蜘蛛の糸を掴めたら   作:SHALC7

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 第一話の前編です。 一度に投稿しようかと思いましたが、長くなりすぎると感じたため分けて投稿する予定です。

 プロローグを見ていただいた方、お気に入り登録をしてくれた方々、ありがとうございます。
 この小説はリコリコ原作に沿って書く予定で、本編開始までもう少し掛かりますがお付き合いいただけたら幸いです。


一話 前編

 倉木紫莉(くらきゆかり)は転生者であった。

 転生者とは言っても、何か特別な才能があるわけでもなければ、現世での生まれが良いわけでもない。むしろ幸せとは程遠いものだった。

 父は妻の倉木桂依(くらきけい)が紫莉を身籠っていることが発覚し、既に堕胎も間に合わないことを知るや否や蒸発した。 

 一人残された桂依は、親や友人からも見放されている状態であったらしい。 原因はチンピラ崩れで素行も悪かった父と周囲の忠告も聞かずに付き合い続けたからだ。 

 彼女は非営利団体に出産費用を負担してもらい、紫莉をこの世に誕生させた。

 数年間は桂依と二人で暮らした。 母親としての本能や責任感がそうさせたのかは今では確かめようもないが当初は大切に育てられた。

 しかし、十八歳で紫莉を出産しまともな社会経験をしたことない、桂依が余裕を持って子育てできるほど世の中は甘くはなかった。

 朝一に紫莉を保育所に預け、昼間は仕事に追われ、夕方帰って紫莉の世話をして、紫莉を寝かしつけると、再び夜の仕事に出かける。

 そんな生活を続けていると人間の精神は簡単にすり減っていく。 桂依の精神も例外ではなかった。 そして、ストレスの矛先は紫莉の向いたのだった。

 彼女の意に反した行動をとると、よく大声で怒鳴られた。身体を叩かれることもあったし時にはベランダに締め出されることもあった。 彼女は家を空ける事も多くなり、帰ってきたときは大抵が泥酔状態だった。

 紫莉は決して忘れない出来事がこの頃起きた。 

 いつも通り酒に酔って帰って来た桂依に食事をねだると、彼女の虫の居所が悪かったらしく紫莉を突き飛ばしてきた。

 

 

「あたしは仕事で疲れてるの。 ご飯くらい自分で用意しなさい!」

 

 

 突き飛ばされた紫莉は痛みと悲しみで泣いてしまった。 桂依は面倒くさそうな顔を作ると踵を返しアパートを出て行った。

 紫莉は嗚咽を出しながら、冷蔵庫に入っていた残り少ない食料を食べながら思った。

 

 じぶんがわるいこだから、おかあさんはおこるんだ。 でも、なにがわるいのかがわからないよ。

 

 頭の中で何度も考えてみても答えは出なかった。 そして、泣き疲れいつの間にか眠りに落ちていた。

 その時見た夢は鮮明に覚えている。

 夢の中の紫莉は成人している男性であり、平日は大して好きでもない仕事に行き、休日は趣味に一人で没頭し、時には仕事仲間と酒を交わしながら愚痴を言い合うなどごく平凡なものだ。 

 けれど、その平凡な日常こそが幸せで尊いものに感じられた。

 

 

 ▼

 

 

 目を覚ますと辺りはまだ暗かった。 桂依の姿も見えず、まだ帰宅していなかった。

 紫莉はふらふらと立ち上がり洗面台に向かった。 

 鏡の前に立ち、顔を覗いた瞬間だった。 鏡に写っている自分の姿に猛烈な違和感が迫ってくる。 心臓は高鳴り、頭が割れそうになる。 鏡に写る黒紫の髪と瞳を持つ少女は紛れもなく自分であるが、別の誰かがそれを否定しているように感じられた。

 得体の知れない恐怖に囚われた紫莉は後ずさり、逃げるように鏡から離れ布団に包まる。 寒いわけではないのに歯が震え背筋に寒気を感じた。

 頭の中に次々と出てくる覚えのない記憶が蘇ってくる。 必死に振り払おうとするが止まることはなかった。 

 綺麗な情景を見て心が満たされる感覚、欲しかったものが手に入った時の高揚感、仕事でミスをしてしまい胃が締まる思いをしたこと。 楽しかったことも辛かったことも走馬灯のように駆け巡った。

 そして、前世で最後にした体験も思い出した。 

 夜遅くにコンビニに行こうと出かけた。 青信号になった横断歩道を渡っていると猛スピードでこちらに向かってくる車に跳ねられた。 硬い地面に叩きつけられ、自分の身体から出た生暖かい血の海に沈んでいく気持ち悪さ。 何よりも強く刻まれているのは自身の死を悟り恐怖に支配された絶望感を。

 

 

 

 ▼

 

 数か月が経過した。

 あの日を境に紫莉の心中は一変した。

 母の言いつけは守り、掃除や洗濯などの家事もこなし、食事も自分で用意するようになった。

 急に変わった紫莉を母は気味悪がったが、特段気にも留めなかった。

 当初は混乱して高熱を出し数日は寝込んだが、次第に現実を受け入れることがなんとか出来た。 人間には慣れという高い適応力があることを実感した。

 自分は倉木紫莉であるがそうでないと。 前の自分は生を終え新たな存在に生まれ変わった。

 それは紛れもない事実であることを。

 にわかには信じがたかった。 輪廻転生など非科学的なことを己が体験するなど誰しも思わないだろう。

 紫莉は日々過ごしていく中である事に気が付いた。 ここは日本ではあるが前の自分が知っている日本ではないと。 いわゆる、パラレルワールドの類だ。

 とはいっても、まったく別の世界というわけではない。 過去に起きた事象や世界情勢が少しだけ異なっている程度だ。 

 身近な物でいえば、東京の象徴的なランドマークである東京タワーは無く、電波塔と呼ばれるスカイツリーに似た建造物がそびえ立っていた。

 その他には、紫莉が知っている中での凶悪事件が起きていないことだった。 断片的ではあるが世間を騒がせた事件については記憶しているつもりだったが、それらに関する情報がほぼ無かった。

 一応、過去の自分に関する件も調べてみたが、何一つ情報は無かった。

 紫莉は、ひとまず安全な日本で生まれ変われたことに安堵した。 他の先進国ならまだしも、紛争が絶えない情勢な不安定な地域に生まれたことを考えると背筋が凍りそうになる。

 親に関してだがこればかりは仕方がない。 親が子を選べないように子も親を選ぶこともできない。 

 桂依は言いつけさえ守っておけば特に何もしてこないことが分かってきた。 長い道のりにはなるが、親元を離れる年齢になるまで耐え抜くしかないと紫莉は心の内で決心した。

 だが、その淡い決心もあっけなく崩れ去った。

 紫莉が五歳の誕生日を迎えた時、母に連れられ外食に向かった。 紫莉になってから初めての外食だった。

 普段の小汚いぼろきれ服ではなく、真新しい灰色のフォーマルドレスに着替えさせられ同じく綺麗な恰好をした母に手を引かれ、都内中心部にあるホテルに内接されているレストランに連れてこられた。 場違いな雰囲気に気が落ち着かなかった。

 店内に入るとウエイターが個室席に案内してくれ、そこには黒縁眼鏡を掛け上質なスーツに身を包んだ男が席に着いていた。

 桂依が男に恭しく礼をすると横にいた紫莉を紹介し始めた。 男の方も朗らかな笑顔を見せた。

 彼は山村という名前で、三十代にしていくつもの事業を手掛ける実業家だった。

 紫莉は母の再婚相手でも見つかったのかと内心思った。 それと同時にここで粗相をしてしまうと、彼女の機嫌を損ねてしまうプレッシャーに襲われた。

 紫莉は前世を含めてこのような敷居の高い場の食事はそんなに経験がない。 目の前にはお子様ランチとはいえど豪勢な料理があるが、中々手が伸びない。

 

 

「緊張しているのかな? 大丈夫、細かい事は言わないから召し上がりなさい」

 

 

 山村は優しい声音で紫莉を諭してくれた。

 紫莉は小さく頷き、コーンスープを口に運ぶ。 口に入れた瞬間にコーン特有の触感と甘さ、生クリームのコクが素晴らしい味が広がった

 スプーンが止まらなかった。 こんなに美味しい物を食べたのは文字通り生まれて始めてだからだ。 あっという間にスープを飲み干すと次の料理に手を出した。

 

 

「すみません、山村さん。 躾がなってないもので」

「いえいえ、お構いなく。 美味しそうに食べてくれて私も嬉しいですよ」

 

 

 紫莉のがっつき具合に恥ずかしそうにする桂依に対し、山村は気にする素振りも見せなかった。 

 会話も弾み食事会は楽しく進んだ。 この生を受けて初めて感じる穏やかな時間だった。

 

 

「ところで、桂依さん。 例の話、本当によろしいのですね」

 

 

 一時間くらいが経過した頃、男は真面目な顔つきで母に訊ねた。

 

 

「……ええ、あたしも覚悟を決めました」

 

 

 桂依が俯くと二人の間に真剣な空気が漂い始めた。

 

 なんか良いムードだな。 俺、邪魔じゃないか。

 

 紫莉はそんな事を考えながら。上機嫌にエビフライを食べ聞き耳を立てていた。

 しかし、桂依の口から出たには衝撃的な一言だった。

 

 

「紫莉を貴方達に売却します」

「交渉成立ですね。 ありがとうございます」

 

 

 桂依の突然の発言に紫莉はフォークを口の前で止めた。 固まる紫莉に対し、山村は満足そうに頷いていた。

 紫莉は自分の耳を疑った。 顔上げて桂依の横顔を見たが、彼女の表情に曇りは無かった。

 

 俺を売る? 母さんが? この男に? 

 

 紫莉は、ショックのあまり食べかけのエビフライをフォークごと床に落とした。

 二人は紫莉を置いて話を進めていった。 いつどこで紫莉を引き渡すか、金額はいくらにするかなどを話していたようだが、紫莉の頭の中には入ってこなかった。

 

 

「か、母さん…… 嘘だよね、本当に俺を売ったりしな―」

 

 

 紫莉は桂依の腕を掴み、真偽を問いただそうとした瞬間、視界が揺らついた。 体の自由が利かなくなり、テーブルに突っ伏してしまった。 声を出そうにも喉も痺れかすれた声しか出なかった。

 

 

「薬が効いてきたようですね」

 

 

 山村は席を立つと桂依の横まで来ると、スーツの内側から分厚い封筒を取り出し、彼女に差し出した。

 

 

「残りの料金は、後日信徒達に届けさせます。 これは礼金です」

「ありがとうございます!」

 

 

 桂依が嬉々とした表情になり封筒を受け取ると、中身を少しだけ出し確認をする。

 朦朧とする意識の中で紫莉ははっきりと見た。 

 百万円近くあったであろう札束と、その紙切れのために我が子を売った悪魔の表情を決して忘れることはないだろう。

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