「どこにでもいるつまらない女」と言われたので、誰も辿り着けない場所に行く面白い女になってみた   作:富士伸太

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※今日はここまで。
※明日の9/25に1巻発売予定です。素敵な本にできあがったので、手に取ってもらえると嬉しいです。
※ちなみに「オコジョ&カピバラ」のブランドロゴとか描いてもらいました。
https://x.com/U87dUIT4yo/status/1838549669548560642


雪崩の埋没者を救助せよ 2

 

 

 

 回復魔法は病人に厳しく、怪我人に優しい。

 

 切り傷や火傷を治したり、折れた骨をくっつけることは魔力を代償にすることで叶う。手足を切断するような大事故であっても、完全に傷が塞がる前であれば一瞬で繋げ直して完全回復することも不可能ではない。怪我との戦いこそが、回復魔法の発展の歴史だ。

 

 一方で、病魔を祓うことは難しい。病魔と闘ってきた術士であればウイルスだけを都合よく殺すことはできるが、癌細胞だけを取り払って正常な細胞を増やすとか、免疫などの体の機能の誤作動を正常に戻すことは魔法では不可能に近い。先天的な体質に由来する病気も、ほぼ手も足も出ない。

 

 体に巣食う別の生き物を殺したり、本人の治癒力をある程度高めることはできても、医学としての治療は地球に比べると劣っている。

 

 しかるに、空気が欠乏している患者に対してはどうなのか。

 

「魔法を使って回復させるわ」

 

【さりとて、回復魔法は直接触れねばならんだろう】

 

 低酸素状態を回復させる魔法は、ある。

 

 魔法ではどうにもできない病魔があるように、現代医療では手が届かないところに、魔法はほんの少しだけ届く。心肺停止状態となって10分を超えた状態から、後遺症のない状態までに回復させることができる。

 

 酸素が足りていない状況が変化するわけではないので一刻も早く救出しなければならないことには変わりないが、それでも、万金にも代えがたい猶予であった。

 

「指先だけでも触れられたらそれでいいわ。時間を稼ぐ」

 

【それにしても時間はかかる。誰かは死ぬかもしれぬ】

 

「わかってるっ……! でもそれが一番速いのよ!」

 

【愚か者。もっと良い案があると言うておる】

 

「え?」

 

【回復魔法は触れねば伝わぬ。ならばおぬしの手を取り、我が手を伸ばせばよい】

 

 邪精霊が、カピバラに手を伸ばした。

 その意味は明白であった。

 魔法の射程距離を伸ばすという、ほんの少しの軌跡が起きる。

 

「……できるの?」

 

【対価はもらうぞ。祈りを捧げよ】

 

「幾らほしいのよ!」

 

【30日もあればよかろう】

 

「30日! 捧げる! 私の魔法を、みんなに届けて!」

 

【うむ……願いを叶えてしんぜよう】

 

 邪精霊はそう言い残して、カピバラの手を取った状態で雪の中に消えていった。体をゴムのように伸ばして、雪の中にいる三人とカピバラを繋ぐ魔力のケーブルのような状態になったのだ。

 

「常に隣にありながら遠くにありし大いなる空よ。そなたと別れ死を待つのみ哀れな肉体と魂に、今ひとときだけ尊き姿を現し、風の恵みを届けよ……【神の息吹】!」

 

 騎士団に所属する回復魔法使いが覚えなければならない魔法は4つある。

 

 切り傷、打撲、火傷や凍傷といった傷を治癒する魔法。

 被術者の自己治癒力を高める魔法。

 毒物を体から排出する魔法。

 そして呼吸が止まった人間の体を治し、心臓を再び動かす魔法。

 

 カピバラもまた、そのすべてを使うことができる。

 

 とはいえ回復魔法の消耗は大きく、登山中に使ったことはない。回復魔法使いの安全が保たれていない状態で使うのは共倒れの可能性が高いとされている。緊急時でなければ慎重に検討した上で使わなければならない。

 

 だが今が緊急時でなければ、いつが緊急時だというのか。

 

【よし……これで時を稼ぐことができたじゃろう。しばし、じゃがな】

 

 回復魔法を届けた邪精霊が再び顔を出した。

 だがその表情は、喜びで綻んではいない。

 これからが本当の苦難だと告げている。

 

「わかってるわよ……これから掘り出さないと……」

 

 魔力を失ったカピバラの言葉は、語気こそ荒いが弱弱しいものだった。

 

 動いてもいないのに汗が噴き出る。魔力を持っていかれて軽い頭痛と目眩がするのを紛らわそうと、乱暴な手つきで水筒の水を飲む。食べなきゃもたないと気付いて、懐のエナジーバーを親の敵のような顔で囓る。

 

【美味そうじゃな、それ】

 

「こっちはあげないわよ。ていうか食べられるの」

 

【依り代があればの】

 

「ツキノワの目が覚めたみたいね……早く出てきてもらって、手伝ってもらわないと……」

 

 魔力の輝きを見ると、輝きが揺れている。

 

 意識を取り戻したのか、ツキノワがもぞもぞと動いている。だが埋まった深さを考えると上から掘り出さなければ這い出るのは無理だろう。

 

 カピバラは、疲労で青ざめた顔のままスコップを握った。

 

 雪かきをするのが日常の北国の民のような手つきには程遠い。

 雪洞掘りに長けた登山者や工作に充実する騎士の手つきとは比べるべくもない。

 

 弱々しく、遅く、へっぴり腰で、そんな様子じゃ今に持たれるんじゃないかと思うような無様な動きが、雪上で繰り返される。

 

 だがそれこそが、今この瞬間、この世界で誰よりも真摯な回復魔法使いの姿であった。

 

「ああああああ、もう……! なんでこんなに暑いのよ……!」

 

 カピバラはハードシェルを乱暴に脱いだ。あまりにも暑い。

 

 一方で、グローブの中はまるで雨に降られたかのようだ。外側は革製で内側はウールでできており、外の水を弾きつつも汗を外に放出する透水防湿性能を持っている。だがそんな高性能グローブも耐え難きに耐えついに限界を超え始めた。断熱性が失われて湿り気が外の冷気を伝え始める。体の芯は燃えるように暑いのに、指先だけはかじかんで凍り付いてしまいそうだ。

 

 冬山は暑い。

 

 冬山は寒い。

 

 その矛盾した言葉の中で、オコジョが「寒さ対策に万全を期す」ことに重きを置いていた意味が心の底から理解できる。

 

 予備のグローブを持ってくればよかったと、濡れて役立たずになってきたグローブを見てカピバラは思った。

 

 でも次の探索なんてあるんだろうか。

 

 希望と絶望がカピバラの心の中で入れ替わり立ち替わり踊り続ける。

 

 余計なことを考えるなと、カピバラはグローブを嵌めたまま指の部分だけを外し、中で握りこぶしを作って指と指を擦り合わせる。こうするとほんの少しだけ指先のぬくもりが回復する。グローブを完全に外して汗を拭きたいが、そうした瞬間に手が本当に凍るのではないかという恐怖があった。感覚が戻ってきたところで再びスコップを握りしめて無心で振るう。

 

 休憩をしてしまうと体の発熱がなくなって凍え死ぬかもという危機感と、一刻も早く救わなければという義務感に身を委ね、ひたすらに掘り続けた。限界が来たらまた握りこぶしをグローブの中で作り、そしてまたスコップを振るう。

 

「もういい……そこまでで、大丈夫だ……」

 

 途中まで掘り進んだあたりで、声が響いた。

 

 掘った穴の底が、蠢いている。

 ツキノワが自力で動けるほどになった。

 

 雪まみれで凍えた顔は、普段の明るい顔と比べて見る影もない。

 眉も睫毛も凍っている。

 だがそれでもツキノワは、歯を食いしばって這い出てきた。

 

「だめよ……まだ……」

 

 カピバラが近付こうとするのを、ツキノワは手で制した。

 

「魔法は、使うな……。自分でなんとかする……」

 

 ツキノワが、自分のザックを雪の中から引っ張り出す。

 その中にあるボトルを取り出す。

 

「……はぁ……死ぬかと思った……いや実際九割死んでたな」

 

 ツキノワが蓋を開けて中の液体を飲み込む。

 中身は、お湯だ。

 冷え切った体を無理矢理動かすため、熱を必要としていた。

 

「他の面子は……まだだな」

「悪いけど時間が無いわ。場所はわかってる」

「俺がやる」

 

 何を言わずとも何をすべきか、ツキノワはすべてわかっていた。

 折り畳みのスコップを組み立てて、長い柄を握りしめる。

 

「ここと、ここよ……」

 

 カピバラは自分が力尽きたときに備えて、ふらふらと雪面を歩いてオコジョたちが埋もれている場所にプローブを雪に突き刺す。

 

 ツキノワは朦朧とした様子のカピバラを気遣いつつも、スコップで雪を掘り出した。

 

 カピバラは、体力の限界に近付きつつあった。

 この状況で希望が鮮明になったことで、自分の疲労を自覚してしまった。

 スコップを握りしめて、立ちながら一瞬眠る。

 そして眠っている自分に気付いて、またスコップを握って雪を掘る。

 

 一回振るっては深呼吸をして目をつぶる。

 

 二回振るってはその場に立ち尽くす。

 

 もはやカピバラはさほど役に立っていない。だが、もう休めとツキノワに言われても聞かなかった。ツキノワも無理に休ませようとはせず、ただ無心でニッコウキスゲとオコジョのいる場所を追い求めた。

 

 次にカピバラが意識を取り戻したときにはすでにニッコウキスゲが掘り出されていた。先程のツキノワのようにお湯を口にして体を温め、無理矢理にでも体を動かしている。

 

「最後にあいつね……」

 

「お嬢様、休んでなよ……!」

 

「あなただって疲れてるでしょ……ていうかお嬢様はやめてってば」

 

「黙ってると寝ちまう。今は無理にでも動いた方がいい」

 

「ったく……!」

 

 三人はまたも無心となって掘り出し始めた。

 

 皆、消耗しているが、それでもこの人数で柔らかい雪を掘り出すのは先程までと比べて格段に楽になった。

 

「まだか……?」

 

「いや、動いたよ……! いる……!」

 

 そしてついに、山では絶対に無敵と思っていた少女の姿が雪の中から現れた。

 

「オコジョ……!」

 

 この子は、こんなに、小さかったのだろうか。

 

 こんなに小さい子なのに、この子がいればなんでもできると思っていた。

 

 カピバラはオコジョの力を疑ってはいない。

 それでも絶対無敵ではないとようやく悟った。

 オコジョがカピバラを頼る意味が、ようやくわかった気がした。

 

 拭ったはずの涙が、再び滔々と流れだした。

 

 こんなにも寒いのに涙は凍てつくことはない。

 それでいいとカピバラは思った。

 

 ふらふらとおぼつかない足取りのオコジョの体を、カピバラが抱きしめる。

 冷え切った体は、しかし、確実に呼吸をしていて、心臓が動いている。

 

「カピバラ……話したいこと、たくさんあるんだ……。昔のこととか……前世とか……」

 

「いきなり何言ってんのよ……助けるの遅かったかしら……」

 

「大丈夫。ちゃんと、正気」

 

「ならいいけど」

 

「……ありがとう、カピバラ。本当に、ありがとう」

 

 早朝の太陽が、立ち尽くす四人を照らす。

 

 聖地における、起きるはずのない雪崩。

 

 誰もが死を確信するであろうその事故の調査報告書は、少女の尽力によって重傷者、死亡者ともにゼロという堂々たる数字が記載されることになる。

 

 やがてそれは巡礼者協会、そしてソルズロア教において大きな衝撃と共にもたらされることとなった。

 

 

 

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