「あたしを抱いてくれるよね?」
弱々しい声で結愛が問い掛ける。
茶色の美しい瞳が揺らめく。まるで強風が吹き荒れる中心に立つ蝋燭のように。
「……勇太?」
返事をしない俺を見つめ、結愛の表情が徐々に強張っていく。
プルプルと肩が震え、太陽色の瞳が薄くなる。
「勇太勇太勇太勇太勇太勇太勇太勇太勇太勇太勇太勇太勇太勇太」
顔を真っ青にして、救いを求めるように抱きしめる力を強めていく。
もはや、その行為は脅迫だ。強要である。
自分を抱けと。自分を抱かなければ、ただじゃ済まさないぞと。
ただ、嫌じゃなかった。逆に嬉しかった。最愛の彼女に強く求められるのは。
小学生の頃、彼女の隣にいることさえできなかったあの自分が。
いろんな人に愛されて育ち、俺の愛に全く気付かなかった彼女が。
他の誰でもない俺——時縄勇太を求めてくれているのだから。
「大丈夫だよ、結愛。大丈夫だから」
彼女の背中をポンポンと叩き、優しく介抱する。
すると、それを良しと判断したのか、彼女は俺の腕を掴んで先へと進む。
行き先は俺の部屋だ。
彼女は扉を開き、部屋の中をグルリと見回したのちに——。
「勉強していた気配は全くないけど……サボってた?」
と、鋭い指摘を行った。
心臓が飛び跳ねそうだ。だが、悟られては決していけない。
ポーカーフェイスを崩さずに、あくまで自然体でいなければ。
「リビングでしてたんだよ」
嘘を嘘で塗り固めてはいけない。
嘘を吐く方法は最低限の嘘しか吐かないことだ。
「そっか」
手慣れた様子で結愛がカーテンを閉め、部屋が一気に薄暗くなる。
自分の部屋なのに最愛の彼女がいる。それだけで非日常にしか思えない。
「ほら、勇太。あたしをギュッと抱きしめてキスして」
ベッドに座り込んだ結愛は両手を広げてきた。
太陽を想起させる明るい瞳は虚ろな色を浮かべている。
ただ、彼女のか細い声は、人魚姫の歌声のように耳を癒してくれるのだ。
――結愛を抱きしめたい。結愛を抱きしめてあげたい。結愛をもっと大切にしたい。
最愛の彼女に求められたいし、最愛の彼女を我が物にしたい。
その下劣な欲望が押し寄せ、俺の足は結愛の元へと向かってしまう。
「うん、そうだよ。それでいいんだよ、勇太」
全く動かなかった俺が動いてくれた。
それだけで嬉しかったのか、結愛は両手をパタパタと大きく振る。
この胸に飛び込んで来いということなのだろう。
だが、ここで彼女の胸に飛び込むのは危険だと思う。
長年結愛と付き合ってきた経験がそう判断しているのだ。
今の彼女は、何かがおかしいと。
途中で足を止めた俺を見て、結愛は口元をぐにゃりと曲げたままに。
「どうして? どうして来てくれないの? 勇太、勇太、勇太、勇太、勇太」
本懐結愛を愛している。
それは事実だが、俺は彼女のわがままを次から次へと叶える王子様ではない。
特に今回は、俺の家に――彩心真優がいるのだ。
それも、俺の部屋にな。目の前の押し入れの中に、彼女は身を隠しているのだ。
だから、結愛を抱きしめる行為は避けたい。抱きしめるだけでは済まないのは確定事項だからな。
一度抱きしめたら最後――俺たちは更なる関係を求めてしまうことだろう。
「落ち着いてくれ、結愛」
「落ち着いているよ、あたしはいつも」
「そっか。それは悪かった」
俺は一度謝りを入れてから。
「ただ、今日はそういう気分じゃない。勉強に集中したいんだ」
俺の身分は浪人生。勉強中心に生きなければならない存在。
それは結愛だって理解を示してくれるはずだ。
物分かりのいい彼女なら、俺の気持ちを――。
「あたしよりも勉強を選ぶんだ、せっかく彼女が駆け付けたのに」
今日の結愛はいつもとは違っていた。
俺の心情を悟ることもなく、刺々しい口調で言い放つのだ。
それは可愛らしい甘えではない。
最愛の彼女が来たのに、何故それを快く受け入れないのか。
美しい茶色の瞳が咎めるように、ジッと見つめてくるのである。
「そ、それは……」
「どうしてそんな悲しいことをいうのかな?」
「悲しいこと……?」
俺がそう呟くころには、結愛の頬は赤く染まり、目には水滴が集まっていた。
「……抱いてくれないんだ。抱く価値もないってことなんだ」
「な、何を言って」
「そうだよね、貧相な身体だもんね。あたしは面倒で愛が重たいだけの女だもんね」
「俺はそんなこと一度も」
「そんな女と関係を持ってしまったら、ただ面倒なことに巻き込まれるだけだもんね」
だから、と彼女の心から漏れ出た言葉が、狭くて小さい部屋の中で響き渡る。
「――何もしてくれないんでしょ?」
結愛は卑屈な人間だ。
今までの人生を通して、彼女は何度も様々な人々から裏切られてきた。
病気を患ったあの日から、病気に苦しめられてからずっと。
彼女は自由な身体を奪われたと同時に、人生さえも奪われてしまったのだ。
「勇太も、あたしを裏切るんだ。やっぱり、あたしのことなんてどうでもいいんだ」
「違う。俺は結愛の味方だよ。俺は違う、俺は結愛の前から消えたりしない」
――そうだ、俺は違う。俺はアイツらとは違うんだ。
――結愛の前から消えてしまったアイツらとは。俺の心はずっと結愛にある。
今までも、そしてこれからも。
ずっとずっと、俺の心は最愛の彼女――本懐結愛を最優先に。
「でも抱いてはくれないんでしょ? あたしのことが嫌いだから」
「どうして嫌いっていう結論が出るんだよ、おかしいだろ」
「……なら、あたしを抱いてくれる? 今すぐに」
十代の少女と言えば、人前で服を脱ぐ行為に多少の恥じらいを持つはずだ。
しかし、本懐結愛は決してそんな素振りを見せることはない。
彼女の小さな指先が腰へと回った数秒後、ストンとスカートが落ちる。
「えっ? ちょ、ちょっとま、待て。結愛、何を……」
露わになる白くて細い足。肉付きは殆どなく骨張っている。モデル体型といえば、聞こえはいいかもしれない。だが、彼女の場合、病弱という言葉が適切だ。
その細すぎる足を見上げていくと、淡い桃色の下着に目を奪われる。表面に描かれるのは無数の美しい薔薇。真ん中には小さなリボンがある。
扇情的な姿である最愛の彼女に視界も心も奪われていると――。
彼女のしなやかな手は上半身へと移った。ガトーショコラ色のニットを掴み、豪快に脱ぎ捨てるのだ。
その姿は浜辺に着いた瞬間、上着を脱いで、海へと飛び込む少女のようだった。
「あたしと別れる? それともあたしを抱く? どうする?」
「別れる? いや、お前……何を突然そんなことを」
「不安なんだよ、心配なんだよ、勇太があたしのことを本当に好きなのかって」
「俺は結愛が好きだ。大好きだ。それは何回も説明してきたはずだろ?」
「なら、抱いてよ。あたしのことを好きだってことを見せつけてよ」
「今日の結愛はおかしいぞ。何かあったのか?」
俺の質問を聞き、結愛の眉毛がピクリと動く。
その反応は長年連れ添ってきた俺にしかわからないだろう
「何もないよ、別に何も……」
「それは嘘だ。何があったんだ。教えてくれ、結愛」
今日だけじゃない。最近の結愛はおかしかった。
入院中のはずなのに、頻繁に外出許可が下りているし。
外出許可が下りることは嬉しいことだと思うが。それを否定するつもりはないが。
ここ最近の結愛は俺へ会いに来る回数が、以前に比べて確実に上がっていた。
その理由は——。
「手術日が決まったんだ。1ヶ月後だって」
「えっ……?」
「あたしの病気さ、もうほぼ手遅れ状態なんだけど……」
本懐結愛が患うのは心臓系の病だ。
と言えど、その病気から気管系の合併症を引き起こしているのだ。
その結果、俺が世界で一番愛する彼女は、明日を生きられるかもわからないのだ。
世の中には、交通事故などの不幸な事故に見舞われ、明日死ぬ人も大勢いるだろう。
それと同じことだと思えば、まだ彼女が死ぬことを予測できる分だけマシな人生を歩んでいるのかもしれない。いや、そんなはずがない。そんなことがありえるはずがない。
「延命治療という形で、もう少しだけ長く生きるためにね。手術するんだ」
延命治療なんて、気休めに過ぎない。彼女は今後の人生でも苦しみ続けるのだ。
身体が悲鳴を上げているのに、その問題を解消することもできず。
俺は最愛の彼女が病気に蝕まれていく姿を見届けることしかできない。
「………………っっ」
握りしめた拳を振り下ろしたい気分だ。だが、どこにもその怒りをぶつけられない。
生き地獄じゃないか、そんな人生。
ふざけるなよ、俺よりも頭が良い奴等がこの世には沢山いるんだろ?
そんな奴等は何をしているんだよ、たった一人の少女を救うこともできずに。
「だからね、勇気が欲しいんだよ。手術に挑むための勇気がさ」
本懐結愛の力になれるなら、どんな試練でも受けて立つつもりだ。
けれど、今日という今日はタイミングが悪すぎる。
正直な話、俺も結愛を、結愛のカラダを求めたい気持ちになることがある。
思春期の男ならば、誰もが女体に触れたいと思うのは当然のことだろう。
しかし、今日は、今日だけは——目の前の押し入れに、彩心真優が。
「あたしってさ、最低な女の子だね。病気を出しにして、勇太にわがまま言って」
「最低じゃない。結愛は全然悪くない。俺が悪いんだ。俺が……」
「あたしだってね、勇太だから。勇太が好きだから。大好きだから」
本懐結愛が感情を吐露するのは珍しい。
感情を剥き出しにして、俺へと愛を囁いてくれる。それだけで最高に幸せな気分だ。
「こんなわがままが言えるんだよ。勇太にしか、あたしは甘えられないんだから」
本懐結愛の自宅へ遊びに行った際、彼女はこんなことを言っていた。
両親の仲が悪いと。自分のせいで、家族関係が壊れてしまったと。
今の彼女には、頼れる拠り所がないのだ。もう既に、この世界には。
愛を注いで育ててもらった親にも、ずっと一緒だよと約束した友達にも。
彼女は見放されてしまい、孤独な人生を歩む彼女にとって。
もう彼女が頼れるのは、この世界に最愛の彼氏——俺しかいないのだから。
「……勇太の心をつなぎとめるにはこうするしかないんだもん」
「本当にバカだな、結愛は。俺の心は結愛一色でもう染まってるのに」
覚悟を決めろ、時縄勇太。
彼女以外の女が同じ部屋にいるとしても、彼女との愛を囁いてみろ。
お前が本当に好きな人は誰だ? 心は最初から決まっているだろうが。
俺の心は、今も昔も、そしてこれからも、本懐結愛一色だってことぐらい。
「だから、今から俺が結愛をどれだけ好きかを教えてやる」
「…………ありがとう。やっぱり優しいね、勇太は」
俺が優しい?
結愛、それはお前が俺の全てを知らないからだ。
本当の俺を知ったら、お前は俺を最低だと軽蔑するだろうな。
「でも、あたしを一人の女にしたのは、勇太だよ。勇太がすべて悪いんだよ」
頬を上気させ、本懐結愛は「だから」と呟いてから。
「ちゃんと責任を取ってもらわないと困るよ。初物を奪った罪は重たいと思う」
◇◆◇◆◇◆
最愛の彼女と愛を確かめ合う。
それは三回目の行為だった。
愛をたっぷりと囁き、何度も甘く優しく彼女を求める。
性欲真っ盛りの浪人生である俺の暴走を、本懐結愛は頬を綻ばせて応えてくれたのだ。
長時間にも及ぶ愛の囁き合いを続けた後、汗だくだくの俺たちはベッドに倒れ込む。
お互いに息が絶え絶え状態のまま、顔を見つめ合わせて、自然と笑みが溢れてきた。
「……あたしはさ、何もできないダメな女の子なんだよ」
結愛、お前はできる子だ。何もできないダメな女の子じゃない。
生きているだけで価値があるんだ。呼吸するだけで偉いんだぞ。
「あたしは植物なのかな? まぁ、そう言ってくれるだけで嬉しいけどさ」
前にも言ったけどさ、と前置きしてから、結愛は微笑み。
「でも勇太が隣にいてくれたら、あたしはダメな女の子じゃないんだよ」
俺が隣にいるだけでそう変わらないと思うがな。
気の持ちようだろ。
ただ、結愛がそう前向きに考えられるなら、俺の存在価値があるってことだ。
「勇太はあたしに非日常を与えてくれる神様なんだよ」
神様か。それは大きくなったもんだな。
彼氏から神様に格上げされるとは、俺の将来が不安だぜ。
次は、超神様とか呼ばれる日が来るのかな?
「冗談で言ってないからね。あたしは本気だよ。勇太はあたしの神様なの」
あたしは、と大きめな口調で。
「普通の女の子になりたいんだよ。普通のどこにでもいる普通の女の子に」
本懐結愛は続けた。
それは病気を患わなかった彼女なら享受できたはずの幸福だった。
人生を奪われなければ、彼女が必ず受け取ることができたはずの。
「普通の女の子みたいに、学校の帰り道にパンケーキ屋さんに行ってみたり。普通の女の子みたいに部活動に入って、同年代の女の子と一緒にワイワイしたりして。普通の女の子みたいにネイルや化粧を覚えて、お互いに可愛いと言い合ったりして。普通の女の子みたいに、好きな男の子にバレンタインデーにはチョコレートを渡してみたり。普通の女の子みたいに、放課後デートに行ってみたり。普通の女の子みたいに街を歩いていたら、男性から『かわいいね』とナンパされてみたり。普通の女の子みたいに——」
普通の女の子ならば。
もしも自分が病気にならなければ。
本懐結愛は何度も何度も自分の身体を恨んだはずだ。
病院生活で毎日の殆どをベッドの上で過ごす彼女は、特に。
その中で彼女は何度も夢想したのだろう。決して叶わぬ夢を。
「勇太がいてくれたから、あたしは普通の女の子みたいに恋ができたんだよ」
逆だ、逆。
俺は結愛がいてくれたから、夢を持てたんだ。
医者になるという素晴らしい夢を。
「勇太」
本懐結愛はそう小さな声で囁き、俺の耳元へとそっと近づく。
甘い吐息だ。もっともっと彼女を抱きしめたい欲に駆られる。
最愛の人は口元を片手で隠し、コソコソ話をするように。
「心の底からあたしはキミのことが好きなんだと思ったよ」
自分で言った後に、恥ずかしいことを言ったと気付いたのだろう。
本懐結愛は顔を真っ赤にさせ、俺の首へと腕を回して抱きついてきた。
それから俺へ忠告するように問いかけてくるのであった。
「もう逃げられないよ、絶対に。もう離さないって決めたから」
◇◆◇◆◇◆
本懐結愛の襲来から数時間が経過した。
病院の門限があると言い、結愛は帰る用意を行う。
家の前にタクシーを呼んだ彼女は笑みを浮かべて。
「また今度ね、勇太。次はまたデートに行こうね」
「あぁ。行こうな」
「あとさ。カレー、ごちそうさまでしたって伝えててね」
「んっ?」
愛を確かめ合う行為後、俺たちはお腹が空いていたのだ。
その空腹を満たすために、俺たちはキッチンに放置済みのカレーを食べたのだ。
そう、俺たちが愛を確かめ合い続けた部屋。
その押し入れの中にいた女の子——彩心真優が作ったカレーを。
「さっきも言ったが、アレは俺が作ったんだぞ」
カレーの匂いは食欲を掻き立てる。
結愛はそれに気付き、「カレーが食べたい」と言ったのだ。
最愛の彼女に頼まれたら断れるはずがない。
鍋に残ったカレーを温め直し、結愛に振る舞ったわけだが……。
当然、誰が作ったのかと問われ、俺は咄嗟に「自分で作った」と答えたのだ。
先程も納得していない様子だったが、無理矢理誤魔化していたが……。
また、掘り起こされてしまうとは。
「あれ、勇太が作ったわけじゃないでしょ? あたしに嘘は無理だよ」
「ええと、そ、それは……」
普通に考えて。
あんなに美味しいカレーを、俺が作れるはずがないわな。
かと言って、事実を伝えられるはずがない。どうすれば——。
「何を照れちゃってるの? 勇太のお母さんが作ってくれたんでしょ?」
本懐結愛は真っ直ぐな瞳でこちらを見つめ、小首を傾げてくる。
「だから、ごちそうさまでしたって伝えててね」
「あああぁぁぁ」
あぶねぇー。もう少しでボロを出すところだったぜ。
「それじゃあね、勇太」
「あぁ、また今度」
結愛がタクシーに乗り込む。
それからドアを開いて、彼女は別れ際に言う。
「嘘を吐くなら、今度はもっと上手くしてね」
「……あぁ」
「今回の嘘はバレバレだったからさ。もっと上手く隠さないとね」
結愛が乗り込んだタクシーが進んでいく。
俺はそれを眺め続けた。
彼女へと極自然な笑みを浮かべて。
タクシーが角を曲がり切ったところで、俺は早足で自宅へ戻る。
靴を脱げ散らかし、自室の押し入れへと駆け足で急ぐ。
そこには——。
「……………………」
彩心真優がいた。
体操座り状態で俯いたままの彼女が。
俺は彼女の肩をゆっくりと揺すろうと手を伸ばす。
しかし、その手を振り払われてしまう。
それにも関わらず、彼女は言うのだ。
「あぁ〜寝た寝たぁ〜。グッスリ寝てたよ、あはははは」
今、正に起きましたみたいな表情を浮かべて。
だから、私は何も見てないし、聞いていませんともいうように。
「お、お前……」
「ん? どうしたの? 何か怖い顔をしちゃってさ」
寝ていた?
んなわけあるか。
お前はずっと起きていたんだろ?
なら、何だよ、その泣き腫らした目はさ。
目元がグチャグチャじゃねぇーかよ。
「あぁ〜と。もうこんな時間だ!! 私、もう帰るね!!」
大袈裟に言い、彩心真優は押し入れから出てくる。
長時間狭い空間に残されていたのだ。
それでも彼女は不満を一切漏らさずに、伸びを何度か繰り返す。
それからリビングにある荷物を取り終え、彼女は逃げるように。
「んじゃあ、ええと、私はもう帰るから!!」
「おい、ちょ、ちょっと待てよ。おい、待てって!!」
俺は彩心真優の腕を掴む。
予想以上に、彼女の腕は華奢だった。
それにも関わらず、力強く俺の手を振り払う。
それから、彼女は俺の顔を見ることもなく、背中を見せた状態で。
「私よりもあの子のほうがいいんでしょ?」
「えっ……?」
「ううん。ごめん、今の私……重かったよね。ごめん、今のはなし!」
彩心真優はそう言い残してから、リビングを出ていく。
俺はその後を追いかけるのだが、彼女の足は決して止まらない。
ただこのまま帰してはマズイ。それが直感的にわかった。
だから、玄関のドアノブを握る彩心真優に、俺は最後に告げる。
「申し訳なかった。俺が悪かった。あんなことになって本当にごめん」
「…………………………いいよ、別に」
投げやりな言葉だ。
酷く冷静で、突き放すような言い方だった。
「私はキミにとって、本懐結愛の代わりに過ぎないんだから」