聳え立つ巨大な森林が風で揺れ動く。
ざぁざぁと葉が擦れる音が、静寂な夜に響き渡る。
月明かりに照らされ、白い肌が目立つ少女は訊ねてきた。
「ねぇ、助けて。時縄くん」
掠れた声だ。
「私もう分からないよ。どうすればいいか」
どうすればいいか。
俺だって分からないさ。
「どうして奪うの? 私の大切なものを」
彩心真優は、少し前に祖母を失ってしまったのだ。
それに合わせて、次はにゃこ丸まで奪われてしまったら。
考えるのはやめよう。今はもっとポジティブなことを考えねば。
「私の大切なものを次から次へと」
彩心真優の頬から涙が流れ落ちる。
「私ってさ、要らない女の子なのかな??」
弱気な発言をするじゃないか。
いつもは強気なことばかり言うくせに。
能天気なことばかり、いつもは言うくせに。
「私ってさ、疫病神なのかな?」
震えた声で、彩心真優は呟いた。
今にも消えてしまいそうなほどに小さかった。
さっきまで尊大な態度を取っていたくせに……。
今では、全くその覇気もない。
全てを諦めたかのような瞳を向けてくるのである。
「お前は要らない子でも、疫病神でもねぇーよ」
強く肯定してやる。
それだけは絶対に違うと。
俺はコイツに出会って、成績が少しだけ上がった気がする。
「ならさ、教えてよ。今……私はどうすればいいのか」
どうすればいいのか。
それは難題だな。
頭を必死に回転させてみたが、全然答えは出ない。
ただ、今の俺が言える言葉はこれだけだ。
「——俺に全部任せろ」
保証なんてどこにもない。
無責任な発言だ。
だが、俺は力強く答えていた。
「絶対なんとかしてやるからさ」
「なんとかしてやるって……もうにゃこ丸は……」
にゃこ丸の容態を見て、もう無理だと諦めているのだ。
今にも死んでしまいそうなほどに辛そうな呼吸をしているし。
ただ、黙ってここで見過ごすほど、俺はバカな男ではないのだ。
「まだ息があるだろ??」
「息があるからって……どうするのよ」
少なからず、頭が回る彼女は分かってしまうのだろう。
もうにゃこ丸が助かる可能性が極めて低いことを。
「なら、お前は置き去りにするって言うのか?」
彩心真優は呼吸を止め、こちらを凝視してくる。
「……ち、違う……そ、それは違う……」
「だろ? なら話は簡単だ。救える命が目の前にあるんだ」
続けて、俺は彼女に問いかける。
「やるべきことは、ただ一つだろ?」
何が何でも、にゃこ丸を救ってみせる。
もうそれだけしかない。
どんな手段を使ってでもいい。
これ以上、俺は彩心真優が涙を流す姿も、にゃこ丸が死ぬのも見たくないからな。
「涙を流すのは後からにしろ」
「言われなくても分かってるわよ!! このバカッ!」
「よしっ。いつも通りの彩心真優だな。こうじゃなくちゃ、困っちゃうぜ」
彩心真優の瞳に炎が宿る。
こうなれば、鬼に金棒だ。もう何も怖いものはない。
小さな命を救うために、自分たちにできることをやるのみだ。
「自転車に乗れ。動物病院を探すぞ」
二人乗りが嫌だと言っている場合ではない。
彩心真優を後ろの荷台に乗せ、俺は自転車を漕ぎ始める。
彼女の片手には、にゃこ丸が縮こまり、荒い息を漏らしている。
「大丈夫だからね……にゃこ丸。絶対に助けてあげるから」
彩心真優は励ましの言葉を呟きながら。
「時縄くん。手当たり次第に、近くの動物病院に電話掛けてみる」
「了解。相手が何か言ってきても、負けるんじゃねぇーぞ!!」
「分かってるわよ。気持ちでは絶対に負けないわよ」
◇◆◇◆◇◆
電話を掛けまくった結果、受け入れ先の病院が見つかった。
到着するや否や、緊急手術を行うことになった。
にゃこ丸の容態は余程酷かったらしく、生死に関わる怪我だったようだ。
で——現在。
待合室で両手を合わせて神頼みに励む彩心真優。
そんな彼女の隣で、俺はにゃこ丸の生還を待つ。
「大丈夫だよ……医者も全部任せろと言ってただろ?」
「……そ、それはそうだけど」
「もっと人を信じてみろよ」
「……人を信じてみろか」
彩心真優が心配気な表情で呟く。
その瞬間、白衣を着た如何にもな医者が出てきた。
見るからに老け顔のおじいちゃんドクターはいう。
「——手術は成功です」
彩心真優は声もなく喜んだ。
琥珀色の瞳からは涙が溢れ出している。
これで全て解決かと思っていたのだが。
しかし、と続けて、医者はいう。
「傷は癒えましたが、心は……」
人の手で傷付けられた動物は、心に深い闇を抱えてしまう。
実際に何度も見てきたケースだという。
そのような猫は、人里離れた場所で暮らすのがいいらしい。
「もしよろしければ、ワシが知り合いを紹介しようか?」
医者の話によれば——。
風変わりな金持ちが猫だけの村を作っているらしい。
その村では、人間たちは一切おらず、猫だけが平穏に暮らしていると。そこには、にゃこ丸と同じような闇を抱えた猫が集まり、幸せな生活を送っているのだと。
「分かりました。でも、今からにゃこ丸に会いに行ってもいいですか?」
「あぁ、大丈夫だよ」
医者からの許しを得て、俺たちは手術室へと向かう。
にゃこ丸はグッタリとした様子で、寝転がっている。
「にゃ〜」
にゃこ丸が鳴いた。
その声は、別れを告げるものではなかった。
離れ離れになるのが悲しいと意思表示するものだ。
もしかしたら、にゃこ丸も離れ離れになるのが嫌なのか。
「あの〜さっきの話なんですけど」
俺はそう前置きしてから、一つの提案をした。
「彩心さんがにゃこ丸の面倒を見ればいいんじゃねぇーの?」
「えっ……? わ、私が……?」
予想外の解答だったのか、戸惑いの声を上げる彩心真優。
彼女ともっと一緒に居たい。
そう伝えたいのか、にゃこ丸が「にゃぁ〜」と鳴いた。
「にゃこ丸は、彩心さんに懐いてるらしいぜ」
駆け寄った彩心真優の指先を、にゃこ丸がペロペロと舐める。
それは、あたかも、ありがとうと感謝の言葉を述べているようだ。
見ている側から、にゃこ丸と彩心真優の関係の良さが見て取れる。
「よっぽどお嬢ちゃんに懐いてるんだろうな」
知り合いに声を掛けようと言っていたドクター。
もう彼の顔には、答えは決まっているようだ。
「お嬢ちゃんがこの子の面倒を見ることができない。そう言うのならば、ワシが知り合いに話を付ける」
だけど、と呟き、動物の命を救ってきた老人は言う。
「だけど、もしもお嬢ちゃんがこの子の面倒を見るなら話は別だ」
「ほら、そう言ってくれてるみたいだし……彩心さん」
「勿論、それは命を預かるわけだ。それ相応の覚悟が必要だが、お嬢ちゃんなら大丈夫だろう」
俺と医者の意見を聞き、彩心真優も覚悟を決めたのか。
「にゃこ丸……私の家に来る?」
そう訊ねると、にゃこ丸は「にゃぁ〜」と鳴いた。それから彼女の白い指先に、自らの顔を擦りつけて、幸せそうな表情を浮かべるのだ。そのまま調子が良くなったのか、にゃこ丸は安心して眠ってしまう。
「にゃこ丸はもう彩心さんに飼われたいらしいぜ」
「でも、私……猫の飼い方なんて」
「まぁ、勉強するしかねぇーな」
「な、投げやり……」
「分からなくなったら、俺に相談しろよ。昔、猫飼ってたことあるし」
「………………」
「俺が提案したことだからな。俺も生半端な気持ちで言ってねぇーよ。悩むのはいつからでもできる。ただ、選択は今しかできない。どうするんだ? 彩心さん」
その問いを聞き、彩心真優は決意に満ちた表情を浮かべる。
小さな一つの命を育てる覚悟を決めたようだ。
彼女は自分に懐いた黒猫へと手を伸ばして。
「……にゃこ丸一緒に帰ろう。私の家なら安全だと思うから」
その声に反応するように、賢い黒猫は鳴き、肉球を主人の手に乗せるのであった。