【本懐結愛視点】
最愛の彼氏が「またあとから連絡してくれ」と言い残して立ち去った後、本懐結愛は自分の指先が僅かに震えていることに気が付いた。
彩心真優から「一緒に洋服選びをしよう」と提案されたときは、素直に嬉しかった。
一人では何も選べない優柔不断な自分に協力してくれると言ってくれたのだから。
それに彼女の服装を見る限り、ファッションに精通していることが丸分かりである。彼女が選んだ洋服を着れば、オシャレ番長になれるかもしれないと期待を添えて。
しかし、自分と彩心真優を繋ぐ彼の存在が居なくなった現在、本懐結愛には一つの疑問が残った。
果たして彼女とまともに会話ができるのかと。
「結愛ちゃん、こっちの洋服も似合うと思うよ」
次から次へと洋服を持ってくる彩心真優。
洋服は慎重に選びたい派の本懐結愛にとって、彩心真優の存在はありがた迷惑であった。
——あたしは着せ替え人形じゃないんだけど。
そう心の中で呟きながらも、本懐結愛は洋服を鏡の前でかざした。
自分が普段から着る地味目な服もあれば、自分なら絶対に選ばない派手目な服もある。
本懐結愛は基本的に地味で目立たない色合いの洋服がお気に入りだ。お気に入りとは言い方に語弊があるので、言い換えようか。
彼女は目立つ服を着ることができない。
というのも——。
——どうせ、あたしが着ても似合わない。
——あたしみたいな女が可愛い洋服を着たら、みんなからバカにされるに決まっている。
——お前は異常者のくせに何を普通の人ぶってるんだって。病人服がお前にはお似合いだと。
そう思い込んでしまうからだ。
夢見る乙女は自己肯定感が極端に低く、尚且つ、大変面倒くさいことに被害妄想癖がある。
「ねぇ、どう? 絶対に似合うと思うよ!!」
彩心真優の着せ替え人形遊びは続き、本懐結愛は試着室で何度も着替えた。
Y2K系、シズニルック系、山ガール系、地雷系、幼稚園児系、チャイナ服系、森ガール系、ポリス系、ナース系、白衣系、小悪魔系などなど。
途中からは悪ノリが過ぎて、ほぼコスプレ大会みたいになってた気がするが。
ちなみに現在着ている服装は、フレンチガーリー系と呼ばれるコーデのようだ。
鏡の前に映る自分の姿は、いつもとは違う新しい自分。輝きに満ち、瞳も緩んでいる。
この身体に秘めた病気のことは外側からは決してわからない。
「ねぇ、結愛ちゃん。着替えられたぁー?」
彩心真優の声を聞き、「はぁーい」と返事を送り、カーテンを開く。目の前に立つ彼女は腕を組み、「カワイイ!」と手短に一言褒めてきた。
「あのさ……真優ちゃん。さっきから同じことしか言ってないと思うんだけど」
「いやぁ〜。だって、結愛ちゃんって何でも似合うんだもん。特に可愛い系の服が似合う! 私はさ、身体大きいからこーいうの全く似合わないんだよね。でも、結愛ちゃんは最高!!」
彩心真優の身長は170センチぐらいだ。
女性の平均身長を大きく超える高さである。
本人は身体が大きいと自虐風に語ったものの、多くの女性からは「カッコイイ」や「美しい」と言われるだろう。
実際、本懐結愛自身も彩心真優のスタイルには憧れてしまう。
「はいはい! じゃあさ、次はこれね!」
「……また着替えるんだ」
「と言いながらも満更じゃないじゃん」
着替えたら速攻で次の洋服を出され、本懐結愛は試着室に閉じ込められてしまう。
しかし、悪くなかった。
二人でこれでもない、あれでもないと会話を続けるのは本懐結愛にとって、初めての経験だった。同年代の女の子と話すだけで、どうしてこんなに楽しいかはわからない。
会話が弾むのだ。笑みが溢れてくるのだ。
欺くして、彼女は「もしも」と思ってしまう。
——もしも病気じゃなかったら、あたしたちは仲が良い親友になれたかもしれないなと。
——あたし意外と真優ちゃんと相性いいかも。
——真優ちゃんとならもっと仲良くできるかも。
自然とそう思えた頃——。
本懐結愛は「絶対に似合う」と彩心真優に押し付けられた洋服に着替え、試着室から出た。
彩心真優はどんな反応をするだろうか。
また、可愛いと褒めてくれるだろうか。
きっと口が上手い彼女なら嬉しいお世辞を言ってくれるだろう。そう期待していたのに。
「……んっ? ま、真優ちゃん……?」
試着室の外には彩心真優の姿はなかった。
煙のように消えてしまったのだ。
キョロキョロと左右を見渡していると、彩心真優の姿を発見した。彼女の周りにはオシャレだが、その中にも気品がある女の子たちが楽しそうに話しているではないか。
「……誰なの? あの子たち」
人様に洋服を着替えろと要求した相手が自分を置いて、他の誰かと喋っている。その行為を咎める気は更々なかった。
「真優ちゃんはあたしのお友達なのに……」
逆に彩心真優と話している相手に苛立ちがある。どうして人様のお友達を奪うんだと。
しかし、遠目から見ている限りだが、彼女たちの関係性は自分よりも圧倒的に深いようだ。仲睦まじそうに喋る姿を見るだけでも、その仲の良さを手に取るようにわかる。
「…………あははははは、知ってたよ、最初から。最初からわかってたよ、真優ちゃんとあたしは住んでる世界が違うことぐらい……」
心の何処かで彩心真優と通じ合ってる気がしていた。彩心真優と自分は近しい立場ではないかと。お互いに分かり合えるのではないかと。
だが、それは決して起きない。
本懐結愛と彩心真優の間には大きな差があるのだから。
彩心真優は根本的に人付き合いが上手いのだ。自分のような人間と友達になる物好きだ。友達が多くて当然だった。
そのはずなのに——気付かなかった。いや、気付きたくなかった。
彩心真優には自分以外の友達なんていない。
自分と同じように交友関係が狭い人間と思い込んでいた。
しかし、彼女は人脈にも恵まれていたのだ。
「……そうだよね、あたしは一人だよね」
本懐結愛の心には深く何かが突き刺さる。
彩心真優は自分以外の友人が山程いる。自分はその中の一人に過ぎないのである。
友達と誰か一人選べと言われたら、自分は真っ先に「彩心真優」の名前を出すが、彼女は自分の名前を出すことはないだろう。
彼女は様々な人から愛され、敬われ、優しく接してもらってきたのだから。
「…………ふふふ、ふふっ、ふふっ」
もしかしたら彩心真優とお友達になれるかもしれない。そう思い込んでいた。
同年代の普通の女の子と同じように二人で楽しげに他愛のない話で盛り上がりたかった。
しかし、そんな未来など到底起きない。
彩心真優には友達が沢山いるのだから。
——バカみたい。あたしだけ浮かれちゃってさ。
彩心真優がこちらに気が付き、手を振る。
その仕草を見て、他の女の子たちも同様の行動を取り、本懐結愛の元へと歩み寄ってきた。
「……彩心様。こちらの姫君は?」
「私の友達だよ。結愛ちゃんって言うの」
「……ええと、そ、その本懐結愛です」
本懐結愛は慌ただしく頭を下げた。
人付き合いが苦手な人間にとって、この僅かな時間さえも苦痛に感じて仕方がない。
彩心真優とそのお友達(西園寺女子学院出身)が楽しそうに話すのを、本懐結愛は隣でずっと愛想笑いを浮かべて聞くしかなかった。
相手から時折話し掛けられるものの、適当な相槌や曖昧な返答を繰り返して対処した。所詮は女性同士の話である。適度な共感を示せば、相手は自分の気持ちを理解してくれたと勝手に信じ、好感度は勝手に上がっていく。
「「「彩心様。それに本懐様。それではまた」」」
彩心真優と同じ予備校に通う女子三人組は軽やかに手を振り去っていく。
西園寺女子学院が生粋のお嬢様学校とは聞いたことがあったが、あれほどまでに洗練されたお嬢様がいるとは知らなかった。
そういえば、と本懐結愛は思い出す。
——ママはあたしを西園寺女子学院に入れたがっていたな。
本懐結愛の母親は教育熱心だった。自分の一人娘が幸せな人生を送ってほしい。そう願うのは、母親として当然だろう。実際に子供の頃から様々な習い事に従事していた記憶がある。長続きしたものもあれば、短期間で終わったものもあるが、習い事の数だけ母親は必死に愛を捧げてきたのだ。習い事の月謝を代償にして。
——結局ママの頑張りは報われず、一人娘は社会に馴染めず病院生活を送る日々だけど。
親不孝ものだ。最低な娘だ
親を悲しませるだけの存在なら生まれてこなければよかった。
そうすれば、死ななくて済んだのに。
何も悩むことも何も苦しむこともないのに。
「真優ちゃんってさ、恵まれてるよね」
人生には勝ち組と負け組が存在する。
恵まれた人間は勝ち続け、恵まれない人間は負け続ける。不幸の連鎖は決して断ち切れず、今後の一生を定められてしまうのだ。
「えっ……?」
恵まれた人間は気付かない。
自分がどれだけ恵まれた存在かを。
その癖、自分は不幸だの、自分は不運だのと口ずさみ、些細な出来事で悩むのだ。
「頭も良くて友達もいて可愛くてスタイルもよくて話上手で料理もできて洋服選びも上手くてセンスもよくて髪の毛もサラサラで家柄もよくて家族からも愛されて周りから可愛いと褒められて生きてて楽しいでしょ?」
本懐結愛にとって、生きるとは地獄だ。
生きていても何もいいことがないから。
この世に在るものには全て終焉がある。
故に、生きてて何の意味があるかと思うのだ。必死に生きれば生きるほどに、「死」が怖くなるのに、何故人は頑張るのだろうかと。
言わば、生きるとは頑張れば頑張るほどに、「死」が怖くなる呪いなのである。
だからこそ、余計に嬉しくなる。
人生最高とか言っている奴等が死ぬ日が。
お前らもいつの日か死ぬんだぞと思えるから。そいつらが老い、死の恐怖に怯えながらも、余生を過ごす日が楽しみで仕方がない。
「……ゆ、結愛ちゃん?」
その一言で、現実に引き戻される。
浅ましい自分に対し、彩心真優は心配気な表情を浮かべてくる。聖母のような瞳だった。
「そうだね。あたしは恵まれてるよ」
雲一点もなく晴れ渡るような声で続けて。
「——結愛ちゃんとお友達になれたんだから」
目の前にいる少女が老いていく過程を想像して悦に浸っていたのにも関わらず、彼女はそんな自分にさえ、温かい言葉をかけてくるのだ。
「……ふふっ、何その反応? 言ってやったぜみたいな顔をしちゃってさ。嫌いだ、やっぱり無理だ。あたし、無理だよ。そばにいるだけで、体中を虫が這いずり回ってるみたいだよ」
だが、彩心真優の言葉は逆効果である。
本懐結愛を逆上させるのみだ。
本人は自覚なしだが、彩心真優の表情には勝者の余裕があった。
言うなれば、自分は本懐結愛よりも優れた人間なんだという自信に満ち溢れていたのだ。
「異常者を見るような目でこっちを見ろよ!! もっと嫌味な瞳を向けてみろ!! そうすれば、あたしは救われるのに!! そうすれば、この人は性格だけは最低な女なんだと思い込めるのに!!」
彩心真優が向ける眼差しは心配の色のみだ。
その瞳の色が敵意や軽蔑ならば濁り切った心を白く染めたはずだ。
「ねぇ、どうしてそれさえもさせてくれないの?」
しかし、この女は刃を向けた人間にさえ、優しさを与えてくれるのだ。
彼女の器の広さを知ると同時に、自分の矮小さを感じ、苛立ちが止まらなくなる。故に、攻撃的な言葉を吐き続けてしまう。
「真優ちゃんってさ、努力しなくても何でも完璧にできて、周りが必死に悩んだり苦しんだりしてても、何故できないのかわからないタイプでしょ?」
嫌味を言うつもりはなかった。
だが話し始めると、彩心真優への憧れや尊敬の意がより一層膨らみ、自分自身への劣等感や嫌悪感へと変換されていった。
面倒な女だなと自覚しつつも、口から出る言葉は相手を不安や不快にさせるものばかり。
本来ならお気に入りのコスメの話や美味しいスイーツ店の話で盛り上がりたい。
それなのに口から出てくる言葉は否定するものばかりで、言った数秒後には自己嫌悪に陥ってしまう。けれど、一度心の外側に吐き出した言葉は勢いを止めず、喚き散らしてしまう。
「——本当にズルいよ。不平等だよ、世の中」
◇◆◇◆◇◆
【彩心真優視点】
「騙すのと騙されるのどっちが悪いと思う?」
突然の質問に対し、彩心真優は戸惑った。
表面上の言葉として受け取っていいのか。
それとも何か含みがある言い分なのかと。
ただ、幾ら考えたところで、人の心までは知る手段などない。
故に数秒の間、逡巡したのち、彩心真優は一般的な意見を述べることにした。
「騙すほうが悪いわよ」
騙す人間と騙される人間。
どちらが悪いか。
実際問題それは状況に応じるとしか言いようがないものの、最適解を述べたはずだ。
「そっか。なら真優ちゃんが悪いってことだね」
ふぅーんと興味深そうな瞳を浮かべ、本懐結愛は口元を緩めた。
——真優ちゃんが悪い??
一体何を伝えたいのか。
その意味がわからず、彩心真優は「えっ?」と素っ頓狂な声を上げてしまう。
だがその反応がよろしくなかったようだ。
真っ正面に佇む少女の神経を逆撫でしたらしく、茶色の瞳が三角定規のように鋭く尖っているのだ。糾弾したい何かがあるのだろうか。
「白々しいよ、真優ちゃん」
可愛い顔から放たれたとは到底思えないほどにドスの効いた声で、蜂蜜色の瞳を持つ少女は続けた。決定的な証拠を持つ警察官のように。
「——勇太との秘密の関係は楽しい?」
時縄勇太との関係がバレている。
もしくは怪しんでいるのではないか。
そう確信付きつつも、彩心真優は一旦引くことにした。
「……あ、あのさ……な、何を言ってるの?」
正直な話、彩心真優にとって——。
本懐結愛の想い人である時縄勇太と関係があると知られたところで痛くも痒くもない。
人の彼氏を奪う最低女と罵られるかもしれないが、それがどうしたと開き直ってしまえばこちらのものである。
本懐結愛と時縄勇太は付き合っている。それは紛れもない事実だ。だが、若い男女の間には複雑怪奇なまでにもつれ話が付き物である。
故に、二人の仲が引き裂かれ、その片方と他の女が惹かれあっても何もおかしくはない。
勿論、それがある種——閉鎖的な空間——学校や職場、サークル、バイト先で繰り広げられるのならば、周りの人々から白い目で見られ、居場所がなくなるのも無理がない話だろう。
しかし、本懐結愛と彩心真優の間には何の繋がりもなければ、何の絆もない。
だからこそ、全てを曝け出してしまえばいいのかもしれないが——。
彩心真優は言葉を飲み込み、冷静な判断を下したのだ。本懐結愛がどこまで自分たちの関係を知っているのかと。
「勇太が教えてくれたの、真優ちゃんのこと」
予想外の回答が飛んできた。
絶賛二股中の彼が本命の彼女に浮気相手がいることを伝えた。果たしてそれは本当なのか。
「教えたってな、何を……」
呼吸が乱れ、心臓の鼓動が早まる。
視線を僅かに動かし、本懐結愛と目を合わせないようにするのだが——。
彼女は決して目線を変えることなく、こちらをジッと眺め、薄らと笑みを浮かべたままに。
「勇太が真優ちゃんと一線を超えちゃったこと」