忘れちゃいなよ、初恋なんて   作:平日黒髪

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第78話『時縄勇太は最愛の彼女を救えない⑦』

 本屋を出た後、俺たちはショッピングモールを散策した。適当なお店に入り、お互いの意見を述べ合う。ただそれだけで幸せだった。

 エスカレーターを降っていると、視界隣のガラス張りの壁に雨がポツポツ当たっていた。

 時刻はまだ午後5時。それなのに空は鼠色に染まっている。もうそろそろ家に帰るべきかと思うものの、俺が愛する彼女は遊び足りないようだ。

 

「勇太ッ! 次はあっちに行こっ!」

 

 本懐結愛は優柔不断なタイプのようだ。

 洋服屋を五軒近く行き来し、アレでもないコレでもないと頭を悩ませているのだ。

 自分に似合う洋服を探す。ユニクロやGUでしか洋服を買わない俺にはわからない感覚だ。

 ウキウキ気分で店内を歩き回る結愛には申し訳ないが、彼女はどんな服でも似合うと思う。

 なんなら、服を着ていなくても可愛いはず。

 と、言いたいところだが、「乙女心がわかってない」や「面倒だと思ってるんだ」などと批難の声を上げられるのが見えている。故に、俺は地蔵のような笑みを浮かべて見守るしかない。

 彼女想いの良い彼氏くんを演じるのは大変だぜ。

 

「ゲッ!?」

 

 意気揚々と入ったカジュアルな店舗にて、俺たちは先客に出会った。

 咄嗟に出てきた言葉は「危険」を予兆させるかのような驚きの声だ。その先客にバレないようにそっと店外へと向かおうとするが、先程の声が仇になったようだ。

 険しい表情で洋服を吟味していた黒髪の少女がこちらへと目線を向ける。パチクリと目蓋を数回瞬きさせ、彼女は「よっ!」と片手を僅かに上げてきた。

 

 隠す言い方はやめようか。

 その正体は映画館で散々俺をイジメてきた彩心真優だ。

 彼女は黒のフリルニットに、膝下までのタータンチェック柄のタイトスカートを組み合わせていた。脚を包む艶やかな黒タイツと厚底のショートブーツが全体を引き締めている。

 

「ちょっとさっきの声はどういうことかな〜? 人様をゲテモノ扱いしちゃってさ。私と会うのがそんなに気まずいとでも言いたいのかな?」

 

 彩心真優が苛立ちの声を上げながら、ズカズカと歩み寄ってきた。肩から下げた栗色の小さなレザーバッグが近づくと揺れ動いた。

 

「……プライベートで知り合いに会うのは、誰でも気まずいだろ?」

「だからって、ゲッってのは失礼よね?」

「悪かったよ。素の声が出ただけだ」

「私をいつも変な目で見てたんだ……」

 

 俺と彩心真優が言い合っていると、隣の結愛がシャツの袖を掴んできた。その姿は大好きなぬいぐるみを抱きしめる就寝前の子供のようだ。

 

「…………勇太」

「どうしたんだ? 結愛」

「ただ呼んでみただけ。勇太がちゃんとあたしのことも認識しているのかなと思って」

「さっきまで一緒に喋っていただろうが」

「あたしよりも真優ちゃんを優先したから」

「優先って……ほんの少し、一言二言会話しただけでそんなこというなよ」

「言わせてる自分にも非があるんだよ」

 

 ナイフを突き立てるような声が響いた。

 

「勇太はさっきからずっと面倒そうな目をしてた。あたしが洋服選んでるとき、早くしろよみたいな目でこっちをずっと見てた」

 

 図星だから何も言えない。

 俺の洋服選びは10分程度で終了する。

 マネキンが着ている服を見て、それと同じ服を購入するからだ。残るはカラーリングの問題なのだが、結局シンプルな黒を選びやすい。

 

「やっぱり面倒だよね……こんな女なんて。どうせ病院生活を送る人間が洋服選びするなんて。お前は適当に病院服でも着てればいいと思ってるんだよね。そうだよね、どうせ外泊許可も外出許可もほとんど出ないんだから。そんな人間は洋服を選ばなくていいと思ってるんだよね」

 

 拡大解釈のし過ぎだ。

 病人のくせにファッションにこだわるな。

 俺はここまで酷い言葉を述べたわけでも、思ったこともない。

 

「ちょっと待ったー!」

 

 微妙な空気を感じ取ったのか。

 彩心真優がすかさず間に入ってきた。

 

「はいはいー! 二人とも笑顔笑顔! 今日は折角のデートなんでしょ? それならもっと笑ってないとダメだよ。あははははははは」

 

 下手くそな笑みを浮かべ、彩心真優の俺と結愛の間を取り持とうとしてくれているようだ。

 他人のことなんて興味ありません。そんな系統の人種だと思っていたが、気が利くタイプのようだ。

 と思いきや、彩心真優は口周りを舌で舐め取りながら微笑む。その姿は新薬の開発に成功した魔女のようだ。何を思い付いたのだろうか。

 

「ねぇねぇ勇太くん。結愛ちゃん借りてもいい?」

「借りる? あのな、俺と結愛はデート中なんだよ。デートの邪魔をする気か?」

「違うわよ。私でも最低限の良識は持ってます」

 

 どこの口が言うんだよ。映画館で一方的に攻めてきたくせに。隣に結愛が座っているのに執拗に、俺を散々貶して遊んできたのに。

 

「結愛ちゃん、私と一緒に洋服選びしよ!」

「あ、あたしでいいの?」

「結愛ちゃんがいいんだよ。私たち友達でしょ?」

「と、ともだち……う、うん。嬉しい」

「というわけで、勇太くんは退いた退いた。今から私と結愛ちゃんが洋服選びするから、それまで何処か行って来なよ」

 

 何処か行って来いと言われてもだな……。

 

「結愛ちゃんのとびっきり可愛い姿見てみたくない?」

「それは見たい」

「でしょ? それに一旦頭冷やして来なよ」

「頭を冷やす? 俺が?」

「うん」

 

 彩心真優は冷静な口調でそう頷き、俺の耳元にそっと口を寄せて。

 

「頭の中エロいことでいっぱいでしょ?」

「そ、それは……」

 

 見抜かれていたのか、この悪女に。

 正直な話をしよう。

 映画館内での出来事を契機に、俺の性欲は爆発寸前まで昂っている。悪女は俺を何度も寸止めさせ、欲望を解放してくれなかった。

 だから、熱り立っているのだ。俺の身体は。

 女体を知らなかった頃は、この興奮を抑えるのに自分の逸物を擦り続けるしかなかった。

 もしくは舌を噛む勢いで邪念と戦い、時間が解決するのを待つしかなかった。

 しかし、今の俺には歯止めがない。

 自分の隣に一度股を開いた女がいるのだ。

 自分の隣に「俺がやらせろ」と言えば、簡単に股を開き、忠実に命令を聞く女がいるのだ。

 本来ならその女体を今すぐにでも貪り尽くし、自分の欲という欲を全て彼女の中へと流し込みたい気分なのだが——俺も私利私欲のために愛する彼女を犯したくはない。

 あくまでも楽しいデートの延長線上に、セックスという名のご褒美がある。そんな演出を求めたいのだ。俺は律儀で紳士な男なのだから。

 だが——。

 

——結愛の洋服選びは長すぎたんだ。

——こっちはさっさと洋服選びを済ませて、自宅へと連れ込んで性欲を発散したかったのに。

——それなのにちんたらちんたら洋服選びをしやがって。俺のお楽しみタイムを奪うなんて。

 

◇◆◇◆◇◆

 

【本懐結愛視点】

 

 店内の磨りガラスに映る自分が普段に比べて、数倍可愛く見える。病院生活中の身であるあたしには、出会いと呼べるものがない。

 自分が住む病棟にはおじいちゃんおばあちゃん世代ぐらいの人しかいないのだから。

 そもそも自分には「最愛の彼氏」がいるから、出会いを求めているわけではないけど。

 

——今日のあたしは普通になれてるかな?

 

 映画の幕が上がった後、あたしたちは映画の感想を言い合いながら店巡りを楽しんでいた。

 それは普通の恋人同士らしい、幸せな一コマだ。ただ、そんな一瞬が心地良く、自分は幸せ者だなと思い直してしまう。

 あたしは軽く組んでいた彼の腕を頬に寄せた。彼の体温がじんわり移ってきて、胸の奥まで甘く満たされる。

 

——この幸せな時間を永遠にしたい。

 

 小さく笑い、もう一度深く息を吸った。

 その瞬間、見知らぬ甘さが鼻腔を刺した。砂糖を焦がしたような、重い香り。

 微笑みが一瞬だけ揺れる。すぐに取り繕い、彼の袖口を指でつまんだ。

 

「うそでしょ……?」

 

 最愛の彼氏が着ている服にはラメが付着していたのだ。あたしが知る限り、彼はファッションなどにも疎く、化粧を塗りたくなる系の男性でもない。

 つまり、これは彼のものではなく、他の誰かのもの。他の女のニオイだ。

 映画館に入る前、あたしは彼の隣にいた。

 彼の腕を我が物顔で奪い、ずっと抱きしめていたはずなのに。

 彼の腕には、あたしのものでも、彼のものでもない、全く違う誰かのニオイがあった。

 

——でも知っている。確実にこのニオイを。

 

 心臓の鼓動が妙に速く動き、キュッと絞め付けられる感覚がある。

 それは心臓に輪ゴムを一本ずつ巻き付けられ、徐々に酸素が奪われていくかのように。

 

——だけど、いつなの? いつこのニオイが。

 

 彼の隣に座っていた誰かのニオイが付着したのか。余程、強烈な香水を付けてきたのか。

 

——あたしの勇太を汚すなんて許せない。

 

 最愛の彼氏の右隣に座っていた相手が憎い。

 顔も知らなければ名前も知らないけど。

 あたしの勇太に残り香を付けるなんて。

 

「……ふふっ、喧嘩売ってるのかなぁ〜?」

 

 最愛の彼氏に聞こえないほど小さな声で呟き、あたしはポケットからチェルシーを取り出す。味はヨーグルト。子供の頃から大好きなお菓子の一つだ。

 そう思えば——。

 

——泥棒猫が居た時もこれを食べていたっけ?

 

 最愛の彼氏宅に訪問したとき。

 彼の部屋に隠れていた泥棒猫。

 彼と同じ予備校に通う、あたしの恋敵に出会ったときも。

 

「あっ!」

 

 思い出した。このニオイはあの女だ。

 何処かで嗅いだことがあると思っていたけど、あの邪魔な女だったとは。

 でも、どこにいたのだ? あたしが気付かない間に、あの女と彼は会っていたのか?

 いや、そんなはずはない。そう思いたいが。

 

「ねぇ、勇太。最近真優ちゃんと会った?」

 

 あたしが問いを与えると、最愛の彼氏が息を殺す。

 表情が一瞬で固まり、口元を結んだ。何か隠しごとがあるようだ。

 

「……予備校で会うぐらいだな。でもアイツは人気者で、俺は日陰者だから」

 

 嘘ではなさそうだ。でも、どうして寂しそうな顔をするの?

 あの子が人気者なことは別にどうだっていいでしょ。

 あの子が人気者だから、何が言いたいの?

 もっと話したいとでも言いたいのかな? それとも他に何かあるの?

 

「結愛、どうしたんだよ? 怖い顔しちゃってさ。そんな顔は似合わないぞ」

 

 本当はこんな表情をしたいわけではない。ムスッとした表情ではなく、大好きな人の前ではずっとニコニコ笑顔を貫き通したい。

 だけど、それを隠せない。隠し通すことができない。

 ほんの少し前までは隠せていたはずなのに。

 彼が大好きな理想の【本懐結愛】を演じることができていたのに。

 

——浮気性な勇太が悪いんだよ、騙されてさ。

 

 自分は悪くありませんというニコニコな表情を浮かべて、隣を歩く大好きな彼氏。

 彼の姿に何故か悶々とした感情が宿る。

 

——優柔不断で八方美人な性格が嫌いだ。

——どうしてあたしだけを見てくれないの?

——どうしてあたしだけを愛してくれないの?

——ねぇ、どうして。

——ねぇ、教えてよ。どうしてなのかな?

——あたしはこんなにも愛しているのに。

——あたしはこんなにも勇太を大好きなのに。

 

 ガリッと口内に含んでいたキャンディを噛み潰し、あたしは心の中で本音を吐露する。

 

——どうしていつも不安にさせるのかな?

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