彩心真優の秘密基地を後にし、俺たちはいつもの自販機まで戻ってきた。
今回は飲み物を購入しに来たわけではない。
そこの横に立てかけた自転車に用があるのだ。
急いでチェーンを外し、俺は自転車のサドルに跨る。
すぐに彩心真優も後ろに乗るだろうと思っていたのだが、行動が遅い。
「ほら、さっさと乗れよ。行くんだろ?」
グズグズしている彩心真優に問う。
だが、彼女は浮かない顔をして。
「……いや、そ、その自転車に二人乗りはちょっと恥ずかしいかなと」
「あのなぁ〜。今は一大事なんだろ? それなのに何を言ってるんだよ」
「そ、それでもさ、知り合いとかに偶然会ったらどうしようかなと」
「自転車漕いでるんだぜ。バレたところで、素通りすればいいだけだろ」
「でもさ、そ、その信号とかあるじゃん。それでジィーと見られたり……」
彩心真優の気持ちも死ぬほど分かる。
バイクの二人乗りならば、多少は格好が付くかもしれない。
だが、俺の所有車は、通学用自転車。それも主婦御用たちのママチャリだ。
「じゃあ。歩いていくのかよ?」
「それも無理」
「なら、我慢しな」
渋々と言った感じで、彩心真優は静かに自転車の荷台に腰を下ろす。
前向きに乗るのかと思いきや、彼女は横向きにちょこんと座ってきた。
「落ちても知らねぇーからな」
「大丈夫。そのときは一緒に落ちるから」
「俺を一緒に道連れにするんじゃねぇーよ!!」
口喧嘩しながらも、俺はペダルを漕ぎ始める。
やはり、二人分の重みがあるペダルは一味違う。
だが、一度回り始めた車輪は、回転が早くなる。
「へぇ〜自転車ってこんなに気持ちいいんだねぇ〜」
呑気な声を上げながら、彩心真優は腕をググッと伸ばしているようだ。
人は一生懸命漕いでいるのに、コイツは何を寛いでいるのか。
「お前さ、もしかして自転車乗ったことない?」
「……はぁ? ちょ、ちょ、ちょ、ちょっとバカにしないでくれる? 自転車ぐらい乗れるに決まってるでしょ。わわわわわわ、私を誰だと思ってるの? 彩心真優よ」
「意外とお前ってさ、分かりやすい性格してるよな」
「……い、いや、その苦手なだけだから。うん、少し苦手なだけで!!」
完璧超人な彩心真優にも苦手なことがあったのか。
それは貴重な情報である。今後、からかわれたら、「自転車」と反論してみよう。
◇◆◇◆◇◆
俺がペダルを踏む度に、自転車は「ギィーコギィーコ」と悲鳴を上げる。
一人で乗っているときは鳴らないが、二人分の重みには耐えきれないようだ。
彩心真優もその音に気付いたようで。
「ねぇ、本当に大丈夫……?」
そう呟き、彼女は俺のシャツを引っ張ってきた。
今から幽霊屋敷に行こう。
そう言っているわけでもないのに、コイツは不安気だ。
「大丈夫に決まってんだろ」
「でも、さっきからギィーコギィーコって」
「ちょっとさびついているだけだよ。気にするな」
「そっか。さびだったんだ」
安堵の声を上げ、彩心真優の手が離れる。
「私が乗ったから壊れちゃったのかなと思っちゃった」
「そう簡単に壊れねぇーよ」
「そうだよね……自転車もそんなやわなものじゃないよね」
「まぁ、結愛と一緒に乗ったときは変な音も鳴らなかったがな」
数秒間の沈黙。
その後、彩心真優は俺の脇腹を摘んできた。
「……私は別に太ってないからね!!」
「ち、ちょっと、お、お前……く、くすぐったいって」
俺には弱点が多すぎる。
特に、身体を必要以上に触れられないのが苦手だ。
それも、脇腹や脇の下など、普段触られない部分は——。
「時縄くんが悪いんだよ。私を太ってるみたいな言い方したから」
「してねぇーよ。ただ結愛と一緒に乗ったときは大丈夫だったって事実を伝えただけで」
「……だから、その言葉が傷付けてるんだよ。乙女心が分からない年頃なのかな」
もうお前には失望した。
そんな口調で呟き、彩心真優は「ふんっ」と鼻を鳴らす。
脇腹から手も退けてもらい、蛇行運転気味の自転車は体勢を取り戻す。
「最近ちょっとは太ったけど、浪人生の体重増加はあるあるだから。だから、その……別に全然悪いことじゃないからね」
彩心真優の体重増加は食欲が原因だろう。
アレだけの量を食べて、逆に太らないほうがおかしい。
◇◆◇◆◇◆
病院へと到着。
日頃の運転不足が祟ってか、俺は息切れが止まらなかった。
だが、事前に購入していたクラフトコーラを飲み、体力は全回復。人様の気も知らずに、彩心真優は「だらしないわね」と冷たい瞳を向けてきた。感謝の言葉が先だろ、普通はよ。
駐輪場に自転車を止め、チェーンを付け終える。
盗まれる心配は極めて薄い。それは分かっているが、俺は用心深いのだ。
食料品を購入する際も、クセで消費期限を気にしちゃう男だしな。
「初めての二人乗りはどうだったか?」
「楽しかったわ。風になった気分だったかも」
大袈裟に答え、彩心真優はズボンの後ろポケットを確認して。
「おしりが痛いわね、やっぱり」
「荷台だからな。お前が座ってたの」
「それで、どうやって病院の中に入るのよ?」
病院の正面玄関には光が灯っている。
見た限りでは、どうぞご自由に入ってくださいという雰囲気だ。
だが、面会時間はもう既に過ぎている。
なので、普通の方法で出入りするのは難しいだろう。
「よしっ。それじゃあ、付いて来いよ」
それだけ伝えて、俺は病院の裏手へと歩き出す。
そんな俺の後ろを、彩心真優はおどおどした感じで付いてくる。
病院のスタッフに見つかってしまうのではないかと、怖がっているのだろう。
まるで、敵戦地に潜り込んだ新米スパイのような足取りである。
「お前ってさ、意外とビビりなの?」
「ビビリじゃないわよ。これが当然の反応でしょ?」
「大丈夫だって。見つかったところで怒られる程度で済む問題だし」
「……怒られる時点で、ダメなのよ。まったく……」
彩心真優は溜め息を吐き、頭を抱えてしまう。
そういえば、彼女はお嬢様学校出身なんだっけ?
昔から何かある度に、注意されてきたのだろう。
だから、常識からはみ出ることに恐怖を抱いているのかもな。
「ちょ、ちょっと……ここ本当に通っていいの?」
病院の敷地内。
その奥の奥へと、俺たちは進んでいるのだ。
車が一台通れるほどの狭い道だ。
一般客の使用用途は、皆無に等しいだろう。
「さぁ〜どうだろうな。通ってもいいんじゃないの?」
「それ絶対にダメじゃん。それにちょっと臭いんだけど……?」
「それはそうだろ。ほら、あそこ——」
前方を指差す。
そこには、大量のゴミ袋が山のように積み上げられている。
病院内で出たゴミを溜めているのである。
「——ゴミ捨て場だからな」
「ええっ??」
彩心真優は顔を歪め、鼻を摘んでしまう。
今すぐに、ここから立ち去りたい。
できることなら、さっさとお風呂に入りたい。
そんな意思がひしひしと伝わってくる。
だが、隠し通路はその近くにあるのだ。
医療スタッフに会うかもしれない。
そう思っていたが、誰一人として会うことはなかった。
「ここが秘密の抜け道だ」
病院の裏手。
ゴミの溜まり場から、異臭が漂う場所。
そこには、病院の中へと繋がるドアがある。
医療スタッフ限定の隠し通路と言った感じか。
「ん? ここから入るの……? 鍵がかかってるんじゃない?」
小首を傾げる彩心真優に、俺は面白いことを教える。
「実はな、このドアは壊れてるんだよ」
見た限りでは、何の変哲もないシリンダー錠のドア。
だが、本当は——。
「……壊れてる?」
彩心真優は首を傾げたあと、ドアノブへと手を伸ばす。
ギュッと回してみているものの、開くことはない。
一体どういうことなのよ、と異議申し立てする瞳を向けられてしまう。
「コツがあるんだよ、コツがさ」
もう何度もこの抜け道を通って、病院内に侵入したことがある。
以前と同じシリンダー錠なので、改善はされていないはずだ。
「このドアノブな。少し力の入れ方を変えれば——」
田舎町の古ぼけた病院。
年寄りビジネスの経営状況は順調で、改築作業が進んでいる。
だが、人が殆ど通らない場所は後回しにされているのだ。
結果——このドアは、壊れたまま放置されているわけだ。
ガチャリ。
ドアが開く音が響き、彩心真優は「あぁ!!」と漏らす。
「なぁ? 簡単に開いただろ?」
「どうしてこんな抜け道を知ってたの?」
「昔、結愛に教えてもらったんだよ」
結愛の話によれば、掃除業者がこの裏口を使っているらしく。
で、数年前に「裏口のドアが壊れてる」と、掃除業者と看護師が話していたのだと。
病院生活が長い結愛には病院の裏側を知る機会が多いのだ。
「これで駒は全部揃った。お前との約束は全部叶えたぞ」
俺は彩心真優に誓ったのだ。
彼女の祖母に絶対会わせてやると。連れて行ってやると。
病院まで連れてきた。夜の病院に侵入する方法も教えた。
だから、あとは——。
「あとは、お前が勇気を振り絞るだけだぜ。彩心真優」
「だ、大丈夫かな……? その迷惑とかじゃないかな?」
「孫が見舞いに来てくれるんだ。嬉しいと思うぜ」
「そうだよね。うん。なら、行ってくるね」
彩心真優はドアノブを掴む。
危篤の祖母に何ができるのか。
彼女はそう考えているに違いない。
でも、何ができるかではなく、何をするかが重要なのだ。
「くれぐれも見つかるなよ、病院関係者には」
「分かってるわよ。言われなくても」
「終わったら俺に連絡くれよ。待ってるからさ」
「帰ってもいいのよ。時縄くんはもう……」
「女の子を一人残して帰るわけないだろ?」
病院からの帰り道は、暗すぎる。
あんな場所を、女の子一人で帰らせるわけにはいかない。
「親切なんだね、時縄くんって」
「親切じゃなかったら、お前をここまで連れてきてねぇーよ」
「それもそっか」
彩心真優はそう呟き、不思議そうな表情で。
「あのさ、時縄くんって私のこと好きなの?」
「はぁ?」
「普通ここまでしないよ。好きでもない女の子のために」
「勘違いするな。ウジウジしてるお前を見て、イラついただけだ」
「ふぅ〜ん。時縄くんってさ、結構女をたぶらかすの上手だね」
一体、何を言いたいのか。
からかい上手な彩心様は、今宵も哀れな俺をからかってくる。
ただ、嫌な気はしなかった。逆に、本調子に戻ってよかった。
彩心真優の表情からは、陰鬱さは消えているのだ。
明日この世が終わりますみたいな顔してやがってたのに。
ちょっとは明るい顔になったな。こっちのほうが遥かに似合ってるな。
「どういう意味だよ?」
「言葉通りの意味だよ。時縄くんは、女心をもてあそぶのが好きなんだなと」
「……ただ勇気付けただけだろ。最後に決めたのは、お前だろうがよ」
「そうだね。じゃあ、行ってきます!!」
覚悟を決めたような声で言い、彩心真優は扉を開く。
ドアの先から漏れ出る光。この先に、彼女の祖母が待っているのだ。
彩心真優は足を一歩だけ進めて。
「……ありがとう」
感謝の言葉だ。
そう読み取るまでに、時間がかかりすぎた。
彩心真優が自分から歩み寄るなんてなかった。
毎回毎回、一方的に俺を小馬鹿にして遊んでくるだけなのに。
「ありがとうと言ったのよ。もう次はないから」
俺の視界からは、彩心真優の背中しか見えない。
だが、彼女の小さな肩がぷるぷると震えているのは分かる。
自分なりに、感謝を伝えたつもりなのだろうか。
「あぁ、どうもありがとう。頑張って来いよ」
コクリと頷いた数秒後、彩心真優は病院内へと入っていった。
◇◆◇◆◇◆
俺は彩心真優の帰りを待ち続けた。
その間に母親へ「帰りが遅くなる」と伝えた。
だが、彩心真優は全く戻ってくる気配はなかった。
スーパーの買い物ついでに、散歩も一緒に命じられた犬の気分だ。
実際、紐に括り付けられた犬など忘れて、話に花を咲かせるお婆様方をよく見かけるし。
などと、思いを馳せていると——。
「バンッ!!」と、爆竹が弾けるような音が響いてきた。
もしかしたら、近くで誰かが花火でもしているのだろうか。
まだ夏は訪れていない。だが、もう少しで今年も夏が来る。
気が早い連中が、一足先に夏気分を満喫しているのかもしれない。
「まぁ、俺は地獄の夏になるんだけどな」
去年の夏、俺は自分を追い込んだ。
起きてから寝るまでひたすら勉学に励んだ。
言わば、耐久ゲームの如く、俺は受験の夏を過ごしたのである。
結果、苦手科目の数学以外は、ググンっと成績を伸ばすことができた。
だから、今年も同じように自分を追い込み、少しでも成績を伸ばすしかない。
勉学に近道は存在しない。
ただ、毎日の隙間時間を有効活用し、コツコツ勉強を進めることだ。
というわけで——。
受験生らしく、俺は英単語の一つや二つを覚えることにした。
今日覚えた単語を思い出し、俺は何度も魔法のように唱えるのであった。
「それにしても……アイツ、遅すぎるだろ」
腕時計を確認すると、午後11時だ。
かれこれ、一時間以上、俺はここで待たされている。
そのおかげで、英語の復習は完璧だ。
もしも小テストがあれば、全問正解を狙える自信がある。
さて、問題だ。
彼女でもない女に待たされて、一時間以上。
皆様ならば、どんな行動を取る?
①そのまま帰る
②連絡を入れて帰る
③じっと黙って待ち続ける
俺は比較的気が長いほうだ。
それでも一時間以上待たされると、気になってしまうのだ。
待っててやると言った手前、無視して帰ることはできない。
かと言って、ここで連絡をするのを、無粋ではないだろうか。
彩心真優は祖母との貴重な時間を過ごしているのかもしれないのだ。
だから、ここは男らしく、黙って待つべきなのではないかと。
そんな悶々を抱えながらも、俺は彩心真優の帰還を待ち続けた。
だが、幾ら経っても戻って来ない。
アイツの身に何かあったのだろうか?
もしかしたら、病院内でトラブルを起こした可能性もある。そうだったら、どうするべきか?
疲れ切った脳を酷使し、無駄な妄想に取り憑かれていると——。
ピコンと、俺のLIMEに連絡が入った。
彩心真優からであった。俺たちは、お互いに連絡先を交換していない。
だが、予備校のクラスでグループを作っているのだ。
そこから友達登録して、俺に連絡をくれたのだろう。
『真優「……ごめん」』
『真優「先に帰っていいよ」』
彩心真優はおばあちゃんっ子だ。
祖母との残された時間を過ごしているのだろう。
そう思い、俺は端的に返事を送った。
『勇太「了解」』
『勇太「今日は病室に泊まれよ」』
『勇太「夜道は危ないからな。一人では絶対に帰るなよ』
連絡を返したあと、俺は駐輪場へと向かう。
一匹の蝶が横切り、空へと舞っていく。
その背景には、青白く染まった月が見えた。
◇◆◇◆◇◆
彩心真優を祖母の元へ送り届けてから1週間。
あの女は、あれっきり予備校に来なくなった。
俺の受験勉強を邪魔する風変わりな女が消えた。
そう思えば、彼女が消えたことはプラスなのかもしれない。
しかし——。
「彼氏様は彩心様から何かお話は聞きましたでしょうか?」
お嬢様三人衆。
ボブ、パッツン、団子が不安気な表情で訊ねてきたのだ。
彩心様と慕うほど、彩心真優に心酔している奴等だ。
1週間も予備校を休んでいる彼女を、心配するのは当たり前だ。なので、事情を知ってそうな俺に訊ねに来たわけだ。
「残念だが、俺のほうも全くだ。お前らは何か知ってるか?」
お嬢様三人衆は、彩心真優に連絡を入れているのだと。
だが、連絡は疎か、既読も付いていないのだという。
さらには、チューターにも聞いたが、何の連絡もなしだと。
「それでは、何か連絡があれば、ワタシたちに報告を」
用件を伝え終え、お嬢様三人衆は自分たちの席へと戻る。
自習時間のチャイムが鳴り響いた。
生徒たちは自分たちの席に着き、勉強に励む。
俺もそれに倣って、数学の問題集を解こうとする。
だが、しかし——。
「クッソ……どうしてアイツの顔が思い浮かぶんだよ?」
自習勉強中だというのに、あの女の顔が思い浮かんでしまう。恋心ではない。今まで毎日のように遊びに来ていた野良猫が、突然家に来なくなる。そうなったら、誰だってどうなったのか気になるだろ。それと同じだ。
予備校にも友達にも、何も連絡を寄越さない彩心真優。
アイツがどうなったのかなんてどうでもいい。
だって、俺には愛する彼女——本懐結愛がいるのだから。