何もかもが暗く、その輪郭がわかる程度。
足場は不安定で、未来のない展望。
少年の行く末は、到底少年一人で往ける道ではない。
──そう、一人では。
ウルフ──八幡は、控室を訪れていた。
控室出口では平塚が待機している。
モニターは轟と爆豪を映し、体育祭がそろそろ終わることを示していた。
常闇は爆豪に弱点の光を多用され、最後は降参して敗退し、今は観客席で二人の試合を見ている。
控室で一人、モニターをぼーっと眺めながら椅子に座る八幡。
この後のことを考えると、やはり憂鬱には変わりない。
寧ろ八幡の求める未来が明確になったことを考えると、より気分が暗くなる。
『調子はどうだい?』
「…最悪だ」
『それを聞いて安心したよ。君の顔がより絶望に染まりそうで何よりだ』
なんて趣味の悪い奴だ、と首元から流れてきた音声の持ち主の顔を思い浮かべ、悪態をつく。
声は抑え、外の平塚に聞こえないように気をつけて会話をする。
オール・フォー・ワン、個性を収集する男。
そのせいか、人の絶望を見て愉しむ節がある。
『もう試合が終わるね』
「…まあ、そうだな」
『例年、体育祭のメダルの授与は雄英ヒーローによる手渡しだ。今年の一年生はオールマイトが教鞭を取っていることから、オールマイトがメダルの授与役になる可能性が高い。…君がオールマイトと無防備に接触できる、唯一のチャンス』
「そこはオールマイトも警戒しているだろ」
『もしオールマイトが何かを察して離れたら、又はオールマイトではない誰かがメダル授与を行ったら。その時は横の生徒でも操るんだね』
「…って、オールマイトも考えるな。あの人の性格と、生徒に事情を漏らせない状況から…多分、オールマイトは堂々と俺にメダルを渡しに来るだろ」
体育祭のメダル授与は、4位以上に与えられる。
その為に、比企谷八幡は準決勝まで勝ち抜き、準決勝をあっさり棄権した。
それ以上勝つ必要がないからである。
そして、オールマイトと接触し、彼を抑えるのがコネクタ──比企谷八幡の役目。
No.1ヒーローを抑えるという日本で一番難しいミッションを、生来持った神経を操る個性と、与えられた左腕に宿った個性が可能にした。
『さて、できそうかい?左腕で、オールマイトを封じるのは』
「…さっきちょい使ってみたけど、まあ行けそうだな…」
『それは良かった。オールマイトを君が止めたら、開始の合図だ。宜しく頼むよ』
平然と告げられた作戦は、悪意とヒーローの義憤を利用する凄惨たるものだった。
場合によっては大勢の被害が出るだろう。
だが、八幡の動きによっては被害はオールマイト1人で済む。
小町はもちろん、雪ノ下も、由比ヶ浜も、その他の大勢の人たちが無事でいられる。
自分が平和の象徴の破壊、No.1ヒーローの殺害という罪を被ることで、オール・フォー・ワンの溜飲が下がるなら。
…だが、オールマイトが死んだ後は?
平和の象徴の喪失は、日本のみならず世界中の悪たちの隆盛を、そしてヒーロー社会の悲しみを引き起こすだろう。
闇社会や裏世界の住人たちの動きは活発化し、それをオール・フォー・ワンが統率し、大昔にも起きた個性を大々的に使用した戦争が起きる。
それはもちろん避けなければならないことだ。
それでも、八幡は思う。
唯一の肉親、最愛の妹──小町。
生意気で憎たらしい小娘だが、八幡にとって最高の妹だ。
小町だけは何に代えても守りたい。
『コネクタ』
「…死柄木」
『試合が終わったぞ』
「…ああ、そう」
『こっちは準備ができてる。…さあ、二度目のコンティニューだ』
「ゲーム感覚かよ…」
『しかも前回とは違って、お前がメインだからな。簡単だ』
「…」
『…変なことは考えるなよ、前回みたいな癇癪はなしだ』
「お前に癇癪とか言われたくねーよ…」
死柄木に対して力無く返答をする八幡。
扉からノック音が聞こえ、時間が来たと悟る。
全てを台無しにしてしまう、終幕の時間が。
平塚の呼びかけに対して立ち上がることで応じ、彼は控室を出た。
──────────
「…なんだあれ」
既に生徒たちのほとんどがグラウンドに出て、表彰式が始まるのを待っていた。
生徒たちの後方ではメディアが生徒たちを囲うように写真を撮り、明日の一面を飾るための資料を用意しようとしている。
セメントスがトーナメントの為に用意した舞台も撤去され、元のグラウンドに戻され、1位から4位までが立つ表彰台も用意されていた。
だが、何故か体育祭1位になった爆豪が表彰台の一番高い立ち台で腕、口を拘束されて全く動けないようになっている。
何かを隣に立つ2位の轟に怒鳴り散らかそうとしているのはわかるが、喋れないようになっているので言葉はわからない。
「お、ウルフ!オメーも早く表彰台行けよ!3位おめでとな!」
「常闇も3位かー…A組で総ナメだよやべーなうちのクラス」
切島と上鳴の会話で、轟の横に空いている立ち台があることに気が付き、その場へノロノロと歩いていくウルフ。
とりあえず棄権のことについては触れないでおいてくれるようだ。
面倒がなくて良い。
表彰台へ上がると、真っ先に雪乃と結衣と目があった。
結衣の方も今すぐに八幡へと向かう気はなさそうだ。
二人とも神妙な顔つきでこちらを見ていた。
「…ウルフ」
左隣で自分の左手を見つめていた轟が、八幡に声をかける。
「後で話がある」
「…無理だ」
「…時間をくれ」
「そんな時間はない」
「…」
その問答の後は何も告げてこない轟。
悪いが、本当にそんな時間はないしそんな悠長なことをやる暇もない。
「さあメダル授与よ!」
今日一日の最後の仕事を済ませようと、ミッドナイトが前へ出る。
恐らく、今日一番にして最大の山場を。
一般プロヒーローたちはこれで仕事終わりだなと一息をついているところだが、雄英ヒーローたちの心構えはまるで違う。
もう、奴らが何かやらかすならこの場しかないと身構える。
そして、その予感は当たっていた。
ミッドナイトの呼びかけでオールマイトが空高くから降り立ち、表彰台の前に向かう。
向かう先は、いきなり一番の警戒を以て当たらなければならない少年ウルフ・エイティス──比企谷八幡。
メダルをミッドナイトから受け取り、そのまま八幡の首元へとかけようと近寄る。
「…おめでとう、少年」
「…」
次の瞬間、ふらりと前のめりになる八幡。
オールマイトの方へと倒れそうになる。
そんな彼を、咄嗟に受け止めてしまったオールマイトは、すぐに自分がしくじったことを察する。
八幡の身体を受け止め、八幡がオールマイトの首に静かに左手を伸ばしたその瞬間、オールマイトの身体は動かなくなっていた。
「……!?」
「…おい、ウルフ。大丈夫か」
オールマイトに抱き止められたまま動かないウルフの様子に、轟が訝しんで声をかける。
だが、ウルフはその呼びかけには応じず、虚な目で轟を見つめ返した。
その様子に困惑する轟。
一部始終を見ていた雪乃はその異変に気が付き、個性を発動させようとする。
『作戦開始だ』
だが、周囲の異様な気配に気が付き、後ろを振り返って唖然とする雪乃。
黒い靄が、グラウンドにいくつも出現していた。
数は10どころではない。
「後ろ!!逃げてください!!!」
滅多に出さない雪乃の大きな声に、びくりと反応するA組の生徒たち。
まさか、と全員が周囲を見て、それに釣られて生徒たちも異変に気がつく。
観客たちも、観客たちに混じっていたプロヒーローたちも、その異変に気がついた。
体育祭のデモンストレーションでも演出でもない。
彼らの脳裏に、USJでの襲撃事件が過ぎる。
「まさか、あの靄!!」
「マジかよ何考えてんだ!!?まだ二週間しか経ってねえぞ!!」
「生徒たちはゲートへ!!走って逃げなさい!!」
いち早くA組の生徒たちは動き、雪乃が固まって動かない生徒に向けて声をかける。
「
その名を聞いて、
非常事態であること。
それらを理解した生徒たちは、一目散に一番近いゲートへと走り出す。
黒い靄が現れたのはメディアと生徒たちの間の空間だった為、メディアたちも急いで靄から離れ、観客席の壁付近にまで下がる。
そのまますぐにゲートから逃げ出さないのは彼らのプロ意識によるものだ。
「何をしているの!貴方達も早く逃げなさい!」
雪乃がA組、B組の生徒にも叫ぶ。
だが、彼らは臨戦態勢に入って靄から出てくる何かを待ち構えていた。
「何言ってんだよ雪ノ下!!あの数だぞ!USJ並みに出てくるかもしれねえじゃねえか!!」
「せめて、一般生徒たちが避難するまでの時間を稼ぎます!!」
「この場にはプロが大勢いるのよ!貴方たちの出番はないわ!」
「そ、そうだ!オールマイト…!」
峰田が思い出したようにオールマイトの方へ振り返る。
だが、そこで驚愕の光景を目にする。
オールマイトが、ウルフを抱き止めたまま、まだ動いていなかったのだ。
更に、轟と常闇、ミッドナイトが地面から伸びた土に覆われてその身動きを封じられていた。
爆豪は既に暴れないように、事前に雄英側が拘束していたので様子は変わっていない。
「オールマイト!!?」
「何してんだ!?ていうかウルフも…!」
「轟くん!常闇くん!ミッドナイト先生!」
「いつの間にあんな拘束…!ていうかアレ、USJん時の!コネクタって奴も来てるのか!?」
動けない爆豪が、暴れるのをやめてある人物を見つめていた。
表彰台の上にいる人物で、一切拘束されていないただ一人の人間──ウルフ・エイティス。
(…まさか、こいつ!!)
やはり動いた、と雄英ヒーローたちは皆グラウンドに降り立っていた。
実況席で未だ実況を続けていたプレゼントマイク、イレイザーヘッドの両名もその場で戦闘態勢に入る。
観客席にいたヒーローのうち、エンデヴァーは警備についていた各サイドキックたちに警戒を促そうと通信機を手にする。
だが。
「…繋がらない!通信妨害か!?」
先のUSJ事件では、通信妨害を起こしていたジャックという電気系の個性持ちがいて、それを捕らえることが出来なかったと生徒の川崎沙希から報告が上がっていた。
恐らく、そいつが何処かにいる。
侵入者が続々とグラウンドにワープして来ている中、警報がまるで鳴っていないのもそいつのせいだろうと見当をつけるエンデヴァー。
同様に、陽乃も同じ考えをしていた。
「ヒーローの皆さんは周囲の観客たちの避難と警護をお願いします!…エンデヴァー!ミルコ!」
陽乃が近場のヒーローに声をかけ、グラウンドに降り立とうとしていたエンデヴァーとミルコに声をかける。
呼び止められたエンデヴァーが陽乃の方へ振り向き、ミルコが陽乃の顔を覗き込む。
「何の用だこんな時に!」
「蹴りに行かせろ!」
「話があるの。大事な話」
「今この事態に対処する以上に大事なことなどない!!」
「…もしかして、アイツのことか?」
つい先ほどある程度の事情を察したミルコの方がまず落ち着きを取り戻した。
そして、エンデヴァーも二人の様子に眉を顰める。
エンデヴァーもミルコも話を聞く態勢に入ったことを見とめた陽乃は、隣で今にも飛び出しそうな様子で黒い靄を睨んでいた小町に振り向く。
「小町ちゃん、お願い。話を聞いて」
「…陽乃さん、アレ…」
「わかってるわ。けど、今は君は動いちゃダメ」
「小町が無個性だからですか!?小町に、お兄ちゃんを助けに行ける力がないからですか!?」
目に涙を浮かべる小町、それを見つめる一色と陽乃。
きっと、小町がここ数年持っていた不満だろう。
自分が無個性で、大切な人を救けようとする結衣や雪乃の姿を見て、無力さを実感していたのかもしれない。
「…落ち着いて。今、小町ちゃんにはもっと重要な役目がある」
「そんなこと!!」
「それ、なんですか?はるさん先輩」
まずは冷静になること。
それが重要だと理解していた一色は、小町の代わりに陽乃に問う。
小町の後ろから両肩に手を乗せて、小町に触れて安心させ、話を聞く様促す。
その様子を見ていた陽乃は、やっぱりヒーロー向きだねと一色のポテンシャルを見出しつつ、言葉を続けていく。
「小町ちゃんの願いは、比企谷君に帰って来てもらうこと。そうだよね?」
「…はい」
「じゃ、その為に小町ちゃんは今やることがあるの」
「小町の身を守ることが、お兄ちゃんの望みだとかそんなぬるいこと言わないですよね?」
「うん、そうじゃない。小町ちゃんが安全であることで、比企谷君は戻って来れる」
「え?」
陽乃の言葉に、驚きを隠せないその場の3人。
驚かなかったのはミルコだ。
バッとグラウンドを見てウルフ──八幡を見る。
オールマイトと接触したまま未だ動いていない。
二年前、黒霧と思われる
それが今日何故か狼の覆面をして、雄英体育祭に参加している。
雄英が行方不明だった少年をサプライズで参加させて実は比企谷八幡でしたー、なんて喜劇を画策する訳がない。
比企谷八幡の雄英体育祭参加は雄英の意思ではない?
そして、今現れた黒い靄──黒霧の形跡。
「サンアイズ!今、今…お前らは賭けの最中なのか!?」
「そうだね。BETしたのは雄英の社会的信頼」
そして、最悪の負け金は雄英だけではなく比企谷八幡の社会的信頼、オールマイトの命、生徒たちの安全。
だが、もし賭けに勝てば全てを勝ち取れる。
これは、雪ノ下姉妹と雄英による、オール・フォー・ワンとの史上最悪の賭け。
「八幡が…奴がなんだ!?見つかったのか!!…いや、まさか…今この場にいるというのではないだろうな!!」
「え!?」
「まあ落ち着いてよエンデヴァー。とりあえず…小町ちゃんのそばに座って、守ってあげてね」
観客たちが徐々に避難を始める中、陽乃たちはその場に留まった。
ミルコの横が空いたので、いつでも戦闘に入れる様警戒しながらミルコの左横の席に座る。
小町も一色も困惑しながら、グラウンドに目を向ける。
黒い靄の数々から、新たな何者かが現れようとしていた。
──────────
「なんだよ…これ…!」
瀬呂の言葉は、その場にいた全ての生徒たちの言葉を代表していた。
まず、黒い靄から真っ先に現れたのは脳無。
USJにも現れた黒い肌に脳がむき出しの大男だ。
ショック吸収に超速再生、オールマイト並みのスピードとパワーを兼ね備えた改人。
緑谷と切島、雪乃も結衣も、その脳無は現れるだろうと考えていた。
USJではオールマイトがなんとか倒したものの、コネクタという
だが、次に黒い靄から現れた人間を見て、自らの疑うことになる。
灰色の肌に、常軌を逸した目、そして剥き出しの脳。
明らかに、先に現れた脳無と似たような姿。
そんな輩が次々と現れる。
白い肌、灰色の肌、薄黄色、青緑色、黒い肌の脳無に似た何か。
それらが、およそ20体。
「何だあれ…!脳無って…全員そうか!?」
「そうだ」
切島の戸惑うような声に、黒い靄の奥から返事が来る。
USJでも聞いた声。
因縁の声に、緑谷が真っ先にその名を呼ぶ。
「死柄木…!!」
「よう、ヒーローの腐った卵諸君…。会いたくなかったけど、また会ったな」
死柄木の全身が黒い靄から現れたのを皮切りに、黒い靄が次々と霧散していき、残った最後の一つが人型となって死柄木の横に立つ。
黒霧だ。
「死柄木…!何しに来た!?こんなヒーローたちが集まる体育祭のど真ん中に!!」
「お前の相手は後だ。…黒霧」
「はい」
黒霧が一体の白い肌の脳無を呼び寄せる。
白い肌の脳無は、その手に拡声器をつけていた。
拡声器に向けて黒霧が声を出し、その声が増幅されてグラウンドや観客席に響き渡る。
『初めまして、皆さん。我々は
「なっ…」
「嘘だ!出来るわけがない!この雄英には至る所にセンサーが…」
そこまで物間が叫ぶが、雄英ヒーローたち、他にはA組もだが、有り得ると判断する。
観客席では多くの人々がヒーローたちによる扇動の元、避難を続けている。
その隙にヒーローたちの目を盗んで爆弾を仕込むとしたら、恐らくそれは可能である。
『よって、皆さんは動かないでいただきたい。特にヒーローの方々。今この時よりこの会場から出ていく者が一人でもいれば、爆破させていただきます』
その言葉を聞いた途端、それぞれの出入り口で避難誘導を行なっていたヒーロー達は各々の手段で人の流れを止める。
ハッタリだと思いたい彼らだが、もし万が一を考えると避難を続けるという選択肢は取れない。
グラウンドからは既に普通科、サポート科、経営科の生徒達のほとんどが逃げ出していたが、ほんの少しだけ生徒達は残っていた。
黒霧の言葉が耳に届いてしまい、その足を止めてしまったのだ。
「何が目的だお前ら!人々を逃がさん理由は何だ!?」
「彼らには歴史の目撃者になってもらいたいと。そう考えていまして…。貴方達が大人しくしていれば彼らには被害は届きません」
歴史の目撃者。
スナイプの問いにそう答えた黒霧。
そんな大仰な言い方をするなんて、一つしか答えはない。
オールマイト抹殺。
「それと…此度は、うちのコネクタの面倒を見てくださり、ありがとうございます」
「…!!」
余計なことを言いやがって、とは言えなかったスナイプ。
黒霧の意図はわかるが、それを阻止することはできない。
やるなら今すぐにでも、コネクタ…つまり比企谷八幡をこの場から連れ出すなり何なりする必要があるが、その比企谷八幡はというと。
「悪いな、巻き込んで…」
「どういうことだウルフ…!これはお前がやってるんだろ!?触れた物を操る個性…!」
オールマイトの首に手を触れたまま、表彰台を降りるウルフ──比企谷八幡。
轟の問いには応じず、そのままオールマイトに命令を下す。
「オールマイト…俺を担いでくれませんかね?あんたの体格じゃあ首に手を当て続けるのも面倒なので」
「少年…!これは、何の個性だ!?」
「あの老害に付けられた最悪の物ですよ…」
身体が動かせないオールマイト。
それどころか、自分の意思とは関わりなく腕が動き、八幡を肩に乗せてしまう。
間違いなく八幡に操られている。
八幡を肩に乗せたまま、オールマイトは踵を返し、生徒たちの間を縫って死柄木の元へ向かう。
「オールマイト!?何を…」
「ウルフ!!何やってんだよ逃げないと!」
「状況をよく見ろ!そいつは何かおかしいぞ!!」
拘束されたまま轟が生徒達に注意を促す。
全身が土に覆われている以上、氷でも炎でも内部から破壊することはできない。
氷を使えば身体が凍てつきかねず、土壁を壊すほどの炎熱を使えば真横にいる爆豪に被害が行きかねない。
爆豪はまるで動けず、常闇が何とか
なら。
「…
「…アイヨ!」
「!」
小声で
だが、爆豪の拘束を外す為の鍵を持っていない上に、
時間はかかるだろう。
早くしろ、と
八幡を抱えたままのオールマイトが死柄木の目の前に辿り着き、そのまま停止する。
「…よくやった、コネクタ」
「…」
「コネクタ!?って
「どういうことだウルフお前!俺たちを騙していたのか!?」
「…待ってください!彼を呼び寄せたのは雄英じゃ…」
生徒たちの糾弾に加え、何かに気づいた八百万。
聡い生徒がいて助かるよ、と死柄木。
「そうだ。コイツは雄英がわざわざ招いた…雄英の見立てが甘いせいで、
「馬鹿を言うな!貴様らが人質を大勢取ったからこんな無茶を俺たちは飲んだ!!」
「USJ襲撃後にこんなバカな祭り開いてるからこうなるんだよ!!」
「貴様らの我儘で生徒たちの研鑽とお披露目の場を閉ざすような真似などしてたまるか!!」
死柄木と雄英ヒーローたちの言葉の応酬に、何となく状況を察する生徒たち。
この場は、恐らく
コネクタの体育祭潜入も、雄英たちは知っていた。
本意ではない。
だが、その結果がこの人質劇なら、雄英側の負けではないのか。
そんなことはあってはならない。
彼らの苦渋の決断の末に今がある。
「…バカ言ってんじゃねえ!」
「切島君…!」
「雄英が俺たちのために体育祭をやってくれた!そこにお前らがつけ込んだだけじゃねえのか!?」
「そ、そうだよ!何にしても、悪いのは人に危害加えようとしてるあんたたち
切島、芦戸の声が会場に響く。
その声に、賛同する生徒たち。
やはり、この程度では心を折ることはできないと黒霧。
だが、重要なのはそんな副次的効果を狙うことではない。
この全国放送を前に、ヒーローたちがひしめく中、元ヒーロー側の人間…それも、元々雄英に進学するはずだった者の手によって、オールマイトを抹殺すること。
それさえ成せれば後のことは全て小事。
「
「死柄木…!」
「それを見せてくれるのが、お前の肩に乗ってる奴だ…!コネクタ!マスクを取れ…!!」
死柄木の言葉に、狼の覆面に手をかける八幡。
だが、その手が止まる。
これを取ってしまったら、もう戻れない。
しかし、もしこの場を逃れたとしても、オール・フォー・ワンからは逃げられない。
ピタリと止まってしまった八幡の心を、雪乃は正確に見抜いていた。
「…」
「…まだ観念してないのか?コネクタ…」
「…いや、良い。やめろ黒霧……自分で取る」
コネクタの真後ろにその手をワープさせていた黒霧。
その言葉に安堵してワープを霧散させる。
ウルフの右手が、狼の皮を剥ぎ取って飛ばした。
その少年を、待ち望んでいた。
愛弟子が帰ってくることを、待ち望んでいた。
彼が帰ってくることを望んでいた人々は、その瞬間に絶望した。
…我々は、負けたのだと。
ただ、
「…比企谷、八幡…」
──────────
「…比企谷…」
沙希がこぼした名前に、A組が驚愕する。
それは、雪乃たちが待ち望んでいたと言う少年の名前だったからだ。
詳しいことは聞いていないが、現在行方不明だという。
それが何故か今ここにいて、
総武出身の皆は、誰もがその姿に驚いた。
「あんた…生きてた……生きてたんだ…」
「…川崎」
久しぶりに聞いた低く独特な声。
その声に思わず沙希の頬が緩んでしまうが、すぐに八幡の目を見て気が付く。
目が、死んでいる。
「ひ、比企谷…」
「どういうことだ比企谷!お前…!!」
葉山の呼びかけに、虚な目を向ける八幡。
「…葉山。悪いな…」
「!!」
その言葉だけで全てを察する葉山隼人。
何かに操られているわけではない。
言葉の喋り方も、葉山への応じ方も、何もかもが比企谷八幡のものだったのだ。
そんなバカな、と絶望する葉山。
確かに斜め下のやり方を自ら実行し、皆から嫌われるようなことを率先してやることで、誰にも出来ない物事への解決法を用いる男だった。
だが、ダークヒーローではあっても
一体奴に何があったと思わずにいられない。
「良い反応だ…黒霧!」
「はい」
再び白肌の脳無の拡声器を用いて、会場にその絶望を届ける黒霧。
『彼の名は比企谷八幡。元総武中学生で…元ヒーロー志望』
「!!」
最悪のシナリオを始めやがった、と八幡。
だが、止めることはできない。
オール・フォー・ワンから横槍が入るに決まっている。
もう何もかもが遅いのだ。
『彼は…個性社会の被害者です。彼の両親は二人とも、
一つだけ嘘を混ぜる黒霧。
二人共と言ったが、八幡の父親の方は違う。
どちらかと言うと、八幡の父親の方が
『ヒーローなどという独善的な職業が、彼と彼の妹を不幸に落としました。そして、そのヒーローというものを目指したが故に…彼はその才能を見出され、また彼を不幸にした。その結果が今日この日です』
何という稚拙な演説。
その元凶が自分達であるとは言わない。
だが、重要なのはそんなことではない、と黒霧もヒーローたちもわかっている。
雄英体育祭で3位を取るような優秀なヒーローの卵が、ヒーロー社会の敵にまわり、ヒーロー社会を裏切ろうとしていることが問題なのだ。
『彼は絶望の末、その身と力を我々に貸してくれることを承諾してくれました。今日はその一歩目。オールマイト…貴方の死で全てが始まるのです』
承諾した覚えなどない。
お前たちが妹に目をつけたから。
だが、悪いのは目をつけられた自分かと八幡。
親父が死んで、顔も覚えていないような母親が死んでいて…それでも、二人を知りたくてヒーローになろうとした。
その行いそのものが、間違っていたのかもしれない。
「彼の力は凄まじいでしょう?オールマイト。貴方が動けないのなら、たとえどんなパワーの持ち主でも彼からは逃れようがないと証明されたのです」
「…これは…何だ!?」
「生物操作。彼の左腕に宿った新たな個性!」
比企谷八幡。
個性:生物操作(左腕限定)。
オール・フォー・ワンは、かつて戦った男の個性に興味を持った。
その男は残念ながら殺してしまったが、その子供に目をつけた。
長らく探し回り、ようやく見つけたのはある大型モールでの大型
ネット上で流れたほんの少しの戦闘動画に、間違いなく奴の子供だとオール・フォー・ワンは理解した。
その子供が、比企谷八幡だった。
彼の左腕を切断し、事前に用意していた代わりの左腕を移植した。
それが、生物操作の個性の持ち主の左腕だった。
生物操作の個性は、神経を操る比企谷八幡によく馴染んだ。
改造らしい改造も行わず、左腕に宿った個性因子を少し細胞操作するだけ。
たったそれだけで、左腕限定とはいえ、わずか一週間で八幡は生物操作を使用できるようになったのだ。
左腕から生物に対して神経が伸びて接続し、その接続を以て生物操作の個性を働かせることで、元の生物操作の持ち主が操れなかったような身体の相手まで操るようになってしまった。
「その力があれば、彼の左手に触れられれば何人だろうとまるで動けなくなる!対象の神経を掌握してしまう凶悪な個性です…!」
「…オール・フォー・ワンには効かなかっただろうが」
「あの方は特別ですよ。身体の構造が我々と違うのです」
無論、反乱とも呼ぶべき無謀な行いを、八幡は一度試したことがあったのだ。
だが、やはり無駄だった。
綺麗にあしらわれて、その身を再び暗い密室へと押し込められたのだ。
「…イレイザー!!比企谷だ!アイツを見ろ!!」
ブラドキングの声が、通信先のイレイザーヘッドに届く。
イレイザーヘッドの個性、抹消は対象の個性因子を停止させて個性の使用を止めるもの。
実況席のイレイザーヘッドからグラウンド中央までの八幡とは100m近く離れていたが、姿さえイレイザーヘッドが視認できれば、個性の使用を停止させられる。
『…ダメだ。既に見ているが…オールマイトが抜け出せていない』
「何だと!?」
だが、勿論その対策はされていた。
比企谷八幡の着ている雄英ジャージの中に、ある小さな脳無が黒霧によって転送されていた。
個性活性化の個性を持つ小さな脳無だ。
気持ち悪い、と思いながらもその脳無が身体に張り付くのを離さない八幡。
前回のUSJの反省をきちんとしている辺り、いやらしい奴等だと本当に思う。
「一体どうやって…!」
「イレイザーヘッドの無駄な足掻きも終わったようですね。では…死柄木。始めましょう」
「そうだな…。はあ、ようやく終わるよ……
オールマイトを心底嬉しそうに見る死柄木。
オールマイトさえ動かなければ、後は簡単。
死柄木が身体に触れて、20秒もしないうちにオールマイトは粉微塵になる。
なら、まだ絶望に落とす余裕がある。
そう遊びを考えた死柄木。
「…なあ、オールマイト。無力なお前に問題をやろう。…何故、こんなにも脳無を連れてきたんだと思う?」
「…君らのしそうなことはわかる。だが…そんな悪行を…見過ごしてただ口を動かすだけなど私は私を許せん!!!」
「ハハッ、バカな奴だ!それしかできないんだからしゃべっていれば良いものを!…もちろん、動けないお前をそこに置いて…生徒たちが嬲り殺される様を見せるためだ!!…脳無ども!!」
死柄木の号令に、脳無たちが一斉に動き出す。
恐れながらも身構える生徒たち、飛び出そうとするヒーロー。
だが、それに待ったをかける人物がいた。
ヒーローたちよりも早く、その人物は口を開いた。
「待て死柄木…」
「…何だ?コネクタ」
「話が違うだろ。このオールマイトを殺して即時撤退のはずだ。余計な真似をするな」
「ここでヒーロー社会には大打撃を与えておく必要がある。特に雄英にな」
「オールマイトがそれでキレて秘めた力を爆散させたりしたらどうすんだ。お前この人をナメすぎだ」
八幡と死柄木の問答に、やはりと頷く雄英ヒーローたち。
比企谷八幡と死柄木弔の間には決定的な溝がある。
比企谷八幡もまだ、
だが、ここでオールマイトや生徒が死ぬようなことが起きれば本当に彼は戻ってこられない。
「…貴方たちは下がっていなさい」
その言葉と共に、生徒たちの前に出る少女──雪ノ下雪乃。
ほとんどの生徒たちは怯え、総武出身の生徒たちのほとんどが涙を流している中、彼女だけは前に出た。
「ゆ、雪ノ下…」
「待ってくれ雪ノ下さん!俺も…」
「貴方たちは仮免資格すら持っていない。雄英体育祭期間だけ、ヒーロー公安委員会に特別許可をもらって個性の使用を許されていたのよ。…下がりなさい」
雪乃に次いで前に出ようとした葉山、切島、緑谷を牽制する雪乃。
そんな雪乃を心配そうに、だが信じて見送る結衣。
ここだ。
ここが、今日一番の難関。
だが、この賭けにさえ勝てば、光明が見える。
「その言い方だと…お前は仮免持ってるのか?」
「ええ、そうよ。…ヒーローたちにはどうせ爆弾と観客たちを盾にして動くなというのでしょう?貴方たちのお遊びの相手を、私がしてあげる」
「…癪に触る女だ。殺してやるよ」
仮免どころか本免を持っているが、それは口に出す必要はない。
まだ未熟だと思われて、死柄木にとって雪乃が生徒の範疇を出ていないなら、今が好機だ。
「そういや…お前はコネクタと親しかったな。…良いだろう、お前から死ね」
「雪ノ下!!バカな真似やめろ!この数を見ろ、いくら何でも勝てるわけないだろう!!」
「…比企谷くん、ようやく名前を呼んでくれたわね」
雪乃が八幡に向き、微笑を浮かべる。
こんな状況だが、彼が自分の名を呼ぶ二年ぶりの声は、心地よかった。
「よく見ていなさい。貴方は、何をするべきなのか。…きっとわかるわ」
何をするべきか。
そんなことは分かり切っている。
だが、それでもできない。
できるはずがない。
「やめろ!そんなことは言われなくてもわかってる!!けど出来ない…できないんだ。俺を買い被りすぎだ雪ノ下!!やめてくれ!!」
「いいえ、違うわ。貴方はわかっていない」
「!? な、に…?」
「わかっていたら今、貴方がそんな状況にあるわけがないもの。……だから、見ていなさい。私のあるべき姿を、貴方のあるべき姿を」
八幡のやるべきことは、オール・フォー・ワンへの反抗ではない。
暗にそう言い切る雪乃。
そして、死柄木へ向き直る。
「死柄木弔…といったかしら。貴方にも教えてあげる。ヒーローの在るべき姿を」
──────────
「勝手に言ってろ。…やれ」
死柄木の言葉と共に、脳無たちが一斉に雪乃へ向けて走り出す。
その数を視認し、それぞれの特徴を頭へ叩き込む雪乃。
(白肌の脳無が12体。色がついた肌の脳無が7体。USJに現れた脳無を含む黒肌の脳無が3体)
正直な話、自分に勝算は全くないことを理解していた雪乃。
何せ、オールマイトですらタイマンでようやくどうにかなった脳無がいる中、他に脳無が21体。
他の脳無もあのレベルの脳無なら勝ち目などあるはずもない。
そこをまずは探っていかねば、話にもならない。
「霜天」
八幡戦で見せた、全力の氷結波が脳無たちへ向かう。
だが、白肌の脳無の一体が前に出た途端、氷結波が全てその脳無へと自然と向かっていく。
そして、何と脳無が開けた大口に全ての氷が飲み込まれていった。
操作しようにも、既に雪乃には操作のしようがなかった。
恐らく、氷だけを飲み込む個性。
「…対策はされているようね」
「前回はそれでほとんどやられたからな…。さあ、どうしようもないだろ」
重苦しい足音共に、USJを襲った黒肌の脳無が雪乃の前に立った。
大きい。
素の力がオールマイト並みという黒肌の脳無。
正面から戦えば勝てるはずもない。
「だとしても…戦いを諦める理由にはならないわ」
「そうか。死ね」
死柄木の言葉と共に、振り下ろされる剛腕。
思わず目を閉じる観客たち。
だが、腕が雪乃にぶつかるよりも前に、脳無は雪乃の掌から出た洪水に押し戻されていた。
「!?」
「雨天」
「そういや水も操るんだっけか!?」
他の脳無たちも次々と押し出されていく。
普段ならその水を氷へと即座に凝固し、一網打尽にしてしまうところだが、先の白肌の脳無のせいでそれもできない。
とりあえずこれで距離は取れると見込んだ雪乃。
だが次の瞬間、雪乃の身体に電流が走る。
「あっ…」
「ゆきのん!!」
「雪ノ下…!」
咄嗟に名前を呼ぶ結衣、そして八幡。
その電流を発したのは、二体目の黒肌の脳無だった。
その個性に見覚えがあった八幡、そして耳郎と八百万、川崎。
USJでジャックと呼ばれていた通信妨害を起こしていた
だが、今その個性を使ったのは脳無だ。
ジャックではない。
(個性をジャックから奪ったか…!?)
恐らくジャックは既に死んでいるだろう、と予想する八幡。
便利な個性故に、八幡と同様にオール・フォー・ワンに目をつけられたのだ。
そして、水流越しに痺れさせられた雪乃を見る。
「くっ……!流石に、全て純水にする余裕は…なかったわね…」
「ずいぶん強い個性だな。でもここまで対策とられたら…あっさりだ。オールマイト、よく見てろ。…お前もこうなる」
「雪ノ下くん、逃げろ!!生徒たちを全員連れて…!私たちのことなど気にする必要はない!!」
「…すみません、オールマイト。やはりそれだけはできません」
手足の痺れを気にもせずに立ち上がろうとする雪乃。上手く立ち上がれず、氷の杖を用意して立ちあがる。
「…比企谷くん」
「!」
「貴方は、動けないから、勝てないからと諦めるかしら?」
「なに?」
「そして、貴方は後ろにいる守るべき人たちを差し出すの?」
「…」
それは、雪乃と八幡との試合の中で行われた問答だった。
今再び、その問いを八幡に投げかける雪乃。
「その答えは、貴方自身がよくわかってるはず。だから、その続きを貴方に聞きましょう。……では、貴方はどうするべきかしら?」
──────────
敵は強大で勝ち目などない。
だが、逃げることもできない。
何故なら、自分の背後には命に代えても守りたい者がいる。
なら、どうする。
どうすれば良い。
(…いや、どうすれば良かった。こんなクソみたいな状況に持ち込ませてしまった要因の一端は間違いなく俺にある。どうすれば、雪ノ下やオールマイトはこんなことにならなかったんだ)
雪乃が水によって自身を運び、脳無たちの猛攻を掻い潜って自らを滑らせる。
だが、それも長くは続かない。
雪乃は体力がない。
中学時代から鍛え続けてはいるものの、一瞬で勝負を決める方が彼女の戦闘スタイルに合っていたため、それを伸ばした。
つまり、彼女は持久戦が向いていない。
「ぐっ」
「ゆきのん!!」
「危ない!」
「…やめろ……やめろ!やめてくれ雪ノ下…!」
(小町は大事だ。間違いない。でも…オールマイトを死なせたら…。それに)
傷ついていく雪乃を見る八幡。
彼女にもし、何かあったら。
だが、雪乃をここで守れたとしても、その次がわからない。
オール・フォー・ワンに雪乃や結衣が目をつけられたら。
しかし、現状のままで良いはずがない。
このままいけば雪乃は最悪死に、他の生徒たちも死に、そしてオールマイトが死ぬ。
(考えろ。考えるのをやめるな。このクソみたいな状況を脳死で受け入れるな。どうすれば良い。この状況、俺のできる最善のやり方を…)
比企谷八幡にできること。
個性が複数あって、この身体だけが自由に使える交渉材料。
この命を、使えば。
ハッとする八幡。
そうだ、今から死ねば良い。
自分が死ねば、オールマイトは解放される。
この人さえ動ければどうにでもなる。
観客席に仕込まれている爆弾が気になるが、場内にはプロヒーローが何人もいる。
小町に対する懸念もなくなり、雪乃や結衣も比企谷八幡の関係者ではなくなる。
オール・フォー・ワンも自分の死体があれば満足するだろう。
何を思ってこの二年を耐えてきたのか。
そんな思いがバカらしくなるほど簡単な解決方法があった。
「…比企谷、少年!バカな真似はやめなさい…!!」
「……オールマイト」
よく見ると、オールマイトの左腕が八幡の首元に伸びかけていた。
オールマイトが生物操作の個性に全力で抗っているからか、左腕の筋肉が膨張している。
八幡の思念が、生物操作を介してオールマイトに命令として伝わりかけてしまっているようだ。
比企谷八幡の死。
それを望めと。
「…悪い、オールマイト。あんたに殺させたらイメージダウンだからな。俺は俺で死にますよ」
「違う!!君は…今日この日に至るまで、必死に耐えてきたはずだ!
「…雪ノ下から聞いたんですか。じゃあ、小町をお願いします。アイツは無個性だから…多分オール・フォー・ワンは興味ないだろうけど」
「それだ!!」
「それ?何がです」
オールマイトの言いたいことが何なのか。
だが、それを理解している暇もない。
雪乃はいまにでも力尽きそうだ。
全身の神経を掌握し、右手を構える。
ようやく、終われる。
「君はいま、私を頼ろうとしたな!?比企谷少年…!」
「…まあ。人命救助くらい安いもんでしょ」
「それだよ、それなんだ比企谷少年!先程の雪ノ下少女の問いに対する答えは…それで良かったんだ!!」
「?」
「自分一人では勝てない、守ることもできない!それほどの強敵に出会ったらどうするか!?決まっている!!志を同じくした仲間と共に戦うんだ!!」
オールマイトの言葉に、呆然とする八幡。
オール・フォー・ワンと、戦う?
仲間と一緒に?
「…無理です。奴は…奴は!どこにいても俺を追ってくる!小町を…今度は雪ノ下や由比ヶ浜も使ってくる!どう足掻いたって奴からは」
「ヒッキー!!!」
その声にビクリと体を跳ねさせる八幡。
恐る恐る振り向くと、大粒の涙を流す結衣が、八幡を睨んでいた。
「…由比ヶ浜」
「……ヒッキー。ヒッキーはね……あたしにとって、ヒーローなの」
「は?」
いきなり何を言い出すんだ、と今度こそ呆気に取られる八幡。
結衣が八幡にゆっくり近づきながら言葉を並べていく。
三浦や芦戸の静止の声も聞かず、一歩ずつ、着実に。
「初めて出会って…自分のことなんて全く気にせずにサブレを助けてくれて。ああ、あたしにとってのヒーローが来てくれたって、本気で思った」
「…」
「中学二年になって…ヒッキーと初めてちゃんと話して。ヒッキーのことを、もっと知りたいって思った。色んな人の悩みをすぐに解決して、ヒーローになる為に黙々と訓練するヒッキーを…どんなことでも良いから知りたいって、思ってた」
脳無のそばを通る結衣。
脳無は雪乃を攻撃するよう命令されているため、結衣のことなどまるで眼中にない。
だが、それでも今にも戦闘に巻き込まれそうなほどの距離だ。
「おい、由比ヶ浜…!」
「でも!」
「!」
「…でも、修学旅行の時……ヒッキーの嘘告白を見て……なんてことをしちゃう人なんだろうって、思った。…あんなに胸が苦しかったのは、初めてだった」
「…」
「あんなに自分を苦しめて!それでも…あたしたちのグループの崩壊を守ってくれた!!なんでそんなに自分のことを大事にできないのって……なんであたしやゆきのんの気持ちもわかんないのって!!」
力が抜けて身体強化が自然と解ける。
わからない、結衣の心が。
「…なんで、今更そんな話…」
「…でも、わかったの。ヒッキーが二年前…あたしたちを逃して、自分だけ
「…怖い?」
「自分のせいで、誰かや何かが傷つくことが。多分、人の何倍も怖がってる」
「!!」
比企谷八幡の基本スペックは高い。
勉学も全て一人でこなしてきた。
やらなければならないことも、誰かに頼ることができないから全て自分一人でやってきた。
個性に関しても同じことが言えた。
彼の個性は汎用性が高く、一人でなんでもできた。
家庭環境にしても、早々に両親を亡くし、それが彼の負担・責任、そして処理能力の向上へと繋がっていった。
だから一人で何事もやれたし、誰かを頼ることもなかった。
それ故にわからなかった。
大切な人が出来た中学二年時。
雪乃の信条を守る為に、結衣のお願いを聞く為に。
自分以外の力を借りるという手段が思いつかなかったのだ。
もし頼ったとしても、八幡と一緒に傷ついてもらうという勇気がなかった。
それが彼のやり方だったから。
「…」
「ごめんね、ヒッキー」
「…お前が謝る理由なんてどこにも」
「あたしは…ヒッキーにすぐに手を差し伸べるべきだった。ヒッキーだけじゃない。あたしも、ゆきのんも。あの時間違えちゃったの」
修学旅行の時、その後も。
八幡が嘲笑に晒されている時、彼が守ってくれたグループに甘えていた。
間違えてしまった少年に、その間違いを一回指摘しただけで問答を終えてしまっていた。
一緒に頭を悩ませて、考え尽くすべきだった。
八幡のそばにいるべきだったのだ。
「だから、もう間違えたりしない!!ヒッキーが今何に怖がってるかなんてわからないし、敵がどれだけいてヤバいのかもわかんない!でも!あたしはもう逃げない!!ヒッキーを投げ出したりなんてしないの!!!」
「…!」
「あたしがヒッキーを守る!!ゆきのんだって小町ちゃんだって守る!!だから…ヒッキーも一人でなんとかしようとしないで!!あたしを頼って!!あたしのことを守ろうとしてくれるのは嬉しいの!!でも…!でも…!!」
すうっ、と大きく息を吸う結衣。
異変に気がついた葉山、切島、緑谷の三名が結衣のところへ走ろうとしていたが、間に合わない。
それでも、結衣は言葉を叫ぶ。
「貴方を守るヒーローに!!あたしにもならせてよ!!!」
その時、世界は崩れた。
どこか暗かった視界は晴れ、今日の天気が快晴だったことに気がつく。
既に日は傾き始めていた。
そんなことにも気づかなかったんだな、と彼は思う。
結衣に迫る黒い靄を土塊で弾き、矢のように飛び出した彼は雪乃の元へと辿り着いていた。
「え…」
誰かの驚きの声が、今しがた起きた出来事を表していた。
何が起きた。
今のはなんだ。
オールマイトの肩に乗っていた比企谷八幡の姿が消えた。
由比ヶ浜結衣に迫っていた靄がかき消され、いつのまにか彼女を守る様に土壁が覆っていた。
そして、雪ノ下雪乃を抱えた、先程とは顔つきがまるで違う少年が立っていた。
「…遅いわ」
「悪い」
「私も、由比ヶ浜さんと同意見よ。この勝負は貴方の負けね?」
「…ああ。そうだな」
「…部長命令よ、比企谷くん」
「何なりと」
「蹴散らしなさい」
「了解…」
二度間違えた彼は三度立ち上がる。