忘れちゃいなよ、初恋なんて   作:平日黒髪

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第62話『時縄勇太は最愛の彼女に依存している③』

「勇太、黙ってるけど……どうしてなのかな?」

「違うんだ、結愛。これには深い事情があってだな」

「深い事情? どうせ、あたしに飽きたからでしょ?」

「飽きたって……んなわけないだろ。俺は結愛が好きだよ!」

 

 迫る結愛に対して、言い訳を繰り返す俺。

 近くの生徒たちは「修羅場だ」と判断したのか、興味津々な視線を送ってくる。

 しかも、俺に悪意を持つ生徒たちが多いのが厄介だ。彼らは、危機的な状況に陥った俺が破滅するのを楽しみにしているようだ。

 

「あれれ~? 彩心真優の彼氏じゃなかったけ~?」

「そうそう。どこからどう見ても彩心真優の彼氏だよなぁ~」

「毎日昼休みに、大広間教室でラブラブしてるの見たけどね~」

「あぁ~。俺も見たことある。彩心様の手作り弁当、食べてたよなぁ」

「それなのに、他にも可愛い女の子を独占してるって? うわぁ~」

 

 次々と俺の予備校生活を暴露していく連中。

 正直、それが全て嘘じゃないから余計にタチが悪い。

 

「へぇ~。勇太と真優ちゃんは付き合ってたんだ……へぇ~、へぇ~」

「頼む、結愛。信じてくれ。これには深い事情が――」

「付き合っていることは否定しないんだ。してくれないんだ……へぇ~」

「……いや、それはだな。複雑な事情が絡みに絡み合って……」

 

 必死に弁明を続けるものの、結愛の機嫌は悪くなる一方だ。

 俺に追い打ちをかけるように、野次を飛ばす連中へと敵意の眼差しを向けると――。

 

「ザマァ、くたばれ浮気男」

「お前の寿命はここで終わるんだよ」

「二股する奴が悪いんだ」

「不埒な男は消えるべきだ。当然の報いだな」

 

 奴らは笑顔で罵倒を繰り出してくる。

 あぁ、そうさ。浪人生という生き物に余裕なんてないんだよな。

 恋愛にかまけてる奴らは憎悪の対象にされる。俺だって半年前までは、そちら側の人間だったじゃないか。

 

「そうだよね……あたしよりも真優ちゃんのほうがいいよね。あたしって全然取り柄なんてないし。この世界にいないほうがいいもんね……」

「おい、結愛! そんなこと言うな!」

「あたしと真優ちゃんだったら、真優ちゃんを選ぶよね……真優ちゃん、可愛いもんね……」

 

 結愛の頬を伝う涙が落ちていく。

 女性の涙は最大の武器だと聞いたことがある。

 そんな彼女の後方に立っていた冴えない男子たちが、ついに動き出した。

 

「結愛様!! 俺は結愛様を選びますよ!」

「いや、この私が! 結愛様を守ります!」

「何を言ってるんだ! 結愛様は俺が守るんだ!」

 

 ……何なんだ、こいつらは?

 結愛を救えるのは俺だけに決まってるだろ。

 ポッと出の分際で、よくもそんなことを……!

 結愛のことを何も知らないくせに。結愛の苦しみを何も知らない上部だけの性欲に駆られたクズ共のくせに。

 

「今までありがとうね、勇太。もう別れよっか、あたしたち」

 

 別れる? はぁ? どうして? どうしてだよ?

 結愛は俺のものなのに。俺は結愛を愛しているのに。

 何を言ってるんだ。意味がさっぱりわからない。

 

「別れる……? いや、何を言い出すんだよ!」

「あたしに隠れて、真優ちゃんと付き合ってたんでしょ?」

「そ、それは……」

 

 言い淀んでしまう。

 否定すれば、問題解決は早く済むだろう。

 俺がこの世で一番愛しているのは、本懐結愛だけだ。

 彩心真優との関係はただの遊びで、本命は結愛だけなんだ。

 そう伝えてしまうのが手っ取り早い。

 だが他の生徒たちの前では、そんなクズ発言をすれば、俺の予備校生活は地獄になる。

 

「ほら、やっぱり……あたしより真優ちゃんのほうが大切なんでしょ?」

「違うよ……違う、全然違う。俺は結愛が……結愛のことが……」

 

 俺の姿を滑稽だと言わんばかりに、野次馬たちはニヤニヤと笑みを浮かべている。

 俺を見せ物にして楽しむ邪魔者どもが、消えてくれたらいいのに。

 

「……あたし、もう勇太のこと信じられないよ」

 

 困惑気味な表情から漏れる小さな声。それは紛れもない本音だった。

 

「勇太は嘘ばっかり。勇太はいつもあたしを騙してる」

「騙してるわけじゃない!」

「騙してたじゃない!! あたしに隠れて、他の女と付き合ってたじゃない!」

 

 言い返せない。

 結愛の言葉が正しいからだ。彼女の主張は真っ当で、俺に反論の余地なんてない。

 ただ、俺が二人の女性を愛してしまった――それが罪だ。

 

「時縄くん、今までありがとう。必死に私の秘密を守ってくれて」

 

 不意に背後から聞こえた声に、周囲がざわめいた。

 その場に立ち尽くしていた彩心真優が前に出てきたのだ。

 彼女は静かに俺の肩に手を置く。その仕草には「ここは私に任せて」という強い意志が込められていた。

 

「でも、もう大丈夫。これは全部私の問題なんだから」

 

 俺の代わりに矢面に立った彩心真優。彼女はそのまま結愛に向き直り、深々と頭を下げた。

 

「結愛さん、ごめんなさい。時縄くんは、私が勝手に巻き込んだの!」

 

 その言葉に、結愛だけでなく周囲も一瞬息を呑む。

 

「どういうこと……?」

 

 結愛が眉をひそめながら問い返す。真優は一度深呼吸してから、炭酸飲料よりも爽やかな声で続けた。

 

「私ね、男子から毎日のように告白されてて困ってたの。それで、時縄くんに頼んだの。偽の彼氏になってほしいって」

「偽の……彼氏?」

「そう。時縄くんが彼氏だって噂になれば、周りの男子たちが諦めるかなって思ったの。それだけの関係だよ」

 

 結愛の目が俺と真優を交互に見つめる。未だに完全には納得していないようだ。

 

「でも……どうして勇太だったの? 他にも頼める人はいたんじゃない?」

 

 真っ当な意見だ。

 予備校内には、俺よりも優れた男や理解力がある男も沢山いるはずだ。

 それなのに、どうして俺を選んだのか。それは吟味して答えなければならない。

 さて、どうするんだ、彩心真優。お前はどうやってこの状況を切り返す?

 

「時縄くんが結愛さんと付き合ってるって知ってたから」

「え……?」

「私の祖母が入院している病院で、時縄くんと偶然出会ったのよ。そこで結愛さんの話を聞いたの」

「ふぅ〜ん。それで?」

 

 結愛はまだ半信半疑のままに、美しい黒髪を持つ少女の言葉を待つ。

 

「結愛さんの彼氏なら、私と噂になってもお互いに本気になることはないと思ったの。それなら、安全に偽彼氏を続けられるでしょ?」

 

 結愛の顔が曇り、視線が揺れる。

 まだ何か引っかかるところがあるのだろう。

 いくら理屈で言われても納得できないことは誰にでもある。

 

「時縄くんには本当に迷惑をかけたと思ってる。勉強を教える代わりに頼んだんだけど、彼には心底感謝してるよ。偽彼氏を演じてくれたおかげで、男子たちも告白してこなくなったから」

 

「勉強を……?」

 

 結愛が目を細め、再び俺を見つめる。俺は真優の言葉に合わせるように頷いた。

 

「そうだ。当時の俺は成績が伸び悩んでた。だから、真優に勉強を教えてもらったんだ」

 

 俺がそう口にすると、結愛の瞳が大きく見開いた。

 それはまるで、格闘家が相手の急所を見つけたかのように。

 結愛が「ふっ」と軽く口元を緩ませ、何かを言いかけたそのとき——。

 

「彩心様がフリーだって!? マジかよ!!」

「俺にもまだチャンスがあるってことだよな!!」

「いやいや、彩心様と付き合えるのは俺だろ!!」

 

 周囲の男子たちが勝手に盛り上がり始めた。

 

「おいおい!! これはどんな騒ぎだよ!!」

「実はだな、彩心様がフリーって話だよ!! あの男に汚されていなかったんだ!」

「マジかよ!! それ!! これは他の男たちに知らせねぇーと!!」

 

 周囲の騒ぎがさらに大きくなる中、結愛の視線はただ真優を見つめていた。

 その目には、表面上の穏やかさを装いながらも、鋭い光が宿っている。

 

「そっか……真優ちゃんと勇太の関係って、ただの偽彼氏だったんだね」

「そうだよ!」

 

 真優が間髪入れずに答える。まるで、何かを振り払うかのように。

 

「本当にそれだけ? それ以外は何もないの?」

「もちろん。時縄くんと私はあくまで、お互いを利用しあっただけの関係」

 

 結愛の微笑みが一層強くなる。その笑顔はどこか張り詰めた糸のようで、俺の胸に不安がよぎった。

 

「そっか。良かった……本当にそうなら安心したよ」

 

 結愛はそう言うと、小さく笑いながら俺の腕に手を添えてきた。

 まるで「これで終わりだね」とでも言いたげに。

 

「勇太、もう一度だけ信じるから。もうこんなことがないようにしてね」

 

 誤解が解けたようだ。

 いや、違うな。

 俺と彩心真優の間には何もない。

 そう信じ込ませることができたようだ。

 

「あ、ああ……ごめんな。こんな面倒なことに巻き込んで」

 

 そう返しながらも、俺は背中に嫌な汗を感じていた。

 結愛の言葉は優しく、表面上はすべてを受け入れたように見える。

 だが、その裏で彼女が何を考えているのか――。

 

 それがどうしても読み取れない。

 

「勇太も真優ちゃんも、勉強がんばってね!!」

 

 結愛が手を振る。

 その仕草だけでも、他の男子たちがうっとりとした表情を浮かべている。

 リップサービス多めな彼女は、周りの男子たちにも天使の笑みを浮かべ、手を振っている。それだけで、何人かの男子たちは儚い恋心を抱いたようで、今にも失神しそうになっている。

 

 だが、忘れてはならない。

 彼女を守れるのは、俺——時縄勇太だけだ。

 

「いっぱい作ったから、真優ちゃんも食べていいからね〜!」

 

 その言葉を受け、真優も「ありがとう」と感謝の言葉を送るのであった。

 

◇◆◇◆◇◆

 

 大広間教室へと戻った後、俺と真優は結愛が作った弁当を食べることにした。

 愛する彼女が作ったものを、他の女と一緒に食べるのは如何なものか。

 そういう意見が出てくるのも承知の上だが、本人が「食べていい」と言ったのだ。

 それにしても、彩心真優は遠慮を知らない女の子である。

 俺が貰った弁当を次から次へとパクパクと胃袋へと収めていくのだ。

 視線を感じ取ったのか、彼女は進む箸を止め、小首を傾げてきた。

 

「ねえ、勇太くん」

「なんだよ?」

「……結愛さん、本当に大丈夫だと思う?」

「大丈夫だと思うってのは?」

「上手く騙せたかなって話」

 

 結愛お手製の甘い卵焼きを口の中に放り入れ、彩心真優はいう。

 

「もしも私たちの秘密の関係がバレたら大変でしょ?」

 

 最愛の彼女を騙す。

 最低最悪な行為をしているのは承知の上。

 だが、その道を選んだのは俺自身だ。

 

「私が機転を利かせなかったら、勇太くんは終わりだったね」

「二股男として、俺は男女共に嫌われるクズ男になっていただろうな」

 

 だが、現時点では悪い噂は流れていない。

 可愛い女二人を独占しているムカつく男だとは認識されているかもしれないが。

 二股や浮気などの悪いイメージは付いていない。これは朗報だろう。

 

「お前の演技が達者なおかげで、糸一本繋がった。本当にありがとうな」

「どういたしまして。それなら、今日の夜はラーメンおごりね」

 

 ラーメンの一杯や二杯ぐらいなら安いものだ。

 二番目の彼女を楽しませるためには。

 

「でも、これでまた面倒なことになっちゃうかもね」

「何が?」

「私を他の男子たちと取り合う覚悟はあるの? 勇太くん」

 

 俺と彩心真優の関係は、偽の恋人同士だった。

 それが周りの奴等に暴露した手前、これから先——。

 彩心真優という美しい少女の心を奪おうと企む男子たちが集まってくるだろう。

 もしもそうなったとき、果たして俺は本当に彩心真優の心を独占することができるのか。

 

「自分で言うのもなんだけど、私ってかなりモテるよ」

 

 そう耳元で囁き、彩心真優は俺の心に釘を刺すように。

 

「他の男に取られないように、私のこといっぱい愛してくれないとダメだよ」

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

【本懐結愛視点】

 

「勇太はあたしだけを見てくれている」

 

 最愛の彼氏と別れた後、本懐結愛は川沿いの道を歩いていた。水面は空と同じ赤色に染まっていた。堤防の上へと乗り、そこを大股で片足ずつゆっくりと歩いていく。

 

「勇太と真優ちゃんの間には何もない。心優しい勇太が真優ちゃんを助けただけ……」

 

 日頃から運動不足気味な結愛の身体は右へ左へと揺れ動く。今にも川へ落ちてしまいそうだ。

 けれど、本人は危険だという意識はない。

 現在も無邪気な笑みを浮かべ、鼻歌混じりなのだから。

 ところが、突然——。

 

「ふふっ……ふふふふっ……」

 

 結愛は壊れたかのように声を漏らした。

 その後、足を止めた彼女は空に向かって。

 

「いつから真優って名前で呼ぶようになったのかなぁ?」

 

 本懐結愛には疑問が残っていた。

 本日、最愛の彼氏が彩心真優の名前を呼んだことだ。

 夏休みの旅行中では、最愛の彼氏は彼女のことを「彩心さん」と呼んでいた。

 それなのに、今日会ったとき、間違いなく、彼は「真優」と呼び捨てにしたのだ。

 

「ねぇ、それってさ、本当は二人がタダならぬ関係だからなんでしょ?」

 

 八月二十五日——地元最大の夏祭りが開催された日。

 最愛の彼氏は彩心真優と共に夏祭りを過ごしていたのだ。

 

(あたしの誕生日だったのに!! あたしの誕生日に、他の女と一緒に居たんだよ?)

 

 それに——。

 

(あたしは見てしまったのだ。あの日、二人が仲睦まじそうに病院の坂を下る姿を……)

 

 最初は、最愛の彼氏の言葉を信じてあげようと思った。

 だが、バカらしく思う。ふざけるなと思う。

 甘く見るなと。舐めるなと。

 

「あんな嘘で騙せるほど、あたしは簡単《バカ》な女じゃないんだよ?」

 

 本懐結愛は分からない。

 胸の内側から込み上げてくる感情のやり場をどこに向ければいいのか。

 最愛の彼氏が自分に嘘を吐いた。

 更には「友達だよ」と約束した女が——泥棒猫になっていたなんて。

 頭の中では愛する彼を糾弾する想いが溢れてくるのに——。

 

「どうしてだろうね……怒ってるのに涙が出てくるなんて」

 

 目頭が熱い。

 頬を伝う水滴が風に流され、川へと落ちていく。

 靡く髪を抑えることもなく、最愛の彼氏を一途に想う少女は涙を拭う。

 それから真っ赤な空を眺め、先程の涙が全て嘘だったかのように。

 

「でも、バカで間抜けなフリをしてあげる」

 

 本懐結愛は無邪気な笑みを浮かべた。

 

「だって、勇太が思い描く理想の本懐結愛ちゃんは――」

 

 最愛の彼氏に嫌われたくない。

 最愛の彼氏から一番に愛されたい。

 最愛の彼氏をこの世で一番愛する少女は続けた。

 

「――どんなに嘘を吐かれても、どんなに騙されても、どんなに愛されなくても、どんなに嫌われても、最愛の彼氏が吐いた嘘を全て信じちゃうし、最愛の彼氏を永遠に想い続けちゃうのだ、えへへへへへへ」

 

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