【彩心真優視点】
大好きな彼氏の家に遊びに来た。
初めて入る同じ年頃の男性の家。
彼の新たな一面を知った優越感といつもと違う彼を知った緊張感。
相反する二つの感情に押し潰されながらも、私は幸せだった。
大好きな彼の側に寄り添い、大好きな彼の声を隣で聞けて。
そのはずなのに——。
(どうしてこうなっちゃったんだろ……?)
今の私は押し入れの中で体操座りしている。
押し入れの中は埃っぽく、視界は狭くて暗い。
閉ざされた扉の隙間からは光が差し込む。
暗い場所よりも明るい場所の方が私は好きだ。
だが、今はその輝きを直視することができない。
「ねぇ、勇太はさ。あたしのこと好き?」
「当たり前のことを言うなよ」
「真優ちゃんよりも?」
「どうしてアイツの名前が……」
「いいから。答えてよ、あの子よりも好きか」
「好きだよ。俺は結愛のことが一番大好きだよ」
そう囁きながら、彼は本命の彼女に優しく口付けを交わす。
愛する彼から「好き」の言葉を貰い、最愛の彼女は乙女の表情に変わる。
「両想いだね、あたしたちは」
裸の二人は肌を寄せ合い、お互いの体温を奪うように絡み合う。
時に優しく、時に激しく。
この世界には、まるで二人しかいないように。
大好きな彼が目の届く範囲で、自分以外の女と愛を語り合う
最悪な気分だ。最初から彼の一番にはなれない。そうわかっていたはずなのに。
「もっとあたしを壊れるぐらいに愛して。本当に好きなら。もっとあたしを壊して」
その言葉を皮切りに、二人の愛情表現は激しくなっていく。
一筋の光が入る隙間から目を離し、私は顔を膝に押し付ける。
絶え間なく続く、二人の甘い吐息を聞かないために耳を塞ぐ。
ただそれでも聞こえなくなるわけではない。二人のことを意識しないはずがない。
二人が愛を求め合う度に振動が来るのだ。激しい嬌声が聞こえてくるのだ。
——あたしはあの子の代わりにはなれないのかな?
そう心の中で呟きながら、私は幸せな過去を思い出す。
◇◆◇◆◇◆
十八歳の夏。
高校を卒業し、浪人生と呼ばれる自由人になった私に生まれて初めて【彼氏】と呼べる人ができた。相手は同じ予備校に通うクラスメイト。共に医学部を目指す同志だ。
と言っても、私は彼の本命の女の子ではないけれど。
彼と私が付き合い始めたのは地元では有名な夏祭りが開かれた日。
元々、彼と本命の彼女さんが夏祭りに行く予定だったのだ。
しかし、本命の彼女さんが体調を崩し、急遽行けなくなったそうだ。彼女さんには悪いけど、チャンスだと思った。
——今なら彼のそばにいられるんじゃないかと。
——彼と一緒に夏祭りに行くことができるんじゃないかと。
本命の彼女さんとの夏祭りデートに行けず、彼は落ち込んでいた。
心の穴を埋めてあげたかった。少しでいいから、私のことも見てほしかった。
だから、私から彼を誘ったのだ。「行きたい行きたい」と駄々を捏ねて。
私の願いが叶ったのか、それとも相手がするのが面倒だと思ったのか。
渋々と言った感じで、彼は私と一緒に夏祭りに行くことになった。
今思い出すだけでも幸せな出来事だ。毎年恒例の行事なのに。
大好きな人と一緒に歩くだけで全てが新鮮に見えた。
——こんなにも風景が違うのかと。こんなにも楽しいのかと。
残るは花火のみとなった頃合い、彼が突然私の腕を掴んで駆け出した。
ここよりも、もっと綺麗に見える場所を知っていると言い出して。
彼が連れて行ってくれた場所は急な坂道を上がった先にある神社。
名前は聞いたことがあったが、実際に訪れたことはなかった。
そんな神社の裏手で、私たちは二人きりで花火を見た。
今までの人生で見た花火の中で一番思い出に残る光景だった。
それは大好きな彼と一緒に見た、初めての花火だったからだろうか。
花火が終わった後、彼は本命の彼女さんに会いに行くと言った。今日はあの子の誕生日だからと。
負けたくない。彼を奪われたくない。
その時、私は深くそう思った。
このままの関係を続けたら、私の思いは一生空回りしてしまうと。
私の気持ちを伝えたい。本命の彼女さんが一番なことは知っている。
それでも、ほんの少しでいいから、私のことも思ってほしい。
その感情が抑えきれず、気づけばあの日、私は彼の唇を奪っていた。
友達の彼氏を奪った罪悪感と、彼の気を引けた高揚感。
相反する二つの感情に押し潰されそうになりながらも、私は愛の告白を行った。
二人の邪魔はしないから。私のことも愛して欲しいと。
言わば、それは二股の強要だった。本命の彼女がいる彼氏くんに。
◇◆◇◆◇◆
過去の贖罪を思い返しつつ、私は現実世界へと戻ってくる。
もしかしたら——。
そう期待して塞いだ耳を外すのだが、未だに聞こえる愛し合う二人の声。
決して止まることもなく、俄然、その声は激しさと熱気に包まれてる。
そんな幸せの絶頂を噛みしめ合う二人を卑しく眺めつつ、私は呟いた。
——本当に最低だな、私。
愛し合う二人の仲を引き裂き、自分だけ得をするなんて。
子供の頃に憧れたお姫様にはなれないな、これでは。
私はあくまでも、愛し合う二人の邪魔をする最低な魔女。
——友達だねと言われたのに……。
それも相手は自分に心を開いてくれた少女。
虚弱体質らしく、闘病生活を続ける友達なのに。
私は彼女から愛する彼氏を奪おうと企んでいたのだ。
だから、これは罰が当たったのだ。
本命の彼女さんがいる男を好きになった間抜けな女への罪。
「勇太はあたしがいないとダメになる。あたしは勇太がいないとダメになる」
掠れた声が響き渡る。ただ、そこには強い意思があるように感じられる
「あたしたちは運命共同体なんだよ」
運命共同体という言葉に、彼も「あぁ」と小さな声で返事を行う。
愛する彼氏の肯定を聞き、最愛の彼女——本懐結愛は言うのだ。
「あたしが勇太を幸せにしてあげる。だから、勇太はあたしを幸せにしてね」
「そのつもりだよ。俺が結愛を必ず幸せにする。この世界の誰よりも」
だから、と呟きつつ、愛しの彼は救いを求めるように。
「俺を見放さないでくれ、結愛。俺のことを一生愛してくれ」
その姿はあまりにも情けなかった。私の前では決して見せない裏の顔。
何に怖がっているのかはわからない。けれど、瞳を虚ろにして彼は愛に縋る。
「あたしだけだよ。勇太だけをずっと思い続けられるのは」
よしよしと頭を撫でながら、大好きな彼氏は本命の彼女に抱き寄せられる。
その姿は赤子だ。
身体だけは立派に育ったのに、中身はまだ小さな子供。
私の前ではいつも強がり、弱い部分を決して見せないのに。
「あたしは絶対に見捨てないよ。勇太が他の女の子を好きになっても」
「本当か? 本当に俺を見捨てないか? 医学部に入れなくても」
「うん。あたしだけは見捨てない。医学部に入れず、あたしを救えなくても」
今の彼は弱い部分を全て曝け出していた。
正直、気持ち悪かった。ゾワっと鳥肌が立つほどの嫌悪感がある。
それは、私がカッコいい彼の姿しか知らなかったからか。
「勇太はね、あたしのことだけを見ていればいいんだよ」
あたしも、と呟き、宿敵は最愛の彼氏へと腕を回す。
「あたしも勇太のことを見てあげるから」
彼氏彼女の会話。
これがバラエティ番組ならクサイ台詞が連発して笑い転げていただろう。
ただ彼の言葉が自分以外の女性に向けられているのは無性にモヤモヤしてしまう。
「あたしの人生で誇れるのは、勇太があたしの彼氏でいることなんだよ」
「こんな俺が? 何の役にも立たないこの俺が?」
「勇太は自分を過小評価しすぎだよ」
本命の彼女さんは続けた。
「勇太だけなんだよ。みんなに見捨てられたドン底のあたしを思ってくれるのは」
だからね、と呟き、強い意思がある声で。
「最愛の彼氏《勇太だけ》は誰にも渡さないって決めてるの」
彼と彼女の間では、私が知らない関係性があるのだろう。
それはわかっている。だが、私には歪な恋人関係にしか見えない。
本当に手に入れたいものがあるのに、それが手に入らないから代用品で補っている。
そんな感覚が。そんな違和感が。
「なぁ、結愛。もう手術は怖くないか?」
「怖くなくなったよ」
「うん。もしも手術が失敗して、あたしが死んでもいいかなと思ったから」
「手術が失敗とか……それはやめてくれよ。それに死ぬなんて言うなよ」
「ううん。あたしが死なないと意味がないんだよ。これは呪いだから」
「呪い……?」
「うん。あたしはね、勇太に呪いをかけてあげるの」
私とは違い、彼に選ばれた側の女の子は言う。
「今後の人生であたし以上に本気で好きになる女性には会えない呪いを」
たとえ、と彼女は再度呟く。
「どんなに勇太があたし以外の女性を好きになったとしても、一生あたしの影を追ってしまうの。一生忘れられないの。一生求め続けるんだよ、死んじゃったあたしを」
初恋は呪いだ。一生癒えない傷跡を作る。どんなに消しても消えない思い出を。
本命の彼女は死ぬ。だが、彼に人生最大の幸福を与えるのだ。
彼女が死んだ後の人生でも、彼は過去の幸せな時間を思い出して生きていくのだろう。
「あたしが知らない女が勇太のことを好きになっても、勇太はその想いに添い遂げられない。だって、あたしは死ぬことで、勇太にとって一生忘れられない女になるんだから」
本懐結愛の愛は重たい。彼女の愛は死ぬことで完遂するのだ。
死ぬことで美化された思い出の中で想いが膨らんでいくのだろう。
しかし、彼はその想いを何処にもぶつけられず、悶々とした日々を過ごすのだろう。
幾ら酒に逃げても、幾ら他の女を抱いても。
決して忘れられず、その影を探し続けるのだ。
彼女が残した幸せな思い出の中を、ただひたすらに。
「この世でもあの世でも、勇太はあたしのことだけを思ってくれればいいんだよ」
そう勝ち誇った表情を浮かべ、茶色の瞳を緩ませる本命の彼女さん。
彼の一番で在り続けることを企む、彼女と——。
(嘘でしょ……?)
茶色の美しい瞳と目が合い、彼女の口元が緩む。
確実に。こちらを見て、彼女は笑っているのだ。
私が押し入れの中にいるってバレてる?
いや、そんなはずは……。
「勇太、今ここでもう一回戦しちゃおう」
そう呟き、彼から甘いキスを受け取る彼女。
彼の愛を独占している優越感か。
彼女は微笑んだ。
あの表情は確実に——私に気付いている。
◇◆◇◆◇◆
【本懐結愛視点】
「あれ……? ここにあった駄菓子屋さん、潰れちゃったんだ」
最愛の彼氏宅から病院へと戻るタクシーの中で、本懐結愛は悲しげに呟いた。
小学校時代、何度も通った通学路沿いには、おばあちゃんが一人で営む駄菓子屋さんがあった。近所の子供たちはこぞって集まり、そこでお菓子を食べていた記憶がある。
「もうあたしが知らない街になってるんだ。ずっとここにいるのに」
自分が知らないうちに、自分が育った街が変わってきている。
生まれも育ちもずっとこの場所なのに。
自分があの忌々しい病院で過ごしている間に。
「…………はは、あたしだけ取り残されちゃってるんだ」
狭い車内の中で、「あはははは」と本懐結愛の薄気味悪い笑い声が響き渡る。
その声を聞き、運転手の男性は肩をビクッと震わせてしまう。
直感でわかるのだ。この女の子が可愛いだけの存在ではないと。何か闇があると。
正直なところ、運転手の男性自身も、「可愛い女の子が乗ってきた」と浮かれ気分だった。
しかし、たった数分の間に、その判断は間違いだったと悟ってしまう。
危険な客や迷惑な客の相手を長年してきた経験がそう判断させたのだ。
言わば、それは得体のしれない化け物を乗車させた感覚に近い。
「運転手さん。さっきの場所に戻ってもらえますか?」
「えっ?」
突然喋りかけられてしまい、運転手はもう一度問い直す。
「お客さん。もしかして何か忘れ物でもされましたか?」
「ううん。別に何も忘れ物なんてしてないよ」
運転手はバックミラー越しに後方を見る。
そこには、アイドル顔負けの微笑みを浮かべる少女の姿があった。
ただ、瞳の色は薄黒く、墨汁のように濁り切っている。
「ただどうしても確認したいことがあって」
確認したいこと。謎は深まるばかりだ。
「あ、はい……」
運転手は客の行きたい場所に連れて行くことが仕事だ。
急遽の方向転換を命じられ、先程通った道を引き返して行く。
「お客さん。元の場所に着きましたが、どうされますか?」
タクシーが停まったのは住宅街の一角。
数十分前に「ここに来てくれ」と頼まれ、訪れた住所。
後方の座席で不敵な笑みを浮かべる少女が、数十分前に乗り込んできた場所である。
「ここで待ってて。すぐに出てくると思うから」
「出てくる?」
運転手が疑問を呈した数十秒後であった。
車に乗せている少女が出てきた家から。
彼女と同年代と思えるが、大人っぽい雰囲気を醸し出す黒髪の少女が出てきたのは。
そんな黒髪美人な少女を追いかけるように、少年が出てきた。少年は少女の腕を掴んで、振り向かせる。しかし、その少女が何か呟くと、少年は手を離してしまう。
それを最後に麗しい容姿を持つ少女はこの場を去るのであった。
「やっぱり居たんだ。油断も隙もないね」
その一部始終を見ていた本懐結愛は呟く。
「あたしを騙した罪は重いんだよ。でも、今はまだ騙されたフリをしてあげる」
彼女の明るい茶色の瞳に映し出されるのは、彼女が愛して病まない彼の姿。
「ただ今だけだから。次はないんだよ、勇太」
もしも、次同じようなことをしたら——。
「あたし、本気でどうなるか、わからなくなっちゃうよ」
はぁーと深い溜め息を出した後、本懐結愛は言う。
「可愛い彼女で居続けるって大変なんだよ、勇太」
でも、と子供のように甲高い声で。
「あたしって偉いな。彼氏の浮気を許してあげるんだもの」
あたしは理解力ある彼女さんだから。勇太のことなら何でもわかるよ。
——不埒な女に騙されただけなんだよね?
——本当に面倒な女だよ。
——勇太にはあたしがいて、あたしには勇太がいればいいだけなのに。
「でもさ、勇太。またあの女なの?」
あの女。その言葉にはトゲがあった。
無理もない。だって、彼女である自分を蔑ろにて、あの女と会っていたのだから。
それも世界で一番愛してるはずの最愛の彼女である誕生日に。
「あたしよりもあの女のほうがいいのかな? あたしよりもあの子のほうが……」
ふふふふふふふふふふと、不気味な笑い声が響き渡る中。
一人の女性を乗せたタクシーは進んでいくのであった。
——秋編『時縄勇太は悪女の心を独占したい』編完結——