忘れちゃいなよ、初恋なんて   作:平日黒髪

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第6話『時縄勇太は悪女の乙女心には気付けない①』

 結愛を抱きしめてから、どれくらい経っただろうか。

 体感時間では数時間に及んでいた気がしてしまう。

 涙を溢して縋ってきた結愛は、遂に俺を解放してくれた。

 充血した赤い瞳を向けて、青白い肌を持つ彼女はいう。

 

「ごめん。さっきのは全部ウソだから」

 

 ウソのはずがない。彼女の本心だったに違いない。

 それでも、俺はそのホラ話を信じることにした。

 だって、俺は本懐結愛の彼氏なのだから。

 

「あぁ、分かってるよ。ちょっと言いすぎただけだよな」

 

 彼氏が理解してくれた。

 それだけでも、結愛は嬉しかったようだ。

 ほんのりと薄い笑みを漏らしてくれる。

 でも、反省点が見つかったらしく、結愛は言う。

 

「あたし、ちょっと気持ち悪かったよね」

 

 ちょっとの範囲ではなかった。本音を漏らせば、非常に気持ち悪かった。

 本懐結愛の人間らしさ溢れる悪意が見えてしまったのだから。

 昔から彼女はそうだ。俺が彼女以外の誰かと仲良くすることを許してくれないのだ。

 俺的には、その部分さえも彼女の可愛さだと思っているのだが。

 

「重たいことばっかり言ってたよね。ごめんなさい、勇太」

 

 身勝手な発言をして、愛する彼氏を困らせてしまった。

 結愛の心にも、そんな感情があったのかもしれない。

 

「悪気はなかったの。ただ、勇太が心配なだけで」

 

 あぁ、分かってる。言わなくても。

 結愛は俺が心配だったってことは。

 彼女は俺のことを思って、発言してくれたことぐらい。

 

「だからさ、さっきのことは全部忘れて。お願いだから」

 

 大好きな彼女からのお願いならば、俺はどんな要求でも呑む。

 俺がコクリと頷くと、結愛は口元を薄く伸ばして微笑んだ。

 それから、彼女は白い腕をこちらへと伸ばしてきた。

 少し力を入れただけで簡単に折れてしまいそうな細い手を俺の頭にちょこんと乗せてくる。指先が頭の頂点をクルクルと回る。不思議な感覚である。

 それから本懐結愛は、指先から手のひらへと変え、俺の頭を撫でてくれるのであった。

 ありがとう、ありがとうと。それはもう壊れたラジオのように何度でも。

 

「ねぇ、勇太」

 

 頭を撫でるのを止め、結愛はそう切り出した。

 

「実はね、外出許可が降りるかもしれないんだ……」

 

 本懐結愛が抱える病は、重たいときと軽いときの差が激しい。

 最近は、症状が軽く、日常生活を送る上では全く問題ないようだ。

 

「だからさ、今度空いている日にデートに行かない?」

 

 彼女からデートに誘われて、断るバカはどこにもいない。

 可愛い彼女と一緒に居れるだけで幸せ者になれるのだから。

 だから、俺は「うん。行こう」と力強く答える。

 

「あぁ〜よかった。勇太が喜んでくれて」

 

 デートを断れてしまったら、どうしようか。

 そんな不安が結愛にもあったらしく、ほっと肩を撫で下ろしている。

 わざわざ余計な心配はする必要がないのに。

 俺の人生は、結愛優先なのだ。自分のことよりも、第一は結愛だ。

 

「最近の勇太を見てたらさ、心配だったんだもん」

 

 結愛は続けて。

 

「もしかして、あたしのこと嫌いになっちゃったかなと思ってさ」

 

 嫌いになるはずがない。

 俺が本懐結愛を嫌いになる?

 そんな未来がこの先起きるはずがない。

 

「ちょっと疲れてただけだよ。最近、面倒なことが多くてな」

「なら、その疲れを癒してあげる。あたしが」

 

 俺と結愛は計画を立てた。

 今週の週末は、お互いに忙しかった。

 なので、来週の週末にデートへ行くことが決定した。

 結愛専用のカレンダー。普段はお薬を飲む日、リハビリに行く日などの日程しか載っていない。だが、来週の週末だけは、「デート」という項目が増えている。

 

 頬を緩また結愛は確定済みのカレンダーを見ながら。

 

「楽しみにしててね、今度の週末は」

 

 デートに行く。

 たったその予定が入っただけなのに、微笑む愛しの彼女。

 俺は彼女を悲しませないために、もっと勉強を頑張ろう。

 そう改めて、心に決めるのであった。

 

◇◆◇◆◇◆

 

 愛する彼女に別れを告げ、自宅へと帰るまでの道のり。

 今までは涙を忍んで自転車を漕ぐだけだったのだが、最近では新たな楽しみができてしまった。彩心真優が教えてくれた自販でしか購入できない飲み物があるのだ。

 最寄りのスーパーや自販機で購入してやろうと企んでみたのだが、これまたどこにも売られていないのである。やけになって、オンラインショップで箱買いしようかと思ったものの、そこまでして買う気はない。とにかく、俺が知っているのは、あそこにしかないので、あの自販機へと向かったわけなのだが。

 

「どうしてキミがこんなところに……?」

 

 先客が居た。

 嫌悪感丸出しで、俺を見てくる。

 ここはお前の来るべき場所じゃない。さっさと帰れ。

 そんな瞳を浮かべて、露骨な態度を示してくる。

 

「クラフトコーラを買いに来ただけだよ」

 

 俺がそういうと、彩心真優は笑った。

 それからイタズラ好きな悪ガキみたいな表情で。

 

「ハマっちゃったんだ。その味に」

 

 自分がオススメした商品が、相手の心にぶっ刺さった。

 それが心底嬉しいのだろう。少しマニアックなものだと、その嬉しさは跳ね上がる。

 

「……悪いかよ、別にいいだろ」

 

 煽られた俺が反論を返すのだが、彩心真優は聞く耳を持たない。

 コーラの魔力に導かれるように腰を屈めて、自販機から出てきた品を手に取る。

 彼女は満足気に微笑みながら。

 

「キミさ、やっぱりストーカーの才能があるよ。私が認める!」

「勝手に変な才能を認めるな!! 偶然だよ、偶然」

「偶然にしては出来過ぎだよ。毎回毎回、私の元に現れるなんて」

「最近はクラフトコーラにハマってて、ここに通ってたんだ。ただそれだけだよ」

「私に会うために、そ〜いう口実を作ってたんだぁ〜。へぇ〜」

「お前とは予備校でほぼ毎日のように会ってるだろ? ここで会う必要はねぇーだろ」

 

 彩心真優は女王様気質があるのか、俺を毎回からかってくる。

 俺みたいな地味な男をからかって何が楽しいのか、さっぱり分からない。

 それでも彼女は余程楽しいらしく、日頃からちょっかいばかりしてくるのだ。

 

「んじゃあ。俺はもう帰るからな」

 

 クラフトコーラを手に入れた。残るは自宅へ帰るのみ。

 そう思い、俺はからかい上手な彩心真優に別れを告げたのだが——。

 

 

「ま、待ちなさいよ。ちょっとぐらい付き合いなさいよ」

「生憎だが、俺には勉強があるんだよ」

「こんな夜に、女の子を一人残して帰っちゃうんだ」

「俺は彼女一筋なんで。んじゃあ、そういうことで——」

 

 少しでも早く本懐結愛を救わなければならないのだ。

 その為には、俺は医学部に入らなければならない。

 現在の状況では、まだ入れる可能性は極めて低いのだ。

 だから、俺は家に帰って勉強に励まなければならないのに。

 

「……お願い。ちょっとだけでいいから……話を聞いてくれない?」

 

 彩心真優は俺の腕を掴み、上目遣いでそう訊ねてきた。

 物事は何でもハッキリ言うタイプなのに。

 今だけは一段と塩らしく、変な気分になってしまう。

 もしかしたら、彼女の身に何かあったのかもしれない。

 

「分かったよ。ちょっとだけだぞ、ちょっとだけ」

 

 俺はそう切り出し、彩心真優の話を聞くことにした。

 と言っても、勉強に支障が出るほど長居するつもりは全くないが。

 

◇◆◇◆◇◆

 

 以前一度だけ訪れたことがある彩心真優の秘密基地。

 もうそこへ行くとは思ってなかった。だが、また来るとは……。

 

「で、人様を呼び止めてまでする話ってのは?」

 

 以前と全く同じく、俺たちは段差に座った。

 そこでクラフトコーラを飲みながら、談笑を交える。

 

「私のおばあちゃんの話なんだけどさ」

「ん? 何だよ」

「もうそんなに長くないって言われちゃったの」

 

 彩心真優の話を聞く前は、適当に聞けばいい。

 そんなつもりだった。でも、今回ばかりは真面目であった。

 俺は背筋をピシッとしながら、話を聞くことにした。

 

「おばあちゃんが長くないのは分かってたの。自分でもさ」

 

 それでも、と苦虫を潰すような口調で。

 

「今日改めて医者に言われて……何かモヤモヤが止まらなくてさ」

「もしかして……身近な人が亡くなるのは初めてか?」

 

 俺の問いに対して、彩心真優は首をコクリと頷かせる。

 

「物心付いてからは初めて。おじいちゃんが亡くなったのは、小学校上がる前だったし。私はどちらかと言ったら、おばあちゃんっ子だったからさ……その変な感じがして」

 

 彩心真優は身近な人が死ぬという奇妙な経験をしたことがなかったのだ。

 

「私、もっとおばあちゃんのために何かできたんじゃないかなってさ」

 

 今にも消えてしまいそうなほどな声で、彩心真優は呟いた。

 

「私ね、実家が嫌になって……高校からはおばあちゃんと一緒に暮らしてたんだ」

 

 他人の自分語りなんて、俺は殆ど興味はない。

 だが、彩心真優がどんな人生を歩んできたのか。

 それは大変気になった。だって、コイツは自分のこと殆ど語らないし。

 

「私が弁当は要らないと言っても、おばあちゃんは毎日弁当を作ってくれてた」

 

 高校時代を振り返っているのか、彩心真優は微かに口元を緩める。

 それから、「正直ね」と呟くと。

 

「おばあちゃんが作る弁当は古風な感じでさ。煮物や豆料理が沢山入ってた。もうね、それが私は嫌だった。苦手だった。やっぱりさ、唐揚げとかハンバーグとか茶色系統のおかずが美味しいじゃない? それなのにおばあちゃんはそんなおかずは殆ど入れてくれなくてさ……鶏そぼろとかぼちゃの煮物、黒豆の甘辛煮、ほうれん草のおひたし——」

 

 次から次へと出てくる彼女の祖母が作ってくれたおかずの数々。

 それを聞くだけで、俺は彼女が愛されて育ったんだと分かった。

 

「でもさ、もう食べられないんだよなと思って……あの料理がさ。あんまり美味しくないと思っていたおばあちゃんの料理がさ。もう二度と食べられなくなるんだと思ったら」

 

 限界だったのか、彩心真優は涙を溢れ出してしまう。

 誰にも言わず、一人で悶々と抱えていたのだろう。

 誰かに打ち明けたい。

 そう思っても、彩心真優は弱いところを見せられる相手がいなかったのだろう。

 だからこそ——。

 今、こうして俺という絶好の相手を見つけて、心境を吐露しているのだ。

 

「別にお前は悪くないだろ。人は、誰だって平等に死ぬぞ」

「……そうかな? 私は何もできなかったんだよ。おばあちゃんに」

 

 俺の言葉を拒絶して、彩心真優は強い口調で言い返してくる。

 

「おばあちゃんはさ、私の前ではずっとニコニコ笑顔を浮かべてた。ずっと大丈夫だって、胸を張ってた。でも、私に心配をかけないように黙ってたんだよ。今までずっと」

 

 祖母の容態が悪い。

 そう知ったのは、偶然だったという。

 先日、彩心真優が祖母の病室を訊ねたときに、彼女の両親と喋っていたのだと。

 もう自分の寿命は短いのだと。もう余命宣告された日をとっくの昔に過ぎていると。

 

「おばあちゃんにもっと私を頼ってほしかった!! それなのに、まだ私は子供で、未熟で、だからおばあちゃんは私に何も言わずに……この世を去ろうとしてた!! もう今では意識も朦朧としてて……今日か明日が峠だろうと言われちゃって……」

 

 彩心真優は、祖母のために何かしたかったのだろう。

 何か、祖母のためにしてあげたかったのだろう。

 でも、何もできることがなくて、彼女は悔やんでいるのだ。

 

「それでももう全てが手遅れで。私には何にもできなくてさ……」

 

 人生に絶望したかのように顔を落とした彩心真優。

 普段はゲラゲラと笑い、俺をからかってくる奴だ。

 だが、今日だけは一段と塩らしくしやがって……。

 

「よしっ。なら、今から行くぞ!!」

 

 今から勉強しなければならないってのに。

 俺はどれだけお人好しなのだろうか??

 人様の事情に口を挟むなんて、面倒なだけなのに。

 

「ちょ、ちょっと待ってよ。行くってどこに?」

 

 戸惑いの表情を浮かべて、彩心真優は訊ねてくる。

 全く事情を理解していないコイツに、俺は教えてやることにした。

 

「決まってんだろ。お前のばあちゃんに会いにだよ」

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