四限目の講義が終了し、チャイムが鳴り響く。
その瞬間、ドタドタドタと慌ただしい音が聞こえてきた。
廊下側の席に座る俺は小窓から顔を覗かせる。
難関特別理系進学クラスの教室に猛者が押し寄せてきていた。
我先にと、男たちは声を荒げて、お互いの身体を押し除けて。
彼等の目的はただ一つ。
「彩心様!」「真優様!」「我が女神――彩心真優様!」
予備校随一の美少女――彩心真優の心を奪うこと。
突如として現れる男共に対し、芸能人顔負けな彼女は長い睫毛をピクリと動かす。目を大きく見開いた。
その機敏な表情の変化でさえ、集まる男たちの口元が緩む中――。
「ふふ」
と、意味深な笑みを浮かべ、話題の中心に立つ美少女は椅子から立ち上がる。
自分の元に来るのではないか。
そんな希望を持つ男たちは鼻を伸ばして、うら若き少女の決断を待つ。
「俺を選んでくれるんだ!!」
「違う!! 俺だよ!! 彩心様が俺に微笑んでくれている!」
しかし、彼女は男性たちの熱いラブコールには耳も傾けず――。
「一緒にお昼食べに行こ。勇太くん」
以前と変わらず、俺の元へと歩み寄ってくるのであった。
彩心真優は俺の心情を悟れないようだ。
男子ならば誰でもイチコロになるような満面の笑顔を浮かべるのだから。
正直な話、美少女の笑顔を独占している。その優越感に浸りたいさ。
けれども、彼女の後方には鬼の形相を浮かべる野獣共の眼差しがあるんだぜ。
更には歪んだ口元がパクパクと動き、「殺す」と殺害予告まで出してくるのだから。
というわけで――。
予備校の生徒を殺人事件の加害者にさせないために、心優しい俺は教室を出た。
自分と同じ学び舎で育った者が犯罪を犯す未来など見たくないからな。
だが、俺の思惑とは裏腹に――。
その半歩後ろを彩心真優がコバン鮫のように付いてくる。
これでは何の意味もないのではないか。俺が折角あの場を離れたというのに。
そう思いつつも、大広間教室へと向かう階段を上りながら。
「……真優。また面倒なことをしやがって」
「嫌なの? 私と一緒にご飯を食べること」
「俺の立場も考えろよ」
「かと言って、私が他の男と一緒に食べたら怒るんでしょ?」
「……別に怒りはしないよ」
「嘘じゃん。私の周りに集まってた男たちを殺す目で見てたじゃん」
彩心真優へと群がる奴等を殺す目で見てたつもりはない。
だが、俺の彼女――二番目と言えども、大切な人にちょっかいを出す輩を見逃すわけにはいかない。奴等を眺めながら、「さっさと消えてくれないか」と心の中で思っただけだ。
と言えども、彩心真優なら、奴等よりも俺を優先してくれると予想していたけれど。
「あのさ、一つだけ質問してもいい?」
彩心真優はそう言い放ち、階段を駆け上がった。
俺よりも二段ほど高い位置に立つ彼女は言う。
普通に話す際には、俺が見下ろす形になる。
だが、今回は違う。彩心真優が見下ろしている。
「――勇太くんにとって、私はどんな存在?」
「都合のイイ女だな」
「素直でよろしい!」
「理解が早くて助かるよ」
「――それで納得するか!!」
階段を上り切った先で、彩心真優は俺の肩に手を置いてきた。
お前には説明責任があるんだぞとでも言いたげな瞳だ。
「でもお前が言うじゃん。私は都合のイイ女でいいからって」
「女の子の言葉を鵜呑みにするのは良くないと思う」
「面倒な生き物なんだな、女の子って」
「面倒じゃなくて繊細なんです!!」
欺くして、俺たち二人は――。
二人だけの愛の巣とでも言うべき、大広間教室の扉を開くのであった。
◇◆◇◆◇◆
「時縄くんってさ、最近コンビニ弁当続きだよね?」
「何だよ、その言い分は。場合によっては差別発言だぞ、このご時世」
「ただの質問じゃない。それなのに差別発言と呼ばれるとは……」
「俺の家はさ、片親育ちなんだよ。母親は夜勤の連続で、殆ど家にいないんだ」
「だから、弁当を作る人がいないから、毎日コンビニ弁当ってこと?」
「そういうことだ。俺を一人で育ててくれた母親には頭が上がらねぇーよ」
何を隠そうか、俺は片親育ちだ。
父親の姿を最後に見たのは小学生に上がる前か。
あの頃の母親は毎日涙ばかりを流していた記憶がある。
母親が涙を流した理由は今でも覚えている。
何度も何度も、母親が父親の名前とその罪を声を荒げて咎めていたのだから。
――不倫だ。
俺の父親は母親と俺を捨て、他の女の元へと行ってしまったのだ。
全てを忘れて。楽しかった家族の思い出を全て置いたままに。
「でも、コンビニ弁当ばっかり食べてたら、体調を壊すよ」
「コンビニ弁当は悪くないだろ。印象操作にもほどがあるぞ」
「でも、塩分過多でしょ?」
コンビニ弁当は健康に悪い。
一部の陰謀論者が言い出しそうな話題を出しやがって。
「それは否定できないが、健康的な食事を取るなら刑務所と同じ食事でも取れよ」
「おかわり自由ならそれもいいかも」
「残念なことに、刑務所の食事は甘いものは殆どないぞ。ドーナツもアイスクリームも何もかも食べられないからな」
「……甘いものを食べられない人生なんて、私には無理だ!! 絶対刑務所は行かない!」
「普通の人は行かないから安心しろ。一生に一度は海外のディ●ニーランドにも行ってみたい感覚で行く場所じゃないからな!」
彩心真優はお手製のどか弁を平らげ、コンビニ袋を取り出す。
その中にはポテトチップス、おにぎり、菓子パンがあった。
今日の気分はコンソメパンチな気分らしく、ポテトチップスの袋を破る。
勿論、この食欲旺盛な女だ。特大サイズであることは言わなくてもいいだろう。
「健康を説くなら、お前もポテトチップスを止めるべきではないか?」
「分かってないなぁ~。普通の食事とお菓子は別腹なんだよ?」
「都合が良い胃袋だな! 本命と遊びは別と語るクズ男かよ!」
「食事と間食は違うでしょ? 食事で健康を、間食で幸福を求めるんだよ」
「実態はどちらも脂肪が付くだけだろ。現実から目を逸らすな」
脂肪という言葉には、彩心真優にも思い当たる節があったようだ。
うーむと唇を尖らせつつ、彩心真優は自分のお腹をつまみながら。
「私はさ、こう見えても、結構動くタイプだから! 脂肪は付かないんだよ?」
「脂肪を燃焼するだけの運動って、お前はアスリートかよ。毎日お前は3000キロカロリーぐらいは食ってるだろ?」
「あぁ~その件なら大丈夫だよ。私の場合は月に何度か摂取カロリー半減期間があるから」
「ソシャゲのボーナスキャンペーンか!」
「ちなみに土日と年末年始とお盆は、カロリーゼロ」
「役所仕事か! どんだけお前の胃袋は休んでるんだよ!!」
浪人生は娯楽が少ない生き物である。
勉強以外の娯楽を極端に減らし、精神を病む者も多い。
そう考えれば、彼女はまだ良い方だ。食に走っているだけだから。
精神を病みすぎた人間は援助交際や酒に縋ってしまうからな、浪人生は。
「時縄くんってさ、温かい食事を食べたのはいつ?」
「いつも食ってるぞ、カップラーメンとか」
「人が作った食事を食べたのはいつかって話なんだけど……」
「少し前に結愛が予備校に来ただろ? あの日食べた弁当が最後だな……」
「嘘でしょ……もうあれから三日以上は経ってるじゃん。自炊はしないの?」
「自炊するほど、浪人生は暇じゃねぇーんだよ!」
「時間とお金に余裕があるからこそ、浪人生なんじゃないの?」
それを言われると、何も言い返せない。
浪人生はもう一度機会を与えられた側の人間だ。
それだけでもありがたいと思うべきだろう。
「というわけで、今度の土曜日は勇太くんのお家に行きます!」
「……突然すぎるスケジュール決定だな。あと、どこがというわけでだ」
「勇太くんに、人が恋しくなる温かい料理を食べてもらおうと思ってね」
「出される料理は冷凍食品か? それともカップ麺か? まさか、ねるねるねるねか?」
「私をどんな人間だと思ってるんだ!」
「食べるの専門で生活力皆無な女だと思ってる」
「知ってると思うけど、私は一人暮らししてるんだけど。最低限の生活力はあるよ」
言われてみれば、それもそうだよな。
彩心真優は一人暮らしをしている。コイツの摂取カロリーを考えると、毎日外食やテイクアウトなら経済的な問題が発生する。自炊とかで少しでも抑えているのかもしれない。
「勇太くんはさ、何を食べたい? 和食? 洋食? 中華? どれ?」
「お前の得意料理でいいよ。一番美味しいものを食べたい」
「あとから、食べたいものと違ったとか言い出すパターンじゃん」
「逆に食べたいものを言って、初めて作るパターンも嫌だろ? 味の保証がないし」
「相手の初めてを手に入れたとニタニタ顔できちゃうよ」
「どんな特殊性癖だよ、俺は」
「彼女が居るのに他の女の誘いを断れない浮気性な性癖?」
それを特殊性癖に当てはめるなら、男は全員当てはまると思うぞ。
男というのは可愛い女に迫られたら断ることなんてできない。
逆に、迫られて断ってしまえば、相手のプライドをへし折ることになる。
浮気や不倫といえば、聞こえが悪い。
でも、言い方を変えれば、相手の愛を受け止め、精神を安定させた救世主だ。
精神を病んだ者は最終的に死を選ぶ可能性だってある。
そう考えれば、浮気や不倫をした者は警察から感謝状を貰うべきではないか。
自殺を未然に防ぎ、全員が幸せな世界を作り出したヒーローだと。
いや……妻や子供がいる時点で、彼等を不幸にしているのは変わりないな。
「あのさ、彩心真優。お前は確定事項で話してるが、了承した覚えがないぞ」
「前回の件、実は結構根に持ってるんだよねぇ~。デートドタキャンされたこと」
本懐結愛が予備校へ弁当を届けに来た日。
俺と彩心真優は予備校終わりにラーメン屋に行く予定だった。
だが、行く途中で、待ち伏せしている結愛に見つかり、断念したのだ。
咄嗟に嘘を吐き、事なきを得たものの……。
「だから、それの埋め合わせでもしろと?」
「そ~いうこと。理解が早くて助かる」
満面の笑みを浮かべ、バリバリとポテトチップスを頬張る彩心真優。
俺の視線に気付いたのか、彼女は一口分のポテトチップスを向けてきた。
「私はさ、勇太くんの彼女なんだよね?」
「二番目だけどな」
「今はでしょ?」
彩心真優はそう言い、更に指先を近づけてくる。
俺はそれを口に咥えて。
「今もこれからもだよ」
「またそんなつれないことを言うんだぁ~」
彩心真優は汚れた指を舐めながら。
「じゃあさ、どうやったら勇太くんの本命になれるの?」
「それを俺に聞くのはズルくないか? ラブストーリーは突然にだろ?」
「なら、勇太くんが私を一番の女だと認めるまで待つしかないわけか」
「でもお前はジッと黙って眺め続けるほど柔な女じゃないだろ?」
「私のことを理解してるね。私が絶対に認めさせるから楽しみにしててね」