蜘蛛の糸を掴めたら   作:SHALC7

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九話 前編

 テロリストの襲撃から一夜が明けた。 

 紫莉は山岸の診療所を訪れていた。 千束とたきなも一緒だ。

 来院した主な目的は千束の治療のためだ。 昨夜応急手当はしたが外傷だけであり、脳などの内部も診てもらった方が良いとたきなは言った。 千束は大丈夫だと、ここに来るのを渋っていたが結局半ば強制的に連れて来られた。

 

 

「はいよぉ。 これで終わり!」

「痛てっ! んもぉ叩かないでよ、山岸せんせぇ。 私、一応患者なんですけどぉ」

 

 

 不満そうに唇を尖らせる千束に、山岸はがははと豪快に笑った。

 

 

「でもよぉ、あんたがそんな怪我するなんて珍しいねぇ。 随分と厄介な相手だったのかい?」

「ん~まぁね。 車に轢かれたり、撃たれたり殴られたのはまだなんとかなったけど、流石に視界を潰されるは参っちゃうよねぇ……」

 

 

 車に轢かれることも十分ヤバいだろ、と紫莉が内心ツッコミを入れる。

 

 

「つまり千束の弱点は目ですね!」

「いやいや、誰でもそうでしょ…… てか、何でそんな得意げなのよ」

「どんな情報も、いついかなる時に役に立つかわかりませんから! ですよね、紫莉?」

 

 

 たきなは何故か得意げに鼻を鳴らしてきたため、紫莉は返事に困る。

 

 

「急に俺に振るなよ…… まぁ、人の弱点を知っておくのは悪いことではないが。 特にこいつのはな」

「私の命を狙っとるんか、貴様らは……」

 

 

 千束は呆れた様子だったが、口調は明るい。 いつもの軽口とわかっているからだ。

 山岸はふっと鼻を鳴らし「あんた達、良いトリオね」と言った。

 

 

「でしょ~山岸先生もそう思う?」

「えぇ、本当そう思ったわよぉ。 アンタらならどんな奴らが来ても安心だねぇ」

「ふふっ、そうでしょそうでしょ! あ、そうだ二人とも。 こうやって三人で居れば安心だしぃ、しばらく同棲続けないとぉ」

 

 

 千束の提案に紫莉はたきなと顔を見合わせる。 お互いに彼女が考えている魂胆を見越していた。

 

 

「……お前、もしかして楽したいだけじゃないよな?」

 

 

 紫莉がため息混じりに切り出すと、途端に千束は表情を強張らせる。 

 

 

「ま、まさかぁ~そんな訳ないじゃん。 ほらさ、私怪我してるでしょ? ちょーっと今一人の生活に戻るのはキツいっつーか…… それにまた敵が来るかもしれないし、何が起こるかわかんないからさ。 ねね、たきなもそう思うでしょ!?」

 

 

 千束は怪我人とは思えない速さでたきなにすがりついた。 たきなの冷ややかな視線を浴びながら「あー急に体が痛くなってきたなー これはちょっと不味いかもなー」と下手な演技を打ち始める。

 紫莉は額に指を当て嘆息した。 どうやら図星だったようだ。 

 しかし、同時に千束の言い分の中で理解できる部分もある。 それは敵が再び攻撃を仕掛けてくることに関してだ。

 昨晩あれだけ派手に暴れた以上、DAの耳に入る。 少なくとも敵がリコリスの正体を知っているというは、DAの存在も把握してるはずだ。 余程の大馬鹿でない限り、すぐに二度目の攻勢を仕掛けてこないだろう。

 そのことを踏まえれば、もう少し三人で同棲を続けるのはマストなことだろう。 念には念を入れておきたいのは紫莉の本音だ。

 紫莉は自身の考えをそのまま二人に伝えた。 すると、千束は表情をぱっと明るくし今度はこちらの方に飛びついてきた。

 

 

「でしょでしょ! さっすが紫莉、話がわかるねぇ!」

「いちいち引っ付いてくるな、鬱陶しい……!」

「またまたぁ照れちゃってさぁ~」

「俺はお前と違ってパーソナルスペースが広いんだよ。 ……それで井ノ上はどう思う? ぜひ意見を訊かせてくれ」

 

 

 紫莉は千束の頭部を押さえつけながら、たきなに話を振る。

 

 

「そうですね……紫莉の言う通り、今後も三人で行動する方が賢明に思えます」

「そうか、なら──」

「──では、じゃんけんで決めましょう」

「あぁそれが良いな──は?」

 

 

 紫莉は自分の耳を疑った。 一瞬聞き間違えかと思ったが、たきなははっきりと“じゃんけん”と言っていた。

 予期せぬ展開に面を食らっていると、千束が大賛成と言わんばかりに挙手する。

 

 

「賛成賛成! でも良いのかぁ、たきなさんや? 今まで一回も勝ったことないでしょ~に」

「勝負はやってみないと分かりませんよ」

「まぁ私は良いんだけどねぇ~」

 

 

 千束はくひひ、と不敵に笑った。 既に勝利を確信しているようだ。 

 千束が「じゃーん」と言いかけた瞬間、たきなは一歩早く声を張り上げ、開始の音頭を横取りした。 

 

 

「ぽん!」

「うぇええええ!?」

「っ~!! よし!」

 

 

 結果はたきながチョキを出し、千束はパーを出していた。

 たきなは大きくガッツポーズを取り、その場に立ち上がる。 今までの苦労が報われたと言わんばかりに、声になっていない声を出しながら小躍りまでしていた。

 紫莉はついにたきなが勝ったことに驚いたが、同時に昨日の話を思い出した。 千束に勝つには最初の号令を飛ばし、一発勝負で決めなければならないことだ。 昨晩の騒動のせいですっかり頭から抜け落ちていた。 

 たきなはそれを実行し、見事に勝利を収めたというわけだ。

 一方の千束は自身が敗北したのが信じられないといった様子で、開いた手をわなわな震わせていた。

 

 

「ちょ、ちょいちょいちょい! ずるい今のナシ卑怯だよ!」

「却下。 誰がどう見ても井ノ上の勝ちだ。 つか、ズルしてたのはお前の方だろ」

 

 

 紫莉が目元を指でとんとんと叩くと、千束はばつが悪そうに口をへの字に曲げる。

 

 

「いやそれはさぁ……自前の能力だから、セーフってことで……?」

「勝負において自分の能力を活用することは否定しない。 けど、今回は井ノ上の作戦勝ちだ。 潔く負けを認めろ」

「うぅ、もう少し楽できるとおもったのにぃ……」

「……やっぱりそれが狙いか」

 

 

 とうとう本音を漏らした千束に、紫莉はため息をついた。

 

 

「まったく……とはいえ、今日いきなり元の生活に戻ろうっていうのは急すぎる。 数日だけ共同生活をするのが現実的な落としどころだろ」

「え、良いの!?」

「数日だけだぞ」

 

 

 その提案に千束は宝くじが当たったのかのように喜んだ。 落ち込んだりはしゃいだり忙しい奴だな、と紫莉は思う。

 たきなにも確認をすると、勝利の余韻で上機嫌になっておりあっさりと同意した。

 

 

「それじゃ治療も終わったことだしお店に帰ろっ。 その前にどっか寄ってく? 私小腹すいちゃってさ~」

「千束はまだ駄目ですよ?」

「え?」

 

 

 たきなのひと言に千束は立ち上がったまま硬直した。 すると、山岸が千束の肩にぽんと手を置いた。 

 

 

「あんた今月の検診はまだでしょ? このまますんなり帰れると思ってんのかよぉ」

「げっ、そ、それは……」

 

 

 山岸の有無を言わせない圧力に気圧されたのか、千束は助けを請うような視線を投げてきたが、紫莉は無視してさっさとバッグを背負い出口に足先を向けた。

 背後から「ハメたな二人とも!? 妙にここに連れてこようとしたのは、これが理由か!」と騒ぎ声が訊こえたので、手をひらひらと振っておいた。

 すると、山岸に声をかけられた。

 

 

「あ、そうだ。 紫莉よぉ、頼まれたもんそこに置いておいたから」

 

 

 視線を横に向けると、スチール製の三段ワゴンに茶袋が置かれていた。 急なお願いだったにもかかわらず、準備してくれていたようだ。 

 紫莉は山岸に礼を言って袋を手に取り、たきなとともに診療所を後にした。

 お互いに寄り道する気もなかったので、真っすぐリコリコへ向かうことにした。 

 道中、たきなが訊ねてきた。

 

 

「何の薬ですか?」

「ん? あぁ、ただのサプリメントだよ。 これから忙しくなりそうだしな、念のためと思って」

 

 

 嘘は言っていない。 ビタミン系のサプリがほとんどで、その中にベンゾジアゼピンの薬が入っているだけだ。

 何度も追い込まれた経験をすれば、精神が不調になるタイミングがうっすらとわかってくる。 今も気を抜けばすぐに脳が不安で埋め尽くされ、体の震えが止まらなくなってしまいそうだ。 これ以上の悪化を防ぐためには薬に頼る他なかった。

 

 

「サプリメント、ですか。 必要な栄養を補うには有効ですが、しっかりと食事も摂ってくださいね。 栄養バーだけでは駄目ですよ」

「わかってるって……善処するよ」

 

 

 たきなの小言に相槌を打っていると、ポケットの中のスマートフォンが震えた。

 大方ミズキからの出勤の催促かと思いながら画面に目を落とすと、表示されていたのは意外な人物の名前だった。

 

 

「春川……?」

 

 

 紫莉は緑の通話アイコンをタップしてスマートフォンを耳に当てる。

 

 

 ―紫莉か?

「珍しい、そっちから連絡してくるなんて。 どうした?」

 ―大方見当はつくだろ。 今店にいるのか?

「いや、井ノ上と一緒に店に向かっている最中だ。 もう四、五分で着く」

 ―わかった。 なら店の前で待つ。

 

 

 紫莉は了解、と通話を切った。 

 たきなが不思議そうな顔で訊ねてきた。

 

 

「フキさんですか?」

「あぁ。 おそらく昨晩のことを訊きに来たんだろうな。 少し急ごう、待たせるのも悪い」

 

 

 紫莉は少し歩く速度を上げリコリコへと向かった。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 店の前に設置してあるベンチにフキは腰掛けていた。 彼女の傍にはセカンド・リコリスもいた。

 紫莉の記憶違いでなければ、千束・たきなペアで模擬戦を行った時にフキのバディを務めていた子のはずだ。

 紫莉達の存在に気づいたフキはベンチから腰を浮かし手を軽く挙げる。

 

 

「よう、しばらくだな」

「久しぶり。 調子はどうだ……って言いたいが、色々迷惑かけてるみたいだな。 悪い」

「なんでお前が謝んだよ。 気にすんな。 お前らは被害者だろ」

「そう言ってもらえて助かるよ──って、何ですか……?」

 

 

 フキと言葉を交わしていると、セカンドが紫莉の周囲をうろついているのが気になってしまった。 猫のようなくりくりとした瞳で、明らかにこちらを値踏みするような好奇の視線を向けている。

 

 

「あ、サーセン。 久しぶりの再会を邪魔しちゃって。 幻の三人目のファースト・リコリスがどんなのか気になっちゃってぇ」

「……そうですか。 残念ながら、今はただのサードなんで何も面白くないと思いますが」

「っスね~噂で訊いていたイメージ通りって感じっスね。 覇気も無いし、幸も薄そうっつーか。 ホントにファーストだったんスか?」

 

 

 明るい茶髪をツーブロックにした少女は、けらけらと笑いながらそう言った。

 はっきりとした物言い、などと好意的には受け取る気にはなれなかった。 

 率直にこの刈り上げ少女が苦手──いや嫌いな部類の人種だ。 初対面の相手に対し、わざと地雷を踏み抜いてくるデリカシーの無さに強い嫌悪感を覚えた。

 あまりにも癪に障ったので言い返してやろうとした時、フキの鉄拳が刈り上げ少女の脇腹に刺さる。

 彼女はくぐもった声を漏らす。

 

 

「サクラてめぇいきなり何言いやがんだ! あれほどこいつには気を使えって言っただろうがっ!?」

「い……! っつぅ~ひどいっスよ~フキセンパイ。 軽い挨拶じゃないっスかぁ」

「何処からどう見ても喧嘩売ってる風にしか見えねぇぞ! ……悪い紫莉、私の指導不足だ。 この馬鹿には後でちゃんと聞かせておく。 ここは抑えてくれ」

 

 

 サクラの非礼をフキが代わりに詫びてきた。 当の本人は、何食わぬ顔で両手を後ろ頭で組み口笛を吹いていた。 

 その態度が、紫莉の神経をさらに逆撫でするには十分だった。

 

 

「……春川が謝る必要はない」

「けど……!」

 

 

 紫莉は手でフキを制止して、サクラの方につま先を向けた。 

 サクラはこちらがやる気なのかと思ったのか、好戦的な笑みを浮かべ自然と身構えた。 だが、紫莉はいきなり飛び掛かることはせず、にっこりと口角を上げゆっくりと手を差し出した。

 

 

「改めて倉木紫莉です。 命令違反で降格させられたつまらない者ですが、どうかお見知りおきを」

 

 

 紫莉の行動にサクラは拍子抜けしたような表情を作った。

 

 

「……なんだよ、調子狂うなぁ。 乙女サクラっス……」

「乙女さん、ですか。 よろしく」

「っ!」

 

 

 サクラの手を取った瞬間、紫莉は拳に力を込める。 骨がゴリゴリと軋む感触が伝わってくる。

 サクラは顔をしかめさせたが、手を振りほどこうとはしなかった。 むしろ燃えてきたと言わんばかりに瞳をぎらつかせた。 案外根性はあるようだ。

 

 

「へ、へぇ……図体のわりに結構力あるみたいっスね……」

「あいにくこれくらいしか取り柄がないもので。 そちらも乙女って苗字にしては根性ありますね」

「そりゃどーも、古巣の北海道で鍛えられたっスからね。 ヘマして左遷される人とは違うっスよ」

 

 

 減らず口をと紫莉は思うが、それは同時に彼女の自信から来るものだと悟った。

 サクラの手には、日々の訓練で出来たであろうマメやタコがあった。 地方から東京に移転している時点で、ただの口だけではないだろう。 少なくともフキの隣に立つレベルはあるということだ。

 

 

「お前らそこまでだ!」

 

 

 声を荒げたフキが間に入ってきたことで意地の張り合いは強制終了された。

 サクラはフキに首根っこを掴まれながら、こちらに舌を出して挑発してきていたが、紫莉は無視する。

 

 

「……すまん春川、ついムキになっちまった」

「さっきも言ったが謝んな。 これでこの話は終いだ」

 

 

 気まずい空気が場に立ち込める前に、紫莉はフキに改めてここに来た目的を訊ねた。 フキは首の後ろを手で揉みながら応えた。

 

 

「昨日の襲撃に関してのヒアリングだ。 近々本部から迎えを寄越すが、こっちも少しでも早めに情報を手に入れて整理したいってのが、司令の方針だ」

「そういうことか。 何処から話せばいいか……まず──」

 

 

 紫莉とたきなは直近の出来事を順に話した。 

 殺されたサード四人の顔が敵に知れ渡っていたこと。 千束のマンションの上空を飛んでいたドローンやチンピラ二人組。

 そしてこの件の首謀者である“真島”という男の存在全てを話した。 名前はクルミがドローン撮影した映像で知った。

 ひと通り話し終えると、フキはうつむいた。

 

 

「……銃取引の映像が何処から漏れたのかはわかってるのか?」

「いや、それは……すまないそれはまだ把握してできてない」

「そうか……クソ関わってる奴は全員一人残らず始末してやる……!」

 

 

 フキが腹立たし気に拳を手のひらに打ち付けるのを見て、無意識に視線を逸らしてしまった。 

 動画流出の原因が、この扉の先にいるとは口が裂けても言えなかった。

 紫莉はわざとらしくならないように咳ばらいをして、話題を少し変えることにした。

 

 

「そういえば本部から迎えが来るって言ってたが、具体的には何するんだ。 モンタージュの制作とかか?」

「ん? あぁそれはやるだろうな。 その真島って奴を間近で見たのはお前らしかいねぇし」

「そ、そうか……参ったな、あいにく俺には絵心がないから役に立つかどうか……」

「そういうことなら特徴を教えてくれば私が書いてやるよ」

「本当か、それは助かる」

「事件解決に繋がるなら安いもんだろ。 さてと、伝えることは伝えたし帰んぞサクラ」

 

 

 フキがそう言ってベンチから腰上げると、サクラは残念そうな声を出す。

 

 

「えぇ!? せっかくここまで来たんだからなんか食って帰りましょうよ」

「馬鹿言ってんじゃねぇ、まだ任務中だろうが」

「ほぼ終わったもんじゃないスかぁ~」

 

 

 サクラはがっくりと肩を落とす。 フキが無視して立ち去ろうとしたところを紫莉は呼び止めた。

 

 

「ま、まぁ、乙女さんの言う通りせっかく来たんだから店に寄ってけよ。 コーヒー一杯くらい罰は当たらないだろ」

「おぉ! なんだよ~アンタ話がわかんじゃん。 フキ先輩、幽霊──じゃなかったオトモダチがこう言ってくれんだし、好意には甘えないと~」

 

 

 久しぶりに訊いた蔑称に紫莉は前言撤回しようかと迷ったが、これはフキのためだと言い聞かしグッとこらえた。

 

 

「そ、そうだぞ春川。 あんたが来たらミカさんも喜ぶ。 なぁ、井ノ上?」

「私に訊かれても……そういえばフキさん、なぜわざわざお店にまで来たんですか? 今の内容でしたらさっきの電話で済んだはずなのに」

 

 

 たきなの問いにフキは固まってしまった。 だが、いつもの不機嫌さというよりどこか恥ずかしがっているような印象を受けた。

 押し黙ってしまったフキの代わりに、サクラが「おいおい」と呆れたように口を挟んできた。

 

 

「察しろよオメーよぉ。 フキ先輩はここの店長に──」

 

 

 サクラが何かを言い終わる前に、再びフキの肘鉄が突き刺さった。 今度のはかなり入ったようで、サクラは「うごぉ」と乙女らしからぬ悲鳴を出した。

 

 

「てめぇは余計なことをいちいち言うんじゃねぇ! さっさと戻るぞ!」

「ちょ、ちょっと待ってください先輩……動いたら出そうっス……」

 

 

 顔を林檎のように赤く染めたフキは、そのままサクラの制服の襟を掴んで行ってしまった。

 嵐のように去って行ったフキに、紫莉は同じく目を丸くしていたたきなに訊ねた。

 

 

「な、何だったんだ、今の」

「さ、さぁ……? 私にもさっぱり」

 

 

 普段とは違ったフキの一面を見て、紫莉は首を傾げた。

 

 

 

 ▼

 

 

 

「こんな感じか?」

「うん、そんな雰囲気だ。 髪の長さはそれくらいで、顎はシャープだったな。 こうして見てみると結構顔が整ってるな。 どこかの俳優みたいだ」

「まさかお前好みの顔とか言わねぇよな」

「冗談言うな、俺は男に興味なんかねぇよ──いや、今のは恋愛に興味が無いって言った意味で」

「何一人で慌ててんだよ……変な奴だな」

 

 

 自分の失言に気づいた紫莉が手をバタバタ振っているのを見て、フキは呆れ笑いを浮かべていた。 彼女はそう言ってくれたが、今のは勘違いされてもおかしくない発言だった。

 間違いなく千束やミズキに訊かれていたら、茶化されていただろう。

 

 

「改めて見てみると錦木のは髪型と色は合ってるな。 井ノ上のは……まぁ、うん……」

「あの馬鹿どもに一瞬期待した私も馬鹿だった」

 

 

 フキは千束とたきなが描いたモンタージュを見てため息を落とした。 千束の作品は確かに真島の特徴を捉えていたが、絵のタッチが少女漫画のようだった。 たきなのものにいたっては、小学生の落書きのような出来栄えだ。

 二人があまりにも自信満々に描けると言っていたので、絵を見た瞬間噴き出すのを堪えるのが大変だった。

 

 

「けど、凄いな春川はこんな上手くデッサンが描けるなんて。 誰に教わったんだ?」

「情報部の人や絵の上手いリコリスにな。 別に私の絵なんか大したことない。 こういった技能も身に着けた方がためになると思ったからだ」

「それが凄いんだ。 どんな技能や知識でも学び続ける姿勢が大事だ。 本当に尊敬する」

「……そりゃどーも」

 

 

 紫莉が素直に伝えると、フキは手のひらを顎に当て視線を横にずらした。 耳まで赤くなっているのを見て、つい笑みが浮かんでしまう。 だが、これ以上褒めるのは逆効果になりそうなのでほどほどに留めておいた。

 

 

「さてと、こんなもんで完成だな。 助かったぜ紫莉、お前が居てくれてよかった。 私はこれを提出しに行くけど、お前は帰るのか?」

「帰るよ。 長居してまた絡まれたら面倒だ」

「そっか、じゃあな。 また何かわかったら連絡する」

 

 

 部屋を出ながらフキと別れの言葉を交わし、紫莉は帰路についた。 

 道中何人かのリコリスとすれ違った。 彼女達は相変わらず避けてくるが、今までとは少し違うように感じた。 どちらかといえば関わりたくない、といった感じだ。 あの模擬戦の影響が未だにあるのだろう。

 紫莉にとっては好都合だった。 もともと関係を改善しようと思ったことはないし、孤立するのには慣れている。 逆に媚を売ってくる連中がいたとしたらそっちの方がたちが悪い。

 とはいえ、居心地が悪い。 さっさとリコリコへ戻りたいが、フキとぶっ続けで話していたので喉が渇いた。 途中に自販機があるはずなので、喉を潤してから帰ることにした。

 

 

「あ」

「げ……倉木紫莉……」

 

 

 一人のセカンドが苦々しく呟いた。

 よりにもよって今一番会いたくない人物に会ってしまった。 紫莉は自分の運のなさを呪った。

 

 ……なんつ―タイミングだよ。 明らかに敵意むき出しだし……ん? そういえばこいつの名前何だっけ?

 

 記憶の箱をひっくり返しても思い出せなかった。 元から物覚えはよくないが、自分に突っかかってくる人の名前まで覚えてないのは笑いが出てしまう。

 

 

「……人の顔見た途端に笑い出すなんていい度胸ね」

 

 

 セカンドは不快そうに腕を組み睨んできた。 

 紫莉は慌てて否定する。

 

 

「す、すみません。 別にあなたの顔を見て笑ったわけじゃないです」

「……ふん、まぁいいわ。 で、なんであんたがここにいるわけ? まさか戻ってくるわけじゃないでしょうね」

「違いますよ。 誰が好き好んでこんな糞だめ──ごほん、あれです、例のリコリス襲撃犯関係で──」

「奴らと接触したの!?」

 

 

 急に両肩を掴まれ、紫莉は反射的に身を強張らせた。指が肩に食い込み、小さな痛みを感じた。

 

 

「……痛いです」

「っ……悪かったわよ」

 

 

 セカンドは気まずそうに手を離した。だが、すぐに睨むような目つきに戻る。

 

 

「それで。奴らは何だったの」

「……どうしてそこまで気にするんですか」

 

 

 紫莉が訊ねると、彼女は歯を食いしばってうつむいた。

 

 

「……地下鉄の戦闘があったでしょ。 あそこで仲良かった子が……」

 

 

 彼女の言葉でやっと気づいた。 あの時一緒に絡んできた取り巻きの姿が一人も見当たらない。 つまりはそういうことなのだろう。

 

 

「それは……残念です。 本当に」

「本気で言ってんの……? あたし達、散々あんたをいびってきたのに」

「……根に持ってないと言えば嘘になります。 ですが、それはそれです」

 

 

 紫莉は相手の目を見据えはっきりとした口調で言った。 

 

 

「俺は人の死を素直に喜ぶほど外道じゃありません」

 

 

 セカンドは何とも言えない表情のまま黙り込んだ。

 紫莉はセカンドの横を抜け、自販機のボタンを押そうとした。 その時背後からカツカツと足音が訊こえた。

 

 

「楠木司令……!」

 

 

 セカンドが驚いた声音に釣られるように、紫莉は背後を振り返る。 

 白いロングジャケットのポケットに手を入れた楠木が立っていた。 セカンドが姿勢を正したのを見て紫莉もそれにならう。

 楠木は指先を紫莉に、視線をセカンドに向け口を開く。

 

 

「彼女に用事がある。 下がりなさい」

「……了解しました司令。 失礼します」

 

 

 セカンドはお手本のような敬礼をして、歩いて行った。 去る際に若干の嫉妬が混じった視線をぶつけてきたが、代われるものなら代わってほしかった。

 一体何の用事があるのかと紫莉が頭の中を整理していると、楠木は無言のまま自販機に近づき缶コーヒーのボタンを押した。 商品を手に取り、プルタブを開けると一口飲んだ後声をかけてきた。

 

 

「お前は何も買わないのか?」

「え、あ、いや。 か、買います」

 

 

 紫莉は促される形で小ボトルの水を買った。 

 キャップを回し、中身をひと口で飲み干す。 だが緊張のせいか、口内がすぐに乾いていくように感じた。

 無言の間が続いた。

 楠木は用があると言ったのに、何も言わずコーヒーをちびちびと飲んでいるだけだ。 この嫌な空気が紫莉の胸のざわめきを余計に駆り立てた。

 紫莉は耐えきれず自ら口を開いた。

 

 

「あ、あの司令、お話とは……?」

「相変わらず小心者みたいな態度だ。 もう少し堂々としろ。 そんな調子では真島にまた出し抜かれるぞ」

「……痛み入ります」

 

 

 紫莉は弱々しく頬を引きつらせた。

 楠木と面と向かい合って話すのは随分と久しい。 間違いなく小言をぶつけられると心構えはしていたが、やはり心がずきりと痛む。

 楠木は「だが」と言葉を続けた。

 

 

「以前と比べて顔色は良いようだ。 リコリコへの辞令を出した時には、この世の終わりかのような表情をしていた癖に。 千束の能天気さに当てられたか?」

「そんなことは……! 自分は常に──いえ……司令の仰る通りかもしれません」

「ほう?」

 

 

 楠木は眉尻を上げ、流し目でこちらを見てきた。 その視線は冷酷な蛇を彷彿させるものだった。

 蛙である紫莉は喉元がキュッと締まりそうになるが、唾を無理やり飲みこむ。

 

 

「錦木は本当に能天気な奴です。 何故あそこまで楽観的になれるのか、自分には未だに理解できません。 この間も勝手に予算を無視した新メニューを出して、店の皆に呆れられてました。 あぁ、そう言えば──」

「……随分と気楽に過ごしているようだな」

「へ? も、申し訳ありません、話が脱線してしまいました……あの、つまりですね、良い意味で刺激のある日々を送れている、という意味です! 決して、怠けているわけでは!」

「急に大きな声を出すな。 心臓に悪い」

 

 

 紫莉は恥ずかしさの余り顔から火が出そうになった。 自分でも何故こんなことを口走ったのかがわからない。 楠木の言う通り、千束の楽観主義がうつってしまっただろうか。

 楠木はため息とともに肩をすくめた。 飲み終えた空き缶を自販機横のごみ箱に入れると、紫莉を見下ろす形で向かい合った。

 

 

「ひとまず今後の行動には支障は無さそうだな。 真島を含めたテロリスト共は何をしてくるかわからん。 気を引き締めるように、以上だ」

「承知しました。 ……以上ですか?」

「話は終わりだ」

 

 

 紫莉は肩透かしを食らった気分になる。 結局楠木の目的がいまいち掴めずにいた。

 踵を返して去って行く楠木の背中を眺めていると、紫莉の頭の中にひとつの考えが浮かんだ。 気づけば意識する前に彼女を呼び止めていた。

 

 

「何だ? 話は終わりだと言ったはずだ」

 

 

 楠木は立ち止まり半身だけ捻った。 

 紫莉の思い過ごしかもしれないが、これだけは訊ねておきたかった。

 

 

「こうなることがわかっていて、自分をリコリコに送ったのですか?」

「……発言の意味がわからないな」

「自分で言うのも憚られますが、当時の自分は限界でした。 きっと本部にそのまま所属していたならば、更に取り返しのつかないミスをするか、もしくは命を落としていたかもしれません。 そうならないように司令が采配してくれたのでしょうか?」

 

 

 紫莉は真っすぐな視線を楠木に向けた。 彼女は何を言い出すかと言わんばかりに小さく肩をすくめた。 表情は変わらない。

 

 

「私は命令違反した者に相応の処分を下したまでだ。 それ以上もそれ以下もない」

「……そう、ですか。 すみません、今の発言は忘れてください」

 

 

 だが、紫莉は見逃さなかった。 僅かであるが楠木は眉尻を動かしていた。 本人すら気づいていない僅かな揺らぎだった。

 

 ……人の事を言える立場じゃないが、この人も素直じゃないな。

 

 紫莉が内心そう思っていると、楠木は「それと」とぽつりと言葉を漏らす。

 

 

「なんでしょうか」

「谷間の百合のことは気にしなくていい。 お前が余計な行動をしない限りは咲くことはないだろう」

「谷間の……? す、すみませんどのような意味で」

「以上だ。 私は忙しい」

 

 

 楠木は会話を一方的に切上げ、今度こそ去って行った。 一人残された紫莉は、ぽかんとした表情で上官の背中を見送った。

 なぜ彼女が突然花の話を始めたのかわからない。 けれど、今ここで考えても答えは出ないだろう。 ひとまず紫莉は東京へ帰ることにした。

 本部から最寄り駅に着いた時には、既に日は落ち始めていた。 リコリコへ戻る頃には閉店時間を迎えているだろう。

 やがて来た電車に乗り、まばらに空いている席に座った。 

 電車に揺られながら紫莉は“谷間の百合”について考えることにした。 どうにも先ほどから気になって仕方がなかった。 

 スマートフォンを取り出し、ネット検索した。 画面に表示されたとある花の画像を見た瞬間、喉の奥が小さく鳴る。 そして、同時に楠木の言葉の意味が腑に落ちた。

 あの人は、何も言わずに手を回してくれていたのだ。

 直接そう言えばいいのに、と一瞬だけ思った。 だが、すぐにそれはないと考え直す。 あの人はきっと、そんな言い方をしない。 恩を着せるような真似もしない。 ただ処分を下した上官の顔をしたまま、必要なことだけを淡々と済ませる。

 

 まったく、素直じゃない。

 

 紫莉は小さく息を吐き、スマートフォンの画面を閉じた。

 窓の外では、夕焼けに染まっていく田園風景が赤く滲んでいた。 電車の揺れに身を任せながら、紫莉は膝の上で拳を緩く握る。

 余計な行動をしない限りは咲くことはない。

 その言葉の意味を、今なら少しだけ信じてもいい気がした。 少なくとも自分はまだ、見捨てられたわけではなかった。

 それだけで、胸の奥に絡みついていたものがほんの少しだけほどけた。

 リコリコに戻ったら、店の皆はいつも通り賑やかにしているのだろう。 今日は閉店後に新しいボードゲームで遊ぶと言っていたはずだ。

 そこへ帰る。

 ただそれだけのことが、今の紫莉には少しだけ悪くないものに思えた。

 

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