「……冗談だろ。どうして結愛が……」
インターホンの画面に映る愛すべき女性の姿を見ながら、俺は頭を抱えてしまう。
本来ならば大好きな彼女が遊びに来たのだ。真っ先に駆け出し、玄関の扉を開けるのが最優先事項だろう。しかし――。
「……これは大変マズイことになったね」
俺の隣へ歩み寄る彩心真優。
言葉では「マズいことになった」と言っているが、口元が若干緩んでいた。どうやら彩心真優はこの状況を楽しんでいるようだ。
もしもバレたら、糾弾されるのは俺だけではなく、コイツもだと思うんだが……。
「で、どうするの? この状況」
「居留守を使うしかないだろ」
「本命さんにバレたらマズイんだ、やっぱり」
「なら、お前が結愛の暴走を止められるか?」
「――無理」
「即答かよ!」
「だって、結愛さんって被害妄想が激しそうなタイプじゃん。それに一人でネチネチと悩みを抱え込んで、一度爆発すると手が付けられない感じというか……正直苦手なんだよね」
彩心真優でも苦手な人間がいるのか。
彼女はどんな人間とも隔てなく接することができる社交的な人間だと思っていた。
そんな人間の口から「苦手」という言葉が出るか。余程結愛との間には壁があるのか。
「真優、お前は押し入れに隠れていてくれ」
本懐結愛と対峙するしかない。
そう決心し、俺は彩心真優へと告げる。
玄関前で全てを終わらせる計画だが、突然家の中へと押し入る可能性もあるからな。
彼女以外の女――それも予備校で知り合った女と一緒に勉強会を開いていたなどバレてしまったら、面倒なことになること間違いなしだ。
「あとは、全部俺に任せろってことだね!」
「そう言いたいところだが、俺の力では結愛の暴走を止められる気がしないんだ」
俺の身が危険に晒されるからな。
結愛の手で裁かれるのは俺だけでは十分。
「男は度胸だよ、度胸。カッコ悪いよ、それ」
「お怒りモードの結愛は手が付けられないんだ。相手になる俺の身も考えろよ」
本懐結愛は昔からそうだった。
俺が他の女の子と喋るだけで、あからさまな苛立ちを示し、「嘘つき」だの「裏切り者」だのと、人様へと罵声を浴びせきたもんだ。
と言えども、俺は知っている。
その言葉が俺に対する愛故のものだと。
俺を愛しているから、結愛は俺の周りにいる女の子たちを排除していたのだと。
俺に近寄る邪魔な女を一人でも消すために、彼女は日夜暗躍していたのだと。
流石にそれは誇張表現すぎるけどな。
「結愛さんって勇太くんの何なの?」
「この世で一番愛している人だよ」
「その癖に面倒で邪魔な女だと思ってない?」
「百点満点な人間はいないだろ」
そう切り出し、俺なりの論を語る。
「どんな人間でも良いところも悪いところもある。正直な話、俺は結愛のことを大好きで大好きで堪らないが、それと同様に結愛の嫌いなところも少なからずある。でも、総合的に見た場合、嫌いな部分よりも好きな部分が圧倒的に多いから、俺は彼女を愛することができる」
世の中の恋人や夫婦に同じ質問をしてみてほしい。
同じような回答が出てくるのではないだろうか。
誰しもが、自分のパートナーへの不満があるはずだ。
でも、その部分よりも「好き」という感情が強いから離れられないのだ。
「押し入れってどこ?」
「俺の部屋だ。来客用の布団が入ってるからくつろげると思うぞ」
「もしかして、ドラえもん形式な敷き方になってるの?」
「普通に畳んで入れているから安心しろ。あと、今の状況を考えろ」
他の女と遊んでいたら、彼女が家に遊びに来た。
まさしく、修羅場と呼べる状況なのに。
この女ときたら、全くその緊張感がないのだ。
適当に謝ったら許してくれるとでも思っているのか?
いや、それは流石に甘すぎると思うぞ、俺は。
「見つかったら、殺される可能性があるかもしれないんだぞ」
「殺されるって大袈裟だね。でも、初めて殺人事件に立ち会えるよ」
「呑気なことを言いやがって。殺されるのはお前もだぞ」
「私も殺されるの!!」
彩心真優は声を荒げた。
自分の身が危ないとは一ミリも思わなかったようだ。
こういう場合って、基本的に浮気相手の女が刺される可能性もあると思うのだが。
そこまでの知識が、彼女にはなかったようだ。
口元に指先を当て、彼女は神妙そうな顔で呟く。
「見つかったら、私も殺される可能性が……?」
「そのときはそのときだよ。地獄で会おうぜ」
「守ってくれないんだ……」
「自分の身は自分で守れというだろ?」
「……自己防衛を強要されるとは」
感慨深いですとでもいうように、彩心真優は再度呟く。
「こーいうときは、俺が守ると一言言ってくれればいいのに」
「心配してもらえるだけありがたいと思えよ」
俺はそう呟き、彩心真優の腕を取り、自室へと向かう。
女の子に見られて心配なものは何もない。
勉強机とベッド。それ以外は本棚があるのみ。
彩心真優は俺の部屋を物色したいのか、目の色を輝かせているけど。
「悪いが、お前は押し入れの中で待機だ。俺が声を掛けるまでここで待ってろよ」
「わかった。ずっと待ってるね、勇太くんがまた声を掛けてくれるまで」
「もしも俺が殺されたときは、その時は隙を見て逃げていいから」
「勇太くんってさ、結愛さんのことを化け物か何かと思ってない?」
彩心真優の言葉を無視して、押し入れのドアを思い切り閉める。
バタンッ!?
と、少し大きな声が出てしまったのが仇になったようだ。
『勇太―? 大丈夫? 今、何か大きな音が聞こえてきたけど』
玄関の方から、結愛の切実な声が聞こえてきた。
彼女は地獄耳を持っているようだ。
とりあえず、彩心真優がこの家に来た証拠を隠滅しなくては。
そう思い、俺は彩心真優の荷物を適当に搔き集め、戸棚の中へと片付ける。
それが終わる頃には、本懐結愛の不安は度を越えてしまったようだ。
『勇太ー? 勇太ー? 勇太ー? 勇太ー?』
勇太と。
俺の名前を呼びながら、本懐結愛は玄関の扉を開こうと試みる。無視されるのが辛いのか、声は段々と強くなっていく。
『どうして無視しちゃうのかな? どうしてあたしをひとりにしちゃうのかな?』
ガンガンガンガンと。
扉を無理矢理開こうとする音が聞こえてくる。嵐が吹き荒れていると言われたら、そう信じられるほど大きな音が。
『何かやましいことでもあるんでしょ? 今、家の中に女を連れ込んでいるのかな? その相手を隠すために時間稼ぎをしているのかな? どうして出てきてくれないのかな?』
愛する彼女の悲痛な叫び声が聞こえてくる。
さっさと彼女の元に行けばいい。
それだけの問題なのだが、俺の足は止まってしまう。
果たして、現在の彼女を俺だけで止めることができるのかと。
『早く出てきなよ、勇太。早く出てきたほうがいいと思うよ、勇太。そこにいるんでしょ? あたしにはもうわかってるんだよ? 勇太』
あはっ。
その不気味な笑い声が聞こえた時、俺は結愛の口から発されたものだと認識できなかった。だが、画面に映る女性は自分が一生大切にすると誓った少女に間違いなく——。
『今から10秒数えるよ。その間に出てこなかったら、どうなるかなぁー?」
彼女は両手をパチンと合わせて。
「それじゃあ、今から数えるね。10、9、8」
大きな声でカウントダウンを行う。
リビングに立つ俺の元まで聞こえてくる。
恐怖で竦む太ももを叩き、俺は玄関まで急いだ。
「3、2、1—————————————0」
ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ。
扉をこじ開けようと試みる音が聞こえてきた。
開かないことがわかっているのにも関わらず、彼女は容赦なく扉を引くのだ。
しかし、一枚壁の向こう側にいる彼女が思い描く未来は訪れない。
何せ、扉には鍵が掛かり、更にはチェーンまで掛かっているのだから。
「どうして? どうして? どうして? どうして? どうして?」
「結愛、一旦落ち着いてくれ」
「あ、勇太の声だ勇太の声だ勇太の声だ勇太の声だ勇太の声だ勇太の声だ」
結愛は何度も同じ言葉を繰り返す。
まるで、壊れた機械のように。
その声には抑揚がない。でも、声色には僅かに喜びがあった。
「あぁ~そうだ。俺だ。扉を開けるから、一旦ドアノブを触れるのはやめてくれ」
「開けてくれるの?」
「あぁ、開けるよ。今すぐに」
俺がそういうと、本懐結愛は扉から離れてくれた。
覚悟を決め、俺は扉を開く。
その先に立っていたのは、顔面を蒼白にさせた愛する彼女の姿。
肩先まで伸びた美しい茶色のサラサラな髪が秋の柔らかな風に揺れる。
最愛の彼女は乱れた髪を抑えつつも、俺へと笑みを浮かべる。
ガトーショコラ色のオーバーニットに、クリーム色のロングスカート。
厚底のブラックブーツまで履き、バッチリ決め込んでいるのがわかる。
「やっと開けてくれたね、勇太」
「勉強疲れで眠ってたみたいだ」
「へぇ~。その割には、寝ぼけ眼じゃないみたいだけど」
「可愛い彼女が来てくれたんだ。目が覚めたんだよ」
「それに汗も搔いている気がするんだけど」
「寝汗を掻くタイプなんだよ。秋といっても、まだ暑いだろ?」
「最近は比較的涼しいほうだと思うけど?」
結愛の発言は、俺を試しているのだろうか。
次から次へとカマをかけているとしかいいようがない。
「で、結愛。今日は何の用だ?」
「勇太の勉強を応援しに来たんだよ」
「応援とは……?」
俺が勉強に励む中、声援でも送るつもりなのか。
スポーツ少年ならまだしも、勉強中は邪魔としかいいようがない。
「勇太が少しでも勉強に集中できるように、ごはんでも作ろうかなって」
「それなら先に連絡してくれればよかったのに」
「サプライズがよかったの。あたしが来て嬉しかったでしょ?」
「嬉しいよ」
「何、その反応? あたしが来たことが嬉しくないの?」
結愛のことが好きなのは確かだ。
それに結愛に会えて嬉しいことも事実。
けど、突然の出会いに、戸惑いのほうが大きいのだ。
「勇太はさ、あたしのことが好きなんだよね?」
「好きだよ」
「なら、あたしが来て嬉しかったはずだよね?」
「嬉しかったよ」
「それなら、どうして早く扉を開けてくれなかったの?」
言葉が出てこない。
向日葵のような茶色の美しい瞳に見つめられると、喉元で止まってしまうのだ。
何度も彼女を騙してきた、この口が。
何度も欺いてきた、この俺が。
本能でわかってしまうのだ、今の彼女に嘘は通用しないと。
「昔からそうだよね。勇太って、いつも都合が悪くなるとだんまりしてさ」
結愛は問い詰めるように。
「それってやっぱり、あたしに何か隠しているってことだよね?」
鋭い。
やはり、長年俺と連れ添っているだけはある。
「別にあたしは勇太のことを非難しているわけじゃないんだよ?」
「……わかってるよ。結愛が俺のことを思って言ってくれてることは」
結愛は優しい女の子なのだ。
俺を咎めるつもりは一ミリもないことぐらい。
ただ、多少、言葉の節々にとげがあるだけで。
感情が昂れば、誰でも同じような言い方になるだろう。
「心配してたんだよ、勇太が全然扉を開けてくれないから」
本懐結愛の声が震える。
彼女は大きく目を見開き、捲し立てるように。
「もしかして、勇太があたしのことなんてどうでもよくなかったのかなって」
「もしかして、勇太があたし以外の女とイチャイチャしているんじゃないかなって」
「もしかして、勇太があたしのことなんてもう捨てちゃうんじゃないかなって」
詰め寄るように近付き、彼女は俺の頬へと唇を寄せて。
「――ずっとずっと不安だったんだよ? 勇太があたしを嫌いになったのかなって」
もう言葉は要らなかった。
俺は結愛を抱きしめる。
彼女はそれを受け止め、「へへへ」と甘えるような笑みを漏らす。
それから俺の背中へと腕を回して、本懐結愛は耳元で囁いてきた。
「ねぇ、勇太。あたしを安心させて。これ以上不安にさせないでよ」
「………………」
「言っている意味もうわかるよね?」
俺を抱きしめる最愛の彼女は上目遣いのままに甘えた声で。
「あたし……もっと勇太を感じたい。勇太の愛をもっと受け止めたい」
◇◆◇◆◇◆
【本懐結愛視点】
最愛の彼氏に抱きしめられて、ほっと一安心する気持ちもあるが……。
それ以上に、本懐結愛には気になるものがあった。
それは、彼女の目線の下にあるもの――。
女性用のスニーカーなのだ。
これは、確実に彼のものでもなく、彼の母親のものでもない。
それがハッキリとわかった。
しかし、本懐結愛は最愛の彼氏を咎めることは決してしない。
ただ、愛する彼氏をギュッと力強く抱きしめつつも、心の中で思うだけなのだ。
――ねぇ、勇太。どんなに隠しても無駄だよ、他の女がいるってことぐらい。
ふふっと薄気味悪い笑みを浮かべつつも、彼女はさらに思考を加速する。
――部屋の中は綺麗に掃除して、その女がいた証拠を隠したつもりかもしれない。
だけど、と彼女は口元を緩めて。
――玄関の靴には気付かなかったなんて、やっぱり勇太は詰めが甘いんだよ。