昼食を取り終え、俺たちはショッピングを楽しむことにした。と言っても、ウィンドウショッピングなんだけどね。
お金に余裕が無い浪人生には致し方ない。
もしも大学生になったら、医学部在学中という肩書きを武器に家庭教師や塾の講師をしてもいいかもな。1時間2000~3000円ぐらいも夢じゃないだろう。
と、俺がひそかにニヤけている最中、結愛はとあるお店の前で立ち止まっていた。
そこは宝石屋だ。俺たち十代後半にはまだ早いと思えるような店に、結愛は興味を持っているようだ。
彼女の視線の先にあるのは――。
指輪だ。
それも大きなダイヤモンドが付いた指輪。
半端者の俺には手が届かない代物である。
「……結愛どうかしたか?」
「ううん。何でもないよ」
首を横に振りながら、結愛は続けた。
「ごめんね。心配させちゃって」
「心配するほど好きなんだと実感できたよ」
「それならもっともっと心配していいからね」
俺と結愛を横目に如何にも成金感が漂う男とお金に目が眩んだ女が宝石屋へと入っていく。
女が腕をギュッと握るのは、男に宝石を強請るためだろう。心のうちでは、この男を本気で愛しているのかはわからないけど。
「本日も来ていただきありがとうございます!」
流石は宝石屋といったところか。
藍色スーツが似合うスラっとした体型の男性店員がその二人へと挨拶を行う。
高い宝石屋と有名なお店である。
そこで頻繁に買い物をしていることは、一種のステータスと思えるのだろう。
二人は鼻を高々にし、満面の笑みを浮かべている。周りの客は結婚や大事な記念日などの理由に宝石や指輪、ネックレスなどを送るのだろう。しかし、この二人は違うようである。
「ねぇねぇ、あっくん。ワタシ、これ欲しい! あと、これも……あ、こっちのも可愛い!」
自由奔放な女は店内をグルグルと子供のように回りながら、指をさしていく。
その女をゆっくりとした足取りで、男は追いかけていく。次第に増えていく願望に、財布事情が不安になったのか、彼はいう。
「ちーちゃん、ちょっと選びすぎじゃないか?」
「えっー!! あっくん、ちーのこと嫌いなの?」
ぷくぅ~と頬を膨らませる女。
その姿を見て、男は根負けしたようだ。
「いいよ。好きなもの何でも買っていいよ」
「えっー!! 本当! あっくん最高!!」
人前であることは関係ないのか、女は男の頬に唇を当てる。その刺激的な光景に周りも苦笑いを浮かべている。だが、二人は二人だけの世界に入り浸っているようだ。
「それじゃあねー。これと、あれと――」
女が商品を選ぶ姿を見届け、俺と結愛はこの場を離れることにした。
店内と一定の距離が取れたところで、俺は会話を切り出す。
「愛って何なんだろうな」
「どうしたの…….突然」
「さっきの男女見ただろ?」
「見たけど、それがどうかしたの?」
「俺の予想に過ぎないけど、あの二人はお金だけで成り立っていると思うんだよな」
お金だけで成り立つ愛。
お金の切れ目が縁の切れ目。
そんな感じの二人にしか見えなかった。
「人を見かけで判断したらダメだよ。というか、さっきも言ってなかったっけ? お前はその程度の知能かとか多量の毒を吐いてた気が」
言っていた。偉そうな口調で。
それにも関わらず、他者批判とは――。
「本音をいえば悔しいんだろうな、俺は」
「本音をいえて偉いね、勇太」
「この世は資本主義社会だからな。お金を稼いだ奴が一番偉いみたいなところあるだろ?」
「気持ちはわからなくもない」
「芸能人やセレブを見ては、やっぱり凄いと思う。特に野球選手みたいな人たちには憧れるんだよな。地位も名誉も財産も全て持っててさ」
何者かになりたい。
そんな願望を俺は少なからず持っている。
他の人間とは違う、特別な存在にと。
ただ、現実はどうだろう?
俺は普通の、いや平凡以下の人間だ。
その事実に無性に腹が立つんだ。
自分自身に嫌気が差す。
何者かにさえなれない自分自身って奴に。
「地位も名誉も財産も今の勇太は持ってないかもしれない」
隣に立つ結愛はそう呟き、俺の腕をギュッと握りしめてくる。それから茶色の美しく透き通った瞳を上目遣いにさせ、彼女は口を開く。
「でも――あたしがいるよ。勇太のためになら、何でもできちゃう女の子がいる。愛してと言えば抱きしめるし、触れてと言えば全部あげるし——」
彼女はそっと耳元へと近づき、俺一人にしか聞こえないほど小さく、けれど芯があり、覚悟が決まっているような声で続きをいう。
「死んでと言えば、笑って飛び降りる。それが――愛だよ、あたしからの」
それを無償の愛と呼ぶのだろう。
自分の全てを投げ捨ててでも、愛する人のために尽くすことが。
この世の恋人たちに一度問いたい。
あなたは本当に愛する人に自分の命を投げ出すことができるのかと。
◇◆◇◆◇◆
「映画館の魅力は予告動画にあると思う!」
映画上映時間十分前。
俺と結愛は座席に着き、二人揃って久々の映画に興奮していた。
客の入り具合はまだポツポツという感じだ。
予告動画が次から次へと流れ、俺たちの心を魅了するのだ。
「最近テレビで知ったんだけどさ。タイの映画館では、国王讃歌が流れるらしいよ」
「えっ? 映画館で?」
「そうそう。予告と本編の間に。で、国王讃歌が流れている間は、全員起立しなければならないんだって」
「……映画を観るために来てるだけなのに」
「国王が存在する国ならではの文化だよね」
結愛が続ける。
「映画館のホットスナックって、実はあんまり使ったことがないんだよねー」
「映画館で食べる習慣がないんだよな」
「映画に集中できないからね」
「そもそも論、映画館に行く前か行った後に食事を楽しんでいると思うんだよな」
「それはある! あと地味に値段が高いんだよね。ポップコーンと飲み物購入しただけで、1000円近くお金が吹っ飛ぶからね」
映画のチケット代1700円。食事代1000円。グッズ代2000円。
そう考えると、映画というのはそこそこお金が掛かる趣味だ。
「でもポップコーンってさ。購入する前はいっぱい食べてやると思うんだけど、実はあんまり食べないだろ?」
「勿体無い感はあるよね」
「周りの人を見ると、数個食べてそのまま捨てて出て行く人もいるからな」
「胃袋問題があるにしても、それは困る。フードロスの時代なのに!」
「数個食べるだけなら飲み物だけにしろと思うぜ。ポップコーンの数個なら、床に落ちてるものを適当に拾って食べてろと思うもん」
「流石にそれは卑しすぎじゃない?」
「上映中は暗いし、誰にも見えないから安心だよ。床掃除の手間も省けて清掃員も喜ぶよ」
そういう問題ではないと思うんだけど……。
という声が隣から聞こえてくるのだが、俺は完全無視した。
「映画の上映時間って、実は予告動画が10~15分ぐらいあるから。実際は少し遅れて入ってきてもいいんだよね」
ズズッーと、結愛はホワイトウォーターを飲む。
「地味に長いと思ってたけど、そんなにあるのかよ! 終わったあとに、トイレに行列ができるわけだわ!」
って待てよ。映画一本二時間弱と考えて。
「上映時間の10分前とか20分前に着席してる人は、三時間弱も我慢してるわけね。それは途中でトイレに行きたくなるわ!」
「ハリウッドの映画なら尚更大変かもね」
「エンドロールを最後まで見てたら、お父さんの膀胱が破裂しちまうわ!」
◇◆◇◆◇◆
照明が消え、映画が始まる。
その思いが一体の人々に伝染したのだろう。一気に緊張感が高まり、一体感が出る。俺は小さな声で結愛に呟く。
「電気を消した状態で明るいものを見たら、目が悪くなる。子供の頃はそう教えられたけど、実は違うらしいぜ」
「えっ? そうなの?」
「それを言うんだったら、映画館はどうなるって話だ」
「あっ……た、確かに」
「もしもそれが本当なら目に毒な商売をやってるもんだね、世の中ってのは」
映画の楽しみかたは、各々で異なるだろう。
だが、これだけは全員が共通しているはずだ。
隣に座る人間で、映画の面白さは変わると。
その点において、今回は最高のシチュエーションだ。
俺の左隣は結愛で、俺の右隣は空席なのだからな。
これなら映画に集中できるだろう。
俺はそう本気で思っていたのだが――。
「はぁ~よかったよかった。間に合ったぁ~」
安堵の声を上げながら一人の女性が現れたのだ。
彼女の手元にはポップコーン、ホットドック、ドーナツ、ドリンクなどががっしりと握りしめられていた。余程食い意地が張っているのか、お腹が空いているのだろう。多少、ニオイが気になりそうだが、これは仕方ないことだ。
そう自分を落ち着かせ、映画本編に集中しようとした瞬間――。
「っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ!?」
隣の女性は俺の右手へと手を重ねてきたのだ。それも、そっと触れるような方法ではない。指の間に自分の指を入れ、ギュッと握りしめて。
何をするんだと糾弾したい気持ちがある。だが、それはできなかった。
「本当敏感だね、勇太くんって」
俺の耳元でそう悪戯っぽく、けれど甘く囁く声。
「でも彼女さんの前だから変な真似はしちゃダメだよ?」
「…………お、お前。何のつもりだ」
「何って? 決まってるじゃん。二人の邪魔だよ、邪魔」
そうクスッと微笑むのは悪女――彩心真優であった。
◇◆◇◆◇◆
最愛の彼女と映画デート中に、肉体関係へと発展し、隠れて付き合っている女と出会った。
どうしてこの女がこんな場所にいるのか。
そんな気持ちもあるが、最重要なのはこの女の目的だ。
「何のつもりだ?」
「自分の胸に聞いてみなよ」
「わからねぇよ」
溜め息混じりに呟き、俺は手を振り払う。
だが、決して彼女の手は離れない。瞬間接着剤で引っ付いているかのように。
「……今の状況がわかってるだろ?」
強情な女の相手を真正面から挑むから悪いのだ。この悪女——彩心真優の性格は数ヶ月の付き合いだが、大体理解しているつもりだ。
頑固で面倒で世話焼きな部分なところとか。
自分の意見や考えを決して曲げないとかな。
「彼女さんが隣にいること?」
琥珀色の瞳が真っ直ぐ見つめてくる。
視線を逸らそうとするが逃げられない。
その瞳が仄かに緩み、問いを放つ。
「——それがいいんでしょ?」
「……はぁ?」
素っ頓狂な声を出してしまう。
ただ、ここは映画館である。
スピーカーから流れる大きな音に呑まれ、俺の声は不自然に思われなかった。
隣に座る結愛は映画に集中しており、俺の声には気付かなかったようだ。
「危ない危ないよ〜」
煽るように口元を緩め、右隣に座る黒髪の少女は手のひらを軽く握りしめ、まるで糸電話で話す子供のように囁いてきた。
「もう少し声が大きかったら、彼女さんにバレちゃってたかもしれないよ?」
小さな子供を相手にするような口調。
言葉の節々におちょくられている感が否めない。俺が睨んでいるのに、自信満々に微笑むのみ。完全にこの女は楽しんでいるのだ。
「お前が変なことをいうからだ。で、どういうつもりだ? 恋人同士のデートを邪魔して」
「これは仕返しなの」
「仕返し?」
「そう。あの日の仕返し、見せつけられたから」
その声は限りなく小さかったが、確かな意思が存在した。決して許さないと。決してあの日のことを忘れはしないとでもいうように。
「でもさ、本当に哀れだと思わない? デート中に自分の彼氏が他の女に奪われるなんてさ」
「別に俺はお前に奪われてなんて——」
瞬間、白い腕が伸び、俺の股間を弄ってきた。突然の出来事に肩をぶるっと震わせてしまう。だが、それ以上の抵抗ができない。
彼女はズボン越しに何かに気付いたようだ。
男性の大切な部分が盛り上がっていることに。それから彼女は悪魔のような笑みを浮かべつつ、白い指先でスゥーとなぞるのだ。
「こんなに大きくなってるけど、それでもまだ偉そうなこといっちゃうわけ?」
彼女が隣にいるのに、他の女に遊ばれている。更には抵抗もせずに身を預けている。
叫べば全てを終わらせるのはわかっている。
ただ、大好きな彼女——本懐結愛にこの状況を知られたくなかった。折角のデートなのに、お邪魔虫がいると知ったら楽しさが半減するからだ。だから、俺は何もできず、悪女——彩心真優からの揶揄いを受けるしかなかった。
「少し触っただけでこんなに大きくしちゃってさ。男の子って、本当に単純だよねぇ〜」
「うぐっ……ぐぅ。お、お、お前——」
「いいよ、その表情。もっと見せて。私に」
絶世の美女。
その言葉が似合うお嬢様学校出身の少女。
彼女が妖艶に微笑みかけてくれる。男性心的に、それは素晴らしい出来事だろう。
でも、俺の隣には——最愛の彼女がいる。
彼女の前で彼女を裏切るような真似をされている。この世で一番愛しているといったのに。
その何とも言えぬ背徳感に襲われつつも、俺は必死に高鳴る幸福感を耐えた。絶え間なく続く攻撃に、俺は深く息を吐きながらも。
「お前最低だな。心が腐ってるよ」
「心が腐っているのはお互い様でしょ?」
彩心真優は視線を外し、小さく息を吐く。
「……それに言える立場じゃないでしょ?」
その言葉を皮切りに、彼女の攻撃はより一層強くなった。決して抗えぬ性の快楽に撃ち抜かれそうだ。必死に堪えるのだが、徐々に加速する刺激に全てを委ねたい気分になってしまう。
——ごめん、結愛。俺もう無理かもしれない。
そう心の中で呟きながらも、俺はこの世で一番愛する彼女を眺める。スクリーンの光を浴び、顔がハッキリと見える。
彼女は八重歯を剥き出しにさせ、興味津々に映画に夢中になっていた。何も知らず、純粋な笑みを浮かべたままに。
——最低な男だ。愛する人の前で、他の女にもてあそばれているなんて。
もう限界だと思った瞬間、その未知なる快感は止まり、俺は現実に急激に引き戻される。
触れられていた下半身は熱を帯び、その我儘な欲望を吐き出したい波に襲われている。
右隣を見ると、ニタァと恍惚な表情を浮かべる悪女の姿があった。彼女は煽るようにいう。
「どうして今ちょっと寂しそうな顔してるの?」
「…………」
「本当はさ、もっとしてほしかったんでしょ?」
「…………」
「いいんだよ、ほらぁ。ハッキリといいなよ」
甘く蕩けそうな声で誘惑する悪女。
計算通りに上手くことが進んでいるのか、彼女は上から目線な笑みを浮かべている。
その姿は虫かごの中にハチとカマキリを入れて戦わせる少年だ。どちらが勝利しても、最後は自分のペットである大型トカゲを放ち、死闘を繰り広げた者を捕食する。
そんな未来が待っているのに、「コイツを倒せば生きられる」と信じる二匹が必死に戦う姿を見下ろしているかのように。
「……お、俺は」
言葉を交わそうとするのだが——。
それは突如として止まってしまう。
「————————っっ!!!!」
悪女——彩心真優が唇を奪ってきたのだ。酸味がある柑橘系の味だった。舌を強引に押し込もうとする彼女を引き離し、俺は唇を拭き、手元のメロンソーダを含む。
それは贖罪の意味があったのかもしれない。
最愛の彼女が隣にいるのに、他の女の誘惑に負け、思うようにもてあそばれている自分への罪意識から。
しかし、それさえも逆効果であった。
「逃げないでよ、これはあの日の仕返しだから」
悪女は俺の両手を握りしめ、何度も唇を奪っていく。映画に夢中の最愛の彼女は決して気付くことはない。
更には、俺の弱い部分を執拗に触れ、彼女持ちの男が抱いてはいけない劣情さえも抱かせてくるのだ。もはや、俺は悪女の玩具であった。
◇◆◇◆◇◆
映画の幕が上がり、ゆっくりと照明が付いた。上映中は異空間のように感じられた場所も、明かりが付いた今では何の変哲もない大きな箱に過ぎず、現実に戻ってきた感が強い。
感動の渦が未だに残り、観た者全ての心に残っているらしい。客席から立ち上がる人の中には、涙を流している者もいた。
「結愛、俺たちもそろそろ行こうか」
悪女の手に堕ち、何度も心を支配されそうになった愚かな彼氏の言葉に「うん」と素直に頷く最愛の彼女。座ったままの彼女に手を差し出され、俺は彼女を引き上げる。
よろよろと覚束無い足取りに、俺は思わず結愛を軽く抱きしめてしまう。
「大丈夫? 体調に変化はない?」
「……う、うん。大丈夫??」
「どうかした?」
「いや、勇太がいつもと違う気がして」
「俺? いつも通りだけど?」
「ううん。いつも以上に優しく感じる」
「映画を観て変わったんだよ、きっと」
正直な話をしよう。
俺は映画の内容など殆ど覚えていない。
俳優陣の顔と名前、あとストーリーの内容をクッキーの一欠片ぐらい知ってるのみだ。
「ふふ〜ん」
鼻歌混じりに俺の腕を取り、明らかに上機嫌な様子がわかる最愛の人。
彼女は俺の腕を組みつつも、手を絡めあい、指と指の間に指先を入れ込んでくるのだ。
到底、彼女は知らないことだろう。
その手が数分前まで、違う女と繋いでたことも。その女の柔らかな部分に触れていたことも。その女と一夜を共に過ごしたことも。
でも今は愛する彼女との大切なデートだ。
我へと返り、俺は愛する彼女との貴重な時間を如何に過ごすかを再検討する。
ただ、やはり気まぐれで、寂しがり屋な心はほんの少し前まで自分の右隣にいたはずの女性を追い求めているのだ。
そこにいたはずなのにもう今はいない。
もしかしたら自分は幻覚や夢を見ていたのではないか。そんな感傷的な気持ちになるのだが、悪女から受け取ったキスの味は俺の上唇に残ったままであった。
未だに俺の唇は熱を帯び、あの味を求めてしまっているのだ。また、味わいたいと。