予備校生活は、予備校に来るまでが一番辛い。
特に乗車率が激しいバスに揺られるときが、最もストレス負荷が掛かる。それ以外に関しては、意外と快適な生活だ。
というのも、授業は教え手の能力で左右されるからだ。一度受けてみれば分かるのだが、予備校の授業は楽しすぎる。
少子高齢化が囁かれる昨今では、予備校の講師はお互いに牌の取り合いをしているのだ。それ故に、教え方が上手く、尚且つ、喋りが立つ面白い講師じゃないと生き残れないのだ。
生徒たちからの信頼を勝ち取れない講師は、首を切られてしまう。そんな残酷な競争社会を生き残るために、講師陣は必死に授業に取り組むのだ。面白くないはずがない。
一方では、講師陣は変なひとが多い。狙ってやっているのか、それとも素を出しているのか分からないが、クセが強くて、少々近寄りがたい方々である。
それでも分からないところを聞きに行くと、快く引き受けてくれ、更には丁寧な解説を踏まえてくれるのだ。
正直言って、講師陣たちには、感謝の意しかない。
◇◆◇◆◇◆
周りの奴等は群れを作り、ピクニック気分で楽しそうに弁当を食べている昼休み。
ガリ勉の異名を持つ俺は弁当を持って、自習室へと向かうのであった。
俺が通う予備校には、自習室が二種類存在する。
一つが、大広間型の自習室。もう一つが、個人スペース用の自習室。
で、俺が向かうのは、後者だ。
完全な仕切り板が設置されており、集中するにはもってこいの場所なのである。
実際、生徒たちからの人気は高く、自習時間の利用者は極めて多い。
だが、現在は殆どの生徒たちが教室でお友達と時間を共有する時間帯。
だからこそ、絶好の穴場となっているのである。
集中したい。
その一心もあるのだが、それよりも俺にはここを使う理由がある。
自分は他の奴等とは違うんだ。俺は他のひとよりも努力している。
そう自分に思い聞かせることができるからだ。
というわけで、俺は個人スペース用の自習室に向かったわけだが——。
「はむはむはむはむ」
壁側の一番目立たない場所に、彩心真優と思しき姿があった。
俺と同じく、彼女もこの個人用スペースを昼休みに利用しているのだ。
彼女も、医学部を志す敵だ。少しでも周りとの差を引き離そうと考えているのだろう。
実際、今も昼食を取りながら、勉学に励んでいるようだ。
でも、さっさと食べ終わってしまったのか、彼女はカバンの中にコンビニ弁当を仕舞った。
これから本格的に勉強するつもりなのだろう。
そう思っていたのだが、彩心真優は新たな弁当を取り出した。
「二個目だと……?」
思わず、声を出してしまったのが仇になってしまった。
彩心真優が振り返ったのだ。俺の顔を見るなり、急激に顔を赤くさせてしまう。
それから彼女は俯いたままに、悔しそうに言うのであった。
「……見たでしょ?」
「見た? 何のこと?」
冷静に疑問を呈す俺に対して、彩心真優が涙目で迫ってきた。
俺は両手を上げて、観念しましたというポーズを取るのだが。
「見たか見てないかを聞いてるの。教えなさい!」
彩心真優は容赦がない。
俺を壁際まで引き寄せると、俺の胸ぐらを掴んできたのだ。
「いや、だからさ、何を言っているのか、俺にはさっぱりで」
「だ、だから、そ、その私が……あんな量の昼食を取っていることよ!!」
彩心真優は顔を真っ赤にして人差し指を向ける。
その先には、机の上に一個のデカイ弁当箱が。
それから、カバンの中には、空になったコンビニの弁当箱が数個あった。
他にも、ポテトチップスやチョコレート。菓子パンなども入っていた。
◇◆◇◆◇◆
俺は彩心真優と一緒に弁当を食べることになった。
まだ言い足りないことがあるので、弁当を食べながら説教するというのだ。
「時縄くん、覗きは悪いことなんだからね。反省してるのかな?」
「覗きではないと思うんだけど」
「でも、実際に覗いてたじゃん」
「偶然だよ、偶然」
「出来心だったんですってことなんだね」
「違うわ!! 全く違う解釈だわ、それは!!」
俺と会話をしながらも、彩心真優は新たな弁当や菓子パンを平らげている。
余程、燃費が悪い体質なのらしい。
彼女の話を聞くに、授業中にお腹が鳴るのは無性に恥ずかしいんだとさ。
だから、沢山食べて、鳴らさないように努力をしているのだとか。
「はぁ〜。それにしても、キミにバレてしまうとは思ってなかったなぁ〜」
「俺もあの彩心様にそんな秘密があるとは知らなかったよ」
「……幻滅した? 彩心真優ってあんな大食いなんだって」
あくまでも、俺の見解だけどさ。
そう前置きしてから、彩心真優のフォローをすることにした。
「俺は少食な女の子よりも沢山食べる女の子のほうがイイと思うよ。健康的で」
「へぇ〜。それって彼女さんへの不満……? えぇ〜と、結愛さんだったっけ?」
「不満じゃないよ。ただの願望。俺の彼女は少食だからさ」
でもさ、と呟いてから、俺は彩心真優を見据える。
彼女は購入していたカレーパンをパクパク食べている。
いや……本当にどんだけ食うんだ、この子は。
どか弁二つに、菓子パン三個目じゃないか……?
「どうしてこんな場所で食うんだよ。大食いキャラでいけよ」
「今まで積み上げてきた彩心真優像を壊したくないの。お嬢様学校出身だからこそ、変な幻想を抱く男子たちが多くてね。それに周りの女の子も、お嬢様学校からの付き合いが多くて」
「要するに、今までの人間関係を壊したくないと……?」
「そ〜いうことよ!! 高校の頃もトイレで弁当を食べたり、隠れてこっそりと早弁することで乗り切ったんだから!!」
彩心真優の気持ちは分からなくもない。だが、大食いキャラというのを明かしたら、周りの奴等が離れていく。そんな事態になるのならば、そんな奴等とは縁を切ったほうがいいだろう。ただ、そんな簡単な話ではないのかもしれないな。
「でも、こんな爆弾を抱えても、時期にバレるだろ? 受験期が近付けば、個人用の自習室を使う奴等は増えると思うし」
彩心真優の問題は、その場しのぎにしか過ぎない。
今日大丈夫だから、明日も大丈夫で済むはずがないのだ。
「……そうなのよね。それが一番のネックなのよね」
「まぁ〜それはトイレで飯を食ったり、早弁で済ませるのが……って、どうしたんだ?」
両手を両肩に置き、胸元で腕を交差させた状態で彩心真優はブルブルと震えながら。
「トイレは絶対に嫌よ。この予備校のトイレって臭いんだもん。それに早弁だってあの教室内で隠れてできないわよ」
予備校の教室は狭い割に、人数も多い。
つまり、人の目が必ずあるのだ。
だからこそ、隠れてこっそり食べられるはずがない。
「……トイレに関してはそうだな。だが、早弁なら『あぁ〜今日は朝ご飯を食べるの忘れちゃって……』とか言って、おにぎり一個か二個か食べてしまえばいいんじゃねぇ〜のか?」
「私の胃袋がおにぎり一個、二個で満たせると思ってるの?」
「……俺は分からないよ、彩心さんの胃袋事情なんて」
沈黙が続いた。
彩心真優も必死に対策を練っているのだろう。
さっきから「う〜ん」と唸りながら、モグモグと新たなお菓子を頬張っている。その摂取したものが、どこに消えていくのか、俺は謎でしかなかった。
と、そのとき、彩心真優が手を叩いた。
「あ、イイこと思いついちゃった」
それから満面の笑みを浮かべて、彼女はその名案を教えてくれるのであった。だが、それは俺にも関することだった。
◇◆◇◆◇◆
翌日の昼休み。
例の如く、自分とアイツらは違うんだ。俺はアイツらよりも努力している。そう自分に思い聞かせるために、席を立った俺だったのだが——。
「時縄くん、一緒にお弁当食べようよ」
彩心真優が大きな声でそう誘ってきたのだ。
クラス内の誰もが「えっ? 何で?」という表情を浮かべている。無理もないさ、昨日の俺も同じ反応をしたのだから。
彼女と一緒に飯を食らうなんてしたくないのだが、彼女の瞳には「いいから早くこっちに来る」と訴えてきているのだ。
それに周りの奴等からは——。
どうしてあんな男と一緒に?
ていうか、アイツの名前は?
ってかさ、あんな奴居たっけ?
という視線が嫌でも突き刺さるので、俺は逃げたかった。
というわけで二人揃って、俺たちは
「で、大食い娘。俺の勉強を邪魔したいのか?」
「そんなつもりは全くないわよ」
「医学部受験者を一人削るつもりなんだな? 俺もセンター前には、クラス全員に下剤入りクッキーを渡すか迷ってるがな」
「……それ最低だよ、時縄くん」
◇◆◇◆◇◆
俺と彩心真優は、大広間型自習室の最前席で一緒に飯を食べている。
と言っても、俺は英単語チェックをしながらで、彼女はどか弁を食らうのに夢中であるのだが。
なので、一緒に食べているとは到底思えないのだが。
「完璧な作戦だったね、これで誰も邪魔しないと思うよ!!」
大広間型自習室は、少し特殊なのだ。
後ろ側の扉しか開かない仕組みになっており、最前席は見えないのだ。もしも、誰かが入ってきたり、覗き見したりしたとしても、背中で隠れて机のものは見えないというわけだ。
「……彩心さんはイイかもしれないが、俺はどうするんだ?」
「まぁまぁ、キミだって集中できる環境は欲しいでしょ?」
彩心真優の提案は、トリッキーなものだった。
時縄勇太という冴えない男子高校生を彼氏に仕立て上げ、そんな彼との楽しいお昼休みを取っている。
と、周りに思い込ませるものであった。
彼氏彼女の特別な空間を作ってしまえば、周りの生徒たちも必要以上に入り込んでくることもない。というか、入り辛いので、二人だけの空間が作れてしまうのである。
「でも、俺が彼氏役(笑)でよかったのかよ」
「時縄くんは適任だよ。地味だし、彼女持ちだからね」
「どういう意味だよ」
「カッコいい男子と付き合ったら、それはそれで女子に反感や嫉妬を買う可能性があるでしょ? でも、地味な時縄くんなら、予備校内では何も言われることはないでしょ?」
「逆に、俺は俺で色々と言われると思うんだが……?」
でも、と呟いてから、彩心真優は悪戯な笑みを浮かべて。
「でも、医学部に入る為なら手段を選ばないんでしょ?」
俺は、誰にでも教えを乞う。
たとえ、それが同い年の女の子でさえも。
もしも、それで医学部に入れるのならば。
「あぁ、そうだよ。俺は必ず彼女を救うと決めたからな」