忘れちゃいなよ、初恋なんて   作:平日黒髪

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第17話『時縄勇太は悪女の拠り所を守る③』

 予備校終わり、俺たちはにゃこ丸へ会いに向かっている。

 自習時間ギリギリまで勉強を続け、予備校を出たのは午後8時前。

 見渡す限りの緑に満ち溢れた道を歩いていると——。

 

「痛ッ!? ちょ、ちょっとさっきからこれで何回目?」

 

 何の事件の香りも漂わせない田舎町で、女性の悲鳴が轟く。

 と言えども、俺の前方を歩く彩心真優の声だけど。

 

「さっきから自転車のタイヤが、私の靴に当たってるんだけど!」

「あ、悪い悪い。本当に悪気はないんだよ」

 

 自転車通学で予備校に通っている身である俺。

 にゃこ丸に会いに行くだけなら、自転車でビューと行ってもいいのだ。

 だがしかし、本日は彩心真優もいるのだ。

 

「それなら二人乗りでさっさと行こうぜ」

「それは絶対に嫌。ていうか、拒否権を発動させてもらうわ」

 

 二人乗りでさっさと行けばいい話だが、彼女曰く、もう二人乗りは懲り懲りらしい。

 乗ったあとにお尻が痛くなるので、もう嫌なんだとさ。

 俺自身も二人乗りは気乗りしないのでありがたい話だ。

 高校生なら青春感溢れる一ページかもしれないが、浪人生の二人乗りは現実逃避にしか見えないからな。

 

◇◆◇◆◇◆

 

「どうしてだろ……? 私がここに来たらすぐに来るのに」

 

 彩心真優が秘密基地と呼んでいた場所。

 つまるところ、にゃこ丸の住処に辿り着いた。

 

「他に懐いているご主人様がいるかもしれないぞ」

「それは絶対にない。にゃこ丸は私だけに懐いているの」

 

 俺と彩心真優は、ここで何度邂逅を重ねたことか。

 だが、以前までとは少し空気が変わっていた。

 

「なぁ、ちょっとこの辺……焦げ臭くないか?」

 

 そう発言し、ぐしゃぁと何かを踏んだ。

 そこには遊び終わった花火の残骸があった。

 以前までには、絶対になかったものだ。

 誰かがこんな辺鄙な場所で、花火でもしたのだろうか?

 

「なぁ、彩心さんよ。昨日までこんなものはあったか……?」

 

 俺の呼びかけに対して、彩心真優は何も言わなかった。

 俺が知る限り、にゃこ丸は餌目的に彩心真優の元へと近寄ってきた。

 でも、今日だけは一向に現れないのである。

 

「ちょっと私探してくる。にゃこ丸のこと」

「暗いから俺も行くよ。危ないからな」

「……襲うつもり?」

「節操もない男だと思うな、俺を」

「……私、こう見えても結構強いからね」

「手を出す気もないから安心しとけ」

 

 自称強いと主張する彩心真優が先へと進んでいく。

 俺はその後ろを、勇者様ご一行のお仲間さん気分で付いて行く。

 歩き始めて数十歩と言ったところか、突然、彼女が立ち止まった。

 それから口を押さえて、両足をガクガクと震わせる。

 

 何があったんだろうか?

 野次馬精神だけは人一倍ある俺も、彼女の視界にあるものを見た。

 

 何の変哲もない草木の中に、黒色の猫が寝転がっていた。

 この表現では語弊が起きるだろう。適切な表現をするべきか。

 

 俺たちの前には、にゃこ丸が倒れていた。

 ぐったりとした様子で、僅かに開いた瞳には生気が漂っていない。

 今にも途絶えそうな荒い息を吐き出しながらも必死に生きていた。

 周りには、吐瀉物が散乱していた。苦しくて吐いたのだろう。

 ぶぅ〜んとハエの気持ち悪い羽音も聞こえてくる。

 

「にゃこ丸!!」

 

 彩心真優が駆け寄る。

 俺はその背中を追いかける。

 にゃこ丸の周りに蔓延る虫の数々。

 化膿した部分や吐瀉物を格好の餌だと思っているのだろう。

 彩心真優は膝を落として、にゃこ丸を優しく撫でる。

 それから涙を流しながら、彼女はいう。

 

「ど、どうしてこんなことするのかなぁ?」

 

 お尻の部分が、焼け爛れていた。

 そこが化膿して、酷い痛みがあるのだろう。

 病に侵されているわけではない。

 にゃこ丸は人間の手で傷つけられたのだ。

 

「命は平等なのに……人間も動物だって、どんな生き物でも。それなのに……」

 

 彩心真優は悲痛な叫びを上げた。

 ポルノ動画を生まれて初めて見た少女のように。

 その姿はあまりにも脆かった。

 

「私たちは一人の命を救うために勉強してるのにさ。世の中には何の躊躇いもなく、命を奪う連中もいるんだよ。どうしてかなぁ。どうしてこんな酷いことをするのかなぁ……」

 

 彩心真優の言う通りだ。

 この世界は善意だけで成り立っているわけではない。

 この世界は善意と悪意が共存して成り立っているのだ。

 勿論、最近ではコンプライアンスが発達し、悪意は許されないと言われているのだが——。

 それでも、人間という種が生き続ける限り、悪意は決して消えることがないだろう。

 

「——医学って何のためにあるのかな?」

 

 彩心真優は訊ねてきた。

 勉強は幾らでも分かるはずなのに。

 こんな簡単な問題が彼女は解けないようだ。

 もしかしたら、難しく考えすぎているのかもしれない。

 だからこそ、俺は教えてやることにした。

 

「そんなの決まってんだろ?」

 

 哲学的な質問には、答えなどない。

 でも、シンプルな答えは思い付ける。

 実際、俺が医者を目指した理由を言えばいい。

 それは決して間違っているはずがないのだから。

 

「——救わなければならない命があるからだよ」

 

 何が何でも救いたい人がいる。助けたい人がいる。

 だから、医学ってのは発展したのだろう。

 神様が与えた寿命や病に抗ってでも、側にもっと居たいと思う人がいたから。

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