忘れちゃいなよ、初恋なんて   作:平日黒髪

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間話:『代替品』『縋る女の独占欲』

【彩心真優視点】

 

 時縄勇太と肉体関係を持ってしまったことが、本命の彼女——本懐結愛にバレている。更には、その告げ口発信者が時縄勇太である。

 その事実を知り、胸がざわめいた。

 心拍数が徐々に上がるのを感じつつも、頭の中は真っ白で何も考えられない。

 

「沈黙は肯定って意味でいいのかな?」

「………………」

「黙ってたらわからないよ。白状しなよ、ほら」

 

 本懐結愛は知っている。

 全てを把握しているのだ。

 

——いつから彼女は気付いていたのだろうか。

 

 素直に「はい」や「うん」と返事をすればいいのだが、肯定するのは負けた気がするのだ。

 故に彩心真優は沈黙を貫くことにしたのだ。

 

「真優ちゃんってさ、勇太のこと好きでしょ?」

「………………」

「ねぇ、返事ぐらいしたらどうかな? 顔を見ればわかるから」

 

 目は口ほどに物を言う。

 黙り続けても責められ続けるのみ。

 それでは埒が明かない。

 

——何か話したほうがいい。

 

 ただ、ここで墓穴を掘るつもりはない。

 本当に本懐結愛が知っているとは思えない。

 カマをかけている可能性が万が一ある。

 第一、彼——時縄勇太が自分との関係を最愛の彼女に話すとは思えない。

 言えば、自分の立場さえも危ういのに。

 

——そうだよ。どうして本命の彼女にいう?

 

 自分が不利な状況に陥るだけだ。

 それに他の女との関係があることを話す選択は、本命の彼女を傷付けるだけだ。

 最愛の彼女が大好きな彼がするはずない。

 

「いやいやいや、勇太くんには結愛ちゃんが」

 

 本懐結愛は何も知らない。

 彼からは何も聞いていないはずだ。

 あくまでもそのフリをしているに過ぎない。

 本命の彼女さんに「彩心真優とも関係があるんだよね」と伝えたところで何の意味がある?

 だから、今ここでするべきは——。

 

——自分と彼の間には何もないフリをする。

 

 ただ、それだけだ。

 本懐結愛は少なからず何か知っている。

 証拠なんてものは何もないから、それを引きずり出すために、わざと言っているのだ。

 彼女は不安なのだろう。病院生活の身だ。

 頼れるのは彼だけで、縋れるのは彼だけで。

 彼がいないと何もできないほどに依存している彼女——本懐結愛は怖いのだろう。

 最愛の彼氏が誰かに奪われないかと。

 

「ねぇ、もう一度言うね。ウソはつかないで」

 

 本懐結愛は鋭く曲がった眼差しでいう。

 その口振りは本当に全てを知っているのか。

 白状させたがる理由は、人様の彼氏を奪った悪い女を貶めるため。

 醜い嘘吐き女を扱き下ろすためではないか。

 いつの日かこうなるとは思っていた。

 だが、まさかこんなにも早いとは——。

 

——いや、待て待て。ここは冷静に。

 

 白状したら全てが水の泡だ。

 自分の悪事をぶち撒けて何の意味がある?

 

「さっきから何を言ってるのかな? 全然わかんないよ、結愛ちゃん。あははははは」

「真優ちゃんの好きってそんなもんなんだね」

 

 本懐結愛は溜め息混じりに続けて。

 

「心配して損しちゃったよ。この程度の女なら勇太の心は一生射止められないだろうね」

 

 だって、と彼女はほくそ笑みながら。

 

「死んだあたしのことを想い続けるんだから」

 

 死んだ人間は美化されていく。

 死ねば全てが許されるわけではないが、死んだ人間には良い思い出しか残らない。

 

「……ふざけないで」

 

 生きていた頃は良い一面も悪い一面も見せられるが、思い出すのは良い一面ばかりだ。

 死んだ人間に会いたいと思うのは、彼彼女の良い一面に触れたいから。

 その美しい過去に浸っていたいから。

 

「ふざけるな? 何を言ってるのかな?」

 

——この女は邪悪だ。

 

「死人を想い続ける彼の気持ちはどうなるの。そんな未来は彼をもっと苦しめるだけだよ」

「勇太の存在意義は本懐結愛の証明なんだよ。幸せに決まってるじゃん。何を言ってるの?」

 

 本懐結愛はキョトンとした表情を浮かべ、小首を傾げる。悪気など一切ない、澄み切った顔だ。悪者を倒せば世界に平和が訪れると信じる無邪気な子供のように。

 

「時縄勇太という存在は本懐結愛が生きた証なの。あたしが生きたということを、時縄勇太は全身全霊で証明してくれるんだよ」

 

——あぁ、ダメだ。この人。

 

 時縄勇太の心を奪おうとしているのだ。

 もはや、それは支配と呼んでもいい。

 強烈な記憶を彼に残し、本懐結愛は死に、永遠に美しい存在で居続けるつもりなのだろう。

 

——そんなの絶対にさせない。

 

 そう心の中で呟いた瞬間、彩心真優の口から思いがけない言葉が出ていた。

 

「好きだよ、勇太くんのこと。大好きだよ!」

 

 彩心真優は負けず嫌いな性格だ。

 言われっぱなしは性に合わない。

 何よりも彼の一番になりたいのだ。

 こんなところで本命の彼女に立ち向かわずして、彼の心を射止められるはずがない。

 

——どうだ。言ってやったぞ。

 

 彩心真優が熱り立っていると、パチパチパチと拍手を送られた。その主は本懐結愛自身だ。

 

「やっと正直になってくれた。これでようやく、普通に会話ができるようになったかな」

 

 ふふっと微笑み、本懐結愛は続ける。

 

「この際だからハッキリと言っておくね」

 

 先程までは声色に可愛らしさがあった。

 しかし、今は敵意しか感じられない。

 それはそうだ。

 人様の彼氏を散々弄んできたのだから。

 

「真優ちゃんは遊ばれてるんだよ」

 

 瞬間、彩心真優の口元が歪んだ。その姿はおとぎ話を信じる子供に「アレは全てウソだ」と真実を告げたあとみたいだった。

 数十秒前までは誇らしげに胸を張っていたが、今の彼女は瞳を震わせていた。

 

「遊ばれてる……? どういうことなの?」

「言葉通りの意味だよ。真優ちゃんはね、勇太に遊ばれてるだけ。ただ都合の良い女として扱われているだけに過ぎないってお話だよ」

 

 都合の良い女としての自覚はある。

 だが、他の誰かに「都合の良い女」呼びされるのは癪に障る。

 ましてや、その相手が本命の彼女なら尚更だ。

 

「年頃の男の子だもん。性欲に走るのは当たり前。特にあたしは体力がないから、勇太を思う存分に楽しませることができないんだよ」

 

 僅かに顔を下に向けると茶色の髪が揺れ動き、目元に陰がかかる。

 その瞳は悲しみに満ちているが、彼女なりに諦めが着いたのだろうか。

 全てを理解した上で受け入れる表情を浮かべていた。

 

「だから——その代わりに真優ちゃんが都合の良い女として抱かれているだけなの」

 

 突き放す言い方だ。

 茶髪頭の少女はもう一度言い直した。

 

「抱かれて良い気にならないほうがいいよ」

 

 どんな人間にも伝わりやすい言葉で。

 あまりにも容赦なく。お前は要らないと。

 

「あたしの代替品でしかないんだから」

 

 時縄勇太には本懐結愛がいると。

 時縄勇太にはもう既に愛すべき人がいると。

 とどのつまり——。

 

「真優ちゃんのこと、ただの性欲処理としてか見てないんだよ。本気で好きなのはあたしだけだから。本命はあたしだから」

 

 煌々と太陽のように輝く瞳は沈み、泥沼色へと侵食していく。彼女の瞳には揺らぎがない。

 ヘンテコな嘘を予言だと信じる者のように。

 

「真優ちゃんは一生あたしに勝てないんだよ」

 

 敵意を向けた眼差し。

 人様の物を奪うなという意思を感じる。

 露骨過ぎる悪意を剥き出しにさせつつも、彼に選ばれた本命の彼女は「だからね」と口元を歪めた。

 

「これ以上関わらないほうが身のためだよ」

 

 一見、その言葉は相手を思い遣るように感じる。だが、裏側は全く違う。邪魔だから、お前はこれ以上関わるなと暗示しているのだ。 

 

——落ち着け、私。ここは冷静に。

 

 争うことは最初から知っていた。

 いつの日か、必ず対立するだろうと。

 余裕だ。大丈夫だ。負けてたまるか。

 

「勇太言ってた。アイツはチョロい女だって」

 

——えっ?

 

「簡単に股を開いてくれるからイイ女だって」

 

——何それ……? 簡単に股を開く??

 

 突然の発言に彩心真優は言葉を失う。

 冷静に物事を考えることができない。

 

「真優ちゃんは知らないかもしれないけど、勇太も男の子だもん。嫌な部分沢山あるよ」

 

 彩心真優は何も知らない。

 恋とは幻覚だ。一種の幻なのだ。

 好きな人の良いところばかりが目に付く。

 故に悪いところは目を瞑ってしまうのだ。

 

「勇太にね、真優ちゃんとの関係を聞いてみたの。何か二人の間にはあるんでしょってね。もう全部知ってるみたいな口振りでね」

 

 もう聞きたくない。

 そう言い放ち、耳を塞ぎたかった。

 しかし、もう言葉を出す余裕もない。

 

「そしたらね、勇太が言ってくれたんだよ。アイツは簡単にヤラセてくれるんだって……」

 

 空気がズシリと重くなる。

 彼を知っているつもりだった。

 だが、彼も人間だ。建前と本音を持つ。

 二つの相反する仮面を被っていてもおかしくない。

 

「少し優しくしただけで惚れてきてさ、本当にチョロいんだよな。でも抱き心地がいいし、顔もいいから性処理(オナホ)にはちょうどいいんだよな。あぁ、マジでまたやりてぇーな」

 

 淡々と語る本懐結愛の声が掻き消され、ノイズ交じりの彼の声に聞こえてしまう。

 途中から耳を塞ぎ、聞こえなくした。

 しかし、脳内で何度も再生され、意味を失くしてしまう。

 違う、彼は決してそんなことを言わない。

 否定を繰り返したところで、本懐結愛は容赦がない。

 

「奥に突っ込んだらもっと奥もっと奥と豚のように叫んで面白いんだよな。汚いチンコをむしゃぶるように舐め回すし。本当にバカだよな」

 

——遊ばれていたのだ、自分は。

 

 いや、違う。愛し合っているのだ。

 遊ばれていたわけではない。

 一番目の彼女ではないかもしれない。

 でも、二番目の彼女として結ばれたはずだ。

 決して遊ばれているわけでは——。

 

「……い、いやだ。いや、いやいや、いや」

 

 彩心真優は呼吸を乱しながらそう呟いた。

 荒ぶる鼓動を止めるため、胸を何度も叩く。

 しかし、幾ら叩いても胸の奥に残る歪な感情は膨らみ続ける。

 彼にとって、自分は都合の良い女で。

 性欲を発散する都合の良い女でしかないと。

 そんな最悪な現実を改めて痛感させられる。

 

「…………一番じゃなくていい。二番目でもよかった」

 

 彼の前ではそんな発言をした記憶はある。

 言わば、自分という存在を彼に知らせるため。本命の彼女にばかり優しく接する彼を振り向かせて、あんな発言をしていたけれど。

 実際は違う。

 本当は都合の良い女なんて嫌だ。

 自分を最優先に考えてほしかった。

 それなのにその想いは彼には——。

 

「…………う、うそだ、うそだよ、そ、それ」

 

——届いていなかったんだ。最初から全部。

 

 どこで間違っていたのか。

 簡単にカラダを許してしまったのが悪いのか。でも振り向かせるためには、あんな方法しか思いつかなかった。

 一途な彼の心を奪うためには。

 いや、違う。最初から間違っていたのだ。

 彼を愛してしまったこと自体。

 人様の彼氏を奪おうと思ったことが。

 そうだよ、これは罰だ。

 人様の彼を奪った悪女への。

 

「俺は一切アイツのことなんてどうでもいいのに、好きとか愛してるとか可愛いとかいうだけで犬みたいに尻尾振って喜ぶんだぜ。お前はただマン——」

 

 彩心真優は限界だった。

 必死に涙を堪えていたものの、これ以上はもう無理だ。

 そう思った頃には涙が溢れ出ていた。

 この世界で一番嫌いな女の前で。

 涙を流す姿は誰にも見せたくない。

 

「ごめん……。私、もう帰るね。じゃあね」

 

 一方的に言い放ち、彩心真優は駆け出す。

 自分は遊ばれていただけの女。

 本当に間抜けな女だ。バカな女だった。

 彼に恋をし、彼の初めてを奪い、更には彼の彼女になれて、本当に嬉しかった。

 正直勝ち誇った気になっていた。

 

 

——でも、それは自分の思い上がりだった。

 

——私は悪女なんかじゃない。ただの間抜けな女だ。身体を求められることで愛されていると勘違いし、良い気になっていたバカな女だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【本懐結愛視点】

 

 彩心真優が立ち去った後、本懐結愛は「ふぅー」と息を吐き、レジへと向かった。

 最愛の彼氏を奪った女が選んだ洋服を購入するのは癪だが、彼女のセンスはいい。

 学べる部分は学ばなければならない。

 店員の「ありがとうございましたー」という定型文を聞き、本懐結愛は店を出て、お手洗いへと向かう。

 誰もいなかった。個室にも誰一人として。

 洗面所に立ち、蛇口へと手を翳す。

 チロチロと少量の水が流れ始め、自分の顔を洗う。鏡に映る自分は卑屈な顔を浮かべ、肩が震えていた。おまけに鼻が赤くなっていた。

 

「……どうしてなの。どうして他の女を選ぶの」

 

 奥歯を噛み締めながら、本懐結愛は呟く。

 胸の奥に隠した悶々とした感情が溢れ出す。

 必死に出すまいと堪えていたのに。

 

「あぁぁぁぁァァァァァァァー!!」

 

 頭の中で浮上した感情が限界値を突破し、本懐結愛は大声を張り上げ、髪を掻き乱す。

 下敷きで頭を擦ったように毛が逆立つ。

 折角、今日はおめかししてきたのに。

 本懐結愛は両手で左右の頬を押さえ、鏡の中に映るもう一人の自分へと問い掛ける。

 

「あたしのことが大好きなんだよね? そのはずなのに、どうして他に女を作るわけ? あたしってそんなに魅力的じゃない? 気持ち悪い? 病気を患う面倒な女ってわけなの?」

 

 その言葉を本当に伝えたいのは彼だった。

 しかし、最愛の彼氏に言えるはずがない。

 結愛にとって、彼は救世主なのだから。

 自分へ生きる希望を与える神様なのだから。

 故に、やり場の無い感情を自分自身に向けるしかない。

 

「……でもこれであの女は終わったよ」

 

 口元をぐにゃりと曲げ、本懐結愛は続ける。

 

「あの女はあたしのウソを完全に信じた。アイツはもう勇太のことなんてどうでもいいはず」

 

 本懐結愛は彩心真優に嘘を吐いた。

 時縄勇太はお前のことをカラダ目当てで利用していただけに過ぎないと。

 こんな発言を彼はしたことはない。

 だが、あの女はその嘘を完全に信じたのだ。

 

「……勇太はあたしのだもん。勇太はあたしだけのもの。勇太は、勇太はあたしのものなの」

 

 本懐結愛は手段を選ばない。

 時縄勇太が自分のことを最優先に思ってくれるなら。自分のことだけを思ってくれるなら。

 たとえ、彼が孤立しても。

 ウソを吐き、周りから彼が批難されても。

 

「……ざまぁみろ、ふふ、ざまぁみろ……」

 

 浮気した彼が悪いのか。

 誘惑した女が悪いのか。

 責められるべきは、結局二人だ。

 ならば気に病む必要はない。

 

「これで勇太の愛を独占できる」

 

 逆に彼が周りから孤立するほうがいい。

 人間は社会的な生き物だ。

 他の誰かと繋がっていたい。

 そう思うのは当然である。

 

「予備校で勇太と仲良いのはあの女だけ……」

 

 あの女の心を完全に折ったのだ。

 もう修復できないほどに。

 あの女さえいなければと何度思ったことか。

 

「ならもうあたしに縋るしかないよね?」

 

 心を癒せるのは最愛の彼女だけ。

 心を支えられるのは最愛の彼女だけ。

 心を支配できるのは最愛の彼女だけ。

 

「勇太、もっとあたしを愛して。勇太、もっとあたしを抱きしめて。勇太、もっとあたしだけを求めて。勇太、もっとあたしだけを見て」

 

 購入した洋服の手提げ紙袋を強く握りしめ、本懐結愛は更なる願いを吐き捨てる。

 

「他の女なんてどうでもいいと思うほどに頑張るから……あたし頑張るから……良い子になるから、勇太の理想を演じ続けるから……だから、だから……あたしのことを忘れないで。見捨てないで、もっともっと愛してよ……」

 

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