蜘蛛の糸を掴めたら   作:SHALC7

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二話 中編

 日本を象徴するものを聞かれたら何を思い浮かべるであろうか。

 独特な流れる刀身を持つ日本刀を携え重厚かつ煌びやかな甲冑に身を包んだ侍、多彩で新鮮な食材とその持ち味の尊重し自然の美しさや季節の移ろいの表現する和食など数多くの例が挙がるだろう。

 その中でも富士山は世界に圧倒的知名度を誇っている。 宗教的には古来から山頂には神が住まう神体山とされたり、優美な風貌は数多くの芸術作品に影響を与えるなど、信仰の対象及び芸術の源泉とも言われている。 富士山麓周辺には多くの観光名所が立ち並び毎年多くの人々が足を運んでいた。

 この日本の代名詞とも呼べる霊峰の麓にDA本部は存在していた。 DA本部は深い森に覆われた中にあり、建物の周囲は有刺鉄線付きのフェンスに囲われ、いたるところには監視カメラ付き柱が立っている。 誰がどう見ても一般の市民が気軽に立ち入れる場所でないことを物語っていた。

 紫莉はDA本部の司令官執務室にいた。 

 執務室にしてはかなり広く一人が使うにはもてあましそうだったが、応接間の役目も果たしているようで、紫莉の背後には塵一つ載ってない黒い天板のテーブルとそれを挟むように白革の高そうなソファーが備え付けられてあった。

 この部屋で頭部に包帯を巻きつけている紫莉はの直立不動の姿勢で立っており、口は一文字に固く結ばれている。 時折泳いでいる視線の先には紫莉の上司である楠木が机を挟んで回転式の椅子に座っていた。

 楠木は赤髪をマッシュルームのようなヘアスタイルにしている中年の女性だ。 丈を長くした白いスーツを羽織り、暗い色のワイシャツとネクタイ、タイトスカートを着用しているキャリアウーマンのような風貌をしていた。 また、日本の影に潜み反乱分子を排除するDAの司令官らしく、冷徹さと高潔さを掛け合わせた雰囲気も身に纏っている。

 

 

 

「もう一度簡潔に確認するぞ」

 

 

 楠木は、A4サイズの紙書類を片手に低く鉄のような冷たさを感じさせる声音で訊ねてきた。 

 紫莉はぎこちなく首を縦に振り、表情には一層の緊張感が表れている。 事情を知らない人がこの光景を見れば、問題を起こした生徒が職員室に呼ばれて教師に怒られているように思うだろうが、そんな平和なものではなかった。

 楠木が書類に目を落とし書かれている内容を読み上げ始める。

 

 

「お前は最初の現場からアルファの取引現場に行き、デルタと合流した。 そこでデルタには待機命令を出し、単独でアルファの救援に向かった。 相手を急襲しようと画策したが、アルファツーによって妨害される。 その後商人に狙われていた彼女を守るために反撃を試みた結果、商人を殺害してしまった── この報告書に虚偽の供述はないか?」

「はい、全て事実です」

 

 

 紫莉の返答に楠木は眉間のしわを深める。 明らかに彼女が失望していることが見てとれた。

 紫莉は当時の自分の行動に右わき腹がキリキリと痛む。 我ながら馬鹿なことをしたと何度も後悔していた。

 商人を殺害してしまった後、紫莉はフキ達の手によって本部へ連行された。 着くや否や待機していた職員に引き渡され、休む間も与えられず数回に渡る事情聴取を受けたのち、この場に立たされていた。

 楠木は書類を机の上に置くと、両手を顔の前で組み額に当てながら重々しいため息を吐いた。

 

 

「上層部はこの失態をかなり重く受け止めるはずだ。 下手に報告すればお前を良く思っていない者達は、お前を処理するべきだとの声も上がるだろう」

「……返す言葉もありません。 どんな処分であっても受け入れる所存です」

 

 

 紫莉は腰を直角に折り、深く頭を下げた。 ふとその時、なぜか前世の記憶の一部が蘇った。 内容は仕事で自分の判断ミスによって不具合が発生し、自社や顧客に多大な迷惑を掛けたことについての記憶だ。 あの時の自分もこのような心境で当時の行動や判断を何度も悔やみ、前世の上司も楠木と同じような目を向けていただろうと思う。

 今の今までも前世のことはあまり思い出せず、ほとんどの記憶は白い霧の如く霞んでいた。 だが、このような苦い思いをしている時に当時の苦い記憶だけは鮮明に蘇ってきた。 怪我や病気による身体的に苦しんだこと、思いがけぬハプニングに肝を冷したなど、ろくでもないものばかりだ。

 

 なんでこんな嫌なことばかり思い出すんだ。 俺は一体どんな人生を送っていたんだ……? 

 

 紫莉自身は前世では決して不幸な人生を送っていたわけではなく、まともな感性は持っていたであろうとそれだけは確信できる。 人間や動物の赤ちゃんを見た時にはふわりと温かい感情が広がるし、束の間に鑑賞する名作映画のワンシーンは感銘を覚えることもある。 それに殺人に対する強い忌避感も持っている。

 どんなに嫌いで憎たらしい相手であっても人を殺すことは許されてはない。 人間としての倫理観や道徳心、社会的に裁かれる法への恐れなど理由は様々あるが、一般的には同族である人を殺すことは禁じられた行いだ。 誰しもが一つしか持っていない“命”というものを自分で絶やすのはまだ分かるとして、奪うなどもってのほかと紫莉は考えていた。

 

 

「お前がいくら頭を下げたところで、商人は生き返らないし、銃の行方が分かるわけではない。 顔を上げろ」

 

 

 楠木の言う通りだった。 悔やんだだけで全てなかったことになればここまで悩む必要はない。 紫莉に許されているのはこれから下される処分を真摯に受け止めることだけだった。

 紫莉が元の姿勢に直ると、楠木は報告書を横にいた秘書に手渡した。 そして引き出しから新たな書類を取り出し、今度は紫莉に渡してきた。

 

 

「これが今回お前に下す処分だ。 内容を確認して速やかに指定された場所に向かうように」

 

 

 紫莉は今後の自分の運命が記されている紙を汗まみれの手で受け取る。 自然と呼吸が早くなり、足も震えてきた。

 楠木の言い方から察するに処刑などの極端な内容ではなさそうだ。 そもそも命を取られるならこの場にすら立たせてもらえないだろう。

 良くて降格のみか本部の寮への帰属、最悪の場合でも養成所送りであることが分かると、ほんの少しだけ心が楽になった。 意を決して書類に目を通す。

 書類の一番上に書いてあったのは、紫莉をファーストからサードへの降格とする旨だった。 予想はしていたが、実際にそれが現実のものとなるとやはりショックを受ける。 それに、二階級も落とされるとなると流石に堪える。 

 紫莉は、命があるだけましだ、と自分に無理やり言い聞かせ、再び読み進めていくと先ほどとは比べ物にならない衝撃が電流のように全身に走った。

 顔を真っ青にして思わず楠木を見るが、彼女は椅子を回転させ横向きで足を組んでおり、紫莉と目を合わさないようにしていた。

 

 

「こ、この場所は……」

「そこに記載されているのは全て決定事項だ。 今更覆ることはない」

「ですが、なんで。 よりによってあそこ何ですか……!?」

 

 

 書類に記されていた紫莉が次に配属となる場所は、本部の寮でも養成所でもなく“DA支部 喫茶リコリコ”と書かれていた。 紫莉は予想外の配属先に堪らず抗議の声を上げる。

 

 

「あの支部はあいつが居ます。 彼女は問題児ですが腕は確かなので、これ以上この支部への増員は必要ないと思います。 それにこちらからの任務を受けないこともあるじゃないですか」

「さっきも言ったが決定事項だ。 他にもう一人も配属される予定で、彼女は既に向かっている。 お前もすぐにサードの制服を受け取り配属先へ向かえ。 以上だ」

「でも!」

「くどいぞ。 二度は言わん」

 

 

 紫莉はこの判決に対して食い下がろうとするが、楠木にギロリと睨まれ言葉が喉の奥に引っ込んでしまう。 彼女の横に立っている秘書にも視線を向けるが、楠木を同じく話を聞いてくれる様子はなかった。

 紫莉は歯を食いしばりながら俯き、書類ごと拳を握りしめる。 上官に嚙みつきたい心の衝動を力づくで押さえつけ、なんとか会釈だけをして足早に執務室を後にした。

 

 

 ▼

 

 

 紫莉は夢の中にいるような地に足がつかない感覚を感じながら備品課に向かい、新品の制服を受け取った。 すぐ近くにあるリコリス共用の更衣室に足を踏み入れる。

 更衣室にはリコリスがいたが、紫莉を見るや否や気味が悪そうな面持ちで散るように出て行った。

 適当なロッカーを選び、着慣れた真っ赤な服をロッカーに置き白ともベージュとも言える服に袖を通す。 再びこの色を身に纏うなど考えてもみなかった。

 ふらふらとした足取りで更衣室を出ようとすると、壁に設置してある全身を映すことが出来る大きな鏡に目が止まる。

 パーマ風の黒紫の髪をショートヘアし、目元には酷いクマを作り生きる活力を感じさせない瞳。 一五歳の平均身長以下の背丈、女性的な魅力は微塵も感じない平坦な胸。 

 紫莉は、鏡に映るこの辛気臭い人物が心底嫌いだった。

 

 ああ、なんて酷い面をしてやがる。 この人殺しめ。

 

 紫莉は鏡に手を添え、映る自分自身を凝視し始める。 深く見れば見るほど腹の底から黒くドロドロとした不の感情が湧き出してくる。 

 こうしていれば、あの時とは逆に前世の記憶など消えてしまわないだろうかと、何度も何度も繰り返してきたが、それが成されることは一度たりともなかった。 そして、これからも決してないだろう。

 

 なんで俺はいつもこう詰めが甘いんだ。 嫌で嫌で仕方ない殺しでせっかくここまで上り詰めたのに、それすら奪われた俺に何が残るって言うんだ。

 

 紫莉の脳内にはリコリスとして生きると決めた頃からの記憶の断片が蘇る。 

 始めて任務として人を射殺した時、大勢の敵に囲まれ持ってきた弾薬が底を尽き肝が冷えたことや相手が格闘技の有段者でこっちが逆に殺されかけた時など、現在まで潜り抜けた死線は数え切れえない。

 全ては生きるためだった。 前世であんな終わり方をしたのでやり残したことも沢山あったはずで、少しでも明るい未来を手にするためにはこの手段しかなかった。 だから、大勢殺してきた。

 けれど、前世で形成された一般的倫理観を捨て切れず、それでも超法規的組織の一員として涼しい顔をして他者の命を奪う現在の自分の姿に耐えがたい矛盾を感じていた時だった。

 

 

「おい、大丈夫か?」

「ひっ!」

 

 

 不意に肩を掴まれる感覚に紫莉の胃は強く締め上がり、肩に置かれた誰かの手を振り払う。

 そこに居たのは眉尻を下げ心配そうにこちらを見つめるフキだった。

 

 

 ▼

 

 

 春川フキは悩んでいた。 

 自分が現場リーダーとして担当した銃取引阻止作戦では様々な問題が起きた。 謎の通信障害による司令部との連絡途絶、一時的とはいえ仲間が敵の捕虜となってしまったり、別の者のスタンドプレーによる捕虜や重要目標への機銃掃射。 

 極めつけには待機命令を無視して現場に突入してきたリコリスによって、重要目標を殺害されてしまうなど頭が痛くなるものばかりだった。 

 その中でもフキに強烈な印象を残しているのは、命令違反で現場に突入してきた倉木紫莉の件だった。 彼女はフキの二個下の一五歳であるが、同じファーストの称号を与えられている後輩だった。

 紫莉との初めての出会いも印象的なものだった。 まだ養成所にいた頃、廊下を歩いていると当時の養成所主任医長である芦原を車椅子に乗った紫莉が殴っているを目撃した。 リコリス訓練生であったフキはその時からDAへの忠誠心が芽生えており、そこの医療機関のトップに手を出した彼女を許すことができなかった。

 フキは二人の間に割り込むと芦原を守るため紫莉を殴った。 今思えば、車椅子に乗っている時点で体調が優れないであろう彼女に暴力を振るってしまったことに後ろめたさを感じていた。 あの時の紫莉の怯えた表情は脳裏に焼き付いている。

 この出来事の後、しばらくの間紫莉と顔を合わせる機会はなかった。 

 フキも自身も訓練で多忙な日々を送っていたこともあるし、紫莉に至ってはは日を追うごとに素行が悪化していき訓練どころではなく、反省部屋と称される独居房に入れられているという話まで聞いた。

 そんな彼女もある日を境に別人のよう変わった。 それまでの職員や教官での反抗的な態度は鳴りを潜め、どんな命令でもあっても従順にこなす理想的なリコリスへ成長していき、フキの紫莉に対しての印象も大きく変わっていった。

 紫莉がファーストに昇進したことを聞いた時もフキは自分のことのように心から喜んだ。 あそこまで反抗的な人物が、自分と同一の存在になれたことが信じられなかったが、人は努力次第で変わることを認識させてくれた。

 なんでそこまで変わることが出来たのか聞いたことがあるが、彼女は遠い目をして言っていた。

 

 

「余計なことを考えるのを止めたからだ」

 

 

 フキは紫莉の言葉の意味が分からなかった。 ファーストになるためには生半可な努力では到底及ばないからだ。 フキ自身も血反吐を吐くような努力を他人の何倍も重ねた末、ファーストに任命された。 それを何も考えないで達成できるとは思えなかったが、現に紫莉がなっているので深く追求するのは止めた。

 

 

「びびったわー 何なのあいつ、幽霊かと思っちゃった」

「たまに見かけるけど、相変わらず辛気臭そうな顔よね でも今日のはマジでやばかったね。 やっぱあの件で楠木司令にこっぴどくやられたんじゃない?」

「あはは! そうかもね」

 

 

 フキが過去のことを思い出していると二人のリコリスとすれ違った。 聞こえてきた会話の内容から紫莉のことだと思った。 二人が来た先には備品課に近い更衣室があり、そこに紫莉がいるのではないかと思いそこに向かった。

 更衣室に入ると紫莉の後ろ姿が見えた。 

 彼女は赤い制服ではなくベージュの制服を身に纏い、姿見鏡の前に立ち鏡に手を添え自分の造形を深く覗き込んでいた。 すれ違ったリコリス達が言っていた通り、鏡越しに映る紫莉の表情はいつもよりも思いつめているように思える。

 彼女をそのままにしていると、鏡の中に入っていき二度と会えなくなるような錯覚に襲われたフキは声を掛けることにした。

 

 

「おい、大丈夫か?」

「ひっ!」

 

 

 紫莉が小さい悲鳴を上げて手を払いのけてきた。 彼女の手が自分の手に当たった時、フキは胸にチクリと小さな針が刺さる痛みを覚えた。 まさかここまで拒絶されるとは思ってもみなかったからだ。

 

 

「は、春川か。 悪い、その…… 少し考えごとしてて……」

「……気にすんな。 私も急に声掛けて悪かった」

 

 

 紫莉は相手の正体がフキだと分かると一瞬だけ安堵の色を浮かべるが、すぐにバツの悪そうな表情になり謝ってきた。 

 両者の間に気まずい沈黙が流れる。

 互いに共通の趣味などがあれば場を持たせることはできたかもしれないが、リコリスであるフキ達に趣味に費やす時間などはほとんどない。 考えた末に紫莉には申し訳なく思うが、やはり仕事関係の話が一番口に出しやすかったため、先ほどから気になっていたことを訊ねてみることにした。

 

 

「その制服、似合ってねえな」

「あ、ああ…… そうだろ? 俺も違和感しかないよ。 せめて紺色だったら気分も違ったかもな」

「でも、その色ってことは養成所送りにはならずに済んだみたいだな。 寮に戻ってくるのか?」

「いや、それが──―」

 

 

 フキの胸の内に淡く小さな期待が生まれた。 紫莉が寮に戻ってくるのはフキにとっては喜ばしいことだったからだ。 しかし、彼女の新しい配属先が喫茶・リコリコであることを知った瞬間にその期待も泡となって消えた。

 なぜ、楠木が紫莉ほどの優秀な人材を手元に置かず、外様であるリコリコに送り込むことを決めたのか一瞬理解できなかったが、脳裏にリリベル等の存在がちらつく。

 彼らの親玉のことだ、紫莉の命令違反で起きたこの事態を理由にリリベルをけしかけてくるかもしれない。

 フキもリコリスである以上、上司の決定には絶対に服従しなければならない。 けれど、フキは余りにも紫莉が心配だった。 彼女は顔を合わす度にやつれていっており、見ているこっちの心が搔きむしられていく。

 紫莉が受け持っていた任務内容はフキも知っている。 本部・関東支部でも三人しかいなかったファーストで、フキはその他のリコリスを率いて任務を行い、ある一人は支部にて街の便利屋みたいなことをしている。 

 そのある一人は“歴代最高のリコリス”と言われており、彼女が今回の銃取引阻止の任務に最初からいれば、任務が失敗に終わることはなかったであろう。 しかし、歴代最高のリコリスはDAからの依頼の仕事はたまにしか行わないので、本来ならば彼女が受けるべき任務を紫莉が請け負っていた。

 無論フキは紫莉の任務を無視してはいたりはしていない。  

 過去に一度だけ紫莉に言ったことがある。 任務の一部をこっちに回すように要求した内容だったが、彼女は首を縦に振ることはなかった。

 その時は自分がそんなに頼りないのかと詰め寄ったが、紫莉が悲痛そうな面持ちで放った言葉を今でも忘れない。

 

 

「もし春川の身に何かあったらその後は誰が引き継ぐ? 俺は他の奴らを率いて任務を遂行することは無理だ。 これは適材適所の問題だ、頼むから俺の生きる理由を奪わないでくれ!」

 

 

 当時のフキは電流を浴びたかのショックを受けた。

 普段感情を表に出さない紫莉が今までにない必死な態度で反論してきたため、フキは何も言えなくなった。 それ以来彼女の任務に対して口を挟むことはしなくなり、今回の任務でも突然現れた際に問いただそうかと一瞬思ったが、すぐに思い直し口に出すのを止めた。

 ともあれ、フキにとって紫莉が寮に戻らずリコリコに行くことは残念なことだったが、別の見方ができた。

 

 

「まさかのリコリコかよ…… けど、いい機会かもな。 お前のことだから最近も無理してんだろ。 ちゃんと飯とか睡眠は摂ってんのか、顔色悪すぎんぞ?」

「……最低限は摂ってるよ。 今は流石に眠いけど」

 

 

 紫莉の言葉にフキは一つの考えが生まれた。 人からすれば甘やかしていると思われるかもしれないが、今のフキが彼女に出来る少しの労いだ。

 

「今日中にリコリコに着けば良いのか?」

「ん? ああ、まあ、司令からは速やかにとしか言われてないから、今日中に着けば問題ないと思うけど」

「じゃあ、私の部屋で少し寝てけ。 お前の部屋の片づけは私がやっといてやるから。 どうせ何も置いてねえんだからすぐに終わるだろうし。 あ、司令には黙っといてやるからよ」

「え? い、いや、それは春川に悪いだろ。 行きの電車の中で寝るつもりだから大丈夫だよ」

「いいから来い!」

「ちょ、ちょっと!」

 

 

 フキは遠慮する紫莉の掴み、引きずるような形で更衣室を出た。 自室に向かう最中何人かのリコリス全員に奇異な目で見られた。 

 傍から見ればフキが紫莉に焼きを入れるのかと勘違いされたかもしれないがそんなことは気にしない。 ただ少しでも紫莉の気分が紛れれば良いと思って行っている、フキなりの気遣いだった。

 自室に着くと二段ベッドがあり、フキは下段の方に紫莉を押し込んだ。 紫莉も始めは抵抗していたが、本当に疲労が溜まっているようで弱弱しく簡単に押さえつけれた。 やがて諦めたのか、紫莉は借りてきた猫のように大人しくなった。

 

 

「……本当に良いのか? 司令の耳に入ったら春川もヤバいだろ」

「さっきも言っただろ、黙っといてやるって。 仮にバレたら今にも倒れそうだったから私の判断で寝かせたとか適当に言っておいてやるよ。 ちなみにそのベッドを使う奴はもういないし、シーツも新品に変えてあるから心配すんな」

「……すまん」

「謝んな。 サードの面倒を見るのもファーストの仕事の内だ」

「ふっ。 今は任務中じゃないぞ」

「あー うっせえうっせえ。 さっさと寝ろ」

 

 

 フキはやっと笑みを浮かべた紫莉を見ることができ少しだけ安心した。 自分で勧めておいて彼女の貴重な睡眠の邪魔をしては悪いので、足早に自室を出ようと戸に手を掛けた時急に呼び止められた。

 

 

「んだよ、まだなんかあんのか?」

「いつもありがとう。 本当に、感謝してる」

「……私達は家族だろ。 家族に遠慮なんかすんじゃねえ」

 

 

 フキは顔に徐々に熱を帯びていく感覚を覚える。 ここまでストレートにお礼を言われると恥ずかしくなってくる。 紫莉に顔を見られたくないのですぐに部屋を出た。

 戸を閉めた後、本当に紫莉が寝るのか気がかりだったため、耳を当て確認すると部屋の中からは鼻をすする音が聞こえた。 一瞬戸を開けようか迷ったが、彼女のことなので絶対にはぐらかすと思い止めた。

 

 気に食わないが後はあいつに任すしかない。 紫莉にとっては辛い試練になるだろうが。

 

 あいつとは例の歴代最高のリコリスのことだった。 彼女と紫莉は光と闇のように正反対の存在で、彼女の底抜けない明るさで紫莉の心の闇を払って良いのだがと思う。 

 だが、彼女ばかりに頼る気は更々ない。 今自分に出来るのは、一日でも早く千丁の銃かそれに関する情報を見つけることだ。 フキはこの事件を解決すれば、上層部の紫莉に対する風当たりも軽くはなるだろうと考えている。 

 血は繋がってはいないが、愛想のない実の妹のように思っている紫莉を救うために、拳を強く握り締め静かな闘志を燃やすのだった。

 

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