蜘蛛の糸を掴めたら   作:SHALC7

7 / 22
二話後編になります。
遅くなり申し訳ございませんが、誤字脱字の報告、お気に入りの登録ありがとうございます。 




二話 後編

 紫莉が電車に飛び乗ると同時に、車内に発車することを知らせるアナウンスが流れた。 低く唸るようなモーター音が振動ともに床下から響き、ゆっくりと電車が動き出す。 

 車内には紫莉以外の乗客はいなかったので、適当な座席に腰掛けた。 肩で息をしている紫莉は、出発時刻に間に合ったことに安堵する。 これに乗り遅れていたら、次の電車が来るまでホームで待ちぼうけになってしまうからだ。

 この周辺は何度も訪れているので目新しいものはないし、そもそも歩き回るような気力すらない。 

 本部に併設するリコリス寮のフキの部屋にて眠りにつく前は、一、二時間程度の仮眠にしておこうと思いながら目を閉じた。 しかし、身体は疲労がかなり蓄積していたようで、泥のように深い眠りに落ちてしまった。

 目を覚ました紫莉は時計を見て飛び起きると、慌てて支度を済ませ受付に急いだ。 本部周辺は深い山中にあるため、車で最寄りの駅まで送迎してもらわなければならなかったからだ。 歩いて駅まで行くなど無理ではないが、確実に日は暮れてしまう。

 受付にて送迎車の空きがあるか、と受付の女性に訊ねたところ一台確保してあるとのことで、そのまま職員が運転する車で駅まで送ってもらい今に至る。

 ようやく一息つけた紫莉は、平たい胸を反らし大きく伸びをする。 こり固まっている筋肉がほぐされ、身体の節々からは小気味良い音も鳴った。 

 フキに感謝しなければならない。 彼女の計らいで万全ではないが、少しだけ気分は良くなった。

 フキは本当に良い子だ。 紫莉の前世を含めた年齢的には年下になるが、彼女の人間性は並みの大人よりしっかり出来ている。 頭に血が上りやすい短気なところや乱暴な口調で勘違いする人も少なくないが、誰よりも仲間を大切にする心意気には信頼と好感が持てる。

 同時に己のことしか考えていない自分自身に嫌気が刺す。 フキは他のリコリスを率いて任務を殉じている。 それは自分の命だけでなく他人の命を背負っていると意味にもなり、責任と重圧が伴う。 心の余裕がない紫莉には、到底無理なことだった。

 いつもの自己嫌悪に陥りかけた紫莉は、気分転換に車窓から外の風景に目を向けた。

 空は青く澄み渡り、軽やかで柔らかい白い雲が浮かび春の暖かな日が降り注いでいる。 遠くの山々は明るい新緑の覆われ、一部は桜の木が生えており淡いピンク色に染まっていた。

 近くに視線を向けると、都会にあるような鉄筋コンクリート造りの高い建築物はほとんどなく、小さめなアパートや一戸建ての住宅が各地に点在している。 住宅間にはそこの人達が所有しているだろう田畑等も見受けられた。 

 夜になれば辺りは真っ暗になり、近くでは虫の鳴き声や風が吹いた時に草木が揺れる音などしか聞こえないのだろうと思った。

 紫莉はこのような田舎の風景が好きだった。 東京のように煌びやかで人が密集している場所より、多少不便なところがあっても緑豊かな自然に囲まれている方が性に合っている。

 

 良いところだ。 こういう静かな場所でこの人生を過ごしたかった。

 

 窓の外で流れていく世界は紫莉にとっての憧れだった。 DAによって作られた偽りの平和であったとしても、血と硝煙の臭いとは無縁の生活に何度想い馳せたことか。 前世の自分は向こう側の人間だったのに、いつの間にかそれは目に見えても決して手が届くことのない、星みたいな存在にまでなってしまった。 

 紫莉は目頭が熱くなってきた。 最早全てどうでも良いと強がってはいるが、心の奥底ではどこか諦めきれない部分があるのは分かっていた。 けれど、もうどうして良いのか分からない。

 今までどんな辛いことも耐えてきた。 母親に金目的で売られ、カルト教団で血反吐を吐く殺人の訓練を積み、DAにてその実力を発揮し何人もの命を奪ってきた。 リコリスとなってからも自分は命を絶つ機会は何回もあったが、それだけは出来なくなっていた。

 生きたくもないが、死にたくもない。 この矛盾している思いが、体内に巣食うガンのごとく、ゆっくりと確実に紫莉の精神をすり減らしていた。

 段々と視界がぼやけ、風景が見えなくなってきた。 紫莉は頬に伝ってくる水滴を何度も手で拭うが、次々と瞳からあふれ出てきてしまうため追いつかなくなる。 なんとか抑えようと両手で顔を覆い、指先に力を込めるが効果はなかった。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 数時間後、紫莉は目的地の最寄りの駅に着いた。 外はすっかり暗くなってしまったが、車内は大勢の乗客でごった返していた。

 電車の中で泣き出してしまった後、紫莉はすぐに薬を服用した。 今回は適量を守ったので、効き目は少し悪かったが次第に冷静さを取り戻せた。 紫莉の目には若干の充血が見られたが、よく見ないと分からない程度にまで落ち着いている。

 泣き終わるまで、近くに人がいなかったことだけが唯一の救いだ。 頭に包帯を巻いた少女がいきなり電車で泣き出したなど、その場に居合わせた人は驚くだろうし、下手をすれば声を掛けられたかもしれない。

 一般の人に簡単に打ち明けれる内容でもないし、仮に悩みを全てぶちまけたとしても、何のことだが分からないだろう。 警察に通報されたりでもしたら、余計に面倒なことになる。

 電車を降車し人の波に沿って駅前まで来た。 すれ違う人々は一瞬だけ紫莉の方を見てくる者もいたが、すぐに興味なさげの視線を逸らした。 都会が苦手な紫莉にとって、今はこのせわしなさは都合が良かった。 駅から出発し路地を歩くこと十数分、目的の建物が見えてきた。

 灰色のコンクリートで出来た建物の間に茶色の木製の建物が佇んでいた。 近づいてみると建物の造りは和風なのだが、窓ガラス部分は海外の教会にあるような複数の色で構成されたステンドグラス調のものがはめられていた。 

 和風と洋風。 まったく文化もテイストも異なる組み合わせだったが、その建物は違和感を覚えさせることなく、むしろ二つが織り交じり独特の雰囲気を醸し出していた。

 この不思議な建物こそ、紫莉の配属先である、喫茶リコリコだった。 

 紫莉は店に近づく度に重くなる足を気力で動かし、入口の前に立つ。 扉にはまだ開店していることを示す札が掛かっており、店の従業員もといDA関係者は中にいるようだった。

 ドアノブを掴んだ時には、すぐにでも引き返したい衝動に駆られるが、引き返したところで状況が変わるわけではないので、腹を括り扉を開けた。

 客が入店したことを知らせるベルが鳴るのを耳にしながら、中に入ると外観と同じように和と洋が織り交じった空間が広がっていた。

 

 

「千束! やーっと帰ってきたか、早く私と交代しなさいよ── って、アンタ誰?」

 

 

 紫莉を出迎えたのは、二十後半から三十歳ほど年齢の赤いフレームの眼鏡を掛けた女性だった。 店の制服であろう緑の和服を着用し、緩やかにウェーブした長い茶髪と理性的な顔を持つ美人だった。

 彼女は、紫莉を誰かと勘違いしたようだったが、紫莉の顔とリコリスの制服を見るなり、目をパチクリさせていた。

 紫莉は彼女のことを知らなかった。 おそらくDA関係者であろう。 戸惑いながら、ここに配属されたことを伝えようとする。

 

 

「あ、あの自分は……」

「やっと来たか、紫莉」

 

 

 紫莉が困っていると、今度は女性がいるカウンター奥から、厳格でありながら何処か優しさを感じさせる声を持つ黒人の男性が現れた。

 彼は見ての通り日本人ではなかったが、紫色の和服を完璧に着こなしており、リコリコの持ち味である和洋折衷を体現している。 かつての紫莉の怨敵、マヌエルを思わせる体格をしているが、彼のようにおぞましい雰囲気は纏わせてはいなかった。

 紫莉は彼を前にした瞬間、反射的に背を正し顔を引き締め、深々と頭を下げる。 

 

 

「お久しぶりです、ミカ司令。 お変わりなく何よりです」

 

 

 紫莉が頭を垂れた男の名前はミカ。 元DA 司令官であり、現在はこの喫茶リコリコの店長という名目の管理人の立場にあった。

 彼は紫莉が店に着いたことに安堵の表情を浮かべていたが、紫莉の態度に対し眼鏡の女性と面をくらったように互いの顔を見つめ合っていた。

 

 

「お、おい。 そんなにかしこまらなくても良いんだ。 顔を上げなさい。 それに、私はもう司令という立場ではないよ」

「はっ。 申し訳ありません。 では、どのようにお呼びすればよろしいでしょうか?」

 

 

 紫莉は機械のごとき俊敏な動きで、肩幅に足を開いて、両手を背中で組んだ。 その様子を間近で見ていた女性は呆れたように両手を挙げる仕草をし、ミカは苦笑いを作っていた。

 ミカは仕切り直すようにこほん、と一回咳払いをした。

 

「改めてようこそ、喫茶リコリコへ。 私のことは店長とでも呼んでくれ。 それと、これは中原ミズキ。 元DA情報部出身だ」

「これって言うな、オッサン! あー今言われたけど中原よ。 中原さんでもミズキお姉さんでも好きに呼んでちょうだい」

 

 

 ミカに雑な紹介をされたミズキは、レンズの奥にある勝気そうな目を吊り上げ抗議していた。 しかし、二人の間に険悪な空気はなく、互いの人柄をよく知っているからこそ言える冗談なのだろう。

 紫莉も自身の名を名乗り、形式的な着任の挨拶を済ませる。 その間に店内に注意を向けていたが、二人以外に誰もいないように思えた。

 ミカに他のメンバーは何処にいるのかと訊ねたところ、現在は依頼で街の方に繰り出しており、いつ戻ってくるのかは分からないそうだ。

 紫莉は心の中で胸を撫でおろした。 千束とはこの場では顔を合わせなくて済みそうだからだ。 リコリコに配属された以上、対面するのは時間の問題なのだが、心の準備がまったくできていない。

 ふと、ミズキが視線送ってくることに気づく。 彼女は訝し気な表情で、紫莉の全身を見定めるようにじろじろと瞳を動かしている。 

 紫莉はその視線をあまり良く思わず、背中に嫌な汗をかき始めた。

 

 

「な、なにか?」

「いやさ…… なんて言うか、ザ・リコリスって感じねアンタ。 あーやだやだ、アンタみたいな子供を殺し屋に育てるDAとかいうキモイ組織。 ほんっとうに嫌気が差すわ」

「……はは、そうですか」

 

 

 紫莉の胸にミズキの言葉が鋭利な刃物みたいに刺さった。 紫莉は哀愁を帯びた表情で目を伏せ、わずかに口角を吊り上げた。

 紫莉の反応にミズキの顔色が変わる。

 

 

「え? ちょ、ちょっとそんな顔しないでよ。 別にアンタのことを言ったわけじゃないから」

「ええ…… それは分かっています。 すみません……」

「なんでアンタが謝るのよ!? ああもう、とにかくごめんって!!」

 

 

 紫莉は俯いたまま小さく頷き、謝罪を受け入れるが、慌てているミズキは気づいていないようだった。

 二人を見ていたミカが再び咳払いした。 彼はひとまずカウンター席に座るように促してきたので、紫莉は前にあったスツールに腰掛けた。

 ミズキは気まずい空気に耐えられなかったのか、顔の前で両手を合わせながらそそくさとカウンター奥に引っ込んでいった。

 ミカと二人きりになるが、両者とも口をつぐみ重々しい雰囲気が周囲を取り巻く。

 紫莉は、初めて自分と似た考えを持っている人に会えたことが嬉しく思ったが、複雑な心境だった。 ミズキは紫莉を傷つけようとしないことは分かっている。 DAのことを、キモイ組織呼ばわりした時の表情から、彼女が本心で言っているように紫莉には感じられた。 

 だが、立派なリコリス(人殺し)に見えるという客観的事実を、紫莉は受け入れたくなかった。

 

 

「気を悪くしたのならすまない。 彼女は悪い奴ではないんだ。 どうか許してやってほしい」

「いえ…… お気遣いありがとうございます」

「詫びになるかは分からないが、コーヒーを淹れよう。 少し待っててくれ」

 

 

 ミカはそう提案すると、ミズキと同様にカウンター奥に引っ込んでいく。

 一人になった紫莉はカウンターに肘を置き、誰にも聞こえないように静かに息を漏らした。 どうやら自分で思っているより、精神的疲労は悪い方向に向かっていることに不安を覚え始めた。

 紫莉は思う。 果たして千束を前にして、何事もないように振舞えるであろうか。 あの悪夢とも呼ぶべき出来事にて、彼女の妖しく光った赤い瞳を、紫莉は忘れることが出来ずにいた。

 しばらくすると、ミカは戻ってきた。 手に持った洒落たデザインのティーカップを差し出してきたので、紫莉は礼を言いながら両手で受け取る。 カップからは白い湯気と共にコーヒー特有の豊潤な香りが鼻腔をくすぐる。

 ティーカップに何度か息を吹きかけ、中身を口に含もうとしたちょうどその時、入口のベルが軽やかな音を立てた。 

 

 

「ただいまー! 先生、お泊りセットって何処にあったっけ── およ、リコリス?」

「っ!!」

 

 

 入店してきたのは、ファースト・リコリスの赤い制服を着用した少女であり、何やら慌ただし気だった。

 彼女の声を聞いた紫莉の心臓は、胸から飛び出そうな勢いで跳ねた。 危うくティーカップを落としそうになった。 

 歯が上手くかみ合わない歯車のような動きで首を回し、少女の方を見やる。 少女は色素の薄い金髪ともいえる黄色がかった白髪を襟首辺りで切り揃え、左側を赤いリボンで結っている。 人懐っこそうな顔立ちの中にある、ルビーのごとき大きい瞳がまっすぐ紫莉に向けられていた。 

 少女は首を傾げて思案している表情だったが、すぐさま向日葵のような眩しい笑顔になると紫莉との距離を詰めてきた。

 

 

「紫莉だよね、そうだよね!? うは~ ちょー久しぶりじゃん! あ、私のこと覚えてる?」

「え、ええ…… よく覚えていますよ、錦木千束さん。 あ、あの節はお世話になりました。 むしろ、俺のことを覚えてくれていたのですね……」

「忘れるわけないじゃ~ん。 あの歳であそこまで動ける子、そうそういないよ~ 私も結構ひやひやしたんだから!」

 

 

 紫莉に千束と呼ばれた少女は、まるで百面相のようにコロコロと表情を変え、再会の喜びを隠そうともしない。 一方の紫莉は口元を一層引きつらせ、目を激しく泳がし彼女と視線を合わせないようにした。 どういった態度を取れば良いのか分からず、頭の中が真っ白になっていく。

 紫莉の反応に千束は違和感を覚えたのか、段々と大人しくなっていくが、何かを思い出したように声を上げた。

 

 

「ごめんね、紫莉。 今、ちょーっと立て込んでて、私行かないと。 今日はもう遅いからまた明日ゆっくり話そう!」

 

 

 千束は別れを惜しむように紫莉の肩を軽く叩くと、ミカに宿泊道具が何処にあるかを訊ねて始めた。 ミカに座敷の押し入れにあると言われていたので、店の奥に飛んで行き、すぐさま青いボストンバック片手に戻ってきた。 カウンター奥から顔を出したミズキがシフト交代しろと言っていたが、千束は聞く耳も持たずに嵐みたいな勢いで去っていった。

 紫莉だけは呆気に取られていたが、どうやらこの店にとってはいつもの光景らしい。 その証拠にミカは黙々とレジ閉めを開始し、ミズキもブツブツと不満を垂らしながらも片づけを始めていた。

 

 ……疲れた。 俺もこれ飲んだら帰ろう。

 

 紫莉は今日一番の疲れを感じながら、飲みやすい温度になったコーヒーを一口で喉に流し込み、ミカに礼を言いながらティーカップを返す。 彼は返されたティーカップを、少し残念そうな表情で受け取った。

 本来であれば味わって風味などを楽しむのであろうが、舌が肥えてない紫莉にはただの苦い水のようにしか思えなかった。 だが、そんなことは口が裂けても言えないので、美味しかったとフォローを入れておくと、ミカは安堵していた。

 店を出る前にミカから、今後紫莉が使うセーフハウスの場所と、明日の出勤時間についてを教えてもらった。 今まで紫莉が使ってた場所は、ミカ曰く全て使えなくなるらしく、もし大切な私物があるなら楠木に掛け合っておくと言われたが、紫莉は首を横に振る。 元々寝泊りするだけの場所だったので、大したものは置いておらず特に困らない。

 

 

「そうか。 なら、楠木にはそう伝えておこう」

「はい、よろしくお願いいたします。 では、自分はこれで」

「おやすみ、紫莉。 また明日」

「おやすみなさい」

 

 

 紫莉はミカに頭を下げ店を後にすると、彼が用意してくれていた簡易的な地図を頼りに閑静な住宅街の通りを歩く。 時間帯も相まって周囲はとても静かだった。

 千束が紫莉のことを覚えているのは意外だった。 もう十年も経ったというのに。 紫莉の性別が男のままで、普通の学生だったとしたら、彼女のような可憐な少女に覚えられているだけで嬉しかっただろう。 だが、今回ばかりは忘れていて欲しかった。

 紫莉は千束との出会いを振り返る。 

 DAに引き取られていた直後、紫莉の素行は荒れに荒れていた。 訓練拒否は当然のこと、職員への暴力、あげくの果てには施設からの脱走未遂も起こした。

 きっとDAからして見れば、手に余る存在だったであろう。 それでも生かされていたのは、紫莉が教団にてある程度の訓練を積んでいたからだ。 人を育てるということは、多大な金と時間が掛かる。 半年というそこまで長くない期間であるが、何も知らない子供に一から訓練を施すよりも有益だと彼らは考えたのだろう。 だが、DAが求めているのは素直に命令を聞く忠犬であり、飼い主の手に噛みつく駄犬は必要ない。 

 駄犬を忠犬に変えるためには何をすれば良いのか。 それは徹底的なしつけだ。 

 ある日、紫莉は告げられた。 千束と模擬戦を行い、勝利すればDAから解放して今後は一切干渉しないと。 当時の紫莉にとっては、まさしく天から落ちてきた蜘蛛の糸だった。 しかし、模擬戦の結果は言わずもがなだ。

 それ以降、紫莉は千束を畏怖の存在として恐れを抱いている。 昔見た映画の主人公のように銃弾を躱してきたり、得意の格闘戦に持ち込んでもこちらの手の内を知っているかのように動かれ、文字通り手も足も出なかった。 彼女の足元に倒れ伏せ、おぞましく輝いた赤い瞳を見た時、紫莉は悟った。

 千束がいる限り、決してこの運命からは逃れられないと。 神に愛された彼女を、ただの凡人以下の自分が倒すなど到底無理な話だった。

 過去のトラウマの一つを思い出し、紫莉はげんなりする。

 足を止め、心のように暗くなった夜空を見上げたが、街から放たれる光によって星の類は一切見えない。 唯一代わりに見えたのは、遥か上空を飛んでいる航空機の識別灯だけだった。

 

 

「ん?」

 

 

 紫莉は突然眉をひそめた。 

 近くの空に何かが浮かんでいたからだ。 暗闇ではっきりとは分からないが、それはDAなどが使う偵察用ドローンに思えた。 

 なぜ、こんな時間にドローンが飛んでいるのかと、不思議に思っていると、そう遠くないところから空気が破裂するような音とともに、一筋の光線が空を走った。 光線の先にいたドローンは空中で粉砕され、重力に導かれるがまま近くに落ちていくのが見えた。

 紫莉は考えるよりも先に体が動いた。 墜落現場に到着すると、落ちてきた物体を確認する。 やはりドローンだった。 周囲に散らばっている機体の一部を拾うと、何かの動物の顔をモチーフにしたエンブレムが施されていた。

 

 何処かで見たような……? 駄目だ、思い出せない。

 

 紫莉はそのエンブレムに既視感を覚えたが、すぐに答えは出なかった。 次に紫莉は、銃が発砲されたと思わしき方に足を運ぶことにした。 通りを駆け、突き当りの道を曲がったところで、紫莉は真剣な面持ちで止まった。

 そこには、街で良く見かける商用バンが停まっていた。 車体のあちこちに弾痕があり、フロントガラスは蜘蛛の巣が張ったようにひび割れている。 ヘッドライトや前輪タイヤも的確に撃ち抜かれており、開きっぱなしになっている助手席ドアの下には、仰向けに倒れている男の姿もあった。 

 紫莉は倒れている男の格好に見覚えがあった。 あの時、ビルで殺害した男達の服装に酷似している。 紫莉が警戒態勢をとったタイミングで、車の後方から女性の泣き声が聞こえてきた。

 紫莉は素早くグロックを取り出し、車の前方を横切り運転席側に回り込み、銃を構えながら身を乗り出す。 すると、運転席側のドアにいた人物が驚きの声を上げた。

 

 

「おわぁ! びっくりしたぁ…… って、紫莉じゃん。 どしたのこんなところで?」

「に、錦木さん……?」

 

 

 運転席側にいたのは、千束だった。 街で偶然居合わせたかのような、緊張感のない彼女の態度に紫莉は拍子抜けする。 奥の方に視線を向けると、男達に襲われたと見られる女性が、紺服のリコリスと思わしき少女に泣きながら抱き着いている光景が見えた。 

 紫莉は、そのリコリスの後ろ姿に妙な胸騒ぎを覚える。 同時にもう一人リコリコに配属される、と言っていた楠木の言葉や銃取引の現場での機銃掃射を思い出す。 

 振り返ってきたリコリスと目が合った瞬間、紫莉の予想は的中した。 あの時機銃掃射を行った、井ノ上たきなだった。 彼女もこんなところで紫莉と会うとは思っていなかったのか、意外そうな顔をしている。

 一体何があったのかと、千束に訊くと事の顛末を話し始めた。 

 たきなに抱き着いている女性、名前は篠原沙保里が、SNS上恋人とのツーショット写真を投稿したらしい。 投稿してからしばらくすると、謎の人物から写真を消すようにと脅迫めいたがリプライが届くようになった。 怖くなった彼女は写真を削除したが、誰かに尾行されているように感じるようになり、リコリコ常連客の刑事経由で千束達に依頼がきたとのことだ。

 千束に問題の写真を見せてもらう。 一見すると何の変哲もないカップルの写真に首を傾げていると、千束は奥の方に注目するように言ってきた。 

 千束が掲げるスマートフォンに顔を近づけ注視する。 少しぼやけて分かりにくいが、向かいのビルには黒いコートらしき上着を羽織っている者が一人、そして今ここで千束達に制圧された男達と同じ格好の者達も写っていた。 彼らの前にはいくつかの木箱の存在も見受けられた。 

 紫莉の表情が険しいものに変わっていく。

 

 

「……これって、例の銃取引現場の場所ですか?」

「お、良く知ってるね。 もしかして、現場にいたカンジ?」

「ええ。 でも、こいつらみたいな服装の奴はここでは確認していません。 それに千丁の銃なんてものも影も形すらなかったんです」

「そりゃあ無理もないね。 この写真、事件の三時間前に撮られてるもん」

「はい?」

 

 

 千束がさらりと重大なことを口にしたので、紫莉はすぐに訊き返してしまう。

 

 

「三時間前って…… それは本当なんですか!?」

「うん。 あそこにいる沙保里さんから訊いたから間違いない」

 

 

 紫莉の表情は更に険しくなり、重大な事実に驚きと緊張を同時に感じた。頭痛が酷くなるほど、頭に浮かぶ疑念と不安が広がっていくのだった。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 翌日の朝、紫莉はリコリコ店内にある更衣室の中で、いつも以上に負のオーラを全身から放っていた。 衝撃的なことが立て続けに起こりすぎたせいもあり、相変わらず良く眠れなかった。

 結局のところ、DAは偽の取引時間を掴まされてしまい、まんまとテロリストに千丁の銃を明け渡してしまった。 DAはあの写真の存在を知っているのかは分からないが、おそらくまだ知りえてないだろうと思う。

 今思えば、不可解な点がいくつも出てくる。 百歩譲って偽の取引時間を掴まされたのは分かるとして、通信障害だけはどうしても納得いく答えが出せずにいた。 ラジアータ管理下の任務であのような事態になったことなど一度もなかった。

 ただ単に技術的トラブルならばまだ良いが、クラックされたという可能性を紫莉は捨てきれなかった。 仮にそうだとすれば、紫莉がリコリコに送り込まれた理由に合点がいく。

 ラジアータをハッキングされるなどあってはならないことだ。 その事実を上層部の報告すれば、どんな目に合うか火を見るよりも明らかだ。 紫莉とたきなが現場で暴走したことにすれば──したのは事実であるが、それを任務失敗の理由として報告したのではないかと紫莉は考えた。

 DAを大木とするならば、リコリスや職員は葉や枝だ。 綺麗な花を咲かすことのできる枝であっても、主幹に悪い影響を及ぼすのなら切り取るしかない。 それはどんな組織でも一緒だ。

 けれど、切られた方は面白くない。 はっきり言えば捨て駒にされたとも捉えれる。

 

 所詮、俺は忌み枝だったってことか

 

 紫莉は自らをあざ笑い割り当てられた木製ロッカーの前で、うんざりした表情を作った。 戸部分には『好きな色を選んでね!』と千束の似顔絵付きのメモ用紙が貼り付けられている。

 開けると和服がぎっしりと詰まっており、白黒を始め派手なものではオレンジやピンク色があった。 どれも着たくはなかったが、悩み抜いた末に黒に近い灰色の和服を選択した。 だが、和服の着付けなど知らない紫莉は、何度か試してみてもしっくりこない。 

 しばらく悪戦苦闘していると、ドアをノックする音が鳴った。 返事をすると、千束が中に入ってきた。 彼女が着ているのはイメージ通りの赤色のものだった。

 

 

「どう? 上手く着れそう?」

「いえ…… どうしてもこの部分がしっくりこなくて」

「あ~ そこはね、こうやって」

「っ!」

 

 笑顔で着付けを手伝おうと腕を伸ばしてくる千束に対し、紫莉は無意識に身を縮ませ後ろに下がってしまう。

 

 

「ど、どしたの?」

「……やり方だけ教えて頂いたら、自分でやるんで大丈夫です」

「そ、そう。 じゃあここはこうやって──」

 

 

 紫莉に避けられた千束は一瞬驚いた表情になったが、すぐに笑顔に戻り着付けのやり方を教えてくれた。 千束の指導の下、なんとか人前に出れる状態にまではなった。

 紫莉の和服姿を見た千束は、満足そうな表情で大きく頷き、先ほどよりも嬉しそうに目を輝かせている。

 

 

「うほぁ―! 紫莉もめっちゃ似合ってるよ! うん、かわいいかわいい!!」

「……どうも」

「こりゃあ、紫莉たきな効果でお店にいっぱい人が来ちゃうかも……! ほら、早く行こ? みんなにも見せないと!」

「ちょ、ちょっと、引っ張らないでください!」

 

 

 今度は避けることが出来なかった紫莉は、千束に腕を掴まれホールまで連れて行かれる。 腕を掴まれている間、背筋にぞくりとした感覚が走った。 千束には申し訳なく思うが、そう簡単に彼女への苦手意識を払拭出来そうになかった。

 ホールには昨日と同じ格好のミカとミズキ、そしてたきなの姿もあった。 

 紫莉の和服姿に、ミカとミズキは良い反応を見せた。 灰色が紫莉の落ち着いた雰囲気に合っている、中性的かつミステリアス外見がいい感じ、などと讃辞の声を受けたが、紫莉は微塵も嬉しくなかった。 

 他人から褒められ慣れてない紫莉には、どうにも薄っぺらいお世辞にしか聞こえない。 加えて、元男でもあるということも相まって気恥ずかしさの方が勝つ。

 たきなの方が圧倒的に似合っている、と紫莉は思う。 彼女は青色のものを着用して、艶やかな黒髪を両サイドで纏めており、そうでない時と比べて若干幼く見える。 だが、たきなの凛とした佇まいや相変わらずの意思の強そうな顔つきが、違和感なく店に溶け込んでいる。

 ちんちくりんの紫莉と比べるまでもない。

 たきなが紫莉の視線に気づいたので、目を逸らす。 彼女とは会話する気にはなれない。 別に何も話すこともないし、彼女に対し不信感を抱いているので、必要以上に関わりたくなかったためだ。

 

 

「よし! みんなで写真を撮ろう。 紫莉もこっちに来て!」

「いえ、俺は遠慮しておきます」

「ええー! なんでなんで!? せっかくなんだし、一緒に撮ろうよぉ」

 

 

 千束はスマートフォン片手に集合写真を撮ることを提案してきたが、紫莉はきっぱりと断った。 すると、断られると思っていなかったのか、千束は意外そうな顔になった。 

 その後も千束は食い下がってきたが、紫莉は首を縦には振らなかった。 仮にも秘密組織の支部なのに、誰の目にも届くSNSに痕跡を残すなど何を考えているのだと内心呆れる。 

 千束は少し残念そうだったが、結局紫莉を除いたメンバーで写真を撮り始めた。 写真を撮ることに否定的だったミズキも、カメラを向けられると渾身のキメ顔をして、千束が腹を抱えて笑い出してた。

 傍から見ていると、本当にこの支部が異質なものだと言われるのが納得できる。 良く言えばアットホーム、悪く言えば緊張感のないたるんでいる職場だ。

 同時に嫉妬と不満が混ざり合った感情が芽生えてくる。 自分がやりたくもない仕事をしている時も、今のように平和そうに笑い合っていたのだと考えると、怒りで足が震えてくる。

 

 やめろ、そんなことを考えるな。 自分で選んだ道だろ。 

 

 紫莉はもやもやする胸の前で拳を強く握り締め、どす黒い感情を抑え込む。 ここで千束に強く当たっても、ただの八つ当たりにしかならないためだ。 

 紫莉が聞こえないような深いため息をついていると、入口のベルが鳴り客の来店を知らせた。 頭を切り替え、紫莉にとって初めての客を出迎える。

 

 

「やあ、ミカ」

 

 

 店に入ってきたのは紺色のスーツを身に纏った品の良い男だった。 決して若くは見えないが、明るい風味の髪を丁寧に撫でつけ、大企業でそれなりの役職に就いていそうな見た目をしていた。 スーツの左襟にはどこかで見たことあるような、フクロウを模った金色のバッジを着けている。 

 どうやらミカの知り合いのようであり、彼は気さくに、しかしどこか懐かしむ様子でミカに挨拶をしていた。 ミカは思わぬ来客に驚いているのか、黒縁メガネの中にある緑の瞳を大きく見開いていた。

 千束とたきなは、ミカの様子が変なことに気づいてはいたようだが、何も訊かずスーツの男に接客を始めた。 ミズキはといえば、魅力的な異性が現れたことに対し目を怪しく光らせている。

 一方の紫莉は男から目が離せずにいた。 彼を見つめる度に胸が締め付けられる錯覚を感じ、鼓動が早くなっていくのが嫌でも分かる。 だが、それは男に対して一目ぼれしたなどの甘い恋愛的感情ではなく、むしろ正反対と言っていいほどの感情だった。

 

 

「ほら、紫莉。 ぼっーとしてないで── って! どうしたの、顔真っ青だよ!?」

「え、あ……」 

 

 

 紫莉は、顔面蒼白で立ち尽くしているところを、千束に指摘されたが上手く声も出せない。 スーツの男が不思議そうに視線を向けてきた。 

 彼と目が合った瞬間、紫莉は今まで経験したこと以上の恐怖に襲われた。 口を手で押さえながらその場から飛び去るように逃げ出した。

 店のトイレに駆け込み、鍵をかけ誰も入れないようにする。 込み上げてきた吐き気を抑えることが出来ず、便器に顔を突っ込み胃の中身を全て吐き出してしまった。

 紫莉を心配する声とドアを叩く音が聞こえるが、返事をする余裕がなかった。

 

 

 なんだ、あの男は……? まるで、あのクソ野郎どもみたいな目つきしてやがる……! 

 

 

 紫莉は幼いころの経験から培われた感覚があった。 それは人が持つ狂気がなんとなく分かることだ。 言葉に表すのは難しいが、山村や芦原のような何かに心酔する狂者に対しこの勘は強く働いた。

 これまで葬ってきた者達からも、同様なものを感じていることはあったが、あのスーツの男は別格だった。 彼は目的のためなら、全てを犠牲にしてでも使命を果たそうとするイカれた思想を持っているように紫莉は思えた。

 紫莉はしばらくの間トイレに立てこもった。 やがて出ることが出来たが、紫莉の顔を見た店の全員に今日は帰るように言われたので、素直に従うのだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。