忘れちゃいなよ、初恋なんて   作:平日黒髪

26 / 92
第18話『時縄勇太は悪女の拠り所を守る④』

 聳え立つ巨大な森林が風で揺れ動く。

 ざぁざぁと葉が擦れる音が、静寂な夜に響き渡る。

 月明かりに照らされ、白い肌が目立つ少女は訊ねてきた。

 

「ねぇ、助けて。時縄くん」

 

 掠れた声だ。

 

「私もう分からないよ。どうすればいいか」

 

 どうすればいいか。

 俺だって分からないさ。

 

「どうして奪うの? 私の大切なものを」

 

 彩心真優は、少し前に祖母を失ってしまったのだ。

 それに合わせて、次はにゃこ丸まで奪われてしまったら。

 考えるのはやめよう。今はもっとポジティブなことを考えねば。

 

「私の大切なものを次から次へと」

 

 彩心真優の頬から涙が流れ落ちる。

 

「私ってさ、要らない女の子なのかな??」

 

 弱気な発言をするじゃないか。

 いつもは強気なことばかり言うくせに。

 能天気なことばかり、いつもは言うくせに。

 

「私ってさ、疫病神なのかな?」

 

 震えた声で、彩心真優は呟いた。

 今にも消えてしまいそうなほどに小さかった。

 さっきまで尊大な態度を取っていたくせに……。

 今では、全くその覇気もない。

 全てを諦めたかのような瞳を向けてくるのである。

 

「お前は要らない子でも、疫病神でもねぇーよ」

 

 強く肯定してやる。

 それだけは絶対に違うと。

 俺はコイツに出会って、成績が少しだけ上がった気がする。

 

「ならさ、教えてよ。今……私はどうすればいいのか」

 

 どうすればいいのか。

 それは難題だな。

 頭を必死に回転させてみたが、全然答えは出ない。

 ただ、今の俺が言える言葉はこれだけだ。

 

「——俺に全部任せろ」

 

 保証なんてどこにもない。

 無責任な発言だ。

 だが、俺は力強く答えていた。

 

「絶対なんとかしてやるからさ」

「なんとかしてやるって……もうにゃこ丸は……」

 

 にゃこ丸の容態を見て、もう無理だと諦めているのだ。

 今にも死んでしまいそうなほどに辛そうな呼吸をしているし。

 ただ、黙ってここで見過ごすほど、俺はバカな男ではないのだ。

 

「まだ息があるだろ??」

「息があるからって……どうするのよ」

 

 少なからず、頭が回る彼女は分かってしまうのだろう。

 もうにゃこ丸が助かる可能性が極めて低いことを。

 

「なら、お前は置き去りにするって言うのか?」

 

 彩心真優は呼吸を止め、こちらを凝視してくる。

 

「……ち、違う……そ、それは違う……」

「だろ? なら話は簡単だ。救える命が目の前にあるんだ」

 

 続けて、俺は彼女に問いかける。

 

「やるべきことは、ただ一つだろ?」

 

 何が何でも、にゃこ丸を救ってみせる。

 もうそれだけしかない。

 どんな手段を使ってでもいい。

 これ以上、俺は彩心真優が涙を流す姿も、にゃこ丸が死ぬのも見たくないからな。

 

「涙を流すのは後からにしろ」

「言われなくても分かってるわよ!! このバカッ!」

「よしっ。いつも通りの彩心真優だな。こうじゃなくちゃ、困っちゃうぜ」

 

 彩心真優の瞳に炎が宿る。

 こうなれば、鬼に金棒だ。もう何も怖いものはない。

 小さな命を救うために、自分たちにできることをやるのみだ。

 

「自転車に乗れ。動物病院を探すぞ」

 

 二人乗りが嫌だと言っている場合ではない。

 彩心真優を後ろの荷台に乗せ、俺は自転車を漕ぎ始める。

 彼女の片手には、にゃこ丸が縮こまり、荒い息を漏らしている。

 

「大丈夫だからね……にゃこ丸。絶対に助けてあげるから」

 

 彩心真優は励ましの言葉を呟きながら。

 

「時縄くん。手当たり次第に、近くの動物病院に電話掛けてみる」

「了解。相手が何か言ってきても、負けるんじゃねぇーぞ!!」

「分かってるわよ。気持ちでは絶対に負けないわよ」

 

◇◆◇◆◇◆

 

 電話を掛けまくった結果、受け入れ先の病院が見つかった。

 到着するや否や、緊急手術を行うことになった。

 にゃこ丸の容態は余程酷かったらしく、生死に関わる怪我だったようだ。

 

 で——現在。

 待合室で両手を合わせて神頼みに励む彩心真優。

 そんな彼女の隣で、俺はにゃこ丸の生還を待つ。

 

「大丈夫だよ……医者も全部任せろと言ってただろ?」

「……そ、それはそうだけど」

「もっと人を信じてみろよ」

「……人を信じてみろか」

 

 彩心真優が心配気な表情で呟く。

 その瞬間、白衣を着た如何にもな医者が出てきた。

 見るからに老け顔のおじいちゃんドクターはいう。

 

「——手術は成功です」

 

 彩心真優は声もなく喜んだ。

 琥珀色の瞳からは涙が溢れ出している。

 これで全て解決かと思っていたのだが。

 

 しかし、と続けて、医者はいう。

 

「傷は癒えましたが、心は……」

 

 人の手で傷付けられた動物は、心に深い闇を抱えてしまう。

 実際に何度も見てきたケースだという。

 そのような猫は、人里離れた場所で暮らすのがいいらしい。

 

「もしよろしければ、ワシが知り合いを紹介しようか?」

 

 医者の話によれば——。

 風変わりな金持ちが猫だけの村を作っているらしい。

 その村では、人間たちは一切おらず、猫だけが平穏に暮らしていると。そこには、にゃこ丸と同じような闇を抱えた猫が集まり、幸せな生活を送っているのだと。

 

「分かりました。でも、今からにゃこ丸に会いに行ってもいいですか?」

「あぁ、大丈夫だよ」

 

 医者からの許しを得て、俺たちは手術室へと向かう。

 にゃこ丸はグッタリとした様子で、寝転がっている。

 

「にゃ〜」

 

 にゃこ丸が鳴いた。

 その声は、別れを告げるものではなかった。

 離れ離れになるのが悲しいと意思表示するものだ。

 もしかしたら、にゃこ丸も離れ離れになるのが嫌なのか。

 

「あの〜さっきの話なんですけど」

 

 俺はそう前置きしてから、一つの提案をした。

 

「彩心さんがにゃこ丸の面倒を見ればいいんじゃねぇーの?」

「えっ……? わ、私が……?」

 

 予想外の解答だったのか、戸惑いの声を上げる彩心真優。

 彼女ともっと一緒に居たい。

 そう伝えたいのか、にゃこ丸が「にゃぁ〜」と鳴いた。

 

「にゃこ丸は、彩心さんに懐いてるらしいぜ」

 

 駆け寄った彩心真優の指先を、にゃこ丸がペロペロと舐める。

 それは、あたかも、ありがとうと感謝の言葉を述べているようだ。

 見ている側から、にゃこ丸と彩心真優の関係の良さが見て取れる。

 

「よっぽどお嬢ちゃんに懐いてるんだろうな」

 

 知り合いに声を掛けようと言っていたドクター。

 もう彼の顔には、答えは決まっているようだ。

 

「お嬢ちゃんがこの子の面倒を見ることができない。そう言うのならば、ワシが知り合いに話を付ける」

 

 だけど、と呟き、動物の命を救ってきた老人は言う。

 

「だけど、もしもお嬢ちゃんがこの子の面倒を見るなら話は別だ」

「ほら、そう言ってくれてるみたいだし……彩心さん」

「勿論、それは命を預かるわけだ。それ相応の覚悟が必要だが、お嬢ちゃんなら大丈夫だろう」

 

 俺と医者の意見を聞き、彩心真優も覚悟を決めたのか。

 

「にゃこ丸……私の家に来る?」

 

 そう訊ねると、にゃこ丸は「にゃぁ〜」と鳴いた。それから彼女の白い指先に、自らの顔を擦りつけて、幸せそうな表情を浮かべるのだ。そのまま調子が良くなったのか、にゃこ丸は安心して眠ってしまう。

 

「にゃこ丸はもう彩心さんに飼われたいらしいぜ」

「でも、私……猫の飼い方なんて」

「まぁ、勉強するしかねぇーな」

「な、投げやり……」

「分からなくなったら、俺に相談しろよ。昔、猫飼ってたことあるし」

「………………」

「俺が提案したことだからな。俺も生半端な気持ちで言ってねぇーよ。悩むのはいつからでもできる。ただ、選択は今しかできない。どうするんだ? 彩心さん」

 

 その問いを聞き、彩心真優は決意に満ちた表情を浮かべる。

 小さな一つの命を育てる覚悟を決めたようだ。

 彼女は自分に懐いた黒猫へと手を伸ばして。

 

「……にゃこ丸一緒に帰ろう。私の家なら安全だと思うから」

 

 その声に反応するように、賢い黒猫は鳴き、肉球を主人の手に乗せるのであった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。