忘れちゃいなよ、初恋なんて   作:平日黒髪

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第63話『時縄勇太は最愛の彼女に依存している④』

 時刻は午後七時。

 予備校に残る生徒は数十人になった頃合い。

 普段の俺は最終下校時刻の午後九時まで残るのだが——。

 

「勇太くん、準備はできた?」

「待て待て。数学の問題が解き終わるまではまだ帰れん!」

「もうお腹空いた、お腹空いた、お腹空いた!」

「だぁ〜。わかった、わかったよ。行くよ、行けばいいんだろ?」

 

 最寄りのラーメン屋に行くために、一足早めに帰ることにしたのだ

 俺はもう少し長居したい気持ちもあったが……。

 彩心真優に駄々を捏ねられても困るだけだ。

 そう思い、渋々彼女の言い分を聞くことにしたのだ。

 

「これってさ、デートになるのかな?」

 

 予備校の階段を降りる途中、彩心真優はそう呟いてきた。

 省エネの時代と囁かれる昨今。

 階段は薄暗い照明が僅かに点くのみ。

 俺よりも少し前を歩く彼女の顔を拝むことはできない。

 

「一緒にラーメンを食べに行くだけだろ?」

「でも、男女で行くんだよ。それは歴としたデートでしょ!」

「俺は美味いラーメンが食べることができるなら、それでいいよ」

「…………勇太くんってさ、感情が薄いよね。ていうか、心が冷たい」

「感情が薄いはまだ許す。だが、心が冷たいは少し大袈裟じゃないか?」

「自覚なしだから余計にタチが悪いんだよね……」

 

 スゥーと息を吸い込んだのち、彩心真優はいう。

 

「今回が、私たちが付き合って初めてのデートになるんだよ?」

「へぇ〜。そういえば……そうだな。うん、今まで気がつかなかったけど」

「何も思わないわけ? その……今からデートに行くっていうのに」

「初めてのデートがラーメン屋でいいのかと疑問に思うぐらいだな」

「庶民派でいいじゃない! ていうか、今日はラーメンって気分なの!」

「でも、逆に新鮮でいいなと思ってる。結愛とは絶対一緒に行かないから」

 

 彩心真優の表情が「どういう意味?」と訴えてきた。

 

「ラーメン屋ってさ、ゆっくり食べられないだろ?」

「次から次へと客が足を運ばせるからね。少しでも早く食べないとって思うよね」

「だからだよ」

 

 俺はそう言い切り、続けて。

 

「結愛には苦しい思いをさせたくないからな」

 

 楽しいデートなのに。

 早く食べなきゃと彼女に思わせたら……台無しになっちまう。

 

「だけどさ、それって勇太くんが苦しいんじゃないの?」

「苦しい? どうしてだよ?」

「結愛さんがそばにいたら、一生ラーメン屋に行けないじゃん」

「別に一人で行くからいいよ。それに客足が少ない時間帯に行けばいい。そうすれば、結愛も気兼ねなく食べることができると思うし」

「面倒だね、それって。結愛さんの都合に合わせるのってさ」

「それだけ愛してるってことだよ」

 

 下駄箱に辿り着き、俺たちは靴へと履き替える。

 扉の外は暗く、冷たい風が吹いていた。

 

「こっちだよ。今日は人が多いかなぁ〜?」

 

 彩心真優イチ押しのラーメン屋へと向かう。

 予備校の明かりが遠ざかり、夜の静けさが俺たちを包む。

 

「手を握ってもいいか?」

「わざわざ聞かなくていいんだよ、こ〜いうときは」

「聞かなかったら聞かなかったで、デリカシーがないとかいうじゃん」

「それはそうだけど……それも一つの照れだから」

「俺に手を握られたら嬉しいのか?」

「…………好きな人に触れられるのは誰だって嬉しいでしょ」

 

 顔を真っ赤にして、モゴモゴ喋る彩心真優。

 俺は彼女の笑顔がもっと見たかった。

 その強い欲望に促され、俺の手は彩心真優の手へと触れ——。

 

「勇太〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?!?」

 

 夜の静けさを切り裂くような大きな声と共にチカチカと目障りな光が動く。

 その声の主はコンビニの前に立っていた。

 白い光を浴びた茶色髪の少女だった。

 懐中電灯を持っており、それを振り回していたのだ。

 

「結愛……?」

 

 突然現れた最愛の彼女に、俺は二番目の彼女へと伸びていた手を止める。

 俺がこの世で一番愛する本懐結愛がゆったりと近づいてくる。

 歩くたびにアスファルトを擦る音が響く。

 

「勇太のお迎えに来たよ、今から一緒に帰ろっか」

 

 最愛の彼女が現れ、俺は言葉を失ってしまう。

 全国模試常連の彩心真優も、この事態を想定していなかったようだ。

 表情を強張らせ、口元をぐにゃりと曲げて笑っているのだから。

 とりあえずここは俺が冷静な対応で誤魔化すしか——。

 

「偶然だね、こんなところで真優ちゃんに出会うなんて」

「ええと……そ、そうだね。偶然だね」

「どうしているのかな?」

「今から時縄くんと一緒にラーメン屋にでも行こうかと話し合ってたんだよ」

「そ〜いう意味じゃなくて、どうして勇太の隣にいるのかって話だよ」

「それは時縄くんと一緒にラーメン屋に」

 

 結愛が手に持つ懐中電灯。

 それがチカチカと点滅する。

 スイッチのオンオフと繰り返しているのだ。

 

「いやいや、そ〜いうことを言いたいんじゃないんだよ。伝わらないのかな?」

 

 言葉の節々にトゲがある言い方。

 俺がこの世で一番愛する少女は、俺が二番目に愛する少女を睨んだままに。

 

「どんな面して、あたしと勇太の愛を邪魔するつもりなのってことだよ」

 

 腹の底がキュッと締め付けられる。

 自分が責められているわけではないのに。

 俺の前では愛らしいニコニコ笑顔を浮かべる最愛の彼女。

 彼女が、俺以外の人にだけ見せる裏の顔。

 それは——あまりにも冷たく、敵意が丸出しである。

 

「勇太と真優ちゃんの間には何もないんだよね?」

 

 本懐結愛は彩心真優へと詰め寄っていく。

 身体と身体がぶつかる位置まで近寄る。

 その後、本懐結愛は前方に顔だけを突き出したままに。

 

「そうだよね? ねぇ返事ぐらいしてよ。寂しいじゃん、お友達でしょ?」

 

 お友達。

 本人はそう言うけれど、本当のお友達に見せる顔では決してない。

 

「……そ、そうだけど」

 

 結愛の勢いに負け、彩心真優は言葉を濁した。

 ただ、劣勢になったら最後。

 本懐結愛は彼女の言葉を丸呑みし、更に畳み掛けるように。

 

「それならどうしてこんなイジワルするのかな?」

「イジワルをしているつもりは……」

「自覚なしなんだ。なら、教えてあげるよ」

 

 本懐結愛は真ん丸な琥珀色の瞳を輝かせて。

 

「お友達の彼氏を奪うのは、最低な女なんだよ」

 

 空気が悪すぎる。

 男として、ここは俺がどうにかしなければ。

 

「彩心さん、ごめん。俺がラーメン屋に誘ったのにさ」

「ごめん? どうして謝るの? 勇太が」

「いや、俺が無理矢理誘ったんだよ、ラーメン屋にさ。彩心さんを」

「いやいやいや、おかしいでしょ。普通ここは——」

 

 言葉を溜めて、本懐結愛はいう。

 

「先に彼女であるあたしに謝るべきなんじゃないのかな? 他の女の子と一緒にラーメン屋に行こうとしていました、ごめんなさいって」

「悪い。そこまで頭が回っていなかったよ」

「ううん。別にいいよ。勇太がしっかりと反省してくれるなら、それで」

 

 長い沈黙が起きた。

 それから結愛は、俺の腕を握って。

 

「それじゃあ、勇太。帰ろうか」

「帰る? どこに?」

「あたしの家に決まってるでしょ?」

「ん〜? 結愛の家に行くのか? 今から?」

 

 戯けるように言いながら、俺は彩心真優の顔色を伺う。

 ラーメン屋に行こう。

 そう計画していただけに、浮かない表情だ。

 俺の本心としては、彩心真優と一緒にラーメン屋に行きたかった。

 だが、結愛を蔑ろにはできない。

 ここで本懐結愛を選ばず、彩心真優を選んでみろ。

 折角、結愛の機嫌を取れたのに……それでは台無しじゃないか。

 

「ごめんね、真優ちゃん。勇太にはあたしとの約束があるからさ」

「……い、いや別にいいよ。結愛さんと時縄くんの邪魔はできないから」

「そうだよね……邪魔はできないよね。愛し合う二人の邪魔なんて誰も」

 

 あはは、と乾いた笑い声を上げる本懐結愛。

 彼女は自らの腕を俺の腕へと絡めてくる。

 力強く握りしめられ、もう逃げ場はどこにもない。

 

「それじゃあ、また今度ね。真優ちゃん」

 

 別れの言葉を告げ、結愛がスタスタと歩いていく。

 腕を取られている俺も一緒に歩くことになる。

 一人残された彩心真優は優しい笑みを浮かべ、手を振ってきた。

 俺はそんな彼女に片手を上げ、「ごめん」と口の動きだけで返事をした。

 

「ねぇ、勇太」

 

 光が集まる街中から少し外れた夜道へと入った瞬間。

 俺の隣を歩いていた少女の口から、ドスが効いた声が聞こえてきた。

 

「あの子……勇太を見る目が、ただのお友達じゃなかったよ」

 

 俺の顔を覗き込むような形で、結愛が上目遣いで訊ねてきた。

 

「女の目をしてた。あれは完全に勇太に恋しちゃってるよ」

 

 だから、と呟き。

 

「あたしと勇太の愛を邪魔する女には騙されちゃダメだからね」

 

 彼女の言葉に、背筋に冷たいものが走る。

 結愛の声は甘やかで柔らかいのに。

 どこか異様な冷たさを含んでいた。

 まるで、俺と彩心真優の関係をもう既に知っているかのように。

 

◇◆◇◆◇◆

 

「こうして二人で夜道を歩くのも悪くないね」

 

 俺の隣を独占する最愛の彼女はそう囁いてきた。

 俺は彼女の意見に対して——。

 

「あぁ」

 

 ぶっきらぼうに返した。

 可愛い女の子を引き連れて歩くってのは悪くない。

 だがしかし、心の中で俺は他の女のことを思っていた。

 数分前まで俺の隣を楽しそうに歩いていた少女——彩心真優のことを。

 

「どうしたの? 何か体調でも悪い?」

 

 行き来を繰り返す車のヘッドライトで、隣を歩く少女の肌が白く光る。

 彼女は不安気な表情でこちらを見つめている。

 どうやら浮かない顔をしていることを悟られてしまったようだ。

 

「大丈夫だ。何も気にしなくていいよ」

 

 上目遣いで訊ねてくる最愛の彼女を困らせるわけにはいかない。

 そもそも論、本懐結愛と彩心真優のどちらを優先するべきか。

 その答えなど考えなくても、本命の結愛一択だと理解しているのだ。

 

「それならもっと喜んでいいんじゃないの?」

 

 結愛は唇を尖らせて、続きの言葉を吐き捨てる。

 

「世界で一番大好きな彼女と一緒なんだよ……?」

 

 腕は組んだままだが、結愛は顔を他所に背けてしまう。

 

「だったらもっとあたしのことを見てほしい」

 

 ただ、腕を強く握りしめてくる。

 俺に呆れているのか、それとも求めているのか。

 どちらなのか、さっぱり分からない。

 

「あのさ、結愛は俺のことが好きか?」

 

 俺は女々しい男だと思う。

 好きを確認しないと安心できないなんて。

 勿論、結愛から返ってくる言葉は決まっていた。

 

「大好きだよ、勇太のこと。世界で誰よりも、どんな人よりも」

 

 何回聞いても、好きだと言われたら嬉しくなる。

 好きだと言われたら、心が落ち着く。

 本懐結愛だけは俺を愛してくれるから。

 本懐結愛だけは俺を見捨てないでくれるから。

 

「ねぇ、勇太。少しだけ顔を下に向けてくれない?」

 

 結愛に頼まれ、俺は顔を下げる。

 すると、結愛は俺の頭を自らの身体へと引き寄せた。

 結愛の柔らかな胸元の頬を当てる体勢。

 突如の出来事に、頭の中が疑問符だらけになる俺に対して——。

 

「ほら、勇太。聞こえるでしょ? あたしの心臓の音」

 

 心臓の音?

 耳を澄ますと、確かにドクンドクンと波打つ音があった。

 

「これがあたしの好きって証だよ。勇太のことを世界で一番想う人の鼓動」

 

 今もね、と呟きつつ、本懐結愛は母性に満ちた表情を浮かべたままに。

 

「身体のだけで疼きが止まらないんだよ、勇太のことで頭の中も身体の中もいっぱいいっぱいで叫びたかがってるんだよ、心臓が」

 

 鼓動する音を聞きながら、俺は自分が愛されていると痛感する。

 今もなお、その鼓動は留まることを知らず、ずっと鳴り続けているのだ。

 俺は結愛に縋るように抱きつきながら、自分の本心を伝えた。

 

「——結愛、俺も好きだよ」

 

 そう囁くと、この世界で一番好きな本命の彼女は満面の笑みを咲かせた。

 その笑顔が俺だけに向けられている。

 その事実が俺の心を更なる優越感に浸らせるのであった。

 

「結愛の家に行くと言ったけどさ」

「うん」

「両親の迷惑にならないのか?」

 

 単純な疑問だった。

 久々に入院中の娘が外出許可を貰ったのだ。

 一家水入らずの幸せな空間に俺が踏み込んでいいのか。

 そう危惧していたのだが、結愛の口から出てきたのは——。

 

「大丈夫だよ、パパもママも今日はいないから」

 

 その弾んだ声は静寂な夜を包んだ。

 突如として立ち止まる本懐結愛。

 月の光と僅かばかりの街灯だけが頼りの夜道。

 本懐結愛は真っ赤な顔を俺の耳に寄せてきて。

 

「またあたしの知らないこと教えてよ、勇太」

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

【彩心真優視点】

 

「ファミチキと肉まんをください!!」

 

 この世界で一番幸せな恋人たちが立ち去った後——。

 私はコンビニに直行し、ホットスナックを購入した。

 店員は、私の威圧的な態度に脅えるように急いで準備を行う。

 他人に当たるつもりはなかったのだが、迷惑を掛けたようだ。

 そう思い、私は満面の笑みを浮かべるものの、相手は逆に「えへへ」と困り顔を浮かべるのみ。あぁ、本当に私は何をやっているのだ。

 

 ラーメン屋に行く計画は中止だ。

 店外に出た瞬間、ファミチキと肉まんを取り出す。

 袋をベリベリと適当に剥がし、思い切り齧り付いた。

 普段ならば、これが至福の時間になるはずなのに——。

 

「初めてのデートだったのに……」

 

 バカな話だと思われるかもしれないが、私はドキドキしていたのだ。

 彼と付き合って初めてのデートに。

 予備校終わりにラーメン屋に行くことがデートと呼ぶのか。

 それは謎だが、自習時間中もずっと今日の夜のことを考えていたのに。

 それを全て——あの子に奪われてしまったのだ。

 

「やっぱり、本命には勝てないのかな。どんなに頑張っても」

 

 彼があの子か私か、どちらかを好きかなんて一目瞭然だ。

 彼が私よりもあの子を優先するのは当然。

 今まで付き合ってきた時間も違うし、関係も違う。

 それは分かりきっている。それは知っているはずなのに。

 

「負けたくないよ、私……もっと愛されたいよ、あの子よりももっと」

 

 この涙は誰にも見られたくない。

 ましてや、ストレス発散のために、暴飲暴食に走る姿なんて誰にも。

 私はそう思い、わざと暗がりの道へと進んでいく。

 

「でも……私は、彩心真優は都合のイイ女にならなくちゃいけないんだよね」

 

 彼にとって、面倒な女だと思われたらいけないのだ。

 彼にとって、足かせになる女だと思われたくないのだ。

 そのためには今まで通り、軽い女にならなければならない。

 求めすぎたとしても、それは彼を苦しめてしまうだけなのだから。

 

「二番目の彼女って辛いな……。お願い、私を選んでよ、勇太くん」

 

 そうすれば——。

 私は彼を幸せにしてあげられるのに。

 私ならあの子よりも彼をもっと愛してあげられるのに。

 

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