「ごめんね。あたしのワガママに付き合わせちゃって」
「いいや……俺のほうが悪かった。結愛に我慢させまくっていたんだよな」
俺と結愛は中学時代から付き合っている。
世の中の男女ならば、もうキス以上の関係を育んでいるはずだ。
それなのに彼女の気持ちを一切考えず、俺は自分勝手な恋愛を行っていたのだ。
そして、現在俺たちは——。
「勇太のこと大好き大好き大好き大好き」
「俺も好きだよ、結愛のこと」
誰からも邪魔されないラブホテルの一室を借り、身体を寄せ合っていた。
お互いに服を着たまま、肩と肩を寄せ合う。
結愛は俺の肩に頭を乗せてご満悦な表情を浮かべている。
「勇太。あたしだって普通の女の子なんだよ」
「あぁ知ってる」
「どこにでもいる普通の女の子なの」
結愛は普通にこだわる。
自分が病人だと思われるのが嫌なのだろう。
「だから、普通に扱ってほしいの」
「分かってる。でも具体的には?」
「病弱な女の子という視点で見ないでほしい」
今だけは、と呟きつつ、本懐結愛は真っ直ぐな瞳を向けたまま。
「今だけは普通の女の子だと思って、あたしのことを見ていてほしい」
そうしてくれないと、あたしはずっと病弱な女の子のままだから。
そう悲しそうに呟く最愛の彼女を、俺は優しく抱きしめる。
彼女の温もりが、彼女の柔らかさが、彼女の鼓動が。
全て俺に伝わってきて、心の中が満たされていくのだ。
「勇太はさ、あたしがいなくなった世界のことを考えたことある?」
抱きしめているはずの彼女が俺の中へと溶けるように沈み込んでいく。
「何を突然言い出すんだよ? 怖いこと言うなよ、結愛」
「あたしはあるよ、勇太があたしの前から消えてなくなる世界のことを」
「その世界の俺は最低なクズ野郎だな。こんな可愛い彼女を置いてけぼりにするなんて」
「もしも、あたしがこの世界から消えたら、勇太はどうするの?」
「………………考えたことないな、そんなこと。結愛が消えるなんてありえないからな」
だって、この俺が必ず病気を治すんだからさ。
それで結愛と幸せな家庭を築く未来が待っているのだから。
だからこそ、結愛がこの世界から消えてしまうなんて、決してありえない。
「つまり、勇太はあたしがいないとこの先生きていけないってことでいいの?」
「結愛以外の他の誰かと付き合うことも結婚することも考えたことないよ。俺は結愛一筋だからな。今までも、それにこれからもそうだと思うぜ。こんな可愛い彼女、忘れられないよ」
忘れたくても忘れるはずがないだろう。
だって、本懐結愛は俺の初恋の人なのだから。
どんなに時が経とうとしても忘れるはずがないさ。
「嬉しいな、勇太があたしと一緒の考えで」
「結愛も一緒なのか?」
俺が問うと、結愛は耳元で囁いてきた。
「うん。あたし、勇太がいなくなったら死のうと思ってるから」
冗談には聞こえない声色。
俺がいなくなったら死ぬと宣告され、俺は身震いが止まらなくなる。
勿論、俺が結愛の前から消えてしまうなんてありえないと思うのだが。
「だから、絶対に勇太はあたしを手放したらダメだよ?」
「当たり前だ。誰が手放すものか。大好きな彼女のことを」
結愛が他の男に奪われてしまう未来なんて、絶対に考えたくない。
俺は結愛が大好きで、結愛も俺が大好きなんだ。
だから、俺たち二人は、俺たちだけで幸せになればいいじゃないか。
「勇太から先にシャワー浴びてきていいよ」
「結愛はあとからでいいのか……?」
「……うん。女の子には女の子なりの準備が必要だから」
「……なるほど。それじゃあ、俺からだな」
シャワーへと向かおうとするのだが——。
「待って、勇太」
そう呼び止められ、俺は振り向いた。
結愛は俺のお腹へと顔を埋めてきた。
「キスしてほしい」
「……えっ?」
「この熱を忘れないように」
焦げ茶色の瞳に、外巻きの長い睫毛。
上目遣いで見上げられると、普段以上に虹彩が大きく広がって見えた。
「キス」
可愛らしい彼女におねだりされると、俺は言うことを聞くしかなくなる。
背伸びをして少しでも早くキスしたいと迫る彼女の顎を持ち上げ、俺は唇を重ねるのだ。
唇と唇を触れ合うだけの軽いものでいい。
俺はそう判断していたのだが、結愛は余程欲求不満だったようだ。
俺の首へと白い腕を回して、口内へと自らのベロを入れてくるのだ。
その姿は母鳥が小鳥へと餌を与えるかのようだ。
俺はそれに負けじとベロを絡ませて抵抗する。
お互いの唾液が入り乱れ、敏感な舌先が擦れ合う。
ただ、それだけの行為で、脳内から快楽物質が溢れ出すようだ。
頭がとろけそうになり、自分から彼女を抱き寄せてしまう。
「んちゅ、ユウタ……す、すごい……あ、あん。あたしをもとめてる」
結愛が感じてる。
それが無性に嬉しく、俺は更に強く抱きしめる。
カラダが細い彼女の骨が折れてしまうのではないかと思えるほどに。
「……だ、だめ……ユウタ。あ、あたし……あたま、おか、おかしくなる」
艶かしく喜ぶ彼女の声。
誰にも聞かせたくない、俺だけが聞いていい甘い喘ぎ。
お互いの目を見つめ合いながら、俺たちは唇を離した。
貪り合う接吻を行った結果、互いの唇からは唾液がツーンと伸びている。
結愛は恥ずかしげに口元を指先で拭き取り、僅かに視線を逸らして。
「勇太はシャワーを浴びてきなよ」
「……あぁ、そうだな」
「うん。ゆっくり浴びてきていいよ。あたし待ってるから」
結愛の提案に従い、俺は一人でシャワーへと向かう。
服を脱ぎながら、俺はとあることに気が付いた。
(あれ……? スマホ、ポケットの中に入れていたはずだが?)
生まれて初めて入ったラブホテルのシャワー室。
豪華な設備が満載だが、それを全て楽しむ余裕などなかった。
頭上高くから降りかかる人肌の水を浴びながら、一人でに思ってしまうのだ。
(もしも、俺があの日……彩心真優と関係を結ばなかったら)
(たった数週間我慢すれば……俺は結愛に自分の初めてを捧げることができたのか?)
(そうすれば……俺は結愛と初めて繋がるこの日を心の底から楽しめたかもな)
身体に纏わり付く嫌な水滴を全て拭き取り、俺は部屋へと戻った。
最愛の彼女である結愛に、シャワーに入ってきていいよと伝えようとしたところ——。
「結愛?」
結愛は幸せそうな表情を浮かべて熟睡していたのだ。
俺はもう一度彼女の名前を呼ぼうとしたものの、喉元までで止めることにした。
ベッドの上で丸まって眠る姿は子猫のような愛らしさがある。
近くのテーブルには、俺のスマホが置かれていた。
無意識の間にここに置いてしまったのだろう。
「今日はちょっと張り切り過ぎたんだな、結愛」
病院生活を送る結愛は疲れ果ててしまったのだ。
無理もないさ。
久々の外出で遊びまわったのだ。
可愛らしい寝顔姿の彼女を優しく撫でながら、俺は微笑むのであった。
◇◆◇◆◇◆
時刻は夜の午後十一時過ぎ。
人々で賑わっていた街中も喧騒さを失くし、静かになる頃合い。
俺と結愛は数時間前に訪れたバスセンターのベンチに座っていた。
「ったく……バス全くこねぇ〜な」
ラブホテル内で結愛は熟睡。
俺たちが借りた時間は三時間コース。
時間ギリギリまで結愛が起きるのを待ってみたものの……。
全く起きる気配を見せず今に至るという感じだ。
ちなみに結愛は全く起きなかったので、俺がおんぶして連れてきた。
現在も隣で、俺が着ている服の袖を握ったまま眠っている。
そんな可愛らしい彼女の横顔に触れようとした瞬間——。
「時縄くん、こんな場所で会うなんて奇遇だね」
俺にそう告げてきたのは彩心真優。
今朝と同じ服装の少女が笑みを浮かべて立っていた。
「お前まだ帰ってなかったのかよ」
「ちょっと野暮用があってね」
それよりも、と呟きながら、彼女は膝を曲げる。
隣に座る結愛と同じ目線の高さまで下げたままに。
「お人形さんみたいな彼女さんだね」
彩心真優の言い方は何処か悲しげだった。
自分とは程遠い存在を見るかのように。
「私みたいなデカくて堅物な女の子とは大違いだ」
彩心真優の目尻は赤く染まっていた。
泣き腫らした跡なのだろうか。
また、何か彼女の元に起きたのだろうか。
「それじゃあ、私はもう帰るね。二人の邪魔はいけないから」
「……突然現れたと思ったらもう帰るのかよ」
「私だって忙しいんだから。それじゃあ——」
話をさっさと切り上げたい彩心真優の都合など関係ない。
俺は彼女に伝えるべきことを言ってみた。
「そこまで自分を卑下する必要はないんじゃないの?」
俺は続けた。
「お前は他人のために努力できるし、他人のために泣けるほど繊細な女の子だよ」
だからさ、と。
「だからさ、お前は良い奴だよ。自分と他人を比べる必要はないと思うぜ」
沈黙オブ沈黙。
俺から褒め言葉を貰っても嬉しくないかもしれない。
ただ、俺は伝えたかった。
本人が思っている以上に、彩心真優という存在はイイ女だと。
「時縄くんってさ、彼女が隣に居るのに他の女の子も口説いちゃうんだね」
彩心真優はイタズラ心満載な少年のような笑みを浮かべてきた。
「心配して声を掛けてやったのに……ったく、お前って奴は……」
「でも、残念だけど、時縄くんは私をこれ以上口説くことはできないよ」
だって、とそう呟いた後、彩心真優は座っている俺の頭を抱き寄せてきて。
「私の心はもう完全に時縄くん一色で染まっているんだから」
◇◆◇◆◇◆
「あれ……? ここは……?」
「結愛。やっと起きたか」
「ってこれはどういう状況なの……?」
結愛は目を点にした状態で小柄な身体をビクビクと震わせている。
無理もない話だ。
だって、今——。
「簡単に説明すると、俺が結愛を背負って病院まで運んでるって感じだな」
時間が時間だったので、結愛が入院中の病院を経由するバスはもう運行していなかった。
なので、病院近くまで行くバスを探し、俺たちはそれに乗ったわけだ。
で、現在——俺は眠ってしまったお姫様を背負っているわけだ。
「あのままホテルに泊まればよかったのに」
「俺のお金が足りなかったんだよ。三時間コース以上は追加料金が掛かるからな」
「あたしが払うのに」
「結愛には払わせたくなかったんだよ。それにもう終わったことだから安心しろ」
「それよりも……勇太。ちょっとこの状況は恥ずかしいんだけど?」
視界不良な夜と言えども、おんぶされるのは恥ずかしいことである。
別段、二人だけなら特に問題ないのだ。
と言えども、道路は他の通行人や車とすれ違うこともある。
おんぶしている側はあまりこのことに気が付かないかもしれないが。
それを理解した上で、俺はこの恥辱プレイを楽しんでいるわけだが。
「それ以上のことを求めてきたくせにか?」
「……勇太は卑怯。そういうことばっかり言ってくる」
背中の上で拗ねる彼女の表情は上手く見えない。
でも、結愛が唇を尖らせているのは分かる。
「それよりもいいの? あたしも歩くよ」
「もう少しだしいいよ。偶には、彼氏の背中ってのも悪くないだろ?」
「悪くない」
「だろ?」
「うん。勇太の温もりをいっぱい感じられる。それに勇太のにおいがいっぱいして幸せ」
結愛はそう呟きながら、俺の首元に自らの顔を近づけてくる。
彼女は何かに気づいたかのように弱々しい声で呟く。
「あたし、重たくない?」
「重たくないよ。逆に結愛は軽過ぎるぐらいだぜ?」
「そう……?」
「うん。もう少し重たくても、俺は全然大丈夫だぜ」
「そっか。勇太は重たい女の子が好きなんだね」
彼女が吐き出す息がうなじを掠めてくる。
そういえば、と彼女は嬉々とした声で切り出した。
「さっきね、とっても幸せな夢を見たんだ」
「幸せな夢……?」
「うん、勇太とあたしが結婚式をあげる夢」
「それは最高な夢だな」
「でしょ? あたしのお母さんも、勇太のお母さんも号泣してて」
「うんうん」
「あたしたちはそんな二人を見て、思わず笑っちゃうの」
結愛が語る夢の話。
それはあまりにも具体的な内容であった。
一つ一つが細部まで詳しく、まるで俺たちの未来を語るように。
「もうここから先は自分で歩くよ、勇太」
病院の敷地内へと到着した。
裏側の道を通り、秘密の隠し扉を開いた。
正しく、中は陰気臭い雰囲気が漂う夜の病院。
俺は結愛の手を握りしめ、彼女と共に病室を目指すのだが——。
「こんなもの前にあったっけ?」
「これは七夕のツリーだよ、勇太」
「七夕……そう思えば、もう七月なんだよな」
「そうだよ。沢山の人たちの願いがここに託されているんだよ」
光が殆どない病院内。
月明かりの光だけが頼りの薄暗い環境。
故に、他の方々がどんな願いを書いているのかは知らない。
「俺たちも書くか」
「残念。あたしはもう書いちゃったんだよね」
「そうなのか……でももう一枚書いてもいいんじゃないか?」
「そ〜いう問題なのかな……?」
「大丈夫だろ。ほら、結愛も書こうぜ」
俺と結愛は短冊を書いた。
俺が書いたのは——結愛の病気が治りますようにと。
「結愛は何と書いたんだ?」
「…………内緒」
「何だよ、教えてくれてもいいだろ?」
「じゃあ、耳を貸して。教えてあげるから」
一回しか言わないから、ちゃんと聞いてね。
そう呟いてから、俺がこの世で一番愛する少女は言った。
「勇太と結婚できますようにって書いたよ。叶うといいね、この願い」
月光に照らされた彼女の頬が大きく緩んだ。
俺はその姿を眺めながら、改めて思うのであった。
これからも、そして今からも。
彼女だけを愛し続けようと。愛し続けていこうと。
——夏編『時縄勇太は最愛の彼女を愛してる』完結——