忘れちゃいなよ、初恋なんて   作:平日黒髪

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第10話『時縄勇太は悪女の乙女心を溶きほぐす②』

 1週間ぶりに予備校のクラスメイトと出会っただけなら、「よっ! 最近調子はどうだ?」と気軽に喋りかけることができるかもしれない。でも、今回だけは笑い話で済む問題ではない。

 

 俺は自転車を降り、彩心真優の元へと急いだ。

 彼女の周りには、負のオーラが漂っていた。

 翼をもぎ取られた天使のように。地位も名誉も失った女王様のように。

 

「……何があったんだ?」

 

 単刀直入に聞いてみた。だが、返答はない。

 もしかしたら、聞こえなかったかもしれない。

 そう思い、俺はもう一度訊ねてみた。

 

「何があったんだ?」

 

 彩心真優はずぶ濡れだ。額には、彼女の髪の毛がワカメのように付着している。

 服には泥や砂が付き、更には草や枯れ木なども引っ付いている。

 人の目を気にして、オシャレに興味がある女の子なのに。

 現在の彼女は、全く気にすることもなく、塞ぎ込んでいるのだ。

 俺に返答を返してくれるのは、雨だけかと諦めかけていた頃——。

 

「………………別に」

 

 蚊が鳴くほど小さな声であった。

 俺が地獄耳じゃなければ、決して聞き取れなかっただろう。

 でも咎めることはしない。返答があっただけ嬉しかったからだ。

 

「別にって、お前……ボロボロじゃねぇーかよ!」

 

 何かあったことは明白だ。

 俺は彼女の肩を掴んで、柄にもなく叫んでいた。

 捨て猫を見たら、誰でも少しは力になりたいと思うだろ?

 しかし、彩心真優は俺の手を振り払って。

 

「関係ないでしょ? 私のことは放っておいてくれない?」

 

 予備校内では決して見せない拒絶の意志が込められていた。

 美人の見せる裏顔に、俺は萎縮してしまう。

 ただ、このまま見過ごすわけにはいかないのだ。

 

「放っておけ? 無理に決まってんだろうが!!」

「……何それ? 会わないうちにキャラ変でもしたの? 熱苦しいんだけど」

「お前ってさ、本当に不器用だよな」

「ねぇ、さっさとどっか行ってよ。邪魔だから。それに触らないで気持ち悪い!」

 

 俺は他人と関わることを避けている。

 別に、人間関係が苦手だからというわけではない。

 医学部を目指すために、不必要なものは切り捨ているだけだ。

 

「残念だが、俺はお前をこのまま放っておくことはできない」

「何それ? 善人気取り? 可哀想な私を助けて自己満に浸りたいわけ?」

「そうかもな。俺はただ自己満に浸りたいだけの最低な人間だよ」

 

 元々、俺は人情に溢れて、優しさに満ちた人間なのである。

 それにさ、目の前に居る女の子が光彩が消えた瞳のまま、涙を流しているのだ。

 こんなの見たら、男は絶対どうにかしてやりたいと思うはずだ。

 

「ただ、自己満でいいと思ってる。お前がこれ以上悲しまないなら」

 

 俺にとって、彩心真優という存在は予備校の友達だろう。もしくは、同盟を結んだ仲間だ。

 コイツのことはどうでもいい。そんな素振りをしていたが、正直になろう。

 

 俺は、彩心真優が心配だった。心の底から心配で仕方なかった。

 予備校内でいつもひとりぼっちだった俺に喋り掛けてくれたんだぜ?

 それは、気になって仕方ないだろ? どうして彩心真優は予備校に来ないんだろ?

 何があったんだと、何度も思ったものさ。

 それに、大変な問題があった。コイツのせいで、俺は勉強に集中できなかったのだ。

 だから——。

 

「俺はお前が泣いてる姿を見たくない。だから、俺はお前を救う!」

「……はぁ? な、何言ってるの? き、ききき、気持ち悪い!」

「気持ち悪いなんて、もう聞き飽きたよ。語彙力が落ちてるな」

「突然現れて、お前を救うとか気持ち悪いんだけど。何ができるのよ!」

 

 彩心真優にどんな悲劇が起きてしまったのか。

 俺には全貌までは分からない。ただ、大体予想は付く。

 彼女の祖母が亡くなってしまったのだろう。

 ただ、それ以上のことは分からない。

 彼女の身に何が起きたのか。そして、何が彼女をこれほど苦しめるのか。

 

「俺がお前の問題を全部解決してやる」

「はぁ? 何言ってるの? 突然絡んできてキモい! マジでキモい!」

「先に関わってきたのは、お前だ。恨むなら、自分を恨めよ!!」

 

 彩心真優はワガママで生意気な女だ。

 俺をからかうときだけは、楽しそうに笑っているのに。

 自分が関わりたいときだけ、関わって欲しいと思うなんて。

 俺がやめろと言っても、聞く耳を持たなかったくせに。

 その癖、コイツはこんな状況で放っておけと抜かすのだ。

 

「なぁ、彩心真優。一人で抱え込もうとするな。俺を頼れよ」

 

 我ながらバカだなと思う。面倒なことに巻き込まれるのは、百も承知だ。

 家に帰ってから勉強をしようと考えていたのに。その予定は完全になくなるだろう。

 ただ、ここで彼女を放って帰っても、気になってしまうだけだ。

 

「聞かせてくれ。お前に何があったんだ? なぁ、頼むよ。彩心真優」

 

 彩心真優の目線まで、俺は足を崩した。

 改めて、彼女の充血した瞳を見る。余程、涙を流していたことが窺える。

 一人で抱えこんでいたのだ。どうしようもなくて、今までずっと。

 

「お前はもう一人じゃない。俺が付いてる。だから、安心しろ!!」

 

 俺がそう呟くと、彩心真優は無造作に腕を振り下ろした。

 

「……分からないんだよ、私だって。どうすればいいのか」

 

 地面に叩きつけられた手には、かすり傷ができ、赤い線が浮かび上がる。

 

「あの日、時縄くんが連れて行ってくれた日……もう間に合わなかったよ」

 

 何度も何度も。

 彼女は腕を振り下ろした。

 次第に、かすり傷が増えていく。白い肌が赤く染まっていく。

 それでも、気にする素振りも見せずに、彼女は同じ行動を繰り返す。

 

「私が駆けつけたときには、もう死んじゃってたよ。何も恩返しできなかったよ」

 

 理性的な女の子だと思っていたが、意外と彼女は感情的なのかもしれない。

 普段の彼女ならば、絶対にこんな不合理的なことはしないだろう。

 痛いだけなのに、どうして自分を傷付けるのか理解できないとか言い出しそうだ。

 今の彼女はそんな単純なことさえも考えきれないほどに憔悴しているのだ。

 

「私いっぱいいっぱい愛してもらったのに……何も返せなかったよ」

 

 彩心真優がもう一度腕を振り下ろそうとした。

 だが、その腕は途中で止まった。俺が掴んだのだ。

 愛する人を殺された兵士のような眼差しを向けられる。

 しかし、俺は決して怯むことなく、抵抗する。

 

「それが生きるってことだよ。人の死は避けられない。それが、人に課せられた業だ。一生抗えないな。だから、もう受け入れるしかないんだよ」

 

 死んだ人間は生き返らない。それがこの世の真理だ。

 彼女の祖母がどんな運命を辿り、「死」に行き着いたかは分からない。ただ、可愛い孫がお見舞いに来てくれたことは掛け替えのない思い出になったことだろう。

 

「……そんなの分かってる。言われなくても分かってるわよ! もうおばあちゃんは生き返らないことぐらいは……そ、そんなことぐらい分かってるわ……もう分かってる……」

 

 彼女自身も理解しているのだろう。

 こんなクヨクヨしている自分が情けないと。

 今のままだとダメだと。そんなの分かりきっているのだ。

 だが、それでも、彼女は一歩前へと進めないのだ。

 無理もないさ。

 大好きな人の死を受け入れるのは、並大抵のことではない。

 おまけに、彩心真優には心残りがあるのだから尚更だ。

 

「なら、家に帰ろうぜ。お前の話は後日ゆっくり聞くからさ」

 

 大雨が降る中、傘も刺さないのは健康に悪い。

 俺たちは受験生なのだ。風邪を引いては勉学に支障が出る。

 だから、俺はそう提案したのだが——。

 

「それは無理。私にはやらなければならないことがあるの」

「やらなければならないこと……?」

「……おばあちゃんの形見を失くしちゃったの」

 

 ギリギリと歯を噛み、拳を握り締めて。

 

「大切なものだったのに……私、失くしちゃった」

 

 彩心真優が抱える問題が、分かった気がした。

 彼女は、祖母の「死」を受け入れている。

 しかし、祖母との思い出の品を失くした自分自身に憤っているのだ。余程、大切なものだったのだろう。

 

「本当にバカだよね……。それに最低だよ、私は」

 

 だから、それを取り戻すまで、彼女は探し続けていたのだ。

 彼女にとって、予備校に通うことよりも、祖母との思い出の品を見つけるほうが最優先だったのだ。だから、わざわざ休んでまで、探しているのだ。それでも見つけることができず、彼女はどうすればいいのかと諦めていたのだろう。

 衣服や体に付着した泥や草などの正体は、探した痕跡に違いない。

 ならば、話は簡単じゃないか。

 

「用件は分かった。俺も手伝うよ」

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