その日、砂漠の国から、三人の親子が消えた。
広大なナイル川のほとりに築かれた砂の王国。それを築いたファラオは
その一方で、魔物たちに征服された民族は、一夜の寒さをしのぐ寄る辺すら与えられぬ屈辱に耐えなければならなかった。ファラオの圧政によるものだ。
家もなく、税は重く、食べるものはその日その日に見付けなければならない。多くの仲間が砂漠の生活に耐えかねて、国を捨て、そして白い灼熱の水面にドクロをさらした。中には国に取りいって魔物を使役する術を学び、ファラオに反逆を企てる者すらいた。だが、それらはファラオの忠実な兵達によって捕えられ、はりつけにされるばかり。
希望はどこにもない。
哀れな流浪の民は、流浪の身のまま、その最後の一人まで迫害されたまま消えるかに思われた……。
しかし例外がいた。新たな道を見付けた者がいたのだ。
シナイ山の高みから、一人の老人が神の啓示を受けた。その者の言葉によれば……東へ、二つの海に挟まれた砂の大地を越えた先には、『約束の地』が存在するという。
そこは白砂から葡萄が実り、岩から生命の泉が溢れるところで、誰もが笑みをたたえて違った血が流れる人と手をかわすという。人々は魔物を魂で縛るのではなく、一枚のカードで縛るという。彼らは鉄でできた半円のアーチを腕に嵌めて、その上に数多のカードを並べ、魔物同士で戦わせる。それは流浪の民達の国を滅ぼしたような凄惨な戦いではなく、一日の享楽のために催される娯楽であるというのだ。
――まさに、理想の地。
この預言を信じて、流浪の夫妻は修行に明け暮れた。そして時が満ちると、夜の静けさにまぎれてファラオのお膝元から強力な魔物を奪うと、ひたすら東へと逃走した。真っ白な砂の海に深い足跡を作り、《約束の地》を目指したのだ。
だがファラオの動きは速かった。すぐに選りすぐりの兵を集めると、俊足のラクダを与えて夫妻を追わせた。兵らに与えられた命令……『裏切り者を見つけ次第、殺すこと』。
「これまで、か……」
ざくり……男が砂漠の丘に膝を屈する。振り返れば、さんさんと降る陽射しの中に、うすらとファラオの精鋭たちの姿が。
二つの海に挟まれた砂の大地は目と鼻の先。だが、やつらのラクダは速い。そこに辿り着く前に、自分達の運命は決するであろう。これまでの旅路の苦労は、水の泡となる。自分も、妻も、そして息子もすぐに……。
男は天を仰ぐ。その眼に宿るのは諦観……そして、それを覆い隠してしまう激情。ファラオのように座して手を差し伸べなかった、神に対する憎悪と、怒り。
「天地は、今、分けれり!」
声は空に響き、雲を割った。
白々とした空が、まるで男を中心とするかのように曇っていく。大地に人間が現れて以来、かつてないほどに砂漠は暗くなっていき、男の妻は不安を抱きながらも、凛とした表情を崩さずに息子を抱きしめる。
「ユザ、よく見ておきなさい。もうすぐ、私達の苦労は報われるのです。暴虐に身を任せたナイルの人間たちを、制裁の炎が襲うでしょう。そう……私達、ユダヤの願いを、創造主は聞き入れてくださる」
「母上……こわい」
「息子よ。見なければなりません。邪なファラオの魔物に、心を奪われてしまいます」
男は大きく空に手を伸ばした。早鐘を打つ心臓に急かせれるかのように、天に向かって怒鳴りつける。
「赤い月よ! すべての魔物を統べる三又の矛よ! 我が魂を捧げ御身の依代とならん! 願わくば今ここに、《聖なる火》を片手に降臨せよ!」
雲が逆巻き、渦をつくる。一瞬のうちに夜にでもなったかのように、冷たい風が吹き付けてきた。
流浪の妻は我が子をもう一度強く抱きしめると、名残惜しむように彼を離し、勇壮にもこちらに向かってくる兵等を睨みつけた。
「誰も、夫の所には行かせません……我が身に変えてもっ!!」「母上っ!」
妻は顔の前に両腕を交差させる。彼女を中心として風が生まれ、腕を開放すると同時につむじ風が放たれた。
その風は兵達の波にぶつかり……一拍の後、二人の兵の体が、ラクダごと縦に割れた。死を認めることもできず崩れる彼等を、砂から突き出た真っ赤な手が握りつぶした。その腕はおもむろに砂漠の下から伸びてきて、丘に手を突き――また幾人かの兵がつぶされた――ながらその体を現す。
あちこちが爛れ、赤黒く発光した溶岩の魔人。体を覆う蒸気は、まるでその者の憎悪を現しているかのよう。ファラオの宮廷にも匹敵するほどの巨体を仰ぎ、ファラオの忠実なる隊長は瞳を見開いた。
「炎の魔人……妹の、故郷の仇! 総員、突撃! 何としてでも、あの魔人を討伐せよッ!!」
『ファラオに栄誉あれ!!』
生き残った兵たちが剣を抜き、空に掲げた。雲を突き破って光が注ぎ、砂漠を支配した魔物たちが姿を現した。
斧をもつ虎の巨人、古風なマントを羽織った耳長の剣士、水もなく空を泳ぐ七色の魚、長い腕とかぎづめが特徴の奇妙な姿をした悪魔……。この世ならざる光景の現出。流血を予感させる、悪魔のカーニバル。
「消え失せろ、下賤なナイルの人間め!」
溶岩の魔人が、あたかも雲をかすめるかのように大きく腕を振り被り、砂漠に叩き付ける。異形達が飛び退いて得物を浴びせるも……キン、キンと、鉄を叩くような音が返ってくる。悪魔がふわりと浮いてかぎづめを頭に振るったが、その蒸気に目をやられて慌てて退いてしまった。
魔人はさらに二度、三度と、腕を振るう。砂丘がえぐられ、その影に隠れていた兵士が殴り飛ばされ、七色の魚が幻のように消えてしまう。
まるで子供を相手にするかのように、魔人は兵らを襲い、着実に砂漠に血潮を降らせていく。夫妻が盗み出した魔物は、精鋭たる彼らをもってしても抗し得ぬような、強い力を持っていたのだ。
王国の隊長は、魔人の腕がおよばず、かつ砂丘全体を見渡される丘に登ると、剣を天に突き上げた。
「いざ、我が身に来たれ! 混沌の剣王よ!」
降雷。衝撃。風に逆らう砂嵐が生まれ、魔人は思わずそこを見やった。
隊長が立っていた場所に、一人の剣士が立っている。金色の縁取りをした蒼く重厚な鎧に身を包み、兜の後頭部には獅子のたてがみのような赤い長髪が靡く。刃が反った大剣を肩にかつぎながら魔人を見据える様は、まさに混沌を制す者にふさわしき威厳と、疑いようのない強さを直感させる。
剣士はゆっくりと大盾を背中に背負い、左手をかざす。何もない空間から、稲妻をまとった剣が現れ、剣士はそれを握りしめた。
『ハァッ!!』
剣を交差させ、広げる。空気が鳴動した。魔人の蒸気とが吹き飛ばされ、白いドクロが露出した。
びくりと、流浪の妻はなにかを悟ったかのように肩を震わせ……いつまでも誠実であれと願い、苦難を共にしながら育ててきた我が子へと向き直る。
「……ユザ」
「母上ッ!」
子の叫びが、砂漠の異形に決意をさせた。
一気呵成。混沌の剣王は風のように走り、大きくジャンプすると、魔人の胸に稲妻の剣を浴びせた。その一撃に後ろのめりに崩れる魔人。異形達が一気に迫り、その足に、腕に得物を浴びせる。
そして剣王はふたたび跳躍すると、二つの剣を交差させ、落下しながら魔人の顔を切裂いた。魔人の顔が割れると同時に……母親の顔が、地面に滑り落ちた。
「エンピっ、覚悟しろぉっ!!」
かぎづめを持つ魔物が、「キィエエ」という奇声をあげて流浪の父親へと迫る。剣王の威を借りるかのようにその爪を振り下ろし、男の体から肉を削いだ。
だが、彼は破願する。痛みなど初めから感じていない。炎の魔人が溶けていく様を見て、狂ったように笑みを漏らした。
「ふはははっ、我が血はとうの昔に神のものよぉっ!! あはははっ!!」
――こいつは、なにを言っている。
魔物を操る兵士らが顔を向けると……世界の、時が止まった。
次の瞬間、逆巻いた雲が反対に回り始めて……突如、風が襲った。
「うお、おおおっ、おおおお!?」
かぎづめを持った魔物が、巨人が、宙に浮いたと思うや否や、空へと吸いこまれていく。
それは男のすべてを賭けた、最後の秘術。時を止めた世界に存在するすべてが、その雲の中へと引き摺りこまれていく。海をも、砂漠をも、そして人をも飲みこんでいく。
「た、隊長!! 砂漠が、世界が、吸いこまれていきますっ!」
「あの渦はなんだ!? 魔物が、魂が飲まれていく……!? これが、神の御業だというのか!」
悲鳴をあげることもできず、男達の体が浮いて、魔物ごと雲の中へと攫っていった。
ともすれば、母が討たれるのをなすすべなく見詰めていた子供が、この暴虐の風に耐えられることができようか。
両眼から大粒の涙を流して、子供は身を丸めてなんとか堪えようとする……だが、足場である砂丘が崩れ、砂の渦に巻きこまれる形で、あえなく空に飛ばされてしまった。
こんなの、ひどすぎる。救いを求めて父を見るも、その顔は狂喜に染まり、砂漠を凍らせるような冷笑が「どきり」と、子供の心臓を鳴らした。
「――我が息子よ、神の贄となれ」
そんなことを言っているかのように、父親は口を動かし、息子を見捨てた。
やがて目に見えるすべての人間が飲みこまれた後、父親も力尽きたように体を投げ出し、黒い風にさらわれた。
―――三○○○年後―――
薄暗く……しかし明るい夜空。ネオンの光を受けた空は文明の盛隆を象徴するかのようであり、さながらそこに浮かぶ飛行船は文明の支配者ともいうべきであろうか。
高層ビル群のはるか上を飛ぶそれを、一人の少年は見つめていた。黒髪で、温和さを感じさせるほっぺたの張り。優しさが見え隠れする素朴な瞳には今、落胆と、悔しさ、そして隠しきれぬ羨望の色がある。
しばしそれを見上げていると、少年はうつむいて踵を返し、父親が待つ車へと向かった。公園のそばに停められた白のサルーンがそうであった。
少年が車に乗りこむと、父は何も言わずに車を出す。ヘッドライトが照らす町並みは、まるで祭りの後のように静まり返り、いつもに増して人気が少なかった。
「負けちゃったな」
「……ぱぱ」
「バトルシティ、予選敗退だ。残念だ。パパとママ、応援してたんだがな」
少年はドアに頭をおいて視界を遮った。
二速のまま車をゆっくりと走らせる父親――痩せ身で、丸い顎をしている――は、少年によく似た横広の目をバックミラーにやって、子供の意地を垣間見る。こんな情けない顔を見られるのが恥ずかしいし……童実野町で一番のデュエリストとなれず、親の期待を裏切ってしまった現実も見つめたくもない。そんなことを、涙を落とす少年の横顔は暗に物語っていた。
父は、エンジン音に負けぬ大きさで、しかし静かに言う。
「そうしょげるな。何時だって何から何まで上手くできるとは限らないさ」
「ごめんなさい……パパの、クリアカード、もらったのに」
「泣き虫め。……ほら、手を出せ」
赤信号で停車した折、父はダッシュボードから二枚のカードを取って息子に渡す。
涙で腫らした目で、彼はそれを見た。『カオス・ソルジャー』、そして『カオスの儀式』。少年の懐にとってあまりにも強い輝きを持つカードだ。それは決して、大人にとって手に入れやすいという意味でもない。
少年は驚いたように父を見返す。これは、彼がずっと欲していたカードだった。今よりももっと幼い頃……とあるプロデュエリストがこのカードを巧みに使って劣勢を覆し、見事勝利をもぎ取ったシーンを、彼は生放送で視聴し、心より感動した。世界にはこんなにも素晴らしいカードがあるんだ、と。その時に彼の童心はぐらぐらと魅了され、以来この艶美な剣士が大好きとなったのだ。
父は、両脇から照らしてくる街灯の光に口元を隠した。
「誰にだって可能性がある。どんなデュエルにも挑んで、どんなデュエルにも勝利できる可能性が」
「えっ……で、でも――」
「――ああ、分かっている。それでも負けた、ってな。だが今は今だ。お前がこのバトルシティで負けて、お前は何を失う?」
「……わかんない。かーど?」
父は小さく息を吐く。
「世の中、カードよりももっと大切なものがある。勝利を信じる心。自分の可能性を疑わぬ心。最後まで諦めない心だ。お前は飛行船を見て、そいつを忘れちまったか?」
「……うんうん」
「じゃあ、どう思った」
「……悔しかった。勝ちたかった」
「だろう。勝負で負けても、お前はそれを胸に刻み込んだ。勝利を最後まで諦めないことをな。デュエルモンスターズはそれを教えてくれる。
そのカードは、いつの日か、お前の助けになる。その時まで大切に持っているんだ。そして、いつまでも大切に、大切に、戦う気持ちを持ち続けろ。その時になればおのずと分かる。いいな、遊座(ゆざ)」
少年は、蒼い鎧をまとった剣士にじっと目を落とし続けた。家に帰ると、母は息子の頑張りを労い、三人で遅めの夕食をいただいた。温かな食卓によるものか、遊座は夕食が終わる頃にはすっかりいつもの調子を取り戻していた。
深夜、遊座は自室のベットに寝転びながら、父からもらったカードを見詰めていた。窓からの夜光のせいでカードが金色のホログラムを反射させて、星のように瞬いている。子供の眼にはそれは一等星のような煌めきに映り、夜空の星々よりも、少年がもつどんなレアカードよりも、美しいカードであった。
もっとホログラムの光を見たい。色んな角度から、これを眺めてみたい。
そんな思いで、遊座はカードを傾ける――
――それが間違いだった。
燦……瞬く暇すら与えぬ、生誕の光。
ホログラムが、『カオス・ソルジャー』の輝やきが、破裂した爆弾のように部屋中に広がった。
「うわぁっ! か、カードが光った……」
視界が潰れる。瞼を閉じるより前に眼球が悲鳴をあげ、何かが潰れるような音が遊座の頭の中で響いた。それを境に、彼の眼は何も見えなくなり、ただ虚無の明るさが世界のすべてとなってしまう。
彼の手から剣士が滑り落ちる。その輝きはぐんぐんと強まり、衰える様子がない。まるで星の誕生に立ち会っているかのような圧倒的なエネルギーが、カードから発せられ、徐々に遊座の部屋を、家を地震のように震わせていく。
どたどた……。階下からの慌てふためいた大人の足音が、二つ。それは真っ直ぐに、遊座の部屋へと近付いてきた。
「遊座、どうした! 遊座っ!?」
「遊座! 大丈夫なの?」
扉が開かれ、光の奔流が彼らを出迎えた。
大人であろうとも、いや大人だからこそ、非情な現実からは逃れえない。
「きゃあああっ!?」
「遊座ァっ!!」
少年の耳に、遠くから両親の声――母の悲鳴と、父の呼びかけ……そして二つの声はテールランプのように遠のいていく――が届く。遊座は潰れた瞳をそこへ向けるが……白い世界が鳴動しているだけで、何も映らなかった。
ふと、強い耳鳴りが彼を襲う。きぃんと、鉄同士が擦り合うような歪んだ響き。
そして彼は、白い世界の奥からゆっくりとこちらへ進んでくる、一人の男の姿を見た。蒼い鎧を着た、大柄な戦士の姿。西洋の剣士のような大剣と、それと同じくらい大きな盾を手にしている。まるでさっきまで握っていた、魔性の剣士とうり二つの容貌。
「―――――」
彼は何かを語り掛けるが、耳鳴りのせいで聞こえない。
もう一度、彼が何かを口にする。それを切欠として、少年は意識を落した。白い世界が暗転する様は、まるで
地文が多いのは性格です。
デュエルは次回。