蜘蛛の糸を掴めたら   作:SHALC7

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七話 中編

 紫莉は腕を組み渋い顔で小さく唸る。 原因は先日の吉松のせいだ。 

 あれから何度も考えてみたが、あの変人の目的が分からずにいた。 

 何故千束のことを深く知りたがるのか、何故自分と千束が戦うなどという身の毛もよだつことを口走ったのか。 

 やはり彼はこちら側の人間なのだろうか。 リコリスを無事に“卒業”した後に“出荷”される先の関係者──“ラングレー”(CIA)“ヴォクスホール”(SIS)。 国内組織でいえば“ハム”や“ゼロ”(公安機関)“の類に属する人物。 

 そうであるのならば納得できる。 千束ほど名を立てている人物ならば、そういう業界筋から目をつけられていても何らおかしくはない。 どの機関も優秀な人材には唾をつけておきたいだろう。

 だが、吉松をどの組織に当てはめてもしっくりこなかった。 彼にはまた別の目的が絶対にある。 何の根拠もへったくれも無いが、紫莉の直感がそう告げていた。 

 とめどなく溢れてくる妄想に脳みそがパンクしそうな時だった。

 

 

「──ちょいちょい、お嬢さん訊いてますかー?」

「え?」

 

 

 急に現実へ引き戻らされた紫莉が間の抜けた声を漏らしてしまう。 目の前には不満げに頬を膨らませた千束。 それに他のリコリコの面々がこちらに注目していることに気づく。

 二階席に居たクルミがVRゴーグルを外し、怪訝な視線を送ってきた。

 

 

「どうした紫莉? また腹でも痛いのか?」

「私、胃薬持ってます。 持ってきましょうか?」

 

 

 クルミの言葉に紫莉の右隣にいたたきなの眉が不安そうに下がる。 咄嗟に「いや、大丈夫。 考え事してただけ」とやんわり断る。

 たきなは疑いの眼差しを向けながら「なら良いですが……無理はしないでくださいね」

 と腰を降ろしてくれた。 

 そんなに酷い顔をしていたのか、と紫莉は恥ずかしさで顔が赤くなりそうになる。 すると、千束がゴホン、とわざとらしく咳払いする。

 

 

「はいはーい。 体調悪くなったら遠慮なく申し出るように。 えっーと、どこまで話したっけ……」

 

 

 持っていたタブレット端末を見直し始める千束。 紫莉は左に居たミズキにこっそり訊ねる。

 

 

「錦木が説明するなんて珍しいですね」

「なーんか今回やたらやる気になっちゃててさ。 つか、アンタも事前に内容は知ってるでしょ?」

「えぇ、一応資料には目を通してますよ」

「ちょい! そこ、私語は厳禁!」

 

 

 タブレット端末を手のひらでパンと叩きながら、千束は一同を静かにさせる。 ミズキの言う通り本当に気合が入っているようだ。

 

 

「さーて、改めて最初から話すね。 依頼主の名前は松下さん。 七十二歳、男性、日本人。 過去に妻子を何者かに殺害され、自身も命を狙われたため長い間アメリカへ避難していた。 現在は病を患っており、病名がキン……キンイシュク……」

筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)だ」

「そうそれ!」

 

 

 クルミが噛みそうになった千束の代わりに病名について述べる。

 “筋萎縮性側索硬化症” 別名“ALS”とも呼ばれる指定難病の一種だ。 症状として脳のニューロンに異状が生じ、全身の筋肉が麻痺し徐々に衰えていくというものらしい。 あまり聞き馴染みのない病名だったが、事前に貰った資料に補足として載っていたので大まかな症状は把握していた。

 千束が言葉を続ける。

 

 

「去年余命宣告を受けたらしいけど、最期に故郷である日本、それも東京を見て回りたいって」

「観光兼思い出巡りってことね」

 

 

 ミズキがしみじみとした口調で呟く。 

 誰しも生まれ育った故郷というものは思い入れが強くなるものだろう。 それが良い記憶なのか悪い記憶なのかはさておきだが。

 

 

「けど、命を狙われるなんて、その人一体どんな大物なんだ?」

「大企業の重役らしいわよ」

 

 

 紫莉の疑問にミズキが応える。 

 

 

「普通それだけで狙われますかね? よっぽど危ない橋を渡らないとそんな事態にはならないと俺は思いますけど……」

「こっちも色々調べたんだけどさぁ、正直サッパリ。 まあ、大企業となれば関わる人間も多いし、恨みにひとつや二つ買ってもおかしくないじゃない?」

「……きな臭せぇ話」

 

 

 あっけらかんと答えるミズキとは対照的に、紫莉はげんなりとした表情になった。 

 この世は欲望と悪意に満ちている。 愛や優しさなどという綺麗事は幻想であり、リコリスになってから人間本来の汚さを嫌というほど見せつけられた。 

 頭では世の理を理解しているつもりだ。 だが、心とは矛盾するものでそんな現実を信じたくない自分も同時に存在する。

 今回の依頼主もかなりあくどいことをした結果、命を狙われることとなったことは理解できるが、それに巻き込まれた妻と子供が不憫で堪らない。

 

 ……本当に人間って生き物は、救いようがねぇ。

 

 紫莉が世の現状を内心嘆いていると、千束はタブレットを抱きしめながら寂しげに眉を下げた。

 

 

「泣ける話でしょ? 要するにまだ命を狙われる可能性があるからBodyguardします! まぁ、日本に来てすぐに狙われるとも思えないけど。 それに行く場所は完全にこっちにお任せするってことなので、私がバッチリ安心安全で完璧なプラン考えるから!」

「だったら、旅のしおりでも作ろうか」

「良いねぇクルミ、ナイスアイディア! 作ろう作ろう!」

 

 

 千束が指を鳴らしクルミの提案に賛同する。

 紫莉もその意見に賛成だった。 せっかくこの店に足を運んでもらうのならば、少しでも印象深い物を用意しておくのは良いことだ。

 

 

「でも、時間があまり無いですよ? 今から作って間に合うかどうか……」

「大丈夫だって! 徹夜でやるからさ!」

「えぇ……」

 

 

 たきなの疑問に千束は笑顔で親指を立てた。

『やりたいこと最優先』をモットーとしている彼女に何を言っても今は無駄だろう。 それをたきなも理解しているためか、無理に引き止めたりはしなかった。

 その後は各々の役割などを決めると、明日に備えて少し早めの店じまいをすることになった。

 紫莉は入口のプレートを裏返すため外に出た。 日差しの強い昼間とは打って変わり、心地の良い夜の風が吹いていた。 冷房の効いている室内の方が快適ではあるが、これくらいの気温であれば幾分過ごしやすかった。 

 視線を上げると、ライトアップされた旧電波塔が斜めにそびえ立っていた。

 あそこで千束は、過去に数十人もの武装テロリストを制圧したことがある。 あのリリベルを全滅させた相手に対し、彼女はたった一人で立ち向かい勝利を収めた。

 紫莉は知らなかったとはいえ、よくそんな相手と模擬戦をやって五体満足で済んだものだ、と力なく笑った。 もし彼女の性格が冷酷だった場合、今頃どうなっていたかなんて想像もしたくない。

 

 あいつとまた戦うことがあったとしたら、その時は──

 

 いやいや、と紫莉は髪を横に揺らす。 ありえもしない未来について思案するのは、時間とメンタルの無駄だ。

 さっさと残りの仕事を終わらせるべく、紫莉は店内に戻っていくのだった。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 雑誌の山があった。 雑誌の表紙をよく見れば東京観光の情報誌で、これらは全て千束が店の本棚から引っ張り出してきたものだ。

 たきなはふきん片手に首を傾げる。

 

 

「何してるんです?」

「松下さんの観光のしおり作り」

 

 

 たきなは開いた口が塞がらなくなった。 確かに徹夜でしおりを作ると言ってはいたが、本当にやる気だとは思ってなかった。

 レジで精算を行っていた紫莉が呆れたように肩をすくめた。

 

 

「……マジで徹夜でやるのか?」

「あたぼうよ!」

「睡眠不足は護衛任務の支障になりますよ……?」

「これも立派なリコリコのお仕事で~す。 だからセーフなのっ」

「どういう理屈だよ……」

 

 

  

 そしてたきな達が見守る中、一人でしおり制作を始める千束。 雑誌を真剣な面持ちで読み、時にはタブレットを使いネットで情報収集に勤しんでいた。 しかし、段々と手が止まっていき最終的にはカウンター席に突っ伏した。

 たきなは紫莉に耳打ちをする。

 

 

「やっぱり苦戦していますね……」

「……まぁ、無理もない。 行く先はこっちにお任せするって話だけど、東京は観光スポットが多い。 何処に重点を置いたルートにすれば良いか迷うだろうな。 せめて依頼主の情報がもう少し分かれば……」

「やはり今から作るのは無理があるのでは?」

「普通の奴なら諦めるだろうな。 けど、アイツはそういうタイプじゃない。 井ノ上もそれは分かっているだろう?」

「……ですね」

 

 

 日ごろの千束を間近で見ているたきなは妙に納得してしまう。 とはいえこのままでは時間だけが過ぎてしまう。

 どうしたものかとあぐねいていると、ため息を吐きながら紫莉が千束の元へ行った。 彼女は雑誌を手に取りぱらぱらとページをめくる。

 

 

「ほら、突っ伏してないで手を動かせ。 俺も手伝う」

「え、良いの!?」

「一人で考えても何も変わらないだろ。 一人より二人、二人よりも三人だ」

 

 

 紫莉が目配せしてくる。 こっちに来て一緒に考えろとのことだろう。 

 たきな自身が言えたことではないのだが、最近の紫莉は随分と変わったものだ。 以前の彼女であれば、協力せずさっさと帰っていただろう。 地下倉庫襲撃の時に見せた感情的な一面も悲観的な発言もめっきり減った。

 これも千束の影響なのだろうか、とたきなは思いながらカウンター席に腰掛けた。

 

 

「さて、まずは始めに行く所だ。 ある程度の目星はついてるのか?」

「んー正直さっぱり……行きたい場所が多すぎて~」

 

 

 再び頭を抱えながら突っ伏す千束。

 たきなもこの場に参加している以上、何か案を出さなければならないと思う。 しかし、幼き頃から訓練と仕事漬けの日々を送っていた。 こういうシチュエーションは非常に不慣れだ。 

 そもそも家族を失い誰もいなくなった日本で見たいものなどあるのだろうか、と元も子もないことを考えてしまった時、数日前に見かけたものを思い出した。

 

 

「そういえば、ちょうど浅草寺でお祭りがあるみたいですね。 商店街にポスターが貼ってありました」

「あ! そっかぁ、そういえばお祭りがあったね! じゃあさ、まず仲見世通りに行ってそのまま浅草寺、その後はそこでお昼を済ませるとか、どう?」

「良いんじゃないか。 松下さんはそれなりにお年を召されてる方だ。 最近出来たキラキラした場所より、昔ながらの日本を感じられる場所が良いかも」

「昔ながらかぁ~それだったら、江戸城とかどうかな!?  東京の誇るおっきなお城跡! 古き良き日本文化を感じるならピッタリじゃない?」

「桜田門、外桜田門、田安門。 どれも重要文化財に指定されてる。 あの周辺は他にも歴史的に観る箇所も多いな。 採用」

 

 

 “三人集まれば文殊の知恵”というべきだろうか。 自身の発言をきっかけに話し合いが進んで行く様子にたきなはほっとする。

 最終的にプランはこのように固まった。

 午前の部は仲見世通り、浅草寺に行きそこで開かれている縁日で昼食を摂る。 午後の部は江戸城、学術文化ミュージアム、シビックセンターに赴き東京の夕焼けを眺めるといった内容だ。

 あらかた行先は決まった。 しかし、たきなは別のことを危惧していた。

 

 

「移動手段はどうしますか? お店の車で移動するにしても渋滞に捕まったら、狙撃される可能性がありますが」

「そこは大丈夫。 隅田川の水上バスをメインに使う予定。 水上バスなら渋滞を気にしなくても良いからね。 いざという時にはお店の車も使うし、一応防弾仕様だから、対物ライフルかロケットランチャーとかに撃たれない限り大丈夫!」

 

 

 紫莉が「流石に都心のど真ん中でそんなことする奴は居ないだろ……」と苦笑いを浮かべる。

 たきなも同じ気持ちだった。 だが、敵の正体が分からない以上、頭の片隅にはそのような事態も想定しておくべきなのだろう。

 

 

「よし、このプランで決まりだな」

「そうですね」

「ちょっと待った二人とも! 最後なんだけどさ……このお店に来てもらうってはどう思うかな?」

 

 

 千束の言葉に紫莉とたきなは顔を見合わせた。 千束が言葉を続ける。

 

 

「先生がいつも言ってるんだけどさ。 『コーヒーは味だけじゃなくて、色、香り、カップの温度とか人間の持つ五感全てで楽しめるもの』だって。 だからさ、無事に観光を終えて松下さんがアメリカに帰った後、ふとコーヒーの臭いを嗅いだ時にリコリコのことを思い出してくれる。 そういうことが出来たらすっごく素敵じゃない?」

「……確かに。 それが出来るのはこの店だけだしな」

「うんうん、でしょでしょ! よっしゃ決定! 紫莉、夜の部の項目追加しといて! 『〆は東京一のおもてなしカフェリコリコ! くつろぎのひとときを♪』って文章を添えてね!」

「はいはい」

 

 

 紫莉は面倒くさそうに返事しながらも、何処か楽しそうな表情でタブレットを操作して項目を追加していく。

 たきなはリコリスの教育課程で習ったことを思い出した。 リコリスような過酷な生い立ちを持たない“普通”の学生は文化祭というイベントがあり、学生同士でテーマを出し合いそのテーマに沿って様々な準備、出し物をするらしい。 

 もし自分が孤児でなく何不自由ない人生を送っていたならば、そのような人生を送っていたのだろうか。 

 たきなはリコリスとしての使命に生きる今の人生に不満があるわけではない。 しかし、そのような平和な人生を知った上で死と隣り合わせの人生を送るのは、受け入れがたい事実や現実に直面するのは考えなくても分かる。 仮にそんな人間が存在するのであれば、その者は正に生き地獄だろう。

 

 まぁ、そんな非科学的なことがあるとは思えませんが……

 

 そんな空想にふけていると、千束と紫莉が問答していることに気づいた。 あえて話は入らず聞き耳を立ててみると、どうやらしおりの作成方法で議論しているようだった。

 

 

「もうこんな時間だぞ、今から手書きで作ったら膨大なリードタイムが掛かるだろ。 デジタルで作る方がよっぽど効率的だ」

「分かってない……分かってないよ、紫莉。 ここは手作りで作ることで、しおりを渡される人の記憶にも残るし物として形に残る。 だから絶対手描きにするべきだよ!」

「た、確かにその意見も分かるが……現実的に考えて厳しいだろ……」

「出来るよ! だって紫莉さっき言ったでしょ? 一人より二人、二人より三人だって?」

「……井ノ上はどう思う?」

 

 

 急に話を振られると思ってなかったたきなは少し面をくらってしまう。

 二人の言い分を深く考えてみるが、どちらの意見も正しい気がする。 紫莉の言うように手描きで描いていては時間が掛かり、寝不足により護衛任務に支障をきたす恐れがある。 だが、リコリコのコンセプトのとしては千束の言い分が正しいように思えた。

 自分なりに考えること数十秒。 たきなは自分なりに合理的な結論を出した。

 

 

「そうですね……私は──」

 

 

 何が正解など答えは無いのだろうが、この時は自分の直感に従うのであった。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 紫莉が自宅に戻ったのは、日付が丁度変わる頃だった。 結局、しおり作りのやり方は千束の意見に軍配が上がった。

 

 ……まさかあの井ノ上が手作りの方を推してくるとは思わなかった。 

 

 効率的なことを好むたきなは紫莉の案に乗ってくると思っていたが、そうはならなかった。 特段不満があるわけではないが、紫莉としては意外な結果になったことの驚きの方が大きかった。

 

 ……あの子も少しずつ変化してるってことか。

 

 初めて会った時のたきなは、典型的なリコリスのタイプだと思い込んでいたが、最近は若干それも薄れてきたようだ。 きっと千束やリコリコの影響なのだろう。

 紫莉はその後すぐにシャワーを浴び軽く食事を摂った後、床に入ったが、アラームを設定していた時間より早く目が覚めてしまった。

 まだ時間に余裕があったため、二度寝をしようかとも思いもしたが、寝過ごしてしまいそうだったので止めておいた。 とはいえ、リコリコへ行くにはいささか早すぎるので、銃のメンテナンスでもして暇を潰すことにした。

 長めのスタッフバックに入れてある“M870 TAC14”を取り出す。 

 この銃の整備は本当に簡単だ。 銃身、フォアエンド、薬室、トリガー、そしてグリップ。 それぞれに構成される部品点数が多くないため、慣れていれば一時間かからず分解・清掃・組み立てまでが完了する。 紫莉が使用しているものにいたっては、使用頻度が少ないため内部もそこまで汚れておらず、三十分弱で終わってしまった。

 ついでに紫莉は“グロック21”も同様に、続けてナイフの刃も研いでおく。

 紫莉の持論ではあるが、道具のメンテナンスは非常に重要だ。 どんなに良い銃、工具であろうが、日々の手入れを怠ってしまうと、いざという時に最大限のパフォーマンスを発揮出来ない。 リコリスのように常に死と隣合わせの環境では、最も重要なことのひとつであると思う。

 ファーストだった頃、一度だけ酷い目にあったことがある。 きつい任務が立て続けに発生し、食事はおろか風呂などの身の回りのことが手に付かない時期があった。 無論、仕事道具の手入れもする気もなく、そのまま使っていた。 ここぞという時に装弾不良を起こしてしまい散々な目にあった。 

 それ以来、どんなに辛い状態でも道具の手入れだけは欠かさないようにしている。 そうしなければ、痛い目を見るのは自分だから。

 

 こんなもんか。 うーん、でもまだ時間あるしなぁ……

 

 カーテンを開けてみると、東の空がぼんやりと明るくなり始めている。 もうすぐ日の出を迎え、東京という世界有数の大都市が動きだす。

 結局紫莉はその後朝食を摂り、身支度を整えてリコリコへ向かうことにした。 今日は店の営業予定は無いのだが、残り少ない備品があったことを思い出したので、それらの確認を済ませておきたかった。

 店の近くまで差し掛かった時だった。 紫莉は前を歩く金髪ボブカットの少女の後ろ姿が目に入る。 

 千束だった。 少し歩調を早め近づくと、彼女は振り返り愛嬌のある笑みを向けてきた。

 

 

「おはよ~紫莉。 早いねぇ」

「おはよう。 そっちこそ、いつもはギリギリで来るくせに」

「あ、あはは……紫莉も言うようになったね~」

 

 

 紫莉は軽く首を傾げる。

 千束の様子が少し変に感じたからだ。 いつものであればひょうきんな態度で軽口を返してくるのだが。 別に体調が悪そうには見えない。 どちらかと言えば、心ここにあらず、といった感じだ。

 

 

「どうした? そんなにソワソワして。 まるで遠足前の小学生みたいだぞ」

「え、遠足前かぁ……まぁ間違ってはないけど……」

「もしかして、松下さんが来ることに緊張してるのか?」

「う~ん……そぉだね」

 

 

 冗談で訊いたつもりが、まさかの正解だった。 

 

 

「意外だな、アンタがそんな事で緊張するなんて」

「そんな事って……そりゃ、私だって血が通った人間ですしぃ。 緊張する事くらいあるよ」

「悪い悪い、言い方が悪かった。 謝るから頬を膨らますな。 それこそ小学生みたいだぞ。 けど、何か気がかりなことがあるのか?」

「気がかりって言うか……その、ちゃんとガイドが出来るのかなって」

 

 

 珍しく弱気な千束に、紫莉は口をへの字に曲げた。

 “歴代最高のリコリス”と評されている彼女だが、こうして見てみれば年相応の少女だった。 きっと普通の学生だったならば、文化祭の実行委員などを率先して行うタイプに違いない。

 

 

「大丈夫さ。 錦木なら問題なくガイドを務められるよ。 それに──」

「それに?」

「ずっとここで育ってきたんだろ? この街の素晴らしい場所や魅力をアンタは誰よりも知っている。 あと、殺し屋のことも気にしなくていい。 俺と井ノ上が目をしっかり光らせておくから、自信を持ってガイドしてくれ」

「……ありがとね、紫莉」

 

 

 千束はさっきまでとは打って変わり「よっしゃー! 絶対松下さんを喜ばせるぞぉー!」と声高らかに意気込む。 

 その姿に紫莉は頬を少し緩ませる。

 

 本当に元気な奴だな。 この調子なら何の問題もないだろ。

 

 紫莉がそう思っていると、千束が「いやぁそれにしても」と口を開く。

 

 

「紫莉も随分変わったよねぇ」

「え?」

「お店で初めて来た時なんてさ、捨てられた子犬みたいだったけど、今じゃこんなに元気になって。 うんうん、これも私の魅力のおかげだね」

「……調子の良い奴」

「さっきも私を励ましてくれたしさ、成長してくれてお姉さん嬉しいよぉ」

「だから、頭を撫でるな! 俺はペットじゃねぇ!」

「えぇ~良いじゃん、ちょっとくらい。 お礼だよ、お・れ・い! そんなに照れるなよぉ~」

「ちっ、黙っとけば良かった……」

 

 

 紫莉は顔に熱が帯びていくのを感じながら、千束の手を払いのける。 彼女は自然にこのようなことをやってくるからタチが悪い。 それに年下に頭を撫でられるなど、紫莉の中にいる成人男性としてのプライドが許せない気がした。

 

 まったく……こっちの中身はおっさんなんだぞ。 子供扱いされても……まぁ、このちんちくりんな見た目のせいだろうけど……

 

 そうこうしているうちに紫莉達はリコリコへ到着した。 中に入ると他の人はまだ来ていなかった。 クルミもまだ寝ているのだろう。

 適当に暇を潰していると、時間が経つに連れやがてメンバー全員が集合した。 そして、依頼主が来る前に最終打合せをすることにした。

 簡潔に纏めると依頼主の松下の護衛には千束、たきな、そして紫莉の三人。 ミカとクルミは店でドローン中継による指揮。 そして、ミズキは車の運転と暗殺者が現れた場合、尾行及び発信機を取り付けるなどの現場でのバックアップといった割り振りだった。

 だが、紫莉はその割り振りに疑問を持っていた。 今更遅いかもしれないが、訊いておくべき事柄だと思ったのでおずおずと手を上げる。

 

 

「あの……本当に中原さん一人で大丈夫でしょうか?」

 

 

 紫莉の言葉にその場に居た全員が首を傾げる。 ミカが「どういう意味だ?」と訊ねてきた。 そして、ミズキが不満そうに口を尖らせる。

 

 

「何よ、何か私じゃ不満があるわけ?」

「いえ、そういうわけではなくて……ただ単純に一人は危険なのでは? 敵の正確な人数も分かりませんし、いざ敵に襲われたら危険です。 それだったら俺は中原さんに付いておいたほうが良いのかと思いまして」

「はぁ……アンタねぇ」

「いっ……な、何するんですか!?」

 

 

 いきなりデコピンをくらわせてきたミズキに、紫莉は額を押さえ目で抗議した。 そんな視線をものともせずミズキは毅然とした態度で口を開く。

 

 

「大きなお世話よ、ガキンチョ。 私だって元DAよ。 危ない目になんて何度もあってるわ」

「で、ですけど」

「私の心配より依頼主を守ることを心配しなさい。 それにあんたことだから、敵を見つけたら一人で突っ込んで無茶しそうだし。 私もそっちの方に気がとられて任務に集中できなるつぅーの」

 

 

 考えを見透かされてた紫莉は何も反論できず黙り込んでしまう。

 この任務は敵を先に見つけて排除出来れば終わったも同然だ。 それゆえ紫莉が一人で迎え撃てば早い話だと思っていた。

 

 

「……お前の仲間を想う気持ちは尊重する。 だがこれは事前に決めたことだ。 急な予定変更は混乱を招く。 このままでいこう」

「……承知しました。 すみません、出過ぎた真似をしました」

 

 

 ミカに釘を刺されてしまっては、紫莉も首を縦に振らざるを得なかった。 やはりあの一件(ウォールナット護衛)が尾ひれを引いているのだろう。 

 後ろ髪を引かれる思いだったが、過去の自分の選択の結果だ。 今回は諦めよう。

 すると、店の前で何かが止まる音がした。 窓越しに外を覗いてみると、黒のミニバンが止まっていた。 どうやら依頼人が到着したようだ。

 まず入口のカウベルを鳴らし店内に入ってきたのは、サングラスと黒スーツに身を包んだ男だった。 立ち振る舞いから、依頼人が雇っているボディガードなのだろうか。

 次に現れたのは電動車椅子に乗った老人だった。 短めの白髪を七三に分け、仕立ての良さようなブラウンスーツを着用しており、首元には紫の蝶ネクタイがあしらわれている。

 彼が病人であることは一目で分かった。 目には眼鏡代わりなのか電子ゴーグルをかけており、左側の手すりからは白いチューブのようなものが伸びている。 チューブの先端は両鼻に刺さり、老人が呼吸する度にシューシューと空気音を立てていた。

 

 これは……思ったより重症だな。

 

 紫莉が機械仕掛けの老人姿に呆気に取られていると、ミカが前に出て「遠いところようこそ、松下さん」と穏やかな笑みを浮かべ歓迎の意を示す。

 

 

 ―少し早かったですかね? 楽しみだったもので。

 

 

 電子な音声が、車椅子の右側にあるパネルから発せられる。 おそらく今の音声は松下のものだろう。 パネルには心電図の波形図や血圧数値などバイタルデータが表示されていた。

 

 

「いえいえ、準備万端ですよ。 旅のしおりも完璧です!」

 

 

 千束がお手製のしおりを手に笑みを浮かべる。 すると、後ろに居たクルミがひょっこりと顔を覗かせた。

 

 

「千束、データで渡そうか?」

「え……? あ……!」

 

 

 クルミの提案に千束はハッとした表情になっていた。 

 紫莉はなぜクルミがそう提案したのかが、一瞬分からなかったが松下の手を見れば一目瞭然だった。

 彼の手は酷く瘦せこけ骨と皮しかなかった。 あれではページをめくるどころか、しおりを持つことさえままならないだろう。 それゆえにクルミはデータで渡すことを提案したのだろう。

 今回やしおり作成の件もだが、クルミは意外と気配りが効く。 日頃はぐうたらして営業時間中にも関わらず入浴したりなど自由奔放だが、やはりハッカーとして活動しているためか観察眼が人一倍優れているのだろう。 

 クルミがデータ送信をしてくれているのを待つ間、松下は護衛を下がらせた。 そして、スピーカーを鳴らす。

 

 

 ―今や機械に生かされているのです。 おかしく思うでしょう? 

「そんなことないですよ。 私も同じですから──ここに」

 ―ほぅ、ペースメーカーですか? 

「いえ、まるごと機械なんです」

 ―人工心臓……ですか。

 

 

 紫莉は思わず「え?」と間抜けな声を漏らしてしまう。 咄嗟に口を押さえ皆の反応を伺うと、たきなも固まっていた。

 呆然とする紫莉達をよそに、ミズキは腰に手を当て「あんたのには毛でも生えてるんだろうね」とからからと笑う。 すると千束は、形の良い眉を歪ませ「機械に毛は生えねぇつぅーの!」と反論していた。

 顔色を変えたたきなが「あ、あの、それってどういう──」と声を上げたが、同時にクルミが送信完了を告げたことにより、追求の機会を奪われていた。

 紫莉も任務の事より人工心臓とやらの存在が気になってしまい、今すぐ詳細を訊ねたかった。 しかし、余計なことに気を取られていては任務に支障をきたすため、今は口をつむぐしかなかった。

 




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