蜘蛛の糸を掴めたら   作:SHALC7

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八話 中編です。
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八話 中編

 紫莉はソファーに身を横たえ、まぶたをぎゅっと閉じていた。

 脳内で数え始めた羊の数は既に千匹を超えていたが、一向に眠りにつけない。 途中で数え間違えたせいで、逆に目が冴えてきた気がする。

 

 

「……ダメだ。 全然寝れねぇ……」

 

 

 ゆっくりと眼を開け、薄暗い天井に向かって悪態をつく。 寝なければと一度でも意識してしまうと、眠れなくなるのは紫莉にとってお決まりのパターンだった。

 スマートフォンで時刻を確認すれば、床に入ってから二時間が経過していた。 もう三十分もすれば、見張りの番が回ってきてしまう。

 紫莉は眠ることを諦め、上体を起こし背筋を伸ばす。 ポキポキと背骨を鳴らし、同時に息を深く吸い込むと自身の部屋とは違う匂いが鼻に残る。 ある意味この嗅ぎ慣れない匂いも眠れない要因のひとつだった。

 側に置いていたスタッフバックを手に取り、自室で眠りについている千束を起こさぬよう、足音を殺し移動する。 

 上の階へ向かうと、突然現れた紫莉にたきなは目を丸くした。

 

 

「どうしたんですか、交代にはまだ早いのに……?」

「眠れなくてな……少し早いけど、代わるよ」

「そんな、悪いですよ。 それに色々あって疲れているでしょう? 無理しないで、今夜は私に任せてください」

「いや、それは井ノ上に悪いだろ……」

 

 

 ありがたい申し出ではあったが、紫莉は首を振ってやんわりと断った。

 見張りを持ち回りですることは事前に決めたことではあるし、体調に問題があるわけではない。 それに大人である自分がゆっくりと休み、世間では学生の身分であるたきなに深夜まで働いてもらうのは忍びなかった。

 だが、たきなは簡単には首を縦に振らなかった。 しばらくの間、二人で押し問答を続けていたが、気づけば交代の時間まで数分を切っていた。

 

 

「……もうこんな時間ですか。 はぁ……わかりました。 では、お言葉に甘えてもう五分だけ」

「それってあんまり意味なくないか? まぁ、井ノ上がそれでいいならいいけど」

 

 

 壁に背をつけ、たきなの隣に腰を下ろす。 先ほどのような輩が再び押しかけてくるかもしれないので、スタッフバックからM870を取り出し膝の上に置いた。

 

 

「そういえば、さっき押しかけてきた連中、何者だったんですか?」

「ん? あぁ、よくわからん。 訊き出す前に逃げちまったから。 多分、金で雇われたチンピラだとは思うが」

 

 

 彼らの技量はサード・リコリスにも及ばない。 だが、拳銃を躊躇なく発砲したこと、ピッキング技術を踏まえると、ある程度は汚い仕事を経験した証に思えた。

 

 

「……問題は誰が雇ったか、だけどな」

「一連の襲撃犯に関連してると思いますか?」

「あるとは思う。 けど、確証はできない。 狙いは錦木だったから、単純にあいつに恨みがある奴の反抗っていう線も捨てきれないし……」

 

 

 それ以上の事は分からない紫莉は、手のひらを天に向けた。

 同時に自分の行動を深く悔やんだ。

 あの時、もう少し警戒して玄関に行っておけば、敵に拘束されることはなかった。 そうすれば、あの程度の相手など瞬時に制圧できたし、今頃敵の正体を掴み、多くの謎が解けていたかもしれない。

 完全に自分の落ち度だった、とたきなに謝罪した。 すると、彼女は決まりの悪そうな表情を作った。

 

 

「別に紫莉が悪いわけではないじゃないですか。 それに銃を突きつけられた状況で、取り乱さず冷静に相手の正体を探ろうとしたのは、良い判断です」

「……似たような経験は何度もしてきたからな」

「通常のリコリスでしたら、そうはいきません。 我々の主な任務は暗殺ですからね。 ですが、あなたは経験を活かしてそのように行動した。 ……ですから、その」

 

 

 急に言葉がたどたどしくなったたきなを見ながら、紫莉はすぐに理解した。

 ああ、この子は自分を元気づけようとしてくれているのだな、と。 

 紫莉は心に刺した自責の棘が無くなっていくのを感じながら、彼女に礼を伝える。

 

 

「ありがとな、慰めてくれて」

「べ、別にそんな大層なことは……! チームメイトのメンタル管理も仕事の上ですのでっ」

「ふふっ」

「な、何が可笑しいんですかっ」

「いや、俺も変わったけど、井ノ上も変わったなぁって思って」

「変わった……? 髪型はいつも通りのはずですが?」

「そうじゃなくて、態度というか、雰囲気が変わったって話。 最初に会った時よりも刺々しさが無いつーか」

「……それはあなたもでしょう?」

 

 

 紫莉は「あぁ、その通り」と言いながらくつくつと笑う。 言葉では上手く言い表せないが、妙に可笑しかった。

 ひときしり笑った後、紫莉は髪を指先でくるくると弄りながらぽつりと呟いた。

 

 

「……きっと錦木の影響だろうな」

「え?」

「前に春川に言われたんだよ『あいつの馬鹿をうつされんじゃねぇぞ』って。 確かに錦木は馬鹿みたいに明るくて楽観的だし、誰にも真似できない馬鹿みたいな戦い方をする。 探したい人がいるからって、DAを飛び出すなんて、俺達じゃ考えも行動もしないだろ」

「……えぇ、千束は無茶苦茶です」

「けど、たまに達観したような物言いをするし、周りを良く見ている。 さっきも俺の傷のことをフォローしてくれた。 ほんと、俺より大人だよまったく」

 

 

 紫莉の発言にたきなは「あなたは一番年下では……?」と首を傾げるが、構わず言葉を続けた。

 

 

「まぁ、つまりだな。 俺達があの時しくじってリコリコへ送られたのも悪くなかったって話だ。 まだ本部に居たら、お互い視野が狭いまま色々苦労してただろう。 俺の場合まじで過労死してたかも」

「……笑えない冗談を言うのはやめてください」

「悪い悪い。 ──っと、そろそろ時間だな」

 

 

 話に夢中になりすぎてしまい、交代時間が来たことに気づかなかった。

 紫莉はたきなにもう寝るように催促する。 彼女は寝てない紫莉を心配してくれたのか、もう一度だけ見張りを変わると申し出てくれたが、丁重に断った。

 

 

「では、お願いします。 無理そうなら何時でも起こしてくださいね」

「わかった。 おやすみ井ノ上」

「おやすみなさい」

 

 

 たきなの姿が梯子の下に消えていくのを見届けると、紫莉はひとつ息を吐き再び壁に背中を預けた。 

 傍らに置いたM870にそっと手を置く。 無機質な金属の冷たさが、気を引き締めてくれる。

 

 

「さて、と……」

 

 

 姿勢を正し、玄関の方に視線を送る。 たきなはああ言ってくれたが、自分が油断していたのは事実だ。

 

 もし次があるのなら、今度こそは絶対にヘマはしない。

 

 紫莉は無意識に拳を握り締め、そう自分を鼓舞するように言い聞かせた。

 気づけば一時間が経過した。 静かな夜だった。

 先ほどの騒動が嘘のように、遠くの街の喧騒も、車が近くを通る音も聞こえない。 自分の呼吸音だけが耳に残る。

 まるで世界に自分だけしか居ないような感覚だった。 だが、裏を返せば暇で仕方なかった。

 ただ退屈なだけならば、それで良い。 紫莉の望みは、何事もなく朝を迎えることで、別に派手な撃ち合いがしたいわけではない。

 しかし、最初は神経を張り詰めさせていたものの、時間と共に緊張の糸が緩んできた。 さらに急激な眠気まで襲ってきた。

 頬を抓ったり、顔を水で洗ってみるなど、気を紛らわせようとしてみた。 

 だが、効果は薄かった。 

 まるでまぶたが磁石にでもなったかのように、今にも吸い寄せられそうだ。

 下でコーヒーでも飲もうかと思ったが、二人を起こしてしまうかもしれないので止めた。 とはいえ、このままでは確実に寝落ちしてしまうだろう。

 困り果てた紫莉はバルコニーに出た。 夜風にでも当たれば眠気も覚めるし、外に不審な人物がうろついていたとしても早めに発見できるだろうと思ったからだ。

 焦点の合わない瞳でぼんやりと空を仰いだ。

 東京という街全体から発せられる光に押し負けて、空にはひとつの星も見えない。 唯一肉眼で確認出来たのは月くらいだった。

 月というのは不思議な天体だ。 新月の時には姿を消し、満月の時には余すことなくその姿を晒す。 

 まるで感情のようだと、紫莉は思った。 

 人の感情も日々形を変え、どれだけ同じような毎日を送っても、明るく楽しく笑える日もある。 けれど、全てが嫌になり消し去りたい衝動に駆られる時もある。 情緒が不安定な自分を見ている気分にさえなる。

 そして、月が輝けるのは太陽の存在があるからだ。 太陽という言葉を思い浮かべると、千束の存在が脳裏をよぎる。

 紫莉は嬉しかった。 

 千束がこの醜い傷を肯定してくれたこと、それを嘲笑った連中に対して怒ってくれたこと。 自身が抱えるコンプレックスをありのまま受け入れてくれた彼女には、感謝しても尽くせない。

 

 

「……俺もあいつみたいになれるかな」

 

 

 普段はおちゃらけていても、いざという場面では頼りになる存在。 悪をくじぎ弱者を救い、傷ついた人々に寄り添い安心感をもたらしてくれる──まさに物語の主人公のような存在。 そうなりたいと紫莉は思った。

 なれるかどうかはわからない。 決して楽な道のりではないことは明白だが、やっていくしかないと決意を固めた。

 そんなことを考えていたら、いつ間にか眠気も吹き飛んでいた。 建物の周囲にも不審な影は見当たらないため、紫莉は中に戻ろうとした。

 その時だった。

 視界の隅に夜空に溶け込むようにして、ゆっくりと動く黒い影が映った。 一瞬見間違いかと思ったが、それは確かに音もなく静かにホバリングしていた。

 

 

「ドローン……?」

 

 

 呟きながら紫莉は身を屈め、バルコニーの手すりに肘をつけて目を凝らした。

 確かにドローンが一機飛んでいた。 ただ飛んでいるだけなら気に留める必要もないのだが、それは明らかに何かを監視しているように見えた。 それに一般的な民間モデルのものよりも音が静かで耳を澄ませなければ羽音が聞こえないほどだ。 明らかに“趣味”の範囲を超えた機体だった。

 息を殺して見守っていると、ドローンはふわりと高度を上げ始める。 同時に紫莉は無意識に動いた。

 紫莉は手すりに足を掛け、下にあるゴミ捨て場に向けて跳躍した。 ゴミ袋の上に着地した瞬間、思わず顔をしかめる。 

 むせ返りそうになるほど酷い臭いだった。 けれど、そんなことを気にしている場合ではない。 視線を上に向けると、ドローンも既に空を滑り出していた。

 このタイミングで、こんな物が飛んでいるなど偶然では済ませられない。 きっと先ほどのチンピラに関係──おそらくはリコリス襲撃犯に関わる連中の仕業に違いない。

 紫莉はドローンの影を見失わないよう、住宅街の細道を駆ける。

 だが、足元が災いした。 履いていたのはラバー製のサンダル。 全力疾走には到底向かない。 

 気を抜けばアスファルトに足を取られてバランスを崩そうになる。 裸足で走った方がましだった。

 

 

「っ、クソっ!」

 

 

 こういう時に限って悪い予想は的中してしまう。 

 紫莉は足をもつらせてしまい派手に転倒した。 ジャージを着ていたため、直接肌をアスファルトに擦りつけることはなかったが、服越しに焼けるような痛みに顔をしかめる。

 舌打ち混じりになんとか立ち上がるが、ドローンはもう先の電柱を越えて視界から外れかけていた。

 目を凝らして追う──が、次の瞬間にはドローンは高く舞い上がり、夜の闇に溶けるようにして姿を消してしまった。

 

 

「何処行きやがった……!」

 

 

 息が荒い。 喉が焼けるように乾く。 身体が汗ばんでいることに気づいたのは、風が頬を撫でた瞬間だった。

 見失った。 何処をどう探しても、空にそれらしい動きはない。 完全に撒かれた。

 その場に立ち尽くしたまま、紫莉は肩で息をしながら空を睨みつけた。

 あれがただのドローンで済むはずがない。 今夜また“何か”が起こるのかもしれない。 最低な未来への考えが脳内にとめどなく湧いてくる。

 

 クソ、俺はまた……

 

 気づけば手が震えていた。

 握り締めた拳がじわじわと爪を掌に食い込む。 どんなに警戒していても、どんなに自分を律しても、肝心なところで結果が伴わない。 そんな自分が、情けなくて反吐が出そうだった。

 紫莉は膝に手をつき、深呼吸をひとつ漏らした。

 

 落ち着け、落ち着け……今は嘆いている場合じゃない。

 

 手の震えを無理やり抑え込み、スマートフォンを取り出す。 画面を点け、千束かたきなに連絡するべきか一瞬だけ迷うが、寸前で指が止まる。

 紫莉の指を止めたのは、自分勝手な行動をしてしまった罪悪感だった。

 本来であれば飛び出す前に二人に伝えるべきだったのではないか。 一人行動は厳禁だとあれほど釘を刺されていたのに、勝手な行動をしていることに対してだ。

 連絡をすれば、間違いなく叱責されるだろう。 一瞬、この出来事を黙っておこうと、邪な考えさえ浮かんできてしまう。

 一旦スマートフォンの電源を落とし、ポケットにしまう。 二人に失望されたくないという、自己保身への気持ちが勝ってしまった。

 過度な緊張と走ったせいで酷く喉が渇いてきた。 この近くにコンビニがあったことを思い出し、足早に向かった。

 数分も歩かない内にコンビニに着いた。 店内へ足を踏み入れると、やる気のない店員の挨拶としっかりと効いた冷房が出迎えてくれた。

 紫莉はミネラルウォーターを手に取り、レジにて会計を済ました。 イートインスペースに腰掛け、ペットボトルのキャップを外す。 一口で半分を飲み干す。

 冷たい水を飲んだおかげか、ぐちゃぐちゃの思考が少しずつであるが纏まってきた。 しかし、いざ冷静になってみると、自分の置かれている状況は思わしくなかった。

 深夜の街で丸腰のリコリスが一人ぼっち。 敵側からすれば、絶好のチャンスだ。 

 ドローンを操作していた人物が、こちらの存在に気づいていたならば、既に刺客を送り込んでいる可能性がある。 下手に動けば、帰り道で拉致、最悪殺されてしまうリスクが非常に高い。

 紫莉は髪を乱雑に掴み、眉を曇らせる。 ひとまずは日が昇るまで、このコンビニに居座れば安全であろう。 問題があるとすれば、こんな時間帯に未成年が居ることを不審に思った店員に通報されるくらいだ。

 紫莉はそっとレジの方を見やる。 幸い店員はバックヤードに引っ込み出てくる気配はない。 それかいっそ警察に補導された方が、返って安全かもしれないと思い始めた。 

 だが、寝ている二人の安否が気になる。 見張りである紫莉が居ない隙を突いて、敵の魔の手が迫っているかもしれない。 

 悩んだ末、紫莉はたきな達に連絡することにした。 確実に叱責されるだろうが、二人の身に何かある方が嫌だ。

 紫莉は生唾を呑みこみ、たきなの名が表示されている画面をタップした。 数コールを経たのち、慌ただしい気な彼女の声が訊こえてきた。

 

 

 ―紫莉? 今何処ですか!? 無事なんですか!? 

 

 

 たきなの切迫した声を訊いた瞬間、紫莉の心臓が早鐘のように打つ。 

 起きたたきなはすぐに上の階に向かったのだろう。 居るはずの人間が居ないのだから、当然の反応だった。

 紫莉は、喉が掠れそうになりがらも無理やり口を動かす。

 

 

「……悪い。 ちょっと外に出てる。 見張りの最中、不審なドローンを見つけて……しかも、取り逃がしちまった」

「ドローン? なぜ私達にすぐ言わなかったんですか!」

「……すまない。 頭で考える前に体が勝手に動いて……いや、言い訳にもならないよな、ははっ……」

 ―たきな、ちょっと変わってくれる? 

 

 

 次に耳に飛び込んできたのは千束のものだった。 たきなよりは幾分緩かったが、芯の通った声音だった。

 

 

「もしもしー? 紫莉、何処にいんの?」

「ま、マンション近くのコンビニ。 昨日帰りに寄ったとこだ」

「あーあのコンビニねー おっけ。 じゃあ、私らそっちに向かうから、そこで待ってて」

「いや、流石にそれは二人に悪いだろ……走って帰ればすぐだし、家で待っててくれば」

「ダメ、そこで待ってて。 これは命令、良いね?」

 

 

 有無を言わせない千束の声音に気圧され、つい「は、はい」と敬語になってしまう。 明らかに彼女が怒っているのが、嫌でも感じ取れた。

 通話が切れた途端、紫莉はテーブルに突っ伏してしまう。

 

 やっちまった……どうして、いつもこうなんだ。

 

 紫莉は、久々に感じる陰鬱な感情に押しつぶされそうになる。 

 やはり、二人に声を掛けてから行くべきだった。 それかせめてグロックでも持ってきていれば、ドローンを撃ち落とし何かしらの情報を抜き取れたかも。 そもそも、千束のようなりたいなどと、見張りは関係ないことを考えていたから、脅威を発見するのが遅れてしまった。 

 ああすべきだった、こうすべきだった、と意味のない雑音に脳内が埋め尽くされる。 一度こうなってしまうと、滝つぼに落ちたように抜け出せなくなってしまうのが嫌だった。

 

 

「……駄目だ。 もう一本、水を買うか……」

 

 

 落ち着いていられなくなった紫莉は席を立ち、ドリンクコーナーに向かった。

 雑誌が置かれているコーナーの前を横切った時、不意に立ち止まる。 多少でも気を紛らわせたかった紫莉は、そこに置かれていた雑誌を適当に手に取る。

 映画の雑誌だった。 最近公開された話題作についてのコラムや、出演者のインタビューなどありふれたものだった。

 紫莉は流し見程度で雑誌をめくっていると、とあるページで手を止めた。 それは軍服を着た一人の男が膝を着き、助けを求めるように両腕を天に仰いでいるものだった。

 紫莉の中にある、断片的な前世の記憶が呼び起される。 詳細な内容は、正直覚えていない。 

 唯一覚えているとすれば、戦争の狂気に囚われ鬼と化した軍曹と、戦場の中でも人間の善性を保とうとするもう一人の軍曹の対立だ。 民間人を虐殺する鬼軍曹の残酷さには、おそろしくも怒りを覚えた。

 時間がある時に見直してみるか、と思いながら棚に雑誌を戻した。 そして、何も考えず一歩下がった時、背後を通ろうとした人にぶつかってしまった。

 

 

「ちっ!」

「す、すみませ──っ!!」

 

 

 紫莉は表情を強張らせた。 何故なら、ぶつかった相手が先刻押し入ってきたチンピラ男だったからだ。

 向こうも紫莉に気づいたのか、一瞬だけ目を丸くしたが、すぐにニヤリと口元を吊り上げた。 逃げ場のない獲物を追い詰めた捕食者のようないやらしい笑みだった。

 

 

「奇遇だな、クソガキ。 まさかこんな所で会えるとはなぁ」

「おい、どうした? 何絡んで──って、こいつさっきの!」

 

 

 彼の背後から相方の男も現れた。 紫莉は心の中で舌打ちをする。

 このタイミングで彼らが現れたということは、あのドローンに存在を悟られていたのかと考えてしまう。 しかし、彼らの言動を見るにここで鉢合わせてしまったのは、どうやら偶然のようだった。

 とはいえ、不味い状況には変わりない。 走って逃げることも考えてみたが、この靴では相手を振り切れる可能性は低い。

 紫莉は、一旦相手の出方を伺うことにした。

 

 

「てめぇ、さっきはよくもやってくれたな。 おい、こいつどうするよ?」

 

 

 ブルゾンは相方に呼びかける。 相方は鼻を鳴らしながら、ふてぶてしく口を開いた。

 

 

「どうするも何も、しっかりお返ししてやるよ。 ついてこい。 おっと、変な気は起こすなよ?」

「……」

 

 

 彼はポケットからナイフをちらつかせてきた。 

 紫莉は黙って指示に従うことにした。 その気になれば、制圧することは容易いが店で騒ぎを起こす方が面倒だった。

 紫莉は連行されるように店を出た。 彼らの気がいつ変わって襲ってくるかわからない。  ブルゾンの背中を眺めながら、紫莉は全神経を集中させる。

 行き止まりになっている路地に連れて来られた。 周囲に人の気配はなく、頼りない街灯が薄っすらと路地を照らしていた。

 ブルゾンはいやらしい笑みを浮かべる。

 

 

「さて、すぐにぶっ殺してやりたいが、それじゃあ面白くねぇ。 おい、仲間に連絡してここにおびき寄せろ。 そうすりゃ、お前の命だけは助けてやるよ」

「……無様にやられた癖に、まだ凝りてないのか? あんたらじゃ錦木には勝てない。 逃げた方が身のためだぞ」

「うるせえ! あれだけコケにされて黙っていられるか。 いいから早く呼べ、それとも今すぐ殺されてぇのか!?」

 

 

 ブルゾンは紫莉の胸倉を掴み、血走った眼で睨みつけてきた。 どうやら完全に血が昇っているようで、忠告に耳を貸す気はないようだ。

 

 あぁ、めんどくせぇ。 さっさと片づけちまおう。

 

 紫莉は一刻も早くコンビニに戻りたかった。 せっかく駆け付けた千束達をまた困らせることになる。 それにこれ以上、説教の理由を増やすのだけは避けたい。

 紫莉が指に力を込めようとした──その瞬間だった。 

 路地の入口に人が立っていることに気づいた。 千束達かと一瞬思ったが、すぐにその考えを捨てる。 その場に居たのは、派手なピンクの柄シャツの上に黒いロングコートを羽織っている男だった。

 おそらく、偶然通りかかった一般人であろう。 とすれば、非常に不味い。 下手をすれば、無関係な彼まで巻き込んでしまう。

 紫莉は男に向かって声を張り上げる。

 

 

「そこの人逃げてくださいっ、ここは危険です! 自分は大丈夫ですから!」

 

 

 チンピラ達の視線も男の元へ移動する。 彼らは舌打ち混じりに「何見てやがんだ、どっか行け!」と怒鳴りちらす。

 しかし、男は臆することなく、悠然とした足取りでこちらに近づいてきた。 彼は、ボサボサの緑髪を手で乱雑に搔きながら「あー」と口を開いた。

 

 

「こんなことで何してんの?」

「てめぇには関係ねぇだろおっさん。 失せろ、耳が聞こえねぇのか?」

「おっさんって……傷つくなぁ。 それにあいにく耳は良い方でね。──で? 大の大人が二人掛かりで子供を襲ってるわけか。 ちとバランスが悪ぃんじゃねぇの」

 

 

 この男は酔っているのだろうか、と紫莉は冷や汗をかく。

 いや、違う。 抑揚のない口調だったが、はっきりと喋っている。 善意か単純に野次馬気分で彼はこの場にいるのだろう。

 だが、紫莉にとってその行為はありがた迷惑だった。 なんとかして、チンピラ達の注意をこちらに向けるしかないが、彼らは突然現れた男が相当気に食わないようでこちらの方を見向きもしない。

 紫莉が内心ハラハラしていると、相方の男がナイフを緑髪の眼前に突きつける。

 

 

「何がバランスだ、意味分かんねぇこと言いやがって。 そんなに死にたけりゃ、まずお前から殺してやるよ」

「おー怖い怖い。 ほら、俺はここだ。 しっかり狙えよ?」

「っっ! 舐めやがって!」

 

 

 蛸のように顔を茹で上がらせた相方の男は、ナイフを両手で握り締め、腰を沈めるように身構えた。 吠えるような息を吐きながら、緑髪の方へ突進していく。

 紫莉は腹の底から「やめろ!」と叫んだ。 最悪の結末が脳をよぎる。 

 ──が、次の瞬間、固い物を打ち付けるような鈍い音が響いた。

 紫莉は思わず口を開いたまま固まった。 

 何故なら、緑髪はナイフを軽やかに躱すと同時に、強烈なカウンターを相手の顎に叩き込んだ。

 あまりに鮮やかな手際だったので、一瞬何が起きたのか分からなかった。

 

 

「お、おい。 どうしたんだよ!?」

 

 

 ブルゾンが声を震わせ、相方に呼びかけるが返事は無い。 一撃で意識を刈り取られたようで、地面に崩れ落ちたままピクリとも動かなかった。

 ブルゾンは血相を変えて、紫莉の背後に回る。 腰からナイフを抜くと、紫莉を後ろから抱えると、その首元の刃先を押し当ててきた。

 

 

「う、動くんじゃねぇ。 こいつからやっちまうぞ!」

 

 

 冷たい刃先が首に触れた瞬間、紫莉は全身の血が湧きたつ感覚を覚えた。

 無意識に首元にある腕を力任せに噛みつく。 

 ブルゾンが呻き声を上げ、力が緩んだ隙を突き、拘束から抜け出し一歩前に跳ねる。

 すかさず、左足を軸に体をひねり、相手の膝を蹴り砕くように打ち付けた。 確かな手ごたえを感じたが、攻撃の手は緩める気はない。

 紫莉は前のめりになったブルゾンの首元に右腕を滑り込ませた。 反対の手で肘をがっちり固定する。

 

 

「ふっ!」

 

 

 そのまま後ろ向きに倒れ、気道を一気に締め上げると、ブルゾンは苦し気にを喉を鳴らす。 

 紫莉を振りほどこうと、彼は必死に手足を動かしたが、数秒もしない内に糸の切れた人形のように四肢を垂れ下げる。 技を緩めると、そのまま固い地面に無抵抗のまま崩れ落ちていった。

 紫莉は足で男を転がし、仰向けにする。 

 彼は白目を剥き、唇の隙間から泡を噴き出していた。 念のため脈を取ってみたが、正常に動いていた。

 紫莉は安堵混じりに静かな息を吐いた。 つい癖で思い切り締め上げてしまった。 頚椎をへし折ったかと不安に駆られたが、杞憂に終わって良かった。

 

 

「……へぇ、やるじゃん」

 

 

 紫莉が顔を上げると、緑髪は拍手混じりに称賛を送ってきた。

 彼の顔をじっと見つめる。 記憶を辿ってみるが、見覚えは無かった。 

 先ほどの身のこなしから察するに、ただ者ではないだろう。 明らかに戦い慣れている者の動きだった。 けれど、チンピラ達を一蹴したことを踏まえると、敵にも思えなかった。 ──少なくとも今のところはだが。

 紫莉は警戒心を緩めず、ゆっくりと緑髪の方に向く。 背筋を伸ばし、腰を直角に曲げ礼をした。

 

 

「……助けていただきありがとうございました。 どうお礼すれば……」

「別に礼なんていいよ。 ただの気まぐれだ。 つか、すげぇな今の技。 何か格闘技とかやってんの?」

「え、まぁ、それは……」

 

 

 女子高生のふりをした殺し屋をやってます、などとは口が裂けても言えない。 返事に困った紫莉は上手い返しが出来なかった。

 急に歯切れが悪くなった紫莉に、緑髪は不思議そうに眉をひそめたが、すぐに肩をすくめた話題を変えてくれた。

 

 

「ふーん、まぁいいや。 とりあえず、次からこんな時間に一人でうろうろすんなよ。 この国がいくら世界一の治安を誇っているからって、そこに寝てる連中みたいなのは大勢いるからな」

「……肝に銘じます」

「分かればいい。 ──ん? つか、前に何処かであったことあるっけ? 何か見覚えあるんだよなぁ」

「い、いえ……自分には覚えはありませんね」

 

 

 紫莉が首を横に激しく振ると、緑髪は両腕を組んで宙を仰いだ。 彼は「あの写真か……? でも、制服じゃねぇし、人違いだったら面倒だしなぁ」などと呟いていたが、良く聞き取れなかった。

 

 

「じゃあ、俺はもう行くぞ。 お前もさっさと家に帰れよぉ」

「あ、ありがとうございました。 あの、せめてお名前だけでも」

「名乗るほどの者でもねぇよ」

 

 

 緑髪は手をひらひらと揺らしながらそう言い残し、去っていった。

 紫莉は彼の立ち振る舞いにひどく感心した。 今の世に見返りを求めることなく、人を助ける人間が残っていることにだ。

 

 

「……世の中捨てたもんじゃない、ってか。 っと、着信……? あ……!」

 

 

 紫莉は、画面に表示されている十数件の不在着信を見た。 全て千束とたきなによるものだった。

 全身の血の気が引いていく。 そして、スマートフォンを握りしめたまま、慌てて駆け出す。

 コンビニへ戻ると、二人の姿はすぐに見つかった。 

 たきなは不安げな表情で店の周囲を見回し、中では千束が店員を捕まえていた。 

 そんな彼女達を目の当たりにして、思わず足を止めてしまった。 この期に及んで叱責を免れようと考える自分の浅ましさに、心底反吐が出そうだった。

 紫莉が立ち尽くしていると、たきなは視線に気づいたのか、こちらに振り向いた。 紫莉の姿を見るや否や、走り寄ってくる。

 

 

「紫莉!」

 

 

 たきなの声に反応した千束も寄ってくる。 自然と呼吸が浅くなり、足に力が入らなくなってきた。 いっそ意識を手放した方が、楽になるような気さえした。

 

 

「……何処行ってたの? 私、ここから動くなって言ったよね?」

 

 

 千束の声音は意外にも穏やかだった。 だが、その静かさの裏に感じる冷たさが恐ろしく思えた。

 紫莉はごくりと生唾を呑みこんだ。

 

 

「えっと、話せば長くなって……」

「……はぁ、ひとまず外じゃ危ないから、家に帰ろ。 お説教は後でするから」

「……はい、すみません」

 

 

 そして紫莉は、きりきりと痛む胃をさすりながら、逃げ場のない帰路を、重たい足取りで歩いていった。

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