リコリスになってからずっと目標にしていた関東本部に転属になったことが、つい昨日のことにように思い出される。 初めて本部に足を踏み入れた時の感動を、たきなは今でも忘れない。
京都支部よりもワンランク上の施設の設備、全国の支部から集められた優秀なリコリス達。 その数少ない存在の一員に選ばれたことは、たきなにとっては何よりも誇りだった。 けれど、満足などはしなかった。 今まで以上に訓練や任務に取り組み、どんなことにでも手を抜かないようにしてきた。
そのかいがあってか、本部にも僅か三人しかいないファースト・リコリスの一人、春川フキのパートナーになることが出来た。 このまま更なる成果を出して、ファーストに昇格することを次の目標として掲げようかと思っていた矢先、悲劇は起きてしまった。
それは例の銃取引事件のことだ。 たきなは任務中失態を犯してしまい、責任を負わされる形で、錦糸町のとある支部へ左遷されることになってしまった。
確かに生きて確保しなければならなかった標的に対して、機銃掃射はやりすぎだったかもしれない。 だが、ああでもしなければ敵に捕まっていた仲間を助けることは出来なかった。 あの状況下では一番合理的な判断だったと思うし、結果的に仲間の命を救えたことには後悔はない。
それに失敗してしまったことを何時までも引きずるわけにはいかない。 自他ともに認める切り替えの早さを活かして、たきなは新たな職場“喫茶リコリコ”にて再起を図ろうと決心した。 しかしこの支部は、異質な部署だった。
元DA教官という肩書を持ちながら、威圧感を感じさせない店長のミカや元DA情報部の出身でありながらも、公然とDAを批判する中原ミズキ。 そして歴代最高と評されてはいるが、普段の態度からは微塵もそれを感じさせない、この支部唯一のリコリスである錦木千束など、たきなが今まで会ってきた人物とは、毛色の異なる者ばかりだった。
この支部での仕事は、重大事件を起こそうとする人物を秘密裏に抹殺することではなく、地域の住民の手助け──言ってしまえばただの便利屋のようなものばかりだった。 極まれにDAからの依頼も来るらしいが、それも相手の命を奪うことなく生け捕りが目的にするものだけだ。
たきなを含めた全てのリコリスは殺人が許可されている。 だがこの支部ではそれはタブーとされており、現にたきなもリコリコに配属されて以来、人を殺めてはいなかった。
勘違いされては困るが、たきな自身人を殺めることに快楽を覚える趣味は一切ない。 自分達が排除する対象は日本の治安を乱す不埒な輩のみだ。 平凡に暮らす人々に矛先を向けることは決してない。
ウォールナットと呼ばれるハッカーを護衛する任務での出来事だった。 敵に追われている最中、なんと千束は負傷した敵の治療を行い始めた。 その場では何も言わなかったが、のちに敵を助ける必要性があるのか、と彼女に訊ねた。
すると彼女は「目の前で人が死ぬのを放ってはおけないでしょ」と信じられない発言をしていた。
殺意を向けてくる相手に対して、そのような慈悲の心を持つ千束の考え方が理解できない。 失礼な言い方になってしまうが、本当にリコリスなのかと疑ってしまったことも何度もあった。
何よりたきなは自身への悪影響も恐れていた。 このままここに居たら、自分も甘い考えに染まってしまいスキルアップの妨げになってしまうのではないかと。 そんな漠然とした不安を抱えて、悶々とする日々を送っていたのであった。
「クリア。 前方に敵影は見えません」
目の前を歩く紫莉が淡々とした口調で告げた。 彼女の手には、先端にサイレンサーが装着してある“グロック21”が収まっていた。
「了解」
たきなも同じトーンで応じつつ、辺りの気配を窺う。 紫莉の言うとおり、敵の気配は感じられなかった。
たきな達はとある廃ビルに潜入していた。 ある犯罪組織がこの建物に違法な密輸品を隠しているらしく、それらの確認及び現場にいる組織構成員の確保するためだ。 犯罪組織とは言っても大した連中ではなく小規模らしいので、たきなからすればそこまで難しい任務ではない。 ただ唯一懸念する点があるとすれば、相手が銃で武装をしていること可能性があることだけだ。
先導してくれる紫莉に追従するたきな。 今はサードの制服を身に纏っている紫莉だが、手慣れた動きでクリアリングしながら進んで行く姿は、彼女が経験豊富なリコリスであることを物語っていた。
順調にビル内を探索している最中、インカムに通信が入る。 相手は最近仲間になってくれたウォールナットもといクルミだった。
─どうだ、順調かー?
「はい。 建物内部に侵入しましたが、今のところ敵の姿は見えません」
─こっちもドローンで見てるが、外にそれっぽいのは見えないなぁ。 そんなにデカい建物じゃないし、もしかしたら敵はいないんじゃないのか?
「ええ、その可能性もありますね。 人が頻繁に立ち入っている形跡は見られますが、気配は感じられません。 ひょっとして、外出しているのかも……」
─まあ、何か外で動きがあったらまた教えるよ。 おぉーいミズキぃー、喉乾いたから何か持ってきてくれー あ、ついでに食い物もな
─アタシゃアンタの召使じゃないっつーの! 自分で持ってきなさいよっ
クルミとミズキがここ最近よく見られる痴話喧嘩を始めそうだったので、たきなは通信を切った。 まだお互いに出会って間もないのに、このようなやりとりをするのは、やはりリコリコ特有の緩い雰囲気が影響しているのではないか、とたきなは思っていた。
「……緊張感のねぇ奴ら」
「はい?」
「いえ、何でもありません。 残りはこの部屋だけです」
紫莉がぼやいた呟きを、たきなは訊き返したがはぐらかされてしまった。 どうやら彼女も今のやりとりを良く思っていないようだった。
彼女はとても真面目な人物だ。 普段も無駄口を叩かず黙々と仕事をこなしているし、掃除や片づけなどの雑用も率先してこなしている。 お互いに口数が多い方ではないため、事務的なやりとりしかしていないが、たきなにおける紫莉の印象は悪くなかった。
初対面の時、彼女に故意ではないとはいえ銃撃を浴びせてしまったこともあった。 その時のことを謝罪したが「あれは事故なんで気にしないでください」と懐も深かった。 そのためたきなは、彼女のことをプロ気質な人物なのだと認識しているのだった。
紫莉が指差す部屋に足を踏み入れた。 部屋の中はがらんとしており、隅の方に埃被った机とキャビネットが置いてあるのみだった。
「何もありませんね……」
「……ですね」
たきなは眉をひそめながら首を傾げる。 これまで他の部屋も巡ってきたが、それらしき品は見つからずにいた。
他の部屋で見落としがあったのだろうかと、記憶を振り返るが特段違和感のあるものや場所はなかった。 とすれば、外出している敵が物品を持ち出しているのかと一瞬考えるが、それは無いだろう。 わざわざリスクのあるものを持ち歩くのは合理的ではないし、手軽に持ち運べる量でもないだろうと思ったからだ。
既に運び出された可能性もあったが、これも薄いだろう。 昨晩この建物に大量の荷物を運び込んでいることは、クルミが確認している。 建物の何処かにあるのは間違いないはずなのだが、皆目見当がつかずたきなの頭を悩ませた。
紫莉も深いため息をついていた。 彼女は机やキャビネットの引き出しを全て開けていたが、やがて諦めたように頭を左右に振った。 そして不貞腐れた態度を隠すことなく、机を蹴りつけ、そのまま机の上に腰を降ろした。
たきなは紫莉の行動に驚いてしまった。
「はぁ……」
「一体どうしたんですか? ……もしかして体調が優れないとか」
「……少しイラついただけです。 不快にさせたのなら謝ります」
額を押さえながら下を向く紫莉に対し、なんだそれは、という言葉が喉から出そうになるたきな。 様子がおかしくなった彼女を心配する一方、ぶっきらぼうな物言いに少し苛立ってしまった。
「何かあるならはっきりと言ってください。 でなければ分かりませんよ」
つい棘のある言葉を彼女にぶつけてしまった。 すると紫莉はギロリと睨んできて、若干怒気を含ませながら口を開いた。
「別に……ただ、DAがまた偽の情報を掴まされたのではないかと、勝手に勘ぐってただけです」
「偽の情報……ですか?」
「ええ、今回の依頼はDAからのものでしょう? 前回の件がありますので、連中の情報は信用しにくいんですよ」
「まさか……ラジアータで管理している情報に不備があるわけが──」
「そのラジアータこそ、してやられましたけどね。 あの時は技術的トラブルがあったと訊いてはいますが、大事な局面で普通はありえないでしょ。 いくら高性能AIとはいえ、頼りすぎなんですよ本部の連中は」
「……今の発言は訊かなかったことにします。 それに今そんなことを考えても仕方ないでしょう。 私達が受けている命令はここで密輸品を見つけることです。 少しでも成果を挙げてDA復帰への材料にしなければ」
「復帰、ねぇ……」
紫莉がたきなを小馬鹿にするかのように鼻を鳴らした。 たきなはいよいよ我慢の限界が来てしまい、語気を強めに食って掛かる。
「何がおかしいのですかっ? 紫莉さん、貴女もDAに復帰したいはずでは」
「DAもリコリコも俺にとっては監獄みたいなものです。 逆に訊きますけど、井ノ上さんはそんなにあそこに戻りたいですか?」
「ええ、一日も早く」
「それは何故?」
紫莉の質問にたきなは淡々と応じた。
リコリスである以上、親代わりであるDAに尽くすことは当然のことであり、あそこに行くために今まで努力を重ねてきたことなど自身の考えを伝えた。 すると紫莉は軽蔑するような、そして哀れに思うような視線をたきなに向けてきた。 その目つきがより一層たきなの心を搔き乱した。
「……では、ファーストへの昇格も目指しているわけで?」
「当然です」
「そうですか。 でも、今の井ノ上さんじゃ無理だと思いますけどね」
「な、何故そうと言い切れるのですか!? 確かに今は無理かもしれませんが、成果を挙げればっ」
己の理想をばっさりと否定されたたきなは、声を荒げながら紫莉に詰め寄る。 彼女がそこまで言い切る理由がたきなには思いつかない。 少しの間沈黙が流れると、紫莉が静かに語り出した。
「ファーストに求められる条件って何か分かります?」
「条件……ですか? ……圧倒的な戦闘力や隊を纏めるリーダーシップなどでしょうか?」
「何も考えないことですよ」
「は?」
「確かに井ノ上さんの意見も当てはまっています。 けどね、上はそんなものは求めていません。 それは持っていて当然のスキルだと奴らは考えていますからね」
「つまり何が言いたいんですか……!」
「俺が言いたいのは、命令には何の疑問も持たずに従えってことですよ。 目上の人間が下の人間を評価する時に何を重視するか。 人格、仕事の手際の良さとか色々あると思いますが、根底にあるのは自分にとってそいつが都合の良い存在であるか、と思っています。 それをDAに置き換えるとどうなります? 命令違反をするリコリスを彼らはどう思うか?」
「そ、それは……」
「都合が悪いですよね」
紫莉は「まあ、俺もその命令違反した内の一人ですけどね」と貼り付けたような笑みを浮かべて、吐き捨てるように付け加える。
「では、仲間を見捨てることが正解だったと……?」
「井ノ上さんの行動を否定する気は俺にはありません。 あの時貴女は、捕まった仲間を助けるにはそうすべきと考えたから機銃をぶっ放した。 ですが、上の連中はそれを快く思っていないのが現実です。 ひとつ訊きますが、同じファーストである錦木千束と春川フキ、貴女が上官だったとしたらどっちを自分の下につけますか?」
たきなは小さく唇を噛みしめる。 彼女の質問に真面目に答えるのならば、間違いなくフキの方を選ぶ気がしたからだ。 確かに千束は優秀ではあるが、あの自由奔放を体現した性格では上層部からの受けは良くないと思う。 その反面フキは規律を重んじ、あの時も頑なに待機命令を守ろうとしていた。 それに楠木を始めとした上層部からも、階級が下のリコリス達からの人望も厚い。 答えは火を見るよりも明らかだった。
「標的を殺せと言われたら黙って殺す。 対象を守れと命じられたら自らを犠牲にしてでも守り通す。 そして、死ねと言われたら笑顔で自分の頭を打ち抜けるようでないと──」
「もう良い、結構です」
たきなはうんざりして紫莉の言葉を遮った。 これ以上、彼女の極端な暴論を訊きなくなかった。 同時にさっきまでの紫莉の好印象は、霧のように消え失せてしまった。
まったく……こんな人だとは思わなかった……!
こんなひねくれ者は放っておいて、別の部屋に向かおうとすると彼女に呼び止められてしまった。 無視したい衝動に駆られるが、一応話だけは訊いておくことにしておく。
「……何ですか?」
「あそこ、何か不自然じゃないですか?」
紫莉が指差す方は、隅に置いてあるキャビネットだった。 始めは彼女が何を指しているのかが、分からなかったがよく見てみればその違和感に気づいた。
部屋の床面には全体的うっすらと埃被っていたが、キャビネットの周辺だけが不自然に綺麗だった。 他にも床の一部に何かを引きずったような痕跡も見受けられた。
たきなはまさかと思いながら、キャビネットに近づき両手で力を込めて押してみる。 紫莉も机から飛び降りて加勢してくれた。 二人で力を合わせてキャビネットを動かすと、その下から四角形に縁どられたハッチのようなものが見えた。
たきなと紫莉はお互いの顔を一瞥して頷き合う。 ハッチをゆっくり開けると、地下へと続く梯子が掛かっていた。 二人は物音を立てないように慎重に下へ降りていく。
地下に降りると中は真っ暗だったが、梯子のすぐそばに電灯のスイッチがあった。 紫莉がスイッチを入れると、天井にぶら下がっていた電灯が一斉に灯る。
「当たりですね……」
目を細めた紫莉が面白くなさそうに呟いた。
地下室は十畳程度の間取りであり、両側と奥の壁際には大量の箱が乗った棚が並んでいた。
早速たきなが近くにあった箱を開けてみると、パック詰めされた明らかに怪しい白い粉末がぎっしりと入っていた。 他の箱も開封してみたところ、高級ブランド品の模倣品や偽造クレジットカードなど様々なものを確認できた。
しばらくの間、開封作業を続けたがたきな達が目当てにしていた物──銃器の類は見つからなかった。 これだけの量があるためひとつ位出てくると期待していたのだが、影も形もなかった。
反対側を探していた紫莉に「そっちはどうですか?」と訊ねる。
「……どうでもいいものばっかりです」
たきなはため息をつきながら棚に寄りかかる。 どうやら空振りに終わってしまったようだと、たきなは失望の表情を浮かべた。 DAからの依頼だったので、きっと銃取引に関することなのだと勝手に思い込んでいたこともあってか、余計にへこんでしまう。
紫莉も険しい表情を隠しもしていなかった。 先ほどのように物に当たることはなかったが、不機嫌そうに頭を掻いていた。
だが何時までもこうしているわけにはいかない。 期待以上の成果は望めなかったが、密輸品を発見することは出来たのだ。 たきな達はミカへ報告するため、一旦上の階に戻ることにした。
一階に戻って来るや否や、少し焦った様子のクルミからの通信が入ってきた。 彼女はこの建物に一台の車が向かって来ていることを教えてくれた。 後十分もしない内にこちらに到着するらしく、おそらくここを根城にしている連中だと語っていた。
たきなは探す手間が省けたとほくそ笑む。 このやりきれない感情は敵にぶつけることにして、ひとまず敵を迎え撃つ準備をしなければならない。
紫莉がクルミに訊ねた。
「クルミさん車の車種は? 出来れば相手の人数を把握したいです」
─七人乗りのミニバンで色は黒だ。 赤外線カメラで確認したが乗っている人数は三人だと思う。
「了解」
三人程度ならばすぐに制圧出来るだろう、とたきなは思う。 紫莉が一旦身を潜めて相手の出方を窺うことを提案してきたので、その案に同意にする。
この建物は二階建てなので、キャビネットを元の位置に戻した後、部屋を出て外を見渡せる二階の窓際まで移動した。
数分後一台の車が現れた。 黒のミニバンが停車して中から三人の男達が降りてくる。 それぞれの特徴は、相撲取りのように太った巨漢と野球帽を被った体格の良い男、そしてその中で一番小柄な坊主頭だった。 坊主頭の腹部は不自然に膨れていたので、おそらく彼が拳銃を所持しているたきなは考えた。
彼らが建物に入ったのを見届けると、一階へと移動するたきなと紫莉。
標的は一階にある居住スペースとして利用しているであろう部屋に全員で集まっていた。 たきなが中の覗き見ると煙草を吸ったり、ソファーに座ってくつろいでいたりした。
今がチャンスと思ったたきなは、紫莉に突入をすることを目配せで伝える。 紫莉はこくりと頷き、『グロック21』を抱えるように構える。
「動くな!!」
まずたきなが部屋に飛び込み、声を張り上げ男達に警告を促す。 右手に持った『S&W M&P9』と左手に持った拘束用ワイヤーガンをそれぞれ男達に向ける。 突然現れたたきな達に、彼らは鳩が豆鉄砲を食ったように目を丸くし固まっていた。
「貴方達を麻薬取締法違反等の罪で拘束します。 速やかに投降してください」
たきなが罪状を言い渡すと、男達はゆっくりとお互いの顔を見合わせる。 そして腹を抱えて笑い始めた。
彼らは「おい誰だよ、こんなドッキリ用意した奴は」とたきな達を指差して笑い転げていたが、いつものことだった。 いきなり銃を持った少女が現れて、逮捕すると言われても普通の人なら何かの悪戯か何かと勘違いされるのは無理もないだろう。 逆を言えば無害な女子高生を演じるリコリスとしての機能は果たされているわけだが。
笑いの渦が収まると、巨漢の男が立ち塞がってきた。 近くで見てみれば、その体の大きさが良く分かる。
「なんだなんだ、姉ちゃん達よぉ。 どっから入って来たんだ? ここはてめぇらみたいなガキが来る所じゃねぇぞ」
巨漢は巨体を揺らしながら、紫莉の前まで来ると凄みを利かせた表情で彼女を睨みつけていた。 華奢な紫莉と比べてみると体格差は歴然だった。 仮に抑え込まれでもしたら、彼女はひとたまりもないだろう。
両ひざに手を着き前かがみになった巨漢は、紫莉の視線の位置に顔を持っていく。 二人の額がくっつきそうだった。
「麻薬だか何だが知らねぇけど、マワされたくなかったらさっさとお家に帰りな。 それともそうして欲しいのかぁ?」
再び下品な笑い声が上がり、たきなは肩ごとため息を落とす。 大人しく捕まる気が無いのであれば、少々痛い目をみてもらうしかない。 ワイヤーガンを巨漢に向けようとした時、紫莉が静かにはっきりとした口調で喋った。
「お前の粗末なモノなんか見たくもねぇよ」
「あぁん!? 何だとこのチビ!」
紫莉の見え透いた挑発に乗った巨漢は、贅肉のついた頬を真っ赤にして彼女に掴みかかろうとした。 しかしそれより先に、紫莉は彼の胸倉を掴むと、頭を後ろにのけ反らせ強烈な頭突きを食らわせた。 巨漢は鼻血を吹きながらよろよろと後ずさるが、紫莉は追い打ちと言わんばかりに彼の股間を蹴り上げる。 声にならない悲鳴を上げながら巨漢は崩れ落ちた。
一瞬の出来事だったため、たきなを含めた紫莉以外全員の動きが止まった。 一番早く我に返った野球帽の男が「何しやがる!」と怒り狂ったように立ち上がるが、紫莉はそれよりも先に動いていた。
彼女は巨漢の背中を踏み台にして、蜘蛛のように素早く移動し野球帽との間合いを詰めた。 そのまま身を低く屈め、彼の膝を抱えてを勢いよく押し倒すと、馬乗りの姿勢を取った。 野球帽は紫莉を振り払おうともがいていたが、五発目の拳が振り下ろされると同時にぐぐもった声を最後に動かなくなった。
その光景を見ていたたきなは生唾を呑んだ。 瞬く間に二人の男を制圧した紫莉の実力は本物だ。 初めて彼女の戦いぶりを見たが、情け容赦の無い恐ろしいものだった。
紫莉がゆらりと立ち上がる。 彼女の手にはべったりと赤い液体が付着しており、ぽたぽたと地面に滴り落ちている。 彼女が残った坊主頭の方に首を回すと、男は顔をひきつらせた。 彼は拳銃を取り出そうとしていたのか、懐に手を伸ばしていたが途中で動きが止まっていた。
「ひっ!」
紫莉の放つ殺気に呑まれたのか、坊主頭は逃げ出そうとした。 逃がすものかと、たきなはワイヤーガンを発射する。 ワイヤーで身動きを封じられた彼は派手に転倒した。
「な、何なんだお前らは!? 何が目的だっ」
芋虫のようにのたうち回る坊主頭。 口調だけは勇ましかったが、顔色は悪く視線も泳いでいた。
無表情の紫莉が彼に近づき、懐をまさぐった。 彼の懐から拳銃が出てきた。 “TT-33”通称“トカレフ”と呼ばれる品だった。 とはいえコピー品のようで作りも粗く、ろくに手入れもされてもされていなかった。
たきなはこの凶器のことを坊主頭に訊ねる。
「これで銃刀法違反も追加ですね。 それでこの銃は何処で手に入れた物ですか?」
「ふざけんな! 誰がてめぇらみたいなガキに教えるかよっ。 つか、こんなの違法行為だろうが、
「残念ながら私達は警察ではありません。 銃の出どころは? 一体誰から買いましたか?」
カラスのように喚く坊主頭に対し、たきなは毅然とした態度を取り続けた。 だが、彼は頭に相当血が昇っているのか、こちらの質問に答える素振りも見せなかった。
痺れを切らしたのか紫莉が舌打ちをすると、持っていた“トカレフ”のスライドを引き銃口を坊主頭に突きつけた。 彼の顔色が一層酷くなる。
「いいから早く答えろ。 じゃないとそのうるさい口にこいつをねじ込むぞ」
「ま……待ってくれ。 本当に撃たないだろう? 分かった教えるよ……」
坊主頭曰くこの銃は、知り合いの知り合いが持っていた物で護身用にと随分前に安く譲ってもらったらしい。 元々銃を所持していた人物とは、反社会的勢力の人間とのことだ。 念のためその人物が所属する団体と氏名を訊き出し、クルミに照会してもらったところすぐに特定された。
クルミの予想であるが、その人物と例の銃取引事件は関連性が無いとのことだった。 その人物は銃取引事件以前に逮捕されているので、取引に関わるのは不可能だろうという理由だった。
たきなは再び肩を落とした。 少しだけ銃取引事件の真相に近づけると思っていたが、結局空振りに終わってしまった。 たきなが歯がゆさを感じていると、納得がいかないといったような口ぶりの紫莉が坊主頭に詰問する。
「嘘をつくな。 本当は他の所に銃を隠しているんだろ?」
「う、嘘じゃねぇよ。 本当のことは全部話した。 だからもう解放してくれよ、頼むよ……」
「言え」
「がっ!!」
紫莉が拳銃で坊主頭のこめかみを殴りつけた。 そして引き金に指を掛けようとしたので、たきなは慌てて彼女を制止する。
「ちょっと、やりすぎですっ。 彼が死んでしまいますよ!?」
「殺しませんよ――死にたくなるような思いはさせてやりますが」
「落ち着いてください! クルミが言っていたでしょう、この男は銃取引とは関係無いですっ」
たきなは紫莉の手首を掴み拳銃を取り上げようとするが、細い体の何処にこんな力があるのかと思うほど力強くびくともしなかった。 彼女は感情を感じさせない冷たい眼差しでたきなを見つめていたが、しばらくすると腕の力を緩めた。
取り上げた拳銃を見ると、安全装置は掛かったままだった。 本当に坊主頭を殺す気はなかったことに、たきなは安堵する。
「……結局無駄骨かよ。 やってらんねぇ」
紫莉が忌々しそうに悪態をついた。 彼女の横顔からは深い失意の色が見て取れた。
その後、ミカに任務が完了したことを報告すると、すぐにDA関係者が現れ男達の身柄と密輸品を回収していった。 紫莉にやられた巨漢と野球帽は怪我さえ酷かったが、命には別状ないとのことだった。
回収作業が終わるのを待っている間もたきなと紫莉には、一切の会話はなかった。