背中を見る。

 ぎゅっ、ぎゅっという雪を踏みしめる音も、少しずつ遠くなるのをカピバラは感じた。

 と、思いきや3人は立ち止まってスコップで雪を掘ってそれを崩したり、何やら妙なことをしている。

 ずいぶんのんびりですこと、と思いながらカピバラは大きなあくびをした。

 

「ふぁーあ……もう一眠りしようかしらね。小屋から離れるのもよくないし」

 

 あるいは雪だるまでも作ろうかと童心に返りたくなるが、あまり一人でうろうろするのも良くない。静かに本でも読みながら待っているのがよいだろうかと考えていたとき、一つ思いついたことがあった。

 

「あ、そうだ。水を作っておこうかしら」

 

 雪が降り積もった状態の雪山は、水に困らない。

 当然、雪が解ければ水になるからだ。

 

 ただしそれが衛生的かどうかはわからない。雪の表面にはチリやホコリがある。また、動物が多い山は糞尿が混ざってないか注意を払う必要がある。

 

 だから、まるで果物の皮を剥くかのように雪の中の雪……つまり「汚れていない雪」を取り出して使う必要がある。

 

 以上が、オコジョから聞いた雪山での水の作り方であった。

 

「動物はあんまりいないから心配ないって言ってたけど、まあ、念の為に……」

 

 カピバラはスコップを使って積もった雪をかき出して、一切空気にも地面にも触れていない部分の雪を取り出す。

 

「普通、スコップはこういうことに使うものよね。いくらなんでも人間を掘り起こすとか無理よ」

 

 そう思いながら、カピバラは山の斜面を歩いているはずの三人の姿を見た。

 

 上の方が少しばかり急斜面になっているが、三人が歩いている場所はなだらかだ。

 まるで氷の菓子を匙ですくい取ったような、不思議な形の場所だ。

 丸い形をしているわけでもないのに氷菓峰という名が不思議だったが、こういう意味だったのかとカピバラはしみじみと納得していた。

 

「……あれ?」

 

 三人のザックが小さく見える。

 その上の方で、何かが光るのが見えた。

 魔法の光だ。

 

 だがこんなところで使う魔法などあるだろうかとカピバラは訝しんだ。

 

 魔物はいないし、邪精霊もさほど強力な存在ではないはずだ。

 

 ではなぜ?

 

「あっ」

 

 その疑問の答えは、最悪の形でもたらされた。

 

 雪面に、真横の亀裂が入る。

 それも複数だ。

 なだらかで艶やかな雪面が、まるで魚の鱗のようにざらついた雰囲気を放つ。

 だがそれもすぐに崩壊した。

 

 幼い頃にパンのこね方や焼き方を習っていたとき、小麦粉の袋をうっかり倒してしまって母に叱られたのを思い出した。純白の粉が重力に抗えず、白い煙を立てながらざばざばと床に落ちていく悲しい光景がカピバラの脳裏をよぎった。

 

 それが今、何千、何万倍というスケールで、起きている。

 

「あっ……ああ、あぁ……」

 

 雪面が落ち着くまでの数秒のことが果てしなく長い時間に思えた。

 だがそれは始まりでしかない。

 カピバラにとっての本当の恐怖の。

 

「うそ………でしょ…………? ……みんな……どこ…………?」

 

 雪崩の埋没者は15分以内に救助できれば、生存確率は上がる。

 それは希望の言葉ではない。

 立ち尽くすカピバラにとっては、刻一刻と忍び寄る死神の懐中時計だ。

 

 少女の孤独な戦いが、始まった。

 

 

 

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