ぶぅ、ぶぅ。豪華客船の銅鑼のような汽笛が海鳥と共に、きらきらと光る水面を滑った。
7月下旬の熱さがデッキを照り付けていた。甲板に上がる者はみな薄着か、あるいは水着だ。ここぞとばかりに女子はデッキの一部を占拠して日焼けを愉しみ、男子はそれの覗き――すぐにバレて蹴られている――やボール遊びに興じている。皆、デュエルアカデミア本校の生徒達だ。
学期末を大いに盛り上げた公開デュエルから、早一週間。終業式を迎えた生徒らはその大半が実家に帰る選択をした。一部の者やスタッフのみが学園に残っており、今頃島は潮騒がよく響く静けさに包まれているだろう。
だが穏やかな空気とは一変。遊座の世界は、強い波飛沫に揺さぶられていた。
(……勝てるかなぁ)
イメージ映像が脳裏に走る。……岸壁に波がぶつかり、砕ける。狂おしいほどに破壊的な波風が、。
穏やかに揺れる船の客室で、遊座はそのデュエリスト……原麗華と対峙ししていた。彼のもっとも近くにいる友人であり、彼の理解者の一人。彼女とのデュエルは遊座が待ち望んでいたことの一つ……。学園での成果をここで発揮してみせよう。
ぱしゃりと、頭の中で波が砕ける。
――デュエル!!
―――――――
戦士ダイ・グレファー スフィアボム 魔宮の賄賂 和睦の使者 カオス・ソルジャー
―――――――
手札は割と好調だ。カウンター罠や、いざという時の防御手段がある。生贄も手札に揃い、あとは儀式魔法を引くだけで最も頼りとするモンスターが召喚できる。
肝心なのは、デュエルディスクが示した電光板の文字……《TURN WAITING》。遊座の後攻だ。原麗華は学園では最強のバーンデッキ使いと言われていた。彼女に先攻を許すほど恐ろしいものはない。
原麗華は眼鏡をきらり、冷酷に光らせた。
「私のターンです、ドロー! カードを2枚伏せて、ターンエンド!(手札6→4)」
「僕のターン、ドロー(ドロー:死者蘇生)! 『戦士ダイ・グレファー』を召喚!」
「罠発動! 『奈落の落とし穴』!」
戦士は振り返り、すべてを悟ったような表情をする。俺にはもう展開が読めたといわんばかりに微笑み……そして、波飛沫に吸いこまれた。
「ぐっ……カードを2枚伏せ、ターンエンドだ(手札6→3)」
「エンドフェイズに入る前に、『心鎮壷』を発動。あなたがセットした2枚のカードを選択! このカードがフィールドにある限り、それは発動できません。勿論、これはあなたのターン内での処理です。カウンターも不可能です」
二枚の罠の上に、壺がのっさりと伸し掛かる。あんな重たい見た目じゃ、捲ろうにも捲れないだろう。
「私のターン、ドロー!(手札4→5) ……見せてあげましょう、下柳さん。私のバーンデッキの、更なる進化形を」
「……え?」『来るぞ、遊座』
「伏せカードの『針虫の巣窟』を発動し、デッキから5枚カードを墓地に捨てます。チェーンして『手札断札』を手札から発動。互いに2枚手札を捨て、2枚ドローします(手札4→4)」
原は凄まじく速い手付きでデッキからカードを抜き取り、残すカードを選ぶと墓地へ捨てる。そして『針虫』の効果も同じように。
常よりも気迫を感じる動作と眼つきに、遊座はごくりと唾を飲みこんだ。
「私は手札から、『ソーラー・エクスチェンジ』を発動。手札から「ライトロード」と名のついたモンスター1体を捨てて、デッキからカードを2枚ドローし、その後自分のデッキの上からカードを2枚墓地へ送ります(手札4→2→4)。
『光の援軍』を発動。自分のデッキの上からカードを3枚墓地へ送って、デッキからレベル4以下の「ライトロード」と名のついたモンスター1体を手札に加えます。『ライトロード・モンク エイリン』を選択し、召喚します」
褐色肌のツインテールの女闘志が現れた。その間にも、原の手はデッキと手札を行き来して、さらに墓地を肥やしている。
遊座の頭をハテナが支配する。『連弾の魔術師』の姿一つ見られやしない。狙いが分からない。相棒も訳が分からぬといった具合に唸っている。
「『強欲な壺』を発動し、2枚ドローします(手札3→5)。『無の煉獄』を発動します。自分の手札が3枚以上の場合、1枚ドローし、このターンのエンドフェイズ時に自分の手札を全て捨てます。
……『手札抹殺』で、互いの手札をすべて捨て、捨てた分だけドローします(5→4)」
『な、なにが起こっているんだ……?』
「……分からない。どういうことなんだ?」
「もう一回、『ソーラー・エクスチェンジ』を発動し、手札の『エイリン』を捨てて2枚ドロー、更にデッキから2枚墓地に捨てます。
カードを2枚伏せて、『エイリン』を召喚。ターンエンド。『エイクン』の効果で、エンドフェイズに、デッキトップから3枚墓地に送ります。そして『無の煉獄』の効果で、自分の手札をすべて墓地に捨てます。処理終了です」
「……え?」
「あなたの番です。ドローしなさい」
有無を言わせぬ眼力。原の手が何気なくディスクに置かれているが、それは贔屓目に見ても、必殺のタイミングを測っているようにしか見えない。
1ターンで、およそ30枚近くの墓地肥し。頭の検索機がぐりぐりとカード検索の時間を所望しているが、早くドローしないと怒られそうだ。
「ぼ、僕のターン。ドロー!(ドロー:カオスの儀式)」
「下柳さん」「は、はい?」
「制裁の時間です」
彼女の柳のような指が、しっかりとディスクのスイッチを押す。チンと、検索機が同時に音を立てた。
捲られた2枚のリバースカードを見て、遊座は改めて実感する。彼女は学園一のバーンカード使いだという事に。
「伏せカードを発動。『残骸爆破』、『マジカル・エクスプロージョン』」
『へぁっ!?』「……嗚呼、そういうこと」
素っ頓狂と相棒は声を出す。カード効果の意味が分かっていないから、彼のような声が出る。
そして効果が分かっている遊座は直感した。自分の敗北を。
「『残骸爆破』、自分の墓地のカードが30枚以上存在する場合に発動……相手ライフに3000ポイントダメージを与えます。
『マジカル・エクスプロージョン』、自分の手札が0枚の時に発動する事ができる……自分の墓地に存在する魔法カードの枚数×200ポイントダメージを相手ライフに与える」
「……墓地に行った魔法って、何枚?」
「25枚です。発動、通りますか?」
「……通ります」『おう、いぇあ』
3000+200×25。占めて、8000ダメージ。
二つのカードに光が溜まっていく。やがて一気に膨れ上がった光はカードの怨霊と共に遊座に襲いかかり、瞬く間に彼のライフゲージを0とさせた。
部屋に小さな嵐が吹いて、ぺらぺらとカレンダーを暴れさせる。原麗華は満足げに息を吐き、眼鏡を取って微笑んだ。
「私の勝ちです」
「……負けました」
支点を失った案山子のように、遊座はベッドに倒れた。見事なまでの完敗にぐうの音も出ない。カードの引きがもっとよくても今の原には勝てない気がするのが、遊座の顔から力を失わせる。ベッドで隠してなければ、ラリったナマケモノの顔を晒してしまう。
カイザーとの一戦で負けて以来、なんとか症候群ではないが、感じて当然なはずの闘志がどこか燃え尽きたような感覚があった。藤原雪乃との約束を果たせず、あれ以来一度も彼女と言葉をかわせていないからか。『究極竜騎士』という、最高の隠し玉を使ってなお及ばなかったためか。待ち望んでいた筈の原麗華との一戦がこうも感慨もなく終わってしまったのは、自分に落ち度があるためか。
ダウナーなテンションのせいで、ポジティブなことを考える気力が起きない。どうにかしなきゃ……と考えていると、原がベッドの枕側の方へと座った。
「どうでした? 私の新しいデッキは」
「原さん」「はい?」
「そのデッキ、僕以外の人相手には、使わないで」
原が息を呑んで生まれた、一瞬の空白。ちらりと顔を上げてみたが、角度のせいで表情が窺えず、ただ彼女の耳が火照っているのが分かった。さっきのデュエルで戦術が上手く決まり、嬉しかったのだろうか。
「そ、それはその、どういう意味でしょうか? せ、積極的な言葉でしたけど……それは遠まわしにその……」
「さっきのワンターンキル、初心者泣きます。経験者でも傷つく。そんぐらい完璧だった」
「……あの、褒めているように聞こえないんですけど」
「完成度は最高レベルだったよ。入学試験の時に見た、先手必勝のバーンコンボより。昔流行った手札破壊コンボを思い出すね。ほら、『強引な番兵』を使った奴」
「嗚呼……『いたずら好ずきな双子悪魔』も使っていましたね……。まさか、それと同じレベルだと?」
「あ、あれほどじゃないよ、さすがに! 何というか原さん、伸びしろが有り過ぎて逆に怖いくらいだ。自分に満足してない証拠なんだろうけど……強くなりすぎかな、って」
二の句を言わんとして、遊座ははっとした。今の言動、まるで原に向かって「強くなるな」と言っているようではないか。より高みへと精進するデュエリストの心を尊重もせず、迂遠な言い回しで否定している。敗北を重ねて意気を落としてるからといってその気分で他人を否定するなんて……。自省の念に、遊座は首筋に冷たいものを流す。
ボスッ。不貞腐れたように、原は枕に顔を埋めた。くぐもった声はツンツンとしている。
「下柳さんからそんなことを言われるなんて思ってもいませんでした! 気分を害します!」
「ご、ごめん……」
「……謝っているのなら、その……もう少し別のやり方があるのでは?」
「そ、そう? だったらどうすればいい? 何でもやるよ!」
「じ、じゃあ……ら……とか」
彼女の声は小さすぎて、船体が軋む音に呑まれそうなほどだった。だが幸いか不幸か、遊座の耳はその呟きを鋭敏に捉え、彼の胸を不意に高鳴らせる。
やや迷ったように視線を移しながら、遊座は壁を背にするように枕元へと動く。そして正座の姿勢を取ると、壊れ物を扱うように原の頭を持ち上げ、己の膝へと置いた。さらさらとした艶やかで癖のない緑髪が揺れ動く。
「これでいい、かな?」
「…………はぃ」
真っ赤にした耳がもぞもぞと動き、遊座の膝に顔を隠した。さりげないミントコロンが上品な女性のいじらしさを演出するようだ。
遊座の視線が、露わとなった原のうなじに吸いこまれる。陶磁のように透き通いていたそれが仄かに色付き、呼吸と共にぴくりぴくりと脈打っているかのよう。二人きり、ベッドの上、密着、薫り。それらすべての要素が、遊座の心にひそんでいる邪な想いを誘惑した。
横槍を入れるものは誰もいない。まるで導かれるように、遊座の手がその白いうなじへと向かっていき……部屋の戸が開かれた。
「御邪魔だったかしら?」
妖艶な薄紫のツインテール。パリコレを制覇するような黄金の調律がとれた体。男を誘う深い眼差しと、絶世の顔立ち。藤原雪乃だ。
その登場に肩をびくりとさせた遊座とは対照的に、原はしごく落ち着いた様子で、しかも大胆に遊座の膝へ顔を擦らせる。甘える犬のように。そして藤原へ見せつけるように。
「……いえ、別に」
藤原の柳のような眉がぴくりと跳ね上がる。原は微動だにせず、どこか勝ち誇ったような雰囲気だ。
『うほっ、良い修羅場! 遊座、原をそっと抱いてやれ』
(やだよ! 死ぬよ!)
静かな睨み合いを切り上げた藤原は、堂々と遊座の隣へと腰掛けてそのまま彼の肩へしな垂れかかる。
ミントの薫りを打ち消すような、マーガレットのコロン。片腕ごしに彼女の熱っぽい体躯が伝わり、遊座の頬がゆるゆると緩みかける。
(どうなってるのこれ!? こんなモテ期にいつなったの!? な、流されたい……このまま雰囲気に流されたい! けどそれじゃ、節操がない! 我慢しなきゃ!)
内心の葛藤を弄ぶように、藤原は繊細な指を遊座の顎へと伸ばして、その肌を撫でる。「へあ」と情けない声が漏れたのは仕方のないことだった。原が膝を抓ってくれるおかげで、何とか理性が暴走しないで済んでいる。
「あの時、以来ね。こんなにあなたと近くにいられるのは」
「あれ以来とはどういうことです?」
「麗華には教えてあげないわ。あの部屋でのことは、私と彼の二人だけの秘密ですもの。ねぇ、遊座?」
「ご、ごご、誤解を招くような言い方はよそう! あれはただの、あいたたっ! 原さん、抓らないで!」
「あ、あなた、二人きりで何していたんですか! この不埒者!!」
二人の美女を相手に、嬉し痛しの連続である。昔こういうアニメがあるのを聞いた時は主人公が羨ましいとさえ思っていたが……二度とそう思うまい。胃痛がするし、頭痛もする。正直辛い。『俺も多くの女を侍らせていてだな』などという楽観的な懐古主義者が、ひどく憎たらしかった。
数分後、遊座の膝やふくらはぎに紫色の抓り痕を残したことで原は落ち着いたらしい……それでも、頭越しに炎が盛っているように見えたが。藤原はマイペースに、遊座の腕に肉感的な温もりを伝えながら。
「ねぇ、遊座。船が着いたらどうするの?」
「自分の家に帰るよ。童実野町に」
「羨ましいわ。デュエリストの聖地が実家だなんて。小さい頃から、さぞ有名だったでしょうね。キング・オブ・デュエリスト、武藤遊戯のことは」
「まぁ、ね……海馬社長との因縁は、学校でも話の種になっていたし」
「ねぇ、遊座。夏休みの間、一人のままじゃ寂しいでしょう? 都合のいい日取りを教えてくれるかしら。今度、あなたの家に御邪魔になろうかと……」
「マジっすか!?」「ふ、藤原さん! いいですか、男女十八にして同衾せずです! あなたは下柳さんのような年頃の男性の家に、お、お泊りに行って……いくら下柳さんでも狼になりますよ!?」
「あなたは真面目ねぇ、麗華。遊びに行くだけよ。遊座、これ私のアドレスと電話番号。気が向いたら……もしかしたら私の方からかもしれないけど、電話を頂戴。あなたともっと深い仲になりたいから」
「わ、私のも教えます! 童実野町は近所ですから、すぐに会いに行けますよ! いいですか、何かあったら、私に! 私に言って下さいね!」
「あ、ああ。ありがとう……」
『強引な番兵』のように、二人は遊座の手元へ紙を押し付けてきた。どちらも童実野町出身ではないことだけを今は覚えておくことにして、遊座は船が到着するまで、二人の橋渡しのように気を遣い続けることにした。
船が到着の汽笛を鳴らしたのは、それから2時間後のこと。出航の日を思い出させる青々とした海と、機械仕掛けの発達した近代都市……船は横浜の港へと到着し、生徒らは口々に懐かしむようなことを言いながらそれぞれの帰路へと着いた。普通の生徒は公共交通機関を利用するため、原もその列に加わったのだが、藤原は出迎えのリムジンに乗って帰っていった。育ちの違いというのは恐ろしい。
一方遊座といえば、船旅の心労を癒すために一人横浜港へと残っていた。今日は祝日。赤レンガ倉庫や大観覧車から活気の響きが伝わってくるようだ……目にはおぼろげにしか見えずとも分かる。島にはない喧騒が、本島への帰還の実感を沸かせる。
「本当に帰ってきたんだね。3か月って、意外と長かったなぁ」
『この港の光景も懐かしいな。見ろ、大きな歯車が回っているぞ』「観覧車ね」
『そういえばあれ、昔壊されてなかったか? でっかい羽虫か二足歩行のスカラベあたりに。直ったのか?』
「あれはね、映像作品での出来事で……ん?」
ふと、遊座の方へ黒塗りの高級車が近寄ってきた。一目で外国産だと分かる威圧感。
車は遊座のすぐ近くに止まり、中からサングラスをかけた体格の良い男性が降りてきた。
「下柳遊座様でいらっしゃいますね」
「は、はぁ……えっと、どちら様ですか」
「
「し、社長直々に呼び出しですか!? 嗚呼、今日中に遺言書を書かなきゃ」
アレだ。もうアレしかない。アレしか思い浮かばない。なんて言おう……「『究極竜騎士』を勝手に使ってゴメーンネ。しかも負けちゃってゴメーンネ」。退学不可避だ。絞殺される。
車外の風景が横浜から童実野町へと移ったのにも気づかず、遊座は何度も言い訳のシミュレーションを行う。だがあの《ザ・カリスマ》海馬社長の数々の言動を思い出していくうちに、会社に着く前には既に心は屈服してしまった。何を言おうとあの人は容赦しない。ここが自分の墓場と化すのだ。
童実野町最高峰の建築物、KC社本社。『この会社、ちょっとおかしくないか』という相棒の言は、まさに正鵠を射るものがあった。いつ建てた、会社正面にそびえる『青眼の白龍』像。なんの意味がある、『青眼の白龍』記念館。なぜ賑わう、『青眼の白龍』写真撮影用の穴あき衝立。ほんとにここの社長はちょっとおかしい。おかしい人ほど天才でプライドが高い。嗚呼、やっぱり僕の死に場所はここだ。
「社長、下柳様をお連れ致しました」
《入れ》
ドア越しの少々ドスがきいたボイス。遊座は死兵の気持ちで……実際杖を持つ手を震わせて、KC社の社長室へと入っていく。たった一人で。
夕陽を後光のごとく背負い、彼は座っていた。日本人離れした鷲のように精悍な顔立ちで、若く高圧的な眼差しはバトルシティ開催時とまったく変わらない。トレンドマークであるノーショルの白いコートは、今さっき新調したように美しく優雅だ。
彼が海馬瀬人。童実野町に君臨し、カード界を政界・財界と並ぶまでに成長させた立役者の一人。『TIMES誌』による『世界で最も人気のある企業 NO.2』の大社長。
「貴様が下柳遊座、だな」
「は、はい! デュエルアカデミア本校1年、下柳遊座です! 社長には、デュエルモンスターズを通じて――」
「――見え透いた世辞を述べろと誰が言った?」
「す、すみません! 口が滑りました!」『滑ってどうする』
海馬社長は無駄を嫌う。童実野町在住の人間なら誰でも知っている常識を遊座は思い出し、背筋をぴんとさせた。
社長は「ふぅん」と鼻を鳴らす。
「貴様。デュエルアカデミアの公開デュエルで、『究極竜騎士』を使ったそうだな」
「は、はい……」
「世間でも貴様に注目が集まっている。遊戯とこの俺に続き、三人目となる『究極竜騎士』の使用者。しかもシングルデュエルでは史上初だ、とな」
「……『カオス・ソルジャー』が手元にあって、丸藤亮を倒すにはそれしかなかったから、そうしたまでで。もし『究極龍』が手元にあったら、僕はそっちの方を召喚して……あっ! い、今のは、別に『青眼の白龍』が欲しいって訳じゃありませんからね!?」
「そんなことは分かってる。何人たりとも俺の『青眼』を侵すことは許さん。たとえそれが、遊戯であってもだ」
神を前にしても揺るがぬような絶対的な『白龍愛』。テレビで見てきたアレは、エンタメでもなんでもない、本物の愛だったのか。遊座の心で感動が生まれた。
「下柳。貴様に聞きたいことがある。どうだった、伝説と呼ばれる史上最強のモンスターを使役した感想は」
「え?」「どうだったと、聞いている」
遂に詰問の時間がきた。言い訳も虚偽も認めぬであろう、攻撃力3000の睨みにどうすることもできない。
時代劇で悪事のほどをばらされる商人のように、遊座は正直に話した。
「……とても、誇らしく思いました。あんなに凄いモンスターを使えるなんて。人生の中で一番興奮したのを覚えています。
けどそれ以上に、あのカードを使って負けたのが、今となっては凄く悔しいです。相手モンスターの種族を変更していれば……まだ勝機はあったかもしれません」
相棒も空気を読み、口を閉ざして社長を見詰めている。彼がいなければ声がもっと震えていたかもしれない……感謝の思いを遊座は抱いた。
社長は数秒ほどこちらの心を覗くように黙っていたが、口を再び開いた。
「どこで『竜騎士』を手に入れた」
「義理の父からです。父はカードバイヤーで、レアカードについて詳しくて、色々な方面に伝手を持っているんです。もっとも、それは実父から受け継いだものですけど」
「ほう……一カードバイヤーが、『竜騎士』を手にするとは驚きだ。あれはペガサスがデュエルモンスターズを生み出す際、『青眼』と共に刷られた最初期のカード。初版で刷られたきり二度と作られておらん。普通であればそのような貴重品は資本家やコレクターの手に渡り、厳重に保管される筈なのだがな」
「……僕は入手経路については、よくわかりません。これは実父から託されたものだと義父に教わったきりで」
「……ふぅん。よかろう。それについては今はどうでもいい。俺から言いたいのは一つだ」
ぎしりと、椅子の背もたれを歪ませる音。社長の口許に浮かんだ笑みを見て、遊座は己の運命が終わるのを悟り――
「貴様はそこいらの取るに足らぬ凡骨よりかは、ましなデュエリストだということだ」
「……え。えっと、どういう意味ですか?」
「分からんか。貴様は己の力で、戦いのロードを切り開こうとした。下らぬ周囲の視線や、プレッシャーに打ち勝ち、至高のカードを扱ってみせた。公の舞台、デュエリストの戦場で!
俺はそれを賞賛しよう。貴様からは勝利への執念を感じ取れた。この童実野町から新たな強者が生まれるとは……バトルシティを成功させた甲斐があったというものだ。ふはは、フハハハっ!!!」
――まるで『青眼の白龍』の攻撃で勝利したかのようにご機嫌な社長に、唖然となった。
どうしてそんなに笑っているのかは理解出来ないが、どうやら彼は怒っていないことだけは確かみたいだ。それを実感して安堵を覚えるより早く、社長は微笑みながら続けた。
「それで、下柳。本題に入ろう」
「エッ!? 今までのは本題じゃないんですか!?」
「勘違いするな。俺個人が動くのは、俺以外に『青眼の白龍』を使う人間が現れた時だけだ……もっともそんなことは有り得んが。貴様が使ったのは『カオス・ソルジャー』と融合素材モンスター。俺が手を出す意味もない」
「あっ、そうなんですか……よかったぁ! 『竜騎士』の半分アルティメットだから、「俺以外に使うのは許さん」とか言ってぶっ殺されるかと」
「ふぅん。御望みならそうしてやるが」
「すんません、今のは妄言です!」『お前……緊張から解放されると、なんで口が緩くなるのだ。はしたないぞ』
横からの突っ込みが耳に痛い。しかし彼がこうして口を開くということは、一先ず山場を越えたという証左。リラックスして話す事ができそうだ。
しかし社長が機械を操作して映した映像は、一見穏やかに見えて、そうではない。遊座の自宅だ。それを囲むようにバンが何台も停まっているが……。
「この映像を見ろ。現在、貴様の家の周辺には有象無象の輩共が大挙して貴様を待ち構えている。つまりマスコミだ。童実野町近隣に住む、貴様の友人も同様だと社員から報告が上がっている」
「ほ、本当ですか……って近隣ということは、原さんも……?」
「貴様があれを使った唯一の失点は、カメラのの前だったという事だ。船旅で知る由もなかっただろうが、既に貴様の特集が放映されている。ゴールデンタイムでキー局の特別番組が組まれる程のな」
「うへぇぁ……」
「情報統制を敷いて状況を安定させはしたが、背広を着たゴロツキどもが遠からず、金目当てに卑劣な手段を行使するのは目に見えている。
デュエルアカデミアは俺の夢を支える組織だ。その組織の一員たる生徒が、下らぬ世間の興味とやらで圧迫され、潰されるのは癪だ。
よって貴様の身柄を一時的に我が社、この俺の下に預かる事にする。異論は認めん」
一息に社長はまくし立てた。上から目線の言葉の裏に、遊座は社長の心遣いを感じ取った。
「社長。ありがとうございます」
「礼を言うほど冷静ならば、デッキを見直せ。貴様のデッキは装備魔法次第で化ける。凡骨と同じ種族のモンスターを気に入ってるなら、望むままにカードを引き当てる術を充実させろ」
「御助言、痛み入ります。……あの、二つ伺いたいことがあるのですが」
「言ってみろ」
「義父は、今はどうしていますか? あの人もマスコミに追われているんじゃ」
「貴様の義父は、貴様のデュエルが放映された時間、海外に滞在していた。我が社が手を打つより早く奴から一報が届いてな、暫く大人しくしているゆえ息子を頼むとのことだ」
「嗚呼……迷惑かけちゃったか。あともう一つですが」
「貴様の友人のことだろう。既に手は打ってある。貴様もそれに従え。磯野」
革靴を鳴らす音。磯野が社長室へと入ってくる。
「会談はこれで終わりだ。何かあったら磯野に言え。以上だ」
「し、社長! 色々とありがとうございました! 精一杯、恩返しします!」
「ふぅん。早く行け、日が暮れるぞ」
社長は椅子をくるりと回して背中を向けて、茜色の夕焼け空と対面する。どこまでも威風堂々とした人だ。
本社から出された車に乗りながら、遊座はふとあることを思い出す。
「磯野さん……社長って今、何歳でしたっけ?」
「今年で、御年23歳になられます」
「し、新卒一年目の年齢……決めた。僕、23になったら社長みたいな威厳を持てる人間に成長します!」
『まったく想像できん。お前、上に立つような人間じゃないだろ』
「……相棒もだけどね」
「は?」「な、なんでもないです、ハイ!」
車がタイヤを止めるまでの間、遊座は暮れなずむ童実野町の風景に見惚れ、感慨に耽るように口を閉ざした。
社長室に一人残った社長は、一本のテレビ電話に出ていた。
「調べがついたか、モクバ」
《うん、兄様》
下柳に対するよりも、何倍もの優しさに満ちた声。返ってくるのは知性を感じさせる返事で、映像にはグレーのスーツを着た青年の姿があった。社長によく似た鷲のような顔立ちに人懐っこい眼差し。ドレッドヘアのような末広がりな髪型が特徴的だ。
海馬モクバ。海馬瀬人の弟にして、KC社の副社長である。こと、情報収集と分析にかけてはモクバに比する人間などいない。海馬瀬人はそう確信して、弟を絶対的に信頼している。ゆえに弟に対しては、特に重要なことについて調べるよう任せることが多い。
今、その報告を瀬人は受け取っていた。新たに出てきた画像には、丸顔の穏やかな顔付の男性が映っている。遊座が歳を食った姿として見る事もできるが、はたしてその通りで、この男は現在の遊座の父であった。
《秋田与志夫、旧姓下柳与志夫。高校卒業後と同時に一般女性に婿入りして、姓名を秋田に改める。その後大学の研究機関のスタッフとして務めて、勤続2年目にサウジアラビアへ渡航。以後、現地で考古学の研究をしていたと思われる》
「思われるとはどういうことだ」
《詳しいことが分かっていないんだ。今から7年前、兄夫婦である下柳祐樹・美里が突然失踪するまで、何をしていたかまったくつかめていない。
兄夫婦が失踪後は日本に帰国。姓名を下柳に戻して、遺児である下柳遊座の義父として兄の仕事を継いでいる。その時点で、与志夫の妻は他界して、その妻の実家とも縁を切っている》
彼を調べろと言う社長の判断。それは、報道に対してあまりにも早く彼が行動したことに端を発する。
報道放映時、与志夫は上海にいたことが分かっている。現地のテレビでは日本の番組は放映されていないし、報道規制が毎日のようにかかっている。当然日本国内の番組など見る事はできないはずだが、彼は報道直後の時間帯には既に滞在先のホテルから出て、上海を抜け出していたのだ。その上彼が連絡を寄越したのは、KC社の現地法人が彼に連絡を入れるより前の話だった。一方的に話してガチャンである。まるで報道を見て、慌てて遁走したようではないか。
あまりに性急すぎる行動が、逆に社長の眼をひいたのだ。息子が使用した超絶レアカードが、さらに疑問を掻きたてた。あのカードを使用したことが関係あるのではないか、と。
「続けろ」
《与志夫は、帰国後は古物商として古物の修繕・販売をしている。それと並行して、兄の仕事であったカードバイヤーとしても手広くやっているみたいだ。
仕事柄は温厚、職務に忠実。収集癖があるらしくて、何かを集めたり調べたりすることに才能があるみたいだ。扱う商品も高価格・高品質のものが多く、顧客からの信頼は厚い。……けれど》
「どうした」
《……兄様。こいつは胡散臭いよ。才能があるだけじゃバイヤーはやれない。しかもこいつがやっているのはレアカード専門の売買だ! ある程度は運が絡むだろうさ。なのに、こいつの所には呆れるくらいレアカードが入ってる。分かっているだけで、去年だけで総額9億ドル規模の売買をしているんだ! 個人でだよ?》
「お前の言う通りだ、モクバ。カード界とは無縁だった奴が、こうも容易く業績を伸ばせるとは思えん。極めつけは『究極竜騎士』。奴はどうやって手に入れた」
《兄様は、やっぱり疑っているの? こいつのこと》
「遊戯以外に、あのカードを持っている奴を俺は知らん。そもそも、あれは世界でたった2枚しかないカード。1枚は遊戯が持っており、もう1枚は行方知れずだった。それを首尾よく手に入れたとして、どうして義理の息子に渡せる。カード界に無縁だった奴の行動とは思えん」
もし与志夫が成金趣味の人間だったなら、金のなる木は自分の手元に保管しておくだろう。しかし遊座のレアカードの保有率を考えるとその線は消える。かといって与志夫がカードに執着していないようにも見えない。情報が不足している。
黎明期からデュエルモンスターズに関わり続けてきた人間として、そしてカードの力で世界の運命を動かしたデュエリストとして、下柳与志夫という人間は警戒に値した。デュエルモンスターズを世界に広めるための行動というのなら容認できるが、行動の一つ一つが不自然で、疑いを呼び起こす。海馬瀬人にはカード界の秩序を守るために、彼に目をやる必要があった。
「どんな経緯であれ、奴の行動次第で何が起きるか分からん。モクバ。そいつの情報を徹底的に洗え。この事は下柳と、マスコミには漏れないようにしろ」
《分かった。俺からは以上だよ》
「苦労をかける。落ち着いたときに、一緒に食事でもどうだ」
《へへ、いいぜ。兄様と一緒なら、どこへだって行くよ! それじゃ、頑張って調べてくるぜぃ!》
兄は淡く微笑み、通信を切る。
徐々に昏く静まっていく童実野町の夕景。ネオンの燦々たる光がここを支配するのはもう間もなくだ。
「下柳与志夫……貴様は何を企んでいる」
海馬は静かに街並みを見下ろす。新しくオープンさせた超高層ホテルや海馬ドーム……興隆の証。童実野高校や武藤遊戯の実家……懐かしき思い出。
学生だった頃から、良いも悪いも、多くのことをここで行ってきた。その結果、デュエリストの聖地と呼ばれるまでに成長させてきた。そういう自負がある。ぱっと出のどこぞの馬の骨ごときに、街の平穏を乱されることはあってはならない。
海馬は超高層ホテルの最上階へと目をやった。