蜘蛛の糸を掴めたら   作:SHALC7

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四話 後編になります。
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四話 後編

 

 耳を塞ぎたくなるような銃声が室内に鳴り響いた。 紫莉のいる位置の向こう側には二人の傭兵が見えた。 彼らが構えている自動小銃“AKMS”から7.62㎜弾が雨のように降り注いでくる。

 銃撃を受ける中、千束が動いた。 彼女は俊敏な動きで、すぐそばにある棚を踏み台し、スカートをはためかせ飛び上がると、宙を舞いながら発砲。 彼女が放った弾は、髪を総髪にしている男の左脚と胴体に命中し、彼の体から赤い霧が生じさせていた。 

 弾が直撃した総髪は「かはっ!!」と掠れた声を出しながら、体をよろめかすが出血は見られなかった。 彼が出血しなかったのは、千束が使用する非殺傷弾のおかげだろう。 それでも殴られたような衝撃と激痛が彼を襲っているはずだ。 

 敵が怯んだ隙をついて、次に発砲したのはたきなだった。 彼女はハーフステンレスが特徴的な“S&W M&P9”を持っており、正確な射撃で総髪の肩を射抜いた。 彼女は千束と違い実弾を使用しているようで、今度は相手に出血が見受けられた。

 その激しい銃撃戦の最中、紫莉は着ぐるみの中で青ざめていた。

 

 ちょっと待て、それは不味い! 

 

 別にこの状況に怯えているわけではない。 その理由とは、目の前でたきながスーツケースを盾として使っているからだ。 中にはまだウォールナットが入っており、そのことが紫莉の肝を一気に冷やした。 紫莉はたまらず飛び出そうとした時、ウォールナットの悲痛な叫び声が耳に入ってきた。

 

 

 ─大切なものだって言っただろー!! 

 

 

 紫莉は済んでのところで踏みとどまる。 よく見ればスーツケースには穴が開いていないことが分かった。 どうやら紫莉が着ている着ぐるみ同様、防弾が施されているようであった。 紫莉は彼女の無事が分かったことに一瞬だけ安堵するが、このまま攻撃を受け続けているわけにはいかないだろう。 

 

 

「たきなー! なんかそれ、ダメらしいよ!?」

「無理言わないでください!」

 

 

 千束がたきなにスーツケースを盾にすることを止めるように促してくれるが、はっきりとした口調で拒絶されていた。 確かにたきなの周囲で弾除けになるものはそれくらいしかない。 それにまだもう一人赤色のキャップを被った傭兵が、彼女に銃撃を浴びせているため、すぐに動くのは無理だろう。

 だが、すぐその時は訪れた。 たきなが放った一発が赤キャップの身体を捉えると、負傷した敵は一旦退いていった。 

 床に寝そべっていたたきなは、素早く上体を起こしスーツケースを紫莉のもとへ運んできた。 スーツケースを受け取った紫莉は、急いで損傷を確認する。 あちこちがへこんではいたが、目立った外傷も見られなかった。

 紫莉は念のため、たきなには聞こえないように注意しつつ、小さな声量で「大丈夫ですか……?」とウォールナットに訊ねた。

 

 

 ─……もうダメかと思った。

 

 

 ウォールナットの不貞腐れた声が聞くと、紫莉はほっと胸を撫でおろす。 一時はどうなるかと思ったが、無事ならば良かった。 護衛対象を盾として使って死なせてしまうなど、笑い話にもなりもしない。 

 

 

「すみません。 ああするしかなかったもので…… 中身は大丈夫そうでしょうか?」

 

 

 たきなは謝罪の言葉を述べつつ、中身を確認しようと手を伸ばしてきた。 紫莉は慌てて腕を振り、確認しなくても大丈夫だという意志をジェスチャーで伝える。 たきなは不思議そうに「大事なものなのでは……?」と首を傾げていたが、この状況で事が発覚してしまえば余計にややこしいことになってしまう。

 ウォールナットも不味いと思ったのか、話題を変えるように早口でまくし立てていた。

 

 

 ─な、中身の確認は後で良い。 早くしないと囲まれてしまうし先を急ごう。 店の裏口ならまだ敵にマークされてないはずだ。

「え、ええ……。 分かりました」

 

 

 紫莉は何度目か分からない安堵の息を漏らした。 それにウォールナットの言うことはもっともだ。 事前の情報では敵の人数は五人から十人程度らしく、先ほど交戦したのはたったの二人だ。 最大でも八人の銃口がこちらを狙っていると考えれば、ここで立ち止まっている場合ではない。 

 たきなに先導してもらいながら、足早に店のバックヤードに向かっていると爆発音が聞こえた。 どうやらこの先で千束が敵と交戦しているようだ。 通路を進み、突き当たりに差し掛かった時、突然たきなが腕を伸ばして進路を塞いできた。 

 紫莉は顔だけ通路に出して左側に視線を向けると、千束と気絶して床に倒れている敵の姿が見えた。 そして奥には、彼女の背後を狙う敵の姿──先ほどの総髪の傭兵だった。

 総髪はニヤリと笑みを浮かべながら、無防備な千束を狙っていた。 通路は狭く千束が身を守るのための遮蔽物は見受けられない。 このままでは総髪が引き金を引いた瞬間、7.62㎜弾が彼女の身体を引き裂いてしまうだろう。 

 無論、千束が普通の人間だった場合の話だが。

 総髪の“AKMS”が火を噴いた。 しかし放たれた弾丸は、千束に命中することはなかった。 総髪の表情に焦りの色が滲む様子がここからでも分かる。 彼と千束との距離は四メートルも離れていないので、銃を長年扱っている者からすれば外すことの方が難しい距離だ。

 総髪は数回に分けて射撃を繰り返ていたが、千束を捉えることは出来ていなかった。 それどころか千束は冷静に拳銃を構え直し、相手に歩み寄り始めていた。

 

 

「う、うおああああ!!」

 

 

 総髪は悲鳴に近い雄叫びを上げながら、銃を乱射するが結果は同じだった。 二人の距離が一メートルを切った辺りだろうか、千束が反撃を開始した。 彼女は『C.A.Rシステム』と呼ばれる近接戦闘向けの射撃姿勢を取ると。容赦なく非殺傷弾を敵に叩き込んでいた。 相手が床に崩れ落ちても引き金を緩める様子は見られなかった。

 その光景を目の当たりにした紫莉は生唾を吞み込んでしまう。

 

 化け物だ。 こんな奴に勝てるわけがなかったんだ……

 

 紫莉は例の模擬戦を思い出してしまった。 あの時蹴られた腹部が痛み始め、喉の奥から酸っぱいものがこみ上げてきそうになる。 あれから随分の月日が流れているのもあるが、当時よりも千束の動きは精練されているように思えた。 もし仮に彼女と勝負してみろ、と言われたとしてもまったく勝てる気がしない。 そう感じさせるほど、紫莉の千束に対する恐怖心は根深いものなのだと再認識した。

 楠木が千束をこう評していたことも思い出した。 彼女は卓越した洞察力を持ち相手の射線と射撃タイミングを見抜ける天才──と。 簡単に言ってしまうと、千束は銃弾を避けることが出来るのだ。

 そんな馬鹿な話があるかと思ってしまうが、今の出来事を見れば誰もが言葉を失うだろう。 現にたきなの信じられないものを見る目が良い例だ。

 まさに神に愛された人間──無様に無数の傷を負いながら戦ってきた紫莉とは別次元の存在。

 紫莉の中に、言葉では表せないドロドロとした感情が湧き上がってくる。 敵には情けの欠片もない千束ではあるが、普段は心優しき少女である。 つい先日、二人で話し合う場を設けてくれたのも、自身を気遣ってくれたことは紫莉も分かっていた。 だが、結果的に千束が差し伸べた手を振り払ってしまう形になってしまった。 己のくだらないプライドと彼女の対しての嫉妬心から、あのような態度を取ってしまったことは悪く思っている。

 それでも紫莉にも譲れないものがある。 見た目こそ少女であるが、中身は成熟した成人男性──れっきとした“大人”なのだ。 

 自分のことは自分で完結させる、これが紫莉の“大人”としての在り方だと思っている。 だからこそ、千束を突き放す態度を取った。 その行いが例え自分を苦しめる形になっても、受け入れなければならないのだ。

 気が付けば千束は敵の制圧を完了しており、いつの間にかいた赤キャップの傭兵も彼女の足元に屈していた。

 すると、千束は出血している彼を手当すると言い出した。 そのことにたきなは、敵の増援が来ることを理由に苦言を呈したが、千束は「死んじゃうでしょ」と言いながら、バックから軟膏とテープを取り出していた。 命を何よりも大事にする彼女らしい行動だった。

 たきなは納得がいっていない様子ではあったが、「……行きましょう」と出口の方に歩き出したので紫莉もついていく。

 進んだ先は倉庫として使われていたと思わしき部屋だった。 奥には外へと繋がる戸口があり、あそこから脱出できるだろう。 けれど、紫莉は嫌な予感がしていた。

 紫莉が敵の立場なら、建物の出入り口を固めることを考える。 普通に考えれば外には敵が待ち伏せているだろう。 

 その時、紫莉の頭の中に妙な案が浮かび上がってしまった。

 

 ……ここからそのまま出たら、俺は死ねるのか? 

 

 ウォールナットは、確かにこの着ぐるみの防弾性能は保証すると言っていた。 けれど、世の中絶対というものはほぼ無い。 もしかしたら、着ぐるみの防弾加工が悪くて、充分な効果を発揮しないかもしれない。 そうなれば中にいる自分はあっけなくこの世を去ってしまうだろう。 深く考える前に足が動いてしまう。 この扉をくぐれば、全ての呪縛から解放され自由になれる気さえした。 たきなの呼び止める声や、少し離れた場所から千束の叫びも訊こえた気がしたが、この際どうでも良かった。

 外に出た紫莉の目に飛び込んできたのは、青く澄み渡った空だった。 暗い室内に居たため、日差しが眩しく反射的に目を細めてしまう。 そして、一発の銃声が鳴ると同時に胸部を鈍器で殴りつけられるような衝撃を感じた。 胸の前で持っていたタブレットにはぽっかりと穴が開いていた。 これでは使い物にならない。

 紫莉がゆっくりと視線を動かすと、近くのプレハブ小屋から、数丁の銃口がこちらを狙っていた。 

 期待通りの展開に紫莉は乾いた笑みを作る。 ひと息つく暇もなく、向かい側の銃口が光り出す。 紫莉の全身に先程とは比べ物にならない衝撃と痛みが走り抜ける。 やがて立っていることもままならなくなり、糸が切れた人形のように地面に崩れ落ちた。

 

 

「……ははっ。 何やってんだ俺」

 

 

 紫莉は倒れ伏せたまま、己の行いを自嘲するように呟く。 そして真っ赤な液体が地面に広がっていく様子を、ぼっーと眺めながら意識を手放すのだった。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 井ノ上たきなの心の中は失意に満ち溢れていた。 何故かと言えば、単純に今回受けた任務が失敗に終わってしまったからだ。

 たきなは現在ミカが手配してくれた救急車に乗っている。 車内には会話は無く、甲高いサイレンの音が耳障りに感じた。 視線の先には、今回の護衛対象だったウォールナットの遺体がストレッチャー上に横たわっている。 彼が着用している着ぐるみは、銃弾によって穴だらけになっており、飛び出た綿が血によって赤く染まっていた。 さらに半身も血まみれになっているため、彼が既にこの世にいないことは一目瞭然だった。

 遺体を改めて見たことで、自分が失敗したのだという事実を突きつけられ、たきなは腹の奥底から悔しさがこみ上げ、無意識に拳を強く握りしめる。 

 たきながちらりと隣に座っている千束の横顔を見ると、彼女の表情も同様に暗かった。 

 

 

「……すみません」

 

 

 たきなは悲痛そうな千束の表情に痛まれなくなり、消え入りそうな小声で謝罪する。

 

 

「たきなのせいじゃない!」

 

 

 千束は慰めの言葉をくれたが、今のたきなにとっては受け入れがたい。

 一体何が失敗の要因だったのか。 外に出ようとするウォールナットを引き留めなかったことか、それとも千束の治療が終わるまで待っているべきだったのかと、今までの行動を何回も振り返ってしまう。 少なくとも分かれて行動するべきではなかったことははっきりと言える。 けれど今となっては、無意味であるからこそ余計に気分が沈んでしまう。

 再び車内に沈黙が訪れる。 しかしそれを破ったのは意外な人物の声だった。

 

 

 ─もういい頃合いじゃないか? 

「え?」

 

 

 突然、聞こえるはずのない声が聞こえた。 たきなは幻聴かと思い、思わず間抜けな声を出して周囲をキョロキョロと見回した。 千束にもその声は訊こえていたようで、彼女も同じ反応をしていた。

 その声は、死んだはずのウォールナットのものだった。 しかし目の前の遺体は、ピクリとも動いていない。

 たきなから見て左側の席に置かれていたスーツケースが急に開いた。 たきなは何事かと思い注目すると、なんと中から小さな女の子が出てきたのだった。 その光景を目の当たりにした千束は「えぇー!!」と驚きの声を上げ、たきなは何が起こっているのか理解できず、言葉を失ってしまった。

 二人が困惑している最中、運転席側にいた救急隊員が声をかけてきた。

 

 

 

「落ち着け千束」

「えええええ!? 先生っ!?」

「アタシもいるわよー」

「うええええ!? 今度はミズキぃ!? なんで、どぉなってるの!?」

 

 

 更に驚くべきことに、救急隊員と思い込んでいた人達は、仲間であるミカとミズキであった。 この時点でたきなの頭の中は、パンク寸前になってしまった。 すると、金髪の少女が事の顛末を説明してくれた。

 彼女の説明を要約すると、今作戦の本当の狙いは護衛ではなく死の偽装だったらしい。 敵にここで寝ている影武者を始末させることで、ウォールナットはいなくなったと勘違いさせることが成功条件だった。 少女は「追手から逃げ切る一番の手段は、死んだと思わせることだ」と語っていた。 説明を受けて、やっと状況が理解できたたきなは、肩の力が抜けていくのを感じた。 失敗と思い込んでいた任務が成功だった事実は喜ばしいことだった  けれど、それと同時に怒りとは呼ばないが、それに近しい感情が芽生える。

 そもそも始めから真相を知っていれば、こんな気持ちにもならなかったことやそれに応じて行動出来たはずだ。 発案したのはミカらしいが、悪い言い方をすれば彼に騙されたことになる。

 たきなはモヤモヤした感情を抑えきれなくなり、小言の一つでも垂れようかと口を開きかけた矢先、千束に阻まれてしまう。

 

 

「ちょっと待って! 色々訊きたいことあるけど…… つまり予定通りで、誰も死んでない──ってこと?」

「そーゆーこと!」

 

 

 千束の疑問にミズキが親指を立てた。 余程安心したのか、千束は「よ、良かったぁ~皆無事で……」と言いながら自身の膝に顔をうずめていた。 さっきまでの息苦しい雰囲気から一変してしまい、たきなは文句を言う気力さえなくなってしまった。 それでも胸のわだかまりが取れたわけではない。

 ふと、たきなは新たな疑問が浮かび上がった。 そこにいる金髪少女がウォールナットならば、ここで寝ている人物は何者なのかと。 他のリコリコの面々は全員この場にいる。 いないとすれば、思い当たる伏は一人だけだった。 

 

 

「あの……では、この着ぐるみには誰が入っているのでしょうか?」

「そ、それはだな……」

 

 

 たきなの質問にミカが答えてくれたが、何故か彼の歯切れが急に悪くなる。 その発言をきっかけにミズキもバツの悪そうな表情を作り始めた。 再び静まり返る車内で、きょとんと面持ちでウォールナットが口を開いた。

 

 

「そういえば何時まで演技してるんだ? おい紫莉、もう終わったぞ。 そんな暑苦しい着ぐるみ脱いで良いんだぞー」

「ゆ、紫莉……?」

「ん? ああ、そうだぞ。 お前達の仲間なんだろ?」

 

 

 ウォールナットは声を震わしながら訊いてきた千束に、あっさりと着ぐるみの中の正体を教えてくれた。 途端に千束の表情は曇りを帯び始めていた。

 たきなは着ぐるみに近づき身体を揺さぶってみるが、起きるような反応は見られなかった。 たきなは心臓をキュっと締め付けられる錯覚を覚える。 まさか、と最悪の事態が頭をよぎった時、千束が間に割り込んできた。

 千束が強引に被り物をはぎ取った。 その人物を確認した瞬間、顔を酷く歪ませていた。 

 中にいた人物はたきなが想像していた通り、仲間の一人である倉木紫莉だった。 ミカからは彼女は別行動していると聞かされていたのだが、それがまさか今の今まで一緒に行動しているとは思わなかった。

 

 

「紫莉!!」

 

 

 血相を変えた千束が紫莉に呼びかけると、彼女の目がゆっくりと開く。 たきなの速くなっていた動悸が徐々に大人しくなる。 油断は出来ないが意識があるのであれば、無事な確率が高いからだ。

 紫莉は仰向けの姿勢のまま、顔をこちらに少し向けた。 死んだ魚のような黒く淀んだ瞳を動かし、たきな達を一瞥すると静かな声量で呟いた。

 

 

「……最悪だ」

 

 

 それが何を意味していたのかは、たきなには分からなかった。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 最悪だ。

 紫莉は喫茶リコリコに備え付けられている浴室内でそう思った。 意識を取り戻してから、何度この言葉を呟いたことか。 恐らく十数回は超えているだろう。

 とどのつまり紫莉の目論見は失敗に終わってしまい、未だにこの世界で生き長らえてしまった。 次に目が覚めた時には全く知らない世界か、もしくは永遠に意識を取り戻さないことを期待したのだが、現実はそんな都合よくいくことはなかった。

 意識を取り戻した紫莉の視界にまず飛び込んできたのは、今にも泣きだしそうな千束の顔だった。 恐れている人物がいきなり目の前に現れたので、非常に心臓に悪かった。 喉がカラカラになっていなければ悲鳴を上げていたかもしれない。 

 次に思ったことは、彼女に内緒で任務に参加したことだった。 これに関しては確実に叱責されると覚悟を決めてはいたが、予想に反して彼女は「よ、良かったぁ……」と腰を抜かしただけだった。 

 拍子抜けした紫莉を置いて千束の怒りの矛先は、運転席側にいたミカとミズキに向けられた。 なぜ紫莉がここにいる、危険なことはまださせない約束だったはず、などと彼女は僅かに怒気を滲ませながら、ミカ達を問い詰め始めた。

 紫莉は彼らにすぐさま助け舟を出した。 元をたどれば自分の我儘から始まったことで、二人には何も非がないことを強く千束に伝えると、彼女は再び悲しそうな表情で紫莉を見てきた。 何かを言いたそうに口を動かそうとしていたが、あの女子会のことを思い出したのか、強気には出てこなかった。

 そうして何とも言えない気まずい空気が漂う中、紫莉一行はリコリコに戻ってきた。 予定より早く作戦が終わったため、残った時間は店の営業にあてるらしい。

 紫莉としてはさっさと帰ってシャワーを浴びたかった。 暑苦しい着ぐるみの中に一日中いたおかげで、全身が汗まみれになっていた。 そんな紫莉の気持ちを汲み取ってくれたのか、千束が風呂に入るように勧めてくれたので、好意に甘えることにしたのだった。

 ハンドルを回すとシャワーヘッドから少しぬるめの湯が出てくる。 火照った体にはちょうどいい温度だった。 手早く髪と体を洗い、湯を張った浴槽にゆっくりと浸かると、全身から疲れが抜けていくような気がした。

 

 こうやって、ゆっくり湯船に浸かるのも久しぶりだな。

 

 普段の生活では紫莉はシャワーだけで済ますことが多かった。 ファーストだった頃は常に忙しく、悠長に風呂に浸かる暇も気力も無かったこともあり、現在もそれが習慣化しているからだ。 それに精神状態が良くない時に入ってしまうと、嫌なことを思い出してしまい余計に疲れてしまうこともある。 酷かった時には浴室でうずくまってしまい、一時間程度出られなかったこともある。 けれど、今日は大丈夫そうだ。

 紫莉はぼっーと立ち込める湯気を見ながら思った。 いつか自由になった時、箱根や草津などの有名な温泉処に行き、日頃の喧騒を忘れて平穏な一日を過ごしてみたいと。

 

 

「……でもこの身体じゃ無理だよな……」

 

 

 元男であることから女湯に入ること事態に抵抗もあるが、問題は別にあった。 それは紫莉の身体中に刻まれた無数の傷跡だった。 カルト教団時代に山村とマヌエルによってつけられた鞭の傷跡を始め、胸、腹、両手足には目を背けたくなるような傷跡が残っていた。 こんな見た目の少女が入ってきたら、他人からすれば不快に思うだろうかもしれないし、間違いなく奇異な目を向けられてしまう。

 紫莉はそんな淡い理想を捨てるように頭を左右に振る。 こんなことを考えてしまっていると、また変なメンタルスイッチが入ってしまう。 それ以降は何も考えず生暖かいお湯の感触を楽しむことにした。

 風呂から上がった紫莉は、傷隠しに愛用している黒の長袖コンプレッションウェアに袖を通した。 真夏の猛暑日でもこれだけは手放すことはできない。

 着替えを終えた紫莉は、座敷の部屋に向かう。 ここは従業員用の休憩所として使われているスペースで、客席から見えない位置にあるため紫莉にとっては都合が良い。

 久しぶりの現場仕事であったこともあり、思った以上に疲れが出てきた。 もう少しだけここで身を休めることにしたが、特にやることもないため次第に眠気が襲ってくる。 

 うとうとしていると、紫莉から見て左側の押し入れの襖が急に開いた。 そちらに視線を向けると、ウォールナットが押し入れの上段にいた。

 

 

「う、ウォールナットさん、なんでここに?」

「お前達の仕事を手伝う代わりに匿ってもらうことにした」

「ああ、そうなんですね。 とても心強いです」

「言っとくけど格安なんだからな」

 

 

 ウォールナット改め、クルミと名乗った少女は、押し入れ上段部分にゲーミングベッドのようなものを設置しており、既に居住スペースを作っていた。 本当にこの店に入り浸るつもりらしい。

 紫莉が中を覗き込むと、モニターには今回襲撃してきた傭兵達の顔写真が表示されていた。 他にも彼らの本名や家族構成など、ありとあらゆる情報が映し出されていた。 彼女の底知れぬ探求心に、紫莉は感心を通り越して若干の恐怖を覚えた。

 彼女の邪魔をしては悪いと思った紫莉は、襖をそっと閉め畳に腰を下ろした。 そして軽く目を閉じたはずだったのだが、いつの間にか眠りに落ちてしまっていた。

 次に紫莉が目を覚ますと、部屋は真っ暗だった。 スマートフォンで時刻を確認すると、既に日付が変わる前であり、店内に人の気配はなかった。

 紫莉は誰かが掛けてくれた布団から出ようとした時、側に何かがあること気づいた。 それは弁当などを入れる小さめのクーラバックで、中には櫛付き団子が三本入っていた。 おそらく千束が用意してくれたのだろう。 

 だが生憎、紫莉は甘い物が得意ではない。 彼女には悪いが冷蔵庫に戻しておこうとした時、襖がガラっと開いた。 

 

 

「要らないならボクが貰おうか?」

「クルミさん……起きてたんですか」

 

 

 中にいたクルミが外に出てきながらそう言った。 彼女は紫莉の返事を待つことなく、クーラバックを開け、団子を取り出すと一本目を頬張り始めた。 

 

 

「こんな時間に食べたら太りますよ……」

「レディに対して失礼な奴だな。 ボクはその分頭をよく使うから大丈夫だ」

「それどういう理屈ですか……」

 

 

 クルミの子供みたいな言い文に、紫莉は苦笑いを浮かべる。 ともあれ団子が無駄にならなくて済んだのは良かった。 リスのように頬を膨らませる彼女に帰ることを告げ、その場を後にしようとしたら「ちょっと待ってくれ。 ひとつ訊きたいことがある」と呼び止められた。

 紫莉は「はい?」と首を傾げながら振り向く。 まさか飲み物でも持ってこい、などとでも言われるかと思ってしまう。 しかしクルミからの質問は、予想外のものだった。

 

 

「──お前、あの時わざと外に出ただろ」

「……何のことですか? 質問の意図が分かりません」

 

 

 紫莉はとぼけるような口調で返事をする。 平静を装ったつもりだが、心臓が早鐘のように打ち始める。 まさかこのタイミングで自殺を企てたことを見抜かれるとは思いもしなかった。 咄嗟に誤魔化したが、クルミはまだ疑うような視線を向けてきた。 

 クルミが言葉を続ける。

 

 

「別に責めているわけじゃない。 結果的には、お前がああやって動いてくれたおかげで予定を繰り上げることができた。 ただ気になったのは、救急車でお前の名前が出た瞬間に場の空気が凍りついたことだ。 前に何かやらかしたのか?」

「実は勤務中に倒れたことがありまして……多分、皆それを見ていたから過剰に反応しただけでしょう」

「ふぅん。 それにしては、千束の反応は特に変だったと思うけどなぁ」

「彼女は人一倍命というものに敏感ですからね。 じゃなければ、わざわざ敵の治療をしませんよ。 ともかくあれはわざとではなく、俺なりに考えた故の行動です。 もう良いでしょうか? 明日も早いのでこれで失礼します」

 

 

 紫莉は早口で会話を一方的に切上げ、そそくさと出口に向かった。  

 この時季でも夜になれば流石に気温は下がる。 だが紫莉は気温とは違った寒気のようなものを感じてきた。

 

 また厄介そうな奴が来たな……今度は気づかれないように上手くやらないと。

 

 そんな物騒なことを考えながら、紫莉は帰路に着くのであった。

 

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