忘れちゃいなよ、初恋なんて   作:平日黒髪

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第72話『時縄勇太は最愛の彼女を救えない①』

 俺の予備校生活は退屈だ。

 ミステリー映画を観に行き、一つ前の時間帯の組が「犯人がまさかのヒロインだった」と饒舌に語るのも思わず聞いて、ネタバレを喰らってしまったぐらいに。

 上映されている間、どうせ犯人はアイツなんだろと疑いをかけてしまい、映画本編が茶番に感じてしまうぐらいに。

 

「退屈だ。暇じゃないが、退屈だ」

 

 誰からも喋りかけられず、ただ授業を受け、自習を行う。

 毎日夜遅くまで残るその姿は、模範生と言うべきだろう。

 医学部を目指す俺にとって、それは理想の生活スタイルだ。

 浪人生には願ったり叶ったりの生活スタイルといえるかもしれない。

 

 そのはずなのに——。

 

「なぁ、彩心さん。今度の週末さ、オレたちと一緒に勉強会やろうよ」

 

——どうして俺は落ち着かないのだろうか?

 

 俺の少し前の座席に座る男女グループの喋り声が聞こえてきた。

 見るからにイケイケな雰囲気が漂い、一生俺は近付けそうにない。

 逆に相手側も俺みたいな分際が近寄ったら避けるはずだがな。

 まぁ、俺もだけど。

 だって、アイツらと関わったら、偏差値が10ぐらい減りそうだし。

 

「勉強会? どうしようかなぁ〜。どうせ勉強する気ないでしょ?」

 

 グループの中心人物——彩心真優は笑みを浮かべる。

 

「私はわかってるんだからね。遊ぶことが最大の理由でしょ?」

「いや、勉強もちゃんとやるよ。まぁ、他の遊びもやる予定だけど」

「他の遊びって?」

 

 可愛らしく小首を傾げる彩心真優に対し、その男は鼻を伸ばして答える。

 

「——彩心さんが知らない遊び。夜通しカラオケとか会員制バーとか」

「夜通しは辛そう。でも面白そう」

 

——どうして俺は無性に腹が立つのだろうか?

 

「だろ? なら、決定な。で、他の女子もどう? 来るでしょ?」

「行く〜行く〜。絶対楽しそうじゃん。バーとか超オシャレ!」

「やっぱりノリがイイ子多くてよかったわぁ〜。俺たち準備しとくからさ」

 

——どうして俺は一抹の寂しさを感じているのだろうか?

 

 彩心真優が微笑む。

 俺だけに見せてくれたあの笑顔を。

 今は俺以外の他の男にも。

 それが許せないわけじゃない。

 ただ、胸の内側から沸々としたものが湧き立つのだ。居ても立っても居られない、変な感覚と呼べばいいのか。

 俺はこの感覚を知っている。

 小学校の頃に何度も味わった。

 これは——嫉妬である。

 

 彩心真優のことが好きなのだ。

 大好きで大好きで仕方がないのだ。

 それにも関わらず。

 アイツは俺のことを忘れて、他の男とイチャイチャしやがるのだ。

 何の腹いせかは知らん。

 だが、見せつけるように。

 俺のことを無視して、他の男と。

 

「んあああああああああああああぁ〜」

 

 頭を掻き、天井を見上げる。

 ペンを持つ手が震えるし、貧乏揺すりも止まらなくなる。

 奇声を発したことが仇になったのか。

 遊ぶ計画を練る奴等から嫌悪感丸出しな視線を向けられ、ヒソヒソと小声で何かを言われているのがわかった。

 だが、俺はそれを完全に無視する。元々、俺は孤独が好きな人間だ。

 兎も角、切り変えよう。俺は医学部を目指す人間だ。

 周りに流されるな。これが試験中ならどうする。

 数学のテキストともう一度格闘しようと試みるのだが——。

 

「ちくしょう」

 

 完全に集中力が途切れてやがる。

 今日はもうダメだ。帰ろう。勉強ができる状況ではない。

 そう思い、俺は教材を鞄の中へ放り入れ、大広間教室を後にした。帰り際、俺への嫌味が聞こえてきたのは気のせいだと思いたい。世間体を気にする小心者の俺には。

 

 

 廊下は薄暗く、静けさがあった。

 明るい声が蔓延していた大広間教室とは大違いだ。

 エコな社会を目指す。

 そういえば聞こえはいいかもしれないが、ただの経費削減にしか思えない。でも、俺のような日陰者にはこの薄暗く、ジメッとした廊下の居心地は悪くない。あの教室よりは確実に。

 

 階段を降り、一階へと辿り着く。

 楽しく談笑する生徒たちと、仕事を黙々と続ける事務員一同。

 俺は彼等の横を通り過ぎ、下駄箱を開く。

 殺害予告も告白の手紙もなし。

 あるのは、自分の靴のみ。

 当たり前だ。これがリアルだ。

 地方に住む、平凡な浪人生の。

 それよりも、さっきすれ違った生徒があんな表情を浮かべるなんて知らなかった。俺はあの生徒の名前を知らない。クラスが違うし、出身校も違う。ただ、顔だけは知っている。そんな関係に過ぎないけど、俺は先程の生徒が黙々と勉強を続ける人だと思っていた。言うなれば、友達なんて全く必要じゃないし、自分一人でも大丈夫なタイプだと。あぁ、はっきり言おうか。

 俺は先程の生徒に謎の親近感を抱いていた。俺たちは他の奴等とは違う。勉強だけが友達の孤独な人間。けれど、それは目標を叶えるために人間関係を排除しているだけに過ぎず、大学生になれば普通の人として生活もできるんだと。

 でも、あの生徒は違っていたのだ。

 俺とは違い、仲の良い生徒が居て、予備校生活を楽しみながらも自分の目標も目指せるタイプなんだと。

 

「全てを犠牲にしてきたのに、何も成し遂げられない俺とは大違いだよ」

 

 外に出ると冷たい風が頬を撫で、息を吐くだけで白く染まった。

 夏とは違う秋の雰囲気がある。もう既に季節は十月を過ぎているのだ。

 今後もっと寒くなっていくはずだ。

 秋の夜風を味わいつつも駐輪場へと辿り着き、自転車へと跨がる。

 今日は途中でコンビニに寄り、ホットスナックでも食べてやろう。

 そんな計画を練りながら、俺はペダルを漕ぎ始めた。車体がゆっくりと進み始め、夜間帯だけ光るライトが前方を照らす。ギュインギュインと戦隊モノのチャージ必須な武器みたいな音を鳴らしながら。

 

 一歩、また一歩。

 ペダルを踏むと進んでいく。

 力強く踏むとより前へと。

 風が頬を撫で、髪が靡く。

 今の自分は世界最速かもしれない。

 そんな気分になりつつも、俺は自転車を漕ぎ続ける。最高に気持ちよかった。自分の力でこんなにも早く進むのかと。

 

「んああああああああああああああ」

 

 気付けば、俺は奇声を上げていた。

 何処を目指しているのか。

 自分でもわからない。

 ただひたすらに何処かへ行きたかった。誰も俺を知らない場所に。

 普段通らない道へと入り、適当に進む。途中で右へと曲がり、またある程度進んだら、右へと曲がる。

 ただ、それを繰り返す。

 周りから見れば、無駄な行為だ。

 だが、それが今の俺には心地良かった。何も考えずに済むのだから。

 

 嫌なことを全て忘れて。

 自分のことさえも全て。

 ただ、ペダルを踏めばいいだけだから、気が物凄く楽だった。

 

 流石は田舎というべきか、交通量は少なく、道路を自由に走れる。

 頬を掠める夜風に吹かれつつも、俺は立ち漕ぎして、坂道を駆け上がる。

 乳酸が溜まり、限界に達する足を片手で叩き、もう一度気合いを入れ直す。ただ、それでも漕ぎっぱなしでは限界が訪れ、遂に俺は力尽きた。

 

「…………情けねぇな、おれ」

 

 道のど真ん中に倒れ込み、空を見上げる。少し濡れたアスファルト特有の嫌なニオイだ。背中にはぐっしょりと汗を掻いた感触がある。

 

「……ほんとう何やってんだ、おれ」

 

 毎日朝から晩まで勉強して。

 でも、上手く結果が出なくて。

 ここ最近は少しだけ成績が伸びたけど、まだ医学部に入るには足りなくて。

 

「……でも医学部に入る意味も」

 

 今ではもうほぼなくなった。

 この世で一番愛する彼女が死ぬ。

 この未来が数年後には確定しているから。

 俺が医学部に入学したところで、彼女は少ししたら死ぬのだから。

 俺の夢は——。

 本懐結愛の病気を治すことだった。

 彼女と同じ未来を歩みたかった。

 だから、俺は医者になりたかった。

 なのに——。

 

 今ではその夢さえも叶いそうにない。

 

「なら……俺はどうしたらいい?」

 

 好きな女も助けられない世界。

 好きな女を救えない現実。

 自分の力ではどうしようもない。

 彼女のために俺は何ができるんだ。

 未来がない彼女に。

 共に生きることができない彼女に。

 彼女が死んだ先の世界なんて——。

 屍のように生きていくしかない未来なのに。

 

「……どうして人は頑張れるんだ?」

 

 そう自分に問いかけた頃、強烈な光を浴びた。車のヘッドライトが俺の顔を容赦無く照らしているのだ。

 車は近づいてくる。運転手も気付いてないことだろう。こんな夜道に、人が寝そべっているなんて。

 

「……あぁ、このまま死んだら楽になれるのかもしれねぇな」

 

 そう願ってみたものの、俺は死ねなかった。途中で車は停まったのだ。

 運転手は道路に人が倒れていると勘違いしたのか、ドアを開けて車から降りてきた。文句の一つや二つでも言ってくるのか、そう思っていると。

 

「何やってるんだい、少年」

 

 長い黒髪が似合う色白の女性が喋りかけてきた。スラっとした体型で、身長は170センチは超えていそうだ。

 そんな女性の声に聞き覚えがあった。たった一度しか会わなかったが。

 最悪な気分だ。

 人生を一番楽しんでそうな女に出会うなんて。人を小馬鹿にして、のほほんと生きてそうな奴に出くわすとは。

 

「何か悩みがあるなら、このお姉さんが聞いてあげようか。お代はキミの初めてを一つ貰うとでもしようか」

 

 そう言いながら、彼女は手を差し伸べてきた。俺はその手を取り、地面から立ち上がる。

 服に着いた汚れを落としながら。

 

「何やってるんですか。サユさん」

 

 彩心真優の従姉——サユさん。

 俺に名前を呼ばれ、彼女は顔を顰めた。それから目をパチパチさせながら、俺を凝視したのち。

 

「ん? キミ、見覚えがあるよ」

 

 小首を傾げて、数秒の沈黙。

 その後、わかったと手を叩き。

 

「思い出した! 二股男だ!!」

 

 変な覚え方をされていたが、彼女は俺のことを覚えていたようだ。

 

「二股男ではなく、時縄勇太です」

 

 二股男なのは事実。

 だが、今後「二股男」と言われ続けるのは困る。

 話は変わるが、そう考えれば——。

 子供の名前を決めるときって、慎重に選ばないとダメだよな。

 変な名前を付けられたら、子供は一生その名前を背負って生きていかなければならないのだから。

 

「時縄勇太。つまり二股男だよね?」

「二股男=時縄勇太という不名誉な論理関係を結ばれた気がするんですが」

「不名誉なことをしてるキミが悪い」

 

 サユさんは容赦無く正論をかます。

 それを言われてしまえば終わりだ。

 俺の名前を覚えようとしているのか、彼女は俺の名前を何度か呟く。

 美女に名前を呼ばれるのは悪くない気分だ。特に「勇太」と呼ばれるのは。気持ち悪い話だが、ボイスレコーダーに録音して何度も聴きたいぐらいにはね。

 

「で、キミは何をしてるわけ?」

 

 サユさんは首を傾げた。長い黒髪が揺れ、大人の香りが漂ってくる。

 どうして女性は良い香りがするのか。同じ人間なのに不思議だ。

 これがフェロモンとでもいうのか。

 

「もしかして新たな女探しとか?」

「女に飢えない人生を送ってます」

「……見事に言い切ったね」

「言い切りますよ。二股男ですから」

 

 自分で言うのも変な話だけど。

 自慢するわけではないけど。

 俺は二人も彼女がいるのだ。

 新しい女が欲しいとは思わない。

 

「じゃあ、何をしてたの? 二股男」

「名前を呼んでもらっていいです?」

「二股男のほうがお似合いだなとおもって。よかったら変更しない?」

「だからって、改名しねぇーよ!」

 

 あと、と俺は付け加えて。

 

「病院とかに行って、突然『時縄二股男さん』と呼ばれたら、注目の的決定ですよ」

「よかったね。今日から人気者だよ」

「ただの笑い者だよ!」

 

 サユさんは目を見開いてから。

 

「キミって面白いね。全てに返してくれるんだ。嬉しい。普通は誰も返してくれないからさ」

「会話が途切れるのが苦手なだけです。沈黙よりも会話を続けたほうが楽だなと思って」

 

 人との会話は面倒だ。

 相性が合うタイプなら会話がポンポン進んで、楽しくなるだろう。

 しかし、合わない人とは地獄だ。

 お互いに探り探りになった瞬間から、冷戦状態の二国みたいな緊張感があるのだから。

 

「見かけによらず、意外と喋れるタイプなんだね。知らなかったよ」

「アンタの目には俺が引きこもりに見えてるのかな? または余程コミュニケーション能力に劣っていると?」

 

 意外とは余計だ、意外とは。

 喋ると面白いんだねと言えば済むものを。余計な一言があるんだよな。

 

「褒めてるんだから、素直に受け取ればいいのに」

「褒められるのは苦手なんです。褒められた経験が乏しいから」

「怒られるのが好きか。ドMなの?」

「早とちりはやめてください。褒められるのは苦手と言ったけど、怒られるのが好きとは一言も言ってませんよ」

「こうして、今日もまたでっちあげの記事やニュースが量産されていくんだよ。社会勉強になったでしょ?」

「どんな話のまとめかたですか。尺足らずの火曜サスペンスぐらい雑ですよ!」

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

「で、自己陶酔染みた現実逃避は楽しかったかい?」

 

 全てをお見通しとでもいうのか、俺よりも年上な女性はいう。

 口ぶりを察するに浪人生である俺をバカにしている。

 

「考える時間が多くて、余計に現実と向き合う羽目になりましたよ」

「向き合うだけでも偉い!!」

 

 サユさんは断言した。

 

「で、現実はどうだった?」

「最高にクソみたいな世界でしたよ」

「世の中そんなもんだよ」

 

 この世界に諦めた口調でサユさんは呟く。

 

「でもアタシは意外と悪くないと思うんだよね。こんな不平不満が募る世界でも。意外と生きる価値があるなと」

「知ったような口振りですね」

「キミよりは歳も知能も上だから」

「歳の割に心は成熟していないように見えるんですが?」

「心はずっと変わらないからね。ただ、身体だけだよ。変わったのは」

「悲しい話だ。大人になるってのは」

 

 でも言われてみればそんなもんか。

 中学高校の頃と今の自分は、あまり変わらない気がする。

 勿論、少しは成熟した部分もあるが、根本的な部分は何も変わらない。

 

「それにしても道路上で寝そべるのは危険だぞ。アタシも危うくもう少しでキミを轢いてた可能性があるからね」

「別に死んでもよかったんですけどね」

「アタシは困るからやめてくれ。完全犯罪をやるのは大変なんだから」

 

 そう言い返した後、サユさんは「ん?」と驚きの声を出して。

 

「もしかして死ぬ気だったの?」

「いや、そっちは隠蔽する気だったのかよ!」

「人気がない夜道だからね、目撃者はゼロだし。あとは、山に捨てて白骨化を待つだけさ」

 

 完全犯罪する気満々だったのか。

 だけど、それはそうだよな。

 進学もできず、仕事にも就かない俺みたいな男を轢き殺して刑務所に入る。

 そう考えたら、気の毒でしかない。何の夢も希望も持たない人間を殺してさ。

 

「で、そっちはどうなの? 本気で死ぬ気だったの?」

「わからないです。ただ、死んだら、嫌なこと全部忘れて楽になれるかなと思って……はは、おれ、情けないな」

「嫌なこと……もしかして女絡みでまた面倒なことでも起きたの?」

 

 この人はズバズバと俺の心情を読みやがる。

 探偵か占い師になることをオススメしたいものだ。

 

「もしかして真優に好かれ過ぎて困ってるみたいな浮かれ話?」

 

 さっきのは撤回だ。この人には推理力なんてない。

 俺と彩心真優の関係は、あの日を境に変わってしまったのだから。

 彩心真優が人生で生まれて初めてのデートだと浮かれていた日に。

 男の子、それも彼氏の家に遊びに来たのは初めてだと言ってた日に。

 少し前までは昼休みには一緒に大広間教室で弁当を食べ、帰るときも同じ時間帯に合わせていたのに。帰り道には他愛のない話で盛り上がり、コンビニに寄り道して買い食いしていたのに。

 今では俺とアイツは軽く挨拶をする程度で、それ以上の関係性はないのだ。

 

「やっぱり、真優と何かあったんだ」

「アイツとは別に……」

「目線が泳いでるぞ」

 

 誤魔化せないな、この人には。

 

「アイツを怒らせたんです」

「何かしたの?」

 

 もう白状するしかあるまい。

 

「アイツの目の前で結愛とSEXしました」

 

 

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