「プールなんて……中学生以来だぜ、全く」
目の前に広がる景色は、県内有数というだけはある大型プール。
屋内と屋外。どちらにも専用プールが設置しているらしい。
さっさと屋外の遊び心満載なウォータースライダーで遊びたいのだが……。
「彩心真優の野郎……まだかよ? もしかして太り過ぎで水着が着れないのか?」
先に断りを入れておくが、これは浮気ではない。
彼女持ちの癖に、彼女以外の女と一緒にプールに出かけるな。
そんな要らない恨みを買いそうだが、これには理由があるのだ。
適度な運動を取り入れることで、勉強効率が上がるというのだ。
これは科学的にも証明されていることで……別にやましいことをしているわけではない。
と、俺が最愛の彼女——結愛への言い訳を考えていると——。
「——————ッツ!!」
俺は視界を奪われた。
後方から誰かが俺の目元を手で覆っているのだ。
一体誰だと抗議の声を出そうとした瞬間——。
「だ〜れだ?」
耳元でクスクスと笑う、俺がよく知る少女の声。
言わずもがな、正体は分かる。
「彩心真優だろ? わざわざ変な真似をするなよ」
「ご名答。時縄くん、私のことを声だけで認識できるんだね」
「当たり前だろ。毎日のようにお前と一緒に飯を食ってるんだ。嫌でも覚えるよ」
予備校内で一番関わる生徒は、彩心真優だ。
彼女以外とは殆ど、俺は関わらない。関わる必要がないと判断しているからだ。
別段、俺が嫌われているからというわけではない。まぁ、別に嫌われていてもいいが。
「で、彩心真優。そろそろ俺の目を隠すのはやめてほしいんだが?」
正体がバレたのにも関わらず、彩心真優は手を解いてくれないのだ。
視界が完全に消えた状態。俺は身動きを上手く取れないのである。
「私の水着姿がそんなに見たいんだ。しょうがないなぁ〜」
視界がパッと明るくなる。
後ろに居たはずの、彩心真優が俺の前に現れた。
予備校の時とは違い、現在の彼女は髪を一纏めにしていた。
俗に言うところの、ポニーテールとシュシュの組み合わせ。
鍛え上げた肢体を持つ彼女は余裕げな笑みを浮かべている。
日頃から健康的な生活を欠かさないのだろう。
どこ一つとっても美しく、一種の芸術作品と見間違えてしまうほどだ。
「どうかな? 私の水着姿に興奮しちゃった?」
「興奮? バカそうな男が好きそうな水着を着ているだけじゃん」
彩心真優の水着は黒単色の紐タイプ。
胸元の中央は可愛らしく蝶々結びしており、左右には見事なたわわが実っていた。
布の面積が全く足りず、水着自体の設計ミスを疑ってしまうほど。
そんな水着を身に纏う少女は可憐な笑顔を浮かべて。
「ちなみに選んだのは、時縄くんだよ」
そう呟きながら、彩心真優は抱きついてきた。
背中に埋もれるのは柔らかな二つの果実。
確かな豊潤さと弾力があった。
あの日——彩心真優が一線を越えた日、俺は彼女のそれを揉みしだいた記憶が蘇る。
桃色の唇から耽美な喘ぎながら「もっと乱暴にしていいよ」と求める彼女の声が。
「どうしたの? 固まっちゃって」
「お前がさっさと離れてくれないかと思ってるんだよ」
「嫌なら私を引き剥がしたらいいんじゃないの?」
嫌なら引き剥がせばいいだけだ
俺には最愛の彼女——本懐結愛がいるのだから。
ここは彼女持ちの身として……。
「私は時縄くんのことが大好きだよ」
大好き。
絶世の美女からそう言われると嬉しい。
ていうか、異性からそう言われると嫌でも意識してしまう。
「大好きと言われても困る。俺には結愛がいるから」
「知ってるよ。時縄くんが彼女さんのことを大好きだってことは」
「だからって、私が時縄くんのことを嫌いになったりはしない」
「……あのさ、お前」
俺がそう呟いた頃には、彩心真優は手を離していた。
俺を一人置き去りにして、彼女はスタスタと歩いていくのだ。
その後ろ姿を眺めながら、俺は思わず心の声を出してしまう。
「……アイツの尻……やっぱりエロいな」と。
その呟きが聞かれたのかは知らん。
だが、彼女はこちらを怪訝そうな表情で振り向いてきた。
そのまま未だに立ち尽くす俺の元へと小走りで来て、腕を掴んでくるのだ。
「行くよ、時縄くん」
「前を歩いてもいいのに」
「…………変態」
◇◆◇◆◇◆
俺と彩心真優はプールを人並みに楽しんだと思う。
二人で屋内屋外問わず、様々なプールへ飛び込んだ。
ウォータースライダを楽しむために何度も繰り返し上った。
で、現在——。
俺たちは屋内へと戻り、誰かが置きざりにした巨大な浮き輪に身を任せていた。
流れるプールなので、勝手に進んでくれるのだ。
大変ありがたいことに、俺たち以外の客足は少なかった。
「なんつーかさ、プールって暇だな」
「安らぎに来たんだからそれでいいんじゃないの?」
「いや……何か、もっと期待していたものと違う」
「どんなものを期待してたの?」
「いや……もっとこうさ。プールって楽しいものだと思ってたんだよ」
「言語化能力下手すぎ」
「…………俺はお前と違ってバカなんだよ」
学生時代、俺はプールの授業が好きだった。
特に好きだったのは波を作ること。
方法は簡単で、大人数で同一方向に進むだけでいい。
たったそれだけで巨大な波が出来上がって——。
あれ……? たったそれだけなのに何が楽しかったんだろうな、あの頃は。
「水の中が楽しいんだったら魚は生きているだけで幸せだね」
「そんなわけないだろ?」
「時縄くんが言っていることはそれと一緒じゃないの?」
「……さぁ〜どうだろう。もう考えるのやめようぜ」
沈黙に続く沈黙。
時間と共にプールは流れ、同じ場所を5回ほど廻った頃合い。
「何かさ、毎日一生懸命勉強してるのってバカみたいだよな」
「どうしてそう思うの?」
「勉強しても幸せになれるとは限らないだろ?」
「勉強しなくても幸せになれるとは限らないけどね」
彩心真優。
また揚げ足を取るような発言をしやがって。
「…………意外とこんなのんびりした生活でもいいんじゃないかと思ってさ」
「時縄くん、さっきまで暇だとか言ってたじゃん」
「暇であることが幸せなんだよ。何も考えなくて済むから」
「何も考えなくて済むことは幸せなの?」
「幸せだと思うぜ。野良猫とかいるけど、毎日幸せそうだろ?」
俺が予備校に向かう途中、野良猫に出会うことがある。
奴等は呑気にあくびをかまし、二度寝、三度寝する人生を謳歌しているのだ。
更には、有志の方々に裕福な食事を与えられ、食っちゃ寝の生活である。
「野良猫になりたいの?」
「もしもなれるならなってみたいな。毎日十分な食事と睡眠を与えられる存在に」
「なら、私が飼ってあげようか。時縄くんのこと」
俺は自分の耳を疑った。
彩心真優の言葉をもう一度頭の中で反芻する。
自分の耳がおかしくないことを確認し、俺は口元を歪めたままに。
「……………………それって冗談?」
「本気だよ、私」
「本気になったらダメだろ! 人様を飼うとか言うな!」
「にゃこ丸と同じくらい愛して育ててあげるのに」
「彩心真優は思わないのか? 毎日朝から晩まで勉強してバカみたいなだなって」
「私はそこまで根詰めて勉強してないから分からない。それに元々勉強好きだし」
「…………お前に訊ねた俺がバカだったよ」
◇◆◇◆◇◆
流れるプールに来てからどのくらいの時間が経過したのかは覚えていない。
ただずっとグルグル同じ場所を回っているのみ。
彩心真優と一緒にダラダラと雑談を交えて、あれでもないこれでもないと喋るのみ。
でも、意外とその雑談が心地良く、俺はもっと喋りたいと思っていると——。
「よしっ!! 今から違う遊びをしようか」
用事があると言い、一度はプールから離れた彩心真優。
彼女がプールサイドへと戻ってきた。
もうそろそろ帰るかと思っていただけに、違う遊びを提案されて困ってしまう。
俺は浮き輪のまま、プールから上がり、彩心真優へと駆け寄って。
「で、違う遊びって何だよ?」
「簡単な遊びだよ。宝石探し」
そう呟きながら、彩心真優は手元の袋を開いた。
その中に入っていたのは、大小形や色が異なるビー玉。
「何が宝石だよ。ただのビー玉じゃないか」
「水中でも同じことを言えるかな?」
ビー玉を一粒取り出し、彩心真優は親指と人差し指で挟んだ。
それを自分の瞳まで持ち上げ、透かして彼女は空中を見上げている。
と言えども、こちら側としては、燻んだビー玉にしか見えないのだが……。
「今から私がこれをプールの中へと投げます。で、これを沢山集めたほうが勝ちってわけ」
「疲れるだけだろ。んなことやっても、安らぎに来たんだろ? 俺たちはさ」
「勿論、それだけじゃあつまらないよね。だから、大人の遊びをしようよ」
「大人の遊び?」
聞き返す俺に、彼女は微笑みながら。
「そう。負けたほうが何でも一つ相手の言うことを聞くって遊び」
「負けたほうが何でも一つ相手の言うことを聞く」
「時縄くんにイイことを教えてあげる」
彩心真優はそう笑みを浮かべて、俺の首元へと顔を近付けてきた。
それから俺の瞳を覗き込むかのようにして、無邪気な声で言い放つ。
「上手くいけば……私のおっぱいを触ることだってできるよ」
俺の視界は、一直線に注がれる。
扇情的な黒い布に覆われた彩心真優の豊満な白磁色の乳房に。
ぷるるんと柔らかそうで、一度揉んだら理性を失いそうな女性特有の部位に。
「それも生でいいよ」
「……な、生」
「水着の中に手を入れて、直接触ったほうが気持ちいいと思う」
いやいや、コイツは何を言っているのだ。
「もしかして着衣状態で揉むほうが好きだった?」
「違うわ!!」
「それなら生で決まりだね」
「それじゃあ、始めるよ。よぉ〜いどん!!」
彩心真優はビー玉を投げた。
投げ込まれた先は、水深二・五メートルを誇るこの施設最大のプール。
一足先に走り出した彼女の背中を追いかけ、俺は水の中へと飛び込んだ。
ざぶぅうううううううううんんんんんんんんんんんんんんん。
やるとは一言も言っていないのだ。
だから、別に彩心真優との遊びに参加する必要はない。
それは分かっているのだが……。
「——————————」
水中の中で見える景色に、俺は思わず呼吸を止めていた。
ビー玉が光り輝いていたのだ。
陸上では全く輝いて見えなかったはずなのに——。
水中の中では、まるで宝石の一種と言われても信じてしまうほどに。
大小異なるビー玉は星々のように光り輝いていたのだから。
「っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ」
呼吸が苦しくなって、俺は浮上する。
もう一度酸素を取り込む。
それから、自分が勝負をしていることを思い出し、宝石探しを始めるのであった。