蜘蛛の糸を掴めたら   作:SHALC7

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五話 後編になります。
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五話 後編

 寮の廊下を歩く紫莉の足取りは、末期の病人のように危なかった。 色白の肌は真っ青に染まり、黒紫色の瞳には光が宿っていない。

 正直に言えば自分は、DAから優遇されていると紫莉は思っていた。 ファーストの称号を与えられ、危険な単独任務に従事する代わりに寮への帰還を免除してもらい、都内のセーフハウスを転々とするなど、ある意味自由にやらせてもらっていた。 

 

 ……なんでこんなにショックを受けてるんだ、俺は。 分かってただろう、自分が使い捨ての道具だって──いや、違う、認めたくないだけか。

 

 倉木紫莉はDAにとって必要不可欠な存在──と、時折自分に言い聞かせることで、気力を保っていた。 けれど、現実は甘くなかった。 所詮、歯車は歯車であり、それ以上の価値はなかったのだ。 

 最早自嘲することすら出来ない紫莉が廊下の角を曲がろうした時、反対から来た人とぶつかりそうになってしまう。 済んでのところで足を止めることが出来たので、衝突することはなかった。

 

 

「あ、ごめーん──って、倉木紫莉……?」

 

 

 紫莉が顔を上げると、そこには一人のセカンド・リコリスが立っていた。 彼女はぶつかりそうになった相手が紫莉だと分かると、明らかに不機嫌な顔つきに変わる。 彼女の背後に居た二人のサード・リコリスも、腫れ物を見るかのような目つきに変わる。

 セカンドと取り巻きのサード達は、紫莉をじろじろと見定めるような視線を送ってきた後、突然一斉に笑い出した。

 

 

「ぷっ、あはは! やばぁ、こいつ本当にサードになってるじゃん」

「せっかくファーストになったのに、残念だったねぇ。 どうせなら養成所に戻ったら?」

「ちょっと、それは言い過ぎでしょ! あ、でも普通指令を無視する方がおかしいよねー」

 

 

 殆どのリコリスと面識がない紫莉だったが、彼女達とは幾分か関わりがあった。 とはいえ友人のような良好なものではなく、むしろその逆だ。 目の前にいるセカンドは、紫莉がサードだった頃から事あるごとにつっかかってきたり、嫌味をぶつけてくる人物だった。

 セカンド達の挑発的な物言いに、紫莉は冷静さを欠きそうになった。 ただでさえ虫の居所が悪いこのタイミングで、神経を逆なでされる発言を受け流せるほどの器量の大きさは持ち合わせていない。 それでも彼女達の挑発に乗るわけにはいかなかった。 ここで問題を起こしてしまえば、それこそ彼女達の思うつぼだ。

 

 

「……あなた達には関係ないことです」

 

 

 紫莉はわずかに震える声を絞り出す。 胸の内は怒りで渦巻き、冷静さを保つ気力は、薄氷の上を歩くように不安定で今にも崩れ出しそうだった。

 紫莉の冷静な返しが面白くなかったのか、セカンドは一瞬口を尖らせたが、すぐに口角を上げ、嘲笑的な笑みを向けてきた。

 

 

「相変わらずつまんない態度ね。 でも本当のことじゃない? リコリスの模範となるべきファーストが指令を無視だなんて……ありえない。 まったく、何であんたみたいなのが……」

 

 

 紫莉は、この少女が自分に敵意を向けてくる理由は知っていた。

 紫莉がサードとして本部へ配属された頃、彼女は既にリコリスとして活躍しており、将来を期待された一人であった。 数回ではあるが任務を共にしたこともあり、その時彼女がファーストになることを目標にしていることや、同時にリコリスである誇りとDAへの高い忠誠心を持っていることも知った。

 そんな意識の高い彼女は、紫莉のような存在が許せないのだろう。 後からリコリスとなった身であり、加えて指折りの問題児であった紫莉に、先を越されてしまった事実を認めることが出来ないのだ。

 けれど、紫莉にとってそれはただのやっかみ以外の何物でもない。 リコリスの活動は部活動などと違い、常に死と隣り合わせの環境に身を投じられる。 完全実力社会の中で先輩を立てるなどの器量の良さは、生憎持ち合わせていない。

 

 

「言いたいことはそれだけですか? これ以上話しても、お互い気分が悪くなるだけなので失礼します」

 

 

 紫莉は、セカンド達の間を強引にすり抜けようするが、途中で取り巻きのサードに腕を掴まれてしまった。 サードを睨みつけ、無言の圧力を送るが相手はニヤニヤと馬鹿にするような笑みを浮かべていた。

 

 

「……放してください」

「あんたさぁ、一体どんな手を使ったわけ?」

「はい?」

「少しでもファーストとしての意地があるんなら、やり返しても良いんじゃない? でも、いつも私達から逃げちゃってるのを見てたら、思っちゃたんだよねぇ──あんた実は大したことないって」

「……」

「普段から自分は特別ですぅ、みたいな雰囲気出しちゃってさ。 本当は司令とか上の人達にゴマ擦ってたんじゃないの~? じゃなきゃ、あんたみたいな根暗が認められるわけ──ぐっ……!」

 

 

 紫莉の我慢は限界を迎えた。 目を見開き気色ばんだ表情で、サードを壁際に追い詰め、力いっぱい胸倉を握り締めた。 紫莉の突発的な行動に一瞬、場の空気は静まり返ったが、すぐにセカンド達は「何すんのよ!?」と金切り声を上げながら、飛び掛かってきた。 あと一歩早ければ、サードに一撃を加えさせられただろうが、咄嗟に反応したセカンド達に阻まれてしまう。 

 紫莉は髪と服を強く掴まれたまま、無理やり引きはがされてしまった。 無抵抗のまま、セカンド達によって壁に叩きつけられた紫莉は、痛みを感じる間もなく、次々と容赦ない拳と蹴りの雨を浴びせられることになった。 拳が顔に、肘が背中にめり込んでいく。

 紫莉も攻撃に晒される中、どうにか反撃を試みようとしたが、結局数の暴力には勝てなかった。 そして、セカンドの拳が脇腹に刺さった時、視界に星が飛んだ。じわじわと伝わってくる痛みに耐えきれず、声も出せずにそのまま床に崩れ落ちた。

 

 

「はぁはぁ、これくらいにしておきましょ。 行くわよ」

「は、はい。 おい、今度またふざけたことしたら、こんなもんじゃ済まないからな」

 

 

 セカンド達が去った後も、紫莉はしばらく動けなかった。 全身はズキズキと痛みが広がり、呼吸をするたびに酷くせき込んでしまう。 頬を殴られた時に口の中が切れたようで、舌には鉄臭い味が伝わってくる。 

 

 

「……クソ、クソっ」

 

 

 紫莉は弱弱しい声音で、不満を絞り出すのが精一杯だった。 自分を袋叩きにした相手への、そして何より、相手の挑発に乗せられてしまった己へ向けてのものだった。 

 手を出した方が負けなのは理解していたはずだ。 出したところで根本的な解決にはならず、余計に相手を増長させてしまう。 それでもあのサードのひと言は許せなかった。

 

 何がファーストの意地だ。 誰がゴマすり野郎だ。 俺がどんな思いで今まで過ごしてきたと思ってやがるっ。

 

 紫莉の沸々とした怒りが、沸騰直前に発生する気泡のように膨れ上がっていく。 手をついて立ち上がろうとするが、足が震えて上手く力が入らなかった。

 無理に立つことを一旦諦めた紫莉は、壁にもたれ掛かる。 ぼんやりと天井を見つめていると、体の痛みとともに頭の中も次第に冷静さを取り戻した。 

 これは当然の結果なのだろうか。 命に背いたことで組織から見放され、本来ならば背中を預けるべき仲間達からも厄介者扱いされるなど、自分にはお似合いの末路だ。 きっとこれ以上の屈辱を今後も受け続けるのだろうと、容易に想像できる。

 残酷な現実が紫莉の心を蝕む中、ふと、千束の存在が頭を過った。 なぜこのタイミングで、こんなことを思い浮かべてしまったのか、紫莉にも分からなかった。 幻想を消すように頭を左右に動かすが、振れば振るほど千束の存在が大きくなっていく。

 紫莉は思ってしまった。 きっと、自分が助けてくれと懇願すれば、千束は快く手を差し伸べてくれるだろう。 だが、同時に糸を掴む資格が、自分にあるのかと自問自答してしまう。

 いや、そんなわけはない。 彼女は何度も糸を垂らしてくれた。 初めて出会った時から、リコリコでの再会を経て、今日に至るまで彼女は気にかけてくれていた。 蜘蛛の糸ははすぐ側にあったのに、くだらない意地で自分自身を鎖で縛り、救いを見ようともしなかったは自分自身だった。

 この世のヘドロを練り合わせて作ったような、自分に嫌気が差す。 素直になれない自分が嫌い。 異なる性別の肉体と精神を持ち、なおかつ前世の記憶を持っているなど、映画だったら三流以下の設定を持ち合わせている、倉木紫莉という人物が心底憎たらしかった。

 自責の念に堪えられなくなった紫莉は、ポケットに入れていたピルケースの中身を乱雑に手のひらに出す。 この量を服用してしまえば、命の危険もあるだろう。 それでも、一刻も早くこの苦しみから解放されたかった紫莉は、口元へ錠剤を持っていこうとした。

 その時、誰かが近寄ってくる足音が、かすかに耳に届いた。

 

 

「何してるの!?」

 

 

 誰かの叫び声が耳に届いた瞬間、紫莉は心臓が跳ね上がるような感覚を覚え、反射的に肩をビクッと震わせた。 その拍子に手の中で握りしめていた錠剤が滑り落ち、床に散らばった。 床にぶつかる錠剤の音が、紫莉にはやけに大きく響いた気がした。

 顔を上げると、駆け寄ってくる千束の姿が目に飛び込んできた。 紫莉は慌てて床に散らばった錠剤を拾おうと手を伸ばしたが、千束の表情を見た瞬間、その動きが止まった。

 千束は、紫莉が何をしようとしていたのかすぐに察したのだろう。 彼女の瞳は鋭く光り、焦りと怒りが入り混じった冷たい声が、紫莉の耳に突き刺さるように響いた。

 

 

「今、何しようとしてたの?」

 

 

 その問いかけに、紫莉は言葉を詰まらせた。

 

 

「……別に、何も」

「それにその傷、誰にやられたの? もしかして、さっきすれ違ったセカンドの子達?」

「……ちょっと揉めただけです」

 

 

 本当のことを言えば、千束がどんな反応をするのか怖かった。 言えば彼女がどんな行動を取るのかが、容易に想像出来たからだ。 

 紫莉が地蔵のように口を閉ざしていると、千束の瞳が更に険しくなった。 彼女は「ふざけやがって……」とで吐き捨てるように呟くと、元来た方へ戻ろうとし始めた。 

 このまま彼女を行かせてはならない。 そう思った紫莉は「待って!」と震えた声を絞り出し、千束の腕を掴む。

 

 

「っ! なんで止めるの? 後輩がここまでされて黙ってるなんて無理!」

「頼むからやめてくれ、俺は大丈夫だから、放っておいてくれ……」

「大丈夫じゃないでしょ!」

 

 

 千束の悲痛な叫び声が空気を切り裂き、紫莉は反射的に大きく身を震わした。 普段の彼女からは想像も出来ない様子に、紫莉の喉が一瞬で乾いていく。 

 

 

「なんで自分を大事にしないの!? 悲劇のヒロインのつもり?」

「いや……そんなつもりは……」

「だったら、放っておいてくれとか悲しいこと言わないでよ。 私は君が心配なの。 私だけじゃない、先生もミズキも、たきなやクルミだって紫莉のこと本気で心配してる」

「そ、そんなわけ……俺みたいな愛想もない奴を心配する人なんて」

「ここにいる」

 

 

 紫莉は次の言葉が喉につかえ「え……?」と間の抜けた声を漏らした。 千束が何を言っているのかが理解できなかった。

 

 

「紫莉が今までどんな人生を歩んできたのか、私は分かんないけど。 別に話したくないなら、話さなくても良い。 でも、君が傷ついたら悲しむ人がいることだけは知っておいて」

 

 

 なんで、なんでこの人はそんな前向きなこと言えるんだ……? 意味が分からない。

 

 混乱している紫莉が我に返った時には、すでに体が宙に浮いていた。 千束に背負われていることに気づいた瞬間、紫莉の心臓は大きく跳ね上がった。

 

 

「ちょ、ちょっと、降ろしてください! 自分で歩けますからっ」

「ダメ。 このまま行くから」

 

 

 必死に身じろぎする紫莉だったが、千束はそのたびにしっかりを脚を抱え込み、力を緩めることはなかった。

 

 

「何処に行くんですか!? 医療室なら絶対に嫌ですっ」

「たきなのとこ」

 

 

 突然のたきなの名前に、紫莉は余計に戸惑ってしまう。 なぜ今、たきなに会いに行かなければならないのか、理解できなかった。 けれど、これ以上の抵抗は無駄だと悟った紫莉は、大人しく千束に身を預けることにした。

 その時、紫莉は奇妙な感覚に陥った。 二つ年上の少女の背中が、とても大きく頼もしいように感じた。 人の温もりというべきなのだろうか、言葉には言い表せない不思議な感覚だった。

 しかし、その温もりは紫莉の不安を掻き立てた。 これまで人に頼らず生きていくことが正しいと信じてきた紫莉にとって、他人の温もりは居心地の悪さを伴わせた。

 千束が一歩ずつ進むたびに、紫莉の心の葛藤は大きくなっていくのであった。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 千束の背中で揺られる中、紫莉はたきなに会いに行く目的を訊ねた。 けれど、彼女の口から語られた内容はあまり良いものではなかった。

 たきなは、篠原沙保里を護衛した時に手に入れた例の写真を材料に、楠木にDAへの復帰を迫った。 しかし、楠木は彼女の要求は通さず、復帰の約束もしていないと一蹴したという。 更に、元々たきなが担当していたポストは、既に後任が決まっているらしく、その後任者にもきつい言葉を浴びせられたとのことだった。

 

 

「──そしたら、フキの奴さ『お前はDAに必要ない』って言うわけよっ。 ありえなくない!? ショックを受けてる子に向かってよくそんな言えるよねぇ」

「た、確かにそれはきついですね……」

「で、その時フキに模擬戦を吹っ掛けられてさ、私もムカついてたから、乗ったんだけど、たきなはもうそれどころじゃなかったみたいで。 急に走り出しちゃうもんだから、慌てて追いかけたんだけど……まさか途中でボロボロの紫莉を拾うとはねぇ」

「……すみません」

 

 

 自分の間の悪さが出てしまった紫莉は、蚊の鳴くような声量で謝罪した。 それを訊いた千束は困った笑みを浮かべながら「そういう意味で言ったわけじゃないんだけどなぁ……」とぼやいていた。

 千束に背負われたまま、紫莉が連れて来られたのは寮の屋内広場だった。 天井はガラス張りで、見上げるとどんよりとした雨雲は、今朝と変わらず雨を降らしていた。 広場の中央には、巨大な噴水が設置してあり、噴き出される水が静かな音を立てて踊っていた。

 この噴水広場は、この寮に住むのリコリスからは憩いの場とされていた。 銃声や爆発音に晒される日常の中で、噴水のホワイトノイズが心を癒す役割を果たしていた。 しかし、今の紫莉にとっては、耳障りの悪い雑音にしか思えなかった。

 

 

「やっぱり、ここに居た」

 

 

 千束の言葉に反応して、紫莉は噴水の方へ視線を向けた。 そこには、噴水のすぐ側で立ち尽くしているたきなの姿が見えた。 彼女は何をするわけでもなく、跳ねまわる水しぶきを見つめていた。 彼女の表情はこの距離からでは分からなかったが、後ろ姿からは哀愁じみた雰囲気を醸し出していた

 

 

「錦木さん、降ろしてください。 自分で歩けます」

「えぇ~ホントに大丈夫ぅ?」

 

 

 紫莉は千束に降ろしてくれるように頼んだ。 千束はこのまま行くつもりだったらしいが、流石にこの格好を人に見られるのは恥ずかしい。

 なぜか不服そうな千束の背中から降ろしてもらい、彼女に追従する形でたきなの元へ向かった。

 たきなは紫莉達が近くに来ても、一瞥しただけで黙って噴水を眺めていた。 しばらくの間誰も口を開かなかったが、静寂を破ったのはたきなだった。

 この寮への憧れ、リコリスの制服に袖を通したときの感動。 そして、この寮で過ごすことを人生の目標にしていたこと。 たきなにとって、この場所は特別な意味を持っているようだった。

 紫莉には到底理解できない価値観だったが、今は彼女の心境が少しだけ分かる気がした。 DAに嫌悪感を抱く自分でさえ、組織から不要な存在と認識した時、酷く動揺してしまった。 生真面目なたきなが、楠木やフキに面と向かって「必要ない」と言われた時の絶望感は、奈落の底へ突き落されるに等しいだろう。

 

 

「──でも、私はそれを奪われた! どうして、こんな……」

「たきなを必要としている人は、街には大勢いるよ。 別にここだけじゃない」

「っ! 千束さん、あなたは良いですよね、DAから必要とされていて!! 私の、私の居場所は──もう、ここには、無い……」

 

 

 たきなの悲痛な叫びは、紫莉の胸に深く突き刺さった。 信じていた組織に裏切られ、取り乱す少女の姿が、先ほどの自分と酷使していた。 本来ならば、千束のように優しい言葉を掛けるべきなのだろうが、人を慰める経験に乏しい紫莉は何も出来なかった。

 

 

「……ごめんなさい。 分かっています、全部自分のせい。 あの時、待機命令さえ守っていれば、紫莉さんにも迷惑を掛けていなかった」

「……前にも言いましたが、俺に井ノ上さんの行動を責める権利はありません。 お互いあの選択が最善と思ったから、行動したわけです。 別に迷惑だなんて思っちゃいません」

「そう、ですか。 ……ありがとうございます」

「それに問題は別にあります。 取引の時に起きた通信障害のこと、覚えていますか?」

「え、ええ。 確か技術的トラブルが原因だったと、聞いていますが……」

「実は──」

 

 

 紫莉は、一瞬言うべきか迷った。 通信障害の真相を明かすことで、たきなの心を更に揺さぶってしまうかもしれない。 しかし、彼女も自分と同じ、犠牲者であることを踏まえ、真実を告げることを決めた。 

 紫莉が真相を語っていくと、みるみるうちに、たきなの表情は怒りに色に染まり、目の奥には鋭い光が宿った。 

 紫莉が話を終えると、たきなはすぐに身をひるがえし、何処か行こうとした。 咄嗟に反応した千束が、たきなの腕を掴み、彼女を制止させた。

 

  

「ちょ、ちょいちょいちょい! どこ行くのさ!?」

「こんなの理不尽です! 司令と話さないと納得できませんっ」

「無駄ですよっ。 シラ切られるだけで、何も教えてはくれませんよ」

「じゃあ、どうすれば!?」

「ど、どうすればって言われても……」

 

 

 憤慨するたきなに詰められた紫莉は、戸惑ってしまう。 上手い返しが思いつかなかった紫莉は、千束の方へ助けを求める視線を送った。 すると、千束は予想外の行動にでた。

 千束は、紫莉とたきなを抱擁するように両腕で包み込んできた。 彼女の行動に二人は目を丸くした。

 

 

「二人とも、今は次に進む時だよ。 失うことで得られるものもあるって。 二人があの時ああしなかったら、私達は出会えなかったよ?」

 

 

 まるで母が子に語りかけるような優しい声音だった。 紫莉は胸の中の氷がゆっくりと溶けていくような、不思議な感覚を覚えた。 

 気恥ずかしくなった紫莉は、千束の顔を見ることが出来ず、視線を横に逸らした。 すると、千束は紫莉の脚に腕を回し、正面から抱え上げた。 

 

 

「ちょ、錦木さん、何するんですか!?」

「紫莉、私は君と会えて嬉しいっ!」

「は、はぁ? いきなり何ですか……?」

「嬉しい! 嬉しいっ!」

 

 

 ぐるぐると回る千束の腕の中で、紫莉は必死にもがいた。 だが、千束の向日葵を連想させる笑顔は抵抗する気力を奪っていく。 

 

 ……本当に変な奴。 俺と会えて嬉しいだなんて。

 

 紫莉は思わず笑みがこぼれてしまった。 そんな自分に驚いた。 いつも浮かべていた愛想笑いや、惨めな己に向ける自嘲でもなく、本物の笑みだったからだ。 こんな感情が自分にも残っていたのだ。

 千束は紫莉を降ろした後、たきなにも同じことをした。 そして、彼女は言った。

 

 

「誰かの期待に応えるために、自分が悲しくなるなんてつまんないって。 二人の居場所は絶対ある。 まずはお店の皆との時間を試してみない? それでもここに戻ってきたかったらそうすればいい。 チャンスは必ず来るからその時、自分がしたいことを選べばいい」

「自分が、したいこと……?」

「そっ! ちなみに、私はやりたいこと最、優、先! ──まぁ、それで失敗も多いけどね」

 

 

 そして、千束は「今は、たきなに酷いこと言ったアイツらをぶちのめしたいのでぇ、ちょっと行ってきますよ」と言い残し、屋内訓練場がある方へ消えていった。

 千束が去った後、紫莉はベンチに腰掛けた。 先ほどの彼女の言葉が、頭の中でボールのように跳ねまわっていた。

 

 やりたいこと……俺のやりたいことって何だ? 

 

 心を押し殺して生きてきた紫莉にとって、非常に悩ましい議題だった。 普通の人ならば、すぐに思いつくのだろう。 

 けれど、紫莉は考えても考えても、やりたいことがまったく思いつかなかった。 常にやりたくないことばかりに目を向けてきた結果なのか、本当の自分が願いが分からなくなっていた。

 ふと、千束の別の言葉が頭をよぎった。 そのことに意識を集中させると、たったひとつだけだが、やりたいことを思いついた。

 

 

「決めた」

「え?」

 

 

 紫莉が決意を固め立ち上がると、たきなが視線を向けてきた。 彼女はまだ葛藤しているのか、紫色の瞳が揺れ動いていた。

 紫莉はたきなに向き直り、口を開いた。

 

 

「やりたいこと、見つかりました。 だから、俺は行きます」

「……そうですか。 何をするつもりで?」

「錦木が言ってたでしょ──『ムカつく奴らをぶっ飛ばす』って」

 

 

 意図が掴めなかったのか、たきなは首を傾げていたが、紫莉は彼女を置いて駆け出した。

 この決断が正しいのか分からない。 ひと時の感情に流された愚かなものだ、と冷静な自分は言っている気がする。 けれど、今だけはこの感情に身を任せてみようと思うのだった。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 ―状況終了、交戦を停止しろ! 

 

 キルハウスに設置されたスピーカーから、楠木の声が鳴り響く。 紫莉は深呼吸をして肩に入っていた力を抜いた。

 紫莉の足元には、セカンドを含めた数人のリコリスが倒れていた。 セカンドは右肩を押さえ、紫莉に負けじと闘志のこもった鋭い瞳で向けてきた。 楠木の号令がなければ、まだ挑んできそうな勢いだったが、忠実なリコリスである彼女はそんなことはしないだろう。 二階の見学席に視線を向けると、模擬戦を観戦していたリコリス達の表情が一様に強張っていた。 その中からは、恐れが入り混じった視線が紫莉に注がれていた。

 紫莉は胸がすくような気持ちになった。 勝利の感覚が胸の奥でじわりと広がる。 大人げなかったかもしれない。 だが、その後ろめたさは優越感にかき消されていった。

 たきなと別れた紫莉は、すぐに楠木の元へ向かった。 楠木がこのキルハウスを見下ろすオペレーションルームにいることは分かっていたので、彼女を見つけるのは難しくなかった。

 オペレーションルームのドアを開けると、楠木はいつもの冷静な表情で振り返り、「何か用か?」と淡々と訊ねてきた。 

 紫莉はためらうことなく、「自分も模擬戦をやりたいです」と率直に伝えた。

 楠木の秘書が驚いたように眉をひそめ、冷たく突っぱねてきたが、楠木は秘書を制するように手を軽く上げ、紫莉をじっと見つめた後、「いいだろう」と短く言った。

 まだ、何も対戦相手のことも伝えていないのに、と思っていると、楠木は次々とセカンド達の名前を口にした。 紫莉は驚いた。 まさかこんなにもあっさりと許可が下りるとは思ってなかったからだ。

 紫莉は、楠木に礼を言い、部屋を後にしようとした時、彼女に呼び止められた。 彼女はこちらに背を向けたまま「やりすぎるなよ」と釘を刺してきた。

 無論、そのつもりだった。 セカンド達への怒りは確かにあった。 しかし、別に殺したいまでではない。 彼女達が二度と手出ししてこないようにする、それだけだ。 

 そして、紫莉はセカンド達と対峙して、無事勝利を収めたのだった。

 

 

「……認めない」

「ん?」

「私は……絶対アンタを認めない。 いつか、いつか必ず成果を挙げて、ファーストになって見返してやるからっ!」

 

 

 紫莉はきょとんとした。 

 ここまで叩きのめされて、まだ立ち上がろうとする彼女の精神力に一瞬だけ尊敬の念を抱いた。 けれど、その言葉を出すことはなかった。 彼女にとっては慰めにもならないだろうと思ったからだ。 「そうですか」と流すように応じ、その場を立ち去った。

 キルハウスを出ると、意外な人物が紫莉を待っていた。 

 

 

「……よう」

「……春川か。 随分派手にやられたな、らしくもない」

 

 

 そこにいたのは、右頬を赤く腫らしたフキだった。 彼女のそんな姿を見たことない紫莉は、目を白黒させた。

 フキは「うるせえ、油断してたんだよ」と、頭の後ろを掻きながら応えた。

 

 

「つか、らしくないのはお前もだろ。 あいつらとお前の仲が悪りぃのは知ってたけど、わざわざ相手してやるなんて」

「まあ……正直、俺も驚いてる。 いちいちムキになるのは時間の無駄と思ってたからな」

「そっか。 ──それと私も悪かった」

 

 

 フキは突然、髪を揺らし頭を下げた。 緊張しているのか、微かに彼女は肩を震わせていた。

 紫莉は、彼女が何に対して謝罪してきたのかと一瞬戸惑ったが、すぐに通信障害のことを思い出す。

 

 

「気にしないでくれ。 俺もカッとなって悪かった。 冷静になれば、司令の判断は組織の長として適切だ。 こんな組織だ、何処に聞き耳を立てている連中がいるか分からない。 あんなヤバい事実、誰彼にも話すわけにはいかないだろうからな。 まあ、本音を言えば少し、いやかなりショックだったけど」

「……悪かった」

「大丈夫だって。 春川は何も悪くないだろ? そういえば訳があるって言ってたけど」

「それは……」

「頼む、教えてくれ。 他の人達には漏らさない。 約束する」

 

 

 フキは、周りを見回し誰もいないことを確認すると、顔を近づけてきた。 彼女は小さな声で「リリベルがお前を狙っているかもしれん」と耳打ちした。

 紫莉は苦虫を嚙み潰したように顔を少し歪ませた。 彼らはリコリスと同様、日本に巣食う悪人を処理することが主な業務なのだが、リコリスとは決定的に違うことがある。 それは不要、もしくはDAにとって都合の悪くなったリコリスを処分する処刑部隊のような役割も担っていた。

 そのことを踏まえれば、自分は格好の的だろうと紫莉は思う。 自身の存在自体が、リリベルにとっては目の上のたんこぶであり、その存在が命令違反をしたとなれば、彼らにとってはチャンスが降ってきたようなものだろう。 

 ふと、紫莉の中で点と線が繋がる。 だからこそ、楠木は自分を追い出し、リコリコに送り込んだのではないか、と。 あそこならば、上に顔が利くミカがいるし、何より千束がいる。 身をかわすには最適な場所だと思えた。

 

 

「そういうことか……クソ、あの髭親父め。 治安維持っていう目的は同じなんだから、わざわざこっちにつっかかってくるなよ」

「しょうがねぇだろ。 目的は一緒でも、私達とあいつらはまったく別もんだ。 理解し合えるはずがねぇよ」

 

 

 フキの言う通りである。 リリベル達も元は孤児であり、幼き頃から刷り込み教育をされている。 故に彼らにとってリコリス狩りは、仕事の一部だ。 中にはそれに疑問を持つ者もいるかもしれないが、結局は命令に従うしかない。 

 

 

「それにしても、楠木さんらしいな。 あの人顔とか態度には出さないけど、俺達の身を案じてくれている。 立派な人だ」

「……お前がそんなこと言うとは意外だな。 てっきり司令も目の敵にしてるのかと思ってた」

「別にそこまでは……あの人は全体の視点で物事を見てるだろうし、俺とは違う苦労をしている。 気に障ることはあるけど、流石に恨むまではいかない」

 

 

 これは紫莉の本心だ。 失敗や情報漏洩の許されないこの組織で、楠木はその重圧に耐えて良くやっている。 自分が彼女の立場だったとしたら、到底耐えられる気がしない。

 

 

「まあ、ひとまず俺が置かれてる状況はよく分かった。 教えてくれてありがとう」

「……なあ、紫莉」

「ん?」

「お前、本当に向こうで上手くやってるか?」

「……正直、出来てない。 昨日も店の客に強く当たっちまったし、錦木達ともギクシャクしてる。 けど」

「けど?」

「錦木が言ったんだ。 『自分がしたいことを選べばいい』って。 だから、あそこで探してみたいと思うんだ。 見つかるか分かんないけど、自分がやりたいことを」

「……そうか」

「まあ、自分で言うのもなんだが、働きすぎた気がする。 少しリコリコで羽を伸ばさせてもらうよ」

 

 

 紫莉の言葉にフキは小さく口角を上げた。

 フキは「気ぃ抜きすぎて、千束の馬鹿をうつされんじゃねぇぞ」と言ってきた。 紫莉は微笑を浮かべ、頷いておいた。

 

 

「っと、そろそろ俺は行くよ。 じゃあな、春川。 色々ありがとう」

「礼を言われるまでのことはしてねぇよ。 じゃあな、紫莉」

 

 

 先に背を向け歩き出したフキを見送り、紫莉も歩き出した。

 倉木紫莉として生まれ変わり十五年。 初めて自分の足で歩いているような、感覚を味わうのだった。

 

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