忘れちゃいなよ、初恋なんて   作:平日黒髪

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第5話『時縄勇太は最愛の彼女を救えない』

 鉄格子付きの窓から雨上がりの夕日が差し込んできた。

 本日の選択授業を取り終えた俺は、頭上から降り注ぐ光を片手で防ぎながらも、大広間型自習室へと繋がる階段を歩む。

 本来ならば、個人型の自習室で体を労わりたかったのだが、もう既に勉強をしない奴等で占領されていたのである。

 

 本日も仲の良いお友達と一緒にペチャクチャと喋りながらも、さぞかし楽しい時間を過ごすのだろう。中には、机の下でこっそりとスマホを扱うために、個人型自習室を使用する不届きものも居る。遊ぶぐらいなら、さっさと帰れと思うね。

 

 それにしても……。

 

 階段を一歩進むだけで、嫌でも汗が出てくる。リュックを背負っているのだが、その部分を中心にジメッとしているのだ。

 梅雨特有の湿った感じに参りながらも、俺は階段を昇り終え、大広間型自習室の扉を開くのであった。

 

 部屋の中には、まばらに生徒たちが座っていた。

 扉の前で立ち止まっていると後方の生徒たちが押し出してくる。我先にと、席の奪い合いが始まっているのだ。

 

 自習室の座席選びは重要なのである。

 如何に集中できる座席を選ぶことができるのか。

 

 その例に倣って、勉強ガチ勢の俺も適当に歩きながらも周囲を見渡し、空いている座席を探す。

 この部屋は二人用の長机とオフィス椅子を採用している。

 なので、俺が狙うのは、誰も使用していない机だ。

 エアコンの冷気が直接触れない優良座席を見つけ、腰を落ち着かせたわけなのだが……。

 

 俺を取り囲むように、清楚系でお淑やかな女性陣が立っているのだ。

 

 その数は三名。

 右側から、ボブ、パッツン、団子というバランスの取れた色白少女たちは、コソコソと隠れることもなく、俺を凝視している。俺が顔を俯かせると、机の前に立つ女の子たちは前屈みになるのだ。

 

 当然、俺と目線が合うのだが、彼女たちは全く動じることはない。逆に、道端で百円を拾ったかのように、唇の端を緩めるのみ。

 

 彩心真優と関わり始めてから、俺は周囲から注目される存在になった。彩心真優は「勘違い」と結論付けたが、現在、俺が立たされた状況を見れば、彼女も納得してくれるだろう。

 

 ともあれ、勉強の邪魔だ。是非ともお引き取り願いたい。

 邪魔だから失せろと言いたい。俺の視界に入ってくるなと。

 だが、彼女たちが全く別のことをしている可能性もある。

 

 受験生は朝から晩まで椅子に座り、体が固くなる。それを防ぐべく、彼女たちは休憩時間中に柔軟体操をしている線はどうだろうか。もしもそれが真であれば、俺は変な言いがかりを付ける痛い奴認定されることだろう。

 

 動物園の客寄せパンダは、こんな屈辱的な日々を毎日過ごしているのかと同情してしまう。少なからず注目されたい願望があったものの、ストレスフルな生活には懲り懲りである。

 

「アレが彩心様とお付き合いしている殿方なのですね」

「ふむふむ……普通の人に見えますが、何か特殊な才能があるのでは?」

「逆に彩心様は、あぁ〜いう普通の殿方がいいのでは?」

 

 他人を思い遣る気持ちが欠如した三人組は、コソコソとした感じで、お互いの意見を表明している。本人たちは、俺には聞こえていないと思っているのだろう。だが、俺の地獄耳を舐めてもらっては困る。世間体だけは重んじるタイプの俺には、丸聞こえである。できれば、褒め言葉が欲しいものなのだが。

 

 俺は参考書を持ち上げ、わざとらしく咳払いする。

 それから目線だけを僅かに上げ、彼女たちを見ることにした。

 傍ら見れば、首が凝っても勉強を続ける受験生の模範とするべき姿だろう。

 

 ボブは顎に手を当て。

 パッツンは両手をほっぺたに当て。

 団子はこめかみに指先を当てて。

 

 先程と変わらず、彼女たちは俺をガン見していた。

 潔いその姿に、思わず俺の方が狼狽(うろたえ)てしまうものだ。ただ、収穫を得ることができた。

 

 奇妙な三人組の姿には、見覚えがある。

 

 彩心真優のお友達である。

 もっと厳密に言えば、彩心真優と同じお嬢様学校。

 名門校と名高い西園寺女子学院出身の生徒たちである。

 彼女たちの気品溢れる態度や行動を見れば分かってしまう。

 相手の正体が判明したところで、相手側も俺の視線に気付いたようである。逃げも隠れもせず、彼女たちは話しかけてきた。

 

「時縄勇太様でございまして……?」

「あ、はい……そうですけど……」

「これからも彩心様のことをよろしくお願いしますわ」

 

 名前を名乗ることもなく、パッツンが深々と頭を下げた。

 お嬢様というキャラを貼り付けたような喋り方である。

 正直言って、実社会で普通に生きていけるか不安である。

 

「えっ……? よろしくと言われても……お、俺は」

 

 初対面の相手なのだが、彼女たちはグイグイ来るのだ。

 戸惑いを隠せない俺に対して、顔を上げたパッツンが続けて。

 

「彩心様は明るい性格で、正義感も強いお方です」

 

 呼応するように、団子も口を挟んできた。

 

「でも、彩心様はあれだけモテるお方なのに、殿方とお付き合いする縁が全くない。大変謎で仕方ありませんでした」

 

 銀縁の眼鏡を掛けたボブは「でも」と呟いてから。

 

「彩心様が貴方と密かに通じ合う姿を何度も目撃した。今まででは、絶対に見せない笑顔を、貴方には向けている」

 

 だからこそ、と仲良し三人組は口を揃えて。

 

「「「彩心様には、今後も幸せな生活を送ってほしいのです!

 だから、ワタクシたちはこれからも二人を応援しますわ」」」

 

 コイツら、彩心真優に買収でもされてるのか?

 もしくは、洗脳されてしまっているのだろうか?

 奇妙な三人組に対する不信感が募る中——。

 

 ボブが祈りを捧げるように両手を合わせて。

 

「勿論、他の方々からは色々と言われることもあるでしょう」

 

 パッツンが自信満々に胸を張って。

 

「それでも、ワタクシたちだけは必ず力になってみせますわ」

 

 ただ、と呟き、団子が鋭い瞳を向けたままに。

 

「ただ、彩心様を悲しませることをすれば、そのときは……」

 

 人との距離を測れない系の三人組は俺の腕を取って。

 

「「「覚悟しててくださいね、彼氏様」」」

 

 彩心真優に酷いことをしてみろ。

 そのときには、お前を容赦無く呪い殺してやる。

 そんな脅迫じみたニコニコ笑顔を、彼女たちは浮かべてきた。その姿を見て、女子の団結力は怖い、と俺は改めて思うのであった。

 

◇◆◇◆◇◆

 

「はぁ〜」

 

 病室から眺める藍色の雲。

 月光が綺麗に輝く今宵の夜。

 深い溜め息を吐き捨て、俺は肩を落としていた。

 頭に浮かび上がるのは——彩心真優の顔ばかり。

 あの女に関わってから、ロクなことが起きていない。

 勿論、勉強を教えてもらってはいる。

 だが、彼女のお友達を名乗るお嬢様軍団にまで関わるとは。

 

「溜め息を吐いてどうしたの? 勇太」

 

 結愛が眉を八の字にしてそう訊ねてきた。

 しまったと思っても、もう全てが遅い。

 愛する彼女の前だというのに、溜め息を漏らすなんて。

 更には、他の女のことを考えてしまうなんて情けない。

 少しでも彼女を笑顔にしたい。その一心で来ているのに。

 それなのに、彼女に心配を掛けてしまうとは……。

 

「受験生には色々とあるんだよ、色々と」

「色々って何? 詳しく教えて」

「詳しく教えろと言われてもだな……」

「ねぇ、勇太はさ、私のこと好き?」

「何言ってるんだよ。好きだよ、大好きだよ!」

「なら、そんな好きで好きで堪らない彼女に内緒なの?」

 

 本懐結愛は秘密にされるのが嫌いである。

 中学に上がる前に、彼女は病に伏した。

 その頃から、彼女は特殊扱いを受けている。

 結愛のことを思い、大人たちが気を遣っているのだ。

 だが、彼女はそれを良しと考えられないのである。

 

「……勇太もあたしを除け者にするんだね」

 

 結愛は顔を俯かせる。

 その後、俺の罪意識を掻き立てるように小さな声でいう。

 

「……信じてたのに。勇太も、そっち側の人間なんだ」

 

 唇をキュッと噛み締めて、愛する彼女は睨んでくる。

 結愛を怒らせたいわけでも、悲しませたいわけでもない。

 俺が見たいのは、彼女の笑顔だけなのに。どうして、俺は彼女を傷つけてしまうことをしてしまうのだろうか。

 

 ともあれ、もう観念するしかあるまい。正直に答えよう。

 

「……分かった。分かったよ、隠し事はなしだからな」

 

 偉そうに咳払いをしたあと、俺は事情を説明することにした。と言えども、長々と説明するわけにもいかないので、掻い摘んで話すことにした。なので、わざわざ彩心真優という具体名を出す必要はないだろう。大雑把にザックリ話せば。

 

「偶然さ、同じ予備校の生徒と出会ったんだよ。この病院で」

 

 俺の話を聞きながら、結愛は「うんうん」と頷いている。

 人の話には熱心に聞く派である。

 もしも彼女が教え子ならば、俺はどれだけ救われることだろうか。

 

「で、俺はそいつと予備校内でも喋るようになったんだけどさ」

 

 一旦、俺は言葉を止めて、結愛を見据える。

 彼女はまだ本題に入ってないぞという表情を浮かべている。

 もう少し分かりやすく説明したほうがいいだろうか。

 そんな迷いがあるものの、俺は続きの言葉を発した。

 

「そいつは予備校内で人気者なんだよ。いつも教室の中心に居るみたいな奴で。で、そんな奴と関わり始めてから、徐々に周りからの目線が変わるというか、どんな関係なんだろうと不思議に思われてさ。注目を浴びる機会が一度もなかったから、ちょっとずつ勉強が疎かになっているというか……何というかさ。あぁ、ごめん。話の筋がまとまってない」

 

 分かりにくい説明だなと自分でも思う。

 だからこそ、結愛はもっと分かりにくいことだろう。

 それでも彼女は話を聞いてくれ、俺に質問を投げかけてきた。

 

「あのさ、それってさ、男の子? それとも女の子?」

 

 性別は特に関係ないと思うのだが、結愛は気になるようだ。

 わざわざ嘘を吐くまでではないと思い、俺は「女」と教える。

 すると、結愛は「そっか」と口を歪めて微笑み。

 

「で、結局。勇太の問題は、勉強に集中できないってことだよね?」

 

 彩心真優と関わり始めてから生じた問題。

 その根本的な部分は、勉強に集中できないことに集約される。

 

「そうだよ。俺は勉強ができなくてイライラしてるんだと思う!」

 

 理解者が現れ、俺は興奮気味に答えた。

 やっぱり、自慢の彼女は拙い説明でも俺の心を理解してくれる。

 

「なるほど。それなら簡単な話だね。勇太の悩みを解決する方法」

「えっ? 勉強に集中できる方法があるのか?」

 

 話に飛びつく俺を見て、結愛は「まぁまぁ」と落ち着かせる。

 是非とも、意見を聞き入れたい。

 周りの目線が気になって、勉強に集中できない。

 そんな俺に向けた対処法とは一体何なのか。

 

「もうさ、その女の子と関係を切ればよくない?」

 

 至極当然のように結愛は淡々と答えた。

 悪びれる様子は全くない。これ以外の解答があるのか。

 そう言いたげな表情で、凍りついた俺の顔を覗き込んでくる。

 

「勇太。あたしの完璧な解答に驚いちゃった?」

「……生憎だが、そ、それはできないかなと思ってさ」

「……ねぇ、どうしてできないの? 迷惑を掛けられてるんだよね?」

 

 意味が分からない。

 そう彼女の青白い表情には、浮かび上がっていた。

 本懐結愛は、俺の口から出てきた言葉を信じられなかったようだ。

 彼女はベッドのシーツを力強く握り締めながら、説教を垂れてくる。

 

「勇太の目標は何? 医学部に入ることだよね?」

 

 威圧的な声だが、言い分は正論過ぎる正論である。

 

「去年も落ちて、今年も落ちたらどうするの? また来年も医学部を目指すの? 違うよね? 折角貰った大事なチャンスなんだよね? その為にはさ、面倒な人間関係や余計なものは全部排除して、受験勉強に専念したほうがいいんじゃないかな?」

 

 俺を勇気付けてくれているのだ。俺を少しでも思ってくれているからこそ。

 彼女は、少し強めな口調で、高圧的な態度を取ってくるのだ。

 それもこれも浪人生である俺を奮起させるため。

 そうとは理解しているのだが、言葉の節々にトゲが多すぎるのだ。

 

「そもそもな話なんだけどさ、勇太は勉強する為に予備校に行ったんでしょ?」

 

 俺の有無があるまで、続きの言葉は聞こえなかった。

 コクリと頷くと、彼女は「そうだよね」と分かり切ったように呟いて。

 

「それならもう余計な人間関係は捨てちゃわないとダメだよ」

 

 本懐結愛は、俺が他の誰かと積極的に関わることを嫌う。

 病に伏すまでの彼女ならば、こんなことは一度もなかったのに。

 

「それにね、今は仲良しでも数年後にはどうでもいい仲になるんだから」

 

 決めつけるように、本懐結愛は言う。

 無理もない。それもこれも、全ては彼女の実体験から出てきた言葉だから。

 病に伏すまでの彼女は人気者だった。容姿が整った活発な少女の本懐結愛。

 男女共から憧れる存在で、好きな女子ランキングでは毎回1位を独占していた。

 でも、彼女の人生は急遽として方向転換してしまったのである。

 

 中学生に上がる前の春休みに。

 あの日以来、彼女は闘病生活を続けている。

 昔仲良かった人たちは年月が経つにつれて、全員離れていった。

 残ったのは、幼馴染みの俺——時縄勇太だけなのである。

 

「もしかしてさ、その女に恋してるんじゃないの?」

 

 人間というのは、醜い生き物である。

 一度疑い始めたら、それが事実ではないかと思ってしまう。

 その例に漏れず、俺の彼女は嫌悪感を丸出しにし、瞳を鋭くさせて。

 

「あたしよりもその子のほうが好きになった?」

 

 そんなはずはないと否定しても、一度開いた心の距離は戻らない。

 大切な人からの言葉さえも信じることができず、彼女は立て続けに言う。

 

「あたしよりもその子が大切なんだ」「そうだよね。だって、あたしは何の取り柄もないもん」「全然可愛くないし、それに勇太に何もしてあげることもできないし」「その癖に横暴な態度だけは取って、自分から八つ当たりばったりして気持ち悪いよね」

 

——あたしなんて、生まれてこなければよかったんだ。この世界に生まれてこなければ。

 

 散々喚き散らかしたあと、本懐結愛は自分の生を否定する言葉を発した。

 月明かりに反射した彼女の頬には薄らと涙が伝い、彼女の白い腕に落ちていく。

 拭えばいいものを、彼女は動かずにじっと黙って俯いたままなのである。

 そんな塞ぎ込みな彼女の元へと寄り、俺はゆっくりと抱きしめる。

 

「結愛は生きてていいんだよ。生まれてきてよかったんだよ」

 

 世界で一番愛すべき存在なのに、泣かせてしまった。

 その罪悪感が心を蝕んでくる。だから、俺は謝罪の言葉をいうしかない。

 彼女は電池が切れたオモチャのように、何の返事も出さない。

 

「結愛は悪くないよ。悪いのは全部病気のせいだよ」

 

 俺はそう呟きながら、優しく愛する彼女の頭を撫でる。

 そうすることでほんの少しだけ、本懐結愛は落ち着きを取り戻したらしい。

 俺をギュッと抱きしめたまま、耳元で愛を囁いてくれるのだ。

 

「生きてていいと言ってくれるのは勇太だけだよ」「勇太だけが、あたしを救える」「勇太が好き、勇太が大好き」「勇太はあたしの救世主」「勇太はあたしの彼氏」「勇太は——」

 

 普段は愛情を示さない彼女が、偶に溢してくれる変わらぬ愛情。それが堪らなく嬉しくて、俺は彼女をもっと力強く抱きしめてしまう。それに従うままに、結愛も力強く抱きしめ返してくれるのである。

 ただ、彼女と肌を寄り添い合うだけで、幸福感が漲ってくる。俺は、この世で一番の幸せ者なのだと改めて痛感する。

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